朽ちぬ想い   作:物語の魔法使い

7 / 8
ようやく完結しました!
次回エピローグがあります。
いやぁ、1巻しか出てない段階から書いたので色々おかしいですが満足です。
ワンオペJOKER最高ですね(*^^*)


おかえりなさい

 

 その工場は酷く痛んでいた。

壁面のペンキは剝げ落ち、中は埃と錆の臭いで満ちている。

かつては若返りの美容液の開発を熱心に行い、現実に成人男性を赤子に出来るほど異常な効能を持つ薬液の開発に成功していたのに、今は見る影もない。

美容液も発売どころか特許申請すらできなかったようである。

潰れた原因は安全管理の不手際で従業員が何人も死亡したからだったか、毒ガスが発生して近隣住民に死者が出たからだったか確かそのような感じだ。

要するにこのゴッサムではよくあることである。

経営者が夜逃げし、元々入り組んでいた権利関係のせいで売ることも出来ず、費用がかなりかかるため行政も解体が出来ずに放置された場所。

いちいち懐中電灯で歩き回るのも馬鹿馬鹿しいので、一応電気は使えるようにした。

 ここはかつてのバットマンの墓場だ。

そして可愛いバットちゃんの生誕の地でもある。

だからここを選んだ。

特にゲン担ぎはしない主義だが、やはり気分が盛り上がる方が良い。

昔の薬品が入ったタンクは中身を抜くのが面倒なので放っておいているが、空いていたタンクには大量のガソリンが詰めていた。

これを含めた街中の可燃性燃料を流して火をつければ、ゴッサムはあっという間に火の海に変わるだろう。

簡単なことだ。

全部準備は済ませてあるから、この手にあるスイッチをポンとやれば良いだけ。

きっと地獄のように綺麗だ。

熱気の中人々の絶叫をBGMにあの子と踊りたい。

プロムで恥をかかないように、ダンスやそのあたりはかなり熱心に教えたがちゃんと覚えているだろうか。

足を踏んだりもつれたりしなければ良いが。

ジョーカーの手が見えない愛しい人に触れ、美麗なステップを踏む。

予定時刻まで後一時間を切ったが待ちきれない。

ようやくだ。

ようやく満願成就する。

この時をずっと待っていた。

それこそ赤子があんなに大きくなるほど長い時間をだ。

ようやくまた追いかけっこが出来る。

殴られたり刺したり出来る。

きっと殺してもらえる。

ヒーローが悪の道化師をやっつけてめでたしめでたしだ。

いまいちひねりとかパンチが足りないオチだがあまり贅沢は言えない。

本当ならもっと時間をかけてバットちゃんに自分を憎ませたいが、のんびりはしていられないのだ。

ジョーカーは年齢に不似合いなほど健康な男だが、さすがに以前ほどは動けないし頑強でもない。

若いあの子ととことん付き合うには年を取り過ぎていた。

別に今日明日どうにかなるなんてことはないが、時間をかければかけるほどジョーカーが動けなくなってしまう。

永遠に追いかけっこしていたいのに時間は常に有限で、楽しい時間はつまらない時間よりも早く過ぎていく。

バットマンと遊んでいる時間だけが、ジョーカーの生きている時間だった。

遊べなくなったらジョーカーは死んだも同然だ。

このまま年を取ってよぼよぼの爺さんになって、息子や孫に看取られて死ぬなんて嫌だ。

つまらないし、笑えない。

愛されながら死ぬなんて嫌だ。

自分はバットマンから憎まれたい。

奴にとって怒りと憎しみが一番強い感情だからだ。

その心で常に血を流し続ける傷口になりたい。

この世にはどうにもならないことがあると示してやりたい。

