「よし行け! フローゼル、撃て!」
「あわわっ、ニルル避けれる!?」
「――――z!」
お手並み拝見とばかりに水鉄砲を発射してくるフローゼルだが、ニルルはにゅるんと滑って位置をずらし、直線的な一撃を躱してみせた。
基本的にのんびり動くトリトドンだが、ぬめる体液で接地部分を滑ることで、瞬発的な速い動きは出来る模様。
バトルにおいて、敵の攻撃を躱すには充分な動きも出来るようだ。
「パール、気を付けるんだよ……
トリトドンは、進化前ほど水の攻撃には強くないよ」
「お手並みは拝見させて貰ったぜ!
だったらフローゼル、わかるよな!?」
「――――z!」
「ニルル! みずのはどう!」
両手を広げたフローゼルの手の上に、輝くエネルギーが形を作る。
ニルルが水の波動を発射するのと同時、フローゼルは星型となったそれを手裏剣のように投げ付けてきた。
"スピードスター"と呼ばれるそれは、真正面からの水の波動を弧を描いて避けつつニルルに襲いかかる。
その後の展開が対照的で、水の波動を横っ跳びに躱したフローゼルに対し、滑って躱したニルルを追尾するように迫ったスピードスターは直撃だ。
いてて、とばかりに目を閉じるニルルに大きなダメージは無さそうだが、こちらは一撃受けて相手は無傷というのは望ましくない展開である。
「水に強いフローゼルだから黙って受けてやると思ったか?
水の波動は当たり所が悪いと目を回すからな! その手を食うかよ!」
「うぐぐ、やっぱりわかられてる……!
じゃあニルル、もっと距離を詰めてっ!」
「そうそう上手くいくかよ!
フローゼル、距離を保ってじっくりいたぶってやれ!」
いたぶるだなんて、悪者が使いそうな台詞をわざわざ使っちゃって。まだまだ悪役を楽しみたいらしい。
しかし、指示そのものは的確だ。
にゅるる~んと地面を滑ってフローゼルに迫ろうとするニルルは、見た目ほどには遅くない。パール相手ぐらいなら追いかけっこも出来るだろう。
しかし、健脚で駆けるフローゼルに追い付けるスピードではない。
横に逃げられたフローゼルを追って進行方向を曲げるニルルだが、こちらが最短距離で追っているにも関わらず距離は稼がれがち。
スタミナ豊富のフローゼルは、余裕の顔で距離を稼ぎながらスピードスターを投げ付けてくるのみだ。
さっきよりも距離は近まったのでニルルも水の波動を撃ってみるが、それも跳んで躱される始末である。
「だったら……!
ニルル! 作戦Bいくよ!」
「――――z!」
「むっ!?
フローゼル、警戒し……んんっ?」
御大層な言葉を使った指示をするのでマキシも警戒したが、ニルルはにゅる~んとフローゼルとは別の方向へ進み、プールの中へ飛び込んだ。
それで何を仕掛けてくるのかと思ったら、水に沈んだまま浮かんでこないニルルである。意図の読めない会場全体も一度静まり返る。
フローゼルも怪訝な表情で動くに動けず、そのうちニルルが水からちらっと顔を出した。
あれ? 来ないの? と、つぶらなお目々で首をかしげるニルル。
「ほほう、なるほど、水中戦ってわけか!
水ポケモン使いのジムリーダー相手にいい度胸だな!」
「さあ! マキシさん、どうですか!
勝負ですよ!」
「よーしフローゼル! やってやろうぜ!
……と、言いたいところだが」
さあ来たここからだ、という意気込みのパールを挫く、マキシのやっぱりやめとくぜ宣言。
前のめりな体勢になっていたパールもかくっ。客も数人がかくっ。
フローゼルはと言えば、マキシの真意は最初からわかっているかのように、腕を組んでつーんと含み笑い。
「陸上戦の方が分がありそうなんでな!
やり合いたきゃ上がってきな! かかってこいよ!」
「なっ、なっ……み、水ポケモン使いなんでしょ!?
水上の戦いならプロなんでしょ!?」
「そんな煽りに乗るかよ!
