ピッチの王様とエリアの騎士   作:現魅 永純

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46話『純血種ストライカー』

 

 

 

 

 

 

「蝦夷くん、緊張してる?」

 

 

 ロッカールームからピッチへと向かう最中。後半からの交代選手である彼───蝦夷 巧に、駆は話し掛けていた。

 “記憶”での件*1もあって若干の苦手意識があったのだが、関わっていく内に普通にサッカー好きの少年であると理解したため、今では良き友人だ。

 

 そんな彼は、ピッチへと出る前の今、震えていた。

 寒さからくる震えではない。前半終了前とハーフタイム中にアップしていたのもあって充分に身体は暖まっている。緊張であるというのは一目瞭然。

 

 

「……正直に言えば、かなり」

 

 

 それもその筈。プレミアリーグでは何度か出場経験はあるものの、負ければ終わりなトーナメント形式での出場は初。

 言葉を詰まらせながら、表情を強張らせて言葉を紡ぐ蝦夷に対し、駆は笑いながら告げた。

 

 

「だよねぇ。僕も同じ立場なら内心監督に文句たらたらだと思う」

「え」

「初の全国大会出場が決勝。しかも1点ビハインドの状況から切り札扱いなんて、FWとしての責任が重過ぎるよ。おまけに雪でピッチコンディションは最悪、プレミアでの経験とか意味ないよね」

「おい、駆」

 

 

 笑いながらスラスラと並べ立てられる、緊張の理由。改めて言葉として耳に入る度に蝦夷の表情は硬くなっていく。

 流石に揶揄うにも限度があると小声で苦言を呈する佐伯に対し、駆は真剣な眼差しで手を向ける。大丈夫だから見ててと、言外に伝えていた。

 

 

「でも、無理に緊張を解こうとするのはダメだよ。緊張を覚えるということは、それだけFWとしての責任を持っているって事だから」

「……!」

「これは持論だけど、点取り屋である僕らだけは、その責任を緩めるのは違うと思うんだ。誰よりも点を奪える位置に居て、チームを勝利に導く為の責任を負うポジションだから。最後の1秒まで諦めないために、点を奪う為の緊張は覚えた方がいい」

 

 

 初の代表選手としてピッチに立つ時に、荒木を伝って聴いた兄の言葉。日の丸を握りしめる事で代表としての自覚を覚え、プレッシャーを力へと変える。

 国際試合と国内大会ではまた別の話だが、緊張感は似ているだろう。故に自分なりに言葉を落とし込み、蝦夷へと伝える。

 同世代最高峰のストライカーの持論。それを聴いて強張った表情が微かに解けていくのを確認し、駆は言葉を紡いだ。

 

 

「まあ、過度な緊張だとそもそも身体が動かないし、ミスらない様にって思うほど心情はネガティブに染まっていくよね。だからここは、自分が出来る最大限のポジティブで考えよう」

「最大限のポジティブ?」

「目を瞑って、イメージして」

 

 

 駆は蝦夷の肩に腕を回しつつ、囁く様に言葉を発していく。イメージに集中させる為に、駆の言葉以外が思考に入らない様に。

 

 

「後半アディショナルタイム、1点ビハインドのまま試合が進んだ状況。お互い疲労困憊の中で訪れたチャンス。自らが振り抜いた脚で放たれたボールが、ゴールネットを揺らす」

 

 

 ドクン、と。鼓動が高鳴る。

 

 

「沸き上がる歓声は自分を差している。悔しげにする視線も自分を差している。鎌学サポーターの歓声と蹴学サポーターの落胆を独り占め───劇的なゴールを決めた選手だけが得られる、その瞬間を」

「───ッ」

 

 

 ミスへの恐怖と緊張故の震えは、その瞬間に武者震いへと変わった。

 熱を帯びた高揚の表情を確認し、駆は回していた腕を離す。

 

 

(……分かんないもんだな)

 

 

 佐伯はそんな様子を見て苦笑した。

 

 

(要は「ゴール決めてね」を念押ししただけな気もするんだが……ストライカーって人種だからこそ、色々と他に気を回すよりもゴールにフォーカスを当てた方が良かったのか)

 

 

 緊張を解すだけならば、恐らく佐伯にも可能だった。下手に気負わせない言い回しで充分な実力を発揮させ、ピッチ上で余裕のある段階でパスを回す事で徐々に慣れさせていく事が出来た筈だ。

