一応の補足ですが、メッシをモデルにした選手は今作のバルサに在籍していません。2015年代となるとまだ所属している時代ですが、今作でのクリロナやメッシは既にレジェンド扱いである事を頭の隅に入れてくれると助かります。
スペインに生まれ、サッカーをする者であれば、その多くに刻まれているバルセロナの遺伝子。この国で究極のポゼッションサッカーを、そう称する。
正確でリズムのあるパスワークである為、それを想起させる『時計の秒針の音』を語源とした名称だ。
同じスペイン内であっても、バルセロナと他のチームではポゼッションの質は大幅に変わる。例えスペインのビッグクラブの一つであるレアル・マドリードと比べても、だ。
その理由は、バルセロナの登録選手の多くが
創設100年を超える歴史で積み上げられたポゼッションサッカー。週末の昼から夜の間にテレビで流れる最高峰のクラブの試合を観れるからこそ、スペイン国内の“理想”が子供達にも刻まれる。
下部組織での
勝利を義務付けられ、卓越した技量を持つ。
まさしくトップクラブの一角。
(これが、バルセロナ)
一人一人が当たり前のように剥がせるドリブル能力を有している。ワンタッチであろうと精密な位置へと渡している。全員に高い足下の技術があるからこそ、チーム全体のビジョンが鮮明。
サッカーが上手い、身体能力が高い、だけでは成り立たない。【バルセロナ】だからこそ成立する、組織的な強さ。
まるで経由されたパスコースが線として浮き上がる様な美しいポゼッション。その芸術的なまでのパスワークをピッチ内で目の当たりにして、駆は目を輝かせた。
(……気色悪い)
そんな駆をマークするバルセロナのディフェンダーは、内心でそう吐き捨てる。
バルセロナの完成されたティキタカを目の当たりにした若手であれば、腰が引ける思いを抱く。プロになれるレベルまでサッカーを知っている人間であればある程に、そのレベルの高さを理解出来るからだ。
或いはレアル・マドリードとしての想いが強ければ、スペインの“理想”を体現するバルセロナに相応の敵意を持つだろう。
だが駆はどちらでもなく、笑顔を浮かべていた。
まるで憧れの光景を目に焼き付ける子供の様な、そんな表情。
エル・クラシコという舞台にあまりにも不相応な感情を抱く存在には気味の悪さを感じる。
(映像見た感じ、技術も身体もマドリーでやれるタイプには思えないんだがな)
スっ、とそれる視線。
ピッチ全体を見渡す為の視野の確保。
バルセロナのパスワークに翻弄されず上手く対応するレアル・マドリードのカウンターチャンスを横目に感じ取った後の当然の行動。
だが。
(あ───イける)
それは最も近くにいる駆からすると、“余裕”ではなく“油断”であると断定できる程に、
外れた視野の内に収まらない様に動く。戻りつつある視線に入らない様に、素早く。
(刺せる……ッ)
中盤での嵌めが上手く作用し、直線上のスリーズにパスが渡る。
そして、トラップに使った左脚をそのまま軸に、右脚を振り被った。
「『───ッ!? 18番!』」
駆の背負う背番号を叫ぶ声。
それが他DFの耳に届く頃にはスリーズのパスが放たれており、駆の裏抜けは成功していた。
揺れるカンプノウ。
試合開始3分で訪れるレアル・マドリードのビッグチャンスに、怒号と悲鳴が響き渡る。
観客が与える圧への動揺は既に無く、駆は完璧なファーストタッチでキーパーとの1対1を迎えた。
(っ、うわ、寄せはや)
エリア付近───つまりはエリア外であり、キーパーの1番の強みである“手”が使えない位置だが、バルセロナのキーパーは躊躇いなく駆へと詰め寄っている。
元々バルセロナのポゼッションスタイルがキーパーを交えているものであるが故に、比較的高めの位置取りであった事も、寄せの速さに関係しているだろう。
手が使えないとしても、距離感が近い程にシュートコースは狭まっていく。駆はシュート体勢に入り込んだ。
素早い寄せは相手に焦りを生ませる。完璧なファーストタッチだったが、背後を確認せずにシュート体勢になる駆を見て、キーパーは一息。勢いに乗って躱されるのがキーパーにとって一番厄介だったため、一先ずの駆け引きに勝ったと言えるだろう。速度が落ちればキックフェイントでも反応出来る。
(でも、駆け引きなんて関係ない)
最序盤で決定機阻止のハンドでレッドカードだけは論外だと後ろに手を回しながら頭で戒め、駆の脚をジッと見る。
若気の至りか、大きく振り被っている。例えフェイントでもその後のボールコントロールは乱れる。
情報処理は完璧。状況判断を終え、駆の軸足の先を捉え、重心をその方向へ。
───瞬間、振り被った脚が鞭の様にしなる光景を前に目を剥く。キーパーとしての経験則がその先を予知したが、重心は既に動かせない状態。
キーパーの動きとは逆の方向を突いたシュートがストレートに放たれ、ネットを揺らした。
「……! よ───」
腕を振り上げ、強く拳を握る。
否、握ろうとして。
ピピピッ───と、短い3度の笛が鳴り響く。
手のひらが開かれた半端な状態で動きが静止し、視線が笛の発生源へと向けられる。
視線の先には主審。右腕を真っ直ぐに上げ、左手の先を駆が裏抜けした場所へと向けていた。
ラインズマンを務める副審もそのライン上でフラッグを上げている。つまり。
(……オフサイド?)
