執筆:遠山寛次郎
競馬史に残る偉大なる名馬たちの、その輝かしいレースの影に佇む馬に焦点を合わせ、その足跡を辿るドキュメンタリー風小説を7ヶ月に渡ってお送りします。
1月号でお送りする名馬の影は『キミニホレタ』
あなたは、この馬のことを覚えていますか?
○彼と彼女の二角関係 前編
いつの時代も、人は、組み合わせに ── もっと言えば『恋』に熱狂する。
東京二千を沸かしたヤエノムテキの片思い相手はシヨノロマン。
ダイイチルビーが居ると気合が入ったダイタクヘリオス。
名優メジロマックイーンが惚れた鉄の女イクノディクタス。
色めき立ったウワサに誰かが振り返り口を開く。
『競走馬は恋をするのか』
さてこの難問に、あなたはどう答えるのだろうか。
物言わぬ馬の感情に思い馳せる時、私は、ある1頭の牝馬を巡る恋物語を思い出さずにはいられない。
いや、ひょっとしたら恋と呼ぶには足りず、浮き足だった私だけがそこに居るのか。
その牝馬は、史上5頭目の三冠馬・ナリタブライアンの初恋相手だと、紳士が微笑んで答える。
栄光と挫折を繰り返したシャドーロールの怪物に、恋のウワサはひとつ、ふたつ。
果たして上手くいったのだろうか。人間には聞こえない口説き文句はなんだったろう。
くたびれたアルバムをマダムの細い指先がなぞり、その過去に1頭の牝馬がため息交じりに振り返るのが私には見えた。
時は1993年の5月中旬。
栗東トレーニングセンター・
── 2022年3月。
馬をかたどったプレートが軒先に揺れる。
その喫茶店は奥まったところにあった。
観光客でごった返す表通りから一歩外れた脇道の、そのさらに奥だ。
ひと一人分が通れるかどうか、と言うくらい細い裏路地を抜ける。
向かい側から人が来たら譲り合いが始まるだろうその道の果てに、目当ての店があるのだ。
しかし辿り着いた扉の前にはクローズ── 閉店の看板が立てられ、私は思わず小窓を覗いた。
部屋は薄暗かったが、じっと見つめているとヒタリ、女性と視線が合った。
「あら」
と言ったかのように女性の口が動いた。
ちょうど私も似たような声が出てワッと片手で口を塞ぐ。
しかし数秒も経たないうちに扉が開いて、黒いシンプルなエプロン姿の女性が現われた。
私は言われたわけでもなく自然と背筋を伸ばし、彼女に一礼する。
そうさせる柔らかい上品さが彼女にはあった。
「マァ、ご丁寧にどうも。お待ちしてましたよ」
彼女の出身は大阪府と聞いている。
そのイントネーションは関西ならではのうねりを見せ、笑い皴は彼女の快活さを強調した。
私を室内に招き入れてくれた女性── 彼女の名前は
都内にエステサロンを4店舗経営するオーナーであり、この喫茶店を経営するマダムである。
「夫もあと少しで到着します。先生にはお手数おかけしますが、どうぞこちらでおくつろぎください」
顎下で揃えられた黒髪を揺らして、殿原さん── 以降、充子さんとお呼びする ── は私の前に水を置いた。
年下の、それほど著名でもない私が『先生』と呼ばれるのは些か恥ずかしいものがあったが、これもリップサービスとして受け取るのがマナーだろうか。
気恥ずかしさが滲む私に、充子さんは懐かしいものを見るような瞳で微笑んだ。
時期は年明け3月の半ばということもあって、外は春休みの家族連れが多く見られる。
桜が見頃を迎えた関東では、この頃になると暖かさを取り戻していた。
晴天の日も多く、青空を見上げながら舞い散る桜を眺めるのは、さぞ気分が良いだろう。
ただ稀にじとりと暑い日もあって、今日はその稀な日に当たったせいか、額には汗が滲んだ。
そんな私にはたと気づいたのか、充子さんは水の横におしぼりを置いてくれた。
ひんやりとしたおしぼりがとてもありがたい。
「そうだ先生。夫が来るまでの間に、昔の写真でも見ませんか」
充子さんが持ってきてくれたのは数冊のアルバムだった。
ベルベットのしっとりとしたさわり心地の表紙には、短く、おそらく手彫りと思われる味わい深さで『メモリアル』とだけ刻まれている。
積み上がった内の1冊を開いた充子さんは、弾んだような声で私を呼ぶと、ページの中央を指さした。
マニキュアが施された指先の向こうで馬が1頭、立っていた。
「ほら、これです、これがあの馬!」
「隣にいるのは」
「私ですね。……やぁ、なんだか恥ずかしい。こんな垢抜けない」
