それと、一点ご報告があります。
明日29日から仕事の方が暫く忙しくなりますので、休憩中に執筆していた時間が削られ更新頻度が更に遅くなります。その点をご了承の上、これからもご覧して頂く事をお願い致します。
人は目標を掲げ、継続し、夢中になる事で極限にまで集中力を高める事が出来る。昂ぶる身体は発熱し、身体を動かす脳が活性化する事で、人の潜在能力を引き出す事が可能となる。
人は可能性の塊だ。出来ない事が出来る様に。出来る事を更に極める様に。極めた事を最大限に活かす様に。
20分ハーフの紅白戦でしか無いこの試合は白熱し、3-3のまま試合は進む。後半5分が経過しての状態だ。
スピーディーな試合の中で守備が安定し始め、両者共に決定的な場面を作り出せないままでいる。駆の動きを傑が止めて、傑のパスコースを佐伯が消しているからだ。個人だけの守備ならば簡単に抜ける。しかし統率された守備を単独で突破するのは、如何に日本の至宝と言われる傑と言えど至難の業だ。成長すれば或いはと言ったところだろうか。
では赤組が攻めきれないのはどういう事か。駆にパスを渡せない事にある。現状赤組に於いて早い攻撃の中で上手くパスを通せる選手は佐伯くらいのものだ。だが佐伯は守備に徹しており、故にこそ傑の統率する攻撃を凌ぐ事が出来る。
だが攻撃に転ずる事が出来ない以上、攻撃がワントップの駆に任せきりになるのだ。放り込めばあっさりと取られるし、攻撃の組み立てに慣れていない今では前衛守備に押されてポゼッションサッカーも出来ない。
とは言えそれはお互い様。傑がいる分攻撃の組み立てに関しては白組の方が上だが、予測が拮抗してる以上、迂闊に攻め入る事も出来ない。白組のFWが世代代表クラスならば話はまた変わってくるが、部活の中で絶対的エースと呼べるわけでも無いFWではこの中で出し抜く事はほぼ不可能。
ならばどうするか。
(───ッ、駆?)
これまで前衛守備に徹し、決して自分から指示する事はなかった駆が自身に近いポジションの選手たちに何かを話している。スローインの合間だ。あまり長く話せる訳じゃ無いから数秒の間だけのやりとり。その後すぐに佐伯の所に寄って来た。
「ボールを僕に預けたら速攻で前に上がって」
「……ああ、分かった」
それだけ交わすと即座に下がり、スローインを受け取る駆。感化されたか、それとも指示されたか。駆の動きを真似る様に直ぐに詰め寄る西島を見て駆は冷静に後ろへとパス。それを狙ったかの様に止まる事なくボールを追いかけるが、事前に指示した通りダイレクトでスペースに出し、駆はそれを受け取る。
即座にサイドの前に居るMFに渡し、駆はそれをフォロー出来る位置に身を置いた。
(二列目……にしては、ドリブルのフォローというよりパスコースの確保ってとこに重点を置いてるな。1.5列目の方が正確か。駆のマークよりスペースを消すか)
駆には基本的に二人マークがついていたが、ワントップの位置から下がり気味になった事でマークが甘くなる。とは言え位置は絶妙。ポストプレー宜しくで受け取ってもすぐに対応できる様に身を置いており、簡単には抜けない。
が、パスを受け取った直後の駆に傑は思わず顔を顰めた。
1点目の時のテクニックをトラップせずにダイレクトで披露し、あっさりと前を向いてゴールに向かったのだ。
(忘れた頃にやってくるな、コイツめ……。今の位置からなら駆を追い掛けるより中絞ってパスコースを消した方がいい。結果的に中への侵入も塞げるから……、……っ! 佐伯、いつの間にそんな位置に!?)
