ジョーカー父さんがバットちゃんを遂にバットマンにする話です。
現在悪のカリスマ=ジョーカーは非常に悩んでいた。
ちなみにこの悩みは今突然出来たものではなく、もう何年も前から頭に常にあったものだ。
この問題は本当にタイミングが重要である。
早過ぎても遅過ぎても今までの苦労が水の泡になりかねない。
おそらく正解はないのがまた悩ましい。
こんな問題を抱えている父子はかなりレアケースなため、育児書や育児アカにもまず載っていない。
「・・・多分そろそろ良いよな。ブルースをバットマンにするの」
ジョーカーは緑の_今は栗色に染めている髪をぐしゃぐしゃと搔き乱してため息をついた。
バットマン=ブルースを育てて15年そこそこ。
ブルースは健やかに育った。
まだかつてのバットマンと違い少年らしい線の細さはあるが、背はジョーカーを抜かし、体格だって非常に良くなった。
鍛えているため、胸板や二の腕なんてもう父の倍はあるのではないだろうか。
その上おつむの方も大変に優秀で、飛び級を重ねて去年から大学にも通っている。
本当はもっと早く通うことも出来たのだが、学生生活を楽しんで欲しかったため、少しのんびりさせたのだ。
これまでに反抗期やら思春期やらで多少の衝突はあったが、自己肯定感が非常に高くさらに正義感も強い良い子に育てられたと思う。
今だって一人暮らしをしながら大学に通うことも可能なのに『父さんが心配だから』とわざわざ実家から大学に通っているほどだ。
最近ではまだ現役のバットマンファミリー達の活躍にも興味を持っているようだし、この分だとヒーローとして活動するように誘導すること自体はそこまで難しくないだろう。
コレクションだと教えているかつてのバットマンが着ていたスーツをこっそり着ている気配もある。
だがそれでは足りない。
バットマン足りえない。
ジョーカーが愛したバットマンには隠しきれない狂気があった。
闇の騎士と謳われたように、心の部分にも闇があった。
そこがバットマンをバットマンたらしめるものであり、不可欠なのだ。
光の中ですくすくと育ったブルースにはそれがない。
だからほんのひと匙、だが光に消しきれないほど痛烈な悪を憎むきっかけとなる傷が必要になる。
それもじわじわ蝕む類ではなく、短時間に焼き付くような一生ものでなくてはならない。
しかしそれはブルース本人の根幹を歪ませるような強さの痛みでは駄目だ。
タイミングが重要なのはこれが原因である。
思春期などの多感真っ盛りにやった日にはグレて悪の道に走ってしまったり、壊れて無気力になってしまうだろう。
歪んでいても正義として悪であるジョーカーと敵対してくれないと駄目なのだ。
安直に考えるなら自分がジョーカーであると明かし、目の前で誰かを殺すあたりだろうか。
最近また彼女が出来たらしいからそいつはどうだろう?
いや、付き合い始めだと効果が薄いか?
そもそも育ての親が殺すわけだから結構なダメージになるか?
「・・・・・・・・・ん・・・・・・・・・・・・育ての親?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
ジョーカーはそこで思い至る。
殺されるのが自分ならどうだろうか。
もちろん本当に死ぬわけではない。
ジョセフ・カーなんてふざけた偽名の便利屋として死ぬなどごめんである。
死んだら夢にまで見たバットマンとの再戦が叶わなくなってしまうではないか。
だからどっかの悪党に殺されたふりをして、あの可愛い息子が悪を憎むように仕向けた後に、またメイクをしてジョーカー業を再開すれば良いのだ。
とても良いアイデアである。
悪を憎む息子と血の水たまりで遊ぶのはきっとべらぼうに楽しい。
最高のジョークだ。
遠くない未来、かつてのようにジョーカーを容赦なく殴る太い腕は、自身の手料理で出来ていると考えると今からでも笑いがこみ上げる。
堪え切れずに含み笑いながら、スマホでメッセージを送る。
宛先は息子だ。
今日は夕食を豪華にするつもりだから外食はしてこないようにという内容である。
しっかりと送信を確認した後、買い物袋と財布を持って家を出る。
ブルースの好物をたくさん作ってやろう。
今日という日が、可愛い蝙蝠の痛みのひとつとなるように。
ジョーカーは足取りも軽く、アパート近くの長い階段を駆け下りて行った。
かつてのブルース・ウェイン=現在のブルース・カーは悩んでいた。
ちょうど昼食時のカフェは混んでいて、騒がしいため逆に全て雑音として処理してしまえるため考え事に向いている。
手には分厚い本を開いているが、文字は全く追えていない。
目の前のコーヒーは随分前に空になっている。
実は彼には大切な父にも明かせない悩みがあり、それをいつ明かすか悩んでいた。
なんと言えば良いだろう。
そもそも言うべきなのか?
