体の震えで目が覚めた。まだ11月だというのに布団をしっかりかぶっていても寒かった。こういう朝が来るたびに冬用の寝間着を冬物の入った衣装ケースから出そうと思うのだが、入浴後の火照った体はいつもそれを忘れてしまう。部屋に小さなストーブはおいてあるが、11月中につけるとは母がうるさかったし、何より部屋が温まりすぎると眠くなってしまい作業が進まなくなってしまうので起きている間は少し肌寒いほうが集中できた。寒くて布団を出たくない体に反して目はしっかりと冴えている。昔からショートスリーパーの少年は就寝が日付変更前後、起床は5時半頃でこれ以上の連続した睡眠はほとんどしなかった。自らの手で布団を体から引きはがして外気に触れる。
「さぶっ」
反射的に声が出る。これは本当に寝間着を入れ替えねば。まあでも、学校から帰ってからでいいか...などと思いながら、昨年の誕生日に父親からプレゼントされた豪華な見た目をしたリラックスチェアを引き、中学生になるとき買い換えてもらった学習机に向かって座った。昨晩は作業の途中で眠気の限界が来たので机上はパーツやら工具やらで大いに散らかっていた。それらをいったん机の端においてある空き箱に移し、工具もツールケースに戻していく。ある程度片付いたところで机の横にかけられたリュックサックからクリアファイルと筆記用具を取り出し、さらにそこから一枚の紙を引き抜いた。いつ見ても憂鬱になる本日提出期限のプリント。昨日の夜にやっておけばと後悔しても、夜になれば忘れてしまう。部活で披露した体に勉強はいつも辛すぎる。家業を継ぐことが半ば決められている少年は進学の予定もなかったし、両親も卒業さえできればいいというスタンスだったため必要最低限、授業を聞いて宿題をこなしテスト前には一夜漬けという高校生らしいといえばらしい学生生活を送っていた。中学生までは宿題も少なく、授業を聞いていれば大体は理解できたのでそこまで苦労しなかったが、通学距離が短いという理由だけで年に1人か2人は有名大学に進学していてほかの生徒も半分くらいは国公立大学に進むといういわゆる"普通より少し上の高校"に進学した少年は少し苦労しながら学業に関しては何とかしがみついていた。大体は平均の少し上か下くらい。特別な事情がない限りなんらかの部活動に参加しなければならなかったのも入学後に知った。最初は自分の時間が無くなることを嫌い、適当な理由で所謂帰宅部になろうとも思ったが、同じ趣味を持つ友人に誘われて今の部活動をなんとなく1年半ほど続けていた。大変だがそれなりに楽しくやっていたし嫌いではなかった。もちろん自分の趣味を生かせる部活動であればなおさら楽しかったのだろうが、少年の期待していた"プラモデル部"は通う高校には存在しなかった。
宿題のプリントを終えた時には6時半を回っていた。座ったまま両手を上げて軽く伸びをする。いつもより少し早く終わったので週の半分くらい行っているフィールドワークにでも行こうかと立ち上がり、そそくさとランニングウェアに着替える。無線イヤホンを片耳につけ、胸のホルダーにスマートフォンを手に自室を出た。廊下を渡って階段を降り、一番奥の扉を開けるころにはコーヒーの香りが鼻をくすぐった。扉から顔だけ出して、店内を見回す。
「おはよう、いつもより早いな」
「おはよう父さん」
木目調のカウンターの中には白いシャツにラフなジャケットを羽織った少年の父が立っていた。同じく木目調のテーブルと椅子が複数置かれた店内には誰もいない。いつも営業時間は通勤ラッシュを超えた9時からとなっている。
「ちょっと走ってくるから」
「おう、気をつけてな」
