ポケットモンスター・パールストーリー   作:ましゅ

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第91話   その先へ

 

 

「お待たせ」

「うわ、プラッチだいぶ様変わりしたね」

 

 キッサキシティを目指す旅を再開するパール達。

 しかし、ハクタイシティを出発する前にお買い物だ。

 何せこれから向かうキッサキシティは、テンガン山を越えて至る、シンオウ地方でも最も寒い地域。

 秋も半ばを迎えようというこの頃、キッサキ周辺は既に雪が降っているらしく、あの地域はもはやシンオウ地方の特異点だとさえ言われるほど。

 今まで旅してきた服装、半袖で突入していくなんて死ねる罰ゲームである。

 

 パールはヨウコを介してナタネから貰った分厚いコートがあるからいいのだが、プラチナは自分の服をハクタイシティで見繕うことに。

 お店の外で待っていたパールだったが、買い物を終えて出てきたプラチナは、彼女の言うとおりかなり様変わりしていた。

 ジャケットにインナー、ズボンも厚みのあるものに変えて、防寒仕様としてはかなり完成度が高い。

 今までの格好にコート一枚増やしただけのパールと比べると、今までと全く違う服装になったとさえ言える。

 

「普通、女の子のパールの方が服買ったりするものなんじゃないの?

 これって先入観?」

「ん、んん~……私も新しい服買おうかなとも思ったんだけど……

 どうせ着る気しないしね、今は」

「ナタネさんに貰ったそれしか着ないつもり?」

「特別だもん。脱げないよ」

 

 ハクタイジムでたくさん泣いて、心の底まで溜まっていた悲しみやつらさを多少は発散できたか、パールはやや落ち着きを取り戻している。

 ただ、胸元に手を置いて、いま着ているこれは本当に特別な一張羅としみじみ訴える姿には、やはり強い想いが溢れている。

 おしゃれ好きで色んな服を着たい年頃の女の子ながら、今の彼女にはこの服以外のものに、袖を通す気にはなれないのだろう。

 

「せめて下に履くものぐらいは買ってきたら?

 寒いよ?」

「プラッチわかってない。

 女の子のお洒落は寒さになんて負けない。

 戦うよ。そんでちゃんと勝つ」

「知らないよ、後悔しても……」

 

 去年も一昨年もそうだったのだが、パールは冬でもスカートである。

 こだわりのおしゃれを貫き通そうと思ったら、寒いからやめようなんて言ってちゃ負け、というのが彼女の持論。

 ふふんと強みを見せた顔で鼻を鳴らすパールに、くそ寒いキッサキシティ近辺まで到達した頃、パールが泣きを入れてこないか早速心配である。

 

 一方で、こうしていつもの調子で話が出来るようになったパールには、プラチナも少しほっとする。

 パールがナタネにどれだけなついているかは、プラチナが一番よく知っているのだから。

 やはりそんな人が未だ予断を許されない状況にある中、多少の陰りはパールの表情にも垣間見えるが、これぐらいにまでは心を持ち直してくれている。

 友達が悲しみに暮れるばかりであれば、プラチナだって悲しくなるのだ。

 

「さっ、行くよプラッチ!

 目指すはキッサキジム、7つ目のバッジだっ!」

「うん、行こうか」

 

 こうして強い声を出して、自分を囃し立てようとする姿には、やっぱり少し無理してそうでもあるな、とプラチナも思ってしまうけれど。

 なんとか前を向いて歩きだそうと、強くあろうとしている姿であるのも確かである。

 泣いてもナタネが意識を取り戻す可能性は少しも上がらないし、パールはパールの歩むべき道を歩み続けるしかない。

 助かって欲しいあの人が良い未来の方へと向かうことに関しては、パールもプラチナも出来ることと言えば祈ることぐらいしか無いのだ。

 

 せめて、いつか再びあの人と話せる時が来るなら、よりよい今を過ごしている自分のことを報告できるように。

 きっと、喜んでくれるから。あの人は、そういう人だから。

 だから前を向いて歩いていこう。正しい心構えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トランシーバーが受信を知らせた。