 だが、ストライカーにはストライカーならではの心情というものがあるのだろう。既に十全であると思わんばかりの気迫だ。

 

 

(……ったく、どこまで想定しての発言なんだろうな)

 

 

 佐伯以外には見えない様に、駆は彼へ向けて人差し指をクイクイと動かす。先程までの発言を振り返り、その意図を理解した佐伯が口を開いた。

 

 

「駆、さっきの言葉は熊谷監督に伝えるからな」

「えっ」

 

 

 僕も同じ立場なら内心監督に文句たらたらだと思う、という発言に対しての言葉を佐伯が放つ。すると駆はそんな馬鹿なと言わんばかりの───意図を察した佐伯からするとワザとらしいとしか思えない───表情を晒す。

 歳下とは思えない頼もしさの存在感から一転、揶揄い甲斐のある空気感へと変貌し、周囲は笑いを溢していた。

 

 程よい緊張感と、和やかなチームの雰囲気。先程指で佐伯に指示(サイン)を出した事を考えれば、間違いなく意図的にこの雰囲気を作り出した。

 一年生ながらキャプテンマークを巻き、10番を着る選手として、知らず知らずのうちに重くなっていた肩の荷が降りる感覚。逢沢 駆という存在の有り難みを改めて感じる。

 

 よし、と。雪が降るピッチの上。鎌学陣地へと出ると、佐伯はポジションに着こうとするチームメイトに向けて声を上げた。

 

 

「円陣!」

 

 

 張り上げられた声に反応し、鎌学の選手達はそれぞれ肩を組んで円を作る。

 

 

「まずは───1年坊の俺を司令塔として、そしてキャプテンとして立つ事を認めてくれて、ありがとうございます」

 

 

 蹴学の選手達もピッチへと出てきており、主審はピッチ外で副審と言葉を交わしている。後半開始までそれほど時間がないだろう。長引けば催促される。

 あまり話を長くするなよと全員が苦笑気味だ。そしてその反応こそが、彼をキャプテンとして扱う事に異論がない証明。

 

 

「敗者としての道を進むか、勝利を手繰り寄せる一手を掴めるか。泣いても笑ってもあと45分次第……準備はしてきた。後は出し切るだけだ!」

 

 

 短く息を吸い、吠える。

 

 

「鎌学───ファイッ!!

「「オォッ!!」」

 

 

 大きく気合いの入った声を上げ、自身のポジションへと散らばっていく鎌学選手へと向けて観客から拍手が送られる。

 

 

(“記憶”とは違うキャリアだから経験済みかと思ったけど、もしかして……)

 

 

 主審がセンターサークルに寄っており、試合開始まであと十数秒を切っている。

 そんなタイミングで、円陣を解散してからある方向を見つめていた駆が口元を隠しつつ佐伯へと話し掛けた。

 

 

「祐介、手短に。後半からは出来るだけレオに反射的な行動をさせないプレーを心掛けて。具体的には試合が切れたタイミングで言う」

「……? ああ、分かった」

 

 

 レオの付近で大胆なアクションはいいカモになる。元々寄らせないプレーは心掛けるつもりだったから支障はない。佐伯は駆の言葉に疑問を見せつつも了承した。

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

『さあ後半スタート! 蹴学は交代なし、鎌学は後半頭から1人入れ替えた! どうやらデータによると全国大会初出場の1年FW選手! トップ下との交代で3トップ体制、あくまでも攻撃的な姿勢にシビれるぜ!』

 

 

 蹴学の実況席から語られる内容。観客席の声に阻まれてもピッチ上に届くそれを耳に入れつつ、レオは鎌学全体の動きを見渡す。

 

 

(交代の動きを見てからスタッフに確認したが、プレミアでの出場記録は3試合。得点記録は1点で、それもラッキーゴールという形だったらしい。必要以上に恐れる必要はない……)

 

 

 駆はワイドに開かず、1.5列目の位置にいる。最前線が2枚という形であり、中央を固めた3トップというフォーメーション。

 その内の1人である蝦夷 巧に視線を寄越しつつ、スタッフからの言葉を過らせて断ずる。

 

 

()()()()()()()。鎌学はこの場面で『ただの未熟なFW』を起用する様なチームじゃない。未熟なら未熟なりに、武器になり得る何かを持っている)

 

 

 時間のない後半開始前の確認だった為、あくまでも参照したのはデータ上の記録。映像記録を確認した訳ではないが、スタッフの言葉を真に受けるのは危険だと判断。

 レオは前半同様に佐伯の動きを最大限に警戒しつつ、蝦夷の動きにも注意を向けていた。

 

 

(駆がシャドーの位置に居ることを考えれば、鎌学の後半からの動きは予測出来る。つまり───)

 

 

 鎌学のキックオフから始まった後半。佐伯を介さずともポゼッションは成立しており、1分を過ぎたタイミングでボールは西島に。

 エリア外であり狙うにはまだ遠い位置だが、受け取って直ぐにシュート体勢へ。

 

 

(ミドルシュートからのこぼれ球狙い……!)