傑の空間認識能力の高さを理解して、敢えてDFの裏に隠れる事で姿を消していたのか。駆が前を向けなきゃパスコースを減らすだけの愚策だが、抜けると確信してるならブラインドの仕方としてこれ以上にない。味方の動きならば兎も角、相手にそれをやられると予測以外での対処が難しい。
傑は更に中寄りになり、すぐにサイドへ中に絞る様に指示を出す。が。
「それだと遅いでしょ、傑さん……!」
少なくとも判断の速さとシュートレンジの広さは、現状このフィールドの中で一番と呼んで差し支えないプロ級の強さを持つ駆に対して、予測のズレは雪崩を呼ぶ。
駆は即座にカットインしてシュートコースを確保。斜めの位置。だがシュートコースが広い中で駆に広くコースを与えるのは悪手。せめてコースを塞ごうと傑が寄り───。
「まずッ、国松!」
自分が佐伯の言葉で釣られた事を察し、即座に国松に指示を出す。駆への対処じゃ無い。佐伯の動き出しへの対応だ。
本来ならばシュート体勢に入った状態からパスへと切り替える事は出来ない。元よりそれを織り込んでフェイント気味に出すならば別だが、シュートを打つつもりからパスに切り替えるなんて普通は怪我をしかねないから。
だが鞭の様にしなる蹴り方、このホイップキックに限れば話は別。傑もそれを理解しているから咄嗟に国松に指示を出したが、間に合う筈もない。
シュートコースを狭められた駆は振りかぶった右足を僅かにズラし、伸びる様な球ではなく回転を掛けた優しいパスを佐伯へと渡す。傑の身体を越して出されたパスは綺麗に渡り、佐伯は笑みを浮かべたままミドルシュートを放った。
ダイレクトで放たれたシュートは、だが予想外にも離れた位置でシュートコースを塞いでいた国松に当たり、ハイボールと化す。
「マジか……っ」
間に合う筈がない。そう判断するや否や佐伯を追い掛けるのではなく横移動だけをしてシュートコースを塞ぎに掛かった。普通ならば至近距離でなくては難しいシュートブロックを難なく披露する国松に、「流石五本指……」と感嘆する様に呟いた。
だがボールはまだ生きてる。ハイボールの行き先はキーパーの僅か上。そのままならばクロスバーを超えてコーナーキックになるが、このまま攻撃を続けさせるよりボールを保持した方がいいだろうとキーパーは判断。
ジャンプすれば手の使えるキーパーならば届く位置。落として即座にキャッチすれば───。
「ッ!」
そんな思考を即座に取りやめ、キーパーは伸ばした手を引っ込める。目の前に駆が居たからだ。シュートが放たれてから直ぐに移動したのだろう。異常なまでのボールへの嗅覚を見て、これに加えて決定力もあるからなぁと少しでも決まる可能性を減らすためにクロスバーを超えるボールを見過ごした。
「───祐介」
「悪い、国松さんに塞がれちまった」
「うん、祐介が決められれば一番良かったけど……でも大丈夫。これで布石は打てた」
「……?」
「コーナーはショートで。預けたら祐介はすぐに中……パスが受けれるエリア外に移動して。僕は───」
「……オーケー、それでいく」
一通り作戦を話し合えると、佐伯はボール拾いをやっている控えの選手からボールを受け取ってコーナーフラッグの位置に移動する。
と同時に二人が寄っていき、佐伯は即座にボールを渡した。ショートコーナーだ。確かにワントップの駆は競り合いで有利になれる選手では無いし、レギュラー陣のDF能力を考えると妥当な判断。だが妥当が故に、それは想定外にはなり得ない。
二人はパス交換をし、サイドで溜める。ここは一つの想定外。だがサッカーに於いての溜めは相手にも余裕を与える一手となる。悪手ではないが最善手と呼べるわけでも無い。
一人では取りきれないと痺れを切らし、国松がDFに指示を出すと。
「っ、国松! 駆から視線を外すな!」
「え───クッ!?」
その隙を突いた駆が、後ろに下がる。エリア内ギリギリ。線の上と呼べる位置で待機する駆を目にした国松は、いつの間にと驚愕を隠さず目を見開く。
だが“なぜ”は後に置く。今はシュートを防ぐのが先決だと、集中状態にある脳が身体を動かす。その巨躯ながらの目を見張る俊敏性はあっという間に近くに立つ。だがダイレクトで蹴ろうとしている駆の様子を見て急停止させ、両手を後ろへ回した。ペナルティエリア内のハンドはマズイからだ。
そんな危機感を感じたDF他二名が微かに遅れて駆を囲う様にシュートコースをなくす。股抜きも狙えない程の密集地。後ろから西島が突っ込んでくるのが声で分かる。
それと同時に駆は視線を横へと向けた。其処には祐介───そして傑がいる。
(パスコースは塞いだ、シュートコースもない。お前に残されたのはトラップして後ろに戻して展開をやり直すくらいだ。ラン・ウィズ・ザ・ボールもこの密集地帯だと───)
どんな作戦だったかは知らないが、少なくとも打てる手を限りなく塞いだ。如何に駆がプロ級だとしても、この中でチャンスを見出すのは不可能に等しいだろう。
だが。
(止まらない……? いや待て、これホイップキックじゃ……足の振りが緩やか過ぎるっ、まさか!)