ゴールの判定にはならず、駆のオフサイドによりその地点から再開しろという主審の判断に他ならない。
ゲームコントロールを義務付けられている主審の判断だ。従う他はないのだが───
『いやぁ、惜しいシーンでした』
『逢沢 駆のラ・リーガ初得点がなんとエル・クラシコ! と、一瞬盛り上がりましたが……判定はオフサイドでしたね』
『完璧な抜け出しに見えたんですがねー』
場所は移り変わり、実況席。
大抵の場合は日本に滞在しながら映像越しに声を当てるのが海外サッカーを実況する時の基本だが、日本人選手のベンチ入りが確定していたエル・クラシコというのもあり、今回は現地観戦での実況を行なっている。
『あ、リプレイ流れますね。……? これ、は……』
『……超えてますか? これ』
『いやー、自分の眼では超えてる様には見えませんね。現在検討中の半自動オフサイドテクノロジーはまだ欧州リーグで実施されていませんから、断言は出来ませんが』
『
『テクニカルエリア*1からはオフサイドに見えなかったでしょうからね。日本人贔屓な発言になりますが、駆くんも気落ちせずに頑張って貰いたいです』
フィールドの流れが分かりやすい様にと、実況席には専用の映像媒体が存在する。
そこに流れている直前のプレー映像がスローモーションで流れたのだが、駆の動きはオフサイドと言えるものではなかった。
リアルタイムでは言われてみるとオフサイドだったか? と思える位置取りではあったが、スローモーションで見ればそれほど際どくもない。監督が抗議の声を上げるのも当然と言えるだろう。
(今のでオフサイドか……)
裏抜けに成功した駆としても、先の動きはギリギリの駆け引きをしたつもりはない。これで取られたらカウンターなど出来ないではないか、と内心では思っている。
ただ、自身より明らかにヒートアップしているチームメイトや監督の姿を見て冷静になっていた。
それに加え。
(このカンプノウの圧を受けるのは選手だけじゃない。毅然と公平に対応すべきなのが主審という立場の役割だけど……実際にこの場に立ってみると、難しいっていうのも理解出来ちゃうんだよなぁ)
だがエル・クラシコという舞台はラ・リーガのどの試合よりも緊迫しており、観客の9割がバルセロナサポーターで埋め尽くされるカンプノウでは殊更に圧力を感じるだろう。
下手にバルセロナを追い詰めればサポーターがどう動くか分かったものではない。命を脅かす恐れすらもある。所帯を持っていれば家族に危険が及ぶかもしれない。
過激と思われるだろうが、そういった可能性を感じさせるサポーターもいるのが海外だ。
感覚で左右されてしまう様な場面は全自動で判別してくれるシステムの導入を待つしかない───と、そこまで思考して試合から意識が外れかけていることに気付く。
主審に怒号を上げイエローカードを提示されているギダンの様子を見て、まだリスタートまでには時間が掛かりそうだと判断し、スリーズへと近付いた。
「『カウンターの時はサイドからが良さそうです』」
「『そうだね。あのハイラインのポゼッションでオフサイドに掛かると高めの位置からスタートさせてしまう。裏抜けを狙うにしてもこちらがある程度バルセロナ陣地を支配している時の方が良いだろう』」
「『ミドルも積極的に狙ってください。今のが得点になれば
「『……はは、思っていたよりも遥かに冷静だね。オーケー、君を強く主張してあげよう』」
1点勝負になる可能性が高ければ駆をボールに絡めず、いざという瞬間まで存在感を薄めさせるのを採用しただろう。
だがここはカンプ・ノウ。バルセロナを相手に1点勝負は甘い見通しだ。ならば目立つ手段を取り続けた方が良いと、二人は判断した。
口元を隠した会話。声量も小さく周囲には聞こえていない。
それでもその様子だけで読み取れる事もある。
まんまと駆を裏抜けさせてしまったバルセロナDFは苛立ちの表情を浮かべつつ、思考を進めた。