 

 

 放たれたボールは威力そこそこに飛んでいく。横っ飛び必須のコースへと進み、キーパーはそれに飛びついた。

 高さ的にキャッチングは厳しく、パンチングで弾く。余裕のない判断で弾かれたボールはペナルティエリア右横に飛んでいき───

 

 

「……!」

「やらせん……ッ」

 

 

 そこに、駆が走り込んでくる。

 角度は悪いがダイレクトでも放てる体勢だ。しかし身体を割り込んだベルナルディに先に触り、サイドラインへとボールを逃げさせた。

 

 

(駆の嗅覚は危険だが、リッキーのマンマークに封じられている間は問題にならない。それは鎌学も分かっている筈。では何故このやり方に切り替えたか……)

 

 

 そもそもミドルシュートを増やしてこぼれ球を狙うという戦術は今大会で殆ど行っていない。ベルナルディ程の反応速度が無ければ確実性はなくとも充分な脅威になるにも関わらずだ。

 その理由は、『駆がいるのを前提としたサッカー』になってしまうから。次シーズンからは居なくなるのが確定している選手を前提とした戦い方を続けてしまうと、どうしてもそこに依存してしまう。

 佐伯の場合は浸透しているポゼッションを補正する形なので大きな問題にはならないが。

 

 とはいえ、出し惜しんでみすみす勝利を逃すような真似はしない。だから後半頭からはこうしてミドルシュートを積極的に打ちにいっている。

 ベルナルディのマンマークにより動きは封じられているが、それを理解していてもこのやり方を選んだ理由。

 

 

(恐らくは、攻守のバランスを変化させる為)

 

 

 鎌学のスローインから始まると、即座にボールはマイナス方向へ。ミドルとロングの境目とでも言うべき位置から、佐伯とは別のボランチの選手である麻生がシュートを放つ。

 今度は威力重視、コースは甘め。だがキーパーの重心とは逆方向を突き進み、余裕で届く距離ではあるが片手で弾く形になり、ボールは転がっていく。

 

 その先には幸村が立っており、転がってきたボールに構えながらルックアップで周囲を見渡す。

 そこに、駆がプレッシャーを与える。ボール保持者(ホルダー)ではない選手への過度な接触はファールになるだろう。このプレスをベルナルディが止める事は出来ず、駆は幸村の動きに制限を掛けていた。

 

 ここで奪えれば最高だが、そう簡単にはいかないだろう。故に最初に出したいコースへのパスを塞ぐ事で、他の選手が守備に戻れる時間を作っている。

 これならば佐伯の守備意識への切り替えをサポート出来る。前半よりも遥かに余裕を感じる足取りで、彼はハーフライン付近へと戻っていた。

 

 

(こうなると前半以上に崩すのは困難だ。一度決めた以上は踏み込ませるのも難しいだろう。下手するとミドルシュートが決まりかねないが……釣られてラインコントロールを誤れば駆にボールを受け取らせてしまう。流石に1対1を繰り返されるとリッキーでも止める事は出来ないだろう)

 

 

 ともすれば、徹底すべきはシュートコースの限定。キーパーには可能な限りキャッチングを心掛けること。

 後者はファンブルしてゴールになるリスクを考えれば無理しない方がいいが、前者は絶対だ。フェイクの効力が薄い距離感であってもコース限定は充分に出来る。

 

 幸村が時間を掛けた後にキーパーへとバックパスを出し、そこからダイレクトでサイドに展開。ボールの動きが落ち着いたのを確認し、レオはDF陣へとハンドサイン。ミドルシュートに対してはコース限定を徹底。

 鎌学の出来そうな戦術は予め共有していた為、その対応の仕方も全員が分かっている。改めて指示を出す必要はないだろうが、全員が早く切り替えられるに越した事はない。蹴学のボランチより後ろの選手達は頷いた。

