「お手伝いありがとうねライス。予定よりもはやく、仕事を終わらせることができたよ」
仕事を全て終え、渚はライスに笑みを浮かべて感謝を伝える。するとライスも渚と同じ笑みを表情に滲ませては「えへへ」と照れながら、両腕を身体の前に持ってきてモジモジした。
「お兄さまの役に立てたなら、ライスも嬉しいな……」
そんな言葉を漏らすライスに笑みを浮かべ、渚は手を差し伸べる。
「よし、それじゃあ出掛けようか」
「うん……!」
渚の手を取り、引かれるままライスは立ち上がる。
自室のハンガーポールから上着を取った渚が上に羽織り、鍵と財布をポケットに入れて、ライスと一緒に部屋を出た。
「そういや、どこ行くの?」
「今日は色々行きたいところがあるの……」
ライスは肩に掛けていたカバンから袋を取り出し、袋の口を開いて中を渚に見せる──中に入っていたのは、なんの変哲もない普通のトレーニングシューズ。
「いつも使ってた靴が破れちゃったから、新しいのを買いたくて……」
「どれどれ」
片方を手に取った渚がマジマジと靴を眺める。
かなり使い込まれていて所々が泥で塗れているが、大切に扱われていたのか──しっかりと手入れが施されているのが分かる。だがそれでも耐え切れなくなった生地が破れ、シューズの中が覗けるほどになっていた。
「かなり使い込んだね。これは確かに、新しいのにしないとダメかな」
「うん……どれが良いのか、お兄さまに選んでもらいたいの」
「なるほどね。よし、分かった」
ライスのためならと喜んで頷く。そしてライスは「それとね、もう一つあるんだ……」少し申し訳なさそうに、声を小さくする。
「今日はたっぷりライスに付き合うから、遠慮しなくていいよ」
「……良いの? お兄さまの行きたい所とか……」
「俺はライスの行きたいところに行きたいから」
ただライスが笑っていてくれるなら、と付け足して渚は微笑んだ。
「お兄さま……! ありがとう! ライスね、買いたい絵本があるの!」
「おー、絵本か。ライスは本当に絵本が好きだね」
「うん……!」
止めていた歩みを進め、渚とライスは並んで歩く。
他愛もない会話を施して、二人は長い街道をゆっくり進んだが、二人は会話を得意にしている訳でもない故──いつしか会話は無くなり、二人の間に沈黙が流れていた。
しかし、気不味い雰囲気が流れているわけでない。いつもの二人でいる時間も、会話より沈黙の方が長い。二人にとっては、ただ
収斂する沈黙の中、ライスは隣で歩く渚を何度も一瞥しながら歩み続ける。
少し前にトウカイテイオーと話した『トレーナーの好き嫌い』──渚を観察することで、それが分からないかと考えていた。
「シューズを新しくするなら……」
そんなことはいざ知らず、渚はライスに相応しいシューズを考えている。顎に手を置き、視線を空へ向けてボソボソと何かと呟きながら、頭を悩ませていた。
「筋力を鍛えるなら、蹄鉄を変えれば……」
渚を観察する中で、唐突に遠くから声が聞こえ、ライスの意識はそちらへと向けられる。視線の先には、かなり服を着込んでお洒落を施した二人の女性。ひと目見たライスは「綺麗な人だなぁ……」とポツリ漏らしていた。
そんな女性たちの会話が、ライスの耳に流れる。
「彼氏との身長差は15センチぐらいがいいらしいよ」
遠くからでも聞こえる女性の声は、ライスの意識をいつの間にか連れ去り、その声を聞き入ってしまった。
「やっぱり身長に差があり過ぎると、歩くスピードが変わるのよね!」
「そうそう! あっちはまったく気にしないし、こっちが疲れなきゃならないのよ!」
歩き難いのよ、と彼氏の愚痴を大声で語り合う二人。その会話を聞いていたライスは、ふと隣の渚に視線を戻した。
ライスが渚と視線を合わせる為には、かなり見上げる必要がある。だが、それだけの身長差あっても歩き難い等と考えた事がなかった。
「お兄さま」
「……ん、どした?」
「お兄さまって、身長いくつ?」
「身長?」
突然の問い掛けに、渚は「うーん」と呻りながら数秒間考えた後、
「最後に測った時は180あったかな……」
とは言っても、数年も前の話。
過去の記憶から漁り出した故に、細かい数字までは覚えていない。だがその曖昧な身長を聞いたライスは、頭を悩ませた。
「180……」
「どうしたの?」
「え……ううん! 少し気になったから……」
「そっか。俺は身体が弱い時に寝てばっかだったから、背だけは伸びまくったんだよねー!」
ハッハッハ、と笑った渚だが、ライスは苦笑するしかなかった。なにせ反応し辛いギャグ──笑えない。