『私は狂気に苦しむお前を救いたい』

頭の中でバットマンの声が聞こえた気がして、ゆるりと目を細める。

随分久しぶりに聞いた気がする。

前にどこかで、人間を忘れる時一番最初に忘れるのが声だ、というのを読んだことがある。

ブルースは体格がまだかつてのバットマンに追いついていないせいか、環境のせいなのか声が違う。

あの子の声も可愛くて好きだが、今はあの無理矢理作った低い声が無性に聴きたかった。

溜息をついて、大きな口をへの字に曲げる。

彼が懐かしかった。

もう彼はいないので作り直したが、年のせいか妙に彼が恋しい。

原材料は一緒だし、愛情をかけて育てた。

あの子はジョーカーだけのバットマンだ。

バットマンへの愛の結晶だ。

まだまだ完成度は納得いかないが、すぐにきっと良くなる。

きっとそうだ。

「ジョーカー」

不意に現実でかけられた低い声に、全身に電撃が走った。

気配などまるでしなかったのに、ばね仕掛けのように振り返った先_さび付いたキャットウォークの奥の闇が濃い。

そこに立っていたのはバットマンだ。

がっしりと鍛えられた長身。

重厚なプロテクターとケープを身にまとった闇の騎士。

ゴッサムの守護者。

ジョーカーの愛しい彼。

よくよく見れば体格が違うのに、一瞬本当に見間違えた。

心臓がバクバクと高鳴るのを感じる。

声を出せないジョーカーに、バットマンは時刻を示す謹直な鐘の音のように告げる。

「アーカムに戻れ」

 

 

 

 

 ブルースの言葉にジョーカー=父は一瞬きょとんとしたが、すぐにげたげたとタガが外れたように笑う。

父は陽気でよく笑う人だったが、こんなおぞましい笑い方はしなかった。

昔からジョーカーの笑いには、本来笑顔の中にあるはずの陽気さなどが欠如していた。

相反する考えが脳内に同時に浮かび上がる。

 おかしいと確信したのは、いつの間にかこの工場にたどりついた時だ。

自分は車の運転なんて今までしたことがないはずなのに、当たり前に運転出来た。

いや、そもそもジョージからのあの短いメッセージから何故ここだと確信したのか。

初めて来たのに、知っている。

今まで聞いたことがあるどころか存在すら知らなかった工場なのに、多くのことがわかる。

建物の構造、出入口や柱の位置。

これらは既視感なのだろうか。

いや、そういうレベルの話ではない。

なんとなく出来る気がするで、あんな大きな車を乗り回せたら免許制度なんて必要ないだろう。

まるで心の奥深くに溜まっていた何かが、石を投げ込まれたことで表面に浮いてきたかのようだ。

これはなんなのだろう。

ブルースは戸惑うが、じっくり自身の内面を分析する余裕はない。

父=ジョーカーがたっぷりと大きな口元を裂くように口角をあげて、こちらを恍惚と見つめていた。

厚い筋肉で覆われた背筋がぞわりと粟立つ。

「バッツみたいなこと言うようになったじゃねぇか、バットちゃん。一瞬本当にあいつがいるのかとドキドキしたぜ」

まだ笑いが収まらないのか、クスクスと喉を鳴らし緑の髪を揺らして首を傾ぐと、胸元からちらりとスイッチを見せる。

「定番のお誘いありがとさん。待ち合わせ時間前に迎えに来てくれるとは思わなかったぜ。だが残念なことに俺ももう年でな。いったん家に帰ってからまた遊びに出る体力やらがねぇのさ。だからちょっと予定を繰り上げちまおう。燃料タンクと下水道を連結させるスイッチはこれだ。俺を殺して死体から取ってくれ。ひとまず一曲踊ろうぜ、坊や」

