朽ちぬ想い   作:物語の魔法使い

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これで完全完結!
ありがとうございました!


エピローグ:カーテンコールの先

 

「こちらにいらしたのですか」

ウェイン・マナーの守護者=アルフレッドはそう柔らかく告げて、目じりの笑い皺を深める。

彼の目の前にはもうずいぶん前に奪われた主人夫妻の墓と、若くなって戻ってきた息子同然の主人がいた。

墓には綺麗な色とりどりの花束が供えられている。

どうやら早朝に出かけたのはこれを買うためだったようだ。

 ジョーカーとの対決から一ヶ月ほどの時間が流れていた。

まだ新聞やテレビは悪の道化師の話題で持ちきりだ。

他にあまり良いニュースがないため、ほとんどお祭り騒ぎである。

彼の死亡の報は市民達の中で現実逃避の熱狂として、しばらく続くだろう。

ブルースはその騒ぎに苦笑しながらもどこか憑き物が落ちたような顔をしている。

 ブルース・カーはブルース・ウェインとしての記憶を完全に取り戻していた。

体は17歳の少年だが、中身は経験豊富な壮年男性でもある。

周囲はきっと色々戸惑うだろうと心配していたが、その予想に反して彼は特に困った様子もなかった。

むしろそれが当たり前とばかりに馴染んでいる。

ファッションなどはブルース・カーのセンスでいくことにしたらしく肉体年齢相応だ。

今はあの真新しい誕生日プレゼントの靴を履いている。

「母さん達に色々話をしていたんだ。せっかく戻ってこれたのに、ろくに会いにこれなかったからね」

「確かにここ一ヶ月は忙しゅうございました。ようやく落ち着いてまいりましたものね」

アルフレッドはさもありなんと頷く。

 本当に誇張ではなく忙しい一ヶ月だった。

忙しさの主な原因はゴッサムのさらなる治安悪化である。

幸い大量の可燃性物質が下水に混ざることは防いだが、当然それですぐに元の生活に戻れるわけはなかった。

ジョーカーに破壊されたビルはいくつもあり復興まではしばらくかかる。

街の混乱に乗じて商店からの略奪や、強盗などの犯罪が激増した。

この一か月、バットファミリーは総出で治安維持に駆け回るはめになったのだ。

 ブルース・カーは書類上はブルース・ウェインの隠し子ということになった。

そうすることでブルース・ウェインの個人資産を受け継ぐためだ。

本人としては別に金には執着はないのだが、これからもバットマンを続けるにあたって装備はしっかりしたものを身に着けたいし、何より周囲が放棄を許さなかった。

一応これも大きなニュースになったのだが、二十年近く前に行方不明になった大富豪の子供よりも、残虐な道化が死んだニュースの方が注目を集めた。

おかげであまりマスコミを気にすることなく動けたのはある意味ありがたかった。

多少周囲にパパラッチがいるが気にするほどでもないし、記者会見を開かなくても済んだのも助かる。

ネットでは『ブルース・ウェインの隠し子が邪魔になった養父を焼き殺した』というデマが出ていたが、その程度である。

もちろん訴えて、もうすぐ裁判だ。

「ジムにも久しぶりに会ったけど元気そうで良かった。もうすぐ引退だってね。何かお祝い用意しなきゃ。花束とクッキーとかどうかな?」

「良いお考えかと。ところでブルース様。まさかと思いますがそのクッキーは手作りではございませんよね?」

非常に深刻な顔で確認する執事に、若くなった主人はきょとんとした顔になる。

「え、そのつもりだけど?」

「・・・この歳で爆破されたキッチンの掃除をさせられるのはご勘弁願いたいのですが」

「いやいやいや。そんなことしないさ!確かに『ブルース・ウェイン』は料理の才能に恵まれなかったが、『ブルース・カー』はちゃんと料理出来るよ!実績もある!ほら、去年の『父さん』の誕生日のサプライズディナーも作ったんだ!」

言いながら『ブルース・カー』の携帯端末を操作して、写真を表示させる。

見る限り至ってまともなビーフストロガノフのようだ。

「・・・まあ、ここは信じることにいたしましょう。・・・ところで貴方様はまだ彼を『父』と呼ぶのですね」

「・・・彼のしたことを忘れたわけじゃない。彼は無数の人間の命を奪い、不幸を生み出してきた。ただ」

そこで一度言葉を止めて双眸を細める。

温かな青の中には、隠しきれない思慕の念が溢れていた。

「彼が十六年の歳月をかけて、私を救ってくれたことも事実なんだ」

「!」

「・・・『ブルース・ウェイン』を思い出してからも、あの路地裏の夢を全く見なくなったんだ」

「!!」

それは両親の死以来幾度となく見た悪夢だった。

様々な名医に相談し、自身でもかなり調べたが治療のかいなく続いていたものだ。

ブルースは泣き笑いといった顔で言葉を紡ぐ。

「・・・・・・ようやく、父さんと母さんをあの暗いジメジメした場所から連れ出して弔ってあげられたんだ。ふたりも毎晩のように息子の悪夢に呼び出されて心配だっただろう。やっと休ませてあげることが出来た。さよならが言えたんだ」

