ジジジジジと虫が鳴く。
生暖かい風が風鈴を揺らす。
この時期になると夢の中に僕が出てくる。
何を言うでもなくただそこに立っている。
ただ、心の中に僕は居るんだと訴えかけてくる。
私が僕を捨てたのも今日みたいな丁度蝉の騒がしさが耳に響く蒸し暑い季節だった。
遠い昔、止む気配の無い雨の降る日のことだったらしい。
そんな日に親に捨てられた僕と彼は孤児院の院長に拾われることになった。
孤児院には年齢はバラバラだが、小学校一クラス程の子供達が住んでいて、僕達もそこに仲間入りした。
最初は彼と僕は見た目が瓜二つであることから間違えられることも多かったが、次第に差が生まれだす。
周りの子に馴染もうとした彼とあまり馴染めなかった僕。
小学校に入った頃には彼は孤児院の中心的な人物になっていた。
それだけでなく、勉強の方も成績上位でまるで隙がない。
けれど、僕にとって彼は尊敬の対象だった。
でももし僕に一人も友達が居なければ妬んでいたかもしれない。
ある年の夏祭りのことだった。
友達は沢山いるというのに彼は何故か毎年僕一人を祭りに誘ってくる。
僕はあまり人混みが好きではなかった、しかし彼に誘われる夏祭りだけは別である。
夏祭りといえど、そこまで大きなお祭りというわけではなく、神社付近に数店の屋台が並ぶ程度だ。
「あのさ、夏樹……毎年僕を誘ってくれるのは嬉しいんだけど、他の子に誘われたりしないの?」
その年、僕は前々から疑問に思っていたことを口にした。
「ん、誘われたけど断ったよ。私は雨斗と一緒に来たかったから」
彼は淡々とそう言った。
「理由聞いてもいい?」
「雨斗となら一番気楽に話せるからね」
そのまま彼は僕の手を引いて歩き出す。周りの視線が少し恥ずかしかったから少し歩いたところで手を振りほどいた。
「あっ、二人とも楽しんでる?」
同じ孤児院で暮らしている冴月にとんとんと肩を叩かれた後声を掛けられた。
数少ない僕の友達の一人だ。
振り返ってみれば雪香も一緒にいた。
夏樹の方を見ると少し気まずそうな顔をしていたからきっと誘ってきた相手は雪香なのだろう。
僕は彼女が夏樹のことを好きなことを知っているから納得がいった。
「私は楽しんでるよ、雨斗はどう?」
「僕は……うん、楽しんでる」
僕自身楽しいかどうかわからなかったけれど嫌ではなかったからきっと楽しかったのだと思う。
「そ、なら兄弟水なんちゃらって言うし私と雪香は別のとこ見てくるね」
また鉢合わせるとは思うけれどそう言って冴月は雪香と神社の本殿の方に歩いていった。
僕達のことを兄弟と呼ぶけど実際に僕達が兄弟なのかは定かではない。
「夏樹、誘ってきたのって雪香だよね」
「なんで分かった?」
「だって顔に出てたから」
そう言うと彼はバツの悪そうな顔を浮かべた。
あまり見ない顔だ。
いつも冷静な姿を見ているから意地悪したくなってきた。
「雪香って夏樹のことが好きなんだよね」
「……初耳だ」
「知らなかったんだ、夏樹」
「まあ……私もよく話しかけてくるなとは思ったけど、どうしても孤児院の人達は家族っていう感じが強いから」
本当の家族ってのはどうかわからないけれどね、と彼はぼそりと付け足した。
その言葉が本心だったかどうか僕には分からないままだ。
「それにしても、夏樹は凄いよ。誰とでも仲良くなってて」
「私は別に大したことしてないし、それにそこまで仲の良い人も居ないからさ。雨斗の方が深い友達がいるだろ」
もしかしたら僕の言葉を皮肉に受け取ってしまったのかもしれない。
「まあ、私はなるべく皆が嫌な空気にならないように生きてるだけだ。自分の思っているように動ける雨斗は凄いさ」
