ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第88話   戦後の傷跡

 

 月の重い夜だ。

 一日一度は見るはずの見慣れた夜空が、今日はその暗さが己の心を映し込んだように真っ黒に感じる夜。

 シンジ湖でマーズ達と戦ったパールはその日の晩、故郷フタバタウンの隣町、マサゴタウンのポケモンセンターに泊まっていた。

 

 ご飯も食べた。お風呂にも入った。

 厳しい戦いを乗り越えた末、自信の身体を内も外もリフレッシュさせ、あとは枕を高くして眠るだけのはずの時間だ。

 そんな中でパールはベッドに寝そべり、ぼうっと天井を見上げたまま、寝付けぬ瞳をずっと閉じられずにいた。

 まるで、魂が抜けたような表情でだ。何も、考えられていない。

 

「――パール、ちょっといいかな。

 入ってもいい?」

 

「……………………ん」

 

 部屋の外からノックして、パールの泊まった部屋を訪れる友達の声がした。

 ノックに加えて声を発されて、パールがたった一文字ぶんの反応を見せたのが三秒後。

 聞き慣れたはずの友人の声を耳に入れ、頭が認識し、反応を見せるまで、それほどの時間がかかるほど、パールは茫然としていたと言っていい。

 

 体を起こしてベッドに座り、両手で顔を洗うような仕草できゅっきゅっと表情を整えてから、パールはいいよと返答した。

 扉を開け、パールと二人きりの部屋に入ってくるプラチナ。

 好きな女の子が一夜を過ごす個室に、夜に訪れるようなことは、本来プラチナにとって強く遠慮することだ。節操があるのだ。

 だが今日のプラチナは、パールと一言も交わさずに寝ることが出来なかった。

 それはパールの前に顔を見せたプラチナの表情が、最初から神妙であったことにも表れている。

 

「元気ないね」

 

「ま、まぁ……色々あったからねぇ……」

 

 頬をかいて、にへらっと笑うパールの元気の無さといえば、これを作り笑いだとわからぬ者は目が腐っていると断言できるほど。

 夕時の201番道路を彼女と共に歩いてきたプラチナには、半ば生気を失ったパールの心境も根拠もわかっている。

 

「お母さんにはもう電話した?」

「……………………まだ…………」

「パール」

 

 間を置いて、うつむいて返答したパールに、プラチナは今までで一番低く、重く、しかし強い声でパールを短く批難した。

 静かなる、しかし深々しい憤慨を孕んだその声にさえ、パールはびくりとする素振りも無い。

 怖がる余裕も全く無いほど、心に風穴が空いている。

 

「僕、女の子に手をあげたことなんて一度も無いけど、殴るよ。

 心の準備が出来てないとか、もうそれで済まされることじゃないでしょ」

「…………うん」

「僕が帰った後でも、絶対それだけはするんだよ。

 それさえしないパールだったら、絶交どころの騒ぎじゃないからね。

 僕、心底パールのこと軽蔑して一生許さないから」

 

 ぎゅうっと絞り出すような声で返答するパールの表情は、座ってうつむく彼女を立って見下ろすプラチナには一切窺えない。

 だが、パールの内心が自分以外の誰かをなじっていることなんて、絶対にないとプラチナは信頼できる。

 彼女が責めているのは彼女自身だ。きっと、泣きたいぐらいに。

 しかしプラチナも、こればかりは絶対に、泣いたって許さないと腹に決めてここへ踏み込んでいる。

 女の子の涙は優しいプラチナには強烈に効くはずだ。それでも許さない。

 

 

 

 マーズとジュピターは逃亡した。

 バトルに敗北すること自体は免れたものの、パールは故郷の湖を荒らすギンガ団幹部に、目的を達成した上での逃亡を許した形である。

 勝利条件を満たした結末ではなかった。一矢報いた、と喜べる勝利ではない。

 プラチナとの絶交と天秤にかけてでも、己が感情に従って挑んだ戦いは、パールに何一つ残さなかったと言う他ない。

 勝ち得た勝利など一つも無かったのだ。それが結末であり現実である。

 