 

 

 

♢♦︎♢

 

 

 

 そこからは『魅せる展開』が続く。

 蹴学側は四季とレオを中心とした、ポゼッションを織り交ぜつつ要所要所でドリブル突破を図っている。1人2人は当たり前に抜き去るテクニックが披露される度に、満員の会場には歓声が溢れ出る。突破している本人は方向を誘導されているのを感じ取っているのであまり良い顔はしていないが。

 得点にこそ繋がっていないが、やはり“個”の力というのが蹴学には随所で現れていた。

 

 鎌学はポゼッションがメインである事は変わらず、隙を見つけてミドルシュートを狙っている。やはりゴールに迫る展開は非常に盛り上がるもので、前半よりも遥かに積極的なシュートは会場を刺激する。

 とはいえ、明らかに決定機ではない場面でも狙い続ける様子なので、冷静さを欠いているのではないかという思考が鎌学のサポーターには過っていた。実際に「落ち着け」という応援席からの言葉が後半の間に何度も放たれている。

 

 だがそれも、シュートの回数を重ねる度に困惑へと変わっていった。

 後半開始から後半40分に至るまでの間に放たれた鎌学のシュート本数は17回。そのうち3回は枠外、2回はGKによるキャッチングだったのだが、それらを除いた12回の内3回は蹴学のDFが拾う形に。

 そして残り9回は、全て駆が拾っていた。

 

 流石にここまで露骨だと観客も疑念を覚える。逢沢 駆は、こぼれ球の位置を分かって動いているのではないかと。

 そしてそれは、マンマークを務めるベルナルディがこれ以上ないほどに実感している事実だ。

 

 蹴学のクリアしたボールが鎌学陣地のサイドラインを割る。ベルナルディは集中切らさないまま、荒く呼吸を繰り返して駆を睨みつけた。

 

 

(事前に情報は得ていたが、体感するとより分かる───セカンドボールへの反応が人間のそれじゃない! いくら何でも早過ぎる!)

 

 

 稀に、オープンスペースで待ち構えて決めることの出来るストライカーがいる。総じて彼らのことを【嗅覚】が鋭いと称するのだが。

 駆の場合、もはや鋭いと言える次元を超えている。多少狭かろうがピンポイントで淡々と、弾かれるボールを追い込んでいく姿には恐怖すら覚える。

 

 前半最初の1対1の時にも似た緊張感をベルナルディが感じている───のとは対照的に、レオは疑問の表情で駆を見ていた。

 

 

(妙だな、反応が()()

 

 

 そう。それはプレシーズンのレアル・マドリードに練習参加した選手だけが感じ取れる違和感。

 

 

(マドリーの練習参加最終日の時に、駆は毎回『セカンドボールを待つ』位置取りが出来ていた筈だ。あんな風に追い掛ける必要はなかった筈)

 

 

 ストライカー独自の【嗅覚】と呼ばれる感覚を、レオは理解出来ない。だから感覚が鈍ったのだと言われればそういうものだと納得してしまいそうになるが、それは違うとアスリートとしての勘が囁いている。

 何か明確な意図を持って行っている。その意図とは何か。

 

 

(リッキーの猶予を僅かでも無くす為? 可能性は高い。ここまで割り切ったマンマークを相手にするなら“待つ”よりも“追い掛ける”という選択の方がギリギリの駆け引きを演じる事が出来る)

 

 

 駆へと向けていた視線を瞬きすると同時に横へと移動させ、後半頭から入ってきた鎌学の1年FWへと注目した。

 

 

(或いは、()()()()……)

 

 

 蝦夷 巧。この後半の間は殆ど目立っておらず、シュートは1回。それもキーパーにキャッチングされたボールだ。

 特筆すべき部分があるとすれば、駆がボールを拾った時のフォローが早かった事。駆自身がシュートを撃てずとも鎌学がキープ出来るようにそういう目的で投入された、と解釈するのが普通だろうが。

 

 

(確証はないが可能性は極めて高い。駆ならやるという確信もある)

「ハル、蝦夷(21番)を注意して貰えるかイ?」

「アレをか? 確かにあのチームでやれる実力はあるみたいだが、どう見ても一番重要なシュートが発展途上の未熟なFWだぞ? つかそもそも、俺は中央の守備は……」

「君の海外で培った危機感知能力を当てにしたい。リッキーは駆に振り回されてるからネ。それに、ああいうタイプ───()()()()()()には、警戒をしていくに越した事はない筈サ」

