入念な準備運動。
駆は何度も左脚の感覚を確かめながら、グラウンドを踏み締める。
転がっているボールを掬い上げ、右脚でリフティング。自分の目線くらいまで浮き上がらせる事を数回。笑みを浮かべ、ボールを足裏で止めた。
(やっとボール触れる……!)
リハビリの最中は一切ボールに触れる事を禁止されていた。というか自主的に抑えていた。万全でない脚の感覚を染み付ける訳にはいかないのと、数ヶ月のブランクを埋めるスタミナトレーニングを優先としていたからだ。
脚に負担をかけない様に温水プールで肺強化を行なったり、リハビリが可能になってからは出来るだけスタミナを落とさない事に注力していた事もあり、現在の駆の運動能力はブランクを感じさせないくらいに回復している。
本来ならば、この豪華なリハビリメニューとなるとお金が掛かるが、この怪我の責任問題は日本サッカー協会が負っている。代表招集での規約により、試合中や練習中の怪我についてはサッカー協会が全負担する事になっている為だ。
(……今日のメニューは軽いパス練の後に、直ぐに三年生と二年生以下のチームで分かれて試合だ。受験勉強する時間を削ってもらってる訳だし、文句は言えないけど……欲を言えばもう少し慣らしてからが良かったな)
「祐介、ペアお願いしていい?」
「ん、ああ」
全員アップは済ませている。既に何人かがパス練習に移っているのを目に映し、駆は佐伯へとペアを頼んだ。
強いパスとトラップ。ロブ気味のふんわりとしたパス。通常の直線パスではなく、強さや種類を選んでパス交換しながら、佐伯と会話をする。
「調子はどうだ?」
「うん、結構良いよ」
「……スタミナ戻すために結構無茶したんじゃないか?」
「あはは」
「したんだな」
苦笑するだけで返答をしない駆に、佐伯は呆れた様な溜め息を吐きながらパスを返す。だが決して責めはしない。恐らく自分も同じ立場になった時の事を考えたからだろう。
こうまで期待されて、復帰を望まれている未来の至宝だ。躍起になって励むのは良く理解できる。
支障をきたさない程度に抑えてるだけマシだろうと佐伯がパスは受け取る。
「……?」
「どうかした、祐介?」
「ああ、いや」
駆の言葉に返事を濁す。即座に言語化する事が出来ない表れだ。だが確かな違和感。何に対して違和感を覚えたのか、佐伯はパスを返しながら考えを続ける。駆のトラップの動作? いや、ボールタッチに関しては大きく変わった様子はない。暫く触ってない影響も殆ど無い様に見える。
ではパスの強さ? 確かに強弱の差はあるが、このパス練は特に指定がある訳ではない。そもそも毎回佐伯と駆のペアで行なっているわけでは無いので、パス能力にそこまで詳しい訳でもないからそこに違和感を覚えるとは思えない。ではどこに?
「……」
「祐介、ボールボール」
「え? あ、悪い。ちょっとボーッと……、……」
トラップの体勢を取らずに突っ立っていた佐伯の脚にボールが当たり、明後日の方向へと飛んでいく。ボールが転がっていく様子を見た駆が声を掛ければ、佐伯は言葉を返しながら途中でそれを途切れさせる。
(……いや、気のせいだよな。3ヶ月のブランクがあれば、最初は違和感があっても仕方ない)
「ボーッとしてた。すまん」
続く思考を断ち切り、途切れた言葉を紡いでボールを取りに行く。佐伯は拭いきれない違和感を覚えながらも、パス練を始めること十数分。グラウンドにいるメンバーを集合させ、練習試合の準備を始めた。
三年生メンバーは傑の所へと集い、二年生以下は佐伯が纏める。引退試合は既に終えた。胸を借りるつもりはなく、本気で勝つつもりでメンバー選考を行う。
現在のメンバーではトップ下を務められる選手が居ない。佐伯も適性はあるだろうが、ボランチから離れるとなると守備の統率が難しくなる事は練習試合の中で判明している。
なので二年生以下のチームでのフォーメーションはディフェンスをこなし易い2ボランチの4-4-2。ツートップに西島と駆を置き、駆を1.5列目に下げる事で試合運びをやり易くしていた。
対して三年組は部活にいた頃と変わらない4-2-3-1のカウンターがやりやすいフォーメーション。数ヶ月前までは鎌学中等部のオーソドックスなポジション配置故に、その対処は全員が熟知している。だが受験勉強に時間を削っていた三年生にとっては、下手に戦術を変えるよりはやり慣れている方が良いという判断だろう。
試合時間はいつも通りの20分ハーフ、ロスタイム無し。二年生以下のボールでスタート。駆はセンターサークル内で西島と隣り合わせになりつつ、屈伸とアキレス腱を念入りに行って調子を確認。
ジャンプを二度行い身体が軽いことを実感する。
───違和感はない
(……違和感が、ない?)
