詰め込んだらこうなっちゃったよ……次回からはしっかりとライスがライスをしてライスになるので……
菊花賞──長距離 芝 3000m 右 外
天気 晴れ
タイム 3分05秒0
優勝────ライスシャワー
トレーナー室にて、先日行われたレースを確認している
貧乏揺すりが止まらず、咥えていたアメを噛み砕き、最終的には机の上の資料全てを床にぶち撒けた。
ライスシャワーが来ない。
苛立っている理由はそれではない。苛立っている理由は、先日行われた菊花賞での出来事。
ライスシャワーは渚が課したトレーニングを超えて、ようやくミホノブルボンに勝利した。
来たるべき歓声、迫るべき祝福、本来あるべきはずだった望みの全てが────
《
《
《ヒール》《ヒール》《ヒール》《ヒールッ》
《ヒールッ!》《ヒール!!!》
思い返す度に、思い出す度に、唇が切れるほど噛み締める。眉間にシワを寄せ、目を眇めてから、渚はそれらが意味を成さない事を理解した。
何より────、
「なにもできない俺は、なによりも腹が立つ」
大きくため息を吐き、背もたれに体重を預ける。
菊花賞以来、ライスはトレーニングに殆ど来ない。菊花賞、そして有馬記念にて八着だったのを機にまったく顔を見せなくなった。
恐らく、いや、原因は一つ。菊花賞を走り切った後に起こった最悪な出来事。
「はぁ……」
溜め息を漏らして、天井を見上げる。
数日前にライスシャワーから告げられた言葉。明らかに
まさか、あんな事が起こるとは思わなかったのだ。
横で見ていた渚より、誰よりも近くで見ていたライスシャワーの方が、あの眼差しと席巻する非難を正面から受けた。
それ故の心傷は深く、広く、抉られた。
「なんなんだよ……」
頭をめちゃくちゃに、髪を掻き上げる。
ライスシャワーから告げられた言葉──『ライス、もう走らないから……だから、ごめんなさい』と囁くように紡がれた唇は震えていて、視線を落とした状態で、ただ、ただ────、
「それが本心じゃないって、誰だって分かる……なのに……俺はまた……」
──なにも
胸の奥を握り締めて、渚は唇を噛み切った。
目の前に広がるのは、ライスシャワーがいつ戻っても大丈夫なように綿密に練られたトレーニングメニュー。調整が施されたシューズに、資料の数々。
当然やることはやった。
ライスシャワーを捕まえて、事情を聞いて、主人公のように背中を押して前を向く──そんなことを考えてもいた。
だが、現実はあまりにも無残だ。
現実逃避するべく天井を見上げたまま思考を放棄。そして、ぼんやりしていると静謐なトレーナー室の中へ、扉を叩くノックの音が数回響き渡った。
「……ライス?」
ふと見つめた視線の先。大切な相棒の姿を求めて、渚は胸を抑えながら慌てて駆け寄り、扉を勢い良く開く──その
「──ライス!」
いつもライスがいる視線の高さ。見つめる先にあるのは、青いバラではなく海のように蒼い瞳。困惑した表情は、どこか子どもっぽさを残していながら、冷静さを滲ませていた。
それでも渚の突然の行動に驚きを隠せず、相手は「び、びっくりした」と言葉を漏らしていた。
そしてその
「その様子だと、クレナイトレーナーの所にもいないみたいだね……」
落ち込みの色を滲ませながら苦笑するのは、以前の天真爛漫さが少し抜けたトウカイテイオー。
彼女は渚を見上げて笑みを浮かべながら「ボクだよ」と軽く手を振った。
「ああ、テイオーか……どうした?」
「うん、ちょっと聞きたいことがあってさ」
なにやら改まった様子でテイオーは渚を見つめる。
その瞳は悲しみと気まずさを滲ませ、渚の精悍さを失った視線に交わった。
「そっか……まずは中に入って」
「うん、ありがとう」
渚に案内されてテイオーはソファに座り、渚は自分の椅子に腰を下ろす。背もたれに寄りかかりながら渚はテイオーに「聞きたいことって?」問い掛けた。
「ライスのことなんだけど……」
「ライスならもう何日も来てない」
視線を逸らす。やましいことがあったり、隠していることがある故に視線を逸した訳ではない。ただ純粋に──テイオーのまだ輝く瞳を直視できなかった。
「聞いたよ、ライスから」
「……そっか……なんて言ってた?」
目を伏せるテイオー。その口からポツリと告げられた言葉は、渚の予想していたものでありながら、重く