客もどうやら素敵な水中戦が見てぇようだが、俺ぁ勝算の高い方を取るさ!
オメーや客の望み通りになんか戦ってやるもんかい!」
「うぐぐぅ~……!
に、逃げるんですか~! よわむし~!」
「ガハハハハ! おっ、客からもブーイングが飛んできてるな!
おおいに結構なこったぁな!」
観客席のプラチナも額に手を当て、たは~と失笑するばかりである。
水中戦に持ち込んで、何やら目論見があるのはわかる。現に地上戦では分が悪そうだし、パールとしてはそう持っていきたいのだろう。
それにマキシが付き合わなきゃいけない理由なんてどこにもないわけで。
水ポケモン使いのジムリーダーがこの誘いから逃げるのか、と客もブーイングしたりするが、マキシの主張は正当である。
優勢な地上戦を選択したマキシに狙いを根本から断たれ、とっても安い挑発言葉を使うパールの困りっぷりったらない。
「さぁどうする!
言っておくが、一時間も二時間も勝負がつかねぇようならバトルは中止だぜ!
このまま俺達は、お前らが上がってくるまで何時間でも待つけどな!」
「ええっ、ちょっと!?
そんなルール無かったはずでしょ!?」
「意味のない睨み合いを何時間もやってどうすんだっつーの!
俺のジムだ! ルールは俺が決められるんだよ!」
「ず~る~い~!
水中戦しましょうよっ! 怖いのか~!」
「ガハハハ、逃げてんのはお前らの方だ!
さあ、中止が嫌なら上がってこいや!」
バトル中でもジムリーダーが勝手にルールを加えるのは少々ずっこいが、これはまあまあ仕方ない。
意固地に水中戦をしたがるパール、それは受けんと頑なに突っぱねるマキシ。どちらか折れるまでず~っと睨み合いが続くのであれば、流石に。
それではバトル出来ていない。中止も已む無し、という言い方は出来ないが、このままやってもしょうがない状態には違いない。
マキシは譲る気無し。ここで折れるべきなのは、仕掛けてみたけど空振っただけのパールの方である。
「んぐぐぐぐぐ……
ニ、ニルルぅ……上がってきて……」
「ガハハハ、さあ仕切り直しだ!
フローゼル、さっきと同じように……んっ?」
すごく悔しそうな顔をして、パールがニルルに地上戦に戻そうと言う中で、揚々としていたマキシが妙なことに気付く。
さっきまで、俺は行かないからお前が上がってこいよ、とふんぞり返っていたフローゼルが、じーっとニルルを睨みつけている。
ちょうどニルルは、マキシに背中を見せている位置にいるのだが、ニルルが首を横にゆらゆら揺らしている姿しか見えない。
つまりマキシにはニルルの顔が見えず、彼が何をやっているのかわかりにくい。
「――――!」
「…………あ゙っ!
こいつ、いばってやがるな!?
おいフローゼル、挑発に乗るんじゃねえぞ!!」
しかし、普段は狡猾なぐらい冷静でしたたかなフローゼルが、ニルルを睨みつけて怒りをあらわにした表情を見ればわかる。
"いばる"ことで相手を怒らせ、冷静な判断が出来なくなる戦術は、マキシも採用しているものだから尚更だ。
マキシ目線からは、ゆらゆら頭を揺らしたり首をかしげたりする後ろ姿しか見えないニルルだが、恐らく今すごくむかつく顔でフローゼルを煽っている。
対する位置、パール目線から見たニルルの顔は今日も可愛いのだが、ポケモン相手にむかつかせる顔なので人の目では判断が難しいのかもしれない。
「――――、――――z……!」
「こらこらこら、フローゼル落ち付け! 相手の思うつぼだぞ!
この野郎、そんな技まで覚えてやがったとはな……!」
「え、ええぇぇと……!