「キーパー、佐伯に釣られるな!」
緩やかに、ダイレクトで。弧線を描く様に放たれたシュートは塞がれたと思っていた目の前のDF達の頭上を簡単に超える。キーパーは佐伯に釣られて右方向に釣り出されており、緩やかなミドルループを見て直ぐにボールを追い掛けるが、美しく放たれたシュートはクロスバーと横ポストを叩き、一度のバウンドを得てゴールネットを静かに揺らす。
数秒の沈黙。そして歓声。ワールドクラスの芸術的なシュートを見た控えの選手達は盛り上がり、衝撃的な光景にブロックに行ったDFは思わず口を開いて驚愕を露わにする。
そんな中、傑はゴクリと生唾を飲み込んだ。
(四度だ。ゴール前での決定的なチャンスがあったのは、今のを含めて四回。ましてやその一回は佐伯に渡してる。……実質的に三度のチャンス全てを決め切った。それに最後のゴール。俺だと決めれなかったという確信がある)
一対一や二対一に於ける対人能力は飛び抜けているわけでは無い。確かにあのテクニックは脅威だが、それが来ると読めていれば二人いるだけで簡単に対処が出来る。
だが、この決定力だけは並外れている。前者二つはシチュエーション的に傑も別のやり方で決められるだろう。だが今のだけは、絶対に無理だ。
あんなシュート、
「……
過去、リーグ戦に於いて脅威的な得点能力を示したFWの選手が残したインタビュー記録。圧倒的なまでの決定力をそう称して取り扱った記事が一つだけあった。
だがアレは、選手のそのままの発言であり。その領域を駆が見ているのだとしたら。
(日本国内で収まるレベルじゃない。世界標準……いや、決定力だけならワールドトップクラスと言っていいレベルだ)
あらゆる言語で販売されたにも関わらず、今までその記事が取り上げられなかったのは、それを体感した選手がいなかったからだ。
つまるところそれが見えると言うことは、最低でもワールドクラスの能力を有している事に他ならない。もし、本当に見えているのだとしたら、だ。
本当に、本当に。世代別だけじゃない。フル代表の場でW杯優勝を狙うことも、可能になる。
昂り。今日の朝に見た夢の光景を鮮明にイメージして、その記憶に蓋をする。夢見た光景は、だが今じゃない。今は相手同士だ。ならば防ぐ術を模索する。
(……駆、お前が許してくれるなら……もう一つだけ我儘を聞いてくれるか?)