(前2試合とは全く動きが違う。コンディションの問題じゃなく意図的だとすれば、あの2試合は油断を誘う為に手を抜いてた? ……エル・クラシコで勝つ為って言っても限度があるだろ。なんつー執念。それを実行するだけの信頼も奴は得ている訳だ)
一度、深い呼吸。
目を瞑って冷静に対処法を考えた。
(オフサイドとは思ってなかっただろうし、テラ*2も本気で止めに掛かった筈。決定力もバカに出来ないな。油断すれば一気にやられる。ただ、ああいうタイプにマンマークは利用されかねない……とすれば)
結論を出し、リスタートする前に守備の統率のためDF陣へと声を掛けに行く。
レアル・マドリードの秘策───つまりは警戒の薄かった駆による開始直ぐの得点はオフサイドにより取り消されスコアを動かさなかった。
これにより2試合を使って得ていたアドバンテージの多くが消えたと言っていい。
警戒の薄さから駆個人の情報はそれほど入ってない部分を考えると、決して無駄になった訳ではない。
しかし奇襲は失敗。
前半4分からが事実上のキックオフ。
リスタートのボールが、蹴り出された。
「……ッ」
ピッ、と。鋭く笛が鳴る。
今度はオフサイドではなく、駆が倒されたことによるファールへの笛だ。
前半26分。得点は動かずスコアレス。支配率は59%でバルセロナの方が上回っているが、チャンスはレアル・マドリードの方が多いという記録。
エリア内で2度のセカンドボールを拾う。3度の裏抜けに成功し、内2回をファールで止められる。前半26分までの5度のチャンスを駆は作り出していた。
結果として拾ったセカンドボールは打つ前にバルセロナDFに弾かれ、裏抜け成功による動きはパスが強く流れてしまい追いつかずにラインを割った。
ファールによって得たFKはキーパーのスーパーセーブにより止められた訳だが、連続してチャンスを生み出す駆の動きに、段々と注目が集まっていく。
最初のオフサイドの取り消しによる気落ちは無く、躍動するアジア人の若手に、現地では少ないレアル・マドリードのサポーターは期待を募らせていた。
(通じてる……通じてる、間違いなく。けど───)
逢沢 駆という、スペイン内ではまだ浸透していない未知の存在は、紛れもなく“脅威”と呼んで良い存在だった。
オフ・ザ・ボールの質はレアル・マドリード内でも随一で、その動きはバルセロナにギリギリの勝負を強いる事に成功している。
想定通りであり確かな手応えはある。しかし同時に、これではダメだと自身に厳しく言い聞かす。
自分を倒してきたバルセロナDFの手を借りて起き上がりつつ、思考を進めた。
(ギリギリの勝負の経験値は、間違いなく彼らの方が上だ。通じてる、だけじゃ得点を奪えるかは定かじゃない)
焦りはあるだろう。確実な決定機と言える程ではなくとも何度かチャンスを逃しているのは事実で、ストライカーとしての責任感が浮かんでる。
だが判断自体は冷静だ。自身の実力を考えればラ・リーガのトップレベルDFを相手にギリギリの勝負へと持ち込んだところで制される可能性の方が高い。
ましてやここはカンプ・ノウ。どれだけチャンスを創り出そうとも、防がれ続けるのであれば勢いに乗るのはバルセロナだ。
後半からの修正も加味すると、前半の間にリードしておいた方が良いのは間違いなき判断だ。
駆が勝るにはギリギリの勝負に持ち込ませずゴールを奪う他はない。
(マンマークならやりようがあるんだけど……動きが組織的なんだよね。なんでこれでセカンドボールへの反応があそこまで早いんだろ。幾ら身体能力が高くても、ゾーンディフェンスじゃ限界がある筈……)
たまたまセカンドボールの転がる位置が近かった、だけでは説明がつかない。何故ならこの時間に至るまでの二度のこぼれ球によるチャンスの内の一つは、明らかに駆に分があったからだ。
ダイレクトで打てたボール。駆が把握していた限りでは誰も追いつけないタイミングだったが、SBが滑り込んで完璧なブロックをしてきた。