 パールがマーズを形だけでも退けたのと同様に、同じ形でジュピターを退けたプラチナも、流石にパールを心配して合流してくれた。

 本心とは裏腹の絶交宣言など、案じる想いに勝るはずがない。当然のことだ。

 とにかく休める所に帰ろう、と言ってくれたプラチナに、パールはうなずき、二人で歩き出した。

 そんな中でパールの足が向かったのは、最も近い故郷フタバタウンではなく、マサゴタウンだったのだ。

 

 どうして、と問うプラチナに対してパールはしばらく濁していたが、そのうちプラチナにも根拠がわかったというものだ。

 マサゴタウンに向かう中で、パールのポケッチが着信音を鳴らした時、パールはポケッチに表示される相手の名前を見て、すぐにマナーモードに切り替えた。

 誰? と問いかけたプラチナに、パールは知らない番号、間違い電話かも、と返答した。

 知らない番号からの着信に敢えて出ないのはわかる。本当にそうならば。

 だが、パールが無視するポケッチが、一度着信の振動を止めてからも、何度も何度も鳴り続けることから、プラチナも流石に察したというものだ。

 真相に気付くまでには確かに時間がかかった。マサゴタウンに着いたちょうどその頃だ。

 もしかしてお母さんじゃ……? と尋ねたプラチナに、パールがそれ以上の嘘をつかず、小さく頷いた姿は、ぎりぎり潔い方とでも言えるのだろうか。

 

 シンジ湖での騒動は、上空カメラからしばしば報道されていた。

 そしてリッシ湖でパール達がサターンと戦った時と異なり、今回はずっと天井の無い場所での戦いだった。

 以前はパール達の姿が映っても、湖を駆ける短時間の小さな影では、話題になることはなかったのだ。

 リッシ湖底の洞穴内で二人に居合わせたはずのマキシに対し、鼻の利く記者が問うこともあったようだが、マキシは核心を誤魔化して応じていたのだろう。

 おおごとにして欲しくないパールに、私達のことは秘密にしておいて下さい、と、しれっと頼まれていたからだ。

 マキシも黙秘が正しいかは大人として悩ましかったところだが、助けられた身分としては裏切れなかったのだろう。

 たとえ賞賛されるべき志を胸に悪に挑んだ好漢であろうとも、格好つけられなかった大人というのは、その後どう転んでもつらいものである。

 結果がすべて。大人の不文律。己を律して正しい道を選ぶ者にも、欲のまま暴れる悪人に対しても平等に言われること。

 清廉に生きるほど大変と言われる根拠である。

 

 だが、空の下でずっと映されて報道されたパールの姿は、リッシ湖の時のようにはいかない。

 少年少女がギンガ団幹部を相手に、たった二人で挑んでいる姿は、お茶の間に報じられてセンセーショナル極まりない内容だったはずだ。

 まして地元のシンジ湖での出来事に、パールのお母さんが目を離せずテレビを観続けていたことなど当然のことである。

 そこで愛娘が指名手配犯と戦っている姿を目にした母親の心情など、言葉で言い表せる程度の衝撃ではないことなど明白だ。

 今すぐに安否を問う電話、いや、たとえ殺されようが現場に駆け付けたい親心さえぐっと耐えた、パールのお母さんの理性は驚愕に値する。

 まさに今、極悪人とされる者と愛娘が戦っている中、そこに電話でもして気を散らしたら、とぎりぎり判断できる母親がどれだけいるというのか。

 我が子が犯罪者と戦っている現実を、手の届かないテレビ越しに見てパニックを起こさなかった実母など、ただそれだけで賞賛に値するほどであろう。

 