「いえいえ! とても素敵な写真です。充子さんはこの馬の担当だったそうですね」
私の言葉を肯定するように頷いて、充子さんは懐かしそうに指で写真をなぞった。
「母馬の胎の中にいた時から見守ってきました。1年以上寝食を共にして……本当は2歳でさよならのはずやったんですけど、まさか最期の瞬間にまで立ち会うことになるとは、思いもしませんでした」
懐かしさに緩む目元に深い慈愛が浮かぶ。少しだけ滲んだ瞳が、その馬への思いの深さを思わせた。
その表情はこれまで会ってきた人たちの横顔によく似ている。
私は小さく頷き、彼女の指の腹で撫でられた、写真の中の馬と目を合わせてみた。
白いジャンパーを着込んだ若かりし頃の充子さんの隣。
こちら側をじっと見つめるように顔を上げたその馬を知ったのは、実は、ユメシンパイスルナよりも先だった。
この雑誌を愛読している紳士淑女の皆様も知っての通り、私自身は競馬歴も浅く、不足している知識も多い。
こうして執筆する時間と場所を貰っている身としては恥ずべき立場なのかもしれないが、学びながら、調べながら、そうして知っていくことに楽しみを見出している。
そんな楽しみの中で過去のレースシーンや書籍に没頭していた、まさにその時、ふっとこの馬が現われたのだ。
風に揺れる青い鬣。
強情さが伺い知れる鋭い瞳は、写真越しでも目を逸らすことを許さないような、そんな存在感を放つ。
最初にウタワカの写真を見た時のような、引き込まれる何かを感じたのだ。
さらりとシンプルに競走馬名だけが添えられたその写真を見た日から、私はいつかこの馬の話も書きたいと思うようになっていた。
この馬は1990年代に生産、活動した馬であるから、それまで扱ってきたどの馬よりも情報が多く出ると踏んでいた。
ウタワカの1960年代とは比べものにならないほど情報の発達した年なのだ、1990年代というのは。
しかし予想に反して情報が集まらず執筆を断念していたのだ。
そんな折、幸運にもユメシンパイスルナのネット記事を見つけ、興味を惹かれた私はゆめの牧場さんと知り合うことになる。
その際、沖上さん(ゆめの牧場の場長。先月号で紹介)が偶然この馬のことを知っていた── 正しくは、この馬の母馬がゆめの牧場の前身である沖上聡牧場で繋養されていた繁殖牝馬だったことで、充子さんに渡りをつけて貰えたのだ。
1980年代後半。沖上聡氏の牧場閉場に伴い、すべての繁殖牝馬、仔馬、繋養馬が移籍することになった。
その全頭を引き取ったのが、シンボリルドルフやシリウスシンボリらの所有者である和久オーナー。
「私は当時17歳の小娘で……府内でもえらい荒れたところの出やったんです。家庭環境も……酒浸りの父と、そんな父に逆らわない母。母の稼ぎも私の稼ぎもぜーんぶ酒に消えるんです。それがもう嫌でね。どうにかして家を出たかった。ちょうどバブル景気で羽振りの良い人が多いでしょ。ダメなことだってわかってたんだけど、年齢ごまかして水商売して。ちょこっとだけ貯めたお金と、お客さんにおねだりして北海道まで送ってもらったんです」
とにかく父母から離れたかった、と充子さんは白い手をすり合わせた。
そうして辿り着いた北の大地で、彼女はある牧場の下働きをすることになる。
それが和久オーナーが運営する『シンボリファーム』だった。
「あの時代はどこもかしこも人手不足で、それで私、運よく働かせて貰えることになったんです。北海道まで送ってくれた人が実はオーナーの知人で、もう本当に運良く、住み込みでね。もちろん大変でしたよ。楽なんてことは一回もなかったし。みぃんなまっとうな出の牧夫ばかりの中で、西から出てきた女でしょ。えらい舐められた。けれど、汗水流して得たお金を自分で使える。ああ、なんて素晴らしいんだろうって思いました」
充子さんは基本的には雑用係のような仕事をしていたそうだ。
あの当時の高校中退の小娘にしちゃ上等な仕事ですよ、と充子さんは微笑む。
だが彼女の勤勉さを、牧場側はよく見ていた。
ある年の暮れ。
沖上聡牧場から受け入れた繁殖牝馬のうち、キミノトップレディという高齢牝馬の世話役をすることになった。
その時にはすでに身ごもっていたキミノトップレディは、非常に気性の荒々しい馬だったという。
まさにじゃじゃ馬という言葉が似あう暴れっぷりに、充子さんは生傷の絶えない毎日だった。
