ただ、ライスシャワーと静かに過ごしたい   作:渚 龍騎

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ちょっと話が重いですので、ご容赦ください。


ただ、ライスと共に駆け抜けたい

 

 

 

 

 瞳を閉じれば、すぐに広がるのは苦痛の闇。

 神経が研ぎ澄まされた中で、全身を駆け巡る激痛の嵐。体内でアレが暴れ狂い、精神が休まることは決してない。

 今も、視界を閉じているだけで眠ることなんて叶わない。ライスシャワーが心配──それももちろんある。だが、なにより渚を苦しめるのは、全身を流れる激痛だった。

 

 心臓を握り潰されるような感覚の時、瞳の奥に映るのは、いつも同じ景色──真紅(クレナイ)に蚕食する純白のシーツ、隣でもう起きる事のない大切な人の、血の気の失った表情。

 そして、その奥で見つめるのは、何を知ろうか小さい頃の自分自身。いつだってこの場所に来れば、自分(ソイツ)は虚ろな瞳で睥睨し、

 

『お前はなにもできない』

 

 いつもその言葉を暗澹とした中で吐露した。

 そこで毎度毎度、渚は罪悪感に苛まれて、自分を責め続け、やがて絶望する。この夢の中は、自分を殺すために存在するのだと、すぐに理解できた。

 だが問題は、それを理解してても尚──決して、克服することはできない。

 何度だって、絶望してしまうのだ。

 

 今も、ここ光景から目を背けたい。それなのに身体を、視線をそこから離すことができない。

 だから──嫌いだ。

 この景色も、なにもできなかった自分も、目の前にあるこの全てがキライだ。

 

 なにもできない。なにもしない。

 あの人が──母親が()()()()()()()()()()()

 

『なんで、まだ生きてる?』

『お前はただ運が良かっただけ』

『なにもしてないお前には価値がない』

『誰もお前を必要する人なんていない』

『──()()()()()()()

 

 それらの言葉が、何度も脳内に木霊する。

 

痛み(それ)を理由にお前は逃げてるだけだ』

 

 暗黒が近づく。息が掛かるほど顔に近づき、そいつはどす黒く鈍い声色で、溜飲して揶揄する。

 

『──お前はまた、なにもできないんだ』

 

 ────やめてくれ。

 

 その声は決して届かない。

 

『──お前はいつだって弱い』

 

 ────チガウ、僕は。

 

『──お前は周りを不幸にする』

 

 ────僕は、ただみんなに。

 

 心臓が、意識が、暗闇に呑まれる。

 暗黒はガッシリと腕を掴んだ。

 席巻する漆黒は、渚を随行させる道にしか逃がさない。芽ばえた郷愁も、虚しく消えて行く。

 

 ────お───ま。

 

 光が、見える。

 その声は、温かくて柔らかい。

 

 ────おに──ま。

 

 漆黒にも似た光明。そこに燦然と残る温かさは、ずっと心の奥で跋扈し続けている。

 

 ────お兄さま。

 

 手を、伸ばした。

 もう誰かを不幸にするなんてイヤだ。

 もう誰かを見捨てるのなんて絶対にイヤだ。

 手は届く。伸ばし続ければ、絶対に届く。だからこそ、もうこの手を引っ込めたりなんてしない。

 

「──お兄さま」

 

 その声にゆっくりと導かれ、渚の意識は激痛の海から浮上する。明滅する視界を擦り、何度かのまばたきで視界を安定させた。

 そこに、遅れて意識が覚醒する。

 

 始めに映り込んだのは、大きな帽子に青いバラ。

 その特徴的な髪色と耳、毛並みの整った尻尾。小柄で華奢な身体は、渚が見慣れ、求め続けたウマ娘。

 その姿に、渚は安堵の息を漏らした。

 

「……ライス」

「……お兄さま」

 

 トウカイテイオーは約束を守った──心の奥で感謝を述べ、渚は真っ直ぐにライスシャワーを見つめた。

 ライスは口ごもって俯く。そして怯えた小さい声で、話を切り出した。

 

「ごめんなさい……たくさん、迷惑かけて……」

 

 ライスシャワーはまた自分を責める。走ることを拒み、目の前のことから逃げては、トウカイテイオーとミホノブルボンに救われた。

 だが渚には多大な迷惑を掛けたと、ライスは目を合わせられない。絶対に落胆された──そう感じていた。

 

「ライスが、ちゃんと……向き合って……」

「──ライス」

「ライスの所為で、お兄さまが辛い思いを……」

 

 その先を呟く瞬間、ライスの言葉を遮って渚が優しく抱き締める。温かく柔らかな感触に、ライスは戸惑いを隠せず渚を見上げた。

 すると彼は、小さい声で囁いた。

 

「──おかえり、ライス」

「……お兄さま……」

 

 聞こえた言葉を口の中で呟き、思いもしなかった感情に、ふと涙が込み上げる。なにかが溢れるように、その感情を抑え切ることができなかった。

 