 パールが悪人に身柄を囚われることなく戦いを終えた時、それを見届けた母の表情が、どれほど形を失ったことかなど想像に難くない。

 戦いを終えたパールは、故郷に向かわなかった。母は時間を置いてから、愛娘に電話をかけた。

 パールは出てくれなかった。何度もかけ直した。

 それが悲しくなって、涙がようやく止まってから電話をかけたはずの母も、再びこみ上げてくるものがあったはずだ。

 親の心子知らずとは、まさにこんな時を表すに適した言葉である。

 

 

 

 そもそもパールがフタバタウンではなく、マサゴタウンに向かったこと自体、彼女が自分の行動を後ろめたく感じていた証拠である。

 自分の感情の信じるままに動いたはず。それが正しいことだったはずだって、肯定したいのが子供心のはず。

 シンジ湖に向かう前、強く否定してくれた親友の言葉は、パール自身に己の正当性を疑わせる充分なきっかけになっていたはずだ。

 だから、電話がかかってくる前に、向かう先はフタバタウンではなくマサゴタウンにしたのだ。

 家に帰れば、きっとテレビを見ていたはずのお母さんに、どんな怒られ方をするかも想像できたということなのだろう。

 

 旅に出ることは、そもそも親に許されてすることだ。

 11歳になったというだけで、誰でも彼でも無条件に好き放題旅に出る権利が与えられるほど、シンオウ地方は子供達の未来に無責任ではない。

 お母さんにあれだけの心配をかけた自分が、お母さんの前に顔を出せば、もう旅することを禁じられる。

 だからパールは、故郷に、家に帰ることを拒んだ。

 あれほど今朝は、プラチナと一緒にフタバタウンに帰ることを楽しみにしていたのにだ。

 それを捨ててでも、旅を終えることを拒んだパールの一時しのぎの浅知恵。

 

 それがわかったプラチナにも、親から逃げるパールを咎める言葉を紡ぐことは出来なかった。

 自分の選びたい道を進みたい、そんな同い年の気持ちを無条件で否定できるほど、プラチナだって大人じゃない。

 そもそも彼とて、親の反対を振り切って、学者の道を選んだ反抗期の少年だ。

 そんな自分を棚に上げて、親に心配かけるなとパールに説教できたものではあるまい。

 棚上げを躊躇する11歳というだけでも、プラチナは本当によく出来た子であるというのも確かなのだが。

 

「ねぇ、パール」

「…………」

 

「お母さんに、一回でいいから連絡しなきゃ駄目だよ。

 家に帰って、顔を見せろとまでは言わないからさ」

 

 それでもプラチナは、改めて、これだけは、突きつけた。

 決してプラチナとて、旅の中で、あるいはナナカマド博士の助手としてはたらく日々、定期的に父に連絡していたわけではない。

 自分の進みたい道を否定する父に、いちいち安否の電話をする男がいるものか。

 思えばそんな自分が、どれだけお父さんに心配をかけていたか、パールの振る舞いを見て思い知れたことは、説教を垂れるプラチナの胸を苦しめている。

 よく僕がこんなこと言えたもんだ、というものである。

 

 己が強く信じて突き進んだ道、その本質が愚かしいことなどごまんとある。

 一方で、それに気付くきっかけが、自分自身を見つめ直すことのみによって、なんてことがどれだけあることやら。

 人の振り見て我が振り直せ、なんて言葉を作った人は良いことを言うものだ。

 所詮、人が独りで、正しい意味で大人になっていくことなど現実的ではない。

 

「……………………絶交は取り消させて欲しい。

 僕だって、やっぱり本当は嫌だよ。

 だから、その……」

 

 少年なりに、腹を割って話している。

 折れたくない意地を折って。ここだけは絶対に負けたくなかったけど。

 絶交宣言したにも関わらず、マサゴタウンまでは一緒に来た時点で、そんな絶交宣言は形骸化していたと言うべきものだろうか。

 子供達の、その時その時ごとに迫真であったその想いを、ただ馬鹿にするような大人になってはいけない。

 