ニルルーっ、その調子だよー! 弱虫フローゼルなんかあなたの敵じゃないよー!」
パールはニルルに"いばる"なんて技を教えたことなんてない。
それでもニルルがフローゼルをいらいらさせているらしいのは見て取れるので、予想外の展開だとは表に出すまいとしながらサポート。
普段は冷静なフローゼルが、パールの弱虫発言を聞いてカチンときて、睨みつけてくるほどかっかしているのだから相当効いている。
睨まれてびくっとしてしまうパールだが、自分から目を逸らしたフローゼルに、ニルルがしれっと泥爆弾を投擲。
はっとして振り返ったフローゼルは躱して事なきを得たが、なおも水上で体をふりふり揺らすニルルの煽りっぷりはたいしたものだ。
ここまでされてまだ来ないの? と、ふへっと嘲笑する口元を見せたことで、とうとうフローゼルも堪忍袋の緒が切れてしまう。お見事である。
パールにこんな戦術を仕込まれてもいないニルルが、どこでこんな戦法を閃いたかと言えば、先のギャラドスが見せた"いばる"であろう。
ちゃんとそれを覚えていて、ここで実践しようとする機転もさることながら、成功させる器用さもまた特筆点。
いばって相手を怒らせるには、相手がむかつく態度を的確に選んで演じる必要がある。案外難しいのだ、"いばる"という技は。
方法論だけ見て学び、あとは持ち前の器用さで技を真似て成功させたニルルが、怒ったフローゼルがニルルの水域に飛び込む結実を果たす。
パールの望んだ展開を、ニルルが手を添え叶えさせた形である。
「ちぃ~っ、仕方ねえか……!
フローゼル、追い詰めろ! 潜られても逃がすなよ!」
「ニルル~っ! ケムまき作戦いくよ!」
水に潜ったニルルとそれを追うフローゼル、双方指示の聞こえにくい水面下に行ってしまったため、パールとマキシの声は大きくなる。
さて、パールの言うケムまき作戦だが、何のことはない、水中で泥爆弾を撃つだけの行為。元々カラナクシの頃から使えた技でもある。
水中で発射された泥爆弾はすぐに水に溶け、ニルルの周囲に広がって水を濁らせる。
長持ちしないが、ニルルの姿を水中で煙にまく効果があるのだ。だからケムまき作戦。安直なネーミングだこと。
「はっ、関係ねえ!
フローゼル、狙い撃ちだ!」
「よしっ、そこだね……!
ニルルっ、みずのはどう!」
しかしこのケムまき作戦、実は相手の目くらましが目的ではなく、水中に広がる泥によって、パールにニルルの位置をわかりやすくするのが目的。
パールもニルルの位置を確かめて、フローゼルとニルルの距離感を確かめて的確な指示が出来る。小さくない。
素早く水中を泳ぐニルルとフローゼルが、スピードスターと水の波動を放ち合う。
陸上戦と違うのは、水の波動がやや拡散気味かつ、フローゼルに迫る速度も速いという点だ。波動は大気中より、水や個体を伝わる速度の方が上。
結果、撃ち合いは痛み分けだ。フローゼルに水の波動では大きなダメージを与えられないが、スピードスターも威力は低いので分は半々というところ。
「根性比べがしたいなら受けて立つぜ!
俺様の切り札がそうそう先に沈むと思ってくれるなよ!」
「わかってる……!
ニルル! 勝負つけに行くよ!」
「む……!?」
とはいえこの勝負を続けたところで、一か八かの過ぎる業。ジムリーダーの切り札がタフである想定をするなら、むしろこのままではいけない。
具体的な指示ではなくも、ニルルが水中を力強く泳ぎ、一気にフローゼルへと急接近だ。
陸上と比較して速いニルルの動きは、フローゼルを逃がさないだけのもの。これだけでも、水中戦に持ち込んだ甲斐はあったと言える。
「上等よ……!