「・・・」

「『ブルース・カー』の人生は光に満ちていた。悲劇はなく、痛みもなく、幸せだけで育った。・・・そうなるように気を配ってくれたのは彼なんだ。自分の理想のバットマンを作りたいという打算があったにしても、惜しみなく愛情に包んでくれたのは間違いないんだ」

この記憶があるから、両親を心の内に埋葬してあげることが出来た。

あのままブルース・ウェイン=バットマンとして年を重ねても傷は塞がることはなかっただろう。

壊れた器にいくら水を注いでも流れ出ていくように、壊れた心にいくら愛を入れても治ることはなかった。

これは周囲の優劣の問題ではない。

器そのものを取り換えねばどうにもならないことだったのだ。

その器だって愛情に満ちたものでなければ、悲劇を受け止めきれなかっただろう。

アルフレッドもそのことを察していたらしく、淡く微笑む。

「『ブルース・カー』様は素直で優しく聡明な少年でございました。御父君の教育が良かったのでしょう」

「ああ。自慢の父のひとりだよ。『ジョセフ・カー』はね」

にこりと屈託なくブルースは笑う。

今の彼は父三人母一人の一人息子だ。

アルフレッドはまぶしそうに目を細めた。

「もう私は生きて『ブルース・ウェイン』様に会うことは叶わないと思っておりました」

「・・・心配をかけてすまなかった」

「ええ、ええ。とても心配でしたとも。戻ってらしたらしばらく嫌味やらを聞いていただこうと思っておりました」

「今は違うのか?」

「・・・今は自慢の息子が長い留学から帰ってきた気分でございます」

「!」

「改めまして。おかえりなさい、ブルース様。お帰りをお待ちしておりました」

「ただいま、アルフレッド。長くかかってしまったが帰ってこられたよ」

ふたりはぎゅっとハグをする。

一ヶ月前も思ったがアルフレッドは記憶よりもずっと小さくなっているようだった。

それはそうだろう。

行方不明になったあの日から長い年月が流れている。

だが暖かさはかつてと何も変わらなかった。

 ハグを終え、普段の調子を取り戻したアルフレッドは穏やかに尋ねる。

「今日はこれからどうなさるおつもりです?」

「ひとまず『彼』に会ってから考えるよ。・・・まだ起きてないみたいだけどね」

 

 

 

 