「パール、お願いだからお母さんに電話だけはしてあげようよ。

 僕、それさえ出来ないパールとは、一緒にいづらいよ」

 

「…………」

 

 ギンガ団に挑もうとしたパールを引き留めるための脅しとは次元の異なる、心からの言葉はパールにも通じただろう。

 越えてはいけない一線。パールにだってわかるはずだ。

 絶対、間違いなく、疑いようもなく、世界一自分を心配してくれているお母さんに、あれだけのことをして連絡の一つさえ出来ない自分。

 それすら出来ない自分のことなんて、プラッチに嫌われるまでもなく、自分で自分を嫌いにならなきゃいけないはずのことだ。

 それがわかるぐらいには、パールだってやはり、5歳6歳の子供じゃない。

 

「ごめん、プラッチ……」

「僕にじゃないよ」

 

「お母さんに、電話してみる。

 でも、あの……」

「うん、信じるよ。

 勇気は要るだろうけど、頑張ってみよう。

 ……おやすみ、パール」

 

 言いたいことが沢山あり過ぎるだけに、プラチナは早過ぎるほど、部屋を去った。

 ちゃんと、パールを信頼する微笑みを浮かべてだ。

 自分が好きになったパールは、躊躇いがちながら宣言した、大事な大事な約束を破るような子じゃないって、心から信じてだ。

 本当に心から絶交した相手のことを、こうして信じられるはずがない。

 

 プラチナが自室に戻り、再び一人になったパール。

 ポケッチで、お母さんの電話番号に触れるまでは、少し時間がかかったけれど。

 親不孝な未熟な女の子なりに、勇気を振り絞り、パールは為すべきことを果たした。

 何のフォローにもなるべきではないのだが、怒られるとわかっている相手に電話をするというのは、並々ならぬ勇気が要ることである。

 

 電話して3秒も待たずして電話に出てくれた母と、パールの会話がどのようなものであったかは、血を分けたたった二人の親子だけの秘密である。

 穏便なものに済んだわけではないことなど、到底言うまでもないことだ。

 それもパールの心に、数秒前に己の心に刻んだ傷を、いっそう血が流れるほど深く広げるほど、耳にするだけでつらくなる言葉を向けられたことも含めて。

 それが憎しみではなく慈しみの心からくる、お母さんの強い強い涙声の声の連続あったからこそだ。

 

 母の想いを真っ向からぶつけられ、悔恨の涙に暮れるパールを擁護できる言葉は存在しない。

 自分が悪い。一番つらいのはそんな時だ。

 誰しもかつては大人になる前、一度は経験する後悔の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、思ったよりも手こずったわ。

 やはり、子供だからって甘く見るものではないわね」

 

 同じ夜、シンオウ地方の山奥に身を隠したマーズとジュピターは、ようやく一息ついていた。

 そう簡単には指名手配犯を追う正義の目も届かない、広い広いシンオウ地方の一端だ。

 そばに最も頼もしいブニャットとスカタンクを置き、夜の世界で野生種に紛れるゴルバットを出し、危うい影が接近しようものならすぐ気付ける布陣を敷いて。

 野宿も可能である。万が一追っ手が迫ろうものなら、頼れる腹心達の報せにより、いつでも逃げに回れる構えということだ。

 

「さすがに二人とも寝てしまうのは不用心ね。

 マーズ、どっちが先に寝る? じゃんけんでもする?」

「…………」

「なぁに、追っ手にびびってるの?