「……? ああ、取り敢えず了解した」

 

 

 「傑の弟とあの21番が似てる? 別物にしか見えないが?」と完全に顔が訴えていたが、それを言葉にする事はなく了承。

 レオはコクリと頷き、再び駆へと視線を向けた。

 

 

(懸念点があるとすれば、交代のタイミングで駆と佐伯が話し合っていた内容。一番ミドルレンジの決定力が高い筈の佐伯が何故か撃ちに来ないこと。この二つか)

 

 

 さてどのタイミングで仕掛けてくるか。残り時間はアディショナルタイムを含めても10分とない。

 このまま終わるか? 終わる訳ないよな? と、レオは眼をギラつかせながら()()()()が来るのを見据えていた。

 

 そして───その瞬間は、訪れる。

 後半43分。再びボールは蹴学ペナルティエリア付近。右WBの早瀬がミドルシュートを放つ。

 斜め辺りからファーサイドへのストレート気味のボール。ややコースは甘めだ。

 

 何度迎えたか分からない展開。この後を選手含め殆ど全ての観客が明確にイメージする。『弾かれてセカンドボールを拾う』という流れ。

 この瞬間はあまりにも異様な光景だった。

 本来ならピッチ上で何よりも注目が集まる筈のボールよりも、一個人の動き、逢沢 駆へと視線が集まっていたからだ。確かに有名選手ならば一挙手一投足を観察される事は珍しくないが、今回の場合は「あまりにもセカンドボールを拾うからどの様な動きをしているのか」という試合中の興味から連なるものだ。

 

 ピッチ上の選手からの視線も、観客の視線も、ボールより集めた───その刹那。

 こぼれ球は彼とは違う方向へと転がっていた。

 視界に収めやすかった観客はそれに直ぐに気付き、ピッチ上にいた選手は遅れて気付く。

 

 こぼれ球の先には、蝦夷が居た。

 その瞬間、駆の動きに理解を得た僅かな人達が高揚と共に震える。

 大半は「駆が反応できなかったボールが別の選手のところに転がった」という認識の域を出ないだろうが、駆の【嗅覚】を深く知る人物は違う。今のは意図的に【嗅覚】の示す方向とは別へと移動したのだと。

 

 なぜそんな事をしたのか。

 それはフィールド上にもう1人、彼と同種の【嗅覚】を待つストライカーが居たからだ。

 本来ならこの独特な【嗅覚】を待つストライカーが2人存在すると位置取り(ポジショニング)の被りが無駄に発生してしまう。だが磨かれた【嗅覚】により駆が一足先にそこを感じ取る事で、蝦夷の存在をブラインド出来る。

 そして、いざという瞬間に蝦夷の【嗅覚】を発揮させる。これが本来不可能な共存を成立させていた。

 

 

同世代最高峰(駆くん)が作り出したチャンス───)

 

 

 外に流れるボールを、駆に釣られ空いた中にワンタッチで寄せ、慣性のまま助走を作り出してシュート体勢を整える。

 

 

(絶対に決める……ッ!)

 

 

 キーパーの体勢が不十分な内に、重心の逆方向へと向けて右脚が振るわれる。

 しかし、この流れを読めていた人も、極僅かではあるが存在していた。

 

 まずはセブン。彼女はそもそも駆本人から、磨かれた【嗅覚】の使い方の一つとしてこれを知らされていた。故に蝦夷が出て来た時点でこの流れの予見は出来ている。

 次に傑。彼の場合は駆から聞かされた訳ではないが、駆の磨かれた【嗅覚】を目の当たりにしてから一つの可能性として考慮していた。

 

 そして当然、それは同じレアル・マドリーの練習を経験したレオも同じだ。

 

 

「……ッ!」

「な、……ぁ」

 

 

 彼により指示を受けていた四季が、そのシュートを阻んだ。ここまで守備に戻る事がなかった四季のディフェンスブロックは完全に意識外。

 弾かれ、明らかに枠外へと逸れていく。蝦夷の表情には悔しさが滲み始めた。

 

 

(千載一遇の、チャンスを……っ)

 

 

 同世代最高峰のFWが、自らの動きを囮に作り出した絶好のシュートチャンス。トラップしなければ打ち抜けたのでは。いやそもそも四季がブロックに来ないと首振りを怠ったのが。