駆はふと何かに気付いたように動きを止め、己の左脚を見つめる。怪我は完全に治った。痛みもなく、しっかりと思った様に身体が動く。
違和感があるはずも無い。では何に思い当たったのか。それを考え続けるが、そんな駆に西島が声を掛ける。
「おい、駆」
「え、あ、なに?」
「後ろ見ろ、裕介が指示出してる」
言葉通り駆が後ろを振り向けば、佐伯が周りにジェスチャーで指示を出している。
サイドは上がり目に、ボランチはチャレンジ&カバーを徹底して片方は必ず下り目になる事。全体的な流れを言葉なく指示している。
スポーツに於いて声を出すコミュニケーションというのは非常に重要視されており、三年生がまだ居る時は佐伯もそれに従っていたが、二年生が主体になってからは相手に知らせない為にもとジェスチャーによる指示とその意味をミーティングで徹底して覚えさせていた。
基本的にはどのポジションがどの動きをするか程度の簡単な指定だ。
佐伯が満遍なく指示を出す。最後の最後で駆の方に視線が向き、『初手チャレンジ』の指示が出される。
「ったく、随分と甘々な指示だな」
「あはは……」
初手チャレンジ───要するに、キックオフ後は即座に挑めということ。その意味は、傑との1対1を示している。
そんな指示の後に西島にフォローの要求をしている為、当の本人は口をへの字に曲げて愚痴をこぼす。だが納得はしているのだろう。反発する様子はない。
駆は苦笑を溢しつつも、佐伯の表情を振り返りながら考え込む。
(……いや、違う。あの祐介の表情的に、何か確認したい事があるみたいな感じだ。パス練の時も悩む感じだったし、それにさっきの……何だろう。
その正体の確認をしようとしているのではないか。駆は一瞬目を瞑るが、やる事は変わらないと思考を切り替える。ともあれ、先ずはプレイしなくては始まらない。駆は一呼吸し、一歩ボールに近づいた。
控えの選手が務める審判はお互いの体勢が整ったのを見届けてホイッスルを鳴らし、試合は始まる。駆は西島からボールを受け取り、そのままドリブルで切り込んでいった。
相手FWは駆が突っ込んでいくのを見送りカウンターに備えている。という事はお互いの考えは合致した訳だ。駆と傑の1対1。フォローは居るがスペースはそれなり、時間を掛ける余裕もフェイントをする余裕もある。
駆は前に進み。
「───……!」
「え」
あっさり、ボールを傑に奪われる。
油断したつもりはなく、自身のコンディションはしっかりと整っていた。簡単には抜けなくてもボールキープをする余裕はあった筈だ。
が、現実はあっさりと取られる事実が残るのみ。呆然と振り返り、傑がピッチを駆け抜けていき、駆のフォローへと入る西島の様子が目に映る。
「おい駆! ボーッとすんな!」
「っ、く!」
傑の動きを一瞬止めた西島からの声に反応し、挟み込む形でプレスバック。だが、そもそも。
(追いつけない……!)
駆と傑の脚の速さはそう変わらない。瞬発力は駆の方が上ではあるが、トップスピードへと至った時の速さは拮抗していた。少なくとも今までは。
怪我のブランクで疲れ易さがあったとしても、そこに大きな違いは出ない。ましてやボールタッチが日本国内最高峰とは言え、ドリブルをしながらの相手だ。追いつけない筈が無いのに。駆の脚は、傑に追いつけない。
「……ッ」
西島のしつこいチェックで傑の脚が一瞬止まる。だがこれは緩急のギャップを作る“敢えて”の停止だ。すぐに振り切るだろう。だがこれで駆は追いついた。進路方向状に立ち、傑の体勢を注視する。
(この状況からなら大きく幅のあるダブルタッチ───で脚を開かせて股抜きを、っ!?)