 これはいい機会だ。多少の面倒はこうむるが、向こうからわざわざ通信を寄越してくれたのは好都合。

 今の近況でこちらから連絡を入れるには、少々気難しい相手だからだ。

 ギンガ団幹部の一人である男は、短い時間で通信相手に向ける言葉の数々を、すぐさま組み立ててからトランシーバーの通話ダイヤルを回す。

 

「サターンだ」

 

『こちらマーズ。

 あんたに聞きたいことがあるんだけど、ちょっと時間取れるかしら』

「ああ、今はもう大丈夫だ。

 時間はいくらでもある」

 

 ギンガ団のボスの補佐を務めるサターンは、事実上のギンガ団ナンバー2。

 団員の中でも最有力者の一人であるマーズを、より高いモチベーションで任務に臨めるようにするのも、サターンにとっては望むところの仕事である。

 マーズの性格はわかっている。今、心底煮え切らない心地なのだろう。

 それをどうにか解きほぐしておかないと、先々面倒なことにもなりかねない。

 

『昨日、ハクタイジムのジムリーダーが襲撃された事件はご存じよね。

 あれ、あんたの仕業?』

「いや、ボスの意向だ。

 僕は関わっていない」

『ジュピターはあんたからそういう段取りを聞いたって言ってるけど』

「僕がボスから、ハクタイジムのナタネを始末するという旨を聞いていただけだ。

 こちらからわざわざ伝える必要もあるかどうかの話だったが、たまたまジュピターと通信する機会があったからな。

 その折に、せっかくだから伝えさせて貰っただけだ」

 

 やはりマーズの要件は、サターンの予想したとおりのものだった。

 返答は早い。用意してあった言葉をそのまま連ねるだけだ。

 

『どこまで信じていいの。

 あんたならやりかねないでしょうよ』

「やめろ、水掛け論になるぞ。

 悪いが本当に僕じゃないんだ」

『じゃああんたはどう思ってるのよ、今回のこと。

 やる必要あったと思えるの? あたしにはそう思えないわ。

 倫理を抜きにしても、デメリットの方が多いじゃない』

 

 さて、難しい問いかけが来た。

 サターンはギンガ団ボスの側近として、その行動や決断を支持する理屈を用意しなければならない立場にある。

 ボスの行動に疑問を持った部下や幹部に、その正当性を伝えねば、組織の結束やボスへの忠誠の揺らぎに繋がる。

 悪の組織にも中間管理職というものは必要なのだ。

 

「正直なところ、僕もその真意は計りかねている。

 あのような事件が起こったことで、各地の厳戒態勢は強まるばかりだ。

 あらゆる行動が取りづらくなり、次のミッションまでの下準備も儘ならない。

 このタイミングであれほどの大事件を起こしたボスの行動は、僕達に厳しい試練をもたらしているとも言える。

 言葉は選んで話していることは考慮してくれ」

『……なんだかんだでボスの行動を常に支持してきたあんたが、今回ははっきり"わからない"って言うのね』

「君の言ったとおり、デメリットの方が目立っているからね。

 誤解を恐れず言わせて貰うが、仮にターゲットがシロナ辺りであったなら、ともすればある意味で別の見方で支持は出来るかもしれない。

 正義感に満ち、今やギンガ団の動きに目を光らせ始めている、あれほど強い存在を消したかったと言うなら、まあ釣り合いも取れるのかもしれないな。

 たかだか活動的でなく、今後の我々の行動を阻むであろう見込みも無いジムリーダー一人を狩ろうとし、シンオウ全土の警戒心を煽るのは悪手にさえ感じる」

 

『あたし達、そんなボスについて行って大丈夫なの?

 あたし達を結び付け、あんたを介しての的確な指示で、悲願目前ってところの今まで持ってきたボスの手腕は疑ってないけどさ』

「疑問を感じるのは勝手だが、忠義を覆すことを意識するのは頂けないな。

 お前も今言っているじゃないか、これまでどれだけボスの指導に従っているだけで、ここまで苦も無く来られたと思ってるんだ?