 お話ししましょ……」

 

「そんなに寝たいならあんたが先に寝なさい。

 うざいわよ、黙ってて」

「あら怖い、あなたが私のことを嫌いなのは知……」

「黙れっつってんのよ、抜け殻が」

 

 こんな時でも、マーズはジュピターに食ってかかるほど彼女のことが嫌い。

 とはいえ、ここまで積極的に突っかかるのは、流石に癇に障ることを口にされた時だけだ。

 慣れたものとはいえ、今度は何が癪に障ったのやらと、やれやれと肩をすくめるジュピターは"大人"である。

 

「ま、あんたがそう言うなら結構だけど。

 遠慮なくおやすみさせてもら……」

 

「よく寝れるわね。

 あたしはあんな子供相手に一矢報いられただけでも、悔しくて悔しくて寝付けないっていうのに」

 

 マーズがジュピターを見る目は、尖った目つきゆえに攻撃的でありながら、そこには明確な軽蔑の意を孕んでいる。

 同時に言葉どおり、ギンガ団幹部として当然果たすべきだったわかりやすい勝利を示せなかった己に対する、耐え難いほどの屈辱も孕んでいる。

 はぁ、と息を吐くジュピターは、そんなものは下らないとさえ言いたげだ。

 

「あのねぇ、あたし達は"エムリット"を捕獲するために一戦交えた後だったのよ?

 思うように一方的な蹂躙が果たせないのは仕方がないわ。

 それだけの余力が、あれほどの難敵を相手にした後に残っていた?」

「自分を慰める口上ばかり一丁前なのね。

 あなた、ポケモントレーナー何年目?

 そうやって、見下すプライドを以って然るべき年下を相手に劣っても、そうして逃げ続けてきたんでしょうね」

 

「チンピラみたいなこと言うのね、あなた。

 安いプライドだわ」

「結果主義の悪の組織の犬を謳うくせに、結果を出せなかった自分に甘いんだ。

 そりゃあトレーナーとしてもブリーダーとしても半端者なわけだわ」

「あ?」

 

 ちり、と二人の間の空気が明確にひりついた。

 いかに仲間同士とはいえ、互いの過去の瑕をつつくのはご法度だ。

 

 悪の組織に身を堕とした者達には、そこに至るまでの根拠や過去というものがある。

 決して、他者に、軽々しく触れてほしくない、苦々しくて忘れ難い過去を持つ者も決して少なくない。

 それに土足で触れようものなら、喧嘩になることは避けられない。特に、結果主義の組織において、仲間割れなど絶対にあってはならないこと。

 脛に傷を持つ者同士において本来、相手の過去を抉ることなど言語道断だ。

 

「言うじゃないの、クソガキ。

 いくら同胞とはいえ、舐めた口を叩く奴は只じゃおかないわよ。

 あたしが属してるのは、正義感や道徳がお好みの組織だったかしら」

「舐めた口と態度で挑んできた、あたしよりも年下の子供も制しきれなかったくせに。

 手段を選ばぬ暴力で、逆らう者には容赦しない極道めいた己を謳えるほど、あんたの仕事は出来たものじゃない。

 未熟な頃の子供相手に火炎放射を放つ自分の非道さをさぞ楽しげに自慢してたけど、それってザコ相手に粋がれてましただけに過ぎないってこと?」

 

 本当に嫌いな相手との口喧嘩となれば、マーズも痛い所を突いてくる。

 ジュピターのような、手段を選ばぬ悪党を自称して憚らない者は、なればこそ結果を出すことを一度でもしくじってはならない。

 彼女が戦ったプラチナ。ギンガ団に歯向かう少年。

 それをジュピターは、二度と逆らう気力を無くすほど打ちのめすか、それが出来ぬほど滅茶苦茶にするか、あるいはせめて確保すべきだった。

 彼女が言う『舐めた口を叩く奴は只じゃおかない』という言葉に対し、あんたがその言葉を向けるべき最たる相手はあたしじゃない、とマーズが言うわけだ。

 

「あれが、あたしの想定を上回る相手だったことは認めるわ。

 温厚そうな面構えのくせに、才覚は……」

「言い訳、言い訳、言い訳。

 そうやって自分を慰めてればいいわ、今までのように。

 また逃げれば? 自分に才能が無いって勝手に見限って……」

 

「ねえ、本当に殺そうか?