 そこは元々のブルース・ウェインの部屋のすぐ近くの部屋だった。

扉には『ジョーイ』という名札がかかっている。

ブルースはノックをしてから部屋に入った。

部屋は少しクラシックでシンプルだったが、きちんと金がかかっていることがわかる部屋だった。

清掃もきちんとされ、どこを見ても埃一つない。

しかし生活感が感じられないのはこの部屋の主人のせいだ。

ブルースは部屋で一番目立つ家具である大きなベッドに近づく。

横にはダミアンとディックが椅子を寄せて座っていた。

ふたりはどこか手持ち無沙汰そうに視線を彷徨わせている。

ふかふかのベッドの上には人がいた。

寝具に埋もれるように眠っているのは華奢で小柄な少年だ。

おそらくティーンになるかならないかくらいの年だろう。

もう治りかけではあるが、露出している顔や手は痛々しい痣や傷が目立つ。

当然だがこの怪我はブルース達が負わせたものではない。

「・・・まだ起きないのか。ジョーカー」

少し残念そうに、ブルースはベッドに腰かけた。

 結論から言うとジョーカーは生きていた。

しかし以前の彼ではない。

あの時死にかけていた彼が飛び降りた先は、工場に放置されていた薬液の中だった。

かつてバットマンを赤子まで戻したあの薬品だ。

おそらく経年劣化のせいだろう。

すぐに助け出されたジョーカーは赤子までは戻らず、この通り少年になっていた。

若返ったおかげで腹部を貫通した致命傷は消えている。

代わり別な怪我が浮き出てきたが、これはこの年齢当時彼が負っていた怪我なのだろう。

あからさまな打撲傷や骨折の治療痕が多いところを見ると虐待されていたのかもしれない。

明らかな栄養失調だったが、それも点滴や輸液で改善しつつある。

意識が戻らないのが心配だった。

医者に診せたところ、幸いなことに脳などには異常がないらしい。

何故目覚めないのかはわからない。

回収した薬液を分析してみたが、意識不明とは関係ないようだ。

そのためいつ目覚めるといった検討がつかない。

 うっすら汗をかいた額を拭ってやり、柔らかい栗色の髪を整える。

反応はない。

ただ昏々と眠っている。

あまりに静か過ぎて生きているのか心配になるほどだ。

よしよしと小さな頭を撫でると、少し表情が緩んだ気がした。

「・・・ねぇ。ずっと不思議なんだけど、今父さんは『ブルース・ウェイン』なの?それとも『ブルース・カー』なの?」

言葉通り以前から気になっていたのだろう。

ダミアンは子供時代に戻ったような幼い表情で尋ねてくる。

ブルースはくすりと悪戯っぽく笑った。

「今の私はどちらでもある。『ブルース』さ。別に切り替えているわけではないんだ」

「・・・それってどんな感じ?」

「ゲームで言うと、ゲームをしているプレイヤーは一緒だが、一章と二章で主人公が違う感じかな」

「・・・なんとなくわかった」

昔の父ではまず出てこなかったたとえに、ダミアンはやや複雑な気分になる。

ブルースの見た目は17歳の少年で、この前まで腹違いの弟だと思っていたのに実は父だったことが発覚し、となかなか感情の整理が出来ない。

はっきり言えば接し方に困っていた。

ディックはそれに比べると順応が早く、父を年下扱いしたり、年寄り扱いしたりして楽しんでいる。

きっとダミアンもそのうち慣れることだろう。

 だいぶ年上になってしまった息子達をよそに、当の本人はマイペースだ。

意識が戻らないジョーカーに『ジョーイ』と勝手に名付けて、せっせと世話を焼いている。

「ブルース。本当にこいつのこと引き取るつもりなの?ジョーカーなのに?」

「ジョーカーだからさ。年齢的に親子というより兄弟みたいになるだろうけどね」

ディックは暗にやめておいた方が良いと言っているのだが、ブルースは考えを変えるつもりはないらしい。

すでにこの子=ジョーイの市民カードは作成済みだ。

他の書類上の手続きも済んでいる。

着替えやら身の回り品も皆が呆れるほど購入済みだ。

後は目覚めるのを待つだけの準備万端である。

「この子の精神が今どういう状態なのかはわからない。子供時代に記憶が戻っているのか、それとも今までの記憶が残っているのか。はたまた全部忘れてしまっているのか。ただ彼は私を救ってくれた。なら今度は私の番だ。絶対に救ってみせるよ。この後の人生をかけてね」

迷いはなかった。

もうすでにバットマンとジョーカーの関係は単純なものではない。

恩もある。

憎しみもある。

愛情もある。

最初は宿敵で、長い間父子で、今度は兄弟になる予定だ。

おそらく世界を探してもこんな特殊な例はないだろう。

彼らだけの在り方だ。

 ジョーカーがあの時何故自殺めいたことをしたのか。

あのままいけば彼の願いは叶っただろう。

『バットマン』に殺されて、彼の傷となれた。

だが道化はあえてそれを取りやめた。

十六年もかけた計画の成果を捨てたのだ。

もし聞けるならばいつか理由を聞いてみたい。

「バットマンは?」

「バットマンはバットマンさ。続けるよ。この街はまだまだ平和ではないからね。自警団の人数は多い方が良いだろう」

言いながらウィンクする様はプレイボーイのそれだ。

息子ふたりは苦笑する。

「戻ってきてから本当に明るくなったね、父さん」

「うん。ほんとほんと。大分肩の力が抜けたと思う」

「そうかな?」

「うん。前は基本的に割れる直前の風船みたいだったから」

「ね。常に気を張ってるって言うか」

「そんなにひどかったかな」

とぼけるように太い首をひねってみたものの、自覚はある。

そして今の方が良い状態だとも思う。

未来がこんなに楽しみだと思ったのは初めてだった。

眠るこの子にしてあげたいことがたくさんある。

遊園地に行ったり、キャンプや旅行に行ったり、今まで『両親達』がしてくれたように可愛がりたい。

幸せにしたい。

もし彼が記憶を失っていて、いつか『ジョーカー』を思い出したとしても、その幸せが彼の傷を癒してくれるはずだ。

自分が救われたように。

 そこでふと思い立って、ブルースは『ジョーイ』の寝顔を携帯端末で写真に撮った。

写真というのは良いものだ。

一瞬を切り取って残して置ける。

この写真は保存して、今入院しているジョニーにも送ろうか。

次は『ジョーイ』が起きた後、家族皆で撮ろう。

眠れる少年の額に口付けると、立ち上がった。

「・・・さて。少し遅いが朝食にしようか。ちなみにお昼は私が作ることになった。私がアルバイトと家事で鍛えた料理の腕を実際に見ないとやっぱり信用出来ないってアルフレッドが」

「それは俺もそう思う。後ろから監視するから頑張って」

「俺も。自宅で粉塵爆発とかシャレにならない」

「本当に信用ないな。ここ最近は家事は父さんと当番制でやってたし、アルバイトは本当に色々やったから『ブルース・ウェイン』だけの時とは違って結構自信があるのに」

「ちなみにどんなアルバイト?」

「色々さ。アイスの販売とか、ホットドッグのキッチンカーで調理補助とか、泡だて器を持って笑顔で客を追いかけるやつとか」

「何それ」

賑やかに話しながら部屋を出る。

少年は喧噪を知らず、穏やかに眠り続けていた。

 ちなみに昼食のサンドイッチはいたってまともだったという。

知られざるジョーカーの偉業のひとつである。

 

 

 

 

 次の日。

『ジョーイ』の部屋。

大きく開いた窓。

揺れるカーテン。

無造作に投げ出された点滴針。

 

 

 

 

 

 

 

 

空っぽのベッド。

 

 

 

 

 

 

 

End

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