第1話 招かれざるもの
【2086年12月17日(火)06:30 某市立公園】
(私の知っている達郎は、もういないんだね…)
達郎は、もう四年近く前の出来事にも関わらず、脳裏に残り続けるゆきかぜの別れの言葉を思い返す。当初は酷く落ち込んだものだが、今はもうそれほど気落ちすることもない。
(実際、ゆきかぜの言う通りになったしな)
達郎は里を飛び出して以降、ここ東北の地方都市で消防士見習いとして懸命に働き、二年半前からは正式な消防士として、地に足のついた生活を送っていた。
紫先生の勧めるままに始めた仕事だが、風遁を扱う達郎にとっては相性の良い職業だった。
・風に乗った要救助者の声を聞き、居場所を察知する
・風を操って炎の進行を抑え、火災家屋の侵入路を確保する
・風向きをいち早く予測し、近隣家屋の延焼を防止する
消火能力に限れば水遁に遠く及ばないものの、同僚に遁術の使用を見咎められる可能性が低い点においても風遁は有用であり、日々の職務をこなす上での大きな力となっていた。
(こんな半端な遁術でも役に立つなんて…って、当時は目から鱗だったな)
初冬が終わり早朝の風は冷たく、今日は空も厚い雲で覆われていた。
(雨の予報ではなかったはずだけど…夜遅くに降り出すかもしれないな)
黒色のジャージ姿の達郎は、住居近くの公園で日課のランニングと逸刀流剣術の型稽古を終え、クールダウンのためのストレッチを行っていた。
(今更対魔忍に未練はないけど、型稽古は身体に染み付いちゃってるからなぁ…まぁ、知ってる人に見られなければ問題ないかな…っと)
ストレッチを終えた達郎は、住居のアパートへと足を向けた。家に着いた後はシャワーを浴びてから軽い朝食を取り、出勤の身支度を整えるだけだ。
里を離れてからの四年間、今年で二十一歳となる達郎は一度も笑うことがなかった。
【同日 23:10 都心部某ビジネスホテル】
緊急出動の指令を受けたのはおよそ三十分前。達郎が丁度仮眠を取ろうとしていた時だった。
通報では、十二階建てビジネスホテルの六階付近より火災が発生したとのことだったが…現地に到着した頃には、既に八階付近にまで火の手が回っていた。
(これは、救助機動部隊の増援が必要では…)
黒煙の立ち
また、火元と思しき六階より階下では、先に到着していた救助隊が宿泊客の避難誘導に当たっていた。
小隊長より火元上階の救助活動を命じられた達郎の部隊の他三部隊は、即座に行動に移り非常階段を一気に駆け上がる。
達郎の部隊は担当の八階に到達すると他の部隊と別れ、非常出入口よりホテル内に侵入し要救助者の捜索を開始した。
廊下の火の粉は既に天井近くにまで達している。すぐさま達郎は脱出経路を確保するべく風遁の使用を決断した。
「…逸刀流忍術 “烈風炎操”」
同僚に気付かれぬよう発動したその遁術は、風を起こし天井への延焼を一時的に食い止めることに成功した。
更に廊下の奥へと進む達郎。やがて突き当たりの角を曲がると、達郎の視界に母親と娘らしき二人組がうつ伏せに倒れている姿が入った。
「大丈夫ですか!聞こえますか!しっかりしてください!!」
「…ぅぅ」
金色の髪にダークレッドのジャケットとミニスカートのスーツ姿の母親は、達郎の声に僅かな反応を返した。
安堵した達郎は、続けて娘の方を確認する。歳の頃は三、四歳だろうか。上下パジャマ姿だが右脇腹の辺りが黒く焼け焦げており、火傷を負っている可能性が高そうだ。
達郎は二人が一酸化炭素中毒を引き起こさぬよう、風の防御結界を周囲に展開した。その時、意識を取り戻した母親が首を回し達郎の方を見上げた。
「ぅ…ぅえ、た、達郎くん?」
「そんな、まさか…」
彼女こそ聖修学園潜入任務の折、対魔忍を裏切り達郎を罠に嵌めた張本人。高坂静流その人だった。
【2086年12月18日(水)16:20 某市立病院】
ビジネスホテル火災の翌日。徹夜で救助活動に当たっていた達郎は、その後家には帰らずに消防士の活動服姿のまま、静流の入院先の病院を訪れていた。