「……周りのことを考えてるのは良いけど、夏樹も好きに生きたらいいんじゃない?」
「それもそうかもね。でも、これが私のできることだと思ってるから。雨斗も自分ができることをすれば良い」
何の為に生きているのか、そんな理由なんて分からない僕にとってそれは正直難しい話だった。
その時はいずれ答えられたら良いなと思っていた。
ただ、現実というものは残酷だ。一瞬の出来事だ、僕は突然突き飛ばされ地面に倒れた。
大きな音が鼓膜に響く。
擦りむいた頬から血が出ていた、しかしその痛みなど目の前に広がる状況と比べれば些細なものだった。
彼だったモノがそこにあった。
飛び散ったフロントガラスに鮮血が付着して祭りの明かりを反射している。
僕は駆け寄ることも出来ずただその場を見つめていた。
祭りに来た人の叫び声、玉垣にぶつかり停止した車、ピクリとも動かない夏樹。
その光景が眼に焼き付いたまま僕の意識は暗転した。
目を覚ましたのは布団の上だった。
あぁ、夢だったのかと起き上がると孤児院の先生に声を掛けられた。
君はどっちなんだ、と。
最近になって新しく来た人だったから間違えられるのもあるかもしれないと思った。
けれど、アレは夢なんかじゃないと脳がそう言っていた。僕は……と言いかけて、言葉を変えた。
何故か。
彼が居たほうが皆は明るく居られると思ったからだ。
彼が居なければ、僕が死んでいるはずだった。
なら、僕にできること、僕がすべきことはある。
「私は夏樹ですよ、先生」
一番長い付き合いだった上、見た目まで瓜2つなことは彼を生かす為には良かった。
彼の話し方を真似して、彼の好き嫌いも、私らしくある為に勉強もして。
最初は違和感を持っていた人も確かにいた。
しかし、時が流れるにつれてそんなことを思う人は消えていった。
私をちゃんと生きれていると思った。
雨斗が死んだことを皆は悲しんでいたけれど、一ヶ月も経てば皆殆ど元通りになっていた。
少しして、私は冴月に呼び出された。
夏樹のことが好きな雪香ではなく冴月だった。
「誰も居ないようなところに私を呼び出して何か用かな」
検討もつかなかった私はそのまま疑問を口にする。
「貴方は、夏樹じゃなくて雨斗でしょ?目を見れば分かるよ」
静かに、何処か哀しそうな顔でそう言った。
「……私は、私は夏樹だよ。雨斗は私を庇って車に」
そこまで言葉を紡いだところで、もういい、と涙を流し冴月は走り去ってしまった。
その時の私はもう気づかれることの無いように完璧にならなければならないと思っていた。
暫くして私は雪香と付き合うことになった。
彼がどう思っていたのか分からない。
けれど、私はそうすることにした。
この頃になると雨斗のことを気にする人はほぼ居なくなっていた。
あの日以来冴月と会話することは滅多に無かった。
中学生を卒業する頃、大きな事件が起きた。
冴月と雪香が行方不明になったという。
私は彼女を探す為に色々と手を打ったが見当たることは無かった。
しかし、姿が消えてから半年ほど経った時、雪香は帰ってきた。
冴月のことを聞いてみると分からない、知らないとしか言ってくれなかった。
ただ、私は彼女が帰ってきてホッとしていた。
その日もまた奇しくも夏の日の出来事だった。
それから時は過ぎ、孤児院を出た私は雪香と共にアパートに暮らしている。
もっとうまくやれたかもしれないけれど、ある程度の生活が私の限界だった。
ただ、私が死ぬその時まで彼を生き続けようと思う。
雪香はあの日以来私を何かに重ね見ているように感じる。
それは私も同じで、今の雪香にはあの子の姿が重なって見えた。
けれど、二人ともそれを口にすることは無かった。