「……?」
リスタート直後の白組の陣形に違和感。
今までは可能な限りポゼッションサッカーを徹底して前衛守備にチームを慣れさせていたが、傑だからこそ可能なもう一つの選択肢を取った。
即ち、傑によるボールキープ。統率された守備を抜いていくのは至難の技だ。そう、それだけである。個人個人が中学生レベルから逸脱しないDF陣を相手にするのであれば、決して不可能ではない。
そのボールキープから前線へと運ばれ、西島にラストパス。そんな光景が前半のうちに何度か映っている以上、佐伯には微かな苦手意識があった。
佐伯の現状の予測能力では傑を完全に止めることは出来ない。あくまでドリブルの選択肢を極限に狭めた上でパスコースを読んでいるから今まで成り立っていた戦術であり、リスクを冒してドリブル突破を仕掛けるのであれば止められる保証はない。
そして、もう一つの違和感。
ドリブル突破を仕掛けるにせよ、タイミングが微妙だ。普通ならばセンターラインを超えて全体的にマークがバラけた場面で仕掛けるべきだ。その方が一人抜かされた後にフォローする形で別の選手が入る事になるから、ドリブルへの対応が咄嗟の判断になる。傑ならばそれを突いて何人と抜き去る事が可能な筈だ。
これではどうぞ自分一人に集中して下さいと言っている様なもの───。
「……ッ!」
いや、本当に自分一人で全員を抜き去る気か? 先日の紅白戦の中で、ただ立ち止まっていただけの傑に萎縮してしまった光景を思い出して、
そんな中、物怖じせずマンマークに付く選手が一人。
(あの位置なら、確かに駆に任せてから対処を組み立てた方が良い。……いや、というより傑さんもそれが狙いだった? 自陣からのボールキープなら、普段マンマークに付けない駆でも付かざるを得なくなる。1on1が傑さんの望み……?)
佐伯は暫くの思考の後、傑の殺気で無意識に入っていた肩の力を抜いて指示を出す。
前線に張り付いている選手達のマンマーク。パスコースを完全に消し、余った選手がゾーンDFでスルーパスの穴も埋める。これならば咄嗟の時のパスは完全にマイボールと化す。駆が傑に拮抗出来ればだが。
(───産毛が逆立つ)
周りが今までのハイスピードな試合展開を辞めてマンツーマンとゾーンDFを混在させている中で、ゆったりとボールを前に進めていく傑は、己の昂ぶる衝動に何度も大きく深呼吸を繰り返す。
(心臓が煩い。でも波打ち早く流れる血が身体を活性化させる。鳥肌が立って感覚が研ぎ澄まされていく。自分の身体じゃないみたいだ)
今までとは一線を画する様な桁外れな運動能力の要求を心臓が行ってくる。どうしてそうなっているのかは分からない。アスリートが経験するゾーンという奴だろうか?
いや、どうでもいいか。そうやって傑は獰猛に笑みを浮かべる。
(ありがとな、駆。我儘に付き合ってくれて。どうしてか分からないがトップクラスの選手に至ったお前を見て、今の自分の限界を試したくなった)
迂闊に飛び込まない様に。かといって間を空けすぎて引いていくDFにならない様に。今までならFWとしての遅らせる守備を徹底していた筈だが、完全に向かい合っている現状。傑の意図を理解して1on1に付き合おうとしているのだろう。
目を見開いて傑の動きに集中している駆を見て数瞬。傑が動き出す。
(───兄ちゃんのドリブルは、体感してきたから分かる)
特に、高校選手権での国立競技場で行われた対レオとの一対一。フランクフルト戦でゼッケンドルフと交わした天才同士の割り込めないマッチアップ。
もちろんそれ以外でも相手をあっさりと抜いていく逢沢 傑の動きは幾度となく体験してきた。それでもあの時以上に傑のドリブラーとしての───サッカー選手としての性質を理解出来た試合はない。
(全て紙一重だ。いつだってチャレンジ精神と逸脱した技術がそれを可能にしてきた。常に考えて、少しの隙も逃さずに、時として敢えて隙を作る……一瞬、一瞬の紙一重を究めた様なサッカースタイル)
理解出来ても駆がそれを真似出来るかと言われれば否だ。駆に出来る事があるとすれば、一か八かのチャレンジ。細かな技量ではなく一度の駆け引きで抜き去る大胆不敵なプレーだ。
故に、今。マッチアップしている現状で傑に敵う術は無いと、誰よりも駆が分かっていた。
それでも、敵う術はなくとも。追い縋ることは出来る。
「……!」
「───は、ははっ!」
紙一重を見定める傑に追い縋るには、まずギリギリの勝負を仕掛けない事。最低条件として、
普通の選手が相手ならば、詰め寄る事で得られるメリットは沢山ある。距離感の近さは躊躇いを生むと同時に、移動の幅を限定させられるから。だが傑やレオの様に技術が逸脱した相手にそれは悪手。足にボールが吸い付く様なドリブルをする彼らからすれば、接近するというのは力の方向が自分の行きたい方向と逆に向くという事。一瞬でも躱せば必ず抜き去る事が出来てしまうのだ。
それをさせない為には方法は二つ。接近した状態で相手の行動を読み切る事。ゼッケンドルフならば簡単に熟すだろう。でも駆には無理だ。
だから次点。細やかなボールタッチをされても効果が薄い距離感を常に保ち続ける事。それによって紙一重の勝負に持ち込ませない様にしている。傑の本領を発揮させない様に、駆は全力を注いでいた。
だが。
(中学の───)
駆はここで、一つ違和感を覚える。
(中学の兄ちゃんって、こんなに強かったっけ?)