フローゼル、迎え撃て! 技はわかるな!?」
「まずい、パール……!」
迫るニルルに対して迎撃の体勢を取るフローゼルだが、何をするにせよ良くない技が飛び出すとプラチナは察している。
トリトドンに進化したニルルは、地面タイプとしての性質が色濃く出て、カラナクシだった頃よりも水や氷タイプの技に対する耐性が下がっている。
そして迫る敵に迎撃体勢を取るフローゼルが選ぶ技とは、ほぼ間違いなく物理的な攻撃技。恐らく"こおりのきば"だろう。
さらに、"いばる"ことで冷静さを欠いた相手は、その物理的な攻撃力がそれまでの限界以上に出やすいのだ。パールはわかっているのだろうか。
「ニルル、耐えてね……!」
「そこだ!! フローゼル!!」
体当たり気味にぶつかってきたニルルに、フローゼルがマキシの期待どおり噛みついた。
やはり氷の牙だ。それはニルルに浅く食い込み、彼の体内にまで冷気を送り込む。
ここが水中だろうと関係ない。周りの水に冷気を逃がすことなく、ニルルを内から凍らせんとする冷気が流し込まれる。
「頑張ってニルル、つかまえて!!
一気に締め付けてえっ!!」
「ぬうっ!? 耐えきるのか!?」
ニルルが悶絶する結果を見越していたマキシだが、ニルルは苦悶の表情こそ浮かべつつも、ぐいっとお腹をフローゼルの半身に向けてその軟体で抱き込む。
そのままぎゅうっと、軟体を縮めてフローゼルを締め付けるのだ。
"しめつける"めいた指示を出しているパールだが、水中におけるそれは、正しくはニルルによる"のしかかり"のようなものである。
粘液下に溜め込んでいる泥の砂粒も絡めて、ぎゅうっとフローゼルを締め上げる。
これにはフローゼルも、敵に突き立てた歯を食いしばって耐えるほど痛く苦しい。
マキシの想像を下回る"こおりのきば"の効き目を象徴するのは、思ったよりもフローゼルの牙がニルルに食い込んでいないことだ。
パールの発した耐えてという指示は、何も根性を出せというに留まった意味ではない。
"かたくなる"ことが出来るニルルは、"いばる"ことでフローゼルの攻撃力が高まっていることを含めても、ある程度自らへのダメージを抑えている。
マキシも両者が揉み合う姿が水中かつやや遠く、牙の刺さりが浅いことを視認できないのだ。
フローゼルが送り込んでくる冷気に苦しみながらも、フローゼルを締め上げるお腹も硬度を増すニルルは、きつく圧迫することで相手を苦しめる。
「やるな、流石に水中戦を仕掛けてくるだけの気骨はある……!
だがフローゼル、こっちからは離すなよ! 勝算はこちらが上だ!」
「ニルル頑張ってえっ……!
苦しいのはわかってる、わかってるけど、お願いぃぃっ……!」
水の中で大きな動きも無く、密着してもごもごしているニルルとフローゼルの姿は、観客目線では何が起こっているのかよくわからない。
そこで熾烈な戦いが繰り広げられている迫真を知るのは、パールとマキシ、そして有識者のプラチナぐらいのものだろう。
牙を突き立てられて体内から冷やされる、急激に風邪を引くような目眩めいた感覚に襲われるニルルも。
隙間なくぎちぎちに圧迫される体に激しい痛み、さらに血が止まり痺れる感覚に気分の悪さを、それも息の吸えない水中で味わうフローゼルも。
決して傍目からではわからない苦痛の中で必死に戦っているのだ。
本当の意味でこの苦しみに痛烈なほどの共感を得られるのは、過酷な指示を下した自覚のあるパールとマキシだけだ。
パールは言わずもがな、マキシも強気な声を発する表面的な態度とは裏腹、どちらも手汗が滲むほど両の拳をぎゅうっと握りしめている。
「……………………ニルルーっ! もういいよ!
振り払って、上がってきて!!」
「ちっ、的確だぜ……!」
組み付き合ったまま消耗していく両者だったが、その膠着状態を解くことを命じたのはパールの方。
どのみちこのまま根競べでは分が悪いとは彼女も思っている。
数秒に渡ってフローゼルを締め上げたこの展開、それさえ叶えばもう充分だと、技を解くことを指示するパール。
これ以上続けてはニルルの方がもたない。その点も含め、遅過ぎず早過ぎずのこの指示、マキシもパールになかなかのものだと感じざるを得ない。
三次元的に身を振り放題の水中、ぶるんと身体を振るったニルルがフローゼルを振り払って、水上まで真っ直ぐに上がってくる。
フローゼルも水上へ。だが、ニルルを追った動きではない。
バトルフィールドに這い上がったニルルに対し、フローゼルは少し離れた場所からフィールドに上がってくる。
そして、真っ直ぐフローゼルを追ってこなかった理由を物語るかのように、片足を引きずるような仕草さえ見せるフローゼルは見るからに動きが悪い。
「"まひ"したからって侮ってくれるなよ……!