「ク、なんっ……!?」
頭では分かっている。
なのに、身体がそれに反応せず、駆の頭の中で展開されていた通りに脚の間をボールが抜けて傑は完全にFW二人を抜き去った。
同じ血を継ぎ、同じ“天才”の域に居た二人でも、代表の経験やプロの練習に混ざっていた傑と3ヶ月のブランクがある駆では明確に差が出るのか。そんなどよめきを起こすマネージャーの中で一人、セブンは厳しい目で駆を見つめていた。
(……傑さんが凄いんじゃない。今のは
「じゃあ、やっぱり……」
駆の動きを見たセブンは、高円宮杯の県予選の時に駆と交わした電話でのやり取りを思い返して、あの時の嫌な予感が的中したと顔を険しくする。
それと同時に、この練習試合の前にパス練で駆に対して拭いきれない違和感を覚えていた佐伯も答えに達する。
(弱くなってる。明らかに)
パスを交換するだけでは分からなかった違和感の正体を掴んだ。
『弱くなっている』。その言葉に込められた無数の意味を佐伯は頭の中で言語化する。
(先ずドリブルの時の視線。傑さんに劣っていなかったルックアップの意識が完全に崩れてた。俺がパス練の時に考え込んでボールが弾かれた時も、明らかに反応が遅かった。下を見ながらボールを蹴ってたからだ)
それは、駆がFWとして異次元の域に達している事を示したあの紅白戦以前の時までと同じ“癖”。一年生の頃は余り時間に一対一をやっていたからよく把握している、駆のボールタッチの時の悪癖だ。
(そして何より、身体能力。今までの駆なら瞬発の高さもあって直ぐにミスをカバー出来ただろうに、プレスバックが精一杯はどう考えてもおかしい。反応の遅さと言い、明らかに一年の時の駆と変わりないレベルにまで下がってる)
唯一、トップスピードに至るまでの“加速”だけは一年の時よりも高いだろう。だがそれ以外が軒並み三か月前までのワールドクラスから掛け離れた能力へと弱体化している。
理由は分からない。ブランクだけでは絶対に説明出来ない“何か”が駆を蝕み、弱くしている。
(……いや、そういう意味じゃ逆か。
運動量を減らした前衛守備と、抜け出しだけに集中。そのジェスチャーを駆へと送り、駆が頷いたのを見届けて自分は傑に対峙する。駆と傑の1対1は恒例ではあるが、常に行われることではない。基本的にはボランチの佐伯が対応する。だから相手取るのは慣れていた。
と言っても止められる確率は一割もあれば良い方だろう。それも今までは駆がある程度フォロー出来る位置に居てくれる事が条件故の一割未満。本当の意味で1対1で止めれた事はない。
ただ、ある程度方向性は分かっている。傑のスタイルは圧倒的なテクニックと緩急での翻弄ではあるが、それは実力差が明確に離れていることが条件。予知能力を順調に伸ばしている佐伯は、実はそこまで離れていない。
だがそこに駆のフォローがあって尚勝率一割未満である理由は、紙一重の判断の経験値差だ。ここぞという時の傑の判断は常軌を逸している。思考を掴んだかと思えば、一瞬で切り離される様な感覚。
それは佐伯がドリブル側に回った時も同じで、傑を抜けた事は殆ど無いに等しい。守備時は佐伯と同じでも攻撃の時だけは傑と五分に渡り合えていた駆が異常なだけで、攻撃だろうが守備だろうが傑は日に日に強くなっている。
唯一弱点があるとすればフィジカル強度だが、ハードタックルさえ上手く流す術を傑は持っている。
ともすれば、止める術はない。
だからあくまで遅らせる。遅らせ、判断を限定させることが今の佐伯の精一杯。隙をつけるなんて思い上がりはしない。周りを使って傑に単独突破の選択を無くさせるのが一番。
(……よし、前衛守備の在り方───いや、オフザボールの動きは殆ど変わらない。思考能力というか、個人戦術はそのままだ。ならボールに触れる時間をできる限り短くするだけで良い)
佐伯は思考を切り替え、目の前の傑に集中する。
やがてパスへと判断を変えた傑によりボールは別選手へと渡り、巡り巡って2年生以下のチームが奪い保有する形となった。