言うが速いか、ジョーカーの手から銀の光が放たれる。

ギリギリのところでグローブで弾いたが、あれは首を狙っていた。

ブルースは父を傷つけたくないという気持ちはまだ消せなかったが、それでも心を鬼にして蹴りを放つ。

言葉での説得が無理なのはもう悟っていたからだ。

緑髪のピエロはあっさり受け流し、床を這うような低姿勢から相手の間合いに入り込み、ナイフを下から喉を目掛けて突き上げた。

この攻撃は人体の構造上避けづらい。

下手したら腹を割いて喉笛直撃だ。

今回はなんとか避けることは出来たがバランスが崩れたところに、むき出しの顎狙いで掌底が叩き込まれた。

 父は元々かなり腕っぷしが強い。

便利屋として名が知られているのに比例して、逆恨みも随分買っていたため狙われることも多かった。

相手がマフィアなど裏の人間でも一切怯まず(今思えば当然だが)、複数人に囲まれても蹴散らしている姿は凄くカッコよかった。

しかし父から喧嘩のいろはを教わったことも、格闘技を勧められたこともない。

ブルースには危ない相手の見分け方避け方撒き方など現実的かつ実用的なことを熱心に教えてくれた。

せがんでも頑として戦い方を教えなかったのは、ブルースの性格的にその方が自主的に鍛えると思ったからだろうか。

父を守ろうと思って身に着けた格闘技の技術を父に使うはめになるなんて、昨日までは夢にも思わなかった。

 ジョーカーにはなんの特殊能力もない。

動きは機敏だし驚くほどタフだが、あくまで人類の範囲だ。

空が飛べるわけでも、弾丸を弾くことが出来るわけでもない。

だがそれは戦闘能力が低いということではない。

周りに超人が多過ぎたため弱く見えただけで、警官やそこらの軍人程度なら瞬殺できる程度の強さはある。

もちろん奴の脅威はそこではないが、無視して良いものでもない。

 浅く何度も斬りつけてくる刃と、避けた隙を突く打撃は本当に容赦がない。

プロテクターの繋ぎ目や露出している顎などを的確に狙ってくる。

父は今までブルースに一度も手を上げたことがなかった。

怒鳴られたこともない。

危ないことをしたりして叱られたことは何度もあるが、理由をちゃんとわかりやすく説明してくれた。

今度はブルースの番だ。

父のためにも絶対に止めてみせる。

 昔のように何度も立ち位置を入れ替え、何度も細い体を殴りつける。

この男は痛みに頓着しないため、どれほどのダメージが通ったのか判断しづらい。

加減はしないが、何も考えずに繰り出すわけにもいかない。

以前あまりに元気に動いていたため無遠慮に攻撃を続けていたら、捕まえてアーカムに入れた後複数の骨折が発覚したことがあった。

さらに酷い怪我を負わせ、生死の境を彷徨わせたことも一度や二度ではない。

『ここまでやったなら何故殺さない?』

その度にバットマンを嘲り挑発し、自分を殺せとピエロは笑っていた。

ジョーカーは笑う。

嘲笑う。

人々の良心と言われるものを。

倫理を。

正義を。

結局自身の気に食わない相手を排除する言い訳にしてるだけだと。

悪の方がすべてを受け入れ寛容で自由だと。

笑い続ける。

殺意を抱いたことがないと言えば嘘になる。

何度ジョーカーの言葉に従いそうになったかわからない。

だが絶対に一線は越えなかったし、これからも越えない。

殺さずに更生させ罪を償わせる。

それがバットマンとしての正義の示し方。

正義が人を殴る言い訳などでなく、多くの人間を救うものであると証明するものだ。

この『多く』にはジョーカー自身も含まれる。

 

 

 

 