フローゼル! こうなりゃ接近戦だ! それしかねぇ!」
「ニルル、どろばくだん!
相手が何か撃ってきたら躱してね!」
そう、水中でフローゼルを締め上げた特殊な形での"のしかかり"は、フローゼルの体の血行を悪くして痺れさせるに至っている。
儘ならぬ身体に鞭打って、ニルルに駆け迫らんとするフローゼルの速度は明らかに、戦闘開始直後より悪い。
形勢は逆転に少しずつ近付いている。地上でフローゼルが接近戦を仕掛けざるを得なくなったことがその象徴だ。
フローゼルのスピードスターとニルルの泥爆弾の遠距離戦になれば、動きが落ちて躱せるか怪しくなったフローゼルの方が、受けるダメージが大きく不利。
ほんの少し前まで離れて戦えば安泰だった地上戦、そこに未練を感じることなく、接近戦を仕掛けるべきだと断じられるマキシも流石はトップトレーナー。
ニルルの放った泥爆弾を受けてのけ反り返りそうになりながら、顎を引いて迫るフローゼルも、マキシの期待に応えるべく根性を見せている。
「食らい付け!」
「ニルルっ、泥に乗って! 絶対躱せる!!」
痺れる体でもニルルとの距離を詰めれば、絶対逃がさぬの勢いで瞬発力を見せるフローゼル。勝負所と力の振り絞り方がわかっている。
だが、氷の牙の脅威を知るニルルの切実な回避行動も機敏。
床に接する場所に集めた粘液と泥、体を捻って力を入れるとそれに乗って滑るようにし、フローゼルの開いた口から体全体を逃がす。
がちんとはずれた牙を鳴らすフローゼルに対し、近く振り向いたニルルは額のそばに泥の塊を作り出している。
「撃てえっ!!」
「返せ!!」
氷の牙をはずしながらも、その手にスピードスターのエネルギーを集めていたフローゼルだ。
至近距離から発射された泥爆弾を顔面に受けてよろめき退がりながらも、フローゼルの投げたスピードスターはニルルの首元をがすりと傷つける。
たじろぐ両者、蓄積しつつあるダメージは頭を上げにくそうな姿勢からも明らかながら、敵を見据える目だけは意地でも保つ。
「みずのはどう!」
「跳べ! 撃ち下ろせ!」
泥を作ってから撃つ時間も惜しいこの局面、最速で撃てるニルルの得意技を指示したパール。
それでも足に力を入れて跳ぶフローゼルが、ニルルごと飛び越えるほどの跳躍で以って、環の大きな水の波動を回避する。
そして飛び越えるに際し、下を向いたフローゼルの口から発射される水鉄砲が、ニルルの体を力強く押し潰そうとする。
「ッ……、――――z!」
「っ、ニルルー!
頑張れえっ! どろばくだん!!」
如何に撃ち下ろしで圧のある水鉄砲とはいえ、悲鳴じみた声をあげて喘ぐほどニルルには大きなダメージがあったのは、パールの目にも明白だ。
それでも、もう少し、あと少し、ほんのちょっと。
高い跳躍から着地して、膝を崩しそうになりながらも体勢を整え、息を切らしたフローゼルがニルルに振り返る姿があるのだ。
祈るように両手をぎゅうっと握りしめて願い望むパールの声に、荒い息を吐いたニルルも泥爆弾を作り上げる。
「ぐううぅ……!