 誰にそんな口利いてるの?」

「かかってきなさいよ。

 あんたがそのつもりなら、あたしあんたの喉元食い千切ってやるわ。

 死ぬのはあんたよ」

 

 瞳孔の開いた目でマーズに歩み寄ったジュピターに対し、マーズも一歩も退かず胸を突き合わせ、殺意すら匂わせる眼を返している。

 鼻先が触れ合うかという至近距離で、今にも殴り合いが始まりそうな空気。

 双方のベストパートナーであるブニャットとスカタンクの方が目で示し合わせ、まずいと思って二人の服を咥えて引っ張るほどだ。

 

「結果がすべて、って仰る割には志が低いわよね、あんた。

 あたしはパールに負けたわ。あの子を本当の意味で叩きのめした上で勝つことが出来なかった。

 あんたに対して偉そうな口を利けるほどじゃないことは自覚してる」

「自覚してて言うって相当な恥知らずよね。

 あんた、いつから自分の仕事の出来なさを棚に上げて人のことを批判できるお偉方になったつもり?」

「あたしはあんたと違って、悔しくて眠れない。

 勝ちましたなんてツラ飄々と浮かべて、のんのんと眠れる風のあんた何なの?

 あたしのことチンピラって言った? よく言うわ」

 

「あんた、本気で喧嘩売ってるわね。

 ギンガ団の大願のため、その主要戦力であるあたし達の仲違いを積極的に生もうっていうの?

 組織の幹部としてもあんた落第級だわ」

「そうやって人の粗探しに躍起になって、口喧嘩に勝つことに熱中して、何も為せない自分の小ささから目を逸らしてりゃいい。

 人をクソガキ呼ばわりするあんた、いつまで子供なの?

 大人と呼ばれる年齢になるまでにあんたが培ってきたものって、しょせん何者にもなれなかった自分を守るための語彙力でしかないのかしら」

 

 もうやめようよ、これ以上は絶対駄目だよ、と、二人を引っ張るパートナーの力が強くなる。

 手の届く、あるいは体をひねっただけで肩をぶつけ合える距離で睨み合っていた二人も、流石に引っ張られて後ずさり距離を作らされる。

 本当に、今にもどちらかの手が出そうだ。手の届き合わない距離を作れたブニャットとスカタンクは、ただそれだけで一つの達成感を得る。

 

「…………ニャムちー。

 負けたのはあたしのせいよ。あんたのせいじゃない。

 あんたはあたしの望みに全力で応えてくれる、"今の"ベストパートナーよ」

 

「さんざん粋がっておきながら、身内へ話しかけて話を切ろうっての?

 言うだけ言って勝手に満足して終わりとでも言うつもりなのかしら。

 本当に人のこと舐め腐ってるわね」

「舐められるのが嫌ならそれだけのもの見せなさいよ! 中途半端の悪人かぶれ!

 あんたみたいなカス同然の奴と同列に語られることが、ギンガ団に入って唯一、最大の後悔だわ!」

 

「……覚悟、できてんでしょうね」

「やってやるわよ、半端者!!」

 

 駄目、絶対駄目、ブニャットもスカタンクも洒落にならないと判断し、両者の間に回り込んだ。

 拳を握りしめたジュピターとマーズを自分達の体でぐいぐい押し、両者が絶対に触れ合えないよう力ずく。

 相手の鼻骨を折ることも厭わない殴り合いになる予感しかしないのだ。

 ポケモンの力が人間よりも強く、力ずくが通用することを、ブニャットとスカタンクがこれほどありがたく感じたことは過去に無い。

 

「あんたって本当にクソガキだわ……!

 ギンガ団の同胞としてじゃなく、個人としてあんたとは本当に相容れない……!」

「友達探ししたいなら余所を当たりなさいよ!

 あんたみたいな、悪の組織に居場所を求める小悪党を慕う奴なんてどこにもいないわ!

 結果も出せない、そのくせヘラヘラする自称悪党、あんたは大人でもないし子供以下のクズそのものよ!」

 

「スカタンク、邪魔しないで……!