駆だけを注視していればそれを利用して周囲の動きを良くする事が出来るが、バルセロナはそうではない。組織的な動きの一環で駆を封じる事に成功している。
「『カケル』」
「『ラトスさん……?』」
相手陣地でのFKだ。身長の高いCBが合わせる為に上がるのは定石通りと言える。
だがわざわざ自身に話しかけてくる様子に疑問を覚え、駆はどうしたのかと首を微かに傾げた。
「『バルセロナのティキタカを支える要素は何だと思う?』」
「『……全員が優れた足下を有している事と、思い描く光景を共有出来ている事ですよね』」
「『ああ。だがそれは、ティキタカだけに使われる訳ではない』」
「……!」
「『言いたい事は分かるな? このFKは多少露骨でも良い。一度流して視てみろ。お前自身の眼で、嗅覚で、核心を突け』」
そこまで言い終えると、ラトスは振り返る素振りもなくエリア付近へと足を進める。
位置争いで身体をぶつけ主審から注意されている彼の様子を目の端に捉えながら、駆もポジションを整える。
(露骨でも良い、か)
駆は体格に恵まれている訳ではないが、普段であれば他選手と同様に纏まった位置へポジショニングする。落下地点の先読みで、競り合わずともダイレクトで打てる可能性が充分にあるからだ。
だが今回のFKでは、他選手とは離れた位置に立っていた。空いたスペースで、「セカンドボールを狙います」と強く主張する様に。
サッカーコートの広さでマンツーマンディフェンスはリスクでしかないが、セットプレーの時は話が別だ。CBを含めキーパー以外の殆どが密集しているこの状態では、しっかりと人数を掛けないと誰かしらをフリーにしてしまう。
当然、離れた位置に移動した駆にも対応するDFがいる。
(……今感じてる視線はマークに付いてるこの人からのだ。けど考えが正しければ、絶対に外れる瞬間がある。その瞬間の周囲の状況を感じ取れ)
キッカーのスリーズが助走に入る。ゴールまでの距離は40メートル以上、コートの右寄りの位置。直接は狙えない。
無意識に染みついたゴールを奪う為のオフ・ザ・ボールが駆を動かすが、意識は完全に周囲へと向いている。
「────」
自身をマークする選手からの視線が切れた。その確信を得ると同時に他選手へと視線を移す。
己の感覚を信じ、僅かながらに感じる視線の元へ。
競り合いの中で放たれた柔めのシュートをキーパーが弾く。
呼吸を繰り返して息を整えながら、駆はラトスの発言から予想した事に確証を得て、思わず苦笑を溢した。
(信じられないけど……間違いない。映像越しじゃ絶対に分からない、自分で体感して初めて考えに至った。この人たち、ゾーンディフェンスとマンマークを
厳密に言えばマンマークと言える訳ではないが───そんな思考を挟みながら、至った確信を頭の中で反芻する。
(僕から視線を外したDFは他の選手、或いはマドリー全体のポジショニングに視野を広げている。その間は他のDFが僕がいる位置。
故に、先ほど視線を外したバルセロナのDFが駆の動きを止める事が出来た。
他DFがクリアする為の動きから、駆の位置を予知する事で。
DF4人による絶え間ない修正。思い描く光景を共有出来るバルセロナというチームだからこそ、マンマークに近い警戒とゾーンディフェンスを両立させる事が出来る。
ゴールまでの過程を見られがちなポゼッションサッカーだが、それを支える根底の力はディフェンスにも大きく作用する。
(でも、お陰で理解した。バルセロナの突ける部分)
直前までCBが相手陣地のエリア内にまで上がっていたこともあり、レアル・マドリードはスローインを投げるまでに時間を掛けている。
ボールがピッチに入る前に思考を完結させた駆は、バルセロナの最終ライン際で待ち構えた。
「『おいおい、またオフサイドで間抜け面を晒すつもりか?』」
「『どうだろう? 実は主審は狸で、今度はこっち寄りの判定になるかもね』」
軽い挑発。効くとは思っていないが、駆は軽く言い返す。