あと一撃だ! 決めるぞ、フローゼル!」
「――――ッ!」
「みずのはどう!」
かろうじて放たれた泥爆弾を躱したフローゼルも、ニルルがフィールド上にばらまき続けてきた泥と粘液に足を滑らせ、フィールド上に膝を打つ。
それでもすぐに立ち上がりつつ、水鉄砲を発射するフローゼルに対し、地表を滑りながら水の波動を撃つニルル。
両者の砲撃が中間点、いや、僅かにそれよりフローゼル寄りの場所でぶつかり合い、水のエネルギーが爆散してフィールドいっぱいに広がるほど水を散らした。
「ッ、ッ……!」
「フローゼル! 来……」
「撃ってえっ!! どろばくだん!」
自らが発射した水鉄砲を相殺され、その水が自らに降りかかったことが、パール達には意図しなかった敵の最大の隙だった。
マキシが自分のポケモンに教え込んだ切り札奥義、ただの"みずでっぽう"にしか見えぬながら、傷ついた相手にはより強い苦痛とダメージを与える技。
その"しおみず"を、傷ついた今の体で浴びせられてフローゼルが僅かに怯んだことが、勝負の展開を大きく左右したとさえ言える。
予期していた以上の苦痛に意識を奪われたフローゼルは、地表を滑って接近しながら泥爆弾を撃ったニルルの攻撃を躱すことが出来なかった。
「フローゼル……!」
「のしかかりいっ!!」
上半身いっぱいでもろに受けた泥爆弾が着弾と同時に炸裂し、吹っ飛ばされて背中を打ち付けたフローゼル。
そして体を起こすより早く、低くながらも跳んだニルルが、フローゼルの体に思いっきり押し潰す。
体重自体はそれほどでもないトリトドンだが、お腹に泥を纏ってのしかかった相手を、軟体ですり潰すように揉むニルルは、圧迫感と砂の力で敵を苦しめる。
弱った体で足掻き振り払う力の無い今のフローゼルにとっては、身動きとれぬまま拷問のように全身を擦り潰されるような展開に近い。
「フローゼ……」
「――――――――z!!」
「ッ、――――z……!」
「ああぁぁ……!
頑張って、頑張ってニルル、お願いいぃぃ……!!」
胸より下ニルルに揉み潰され、押しのけようとする手でもニルルを剥がせないフローゼルは、開いた口をニルルに向けて水を発射。
みずでっぽう、いや、"しおみず"の砲撃。それを顔面に受けるニルルも顔をのけ反らせ、それに乗じてフローゼルもニルルを押しのけようとする。
しかし、ニルルはぐいっと顎を引き直し、打ちのめされた体に沁み込む塩水の苦痛を食いしばって耐え、フローゼルを包み潰そうと力を加える。
やっと捕まえたのだ。ここしかないとニルルはわかっている。
「ぬうううぅぅぅ……!
フローゼル! 踏ん張ってみせろ! 屈するんじゃねえぞ!!」
「ニルルーっ!
頑張ってえっ!! 勝ってえ……っ!!」
砂粒を纏ったニルルの体に、逃げ場無く力強く擦り下ろされるような苦痛に耐えながら、諦めずニルルの顔面に再び塩水を吐くフローゼル。
傷に痛烈に沁み痛み、それも至近距離ゆえ水圧で以って、ニルルの顔がひしゃげそうになるほどの砲撃だ。
しかし吸い込んだ息を全部吐き出したかのように、塩水の発射が止まるまで耐えれば、ニルルは再び顎を引いて敵を睨みつける。
逃がすものか、お前がギブアップするまで絶対に僕は逃げない。
離れろこの野郎、俺が負けてたまるか、お前が泣いて逃げ出すまで何度でも塩水を浴びせてやる。
塩水を吐くフローゼル、浴びせられて身を裂かれる想いニルル、それでも逃げずに敵の体を締め上げて苦しめて。
水を吐き終えた口でがはっと苦悶に満ちた肺の空気を絞り上げられながら、執念を振り絞って再びニルルの顔面に塩水を撃つ。
大きな動きも無く、傍目からはフローゼルが何度も何度もニルルの顔に塩水を吐く姿だけが見える光景の中にある、双方の地獄を誰が真に理解できるだろう。
観客には絶対に伝わらない。所詮は他人事だ。プラチナですらどうか。
勝負の分かれ目だとは目に見えても、その迫真を100%は感じ取れまい。
バトルの当事者たるパールとマキシだけが、ニルルとフローゼル双方の血走った眼と表情から目を切れず、勝利を渇望する両者の執念に共感できる。
可愛らしい鳴き声を当人にしては絶叫めいて吠えあげるニルルと、余裕を捨てた獰猛な表情で抗うフローゼルの姿。
捕食者とそれに抗う凶獣が咆哮を交わし合うその光景は、風貌に愛嬌のあるポケモン達の姿ゆえ、きっと傍観者にその迫真さは薄れて伝わる。
そこに命のやり取りさえ想起させる両者の闘志があることを理解するパールもマキシも、頑張って欲しい想いで歯を食いしばる。
ニルルとフローゼルが決死の想いで戦うのと同等に、パールもマキシも爪で自分の手が傷つきそうなほどの力を、握り拳に入れずにはいられなかった。
「ッ…………、ッ…………!」
「――――z、――――――z!」
「――――……っ……!」
「…………!