フィールドワークの時はいつもこのパターンだ。廊下に戻って反対の突き当りは自宅の正面玄関兼店の裏口となっている。15分ほど軽いランニングをして帰ってくれば父がそれに合わせて朝食を用意してくれている。スマホでプレイリストを選択し、朝の町内を駆ける。肌寒く、息は白く変わるが少しずつ体は温まってくる。いつものペースでいつものパン屋の前でUターンして戻る。これで大体15分。あまり走ると疲れて授業中大変なことになるので、ペースを上げてもう少しで息が切れそうというくらいで終わるランニングが少年は好きだった。部活に伴う体力づくりというよりは気分転換のひとつだったので雨の降る日は出ないし気分じゃない時も走るより作業したり早めに登校して友人と談笑しているほうが楽なこともあった。
帰宅したらまっすぐ自室に戻り、替えの下着や制服類を持って浴室に向かう。そして軽く書いた汗を流して制服に身を包み、父の用意したトーストとコーヒーを腹に入れて学校へ行くのだ。頭髪を整え、玄関から家を出て店側の正面から入る。一見面倒そうだが中学生の時からの習慣なので本人は何も思っていない。店内スペースからは土足なので仕方がない。
「トースト焼けてるぞ」
ありがとう、と言いながらトーストとコーヒーが置かれたカウンターの前に座る。左手にトースト、右手にコーヒーカップを持ち無言で朝食を済ませる。トーストを2枚食べきるころには8時を回っていた。
「じゃあ行ってきます」
器をカウンター越しに父渡し、リュックを背負う。教科書の重みがずっしりと肩にのしかかる。
「おう、行ってらっしゃい」
父タクミは礼儀正しく真面目で人当たりもいい。息子とも険悪というわけではないが、妻がいなくなってからは少し落ち込み気味になった。それでも結婚前から続けている喫茶店"エマ"を時々息子tの手伝いも借りつつひとりで切り盛りしていた。
学校まで徒歩3分。家を出て反対の通りに出ればもう校舎の一部が見えるという場所に少年の家はあった。この高校に通うメリットは本当に家が近いくらいだった。門限が近いこともあり通学路はいつも学生が大勢歩いている。
「ワレさんおはよう」
声の方向に顔を向けると、少年より少し目線の高い少年がいた。
「おーキヨ、おはよう」
「やっぱり朝練行かなかったんだ」
けたけたと笑う少年はキヨ。ワレの友人で高身長の優男だ。ガンダムシリーズが好きで話があったことで意気投合し、ワレを空手部に誘うことで高校からの知り合いではあるがワレの一番の友人だった。余談ではあるが、本物語の主人公はこの喫茶店を経営するキオウ・タクミの息子であるキオウ・ワレである。
「キヨがいないのに朝練するほど身が入らないわ。でも朝に三日ぶりに走ってきた」
「ワレさんのランニングはスポーツマンからしたら全然ランニングじゃないからなあ」
キヨはワレのことをさん付けで呼ぶ。ワレに対する二人称にさんがついているだけで他は敬語だったりすることはないのだが、いつの間にかそれが習慣になっているらしくワレも悪い気はしないし本人も直す気はない。ワレはキヨのことを普通に下の名前で呼ぶ。
「それで、新機体のほうはどうなのさ」
「あー、もうちょいで完成するから待ってくれや。来週には上がるからさ」
「それ先週も言ってたじゃん。急かしてるわけじゃないけど早く新しい機体でバトルしたいのよ!」
キヨはガンプラ製作が苦手だがGBNのプレイヤーであり、ワレと違ってプレイヤーレベルの向上にも力を入れている。現在はいわゆる上位ランカーとしてフォース"アダムの林檎"のトップメンバーの一人に数えられている。普段はクールとはいかないまでも物静かで紳士的なのだが、親しい友人の前ではおどけた表情を見せたり、空手やバトルになると熱くなる勤勉な努力家なのだ。
「今日はインする?たまにはミッション行こうよ」
キヨは人差し指と親指を立てて銃を構えるような仕草をする。
「いや、今日は制作のほうに力入れるよ。今日やっておかないと明日からの休みで塗装とかできないからさ」
「そっかー、じゃあ俺の新機体完成したらいこうなー!」
「もちろんその時は自分のガンプラを外から観察させてもらうわ」
本当はオープンワールドに入ってマスダイバー狩りに出たいところではあるが、キヨの言う通りもう3週間ほど完成を先延ばしにしてしまっている。それに2週間後には新しい高難易度ミッションが追加されるのでそれまでに慣らしておきたいのだろう。今日中に塗装前の処理を終わらせていないと土日での完成は難しかった。
