※出来得る限りの配慮はしていきますが、ゲームやアニメを見た程度なので、ウマ娘の細かい設定や競馬などはからっきしとなります。不備があってもそこら辺は気にしないって方は気軽に楽しんでいただければと思います。
ただ、ライスとほのぼのしたいなあと
黒い。
そして──
初めて見た時から、なぜか目が離せなかった。
先程までの怯えるような佇まいからは、まったくもって考えられないほどに──心を奪われる走り。
小柄ではありながらも、勇猛な意思を感じさせる。
なぜ周りの人間は彼女のもとに行かないのか、ずっと疑問でしかなかった。
あの時、もし彼女を見掛けなければ、俺は彼女のトレーナーになどなっていなかっただろう。
爽やかな風のように、一瞬で通り抜けるその姿は、漆黒のようで漆黒ではない。刹那の間に聞こえた息遣いは耳を震わせ、地面を叩く脚はリズムを奏で、颯爽と駆け抜ける姿は──まさに『
「あ……!」
男は彼女の声にて意識が戻った。
刹那を見惚れるあまり、手に持っていた本の束を盛大に地面にぶちまけていた。本のページは折れ曲がり、見て見ぬフリをする連中の靴によって踏み潰されては土に塗れる。
中には本を問答無用で踏み付けて、こちらを一瞥し舌打ちする奴さえいる。故に、足を掴んで転ばせた。
知らんぷりして半ば苛立ちを覚えながらも、本を拾い上げて行くと──、
「ご、ごめんなさい……!」
か細い謝罪の声が頭上から降って来た。
なぜ謝罪の言葉なのか理解できず、呆気に取られながらも男が視線を上げた先──最初に目に映ったのは『青い薔薇』。
長い髪を揺らしながら、彼女は目一杯頭を下げる。
「ライスが横を通ったから、それで本を落としちゃったんですよね……ご、ごめんなさい!」
ライスと──恐らく自分の名前を──言い、彼女はそそくさと無造作に落ちる本を拾い始めた。
道行く人に謝り、全てを拾った所で彼女は男に向けてもう一度頭を下げた。
「すいません……!」
なぜ謝罪をするのか、理解できない。
謝るのならこっちの台詞。彼女が謝る理由など、どこにも存在しない。ただ彼女に見惚れて、ただ勝手に落とした。ただそれだけ。
それなのに、彼女は謝り続けた。
そして、最後にもう一度頭を下げる。
「ライスがいなくなれば大丈夫ですから……!」
訥々とそう言って彼女は駆け出す。
理解不能な出来事が続き、男は呆気に取られたまま彼女の背を見ることしかできない。本を拾ってくれた感謝を述べることすら叶わず。
────だが、その願いはすぐに叶った。
「あぅ」
赤信号に捕まった。
男は本を抱え、ゆっくりと
「ごめんなさいっ! ライスが近くにいる所為で、信号が赤に……!」
「……いや、どちらかと言えば俺の所為だ」
思わず本を落とさなければ、彼女が赤信号に捕まることはなかった。
周りの人間は本を踏む中、彼女はトレーニングを中断してまで本を拾ってくれた。
故に、謝るべきは自分であり、その上で感謝も伝えなければならない。しかし彼女は「ううん」と首を振った。
「ライスの所為なんです。ライスはみんなを不幸にしちゃうダメな子だから……」
ライスは自分を責める。
不幸なんぞ、ただ運が悪いだけのこと。
恐らくこの少女は、周りのその運の悪さに無意識に引き寄せられてるんじゃないか?