「走っても、意味は無いって……勝っても周りのみんなを不幸にするだけだって……」
ふと渚の舌打ちが響く。
「意味ない訳ないだろ、また一人で抱え込んで……」
テイオーの目の前で、渚は唇を噛み締めてあからさまな後悔を見せる。眉間に皺が寄り、その焦燥感に苛立って椅子に力なく座り込んだ。
頭を抱えては、溜め息を漏らすばかりだった。
「意味が無いって、そんなことない──意味はあった。ようやく目標でもあったミホノブルボンに勝利して、俺は嬉しかった」
俺には意味があった、と吐露する。
意味のないものなんてない。ライスの勝利は、努力によって齎された──最後まで諦めなかった執念の勝利。たとえどれだけ強い者であっても、最後まで諦めなければ勝てるんだと知らしめてくれた。
意味はあった。
「クレナイトレーナー……」
「それからライスは?」
「分かんない。そのまま帰っちゃったんだ……」
テイオーはライスが走らないと言っていた事をマックイーンから聞き、理由を探る為にゴールドシップ達と協力していた事を話した。
どれだけ誘っても天皇賞には出ないと頑なに断り、捕まえて聞けば、ライスの身に起こった最悪の出来事を知った。
「それでもしかしたらって思って、クレナイトレーナーの所に来たんだけど……」
トレーナー室の辺りを見渡してから、テイオーは疲れ切った渚の表情を見て、
「その様子だと、クレナイトレーナーの所にも全然来てないんだね」
「まあ……」
「探さないの?」
問い掛けられた渚は、その言葉に対して唸る。
髪を掻き上げ、抱えるように頭を抑えて、訥々と小さく答えた──もう探したさ、とたった一言。
それから唇を噛み締めるように、悔しさを表情に滲ませながら、
「追いかけても、ウマ娘の
声をかけた瞬間に逃げるライスシャワーを追いかけても、数秒後にはもう姿は見えない。
「根気強く粘っても、ライスの
諦めずに追いかけても、こっちの体力だけが極端に減り、ライスシャワーの底を知ることができない。
「待ち伏せしても、ライスの機敏さを捉えられない」
ライスシャワーの目の前に突然飛び出て捕まえようとも、
「どれだけ声をかけても、ライスの耳には届かない」
励まそうと、慰めようと、ライスシャワーは渚の言葉を聞こうとせず、全てを自分の所為だと責める。
「……もう、俺は全てをやった
思考を巡らせ、なんとかしてライスシャワーに前を向いてもらいたい。その為に何度もライスシャワーと向き合い、自分にできる何かを探し続けた。
自分に残された限りある時間を以て、ライスシャワーの力になろうと努力をした。だが、ダメだった。
「く……」
呻きを漏らす渚に、テイオーは真っ直ぐな瞳を向ける。日本ダービーを終えたテイオーに待ち受けたのは、絶望的な怪我。無敗の三冠を夢見る彼女にとって、その怪我は最悪の他何もない。それでもトレーナーは最後まで諦めなかった。
テイオーに三冠を取らせる為に、最後の最後──できる限りの全てを尽くし彼女をサポートし続け、ダメだった。
三冠を逃して、無敗も失った──それでも、彼女がトウカイテイオーで有り続けられたのはトレーナーの存在があった故。一心同体の賜物とも言える。
「クレナイトレーナーは、もう諦めるの?」
その言葉に、渚は目を見開いて彼女を見つめる。
最後の最後まで諦めなかったテイオーのトレーナーとは違い、渚は限界を知ってその時点で諦めた。
担当ウマ娘を支え、彼女らを救えるのは、最も近くにいるトレーナーだけ。テイオーはそれを充分に味わって来た。
だからこそ、ここで言える。
「俺が、あきらめた……?」
だが、そこで渚の雰囲気が一気に変わった。
胸を抑えて、渚は噛み締めるように呟く。
「俺は、まだ諦めちゃいない……」
また、ライスシャワーの走りを見たい。
また、ライスシャワーの笑顔を見たい。
ただ、ライスシャワーの────、
「く、そ……俺は、ライスの夢を、叶えてあげたい……まだ、諦めてなんかいない……!」
力強く答えた渚だが、すぐにその声は力を失って行き、やがて涙声と混じって行く。呼吸が荒くなり、肩を大きく上下させながら、目を眇めてテイオーに視線を送った。
「……でも、無理なんだよ」
「…………え?」
「いつも、いつも、
記憶の奥底に仕舞い込んだ恐怖。蘇ってくるのは、真っ白な病院のベッドが、鮮明に赤く染まっていく場面。隣でもう動かない項垂れる大切な人の姿。