 攻防は長く続いた。

実際は三十分にも満たない時間だと思うが、ブルースには本当に苦痛だった。

父は止まらない。

殴っても蹴っても、笑い、斬りつけ、走り続ける。

唇が切れても、頬が腫れても少しも気にした様子がなく、息子に攻撃を仕掛けてくる。

むしろ父が傷ついていくことで摩耗しているのはブルースの方である。

こんなことはしたくない。

こんなことがしたいわけじゃない。

説得は無駄とわかっていても、言わずにはいられなかった。

「父さん!もうやめよう!スイッチを俺にちょうだい!一緒に病院行こう!」

「おいおい。盛り下がるようなこと言うんじゃねぇよ。せっかく久しぶりのパーティーなんだ。もっともっと楽しもう」

鞭のようにしなる脚が、床につくぎりぎりで回転して、ブルースのそれを掬い取った。

体重差があるので無様に転ぶようなことはなかったが、バランスが崩れる。

それを何故か父が抱き留めた。

「次はチークダンスでもするか」

言いながら本当に頬を寄せてくる。

意味が分からず動揺していると、首にナイフの硬さを感じた。

 自分でもよく反応出来たものだと思う。

長年の勘と鍛えた反射神経のおかげで命拾いした。

突きつけられたナイフを甲で弾き、身をひねって強烈な肘鉄を薄い腹に叩き込んだ。

軽い体はボールのように吹き飛び、キャットウォークの手すりに激突した。

「ぐっ!」

小さく呻いて、そのまま項垂れるように動きを止める。

ようやく意識を失ったか。

バットマンは息をついて、油断なく道化に近づく。

この男は非常に演技力に優れている。

変装し、年単位で善人を完璧に演じることが可能なほどだ。

こちらの隙を狙っているかもしれない。

そう思っていると、ジョーカーの腹から何かが生えていることに気付いた。

「・・・!?」

それはパイプだ。

おそらく先ほどの衝撃でもろくなっていた手すりが折れて、鋭利な折面が腹部を貫通したのだろう。

まるでバットマンがそれに気付くのを待っていたかのように、じわじわと赤い水溜まりが領土を広げていく。

「父さん!!」

罠かどうかやスイッチのことなど一瞬で頭から消えてしまった。

すぐさま動かない父に駆け寄り、隣にしゃがみ込む。

これはどうすれば良いのだろう。

確認すると折れた手すりは、完全に折れているのでその場に縫い留められてはいない。

しかし背中から貫通しているため出血が多い。

「HA・・・HAHA。・・・この・・・感じだと・・・胃に穴開いたな」

息子の呼びかけで意識を取り戻したのか、ジョーカーが力なく目を開け、怪我の具合を報告する。

カウルの下で血の気がひくのがわかった。

言われてみれば濃厚な血の臭いに混じって胃液のそれが鼻腔に刺さる。

胃酸というのは石ですら溶かすことの出来る非常に強力な酸だ。

それが胃の外に流れ出てしまえば、当然他の臓器も損傷する。

出血量の多さも考えれば、もって三十分程度、しかも相当苦しむことになるだろう。

「・・・なあ・・・なあ、俺の・・・可愛い坊や。頼みが・・・あるんだ」

「しゃべらないで。今なんとかするから」

バットモービルは助手席が狭く、怪我人を運ぶのに向いていない。

急いでオラクルに連絡を取り救急車を手配する。

だがここは病院から大分離れているし、頻繁にあったビル爆破のせいで使えない道路も多い。

ここである程度処置しないと、救急車がきても病院までもたない。

本来手すりをここで抜くのは論外だ。

大量出血してショック死してしまうだろう。

だが貫通している上に、中身が空洞のパイプが刺さったままでは止血もろくに出来ない。

元々医療の心得はある。

この場でなんとか血管を縛るなどして止血は出来るだろうか。

いや、やらないとジョーカーが死ぬ。

やるしかない。

「・・・なあ・・・」

血で汚れた指が弱弱しく、応急セットを取り出すバットマンのケープを引っ張った。

緑の双眸が哀願の色を湛えてじっとカウルの奥を見つめている。

「やめろよ。・・・余計なことは。それより・・・暗くなるまで一緒にいてくれよ。・・・駄目なら・・・このまま突き落せ。首を・・・へし折るんでもいい」

愛を乞うような声音だった。

またこの男は殺せと言う。

自分に殺せと言う。

生きてほしいのに殺せと言う。

こちらの気も知らないで。

いや、知っているくせに。

『ブルース』は怒りで吼えた。

「何度同じことを言わせるつもりだ!私はお前を殺したくなどない!何故わからないんだ!!」

その瞬間何かが弾けた。

物理的な話ではない。

今までまだらに混じりあって出てきたものがひとつになって溢れ出す。

「・・・え・・・あ・・・」

『ブルース』は内側から溢れ出す知らない記憶に半ばパニックになった。

あまり話したことがないはずのアルフレッドとの思い出。

ディックやダミアン、バーバラ達との記憶。

他のヒーロー達との共闘。

路地裏での両親の死。

そしてジョーカー。

犯罪界の道化王子。

虐殺する宮廷道化師。

宿敵にしておそらくは唯一の理解者。

「・・・バットマン?」

呆然とした問いが投げられた。

瀕死のピエロは、信じられないという表情で『ブルース』を見ている。

そして力が抜けたように笑った。

「・・・そうか。・・・そうだったんだ。・・・お前・・・まだそこにいたんだな」

隙間風にも似た声で呟くその顔は、脂汗で溶けたメイクでぐちゃぐちゃだったが、驚くほど穏やかな笑みに彩られている。

しかしそこには濃厚な死の気配があった。

未だ状況が呑み込み切れない中、ふわりと柔らかく血の匂いがする感触が『ブルース』の頬と唇の境に触れた。

澄んだ緑の双眸が優しく見つめている。

「・・・愛してるぜ、ダーリン。・・・ブルース」

「・・・ジョーカー?」

直後驚くほどの力で分厚い胸が押された。

反動でジョーカーの軽い体は壊れた手すりの隙間から下へ落ちていく。

「ジョーカー!!!!」

バットマンの悲鳴と、無慈悲な水音はほぼ同時だった。

 

 

 

 

 

エピローグへ続く

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