「ぐすっ……ごめん、なさい……ほんとうに……ごめんなさい……っ!」

「ううん、良いんだ。よく、戻って来てくれたね」

 

 胸の内で謝り続けるライスの頭を撫でながら、渚はただ優しく微笑むばかりだった。

 そして同時に、ずっと思い続けた言葉を口にする。

 

「ごめん、ライス」

「ふぇ……?」

 

 見上げるライスに、渚は唇を噛み締めてから、

 

「君を一人にしたこと……君に、全部を背負わせてしまったこと。トレーナーでありながら、なにもできなかった……ごめん……」

「……ううん、違うの……ライスが──」

 

 首を振って言葉を告げようとしたライスの口を、渚の人差し指が塞ぐ。困惑し、理解できていないライスに向けて、渚は何度も首を振った。

 

「君ばっかりに背負わせてしまった」

 

 更に「だから」と言葉を繋げ、

 

「今度からは君が背負うものを全て、俺が君ごと背負っていく。もう、一人で抱え込む必要なんてない」

 

 力強く、ライスの潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめながら、その決意を言葉に示す。トレーナーにできることは限られている──だがそれでも渚はライスシャワーの為に、この全てを捧げて共に駆け抜けると決めた。

 

「……おに、さま……ん……ぐす……」

 

 もう涙声になり、途切れ途切れで何を言っているのかライス自身も分からない。その紫根の瞳から流れる涙は、決して悲しみから来るものではなかった。

 ただ、()()()()()

 そして────怖かった。

 

「ライスは、お兄さまと……一緒に、いていいの?」

 

 非難されたことにより、トレーナーである渚にもその声は響いた。

 自分が招いた最悪に、ライスの罪悪感は増して行き、やがては渚と顔を合わせることすらできなくなった。

 渚に見放されるのが怖い。ようやく自分を必要としてくれる人に、嫌われるのが怖い。ライスはその恐怖感に()し潰されそうになっていた。

 目を合わせられない。否定の眼差しで見られるのが、ライスにとっては考えたくもないことだった。

 だが渚は────ふ、と笑いを溢す。

 

「──もちろん。もう一人にはしないさ」

「け、けど……ライスはみんなを不幸にしちゃう……お兄さまだって、ライスの所為で辛い思いして……」

「そんなことない」

 

 真っ直ぐに、鮮烈に、渚は強く見つめた。

 するとライスは涙ぐんだ声で、僅かに嗚咽すら漏らしながら渚に問い掛ける。

 

「……どうして? なんでお兄さまは、そんなにライスを……信じてくれるの?」

「どうしてって……大切な相棒を信じるのは当たり前だよ。ライスは、俺のことを信じてくれないの?」

「そ、そんなこと……!」

 

 ないよ、とライスは小さく自信のない声で答える。

 

「ライスは俺を信じてくれてるのに、俺が信じなくてどうするの。君は俺の最高のウマ娘だ。その事実は変わらない──自分に自信を持って、そんなに自分を貶めるようなこと、言っちゃダメだ」

 

 決して、渚の思いが変わることはない。

 どうしても、なにを否定されようと、決して譲れないことが一つだけある。

 

「──君と共に駆け抜ける。その夢と、ささやかな祈りを届ける為に、全身全霊を捧げる」

 

 目を見て、真っ直ぐにはっきりと渚は告げる。

 ──結局、渚の行動の原点はいつだってシンプルなもの。決して変わることのない永劫不滅の想い。

 母から受け継いだその言葉(おもい)は、遥かなる未来へ手向けた渚の矜持──その根源、それこそライスシャワーを信じている故。

 

「────」

 

 渚の紡いだ言葉に、ライスシャワーは唇を閉じて沈黙する。そんな彼女に向けて、渚はただゆっくりと、母から受け継いだ言葉を告げる。

 

「例えどれだけ暗い絶望に呑まれようと、希望はいつも君と共にある」

 

 絶望という名の闇に呑まれても、人やウマ娘たちの心から光が消え去ることは決してない。

 ウマ娘は人々の想いを背負って駆け抜ける存在。想いがある限り、どれだけでも速く、どれだけでも強く燦然と輝ける。

 希望は、いつだって側にあるのだから。

 

 自分に自信を持てないのなら、持てば良い。それでもダメならば、誰かを信じてみればいい。

 渚は彼女を信じる。だからこそ────、

 

「だから、君自身を信じて。そして──僕を信じて」

 

 手を差し出して、その答えを待つ。「僕は、君を信じる」と付け足して。

 絶対に誓う──ライスシャワーのそのささやかな祈り(ユメ)を叶える。例えどれだけの苦難が待っていようと、光が照らし続ける。

 ふいに、ライスの表情が崩れた。

 

「ほんとうに……ライスを……」

 