疲労と眠気による倦怠感が身体を包むも何とか病室まで辿り着くと、ベッドで上半身を起こしていた静流が満面の笑みで達郎を出迎えた。
静流の衣類は室内隅のハンガーに掛けられており、今は白地のシャツのみの姿だった。はだけた胸元の隙間からは、細身の身体には不釣り合いな豊満なバストが遠目にも見て取れた。
「お久しぶりね、達郎くん。それにしても…うふふ、まさか対魔忍を辞めて消防士さんをしているなんてね」
達郎は直ぐには返事を返さず、静流に近づくとベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。
「まったく…誰のせいだと思ってるんだ。そっちこそ、火災如きで逃げ遅れるなんて。堕落して腕が鈍ったんじゃないのか?」
「あれれ、一丁前に男らしい口調になっちゃって。でも、達郎くんの言う通りかも。最近じゃ遁術を使う機会も滅多にないのよね。昨夜はホテルのバーで飲み過ぎちゃったのがマズかったかも…気付いた時にはもう火の海って感じだったわ」
静流は達郎の問いにそう答えると、自嘲気味に笑った。
「一緒にいた静流…さんの娘は、まだICU(集中治療室)にいるから、心配なら後で会いに行くといい。ただ、右脇腹に大きな火傷を負っていて…おそらく跡が残ると思うからそのつもりでいてくれ」
「あれだけ酷い目に合わせたのに、“さん“付けでまだ私を呼んでくれるなんて。達郎くんは相変わらずお人好しね。けれど…」
静流は次の言葉をじっと待つ達郎に大声を上げた。
「あの子、私の娘じゃないからっ!!」
「……あ、そう…なんだ」
その後、二人は互いのこれまでのことを語り合った。
達郎は里を離れ四年余り、今は消防士として働いていること。対魔忍を辞めたことやゆきかぜへの愚行を考えれば、静流を憎み罰する資格が自分にはないことを…
静流もまた森田の死後、主人を裏切り逃走したことで組織内の風当たりが強くなり、今は下級のパトロンの下で食い繋いでいることを…
「この街に来たのもそのパトロンの命令でね。あの子を淑女(奴隷淑女)の養成施設に送り届ける途中だったの」
「まだ年端も行かない子を、そんな施設に…」
「幼いから良いんじゃない?」
「……」
「けれど、火傷で傷物になっちゃったみたいだから、あの子はもう無理ね…施設に送り届けても破棄されるか、下級妖魔の慰み者にされるでしょうね。ま、私も帰ってお仕置きされるのは御免だから。しばらく身を隠して、それからまた別な主人を探すわ」
他愛もないことを話すかのように淡々と酷薄な事実を語る静流。達郎は思い悩んだ末に静流にある提案をした。
「静流さんが良ければ、あの子と一緒に対魔忍軍の保護を受けてはどうだろう?こうして話している限り、静流さんはそれなりに自我を保っているように俺には思える。対魔忍軍の保護下に入れば、静流さんの脳にあるマイクロチップの除去も可能なはずだ。上手く行けば、元通りの生活にだって戻れるかもしれない」
静流は達郎の提案に目を見開き驚くも、優しく微笑み返すとその提案を丁重に断った。
「ありがとう達郎くん。でも、その申し出は気持ちだけ頂いておくわ。実はね私、前々から対魔忍のお仕事が苦手だったの。だって、命をかけて幾ら戦っても終わりがないもの。だったら、快楽に溺れて毎日楽しく過ごした方がまだマシでしょう?」
黙り続ける達郎に、静流は更に言葉を重ねる。
「だから、私は今夜にでもここを出るわ。あの子は面倒を見る義理もないし、児童養護施設にでも入れて頂戴…ってそうか、それじゃ昔の私と一緒ね…あんまり良い場所じゃないわ」
「そうね、達郎くんがあの子の面倒を見たらどうかしら。ねぇ、お人好しの消防士さん?」
「馬鹿なことを…とてもじゃないが無理だ。ちゃんと育てられるとは思えないな」
一通り話しを終え、やはり静流とは相容れないと感じた達郎は、席を立ち静流に別れの言葉を告げた。
「もう二度と会うことはないのだろうね。けれどまぁ…会えて良かった。どうか達者で」
病室を出ようとドアへと向かう達郎の背中に、今度は静流が語りかけてきた。