まあ、単純に間が悪いのかもしれないが。
徐々に俯き、その大きな耳も萎れ、綺麗に手入れが施された尻尾も元気をなくしている。
何を言っているのかは分からなかったが、そんな彼女に向けて男は口を開いた。
「ありがとう」
「…………え……?」
「お、ようやくこっちを見てくれた」
埒が空かないと感じた男の行動は、無理やりにでも感謝を伝える事──突然の事で思わず顔を上げた彼女との目が合い、作戦は成功のようだった。
「この本──周りの人間は容赦なく踏んで行くのに、君だけは拾い上げてくれた。そのありがとう」
「で、でも……ライスが通らなかったら……」
「うん、確かに俺は
「うぅ……」
落ち込む彼女に、男は「だが」と言葉を続ける。
「それは
「…………え?」
「俺は、君に見惚れたから本を落とした」
「みと、れ……ふぇぇ!?」
彼女の尻尾が天に向かってピンと伸びる。
男は思わず笑みを浮かべ、目を見開く彼女に自分の想いを伝える──不幸になどなっていない事を。
だが彼女はその言葉を聞いた瞬間に顔を赤くし、口元を抑えた。
「ラ、ライスは……! うぅ〜、ごめんなさいっ!」
そんな事を伝えた瞬間、信号が青になり、彼女は走り去ってしまった。
────フラれた。
これが俺と彼女──ライスシャワーとの最初の出会い。
◆◆◆◆
「──泣きそう」
「……え?」
開口一番、突然放たれた言葉にライスは男を見て疑問を浮かべる。それも当然──休日に二人でトレーナー室に篭り、その中で続いた沈黙を破っては、その言葉を呟いたのだから驚くのも無理はない。
「ど、どうしたのお兄さま?」
「いやさあ、俺の名前が珍しい所為なのか、めっちゃ間違われるんだよ」
「……確かに、お兄さまの名前ってあんまり見ないね」
名字は
知人からは下の名前で渚と呼ばれる事が多い。しかしこれには理由があり、大半の人間が真紅をクレナイと読まない──否、読めない故のこと。
大概の人は
今まで出会ってきた人達はそうやって呼ぶ。もう数え切れない程に名字を訂正してきていた。
「まあ、間違われるのは良いんだけどさ。さっきなんか酷かったよ」
「なんて言われたの?」
「
「…………え? どういうこと?」
「なんか俺のことを外国人だと思ったらしい。馬鹿にされてんのかと思ったよ」
ライスは思わず苦笑する。
渚は椅子から立ち上がり、「そして」と言いながら窓の外を見つめた。
「あのゴールドシップは俺の事をタルトと呼ぶ」
「……タルト? どうして?」
「これの事だ」
一瞬の手捌きによってスマホに一枚の写真が映し出され、渚はそれをライスに見せた。
「……紅芋……タルト…………」
紅芋タルト──それは沖縄のお土産にもってこいの代物。優しい甘さは口の中にとろけ、一個食べれば何個も食べたくなる。
確かに紅芋タルトは美味いが、それとこれとはまた話が別だと、渚は強く拳を握り締めて主張した。
「いいかライス!」
「ふぇ?」
「他人事だと思っているかもしれないが、いずれライスにも訪れるさ。これはライスの事を、チャーハンだと言っているのと変わりない!」
「えぇ……!?」
「嫌だろ!?」と叱責するように、声を大にして渚はライスに問い掛ける。彼女は少し唸りながら考えた後に「確かにイヤだけど……」と小さい声で答え、
「お兄さまがライスをライスって呼んでくれるから」
はにかむように笑みを浮かべるライス。その表情があまりにも愛おしくて、可愛過ぎるので渚は胸の奥で高鳴る鼓動を抑える。
その所為で、渚の苛立ちもすっかり鳴りを潜めてしまった。
椅子に座り直して天井を見上げる。
「人生で初めてだったよ──『日本語お上手ですね』って言われたの」
「お兄さまはなんて返したの?」
「これでもですね、私120%の日本人なんですよ?」
声色を変え、煽るような言い草の渚の答えにライスは思わず笑みを溢す。
「どしたの」
「ううんごめんなさい。ただ……お兄さまは優しいなって」
「今ので俺が優しい要素あった?」
「お兄さまはよく文句
「文句は悪口じゃないの?」
ライスはうーんと思考を巡らせる。
時には「なんて言ったらいいんだろう……」とボソボソ呟き、ようやく導き出された答えは一つ。
「お兄さまだからかな?」
「……どゆことやねん」
「えへへ」
なにが言いたいのかは理解できなかったが、渚もライスもお互いに笑みを浮かべた。
「そんな事を言うなら、ライスもライスで異常な程に優しいと思うけど」
「そ、そうかな……」
「そうだとも。皆はその優しさに心を救われてるんだ」
渚がライスを見てきて何度も思ってきた本心をそのまま口に出せば、ライスは視線を落として恥ずかしがるようにモジモジし始める。
渚にとって、ライスシャワーというウマ娘は、誰よりも優しく広い心を持っていると感じていた。
渚は「そして」と言った後に一拍置いて、口を開く。
「俺もまた、君に心を救われた一人だ」
「…………え?」
ライスの目を真っ直ぐに見つめ、
「言ったでしょ? 君に見惚れたってね」
口ごもる訳でもなく、真剣な眼差しであっさりと渚はその言葉を紡いだ。
「ふぇ……?」
目を見開き、きょとんとした間抜けな顔でライスは渚を見つめる。窓の外に視線を移し、澄み渡る青い空を見上げながら渚は続けた。