アジア人は欧州から舐められがち、スペイン語を問題なく扱えるというアピールは必要だ。舌戦を望むのならば受けて立つのが、今の駆のスタンス。
いざという瞬間まで、バルセロナのDFの意識を可能な限り自身に集めていた。
そして前半37分───その瞬間は訪れる。
サイドからの崩しで巧みにペナルティエリア横まで侵入し、マイナス方向へのグラウンダーパスがスリーズに渡される。
エリアの僅か外。ダイレクトでの振り被り。ブロッカーによりコースは制限されているが、スリーズは威力重視でシュートを放つ。
瞬時に感じ取る、ボールの最終地点。
誰もいないスペースに転がるだろうと把握した駆は、即座に視線を自身に警戒を向けているDFへと移す。
(……ギダン監督がどこまで見通していたかは分からないけど、磨かれた【嗅覚】のお陰でこの瞬間に余裕が出来た)
1年前、レアル・マドリードの練習に参加するまでの駆の“嗅覚”も独特な感性故の強みはあった。それこそスペイン1部リーグ、ラ・リーガという舞台でも充分に通用すると、このレベルで選手として経験を重ねたギダンが断言する程に。
しかしバルセロナや強豪と呼べるレベルの高いクラブであれば、そういった
今までのボールに導かれるがまま、本能に従い動き続けていた駆では、これだけの強さを魅せるバルセロナに心を擦り減らしながらギリギリの駆け引きを演じるしかなかっただろう。
偶然得点を奪うことは出来るかもしれない。だが偶然では駆は満足出来ない。奪うべくして奪う得点。そこに挑戦する資格を、今の駆は有していた。
最終地点へと導かれるどころか、
(今、視線を感じるこのタイミング───僕は
駆の“嗅覚”が示すボールの最終地点へと動こうとする身体を縛りつけ、重心をその逆方向へと向ける。
優れたDFは選手の身体の向き、重心の位置から対象の選手の次の行動を瞬時に予測出来る。バルセロナのDFは全員がそれで、次の行動を共有している。
故に敢えて、視られている時は本能に逆らう。
先程の流しで駆は理解した。DFが行動の共有をする為に、駆から視線が外れる瞬間が明確に存在する。
“予知”で補完が可能な僅かな瞬間。しかし、その“予知”が外れていれば───
(混乱は避けられない)
視線が外れる。その瞬間、駆は左脚を深く沈めて“嗅覚”が示す方向へと加速し即座にトップスピードへと至る。
バルセロナのDFは駆が居るだろう位置に視線を向けるが、そこに駆の姿は無かった。
動揺が走る。広い視野から駆の位置を捉えるが、時は既に遅く。
エリア内、ゴールキックエリアの横。流れればコーナーになる様に弾かれたボール。
そこに、駆はフリーで走り込んでいた。
弾かれたボールの勢いはそこそこ。敢えて重心をズラして出だしを遅らせた事もあり整った体勢で打つ事は出来ないが、関係ない。
スリーズのミドルに対して横っ飛びで反応したキーパーは直ぐに立ち上がる事は叶わず、止める事が可能な範囲は腕や脚を伸ばせる範囲に限られている。
つまりこの場面で必要なのは勢いのあるシュートやコントロール重視のシュートではなく、逸早くゴールへとボールを向かわせる事。
駆はボールに向かって滑り込み、押し込んだ。
転がるボールはネットを柔く揺らす。
ゴールまでの一連の流れに
判定が覆る要素は一切ない、文句の無いゴール。
駆は確信と共に走り出す。
チームメイトに追い掛けられながら、目的の人物を探す。
ピッチに近い観客席。サイドライン側の最前列に居るだろう当たりをつけ、そして発見する。
試合前に言葉を交わしたエスコートキッズ。自身を応援してくれた子ども。
彼に向かって人差し指を立て、1点を示す。
宣言通り、この得点を彼へと捧げる。
興奮止まぬ様子で声を上げる少年を見て、駆は破顔した。
『止まらないっ、今日のこの人は止まらない! 紛れもなく今日の主役はこの人だ! 逢沢 駆はエル・クラシコでラ・リーガ初得点! 日本人選手が最高峰の舞台で輝きを魅せる!』