よくやった、フローゼル……!」
互いにしばしば息を詰まらせながらも傷つけ合っていた両者だったが、かはっと息を吐いたフローゼルが、その手でばん、ばんと床を叩いた。
後頭部をフィールドに預け、歯を食いしばって痛みに耐えながらも、もう耐えられないと表明するその仕草。
もっと早くに彼を引き下げてもいいとさえ考えていたマキシも、フローゼルの降参宣言を受け取って、既に握りしめていたボールのスイッチを無念無く押した。
「ぁ……」
まばたき一つせず戦況を見守っていたパールの目の前に生じたもの。
マキシの最後のポケモンが回収され、戦闘不能をジムリーダーが認めた光景だ。
呼吸も忘れてそれを見届けたパールの前、捕らえていた相手が消えたこと、勝利を認識したニルルが天井に向けて首を振り上げる。
「―――――――――――――――z!!」
それは苦闘を制したニルルの、やったぞという想いのこもった雄叫びのようなものだ。
例えるなら、甲高いムクホークの長い鳴き声を、何倍にも何倍にも長くしたようなほどの長い咆哮。
それはパールも聞いたことのなかった、喜びに打ちひしがれるかのようなニルルの声だった。
初めて大一番の大将を任されて、見事に勝利を飾ることが出来たニルルの喜びが、その長く続く声には強く表されていたのだ。
これほどまでに達成感を、誇らしげに、高らかに、声に出すニルルの姿には、パールもその歓喜に胸を撃ち抜かれたかのように想い高まるというものだ。
「……パール! 負けたぜ!
お前と、お前のポケモン達の勝ちだ!!」
「っ……や……っ、やったぁーーーっ!!」
勝利の実感をようやく得始めたパールを見据え、マキシは何よりもまず、挑戦者にそれをいっそう確信させる言葉を発してくれた。
高らかな敗北宣言は、観衆に向けたファンサービスが好きな彼ゆえのものか。決してそうではない。
やはりどんなに趣向が他のジムリーダーと違っても、マキシとてその一人としての心根は何も変わらない。
全力を出し切って、自らに勝利を収め、輝ける未来への前進をまた一歩踏み出した者へ、それを心から実感させることにこそ我が言葉を。
パールが握り拳二つを振り上げて、ヘッドマイク越しの割れた声を会場全体に響き渡らせる姿に、マキシは悔しさよりも賞賛を強く含む表情で眺めていた。
挑戦者の勝利に観客席が沸き立つ中、マキシはヘッドマイクを一度はずし、握りしめたフローゼルの入ったボールを見下ろし、短い言葉を添えていた。
観客席にも、対戦相手のパールにも伝わらない、マキシとフローゼルの二人の間でのみ交わされた特別な言葉だ。
その機微を目にしていたプラチナにさえ、何を言っていたのかはわからなかったが、マキシの表情を見ればおおよそのところはわかる。
死力を尽くして戦い抜いたフローゼルに向けたマキシの微笑みからして、労いや感謝こそすれ、なじるものでは絶対にない。
具体的に何を言っていたかは永遠の謎だ。それでいいのだ。それを知れるのは、この戦いに全身全霊を尽くした者達だけの特権だ。
「――――z!」
「ニルル……!」
嬉しそうにバトルフィールドを滑り、プールに飛び込み、パールの方へと泳いでくるニルル。
トレーナーが立つ小島の端まで行き、這い上がってきたニルルをすぐに抱きしめるパール。
喜び全開、それこそのしかかるようにパールに身を預けてくるニルルに、重たいけれどパールもぎゅうっと抱きしめ返して応えるのみ。
プールを泳いで泥を落としてきたニルルは、仰向けに寝そべったパールの上に乗っかって、その軟体の腹でパールを抱きしめて頬ずりする。
トリトドンの重さでお腹に乗っかられるパールは息苦しくもあったが、嬉しさが勝っちゃって耐えられてしまう。
にゅるにゅるするニルルの体に腕を回して、その頭の後ろを撫でることに右手が夢中である。
「大好き、ニルル……!