そう、駆は聞いた事があったから分かる。かつてU-16世代別代表の場に於いて、兄がゼッケンドルフに一度も勝てなかったという事実が存在したことを。想いの強さも、紙一重故のたった一度の勝利だったとしても、そんな中で兄はオリンピック代表としてゼッケンドルフに打ち勝った。それはきっと兄が成長していたからだ。
でも今、目の前にいるのは紛れもなく中学生の兄。いずれあのレベルに至るというだけの、まだ中学生の逢沢 傑だ。
もちろんいずれにせよ敵わないのは百も承知。だが、酷く違和感を覚える。
この対処が本当に正しいのか?
(……いや、合ってる! 大丈夫だ!)
迷えば敗れる。それを分かっているから、一瞬でも浮かんだ敗北のイメージを掻き消して自分の行動を信じて喰らいつく。
ああ、随分と楽しそうにサッカーしてる。必死に食らいついている間に傑の表情を見た駆は、思わずそれに釣られて自分も笑みを浮かべた。
無邪気に笑い合って、小さな子供の頃の様に。お互い成長した技量・戦術を賭して、全力で1on1を行う。
そんな光景を見て、セブンはメモを取るのも忘れて魅入っていた。
「……いいなぁ」
キュッと襟首を掴んで、羨ましいと呟く。
「私も男の子に産まれてたら、あの中に入れたのに」
同じピッチに立って、同じ舞台で、同じ夢を目指せてたのに。
そうやって羨望の視線を向けながら、セブンは言葉を溢した。
「……奈々ちゃんはこの勝負、どうなると思う?」
「えっ?」
「傑さんの立場とか駆の立場になってみてさ、このすっげー勝負の行く末とか推測してみてくんね? 俺は友達贔屓で駆が勝つのに賭ける。駆だけに」
「……二人の立場になって」
駆と傑の距離感と、その性質。そこから生まれる二人の思考を読み取って、セブンはその質問に答えた。
「駆には悪いけど、この勝負は傑さんの勝ちだと思う」
「ほへぇ? そりゃどうして?」
「駆が紙一重の勝負を仕掛けないで、ボールを奪いにいかないから。それは意図的に一瞬の勝負を放棄してるっていう意味になって───」
セブンが語り出すと同時に、傑の動きが変わる。細やかなドリブルは微かに大胆に。焦りを生んだのか。否。そんなはずは無い。これは釣りだ。釣られるな。そうやって駆は自分を戒める。
そんな駆を見て、傑は一層笑みを深めた。
「傑さんが紙一重に持ち込めば、駆は思考が止まって勝機が一方に傾く」
「───えっ」
それが聞こえた訳ではあるまい。
だがセブンの言葉通り、先程までの動きの速さが嘘だった様に駆の動きが停止する。
まるでパスでもするかの様に駆の目の前に出されたボール。一瞬思考が淀んだ。流れる様に理解していた兄の行動がサッパリ分からなくなった。
でも染み付いた考えは決して離れない。釣られるな、これは罠。スピンが掛かって足下に戻る様になっているのだろう。駆が動けばすぐに躱せるように準備をしてるはずだ。
そんな思考を遮る様に。ポン、と。あっさりと駆の脚にボールが当たる。
「───やっ、ば……ッ!」
すぐにボールを自分のものにしようと足を動かすが、呆然と脚に当たったボールは自分の微か前に溢れて行く。伸ばせばすぐに届く距離。だがそれよりも早く、傑の脚がボールに触れた。
収めることなく蹴り出したボールは駆の股の間を通り抜け、傑は抜け出した。
それをカバーする様に佐伯が移動して傑のドリブル方向を阻む、が。
「……! っそだろ!?」
コンマ数秒の足止めすら叶わない。フェイントも緩急もなく、ただの切り込み一閃で簡単に剥がされた。DFに赴いた自分ですらただ身体が硬直しただけで何が起こったのかも分からない様子の佐伯は、後ろの様子を確認して速攻で指示を出した。