 あいつだけは、目玉くり抜いてやらないと気が済まないわ……!」

「ニャムちーお願い、今だけ好きにさせて……!

 あいつの口、引き裂いてでもやらなきゃ我慢ならないの……!」

 

 自分よりも力の強いポケモンを押しのけてでも、相手をぶちのめそうとするご主人を、ブニャットもスカタンクも必死で制していた。

 怒号は大きかった。山奥のさらに奥ゆえ、きっと人里にその位置が知れることはそうあるまい。

 だが、不用心だ。指名手配犯二人の居合わせた場にしては。

 それでも耐えきれぬほど、二人がぶつけ合う憎しみの感情は強い。

 

 二人の手元には、苦労して捕まえた"感情を司る存在"がいる。

 その影響が何かしらあるのだろうか。いや、そうではない。

 その一個体は、ギンガボールと呼ばれるものに拘束され、今なお苦しみの中にあって己の力を外界に溢れさせる余力など欠片も残っていない。

 積もり積もったものが爆発しているだけだ。それほどまでに、一度火のついてしまった感情の炎というものは、収まりつかぬものなのだ。

 

「何が大人よ! 偉そうな口利くだけのカラッポ年長者!

 悪の組織に身を堕としただけで強くなれた気になってんじゃないわよクソババア!」

「殺すわ……!

 悪の組織らしくあってやろうじゃないの……!

 身内がどうとかもう関係ないわ!」

「あんたはクソガキって呼びたがるような子供に負けたのよ!

 いつまでも適当に理屈つけてヘラヘラ笑って、余裕あるフリして取り残されていくがいいわ!」

 

 仕舞いにはベストパートナーに押し倒されるほどになってでも、血走った眼で罵り合う二人の怒号は終わりを迎えなかった。

 息も絶え絶えになるほど声を荒げ合って、それでようやく静かになった中で、二人はようやく殺し合い寸前の喧嘩をやめにした。

 だが、その後は誰も眠れなかった。煮えたぎるような怒りは睡眠欲を凌駕するのだ。

 結果的に二人は、指名手配犯を追う者達への警戒心からではなく、互いへの憎しみの心で明日の朝まで目が冴えたまま過ごすことになるのだった。 

 

 悪に失敗は許されない。

 ある意味で、正義以上にだ。

 それは明確な処罰という形で表されなくたって、悪には悪のプライドがある。

 あるべきはずの道徳や倫理を捨ててまでこの道を選んで、結果を残せなかったとなれば、それが苛むのはその者達自身に他ならないのだ。

 そこで己のプライドに本当に蓋をして、適当な逃げ口上を作って何一つ成し遂げられなかったことを赦す者に、"次"など回ってくるはずもない。

 所詮は悪。そんな彼女らの胸三寸を握るのも、より上の非情なる悪なのだ。

 

 ジュピターだってわかっている。

 表面上の態度はどうであろうと、想像以上の実力者であったプラチナに、悪の組織らしい"とどめ"を刺すことが出来なかったのだ。

 二人のプライドは深く傷つけられている。それは、パールとプラチナが、仮初めでも勝利を収めたことに起因する。

 これほどまでに言い争おうが、明日には己の本分を取り戻す"大人"の二人に、致命的な対立を刻み付けることは誰にも出来ないけれど。

 暴力的な手段により、何かを成し遂げようとする者に対し、退けきることそのものが、大いなる屈辱を与えるのも間違いではないはずだ。

 

 敗れたことに何とも思わないような悪人など、はっきり言って脅威に値しない。伸び代が無いからだ。

 一度失敗した仕事を、どんなに心機一転して挑もうが、次も必ずまた失敗する。

 マーズとジュピターはそうではない。

 露骨に表すマーズも、内に秘めんとしていたジュピターも、今日の敗北にははらわた煮えくりかえっている。誰よりも、自分自身に対してだ。

 いつか再びパール達と相見えることあらば、この日の屈辱を断じて忘れてはいまい。

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