攻撃時の佐伯は少し高めのポジションを取る。トップ下にまでは上がらないが、守備的と言うには高めのCMFのポジショニング。そこでボールを受け取った佐伯は前線を見て、西島と駆の動きを視界に収める。
動きの精度は良い。身体能力の問題はあるがこれならばと、佐伯は国松の裏にフィードパスで通す。そこに駆が走り込み、受け取った。
切り込み、左脚で───
「……っ」
振り抜かれたボールは、クロスバーを超えて枠を捉える事はなかった。
「……か、駆が外した?」
思わずといった風に溢す中塚の声。周りも声こそ出さないが同意を示している。
駆だって当然シュートは外した事がある。全中レギュラーを決める二度目の紅白戦以前の事を抜きにしても、その二度目の紅白戦の時に無回転になったボールがポストに弾かれる経験はあるし、シュート練習の時にも何度か見掛けていた。
だが、試合の流れの中で外した事は全くない。決定力100%なんて言われているのは比喩じゃなく純然たる事実。全中レギュラー決めの二度目の紅白戦を除けば、試合の中でシュートを外した事は一度たりとて無いのだ。
全中の時も、世代別代表の時でさえ。
だからこそあっさりとボールが逸れていくその様を、鎌学中等部のメンバーは全学年呆然とする。
そんな中で、一人険しい表情で立つ傑は、何秒間かの考える時間が経過した後、駆へと近寄って言い放った。
「駆、ピッチから出てろ。今日はもうクールダウンに入って良い」
「いや、ちょっ……傑さん、流石に一回外したくらいでそれは厳しすぎるっつーか……いやほら、西島だって何度も外してるんすよ!? 駆だって怪我明けで、いつでも絶好調って訳でも」
「ア?」
「公太、俺も同意見だ。駆はピッチから出た方が良い」
「祐介……?」
「今は、多分」
例に出され額に青筋を浮かべる西島を他所に、傑へと詰め寄る中塚の肩に佐伯が手を置き、首を振る。傑が駆に対して色々考えがあるのは、既にみんな理解している。だからこれは厳しさではなく駆の為を思っての発言。
佐伯の考えとしても、今の駆は自分の状態を把握するのが一番だと判断してる。
受験勉強で忙しい中、駆の為にと集まってくれた三年生達には申し訳ない気持ちを抱きながら、駆はベンチに座って顔を地面に向ける。
そんな駆にセブンが近寄りスポーツドリンクを渡そうとする。が。
「かけ……駆?」
落ち込んでいる様子を想像していたセブンにとって、意外な光景。周りからは見え難い体勢故に、セブンだけが見れる駆の表情は、“笑み”だった。
「セブン、僕おかしいかな?」
「……」
「出来た事が出来なくなって、明らかに身体能力が下がってるのに、どこか嬉しい気持ちがあるんだ。夢みたいな日常だった今までの日々が、スッと僕の人生だって認識出来た様な感覚でさ。漸く、“僕”がフィールドに立てた」
人格の変化とかではない。かつて傑の心臓の記憶を継承した駆が体験した、あの時の感覚とはまた別物。自分が自分であるとハッキリ分かっているのに、今までずっと感じていた疎外感が無くなっていく感覚。
今抱いている感情を素直に吐露する駆に、セブンはふと小さな笑みを溢して、「やっとか」と呟きを残した。
「何が?」
「表情が薄かったから分かりにくかったけど、駆ってばずっと寂しそうにサッカーしてたんだもん。傑さんとコンビを組んでる時は楽しそうだったけど、それ以外の場面だと機械的というか、義務的というか。出来るからやってるだけって感じがあったんだよ」
「……そうなの?」
「そうなの。言ったら駆、余計に悩むだろうから言わなかったけどさ」
「そっ、か。ホントお見通しにされるなぁ、僕」
観念した様な笑み。目の前で流れていく試合の光景に目を奪われながら、駆は言葉を紡いだ。
「セブン」
「ん?」
「今日、久しぶりに夜練する?」
「良いよ。駆ならそう言うと思った」
「駆、ルックアップ!」
「ぬ……!」
ただひたすらに1対1を繰り返す。