実況席からの賞賛は駆には届かない。彼らの放つ言葉は映像越しの人達に向けられたもの。公平さは完全に無くなっているが、それでも興奮冷めやまぬ様子で若き日本人選手を褒め称える。
一見すれば偶然奪えたこぼれ球の押し込み。だが彼を追い掛けてきた者ならば知っている。これは逢沢 駆が持つ独特な“嗅覚”が掴んだゴールだと。
その才能が世界最高峰にも通じる───それが、観る者の興奮を助長させた。
現地観客数は約10万人。それでさえ押し潰されそうなほどに圧力を感じるが、映像越しの人数はその比では無かった。
世界が注目するエル・クラシコという舞台は、配信時間にもよって多少の差異は出るものの、6億人に迫る程の視聴者が存在する。
そんな試合をアジア人の若手が動かした事で、多くの国のSNSのトレンドに逢沢 駆の名前が浮上した。それが更に観るものを呼び寄せ、今や6億5000万を超える人数に達する。
感じる筈のない視線。感じる筈のない圧、或いは喝采。
パフォーマンスを終えてリスタートのポジションに着いた駆は、それを感じ取った様に身体を震えさせる。今度は恐怖による震えではない。武者震いによる、昂りの震え。
達成感はまだない。この試合でやれる事はまだあると、研ぎ澄まされていく感覚が飢えを訴える。
(現段階だとアディショナルは2分くらい───僕に向かう警戒が少し増して───かなり絞ってるからサイドのスペースが空いた───)
増長はなく、過信は無く。
高まっていく集中がピッチ内の情報処理を加速させ、己の役割を判断させる。
レアル・マドリードがボールを奪うと同時に駆はサイドへと流れ、ロングボールを収めドリブルを開始する。
ドリブルで侵入するのは駆の領分ではないが、空いたスペースを活用して運ぶだけなら可能。バルセロナは中央に絞っているためサイドは手薄だ。カウンターで持ち運ぶ駆の姿を確認してレアル・マドリード全体がラインを引き上げる。
右サイドのアタッキングサード。駆はペースを落とし、相手SBと対峙した。
半端な動きは直ぐに反応してくる。この試合の中で駆のボールコントロール能力は把握されただろう。普通に考えれば突破は不可能だ。
(でも情報不足は間違いない。利用して仕掛ける)
フォローがいる今ならばリスクも少ない。突破を避けてきた今までとは違い、駆はドリブルを仕掛けた。
先程のゴールで調子に乗ったか、と、そう思わせる事で油断を誘う。
相手から離れる様にボールをサイドラインへと寄せ、上体を微かに逸らす。多少の接触は問題ないと判断した相手DFは脚を伸ばすが、それは餌。
開かれた脚の間。駆はそこに向けてボールを押し出す。バックスピンを掛けることで他DFのカバーを間に合わなくさせる、【iトリック】だ。
抜き去った後の大きなドリブルでエリア内まで侵入。ここでDFのカバーが入り駆の動きを減速させる。
モタモタすれば後ろから詰め寄られるだろう。しかしサイドからの侵入はゴールの幅を狭められ、DFの動きによりシュートコースは無くなっている。
中央を警戒した絞りでカウンターで上がってきた選手へのマークも完璧。駆が何かしらのアクションを起こさない限り、シュートもパスも弾かれるだけ。
駆が動く。
直裏ターンでカットインしてシュートコースを作る。その過程を確信させる重心の動き。
中をケアする───研ぎ澄まされていく感覚がそれを捉えた瞬間、駆は直裏で逆エラシコを行う。脚の親指で僅かに押し出した直後、接地部の反対側に脚を移動させ小指側で弾く。【φトリックR】だ。
世界的には無名の駆だ。彼の使う【φトリック】についての情報は無いだろうと事前にギダンから伝えられていた。
もちろん世界トップレベルのDFを相手に無謀な仕掛けでは例え初見であっても反応されるだろう。故にタイミングを見極め、今が絶好の機会だと判断。
失点の動揺。駆が若手であるからこそ得点によるイキがった衝動という認識。再び奪われてなるものかという手堅い選択。