「本当にいい男になったのね、達郎くんは。もぅ、最後まで黙っているつもりだったけど、我慢できなくなったから言っちゃうわね」
「一体何を…」
「あの子は…ゆきかぜの娘よ」
「…っな!?」
足を止め静流の方を振り返る達郎。その事実は自分の耳を疑うほどであったが、静流の表情を見る限り嘘を言っているようには思えなかった。
「……あの子の名前は?」
「
静流は動揺し絶望する達郎を愉悦の肴に、今にも達しそうな身体を妖艶にくねらせると、右手で髪の毛をかき上げその淫靡な表情を…淫魔に
【2086年12月22日(日)10:30 某市立病院】
達郎に話した通り、静流は翌日には結生を残し病室から失踪していた。非番日の午前、達郎はICU(集中治療室)から一般病棟に移った結生の病室を訪れていた。
病室の窓から雪の振る街並みが見える。達郎はベッドに横になりじっと真上を見つめている少女に目を向けた。
肌色こそ年中日焼けしていたゆきかぜと違うものの、よくよく見れば幼いながら母親の面影のある顔つきをしていた。
問題なのは…先程から無機質な表情を浮かべ、人形のように全く動かないその有り様だ。達郎が病室に来た時も一切微動だにしなかった。
生まれてこの方、ちゃんと養育されていたようにはとても思えない。達郎は意を決し努めて優しく結生に話しかけた。
「こんにちは結生ちゃん。俺は達郎、秋山達郎っていうんだ」
「…」
「俺はこの街の消防署で働いててね。火事が起きたら火を消したり、人を助けたりするお仕事をしてるんだけど、結生ちゃんは知ってるかな?その…大きな赤いトラックのような車に乗ってる人達なんだけど」
「…知って…る」
結生は天井に顔を向けたまま呟くように返事をした。
「そう、結生ちゃんは物知りだね。実は俺が火事に巻き込まれた結生ちゃんのことを助けたんだよ。脇腹の火傷の具合はどうかな、まだ痛む?」
「…よく…分から…ない」
やはり結生は達郎の方を見ようともしない。
(こんな子を施設に入れて本当に大丈夫なのか…いや、心配だろこれ)
この娘だけでも対魔忍軍に保護してもらうべきではと一瞬考えた達郎だったが、結局一般の施設に入るには変わりないだろうとすぐにその考えを改めた。
(第一、もしこの子の出自がバレたら、今のゆきかぜの幸せを壊すことにもなりかねない)
(やっぱり、これしか…俺しかないのか)
達郎は覚悟を決めて結生に語りかけた。
「実は結生ちゃんと一緒にいたお姉さんはもう何処かに行っちゃってね。で、もし良かったらなんだけど俺が里親に…じゃなくて、しばらく俺と一緒に暮らさないかな。俺は一人暮らしなんだけど、結生ちゃんが今までより子供らしくいられるよう努力はするつもりだから。それに…ぁ」
思わず言い淀んだのは、結生が達郎の方に顔を向けてくれたから。実を言えば静流から話を聞いた時に、達郎の腹はほぼ決まっていた。
既に里親となるための登録手続きを進めており、また、2年半前に消防士昇進の報告をしたきりの紫先生に連絡を取り、関係各所への少々強引な根回しをお願いしたりもしていた。
(で、後は本人の意思確認だったんだが…)
当の結生は幾ら待てども返事を返さず、ただ達郎を見つめるばかり。結局、達郎の方も品定めでもされているような気分になり、居住まいを正して結生の返事を待つ他なく……
ようやく結生が頷き承諾の意を示したのは、それから更に数分後のことだった。
(この子は…絶対大変だ……)
想像を超える結生の手強さに、今後のことを思い頭を悩ませる達郎だった。
今回キャラクターに技名を喋ってもらいましたが、書いてて物凄く気持ちいいですね…初めて知りました。
本文では明言するのを避けましたが、第三幕の静流さんとエッチなことは結局していません。ゆきかぜの
ちなみに、姓名判断によると秋山姓は天格最悪だそうです。天の助け、友の助け、時の助けを一切受けられないそうな(当たってるかも…)
【年齢補足】
2086年12月17日(火)《本編-第1話開始時》
秋山 達郎:21歳
水城 ゆきかぜ:21歳
秋山 凜子:23歳
森田 結生:4歳