あなたのこと、今までよりもずっとずっと凄いって思った……!」
「だーーーーーっちくしょう! 負けた負けた!
テメエら俺が負けて嬉しい奴らはもっともっと叫びやがれ!
ジムリーダーを打ち破り、4つ目のバッジを手にした勝者を、最大限の賞賛で讃えてやるがいいさクソッタレー!!」
パールへの賛辞、フローゼルへの労い、それを済めばマキシも通常運営に立ち返り。
ジム全制覇を目指す若者の道を遮る、強い悪役としての演者として振る舞いつつ、集まってくれた観客にパールへの歓声を求めるのみ。
とはいえ結局、どれだけコンチクショーの小悪党めいた言葉遣いを演じても、その態度が表すのはパールを褒めてやってくれの真意しか無いのである。
わかる大人達がその心意気に応え、改めてパールへの賞賛を重ねる歓声が、今日一番の大きな音としてバトルフィールドいっぱいに響き渡る。
それはもっと客数さえあれば、ポケモンリーグの大きな大会で決着がついた時にも匹敵するであろう、個々の大声で奏でられる大歓声だ。
ニルルへの感謝で気持ちがいっぱいだったパールも、それを受けるニルルも、それに気付いて客前での勝負だったと思い返して会場を見渡している。
死に物狂いで掴み取った勝利の末、惜しみない歓声を受けるこの感覚。
きっとこれまでのパールの人生の中で経験したことのない、そしてニルルも初めて得る実感だ。
いつかポケモンリーグに挑戦するなら、大観衆の前でバトルすることになり、その予行演習だと思えと言われて始まったこの勝負。
それを望む結末で締め括れた時、こうした心震えるほどのものに直面できるということも含め、その予行演習めいたものは最高の形で終えられたと言える。
二人だけの間でのみ通わせ合っていた喜びを、これほどの観客が共感するように声を上げてくれる一幕に、パールも心震えるほどの嬉しさを感じているだろう。
「えへへ、ニルル……!
いま私、すっごく嬉しい……!
あなたのおかげだよ、ほんとにありがとう……!」
「~~~~♪」
改めて顔と目を向け合うパールとニルル。
僕、頑張ったよ、とばかりに微笑んでもう一度頬ずりしてくるニルルに、パールはニルルをぎゅうっと抱きしめるだけだった。
マキシや観客の賛辞も手伝って、パールの目が潤んでいたことは、彼女とニルルだけが知り得る二人だけの秘密だ。
確かにこんな嬉しい勝利、これが初めてというわけではないのだけれど。
全身全霊で戦ってくれたポケモンが、自分の望んだ勝利を死にもの狂いで勝ち取ってくれたという感動は、何度経験しようとそう簡単には慣れないものだ。
ジムバッジの獲得が確定した事実よりも、パールの心を打ち震えさせてくれるものがここにはあったはずだ。それが何かはきっと言わずもがな。
大好きなポケモン達と一緒に大きな夢を追うポケモントレーナー達ならば、きっと誰しもがわかるはずのことだ。