それらの要素が交わる事で、駆はドリブル突破を成功させた。
とは言え、DFとの1対1を制した所で得点が確約される訳ではない。ゴールライン際への切り返し、ましてや失点による警戒はキーパーも同じ。
【φトリックR】による動作の大きさを読まれ、駆の行き先にはキーパーが詰め寄っていた。手を使えるキーパー相手を躱すのは難しい。打った所で良くてコーナー。ボールキープの余裕なんてなく、視野を広げられずに選択が限られている。
適当なパスはDFが弾ける様にマークを敷いており、この状況では精密なパスは出せない。キーパーの完璧な飛び出しによりこのチャンスがゴールに至る事はないと、レアル・マドリードを含めたピッチ内の選手が思考を過らせた。
───瞬間、選手・監督全ての頭を真っ白にする光景が目に映る。
ボールがふわりと空を泳ぐ。駆が柔らかいパスを出した結果の事だろう。それは容易に想像出来た。
だが結果よりも過程。駆は中央を見る素振りもなく、キーパーの飛び出しに備えての体勢の変化も無かった。
キーパーの飛び出しを想定して即座にパスを選択した。それならば納得は出来る。だが全く中央を向かずにパスを出すなど雑なラストにしかならない。
それだけなら頭が真っ白になる程の衝撃は無かっただろうが───
(ここまでエサを撒いたんだ。ストライカーならそこに居るよね? 居てよ?)
そのパスは、完璧な場所へと放られていた。
獰猛に笑みを浮かべ、ボールに視線を合わせる。手前の選手では届かない高さ。ゴールキックエリアの左側。駆の地点からでは出し難いだろうと僅かに空いたスペースに、その選手だけが走り込んでいた。
CR7の名を冠した偉大なる選手と並んでレアル・マドリードのFWとして出場し続けたストライカー。カシム・フェンゼマ。強力なゴールへの引力に身を任せて動いた彼だけが、そのチャンスを逃さなかった。
上空を彷徨うボールに合わせて跳躍。
当て損なう事さえ無ければ容易に決められる。
キーパーの飛び出したガラ空きのゴールへ、ヘディングを叩き込んだ。
(コイツのゴールへの執念は、クリスチアーノを思い出す)
体格も、能力も、技量も、その多くが彼には及ばない。寧ろアスリートとしての実力はラ・リーガ内で下位にいる方だろう。
しかし勝負所を見極める勘の良さ。ストライカーとしての矜持、得点への執念や勝負強いメンタルは匹敵するだろう。そう確信する程に、今のプレーによる引力は凄まじかった。
ゴールへの嗅覚は下手すれば、凌駕している。
スペイン2強の象徴であり続けた【人類の頂点】と【神の子】に並ぶ才能は暫く現れないというのが大方の予想であり、それだけ二人が積み上げたバロンドールの取り合いという功績は大きかった。
(オレは今、新しい時代の節目を目の当たりにしているのかもな)
───カンプ・ノウが揺れている。
怒号飛び交い、罵倒が降り注ぎ。応援の声など僅かばかりの中で、彼は堂々としていた。
弱冠16歳のアジア人。プロとしての功績は皆無の選手が、カンプ・ノウという砦の中でバルセロナに刃を突き付ける。
前半41分。ホームのバルセロナを相手に1G1Aという記録は、世界を揺るがすには充分。
逢沢 駆という日本の騎士が、確かに世界へと浸透し始めていた。
本当は昨日の朝6時に投稿するつもりでしたが、FGO奏章Ⅳのストーリーを読んで仕上げられなかったことを懺悔します。
ちなみにまだ読み終わってません。
エル・クラシコについての情報を漁ってた時に『視聴数6億5000万人』という記事を見た時は流石に笑いましたが、国内の瞬間最大視聴率が73%まで達したらしいので(スペインの人口は約4800万人)、なんか割とあり得そうだなと……。
2015年の世界人口が約74億人なので11人に1人は観てるんですよね……改めてやばいなエル・クラシコ。CL決勝よりも視聴数多いらしい。
カタールW杯の決勝は15億人まで達したみたいですが。
-追記-
UA100万突破!
ありがとうございます!