救えなかった一人。
手を伸ばせば届いたのに、
だから、今度こそ──今回こそは必ず、なにがあっても手を伸ばし続ける。ここで手を伸ばさなければ、死ぬ程に後悔する。それが嫌だから、もう味わいたくない感覚だから、伸ばす。
「そうだ……俺は、ライスを……」
ゆらりと立ち上がり、おぼつかない足取りでトレーナー室から出ようとするが、その足は力を失って身体が地面に向かった。
「ちょっとクレナイトレーナー!?」
地面から流れる衝撃を覚悟した渚だったが、それはテイオーの間一髪の行動によって難を逃れた。
倒れる瞬間の渚を支えるテイオーは心配げな表情を浮かべて、渚を見つめる。その渚の顔は青白く見え、息が荒いだけでなくかなりの量の汗をかいている。
辺りを見渡せば、床に散らばったエナジードリンクと何かの薬の数々が一瞬で目に入り、どれだけ渚が疲労しているのか物語っている。
渚に肩を貸して、テイオーは問い掛けた。
「クレナイトレーナー……もう何日寝てないの?」
その言葉に渚は苦痛の色を滲ませながら、無理やり口角を上げて笑みを浮かべた。
「さあね、四日ぐらいから数えるのやめたよ」
「え、四日!? ちょっとは休んだ方がいいよ!」
「いや……そんなことより、ライスを助けたい」
テイオーの静止に耳を貸さず、渚は意地でもトレーナー室から出てライスを探しに行こうとしている。見る限り、睡眠不足から来る疲労ではない。明らかにライスを探しに行ける体調じゃないのは、ひと目で理解できた。
「なんで、そんなに頑張るのさ……」
かつて、走る意味を見失ったトウカイテイオー。だが、トレーナーやメジロマックイーン、そして他の仲間たちの想いを感じる事で、もう一度その
しかし、
「手を伸ばせば届くのに、ここで伸ばさなかったら死ぬ程後悔する」
テイオーの目を真っ直ぐ見つめ、なんら当たり前のように渚は答える。相変わらずその表情からは、苦痛の色を滲ませている。それでいて瞳は強く、光り輝いているようにも見えた。
どこからで見たことのある決意の瞳。
「あ……」
菊花賞──トウカイテイオーが三冠を逃したあの日。その日に見たレースを駆け抜けるウマ娘たち。そこにはいないトウカイテイオーに勝つが為、周りから「トウカイテイオーがいれば──」などと言わせない為に、全身全霊を以て駆け抜けたそのウマ娘たち。
真っ直ぐに、勝利だけを目指す燦然と見つめたその瞳に似ていた。
「俺にとってライスは──『
「……ひかり?」
「道の見えなかった俺に、道を与えてくれたんだ」
素直に、純粋
かつて子どもの頃に目撃した燦然と輝く矜持。誰よりも近くで、彼女と共にその景色を見てみたい──彼女と共に駆け抜けたいと思った。
「だから、今度は──俺が『
迷えば、共に。
違えば、正し。
会えば、進み。
手を取り合い。
手を差し出し。
ライスシャワーが駆け抜ける道は、決して間違いなんかじゃない──渚は、その全てを信じ抜く。
「クレナイトレーナーはスゴイよ」
「君ほどじゃない」
「……ボクは、三冠も、無敗も無くなっちゃった」
夢を見た先──意味を見出だせない
「走る意味なんて、分からなくなっちゃったけど、マックイーンやトレーナーのおかげで、ボクはまだ走りたいって思えた。勝ちにも、負けにも意味はあるんだって──」
テイオーは小さく囁くように呟く。そして渚の身体を支えながら、ゆっくりと椅子に下ろした。
戸惑い見つめる渚に視線を合わせ、テイオーが笑みを浮かべる。
「トレーナーも、ボクたちと同じなんだね」
その言葉の意味は、渚には理解できなかった。
天真爛漫、とはまた違った少し大人びたようなテイオーの笑顔。彼女は「えへへ」と溢してから、
「──ここは、ボクに任せてよ! 絶対にライスを連れて来るから! それまで、クレナイトレーナーは絶対安静!」
そう言ってテイオーはトレーナー室の扉を開く。一歩を踏み出してその歩みは止まり、一度振り返った。
「その代わり、今度はちみー奢ってね!」
それだけを言い残して、トウカイテイオーはその場から立ち去る。残された渚は、ポカンと口を開けたまま静止。だがやがてテイオーの言葉を理解した時、思わず笑みを浮かべていた。
「──ありがとう、トウカイテイオー」
ポツリと、本人には決して届かない感謝を、渚は胸を強く抑えて呟いた。