真面目に授業を受け、放課後になる。空手部は半分サークルのようなもので、好きな時に出ていいことになっている。キヨに今日はいかないことを告げ
「今日も、でしょ」
と失笑されたが、新機体頼むよ!と背中を精神的にも物理的にも叩かれたのでさっさと帰る。掃除当番や自習室にいる受験生を横目に校門から自宅へ向かう。外から店内を除いたが、客は2人がカウンターにいるのみ。手伝いは必要なさそうだ。裏手に回って家側の玄関から自室に直行する。手早く部屋着に着替えてキッチンへ行き、今日の夕飯の仕込みをする。というよりも毎日ナポリタン。修行の一環として1週間同じメニューを作り続けている。明日まではナポリタンで、日曜からは別メニューを仕込まれる。ちなみに先週はずっとグラタンだった。
エプロンのひもを締め、具材を切り、麵を水に浸し、仕込みを終えて16時前。17時半にタクミはいつも夕食をとる。その間はワレが店に出てコーヒーやらを出し、食事の注文が入れば父に頼むか、免許皆伝して作れるメニューであればワレが出すこともある。今は少しでも作業がしたかった。ガンプラのことを理解してくれてはいるが時々お店を手伝わなければならないし製作時間は限られている。手を洗い、エプロンを外して再び自室に向かい、さっそく机に向かう。パーツの切り出しや改造ポイントはもう抑えてあったので、モールドの彫り直しと面処理をあと10数パーツ残すのみだった。ガンダムビルドファイターズのスタービルドストライクをモチーフとした改造機であったが、キットは可動範囲も優秀で細かな部分のブラッシュアップが中心だった。数十分で作業が終わり、夕食後すぐに塗装を始められるよう塗装ブースの設置を始めていた時、スマホの画面に1つの通知バナーが表示された。発信者はGBNの通知用アカウントサービスを示している。〔重要なお知らせ〕とタイトルされた通知に目が行き、作業の手を止めてアカウントサービスを開く。そこには、一部のマップに対してバグが発生しているので近づかないようにという注意書きだった。GBNはその広大かつ巨大なマップゆえに一部のマップ閉鎖ということが難しく、警告と運営による街頭エリアの監視というのが常だった。警告を無視すると運営からペナルティが与えられるし、何よりメリットがないので通常のプレイヤーは近づかない。しかし、彼らは違った。ブレイクデカールという違反ツールを利用して大量のポイント搾取をもくろむマスダイバーたちはこういったマップを狙う傾向にあった。バグによって不正に勝利ポイントを多く得ることができたり、レアアイテムをドロップすることができた事案が複数発生しているからだ。いくらブレイクデカールといえども運営側のアカウントを攻撃すると即座にアカウントへレッドマーク(危険アカウント警告)が表示され、ほとんどは即座にアカウント削除の対象となってしまうため、バグマップ周辺でのプレイヤー狩りが主となっている。
ワレは急いでナポリタンの支度をする。マスダイバーが現れる可能性が高いのならばそこへ出向かない理由はなかった。キッチンへ向かい、麺をゆで、具材を炒めてソースを作る。ゆであがった麺とソースをさらに炒め合わせて皿に盛った。2人分のナポリタンをテーブルに置き、自室へ戻る。
「夕食は食卓テーブルにあるよ。ちょっと用事ができたので俺は後で食べるから」
とタクミにメッセージを送信し、ダイバーギアと自室用のオンライン通信セットを用意する。少し値は張ったが、父の手伝いをして少しずつ貯めた小遣いで2か月前にようやく購入したのだ。といっても、購入した直後に数回使った後はしばらく使用できずにいたのだが、数日前からまた使うようになった。あの日の自分たちを貶めたマスダイバーたちへの、なにより仲間を守れなかった自分への戒めのために赤いナタクを手に取りGBNの世界へと戻ったのだ。
「...ガンダムナタク紅龍、ワレ、スタート!」