すると渚は考える素振りを見せて「このギャグはダメか……」と一言、ライスにも聞こえないほどの声で漏らした。
「…………うーん……」
ライスシャワーの身長と
ライスはいつもと同じ自分のペースで歩いている。
「…………」
考えても理解できない。
身長差があればあるほど歩幅は変わり、自然と距離やペースも変わる。そうなれば、合わせる為にどちらかが歩く速度を変える必要がある。
だが、ライスも渚もそんなこと考えたことがない。
ライスは渚に視線を向けながら、歩む速度を少し落としてみる。すると渚の歩はライスを見ることなく、ライスの歩みに付いていくように隣に並んだ。
次は足早にして渚を追い抜こうとするが、渚は遅れることもなく隣を歩く。
「……! お兄さま……!」
「ん? え、どした?」
「えへへ……」
唐突にライスに向けられた笑顔。それはまるで咲き誇る花のように美しく可憐。そんなライスの笑みに見惚れてはいるが、渚はなぜその笑顔が向けられているのかまったく分からなかった。
最終的には「まあ、可愛いからいっか」という思考に至り、正面を向いた瞬間──「あ!」という短い声が聞こえ、ライスの身体がバランスを崩した。
──転ぶ。
そんな言葉が脳裏を過り、重力の流れに身を任せて、迫り来る衝撃に瞳を閉じた。
だが、襲い来る衝撃と痛みは予想していたものとは違い──柔らかく温かい何かが支えるように、ライスの身が倒れるのを防いだ。
「大丈夫? ちゃんと前見てないと危ないよ」
見上げれば、渚が柔らかく微笑む。そして身体を支える何かに視線を下ろすとライスの身体に渚の腕が回され、転ぶのを阻止していた。
「…………っ!」
理解した刹那──身体の体温が急激に上昇する。
渚の腕が離れる直前、袖が掴まれて腕の動きが止まった。
「ん、どうしたの?」
振り返る渚。その袖は、ライスが掴んでいた。
渚の視線が下へ向き、袖を掴む細く靭やかな指へと流れる。そして視線を上げ、ライスを見つめた。
「ふえ?」
ライスの視線が落ちる──視界に映るのは、渚の袖を掴む
自分が何をしているのか、それを理解した途端にライスは飛び退く。
「ご、ごめんなさい……!! め、迷惑だったよね! も、もうしないから……!」
唐突に起こった事実を理解できずにいる渚と、自分でも何をしているのか理解できないライス。
身体の体温が上がるのを肌に感じ、顔が熱くなっていく。ただ渚に何度も謝罪の言葉を紡ぎ続けることしか、今のライスに考えることはできなかった。
当然、渚にはライスがなぜ謝っているのかなど、まったくもって分からない。しかし、ライスが落ち込んでいるのだけは理解できた。
「なんで謝ってるのか分からないけど、別に迷惑なんて思ってないよ」
「ほんと……?」
「ホントゥ」
ライスを見つめて、渚はなんの躊躇いもなく頷く。
その眼差しは一見普段と変わらず、それでいて嘘偽りの無い真っ直ぐな色を彩る瞳だった。
ライスの紫根の瞳と交わり、渚はそっと微笑む。
「大切な相棒にされて迷惑なことなんて、あるわけないよ」
心からの言葉──本心だった。
ただ信じて疑わない。信頼して、信用して、信じ続ける。
断言する──というか、した。
「お兄さま……」
「さ、はやく行こ。暗くなっちゃうよ」
微笑んで踵を返した渚が歩み始める。その遠くなる背中を見つめ、ライスは顔を明るくして追いかけた。
渚の横に並んで、顔を見上げる。どこかやる気が無さそうで気怠げな雰囲気ではあるが、その
時折ライスを見下ろす視線は、温かくて優しい。いつでもライスの身を案じて心配している。
ライスの為なら、ライスの為に考えるのが
ライスは渚を信じ、渚はライスを信じる。
そんな二人────。
「──お兄さまっ!」
突然飛び付くようにライスが渚の腕を抱き締めた。
唐突に襲って来た衝撃に「んぐ」と、悲鳴とは異なった呻き声を上げて蹌踉めく。
「急にどうしたの?」
問い掛ければ、ライスは渚を見上げて照れ臭そうに笑みを浮かべる。ついでに「えへへ」と可愛い声を唇から漏らして──。
「もうなんやねん」
呆れたような、満更でもない様子で渚が呟いた。
なんだかいつものライスと違うな──そんなことを頭の隅で思いながらも、渚とライスは歩き辛くヨロヨロした歩みで進んで行った。
「距離感バグった?」
「ふえ……?」
ライスを真似して渚も同じように、
「ふえ」
するとライスもまた同じように、
「ふえ」
と、二人は顔を見合わせて笑い合った。
この前ライスの育成イベント見てたら、《素敵な世界に会いたくて》ってイベントでライスの一人称が《私》になってたのに気が付いたんですけど、ライスの《私》とか素晴らしい過ぎて発狂してました