風を受けた帆が船に推進力を与え、アスガル海域の水上を進む。
ユキナは潮風を肌で感じながら海面を注意深く観察していた。
船から離れた位置に見える大渦。それも一つや二つだけではなく列を作る様にたくさん。
今回は報酬が良いとしてアスガル海域の生態系調査を請けたのだが、ユキナは大渦の動きを眼で追う。
「……ぐるぐる」
アホ毛が左右に揺れ動き、隣からため息が聴こえる。
「ユキナ……俺は常々思うんだ」
ため息を吐いたかと思えば、レノが真剣な眼差しで語り出す。
彼が何を伝えたいのか分からないけどきっと大切な話し。そう考えたユキナは耳を傾けた。
「万が一海に落ちたら大変だろ?」
「スィー、バシャバシャっで大丈夫だよ」
泳ぐ仕草を見せると、彼はそうじゃないと首を振る。
何が違うのかユキナは分からず小首を傾げる。するとレノは拳を握り力説した。
「良いか! 海と来れば水着だ! 水着は衣服とは違って濡れてもいい装備だ。万が一海に落ちれば衣服なんかあっという間に水を吸って重くなるだろ。剣も有ればなおさらな」
レノの言葉に自身の装いに眼を向ける。
ブラウスとスカートで何の変哲も無い身軽な服装。
そしてレノと船員に目線を向ける。
彼らも同様に身軽な装いで誰一人として水着など着てはいない。
それにと思う。レノは背中とはいえ露出された肌を見て鼻血を噴射させて気絶した事は記憶に新しい。だから彼の前で肌の露出は危険かもしれない。
そんな事を思いつつユキナは僅かに悩む。自分は口が上手い方ではない。むしろ下手な方だ。
レノの名誉を傷付けず、なおかつ水着を回避する方法として敢えて船員たちの装いを指摘した。
「誰も水着着てないよ?」
「彼らは海に於けるプロだ。万が一海に落ちたとしても魔法の衝撃で戻って来られる」
「……いざとなったら走るけど」
「走る? 一応聞くけど何処を?」
訝しむレノにユキナは手振りを交えて説明する。
「海面を……シュッと行ってシュババッて」
「……なあ、こればかりは聞かせてくれ。水面歩行って冒険者にとって普通なのか?」
「ん。ルイも支部長もできるよ。あと──」
指を折りながら水面歩行ができる人物を思い起こすと。
「分かったからもう良い。……ってかあの受付嬢は何者なんだ? あの時は強者特有の風格を醸し出してたが」
ルイが何者なのか。水着から彼女の話題に移った事に安堵の息が漏れる。
同時に自身が知るルイを思い浮かべた。
彼女は元王宮近衛兵でセドルス家の次女。
そして兄のアスベルと許嫁で自分にとっても大切な友人だ。
彼女の素性に付いて思い浮かべたユキナは、首を左右に振る。
「ルイから聴いた方がいい」
「まあ、流石に個人情報だしな。ってか、俺はいつまで新米呼びなんだ?」
オーガを単独討伐したレノは未だルイから新米呼びされていた。
ルイの対応にレノは少なくない不満を感じている。
それは理解できるが、自分から呼び方を変えるように提案したところでルイは変えないだろう。
何せ彼女は認めた者しか名を呼ばない。加えてアスガルのギルドの新米はレノ一人だけ。
「新しく新米が入ったら名前で呼んでくれるかも」
「だと良いけどな。なんか舐められてる気がするんだよ」
「うん」
「うんって……そこは否定しないのかよ!?」
実際にルイはレノを舐めている。単に実力と経験不足からだとユキナは考えたが、ルイの考えを知っている訳ではない為、何とも言えないのが現状だ。
「二人とも話しをするのもいいが、しっかり観察頼むぜ?」
見兼ねた船員の言葉にユキナはレノから海面に視線を移す。
穏やかな海面、魔物も魚の姿も無い。
相変わらず大渦が奏でる音が響くが、海特有の生物の姿は未だ見えない。
「二人とも何か発見したか?」
一人の船員に声をかけられ、ユキナは左右に首を振る。
「海面には何も居なくて退屈なんだが?」
「普段なら魔物が魚を追い立て、カモメ共がそいつを狙うんだけどな。今日は奇妙なくらい静かだな」
船員の言葉にユキナとレノは海面に視線を落とした。
普段よりも不気味な程に静かな海。そういえば、とユキナは気が付く。
港を出港してから一度もカモメをはじめとした海鳥を見ていないと。
「……一度も海鳥見てない」
「何か新種でも現れたか? いや、ここいらの海域の生態系が変わるとは考え難いが」
「それは何でだ?」
「イーリスの港町──ニルセンとアスガルを結ぶ航路はな大量の大渦の影響で一本道なんだ。しかも望遠鏡で覗くと分かるが、海は見渡す限りの大渦だらけだ」
船員の説明にレノは考え込んだ。
やがて一つ結論を導き出したのか、口を動かした。
「つまり本来この航路に生息する魔物や魚類以外は外部から侵入できないってことか。それじゃあ生態系に影響……って、魔物と魚類が全部大渦に呑み込まれたんじゃないのか?」
「いや、魚や海の魔物ってのは潮の流れに敏感でな。常に大渦に呑まれないように泳いでんだ。少なくとも十年の観察ではそうだな」
少なくとも船上から見た海面では分からないことが多い。
そう判断したユキナはレノに一つ提案を試みる。
「……潜ってみる?」
「素潜りか。確かに海中を探るには打って付けだな。……てか水着は有るのか?」
「無い」
「なら魔法で空気の膜でも作って潜ってみるか」
「そんな事ができるの?」
「おう。防御魔法とか術の対象者を包み込むだろ? あれと同じ用量でできるんだよ」
得意気に語るレノにユキナのアホ毛が左右に激しく揺れ動く。
空気の膜に包まれながら海中の探索。
泳ぐのとは違った光景が見られそうで期待に胸が膨らむ。
同時に一つ疑問が湧く。そんな魔法が使えるなら水着をすすめる理由は何だったのかと。
疑問を解消すべく口を開いたところで船員の言葉が遮った。
「……なんか得意げに語ってるところ悪いが、呼吸の指輪と水避けの指輪を装備すれば水中でも呼吸可能で服が濡れることも無いぞ」
「魔法道具なんて高くて持ってねえんだよ!」
「……空気の膜、ちょっと楽しみだった」
「ま、こんな時のために二人分の指輪は用意してある。貸してやるからちゃんと返せよ?」
そう言って船員は二人分の指輪をレノに手渡す。
水色の水晶が嵌め込まれた指輪と緑色の水晶が嵌め込まれた指輪がレノの掌で光を放つ。
「……扱いに魔力は必要?」
「指に付けるだけで水晶の魔法が、水晶に込められた魔力を勝手に使って術を発動してくれる」
船員の優しい説明にユキナは密かに安心した。
もしも魔力が必要になれば自分にはどうすることもできないからだ。
最悪、衣服のまま海に潜る他になかった。
ユキナは早速レノから二つの指輪受け取り指に付ける。
すると水晶が魔法を放ち、不思議な感覚何ユキナを包み込んだ。
そして彼女は剣を片手に甲板から海に躊躇なく飛び込む。
「ちょっ!? ユキナなぁァァ!?」
レノの驚愕の声を背中に、ユキナは早速海に潜り始めたのだった。