対魔忍ユキカゼ2 〜双雷風詩〜   作:茶玄

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Side story
結生の恋愛模様


【2087年7月6日(日)11:20 某商店街】

  秋山 達郎:22歳

  森田 結生:5歳

 

 達郎と結生(ゆき)は駅前の商店街を訪れていた。

 

 消防士の仕事で家を留守にすることの多い達郎は、非番の日の午前中に、次のー週間分の食料品の買出しをいつもこの商店街で済ませていた。

 

 先ずはスーパーで日用品や加工食品を買い揃え、次に鮮魚店や青果店等を順に周っていく。

 

 今時は専門店に行かずとも、大抵の物はスーパーに揃っているのだが達郎はそうはしなかった。

 

 一人暮らしを初めた頃は勝手が分からず、里の屋敷にいた頃の使用人に倣っただけのことだった。

 

 だが、手間は掛かるがスーパーより安く美味しい生鮮食品が手に入ることもあるし、地元のコミュニティに多少なりとも貢献していると思えば、達郎にとってこの程度は苦ではなかった。

 

 半年前からは結生との二人暮らしだが、特に時間に追い立てられている訳でもない。

 

 一人暮らしの時と同様、ゆっくり買い物を行うだけの穏やかな時間に、達郎は(わず)かばかりの安らぎを感じていた。

 

「いらっしゃい、今日もお兄さんと仲良く買い物かい?」

 

 顔見知りの魚屋の店主が結生に声を掛ける。達郎の隣りにいた結生が軽く頷いた。

 

 結生は未だに人見知りが激しい。頷きを返すようになっただけでも、かなり進歩したと言えるだろう。

 

 達郎が魚屋で会計を済ませ後ろを振り向くと、結生がしきりに魚屋の看板を眺めている。

 

「結生はこの看板が気になるのかな?これはお店の名前でね。“魚島屋(うおじまや)”って書いてあるんだよ」

 

「…うおじやま?」

「ん?」

 

 達郎は自分の聞き間違いを疑った。

 

(それでは、お相撲さんの名前みたいに聞こえてしまうぞ、結生…)

 

「む……うおじ…やま?」

「ん、んんー?」

 

(違う、やっぱり違うぞ、結生。そうか…これが舌足らずゆえの言い間違いというやつか!)

 

 達郎は口に握り拳を当て笑いを(こら)える。だって…これは仕方ない。結生のこんな可愛い姿を見せられたら、誰だって微笑まずにはいられない。

 

 ようやく、ここで達郎は自分の変化に驚く。里を出て以降、これまで笑うことがなかった自分に気付いたのだ。

 

(こんな他愛のないことで…)

 

 これまでの達郎は、ゆきかぜの一件で自責の念に囚われていたからか、意識的に周囲の人々と交わらないようにしていた。

 

 他者を顧みることもなく、外部からの刺激に鈍感であり続ける。それが達郎の日常だった。

 

 だが、そんな日常は、結生との出会いによって唐突に終わりを迎えた。

 

 事情は何にせよ、達郎の方から手を差し伸べた結生との暮らしが、結生の何気ない一言が、本人も気付かない内に達郎の心を徐々に開き、緩やかに癒していったのだろう。

 

(…救われたのは、俺の方だったのかもな)

 

 言い間違いの直らない結生が余りにも可愛くて、その後もしばらく、達郎は結生に事あるごとに魚屋の店名を尋ねた。

 

 

【2095年6月3日(金)16:40 某商店街】

  秋山 達郎:29歳

  秋山 凜子:32歳

  森田 結生:13歳

 

 言い間違えると何故か達郎が笑ってくれたから、その後もしばらく、結生は達郎に問われる度にわざと間違い続けた。

 

 学校帰り、制服姿の結生は夕食の食材を買いに魚屋を訪れた。今朝方、登校前に冷蔵庫の中を確認したら、夕飯の食材が少々心許なかったので、下校時に寄って帰ろうと決めていた。

 

 幼い頃の結生は必死だった。身寄りのない自分が、達郎にまで見捨てられてしまっては適わないと、我が侭一つ言わず達郎と生活を共にした。

 

 当時の達郎は全く笑わなかった。それこそ結生が不安に駆られ、時には薄ら寒く感じるほどに。そんな頃に起きたのが、あの魚屋さんでの言い間違い事件だった。

 

(あの頃は達郎の笑顔を見て、ただ安心したかったのよね…我ながら可愛い過ぎだわ)

 

 結生の容姿は、年を経るごとに母のゆきかぜを思わせる。母親譲りの朗らかな性格で学校での人気も高い。

 

 そして何と…胸のサイズも平均をゆうに超えているのだ。

 

 そういえば、数日前にリビングのソファーに座っていた達郎が、中間テストの答案用紙を持つ両手をわなわな震わせながら、何か呟いていたような…

 

「こ、これは、ゆき…の上位互換…完全体…」

 

 残念ながら、結生には達郎が何を言っているのか全く理解できなかったのだが…全教科満点に近い点数なのだから、さしたる問題はないだろう。

 

 結生は魚屋での買い物を済ませると家路を急いだ。

 

 ―――私は達郎が好きだ。

 

 よもや、こんな想いを抱くことになるとは結生も思いもしなかった。

 

 今となっては記憶も朧げだが、幼かった頃の結生は周囲から一切関心を持たれず、無視され続けていたようなものだった。

 

