四谷みこは友人と別れてから
みこは景守について行く。今日は食事をしながら相談をする予定だった。彼の案内で入ったレストランの屋号はチェシャ猫亭と言った。景守はここの常連客らしい。
みこには物珍しさから店内を見渡す。店の中も清潔感があり、落ち着いた雰囲気の料理店で、調度はすべてノスタルジックなもので統一されており、手編みのクロスがテーブルにかかっている。みこの年齢の学生だけで入るにはハードルが高いお店だ。
「ここは味がいいし、値段もそこまで高くないんだ。ケーキは同じ建物内の菓子店から卸していてこれもまた美味い。個人的にはモンブランがおすすめだ。あと、俺は飲んだことはないがお酒も良いのが揃っているらしい」
「そうなんですか」
(通い慣れている……。流石は先輩、大人だ)
みこならば自分からこういう店に通おうとは思わないだろう。さらに景守が言うにはここには異形が入っても定期的に彼が退治しているせいか異形たちは寄り付かなくなっているらしい。仮に今、異形が侵入しても景守がすみやかに退治してくれる。本当に心から安心できる食事をみこはできるのだ。
二人はメニュー表を眺めて、景守はジェノベーゼを選んだ。
「みこ、君は?」
「私は……先輩と同じもので」
注文を取りに来たウェイトレスに注文して、ウェイトレスが帰った後にみこは景守にこれまでに怪異と遭遇した場所について報告する。
景守は地図を広げてマークしてくる。様子はさながら作戦会議だ。
「学校……やっぱり多いな」
「はい、三階にいるのに窓の向こうを歩いているところを見たときは本当に怖くて……。竦んで動けないままちょっと泣いてしまいました」
みこは気恥ずかしい思いで話した。顔を覗き込まれたときは肝が冷えた。……遭遇する前にトイレへ行っておいてよかったと後に思ったものだ。
「よく堪えたね。凄いよ」
率直に褒められてみこははにかんだ。まさか独りで戦っていた日々を褒めてもらえる日が来るとは、ついこの間まで思いもしなかった。
「それにしても更衣室と女子トイレか……厄介だな」
「? 厄介、何でですか?」
胡乱げにみこが聞き返すと景守は困ったように微笑み、ダークブラウンの髪を誤魔化すように掻く。
「だって、ほら、俺は男だし」
「あ」
「女子更衣室や女子トイレというのはね……。結界師の結界以上に強固な結界があるんだ。越えれば不味いことになる」
深刻な表情で言う景守。
景守は前髪をかきあげる。憂愁にしずむ様子はなかなか絵になる場面だなと、みこはじっと眺めながら呑気に考えてしまった。女子トイレに入れなくて困っているだけなのに。
「あの……うちの学校のあれは退治できませんか?」
みこは切実な声で訴える。今日もヤバい奴らと幾度も遭遇してしまった。
「女子高だったよね? 人が少なくなる深夜に入って退治するとしようか。みこ、すまないが根回しが必要になるからすぐには動けないから、まだ暫く我慢してくれ」
「根回し、ですか?」
「まあね、君の学校関係者でこちらの業界関係者はいないようだし、校内に立ち入るための口実を作る準備をしないといけない」
「そういうこともしないといけないんですか?」
意外そうにするみこを見て景守は笑う。
「そうしないと不法侵入になってしまうよ」
「そ、そうですよね……」
みこは結界師という浮世離れした存在から、きっと不可思議な力でなんとかするのだろうと思い込んでいた。
「学校や司直を誤魔化すために暗示だとかなんだとか使う手もあるけど、そういう乱暴な手段はできれば避けたいな」
「方法としてはやれないわけじゃないんですね」
「まあね。やれなくはない。……そうそう、今回とは関係ないけど実家が守り人をしていたときは、その守護していた土地は学校だったんだ」
「学校でああいうのを退治していたんですか?」
「そうだよ。まあ、基本的に働くのは夜だけだったけどね」
夜、怪異と戦う結界師たち。まるで伝奇小説のような話だと、途方もない思いでみこは景守の話を訊く。
「そのときはどうやって隠していたんですか?」
「ああ、そのときは何百年もうちともう一つの結界師の一族が守護していて、学校や行政や警察なんかにも業界の事情を知っている人たちがいたからね。結界師の仕事に関わることはお目こぼしをもらいつつ、人々に知られないように協力していたんだ。学校も夜間に警備員はいないし、警備システムも切っていたらしい」
近隣住民も古くからそこに住んでいた人々は、夜はよくないことが起こると決してその学校に近づくことなかったという。