信じてはもらえるし反対もされないだろうが、同時にとても心配もされるだろう。
周囲の助けもあったとは言え、男手ひとつで自分をここまで育ててくれた優しい父。
今だって大学を楽しく過ごせているかいつも心配している。
ブルースは養子なので血は繋がっていないが、父は心が繋がった唯一の家族だ。
これ以上心配させたくないし、危ないことに巻き込みたくもない。
だがいつまでも言わないわけにもいかないだろう。
バットマンとして活動したい、と。
バットマンという存在については小さな頃から知っていた。
父は初代バットマンの熱狂的なファンで、今住んでいる実家の部屋のひとつがグッズ部屋になっているほどだ。
グッズの中には父が初代バットマンが行方不明になったとされる場所から拾って来たというバットスーツとカウルまである。
いつか本人に返すのが夢だそうで、現在ゴッサムを飛び回っている三代目バットマンのことは好きではないから渡すどころか知らせるつもりもないそうだ。
巷ではすでに初代は亡くなっているとの噂だが、父は全く信じていないらしい。
一度も直接話したことすらないと言うわりには、まるでかつての恋人との楽しい思い出のように夢中で当時の活躍を語る父は輝いていた。
おそらく父は息子である自分にバットマンのようになってほしいのだと思う。
強靭な肉体と精神を持つ自分の知る中で一番素晴らしい男のように育ってほしいとおそらく願っているのだろう。
親子だからなんとなくわかる。
だからと言って別に直接的にそのように言われたことはないし、意に沿わないと怒られたこともなかった。
父はいつだってブルースの選択や考えを尊重してくれたため、それが嬉しくて出来るだけ期待に応えてきたつもりだ。
勉強だってスポーツだってゴッサムシティでブルースに適う人間はきっといないだろう。
その結果今までだって今だってとても幸せなのだから、父も自分も正しく生きているに違いない。
この幸せをずっと守りたい。
ブルースのゆずれない願いはその一点だけだ。
最初はほんの悪戯心だった。
父が留守にしている時に、彼が大切にマネキンに着せているバットスーツを着てみたのだ。
まだサイズは多少大きかったが、驚くほどしっくりくる着心地に驚き、カウルやケープまでつけて鏡の前に立つ。
思わず息を飲んだ。
そこにはバットマンがいた。
古いネット記事でしか見たことがない漆黒の騎士が鏡の中に現れたのだ。
「っ!」
まるで自分が自分でなくなってしまったかのような恐ろしい心地がして、急いでその時は脱いだ。
しかし何故かどうしても気になって、その後も何度もこっそりと身に着けてしまう。
バットマンが遺した武器や道具だって、夜の屋上などでこっそり色々試してみると、まるで初めから使い方がわかっていたかのようにあっさり使いこなせた。
父の便利屋の仕事が忙しくなってきて家を空けることが増えたことを良い事に、ブルースは着々とバットマンになっていった。
最初は恐怖しかなかったはずなのに、回数を重ねるうちにまるで小さい頃散々遊んだ思い出のゲームを再開したような気分になっていた。
初めてなのにどういうわけか懐かしい。
気付けば、父のいない夜は毎日のようにスーツを着て特に目的もなく外を飛び回ってしまっていた。
そんな夜遊びが両手足の指の本数を超えた頃だ。
偶然現役のバットマン達を見かけてしまったのは。
郊外の廃工場のあたりだった。
どうやらバットマンファミリーが何人もいるらしく、ちらちらと特徴的なコスチュームが見える。
こんなに人数がいるということはきっと大きな犯罪が起きているのだろう。
あたりはつけてももちろん見物だけして、加勢も何もするつもりはなかった。
格闘技は一通り習ったし、おかげで腕っぷしにはかなり自信があるが流石に素人がしゃしゃり出ても邪魔なだけだろう。
何より初代のコスチュームを着ていたら向こう側も混乱するに違いない。
戦いが起きているだろう建物の屋根に音もなく飛び移り、戦況を観察する。
多分何か違法の物品を取引している現場だったのだろう。
何やら怪しい箱がたくさん平積みになっている。
ナイトウィングやバットガール達があっという間にマフィアと思しき連中を倒していく。
非常に手馴れているその様子は、彼らが日夜悪と戦っていることを示していた。
「凄い」
飛び交う怒号にかき消される音量で思わず呟いた感嘆は、発した当人にのみ届く。
立っている人間が次々減っていくさまはとても鮮やかで、思わず見惚れてしまった。
あっという間にマフィアは全員床に倒れ伏し、バットマンファミリーだけが残った。
漏れ聞こえた会話からするとどうやら彼らは後は警察に任せて撤収するらしい。
珍しいものが見れたことだし、このまま自分も帰ろう。
ブルースがそう考えている時だった。
彼らの背後のマフィアが銃を構えるのが見えたのだ。
どうやらそれを自分以外は気付いていない。
声を上げる前に手が動いていた。
持ち出していた蝙蝠型ブーメラン(父曰くバットラング)を全力で投げ、見事マフィアに命中させた。
悲鳴に反応して皆が振り返る。
そこで傷口に刺さっている武器を目にしたのだろう。
今度は逆方向、つまりこちらを見上げてきた。
「・・・バットマン?」
誰が言ったのかまではわからないが、誰かがそう呟いたのが聞こえた。
まずい。
ブルースは急いで身をひるがえす。
本当は事情を説明した方が良いのだろうが、彼らを無駄にがっかりさせるのは嫌だったし、何より父の大切なコレクションを返還要求などされたらたまらない。
というかひとつバットラングをなくしてしまったが、父になんて言おう。
怒りはしないだろうが、悲しい顔はさせたくない。
ぐるぐるとそんなことを考えていると、追ってくる声が叫んでいるのが聞こえた。
こちらも必死だが向こうも必死に追ってきている。
「待って!!ブルース!なんで逃げる!?」
「え?」
思わず一瞬動きを止めてしまった。
彼らは何故こちらがブルース・カーだと知っているのだ?