 そうやって自罰的な思考を重ねると同時に閉じかけていく───……視界に、一人の背中が飛び込んでくる。

 

 

「───ッ!」

 

 

 一瞬の迷いもなくボール目掛けて駆けていく、駆の背中だ。別方向へと弾かれたボールに釣られて視線と重心を奪われたベルナルディの一瞬の隙を突き、彼を引き離してボールを追いかけている。

 ほんの僅か、駆と蝦夷の視線が交差する。

 意図の含んだアイコンタクトではなかった。

 しかしその瞳が、突き進んでいく背中が、後半開始前の言葉を思い出させる。

 

 ─── 誰よりも点を奪える位置に居て、チームを勝利に導く為の責任を負うポジションだから……

 

 

(最後の、1秒まで)

 

 

 ───諦めないために。

 

 

(ストライカーとしての、責任を!)

 

 

 力なく閉じ掛けていた眼は瞬きへと変わり鋭く開かれる。止まりかけた脚をピッチに踏み締め、本能の赴くままに身体を動かした。

 

 

 ベルナルディを引き離す事に成功した駆だったが、残念ながらフリーで動く事はできていない。レオがしっかりと彼を見据え、追い込む形で追走していた。

 そもそも何故、蝦夷が打ってくることを読んだレオが直接止めに掛からなかったのか。敢えて四季にブロックさせる事で意識外を突くというのも間違ってはいないが、それ以上に『その後』を警戒したからだ。

 

 即ち、駆がベルナルディを振り切って、四季の弾いたボールを狙いに来る可能性。

 こればっかりはベルナルディを責める事は出来ない。アレだけ集中した状態で絶体絶命のピンチを把握してしまえば意識が逸れてしまうだろう。集中を欠くからと伝えなかったレオにも責任がある。故にフォローはレオ自身が行う。

 

 位置はペナルティエリア内、ボックスの僅かに外。左側のゴールライン1メートル手前。

 軸裏を通すトラップで身体を中に向けながらボールを足下に置くが、シュートコースはレオが完全に閉じている。

 

 

U-17世界大会(あのとき)と同じヘマはしない。君が打つという確信の上で駆け引きに応じる)

 

 

 このペナルティエリアという領域の中で、逢沢 駆を相手に油断は命取り。この瞬間だけは傑をも凌ぐ脅威であるとレオは断定し、過去最高クラスの集中力で止めに掛かる。

 元々殆ど角度がない位置の上、ここまで詰め寄られると駆が決められる確率は絶無に等しい。下手なボールキープは手の使えるキーパーに寄らせる結果となるだろうし、何よりレオを相手に半端な選択は狩られるだけ。

 

 

(打ってこい、日本の怪物。今度こそ君を止め───)

 

 

 駆を止めるという点に於いて、レオナルド・シルバはこれ以上ない完璧なディフェンスをしていた。もし駆が自らの得点を急いて打てば止められただろう。焦りがなくとも、この場面で打つ以外の選択をするFWはそう多くない。

 たが一つ、レオは見誤っていた事がある。

 それは、プロが既定路線と化した相手であれば抱いても仕方のない考えではあるのだが───駆は別に、この選手権を()()()()()()()()()()とは思っていないのだ。

 

 駆は鎌学の事が好きだし、このチームで優勝する事は夢の一つだとも思っている。だから自分の為だけの行動を、こんな場面で行う筈がない。

 

 

「は……」

 

 

 ホイップキックでコースが変動し、チョップキックによって蹴られたボールは、驚くほどあっさりとレオの横を抜けていく。

 その軌道は、明らかにゴールへと向かうものではなかった。

 

 だとしてもこの間合いでレオがみすみす見逃すはずが無い。実際驚愕こそ見せていたが、反射的に脚を伸ばしボールを拒もうとはしたのが窺える。

 だが───地に着けていた軸脚が、まるで滑ったかの様に崩れている。否。()()ではなく、事実滑ったのだ。それが反射的に伸ばした脚の伸ばしを急停止させ、ボールに触れる事を叶えなかった。

 

 

「っ───……」

 

 

 そんな光景をマイナス気味の位置から見ていた佐伯は、選手交代のタイミングで話した駆との会話を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「シルバが雪に慣れていない?」

「うん」

 

 

 まあ僕らも特別慣れてる訳じゃないけどね、と。そう苦笑気味に付け加えつつ、駆は言葉を紡いだ。

 