「あの、その学校は今どうなっているんですか?」
「まだちゃんとあるよ。だけど、実家が守っていた理由である土地の力は失われたから今はただの学校だ」
「失われた……?」
「別の場所に力の根源となる存在を移したそうだ。それで土地の守り人としての家業は廃業だ。まあ、俺が生まれる前の話だから、詳しくはわからないけどね」
景守の説明が終えた頃、ジェノベーゼが運ばれてきた。飲み物は景守がコーヒー、みこは烏龍茶だ。
「さあ、怪異の話はまた後で、食事を楽しもう。いただきます」
「そうですね。──いただきます」
みこは手を合わせていただきますと言って、フォークを手に取った。
香草の芳香がみこの鼻孔を刺激する。バジルの葉、松の実、にんにくなどとオリーブオイルを混ぜてつくる鮮やかな緑のソースを絡めたパスタはみこの食欲を刺激した。
「ふあぁっ、いい香り!」
「ジェノベーゼはこのハーブの香りがいいよね。パンはおかわり自由だから、あとでソースをつけてパンを食べると美味い」
「はい! 楽しみです」
鮮やかな緑のパスタの中にはごろごろと大ぶりな海の幸が踊っている。ソースによって緑に染まったパスタが、照明を受けて、鮮やかに映える。
唾をごくりと飲みながら、みこがフォークでパスタを絡めて口に運ぶ。
(美味しい!)
口に食べ物を入れながら話すとは無作法と思い、口にこそ出さないがみこの表情は美味しさから晴れやかなものになる。
具材として使われている、魚や貝、イカや海老の旨み。ソースに使われているハーブの香りと香ばしい炒った豆の味。そしてそれらを引き締める唐辛子の辛み。それらが融和してまとまることで、ジェノベーゼが成り立っている。
「海老がプリプリしていていいですね」
「ああ、それにジャガイモやインゲンもソースと絡んで美味い」
「はい!そう思います」
美味しい料理は怪異に怯え、緊張していたみこの心も解きほぐす。パスタを巻き取って口に運び、時々パスタに混じりこんだ、具材を食べる。
「毎日怖い思いをして大変だろう。美味しい料理を食べて気分転換してくれ」
「先輩、ありがとうございます」
みこは何口か食べるごとに烏龍茶を一口飲んで爽やかな風味を楽しむ。
「元気、出たみたいだな。良かった良かった」
満足げなみこを見て、景守は笑いながら言う。
「まだ余裕があるならデザートも頼むといい。今日は俺のおごりだから遠慮しなくていい」
「そんな悪いですよ。自分のぶんは」
「いいから、これは情報料だと思ってくれ」
景守に言い含められて、みこの提案は退けられた。あまり強く断るのも彼に失礼だと感じたからだ。みこはメニュー表を眺めてから決めた。
「それじゃあ、チョコレートパフェを」
みこはデザートも心ゆくまで堪能した。今度は先輩がおすすめするモンブランを食べてみようと思った。
食事を済ませ、目撃した怪異の話、呪具を四谷家に設置する日取りを決めるのも済ませたら七時を過ぎていた。家族には“友人”と食事をしてから帰ると伝えてある。そのとき弟が何か形容しがたい表情をしていた。謎だ。
名残惜しいがそろそろ退店することになる。
「パフェもとても美味しかった……」
「そうか、良かった良かった。こうして話を訊くときはまた美味いものを食べよう。気分転換したければ、どっか行ってもいいな」
景守としても今日会ったときよりも生気があるみこの様子を見ていると安心する。
「ありがとうございます。……今度は私がおすすめのお店を紹介しますね。だから……、その、また、一緒に遊びに行きましょう。……怪異とか抜きでも」
みこの頬は、
怪異と遭遇するのとは異なる緊張で、心臓が彼女の胸郭内で跳ね上がる。
「ああ、俺も仕事抜きで一緒に行きたい。お店も楽しみにしているよ」
そうしてみこは帰宅して入浴して就寝の準備をする。満ち足りた腹と気持ちのせいか、すぐに眠気が襲ってくる。すうすうと、私室に安らかな寝息が広がる。みこの心を不安にさせてるものはこの家にはない。
みこは微笑みを浮かべながらまどろみを楽しんだ。
彼女は夢を見る。怖いものを見ないですむ夢を……景守と再び遊びに行く時を待ちながら。
……みこは知らない。自分が口にした望みが、“デート”の誘いだと気づき、羞恥に悶絶する朝を迎えることを。
美味しい料理を食べて笑う女の子って素敵だと思います。
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