 さんざ今まで順調だったのに、逆風一つで大丈夫なのかって冗談だろ。

 常に安全策や安定策が目に見える形で用意されてなきゃ前に進めないぐらい、今までのぬるま湯進行で意識もなまったか?」

『うるさいわね!

 悲願が目の前だからこそ、神経質にもなるでしょうが!

 ここまできたのに、あれだけこの手を汚してきたのに、最後の最後で叶えられませんでしたじゃ堪らないのよ!』

「だったら尚更、はじめから答えは出ているだろう。

 突き進むしかない。ボスはそれを叶えさせてくれる人物だ。

 真意を推察しきれないからと言って、これまで歩んできた道のりを放棄することの方が、僕からしてみれば意味がわからない。

 今さら引き返すぐらいなら、初めから何もしなかった方がマシだろう」

『っ、ぐ……』

 

 サターンにとってもこの問答は難しかった。

 マーズをいっそう煮え切らなくさせてしまった手応えはある。だが、成功だ。

 要はボスの真意を計れなくなったマーズが、もうついていけないと思い至る最悪さえ阻止できればそれでいい。

 今さらこれまでやってきたことを水泡に帰してまでの後戻りなんて出来ない、そうマーズに思わせられればそれでいいのだ。

 それがサターンの使命なのだから、彼女を納得させられるか否かそのものは最も重要なことではないのである。

 

 それに実のところ、サターンはボスが今回どうしてナタネという場所を狙ったのか、確信こそ持てないものの仮説程度にだがその真意は想像できている。

 だが、それをマーズに話していないのがサターンの上手いところだ。

 話せば話がややこしくなりかねない。ボスのフォローこそ真意不明と言って果たさないが、持論を話して相手の感情を拗れさせるようなこともしない。

 これもサターンの手腕である。

 

「時空を操る力を得たボスの恩恵に肖り、会いたい誰かがいるんじゃないのか。

 それでここまでやってきたんだろう?」

 

 マーズの問いには答えたし、ここで通信を切ってもよかったサターンだ。

 だが、敢えてもう少し話を伸ばす。無論、ただ世間話をするためじゃない。

 マーズがボスに疑問を感じている今、サターンは自分とマーズとの間に、改めて上下関係めいたものを確立しておきたい。

 ボスの代弁者として、あるいは自分の意志でも指示を下す参謀格、組織のナンバー2にも相応の権威が欠かせないのだ。

 特にマーズのような、大人びた屁理屈だけで従わせられない感情的な相手には、理屈を超えたそうした意識を根付かせないと、思うようには動かせない。

 

『あんたに言われるまでもないわ。

 それにそんなご高説垂れてくれるのは結構だけど、じゃああたしにも聞かせてよ。

 あんたそこまでボスに付き従って最後には何を叶えたいの?

 あたし、今まで一度も聞かせて貰ったことない気がするわ』

 

 さて、薮蛇だろうか。

 ギンガ団に入ったマーズが、最終的に何を叶えたいのか知っているサターンは、それを突きつければマーズが自分達に従う他ないことをわかっている。

 しかし今日のマーズは不機嫌だ。サターンの言葉をきっかけに、こちらに食ってかかってくる。

 そして、マーズは話しているのにサターンは教えていないことがある、というこの事実は、名目上は同格幹部の二人において、真っ当な問いかけでもある。

 

「別にそれは、いま重要なことじゃないだろう。

 それを聞いたところで、お前の行動が変わることもないだろうに」

『興味本位で聞いてるだけなんだけど。

 知っちゃ駄目なの? 話すと不都合?』

「そうではないさ。

 だが僕だって男だ、女々しいことは話したくない。

 これから最も大事な時期に入っていくっていう時に、話したくないことを話すようなことをさせないでくれよ」

 