 

「僕らとは違ってレオは雪の降らない地域で育って来たから、雪に対して正しい警戒を抱けないんだ。だからいざって時に、雪による感覚の相違を誘発したい」

「……それで『反射的な行動をさせないプレー』って事か」

「ドリブル突破の時は余裕を持たせて、ディフェンス時には出来るだけレオ自身にはブロックをさせないように。……あーでも、ぶっちゃけ祐介のミドルシュートならそのまま入る可能性も高いし、狙い目だと判断したら拘る必要はないんだけど」

「いや、どうせなら徹底的にやろう」

 

 

 佐伯は意地悪そうに笑い、前半のレオの行動を思い出して呟く。

 

 

「それ自体には大して意味のない行動でも、多少なりとも迷ってくれるなら有難い話だ」

「……祐介って結構執念深いよね?」

「敗北をそのままにしておくつもりはないと言ってくれ」

「負けず嫌いめ」

「そりゃお互い様だ」

 

 

 

 

 

 

(あいつ、ホントにどこまで───ッ!)

 

 

 試合終盤の局面で、お互いに極限まで高まった集中力による駆け引き。

 そんな状態で意識の外にあった『雪のピッチ』という環境による滑り(スリップ)。重心の逆を突くパスと組み合わせれば突き刺さるのは必然とも言える。

 一体どこまで想定しているのか。一瞬の駆け引きの為だけにここまで溜め込む我慢強さと勝負勘の良さに、佐伯は戦慄の笑みを溢す。

 

 

(───だが! そのコースはゴールから逸れている! 受け取れる味方も居ない! そもそも君は()()()()()()()()()()()()だろ!?)

 

 

 この駆け引きで駆の仕組んだ事にレオは気付いた。想定外の方向へのキックと滑り(スリップ)が同時に起こったのだから、そこに“意図”があるというのは明白だ。

 しかし、ボールの軌道のシミュレート、事前把握している各選手のポジショニング、駆の行動。レオの虚を突く事こそ成功したと言えるが、これではゴールという結果を生み出せない。

 

 どういうつもりだ、と。浮いたボールを視線で追うと同時に、駆の声が耳を刺した。

 

 

「見る必要なんてない」

 

 

 それは、レオが内心で感じた疑問への答え。

 考えを見抜かれたのか、或いはただの独白か───

 

 

「だって僕ならそこに居る」

 

 

 いずれにせよ、その声音は確信を感じさせる。

 ストライカー故の、絶対的な自負を。

 

 

「だから、()()()

 

 

 レオの視界に映ったのは、蝦夷 巧。

 大外、逆側のボックス外から駆け込んでくる少年の姿に、レオは思わず瞠目する。

 

 

(───馬鹿なっ、アレで折れずに……ッ!?)

 

 

 そう。四季によってブロックが成された時点で、脚が止まっているだろうと思われていた存在。

 見通しが甘いという勿れ。同世代最高峰の背中を追い続け、そんな彼をも囮にした千載一遇のチャンスを()()というのはそれだけの重みがある。

 全国大会初出場の1年生が本来耐えられる様なものではなく、経験を積み重ねる事でしかこのメンタルは鍛える事が出来ない。

 

 明らかにその点は未熟だったし、直前までは間違いなく折れかけていた筈だ。

 故にこそレオは驚愕を溢し、続いて悔しげな笑みで納得のいく理由を浮かべた。

 

 

(これだから、ストライカーという人種は……!)

 

 

 強烈弾とか、スーペルゴラッソなどと言われる様な派手にネットを揺らす様なシュートではない。ただ、ガラ空きの目前に押し込むだけのゴール。

 されど、劇的な同点弾。

 ───瞬間、沸き上がる会場。

 

 

『ゴール! ゴールゴールゴール、鎌学のゴール! なんてこった、なんという勝負強さ! 後半ロスタイムに差し掛かろうかというこのタイミングで劇的同点弾!』

 

 

 会場が揺れていると錯覚してしまう。

 平衡感覚を保てないのは本当に会場が揺れてるからだろうか。極度の興奮が脳を刺激しているからだろうか。バランスが保てるかも分からない感覚の中で、走り出したくなるこの衝動をどうすればいいのだろう。

 

 

『采配的中! 決めたのは何と、今大会初出場1年生FWの蝦夷 巧! やってくれたぜコンチクショウ?!』

 