 だからこそ尚のこと、常に自分を気にかけてくれる、一番に扱ってくれる達郎に惹かれるのは無理もないことだった。

 

(よりにもよって、一回り以上も年の離れた親代りの男性を…って思わなくもないけれど。達郎が私に甘過ぎたのも悪いのよね)

 

 結生と達郎が結ばれる上での障害は幾つかあるが、実を言えば年の差は大した問題ではない。

 

 同年代の夫婦に比べ、少しばかり一緒にいられる期間が減る程度のことと、聡明な結生は割り切っている。

 

 むしろ結生の気掛かりは別にあった。それは、縁もゆかりもない達郎が、どうして自分を引き取ってくれたのかという疑問。

 

 達郎が手を差し伸べてくれなければ、児童養護施設に送られていたに違いないだけに、現状に不満がある訳ではない。

 

 ただ、達郎が注いでくれる愛情の裏には、何か理由があるような気がしていた。

 

 幼い頃の実体験から、無償の愛などそう簡単に得られるものではないことを結生は知っていた。

 

 (まぁ、どんな理由があるにせよ、私の気持ちは変わらない。一心不乱にこの想いに殉ずるだけよ)

 

 結生は夕暮れ時の空を見上げると、目を瞑り瞼の裏に達郎の姿を思い浮かべた。

 

 ―――私は達郎が大好きだ。

 

 ―――清潔感のあるナチュラルな藍色のマッシュヘアが好きだ。長めの前髪から垣間見える、優しい瞳に見つめられると胸がときめいて仕方がない。

 

 ―――消防士の仕事で鍛えられた、適度に引き締まった身体も大好きだ。抱きしめられた時のことを考えるだけで喜びに心が震えるほどだ。

 

 ―――月末には三十歳を迎えるのに、元々の童顔も相まって、未だ二十代前半と言っても差し支えない容姿には感動すら覚えてしまう。

 

 ―――普段は不器用な優男に見えても、肝心な時には決して怖気付いたりしない。そんな頼りになるところも最高だ。

 

 ―――他の女性には目もくれず、私にだけ愛情を注いでくれる様子などもう堪らない。

 

(…はっ、いけない。(まぼろし)の達郎のせいで、危うく帰りが遅くなるところだったわ)

 

(大体、最後の“私にだけ愛情を”って(くだり)は、凜子さんに出会うまでの話であって…今や過去形だし。まったく、あの真性のブラコンお姉さんめ…)

 

 達郎の姉である凜子。その容姿と中身は達郎の更に上を行く。

 

 達郎と同じ髪色のショートヘアにきりりとした小振りな顔立ち。三十路を迎えてなお、メリハリの効いたスーパーモデル級のそのスタイル。

 

 (てら)いのない性格と古風な口調も相まって、男性だけでなく女性をも虜にしてしまうほどに魅力的だ。

 

 その凜とした容姿と立ち振る舞いは、まさに武士と大和撫子を足して2で割って、現代に最適化されたような異質な存在と言えよう。

 

 それでいて、完璧かというと決してそうではなく、時折抜けているところを見せたり、恥入って赤面したりするのだ。

 

 あの年齢にして未だ愛らしい一面まで備えているのだから、もはや意味が分からない。もしかしたら、頭はそれほど賢くないのかもしれない…

 

 ともかく、そんな尊敬に値する女性が他人には目もくれず、弟の達郎にだけとことん甘くて一途なのだから、結生からすれば堪ったものではない。

 

(本当、達郎を溺愛しているのが見え見えよね…私が達郎と結ばれたとしても、近くにいられてはとても安心できないわ)

 

 こともあろうに、今週末には凜子さんの誕生日パーティがあるのだ。どうやら、凜子さんは今夜中に家に泊まりに来るらしい。

 

 全くいい歳して自分の誕生日のために、わざわざ前泊するなんて…あのクールな見た目からはとても想像できないが、内心ではきっとウキウキしているに違いない。

 

「…はぁ〜」

 

 思わず溜息も出るというものだ。達郎となるべく二人きりにしないよう、今回も気を引き締めてかからねば。

 

 あの二人、いつ間違いを犯すか分からない…いや、既にチュッチュしちゃっているかもしれないのだ。

 

(…大丈夫、私は負けない。最後は想いの強い方が必ず勝つ!)

 

「達郎…貴方は私を救ってくれた。だから、今度は私が達郎のことを捕まえるわ。それこそが私の求める最高の結末…完全無欠のハッピーエンドよ!!」

 

 結生は自宅マンション前に到着すると、右手に持った買い物袋を高々と掲げ、声高らかに達郎への想いを爆発させた。

 

 無論、道行く人々の奇異の目など、一切お構いなしだったのは言うまでもない…

 結生の恋は、達郎しか知らないし、他の男を知ろうとも思わない。

 

 この世に達郎さえいれば良く、他に大切な物など実のところ何もない。

 

 ついでに言えば、達郎の返事すらも必要ないという…とてもとても真っ直ぐで、けれども(いささ)か偏ったものだった。

 




 結生の唯一の残念ポイントは、達郎を好きなこと…っていうのをテーマに、本編終えたので後先考えず、気楽に書き上げました。

 結生がややテンション高めなのは、森田家の血筋ということでご理解いただければと思います。

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