『……嘘臭いわ。

 あんた、話せば損することは上手にはぐらかして話さないことも出来るでしょ。

 あたしが知ってるあんたって、それが出来る奴だから』

「何とでも言ってくれ、侮辱されるならその方がましだ。

 僕にだって、個人的な事情のみで話したくないことの一つや二つはある。

 どうしても信用して貰えないというのなら、それは僕の人徳に悖るところなんだろうよ」

 

 足の掬い所を見たサターンは、トランシーバー越しにでもかすかに伝わる程度に、その声色や言葉遣いを不機嫌なものにする。

 すべて、計算してのことだ。

 マーズに喝を入れるために、彼女の過去に触れてみたところ、腹の虫の収まらない彼女は絡んできた。

 それは確かに薮蛇だったが、この展開もまたサターンは、最終的に都合の良いものを残す形に結ばんとする。

 

「せっかくだから僕も問わせて貰うがね。

 さっきも聞いたが、お前はお前なりにどうしても叶えたいことがあって、僕達ギンガ団に与することを決めたんだよな。

 僕は初めに入念に、その手を汚すこともある、その手を血に染めることもある、ってお前に念を押したよな?

 わかっていてギンガ団に入ったんだよな? 今さら日和るのか? 覚悟はしていなかったのか?」

『何なのよ急に……!

 覚悟は決めて入ったし、今までもこれからもそうよ!

 その都度イヤな想いしながらも、耐えてここまできたでしょうが! 何か文句あるの!?』

「お前、ボスについていって大丈夫なのかってさっき言っただろう。

 何を恐れてるんだ?

 大願果たせず捕まることか? ここまで手を汚してきたのに、道半ばにしてゴールを辿り着けないのが嫌なのか?

 それは所詮、お前の力量次第だよな? そんな話は最初にしたよな? それを承諾してくれたお前の覚悟を受けて、お前を幹部に据えたはずなんだが」

 

『……本当、何なの?

 あんた、急にキレてない?』

「お前、喧嘩を売った自覚は無いのか?

 腐っても同胞に、あんたのことは信用ならないってはっきり言ってのけたんだぞ。

 うざったそうな返答してくれるが、まさかここで通話切ったりしないよな?

 お前、あれだけ大きな口を叩いておきながら、答えもせずに逃げるジュピターのような腐った大人じゃないはずだよな?」

 

 かつてないほどの剣幕で、通信機越しでもそうだとわかる声を発してくるサターンに、気が強いマーズですら怯む。

 ナタネが襲撃された事件、それによって起こる余波も含め、マーズを不機嫌にさせる要因はいくらでもあった。

 だからこそ、サターンもまた不機嫌であってもおかしくないと、後はマーズが勝手に想像してくれる。

 相手に見せないその素顔は、特に感情的にも何にもなっていない表情でありながら、通信機の向こう側に己の不機嫌を演出してみせるサターンだ。

 

 根本的なところ、マーズはギンガ団のボスがジムリーダー殺しも厭わなかったことに対して、有り体に言えば相当引いている。

 話のわかる人物なのは確かなのだ。良心の箍がはずれているジュピターよりも、ずっと。

 だからこそ、自分の軽はずみな発言によって身内が気を悪くしたとなれば、それを蔑ろにする彼女ではないとサターンも確信しているのだ。

 

『……わかった、わかったわよ。私が悪かった。

 感情的になってて、言い過ぎたことは謝るわ』

「あまり苛つかせることをしてくれないでくれ。

 残るはエイチ湖を目指すラストミッションだけという大詰めまで来てるんだ。

 この重要な時期に、仲間内での下らない言い争いで士気を乱したくはない」

『わかったってば……反省するわよ。

 あんたも、エイチ湖のミッションには参加してくれるのよね?』

「ああ、恐らく僕がお前達と顔を合わせて力を貸せる最後の機会だ。

 難しい状況にはあるが、何としても駆けつける。

 必ず成功させよう」

 