あの紅白戦以来は身体能力の差もあって駆がセブンへと教えることが多く、世代別に呼ばれた日以来は怪我もあって一度もすることのなかった夜練で、現在駆はセブンに指導されていた。
というより、擦り合わせが正しいだろう。身体能力や反射、フォームや癖などは無意識下に張り付いて行われるものだ。今の駆と少し前までの“プロ”の駆との違いを自覚させていく。
それには他者からの視点による言語化は頼もしい。加えて、懐かしくも初めてな、セブンの上手さを実感する練習。
「ほら視線!」
「わわっ」
「あっ、ちょ……!」
セブンが隙を突いて足下に保有するボールを掠め取ろうとして、駆は慌ててセブンの方へとボールが引き寄せられない様に脚でブロック。だが当たったのはボールではなくセブンの脚。
バランスが崩れ、背中から倒れていくセブンを見て咄嗟に肩を抱き寄せ、地面に伏すのを防いだ。
ホッと一息吐く駆に、セブンはジト目で指摘した。
「……今の、ファールだからね?」
「はい……」
「ふぅ。まあでも、何となく分かってきたかも。今の駆の状態」
「あ、それは僕も。全部が元に戻った訳じゃなくて、戦術とか予測とか、そういう思考能力自体はそのままなんだよね」
「多分その辺りは、“記憶”を脳が学習してるんだろうね。ほら、言われた英単語をリピートするだけなら誰でも出来るみたいな。だから既存の戦術をアウトプットする事は出来ると思うし、記憶の中で理解した動きは理解出来るんだけど、新しい外付けが難しい感じなんだと思う」
「なるほど……」
「……で、いつまで抱いてるのかな?」
「わわ、ごめん!」
抱いたままの体勢で話していた事に気付いた駆は慌てて体を離れさせ、手を引っ張ってセブンの体勢を整える。やはり感情豊かになっていると、そんな様子の駆を見ながらセブンはクスリと笑った。
「別にもうちょっと体を寄せてても良かったんだよ?」
「揶揄わなくていいから……」
「今なら私が手を回す出血大サービスです」
「…………か、揶揄わなくていいから」
「冗談だよ。そうだね。今は駆の状態確認を優先しようか」
「え、冗談?」
「……抱きたいの?」
「あっ、いや……。……、……っ、〜〜〜〜」
「凄い葛藤だね」
「い、今のはセブンの言い方も悪いだろ?」
「あ、そっちの意味で考えたのか。えっちだなぁ駆、中塚君と同じくらい」
「公太と同レベルは流石に嫌だな」
「そんなマジなトーンにならなくても」
まあ駆とは別の意味で本能的な中塚と比べられたら流石に嫌かと、セブンは反省。
少し気不味くなりかけた空気を変えてくれた中塚の存在に合挙で感謝の意を伝えつつ、駆はルックアップを意識しながら足下のボールを動かす。……まだチラチラと下を確認しつつ。
「左脚のトラウマが出ちゃうんだよね」
「うん、今日外したのはそれが原因。イメージとかは浮かばないし、頭ではどう動かすかも理解してるんだけど、反射的に左脚が竦んじゃう」
「PTSDは珍しくないし、克服する選手も多いけど、矯正の方法は様々だからノウハウが合わないケースが多いんだよね。駆はどうやって治したんだっけ?」
「左脚が蹴れる様になったのは、トラウマの症状が出ないくらいに何度も壁当てを繰り返して……ただ、それだけだと完全に克服した訳じゃないから、日比野との直接対決の時に……頭を……」
頭を真っ白にして、何も考えずにただゴールへと決める事だけを考えていた。そう正しく言語化している最中に、何かに思い当たった様に言葉を途切れさせる。
「駆?」
「……言語化。そう、言語化。出来ない理由を明確にして、じゃあ出来るにはどうするべきか。出来た時の感覚はどんなだったか。考えて、考えて───」
サッカーは常に考える競技。
シンキング・サッカー。自分の“本能”さえも言葉に出来るくらいに、考えを言葉にする。
「……兄ちゃんから移植された心臓が、兄ちゃんが観てた景色を映し出しながら……アドバイスを授けてくれて、体感させてくれたんだ。それが色々なインスピレーションを生んでくれて」