 大きく開かれた紫紺の双眸──隠れた髪から覗いた瞳にも、その大粒の涙を浮かべて、声を震わせる。

 

「……ライスを、こんなダメダメなライスを……おにいさまは……信じて、くれるの……?」

「──当たり前だ」

 

 間髪入れない渚の答えに息を呑み、ライスは更に涙を浮かべて嗚咽を漏らす。そして腰を曲げてから目線の高さを合わせ、出会った時からずっと思い続けてきた言葉を告げる。

 

「──君は、僕の英雄(ヒーロー)なんだから」

 

 小さく口を開けて、渚を見るライスの瞳にみるみる涙が溜まる。大粒のそれは瞬きと同時に流れ出し、白い肌の頬を伝って透明な軌跡を描いた。

 

「夢を追い駆ければ、全てが変わる。希望は前にしかない。だから、進み続けるしかないんだ」

 

 頬を流れる大粒の涙を、伸ばした手でそっと押さえる。頬に触れた渚の手に、上からライスの掌が触れて抑えられた。

 

「お兄さま……」

「夢を見るのにだって勇気がいる。夢を叶えるのには、覚悟がいる──ライスはまだ、夢を諦めてないんでしょ?」

 

 渚の言葉を聞き、ライスは頬に手を当てて、堪え切れない涙をぽろぽろと流し始める。頬に当てた手はそのまま、空いたもう一方の手で、ライスの漆黒の髪を梳くようにして撫でた。

 

「うん……ぐすっ……」

「じゃあ、二人で頑張ろう。些細な幸福を、二人で育てて行けばいいんだ」

「うん……うん……! お兄さま、ありがとう……」

 

 ライスは力強く何度も頷き、その感謝をただ伝え続ける。そんな彼女を宥め、渚はただ優しく柔らかく撫で続けた。

 

「ライス、頑張るよ……!」

 

 ライスシャワーは決意する。

 ミホノブルボンの激励を胸に、クレナイ ナギサの想いを背に、もう一度走り抜ける覚悟を決めた。

 自分の頬にナギサの手を当てて、彼女は涙を溢しながらも笑みを浮かべる。

 

「それじゃあ、一緒に頑張ろう」

「うん……!」

「ウルトラ張り切るぜ! 頑張るぞー……」

 

 ナギサが口に出した言葉を聞き、ライスは涙を必死に拭ってから手を握り締めた。そして同時に、二人で天高く突き上げ、おまじないを呟く。

 

「「おー……!!」」

 

 静寂に包まれていたはずのトレーナー室に、二人の声が響き渡り、やがてその声は笑いへと変わった。

 

「でも、お兄さま……」

「なに?」

 

 まだ目元に涙を薄っすらと浮かべて、ライスはトレーナー室の中を一望。乱雑に散らばったエナジードリンクの缶や、ぐしゃぐしゃに丸められた紙などを見つめ、少し苦笑を滲ませる。その表情に気が付いたナギサも、何かを察したように「あー」と声を漏らし、

 

「はい、まずは部屋の片付け……だね。手伝ってもらっても……」

「うん……!」

 

 喜んで頷いたライスシャワー。ナギサに背を向けて、床に散らばる紙屑や缶を手に広い集める。そして集めたゴミを両手に抱え、振り返った瞬間──目の前の出来事に、視界が明滅したような感覚を覚えた。

 

「…………え……?」

 

 笑顔を浮かべていたはずのナギサ。

 眼前に舞い落ちる紙は視界から外れ、目の前の光景がより一層あらわとなり、彼の倒れる鈍い音が紙と混ざり合って、ライスの意識を混濁させた。

 真っ直ぐに見つめていた瞳は閉じられ、笑顔を浮かべていた顔は苦痛へと歪み、笑っていたはずの声はひたすらに呻くものと変わっていた。

 

 その光景を理解した直後──ライスシャワーは両手に抱えたゴミを思わず落とし、慌ててナギサのもとへと駆け寄った。

 

「──お兄さま!」

 

 ライスシャワーの叫び。

 頬には、まだナギサの掌の感触が残っていた。

 

「──お兄さま! お兄さま!」

 

 ひたすらに叫び続けられる己。目の前に広がっていたはずの景色は暗黒に包まれ、もう考えることすらできなくなっていた。

 いったい誰が呼んでいるのか。身体を揺らしているのは誰なのか。もう自分の名前すらも思い出せない。

 

「……あ……ぁ……」

 

 ただ、その思考を埋め尽くすのはたった一つ。

 全身を駆け巡る激痛。意識を蝕む苦痛は、やがて全てを食らい尽くして、最後にはその魂を貪る。それでも、忘れられない言葉が、ナギサの口から漏れた。

 

「……あ……らい、す……しゃ……わ……」

 

 ポツリと、途切れ途切れに繋いだ言葉は、ライスシャワーの叫びによって一瞬で掻き消され、やがてナギサの意識は暗黒へと誘われた(キエタ)

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