 この一言で結び終えたことで、非常に重要な次のミッションに向けて、マーズの腹を決めさせることは出来ただろう。

 同時に、この流れにおいてマーズから謝罪を引き出した上で。つまり、はっきりと自分に口答えしづらくなる貸しめいたものを作って。

 ジュピターでは手を焼くマーズとて、サターンの手管さえあれば、御して従わせることも難しくはないのだ。

 

「それじゃあ切るぞ。

 もう、聞きたいことはないな?」

 

『あ……サターン、待って。

 あと一つだけ』

「なんだ?」

 

 充分こちらにとって都合の良い展開にはなった。

 あとは通信を切るだけ、という流れに向けたサターンだったが、マーズが少し食い下がってきた。

 綺麗に完璧な形で落としたかったところだが、こう食い下がられたことは少し予想外である。

 どんな話題を振られようが、上手く良い結末に転がせるよう、静かな返答の裏であらゆる想定と返事を組み立てるサターンでもあるが。

 

『あたし達は、もう戻れないの?』

 

 しかし、駆け引き抜きで切なる想いを告げられた時が一番困る。

 相手よりも優位に立つことを目的とした弁舌を立てられる方が、むしろサターンには好都合ですらあったのに。

 それで来られるなら、容赦なく辣腕を振るって黙らせ、子飼いの域を逸せない心境に陥らせる。その方がサターンにはやりやすいぐらいである。

 

 暗殺事件めいたものまで起こしたボスに対し、そしてそれを必要なことだったと肯定する組織に身を委ねるマーズが、自身に疑問を持っている。

 この道を突き進むことの苦しさを、今まさに吐露しているのだ。

 ボスや自らの反発心ではなく、倫理観から降りる危惧さえ感じざるを得ない、サターンにとっては一番聞きたくない反応であろう。

 それで本当にマーズがドロップアウトしたら、本当に困るのはサターン含むギンガ団だ。

 今さら欠かせやしないほどには、マーズはギンガ団にとって最強戦力の一つであり、今さら去られては困る人材である。

 

「諦めろ。

 肯定すべきは、自分自身だ。過去の自分に嘘をつくな」

『……わかった。

 あたし、最後まであんた達についていくわ。

 その代わり、約束だけは絶対に果たして頂戴ね』

「ああ、いま改めて約束する」

 

 その言葉を最後に、マーズが向こうから通信を切った。

 ふう、と息をつくサターンは、最後の問答もなんとか上手くまとめられたと、安堵混じりの想いである。

 過去の自分に嘘をつかず、自分自身を肯定しろ。

 それは悪行も厭わぬ覚悟でギンガ団に入団したマーズに、あの日の決断を下した自分を忘れるなという意味だ。

 マーズのような、理より情を判断基準とするタイプには、屁理屈や詭弁を述べるより、こうした言い方の方が効くとサターンはわかっている。

 

 ジュピターのような、開き直って悪行に手を染める純悪党を嫌うマーズは、やはりその態度が表すとおり、進んで非道に手を染めたがる性格をしていない。

 悪の組織に属しているという自覚や覚悟はありながら、人として当然持ち合わせるべき倫理観を捨てていない。

 ボスが自ら動いての暗殺に対し、サターンにこうして自分から通信を通してくるほどなのだから、こんなことを彼女が望んでいないのは明白である。

 ジュピター辺りに言わせれば、彼女のこうした一面は、悪の組織に従う者として覚悟不足なんじゃないの、なんて皮肉も垂れ得る姿である。

 

 ただ、組織のトップに最も近いサターンが、そんなマーズのことは評価しており、だからこそ良いとまで内心では考えている。

 正しい倫理観を持ち、味方の非道に嫌悪感さえ感じて厭わぬその姿は、一見悪の組織の一員としては失格素養とさえ思えるかもしれない。

 しかし、マーズは絶対に裏切らない。叶えたい何かがあるからこそギンガ団に与し、嫌悪対象である悪党と共に、何年もその夢を追ってきた。

 ここでやめてしまったら、様々なことを我慢してきた数年間が無駄になってしまうではないか。

 耐え忍んで追ってきた夢とは、時が経てば経つほど捨てられなくなってしまうことを、サターンはよく知っているのだ。

 