「か、駆」
「え?」
セブンが珍しく慌てた様子で肩を揺さぶる。考え込んでいた駆が視線を上げると、その先には兄の姿。
「……え」
「…………」
「あっ、いや、今の話は……!」
どう言い訳したところで何の解決になることも無い。妄想にしてはタチが悪すぎるし、事実を話そうにも荒唐無稽。自分自身でも自分の在り方を理解していない状況だ。説明など出来る筈もあるまい。
ザッザッと素早く近寄ってくる傑にどんな言葉を放てば良いか。頭を回し、ついでに目も回して混乱。どう足掻いても傑の視線が変わる未来しか見えない。こういうところも迂闊になってるのかと現実逃避の思考。
だが傑はふと苦笑して、駆の頭に手を置く。
「すまん。ぶっちゃけ勘付いてた」
「へ?」
「多分俺が死んでた未来を知ってるんだろうな、とか。そんな程度の断片的な部分ばっかだけど、何となくな。後ここに来た理由はこれな。明日の紅白戦の内容を簡単に纏めといた。流石に全員じゃ無いけど、ある程度は明日の試合にも───」
「そんな簡単に流して良いモノじゃないだろ……自分が死んでたかもしれない未来の事を考えて、何でそんな平然に……?」
「……今生きてるからってのが一番の理由だけど。あの日をキッカケに悪夢を見なくなって、駆がもう一度サッカーと向き合ってくれた。それだけで、俺は結構幸せなんだ」
ほら、明日の簡単な説明と紙が渡された。
静かな風が軽量の紙を揺らし、駆の視線はそちらへと移される。
「……! これって」
「ああ、高校に上がってからやろうと思ってたんだけどな。今のうちにやって慣れるのも悪く無いって、3年も賛同してくれた。……みんな、エースストライカーの復帰を今かと待ち侘びてるんだ。あまり待たせたら見限られるのがこの世界……なんてのは、お前も分かってるよな」
「うん」
「アドバイスは要らなそうだな」
先程の話を聞いてても思った。今の駆に、教えやアドバイスなんてものは必要ない。もう自分で掴んでいる。成長した自分を知っている。
ならば駆がまた騎士として返り咲く日を待つだけだ。
(想像が正しければ、明日は多分面白いモノが見れる)
はてさて吉と出るか、大吉と出るか。
駆は既に一度、ストライカーの頂とも呼べる極致に辿り着いている。世界へと行けるポテンシャルを持つのであれば、或いは自分の想像さえも超えてくれる何かを見せてくれるやもしれない。
明日が楽しみだなと、傑は満天の星が広がる夜を見上げながら、白い息を吐いた。
そんな傑を見送り、駆は足下にあるボールを手で拾い上げる。
「……嵐の様に来て過ぎ去ったね」
「うん。まあでも、今考えると必然だったのかも」
「傑さんが心臓の影響を受けてる可能性があるから?」
「僕より早く気付くよね、セブン。……うん。未来の僕がそのままこの時代に影響を与えてるんだとしたら、僕の心臓へと移植された兄ちゃんの心臓の記憶は、兄ちゃんの心臓に移ってるかもしれない。それを示唆する様な場面が何度か……最近はあまり見ないけど」
「……今日は練習、もう良い?」
「うん。多分ぶっつけでやる方が効果的だから」
「じゃあ、おまじない」
セブンは駆の正面に立ち、背中に手を回して抱き締める。
「セ、セブン?」
「駆は駆だからね。頑張れ」
「……うん」
言葉の意味は───考えたら無粋だ。駆は目を閉じて、黙ってハグを受け入れる。
「よし、これで駆のお望み通り私から手を回しました!」
「え、僕の望み?」
「抱きたかったんでしょ?」
「……もー、ズルいな」
どっちが、と。そう呟きたい気持ちを抑えて、少し小悪魔の様に振る舞うセブンを尊重し、その笑顔を指摘する事なく、火照った身体が肌寒い風に包まれながら数秒の沈黙が訪れた。
すみませんが、来週土曜日3月5日の定期投稿をお休みさせて頂きます。私事による休みですので気まぐれで執筆を進める可能性はありますが、投稿は極めて低い可能性である事をご了承下さい。
もし投稿できる場合は活動報告の方にて事前に報告させて頂きます。