何か凄い技術でわかったりするのだろうか?
いや、何かの聞き間違いの可能性もある。
今はとにかく逃げるしかない。
逃げて、逃げきってから考えよう。
そこからブルースは今までの20年にも満たない人生中もっともがむしゃらに逃げた。
真っ直ぐ帰っては自宅がバレるので、散々遠回りをしてなんとか撒いて自宅に帰りついた頃には空が明るかった。
スーツを綺麗にして、シャワーを浴びたまでは覚えているがそこから先の記憶がない。
ベッドで裸で寝ているところを仕事帰りの父に発見され、初めて学校を自主休講したことを驚かれたことから覚えている。
着替えを渡されながら体調が悪いのかと心配され、どうしても行く気分じゃなかったと着ながら嘘を返せば『そういう時もある』と頭を撫でられた。
バットラングをひとつ持ち出してなくしてしまったことは正直に話した。
スーツを勝手に着ていたことや、バットマンファミリーに追いかけられたことは何故か言えなかった。
この時言っていればこんなに悩むことはなかった気がするが、言えなかったものはどうにもならない。
予想通り父は咎めも詮索もせず、まるで子供時代のように甘やかしてくれた。
むしろ息子が勝手なことをしたことを喜んでいる節すらあったほどだ。
『なぁ、ブルーシィ。お前が必要だと思ったなら俺はお前が何を持ち出そうと構やしないさ。だが、何があっても自分の命はしっかりと持ち帰って来いよ?』
まるでスーツを持ち出したことを知っているかのような内容でどきりとしたが、今後のことを含めた忠告だったらしい。
優しく髪を撫で続ける骨ばった手を感じながら、自分が心から安心していることに気付く。
それと同時に自分が酷く高揚していることも感じた。
自分は偶然ではあっても、バットマンファミリーの誰かの命を救った。
あんな凄い人達の役に立てた。
訓練すれば、もっと戦えるのではないだろうか。
今度は不意打ちではなく、最前線で。
父のような優しい人々を守るために、自分には出来ることがあるのではないだろうか。
漠然とした憧れではあるが、考えだすと止まらなかった。
次々と具体的な訓練内容やスケジュールなどが頭の中で組まれていく。
父は黙考しだした息子に気付き食事の時間を告げて部屋から出て行った。
優しい優しい自分の帰る場所。
その薄い背を見送り、想いを深くする。
父が望んでいるようにバットマンになりたい。
大切な人だけでなく、誰かのために戦える男になりたい。
いや、なってみせる。
そう決意した。
決めてからの早さと実行力は父譲りだ。
ブルースは自身をさらに鍛えだした。
学内にあるジムに早朝から通い、ゴッサム内にいる格闘家を訪ねて回ったりもした。
自分なりにパイプを構築し、情報を集め、夜はスーツを着て飛び回った。
何度かバットマンファミリーに遭遇して逃げることになったが、次出会った時は逃げないでいたい。
しっかりと正体を説明して、仲間に入れてもらえないか聞こう。
駄目ならひとりだって構わない。
仲間外れにされた程度で揺らぐような決心ではないのだ。
その前に父に言わなければいけないのだが、どう言えば良いか。
心配しないで?
いやそれで、じゃあ心配しませんとはならないだろう。
何か上手い言い方はないだろうか。
悩んでいると件の父からメッセージが届いた。
どうやら今日は夕食が豪華になるらしい。
何か良いことがあったのだろうか。
父は小さな祝い事でも夕食を張り切るが、今回のようにわざわざ連絡してくることはあまりないのできっとよほど良いことがあったのだろう。
ならば今日この悩みを解決させてしまうのが良いかもしれない。
どう言うかはまだ思いつかないが焦らなくて良いだろう。
ゆっくり話せるだろうし、もし悪い方向に話がいったとしても手作りの好物が苦い気持ちを流してくれるだろう。
了解した旨を返信し、長く占領していた席を立つ。
何人かの友人が手を振ってくるのに返し、軽い足取りで次の授業へと向かった。
一応次もあります。