それでも楽しかったと微笑む充子さんは、翌年の話をした。
「美しい青鹿毛の馬でした。あの頃の私はまだまだ馬初心者で物をよく知らず、けれどひとつだけ。当時、青鹿毛と言えば『メジロラモーヌ』ともっぱらの噂で、半ば常識のようなものでしたが。私は、キミノトップレディの仔はそれにもひけをとらない、と強く思ったものです」
その毛色は母馬であるキミノトップレディ譲りだった。
生まれた仔は牝馬で、その時には18歳だった母馬にとってはほとんど間違いなく最期の仔と呼べた。
キミノトップレディもそれがわかっていたのか、愛情深く育てたという。
「母の愛を一心に受けて、仔はすくすくと育ちました。牧場内での評判も良くて、和久オーナーも育成状況に満足げにしていたのを覚えています。でもあの仔はオーナーの所有馬になることもなく、セレクトセールに上がることもなかった」
何故なら庭先取引が行われたからだ。
『キミノトップレディの1990』として2歳の秋── 現年齢で1歳の秋のこと。
和久オーナーが連れてきたある一人の青年が、仔のオーナーになった。
「それが当時、起業して数年経ったばかりの殿原さん── 旦那さんですね」
「ええ。あの頃の夫は起業して五年目。ハタチで立ち上げたので、まだ25歳ですかね。バブル景気っていうのもあったんやろけど、上手いこと商売を軌道に乗せてた。ちょうどオグリキャップやタマモクロスのブームが重なってたのもあって、あの時代、今よりも活発な馬主が多くいたような気がします。夫もそのうちのひとりでした」
順繰りに馬房を巡っていた殿原さんの表情は芳しくなかったという。
きっと乗り気ではなかったのでしょう、と充子さんが苦笑した。
乗り気だったのは一緒に回っていた別の男性で、殿原さんは付き合いのつもりで来ていたのだろうと、彼女は悪戯っぽく頷いた。
「けど、あの仔の前に立った途端、ぴたりと動きを止めたんです。それでしきりに『綺麗なお馬さんや』と言いましてね。あンれ、この人同胞の訛りや、なんて思いつつ、内心では『せやろ、この仔が一番きれいやねん』なんて思ったり。うれしくってついつい、そうでしょう、綺麗でしょう、と詰め寄ってしまいました」
和久オーナーは渋面で充子さんを咎めたが、次いで『確かに綺麗だ』と顔を綻ばせたという。
そしてそれまで世話をしていた充子さんを称えた。
仔は生まれつき右後肢が緩かったが、充子さんの懸命なサポートによって通常の馬と相違ないほど健康になっていた。
充子さんは自身の頑張りが認められた事がうれしくて、満面の笑みを浮かべたそうだ。
「そしたらね、夫が、もちろん当時は夫じゃなかったけれど、彼がね、叫んだんです」
『君に惚れた!』
呆然とする充子さんに、殿原さんは一拍おいてから首を振った。
『いや、あの、違うんです、馬に、馬の、そう! 馬の名前に……
言い訳としては無理がある。
そう思ったのが顔に出ていたのか、充子さんは手を叩いて笑った。
「ふふっ……今となっては『どう考えても私に向かって言っていた』ってわかるんだけど、当時はなんでか『へぇ、そうなんですか』なんて返しちゃって。和久さんが苦笑いを浮かべていたのを今でも思い出せますよ」
殿原さんの、もしかしたら最初となる告白は響かなかったわけだ。
私も思わず笑みをこぼしてしまったが、今も充子さんの薬指に輝く指輪を見かけて、眩しさに目を細めた。
その響かなかった告白を重ねて何度もチャレンジした努力が、この輝きに詰まっているのだ。
この後、仔の所有者は殿原さんで正式に決まり、仔の名前も本当に『キミニホレタ』になった。
1991年の暮れのことだった、と、充子さんは微笑んで答えた。
「── や、や、おまたせしました! すみません、会議が長引いてしまって」
「あら、マ、なんてタイミングの良い」
「なに? なんの話をしてたんだい?」
「いーえ、なんでも! さ、先生をお待たせしてますよ!」
これが長く連れ添った夫婦というものか。
夫である殿原さん── 殿原
「改めまして、今回取材を申し込みました、遠山と申します」
「はい! お待たせしてすみませんね、遠山先生。殿原です。ささっ、どうぞおかけください。あっ、お昼はもう食べました? 夫の私がいうのもなんですがね、妻の作るスパゲティがこれまた美味しいんですよ。よかったらどうです? な、充子さん」