 それに、良心を捨ててしまった者というのは、組織にとっては案外厄介である。

 箍のはずれた手段を選ばぬ奴らというのは、上の指示以上に暴走する危険性を常に孕むものであり、想定外の"やり過ぎ"で青写真を崩してくることもある。

 最悪、そんな奴らこそつまらない不満から過剰なほど野心を膨らませ、反乱あるいは下剋上、組織の乗っ取りすら企みかねないというものだ。

 どんな悪行にも手を染めてくれる割り切りがあって、しかしながら馬鹿ではなく、配下を服従させてくれるジュピターのような幹部は、代えの利かない人材だ。

 同時に、本音では一線を越えたがらない倫理観を未だ持ち合わせながら、実力充分のマーズという幹部もまた、稀有でありかつ優秀極まりない。

 暗殺だの、あるいはそれに準じるレベルの極悪行為をマーズに指示でもしない限り、彼女がそれは嫌だと反目をあらわにすることはないだろう。

 感情的かつ悪の組織の一員としては人情が残り過ぎているマーズを、自分とボス以外の誰にも命令できない"幹部"に、サターンが抜擢した根拠もここにある。

 日頃から悪の組織に属している自らに対し、本心では自己嫌悪すら抱いている彼女に、これ以上のストレスを与えないために幹部職は適切ですらあるのだ。

 

 強く、優秀で、裏切らず、いよいよとなれば少なくとも自分の指示にだけは、夢の達成に向けて従ってくれる同格の幹部。

 サターンは、マーズの能力を最大限に発揮させられる素養を保ったままにして、気難しいはずの彼女をしっかり管理下に置いている。

 良く言えば優秀な中間管理職。見方を変えれば部下すべて掌の上。

 曲者が集い得る悪の組織の参謀格など、そうでなければ務まるまい。

 

「……あと少しだ。

 僕も、もうひと頑張りというところだな」

 

 それなりに疲れる立場でもある。

 誰にも弱みを見せずに済む場面では、腰を深く沈められるソファーに全体重を預け、溜め息にも似た苦労の息を吐くことも珍しくない。

 元より苦労の絶えない立ち位置かつ、今は悲願達成を目前に控えた、最もしくじれない大事な時期でもある。

 サターンも神経を遣う日々をしばし重ねてきた身であり、今後は尚のことこれが続いていく。

 片時も気を抜けぬ日々が長く続くということを自覚し、覚悟するサターンも、腹を括り直すというものだ。

 奢らぬ悪の参謀というものは、それを挫かんとする正義の側からすれば、つくづく難敵に他ならない。

 これだけシンオウ地方全土を騒がせてきたギンガ団、本気でその足跡を追う警察も、未だその水面下の企みすら阻止できない実状が、それを証明している。

 

 闇は晴れない。シンオウ地方を包み込む、ギンガ団の野望という闇は。

 ナタネが死の淵をさまようことになった今、いよいよ恐ろしいことが起こっているという認識を世間も強めているが、それもまた序の口に過ぎないのだ。

 所詮、情報不足の庶民には、災厄の気配こそ感じ取れることあろうとも、その規模の本質まで計り知るのは到底困難という好例か。

 情報不足の中、知った風な口で予期される災いを大きく仮定し、危機感を煽ろうとしても説得力に欠けて風化する。それが世の常。

 緻密な悪の恐ろしさとは、まさにそこにあると言える。戦う意志を持たぬ者など、無力な烏合の衆に留めて何の力も持たせない。

 

 ギンガ団を指揮するの参謀格、サターンの運びは極めて優秀である。

 彼を挫ける者がいるとするならば、それは傍観者の枠を超え、真っ向からギンガ団に立ち向かう実行力がある者だけだ。

 世論や衆愚を寄せ付けない下地を組み立てられる巨悪の恐ろしき所以である。

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