「ダメだDFカバー来るな! 傑さんならそれをっ」
確実に通す。ラインが統率されて全員が上がっているならまだしも、一人が迎え撃つ形ではオフサイド・ラインを超えていないFWに確実に通してくる。
事実、傑は佐伯を躱した直後に左脚を振りかぶる。下ろされた足はボールを叩き、キラーパスがDFの間を抜け出した。
「ぬぅううう……ッッ!」
抜け出した西島がパスに追いつこうと懸命に駆け抜ける。ペナルティエリア前。一歩踏み込んで大きく伸ばした脚は───だが届かず、キーパーが保有する。息荒く吐き拳を握りしめる西島に、傑が声を掛けた。
「悪い。強く出しすぎた」
「……っ」
ミスじゃない。この人があのシチュエーションでミスる筈がない。追いつけば絶好のチャンスになるキラーパスだ。アレに追いつくのが理想の形。先日の紅白戦で駆は決めこそしなかったが、このキラーパスを幾度となく受け取ったのか。
それに加えて今日の決定力。ベンチどころかスタメンに抜擢されても不思議ではない。明確な敗北感。感じる筈のなかったそれに、西島は強く拳を握りしめて告げた。
「次は、決めます。今のパスを止めないで下さい」
「……ああ。望むなら出してやる」
傑は西島の腕を掴んで起き上がらせる。
やがてキーパーがボールをDFに放ると、そのボールは駆へと渡され、ゆっくりと進んでいく。
先程の傑を再現する様に。
(ホント、お前は俺の意図を汲み取ってくれるな。駆)
傑がその様子を見て笑みを深め、駆と相対する。先程の駆とは違い、距離感はかなり近め。一歩踏み込むだけでは取れない位置にボールを置きつつ、駆は仕掛けに掛かった。
(後ろから見てて気付いた。お前のテクニックは予備動作が大きい。国松の時は巧みに隠してたけど、さっきのもう一回で気付いた)
それは単純に押し出す裏街道ではなく、回転を掛けて一人ワンツーの様な形を取っているからに他ならないだろう。とはいえ自分の足下にボールが戻ってくるテクニックは予備動作が大きくて読みやすくてもなかなかに脅威。国松の時の様に巧みに隠されては対策が難しいだろう。
傑は駆が左脚でまたぎを行うと同時に距離を取る。
(───予備動作が大きいって事は、露骨にそれをやると分かり易いって事だ。なら一番掛かりやすくなるタイミングで敢えて下がる。出しどころを塞いでも旋回して戻る可能性が否定できないから───駆とボールのライン上に自分を置いて、通さない様にするのが一番)
の、筈だ。先程のテクニックを見ての判断、これが間違えているとは思わない。
だが同時に酷い違和感を覚えて傑の脚は一歩下がるだけで止まる。
(……ホイップキックじゃないから急に変えるなんて不可能だ。予め事前に動作を整える必要がある。間違いない筈だ。じゃあなんでこんな違和感を)
事前に動作を整える必要がある。それは駆も分かっている筈のことだ。ならばその対策をしてないと考えていいのか。
あのテクニックを“二回”見せたのは、どういう意図があってのことだ。
(そう、動作だ。回転を掛ける動作が必要になる。なのに駆は軽く蹴る様な流れで右足を振り下ろそうとしてる)
その可能性を頭に掠めた瞬間、傑は下がろうとする脚を引き止めて一歩前に踏み出す。狙いは駆がテクニックを行うときにボールが移動する方向、ではない。駆自身の進行方向上に突っ込み、脚を伸ばす。
駆はエラシコをする様に右足でボールを掠め、アウトステップでボールを押し出そうとしてる。
(獲れる……)
「兄ちゃんなら」