「子どもの頃から、俺は身体が弱かった。もちろん走ることは叶わない。そこで見たのが──君たちウマ娘の存在だ」
何も描かれていない真っ白なベッドの上、空だけを見つめていた時に聞こえたテレビの音。
耳を聾する大歓声、その中で駆け抜ける恍惚とした矜持を持つ
「かっこよかった……最後まで決して諦めず駆け抜けていく姿は、俺にとって
真っ暗な闇を切り裂いて現れた希望の光。
ただその『勝利』を望み、掴み取るが為に諦めず走り続ける。その諦めの悪さを見た。
最後まで諦めず、不可能すら可能にして奇跡を起こす。その夢に憧れ、渚はたった一つの夢を描いた。
その夢とは────、
「たとえ彼女たちのようになれずとも、俺が彼女たちを導ければと、だから俺はトレーナーになった」
「……どうして、ライスだったの?」
不安げな表情で「他にも凄いウマ娘はいたのに……」とライスは自信なく訥々と呟いた。
そんな問い掛けを聞いた渚は溜め息を吐く。
ライスもライスとて、渚が
ただ、その片隅に残った靄を渚に否定してもらいたかったのかもしれない。それ故の問い掛け。
「どうして? 言ったはずだよ、君に見惚れたって」
「…………っ!」
ライスが驚愕する。
何度言っても、ライスの反応は決して変わらない。変わったとすれば、渚の真剣な答えに
「諦めず自分を変えようとする意思。自分の為でなく、他人の為に有ろうとする姿……俺は、そんな君と共に歩みたいと思った」
「今思えば、昔の俺と重ねたのかもしれないね」と渚は笑みを浮かべる。
何もできない自分から変わろうとする──ライスシャワーのその姿こそ、渚がトレーナーになると誓った証。
彼女がどれだけ自分を否定しようとも、渚の意思は決して変わらない。
「真っ暗な闇を進む俺の所に現れたのが、君だった。君は俺の光そのものだ」
嘘偽りのない真実。
夕刻が流れる時の中、窓から差し込む
身体の前で指を絡め、自信なく俯いたライスから消えてしまいそうな程小さな声で吐露する。
「光……ライスが、なれるのかな……」
「なれるとも」
よく聞いて、と渚は立ち上がる。
「光は絆だ。その輝きは決して消える事はない」
「……絆?」
「君は一人じゃない。──
トレーナーだしね、と付け足して笑った。
限界を知らず、ただ《人々の為に》走る彼女を応援したい。落ち込む彼女を励ましたい。彼女が泣く姿が見たくなかった。
「お兄さま……」
「例えどれだけ暗い絶望に呑まれようと、希望はいつも君と共にある」
微かに震えるライスの手を取り、かつて口にした言葉をゆっくりと紡ぐ。
「だから、君自身を信じて。そして──僕を信じて」
あの日の誓い。覚悟を決めたあの日。
真紅 渚はライスシャワーと共に、この時代を駆け抜けると、遍く人々にその祝福の名を轟かせる。
両腕を鷹揚と広げ、ライスにその覚悟を告げる。
「君に歓喜と万雷の
自分の力がどこまで通用するか分からない。
まだ未熟で三流たるトレーナーの自分が、そんなことできるはずがない。それであっても、渚の決意は揺るがない。
諦めず、駆け抜ける姿は
緩やかにライスへ向けて手が差し伸べられ、優しく言葉が告げられる。
「──君は、俺と一緒に来てくれるかい?」
ライスは端正な顔を悩ませる訳でもなく、顔を上げる。その表情は柔らかい笑顔で、なぜか目尻に大粒の涙を浮かべて、そのまま紫根の瞳に渚を映した。
差し出された手を取り、あの時と同じように、力強くとてもはっきりとした声で────、
「……っ! うんっ! ライスは……お兄さまと一緒に行きますっ!」
立ち上がり、二人は互いに見つめて笑みを浮かべる。赤く染まる夕陽に照らされ、ただその時間が流れた。
窓から外を見下ろせば、トレーニングを終えたウマ娘たちが帰る支度を整えている。
────もうそんな時間だった。
「さて、明日はまたトレーニングだな」
「うん! ライス、頑張るから……! よろしくねお兄さま!」
「よっしゃあ、俺もウルトラ張り切るぜ!」
二人は目を合わせて、拳を握り締めた。
何をやるのか理解し、同時に合致した二人。まずはライスが口を開く。
「がんばるぞー……」
ライスの声に合わせ、二人は構える。声が合わさる瞬間、拳が天井へ向けて突き出され、ライスの『頑張る気持ちを沸き上がらせる』特別な魔法を、二人で一緒に────、
「「おー……!!」」
二人の声が交わって、静かな部屋に響く。
いつもは一人でやっていたこの行動──大切な人にやってもらえる、ただそれだけでもライスシャワーには嬉しかった。
不安に呑まれそうな時でも、これがあれば元気が湧いて来る。しかし誰かと共にやれば、更に元気が溢れ出て来る。
不安はない別の色を表情に滲ませては、ライスは口に手を当てて笑みを浮かべていた。
「ふふっ……えへへ」
「へへ。よし、それじゃあ終わりにしよう」
「うんっ! じゃあねお兄さま!」
「じゃあね」
「また明日も、よろしくお願いしますっ!」
「うん、また明日」
言葉を返せば、元気良く手を振り、ライスシャワーはトレーナー室を去っていく。
その背中を見送った後の静謐なトレーナー室に残されたのは、渚一人だけ。椅子の背もたれに力無く寄りかかり、天井を見上げた。
「……ライスは可愛いねえ……」
本音をポロリ。
静けさだけが残ったトレーナー室に、そんな渚の一言が虚しく響き渡った。