 

 鎌学応援席から感じる「よくやってくれた」という視線。蹴学応援席から感じる「やってくれたな」という視線。

 どちらのサポーターでもない観客からの純粋な賞賛を、独り占めしている。

 

 

「〜〜〜〜〜ッ」

 

 

 ムズムズと体の内から湧き上がってくる感覚。鳥肌を立たせ、これが緊張か興奮かも理解出来ない間に、気付けば蝦夷は雄叫びを上げていた。

 

 

「っしゃあああ───!!」

 

 

 その雄叫びを皮切りに、鎌学選手達は彼に飛びつき始める。ここ一番の盛り上がりを掻っ攫って行った1年に、多大な賞賛を与える。

 そんなチームメイト達を見つめながら、駆は小さくガッツポーズを残し、笑みを溢す。

 

 

(来シーズンは僕も祐介も居ない。そんな鎌学に少しでも何かを残せたのなら……)

 

 

 今後、鎌学が全国大会で優勝出来るほどのメンバーを揃えられる機会はそう多くないだろう。今までの実績から期待の新入生が来る事を望む以外では、きっと難しいだろうと思う。

 このシュートは駆が打っても良かった。でも、少しでも置き土産となれるモノを残すために。新しいストライカーの誕生が、鎌学を引っ張ってくれる事を願い、あの場面でパスを選択した。自分の言葉を愚直に信じてくれるなら、脚を止めていない筈だと思ったから。

 

 

「やられたヨ、駆。どこまでが君の想定通りなんだイ?」

「……想定通りなんて大袈裟なモノじゃないよ。僕はゲームメイカーじゃないし、行動の予知能力なんて祐介や兄ちゃんには及ばない」

 

 

 ただ、と。エリア内、ボックスの線の上に乗っかる雪を脚でどかしつつ、白い息一つ溢して鎌学のチームメイトに向けて微笑む。

 

 

「刺されば良いなって思った要素が、たまたま重なってより効果的になった。レオのU-17戦ゴール(トラウマ)への強い意識と、僕の大会への心持ちが噛み合わなかったが故の読み違い。本当に、それだけだよ」

「……そうカ。高校生にとってここは、夢の舞台なんだナ」

 

 

 特別招集選手(スペシャリスト)として、エンターテイメントの認識で一大会限りの出場という形を取ったレオではそこに理解が及ばなかったのだろう。

 恐らく傑が選手権に出ずプロ契約に至ったことも原因の一つだとは思われるが。

 

 

「後半での決着は、難しそうかな……」

「かもネ。けど僕ら選手は、ただこの試合に全身全霊を賭すだけだヨ」

「うん。お互いが全力を出し尽くしたのなら、恨みっこ無しだ」

 

 

 二人の想定通り、後半の間に決着となる事は無かった。

 リスタート時点でアディショナルタイム含めても残り4分のみだったし、お互いポゼッション寄りのチーム。一度の攻撃に掛ける時間が長いからチャンスは多く無かった。

 舞台は延長線へ。

 

 延長前半の早い段階で脚を攣ったリカルド・ベルナルディが負傷交代という形で離脱した影響もあってか、鎌学の───駆を中心とした攻撃が活性化。

 レオがDFラインまで下がり駆のマンマークに代わる事で決定的なシーンこそ防ぐ事に成功していたが、今まで彼によって抑えられていた佐伯がここに来て躍動。ポゼッションの流動性が段違いに高まり、鎌学が優勢になるシーンが多々目立つ。

 

 結果的にスコアは動かなかったが、このままでは決められると踏んだ蹴学は延長後半から四季と風巻をWBの位置まで下げる。ジェンパだけはカウンターに備えて前線に置いているが、彼も前めの位置で守備に走っているのでほぼ全員守備の体制と言ってもいいだろう。

 支配率の軍配こそ鎌学に上がったが、延長前と同様に攻めきれない状態に至る。

 

 1対1から試合が動く事は無かった。

 そのまま延長後半終了まで試合は続き、やがて笛が鳴る。

 90分間の試合、そして20分間の延長戦でも決着となる事はなかった。

 観客からしても不完全燃焼の部分はあるだろうが、決着はPK戦へ。

 

 

 そして─────

 

 

 

 

 

 

*1
単行本19巻、葉蔭3点目の後の煽り





 オリンピックの招集を忘れてたので少し予定より本編終了が長引きそうです
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