読み勝った。守備攻撃交代の1on1でどっちも───そう思考すると同時に、駆の声がその場を刺した。
「初見で読んでくると思った……!」
アウトステップで押し出す、のではなく。掬い上げる様に、ボールの下方向からチップキックで浮き上がらせる。あの流れる動作からでは予め決めてないと出来ない動き。
言葉通り傑の行動を読んでいたのだろう。浮いたボールは地を這う様に出された傑の脚を超えていき、傑を相手に一瞬抜け出した。目を見張る傑は、だがそれで終わらない。差し出した脚を踏み込んで身体を反転。即座に追い掛けようとし───膝から下の力が抜ける。
「アンクルブレイク!? 傑が!?」
尻餅着いて倒れ込む傑を見て国松は叫ぶが、この状況は非常にマズい。先程の傑が駆を抜いた時と同じように、スペースはガラ空きだ。カバーに行くにしても距離がある。
だが駆は傑と違ってパス名人ではない。何よりワントップである以上は抜け出している選手が他におらず、駆が単独で突破してくる他に選択肢はないだろう。それでもシュートレンジに入られた時点で終わりだ。タイミングが重要になる。
国松は駆け抜けようとする駆に近寄るタイミングを伺い。
次の行動に脚が硬直した。
(───そっから、シュート体勢)
無理だ決まるはずがない。傑を抜いた直後のエリアだ。センターラインからそれほど遠くない。距離的に50mはある。キーパーが見てから反応出来る程度の距離だ。幾ら伸びるシュートでもこの距離からでは失速する。
だが赤組の1点目の時のような、意表を突いた傑のロングシュートのようなパスという訳ではなく、本気でシュートを打ちに行っている。
国松は近寄ることも出来ずに後ろを振り返り、キーパーに来るぞとアイコンタクトを送った。
「───おぁあああっ!」
チップキックで浮かび上がったボールの中心部を叩き、浮きあがっていかないように余計な力は込めず。伸びよりも重さを重視して放たれたシュートは真っ直ぐゴールに向かって行く。
キーパーが見てから反応出来る速さに違いはない。だが、コースがギリギリ。この威力のシュートをキッチリ枠内に収めるだけでも中学生のレベルではない。キーパーも一瞬飛び込むのを躊躇い、一歩躊躇したことでボール一個分手が届かない。
このシュートは決まる。
そんな確信の中で、駆は思わずといった様に言葉を溢した。
「あっ、ブレ……」
浮き球にならないように回転を極力抑えて重い威力のシュートを放った。だが駆の想定では無回転ではなく微かな回転を掛けるつもりで蹴ったつもりだった。
だが記憶の中の自分と今の自分の身体能力の差が、微かに現れる。伸ばした脚が短く、小さな回転を掛けることが出来なかった。
駆の目に映っていた空白の領域はボールがブレると同時に消失し、ゴールに届いたボールはポストを強く叩く。ビリビリと振動しネットを揺らす強力なシュート。弾かれたボールは。
「正直」
一人、ゴール前に走っていた佐伯の足下に収まった。
「外してくれて、お前も人間だなってホッとしたよ。駆」
押し込むだけのシュート。飛び込んでいたキーパーはすぐに立ち上がることができず、ゴールにコロコロと転がって行くボールをただ見送った。
「いや、まだ時間は───」
「ないよ、国松」
センターサークルに急いでボールを持っていこうとするが、傑がその肩を叩いて引き留めた。
「タイマーが鳴ってる。ロスタイムもないから終わりだ」
その言葉でやっと耳に音が届いたのだろう。審判を務めていた控えが短く笛を吹いて紅白戦終了の合図を知らせる。
前半 後半 合計
白 3 - 0 - 3
赤 3 - 2 - 5