「ちょっとあなた、またゴリ押しして。……すみませんね先生。この人この通り、私をすーぐ持ち上げちゃって」
「そりゃ、初恋相手は永遠に持ち上げたいからね」
「やーね! ……先生、まだ昼時ですしどうでしょう、時間のかかるものじゃないですし、ご馳走させていただけませんか」
実のところを言うと、私は昼食どころか朝食もまだだったので、この申し出は非常にありがたかった。
しかしすぐに頷いても良いのか、社会人的にはまずいのではないか、そう逡巡してしまうのも、悲しきかな大人というものではないだろうか。
私は一瞬だけ遠慮の構えを取ったが、しかしほんの数秒後には「ぜひ」と強く頷くこととなる。
腹の中に飼っている馬が盛大に嘶いたからだ。
それにしても、会話のテンポが非常に良いご夫婦だ。
妻である充子さんを「初恋相手」だと言い切る殿原さんの愛情深さもさることながら、それをいなす充子さんの寛大さもすごい。
初々しさを失わない夫婦と言うのも良いものだな、と思いながら、私は本題を切り出した。
「あの、今日は、キミニホレタ号に関して、お話を聞きにきました」
「うん、そうアポ取りで言われました。いやあ、実に懐かしい。写真はもう見ましたかな?」
「はい。アルバムの中にあるものを数枚ほど」
殿原さんは一つ頷いた後、店にある壁を指差した。
それは店に入って右側の壁で、入った時には気づかなかったが、1枚の絵画が掛けられていた。
「あの絵の馬も、モデルはキミニホレタです。僕と妻は『キーちゃん』と呼んでました」
最初は『キミニホレタ』とそのまま呼んでいたという殿原さん。
だが充子さんに「ずっと告白されているみたいで照れ臭い」と言われ、一緒に考えた愛称だと言った。
「キーちゃんはね、魔性の女って感じですね」
「魔性の女、ですか」
「うん、そう。ものすごくモテてねえ。立派な青鹿毛でしょう。当時の僕は、マ、馬に関してはトーシローなもんだから。毛色とか何がどうしたら美しいとかはよくわかんなくて、ただ直感で、うわあ、このお馬さん別嬪やわあ、って。もし、もしですよ。自分が馬主になるんやったら、やっぱ気に入った馬で始めたいじゃないですか。そやったら、このお馬さんがええなあ、とね」
キミニホレタは旧年齢3歳の暮れに栗東トレーニングセンターへ向かった。
預け先は大窪真陽厩舎。
過去に天皇賞馬エリモジョージ、グランプリホースのメジロパーマーらを手がけた名手だ。
令和の今、最たる代表馬はナリタブライアン、と説明した方がわかりやすいだろうか。
エリート厩舎とも呼べる場所に預けることができたのは、和久オーナー繋がりで知り合った他の馬主の紹介だという。
「僕なんて大したコネもないまま馬主になってるんでね。和久さんが色々と手ほどきしてくれたわけです。これはその一環かな。キーちゃんは、ここであのナリタタイシンと一緒に管理されてたんですよ。ご存じですか、タイシン」
もちろん、存じ上げている。
ナリタブライアンとオーナーを同じくする、1993年の皐月賞馬だ。
同年のダービー馬ウイニングチケット、菊花賞馬でありナリタブライアンの半兄ビワハヤヒデと共に、BNWと呼ばれた。
私がキミニホレタを知るきっかけになったのが、他でもないナリタタイシンだ。
競馬についての知識を深めるために書籍を読んでいた時、ナリタタイシンの記事にほんの少しだけ息づいていた。
1ページにも満たない。総じて5行ほどの文章。その一文を引用しよう。
『タイシンは同期である青鹿毛の牝馬を相手に調整を進め、復調の兆しを見せていた。タイシンはこの牝馬といると不思議と従順だった』
気性が荒く、気ままな自由主義者。
そう関係者から評価されていたナリタタイシンが従順に、大人しくなってしまうような牝馬とは、一体何者か。
この牝馬はどのように生まれ、どのように育ち、どのように天に還ったのか。
「タイシンは小柄な馬でした。キーちゃんは、牝馬にしてはちょっと大きいくらいかな? ちょうど良いサイズ感で、肉付きも良い。そうだな、人間で言うところの、グラビアモデルのようなイメージです。出会った当初はタイシンに激しく威嚇されていたようなのですが、うちのキーちゃんはその、他馬にあんまり興味がなくて。まあ無視し続けていたら、こいつは自分の害にならない相手や! と判断されたみたいなんですよ」
当時、厩舎全体の評価として、タイシンはそこまで重要視されていたわけではなかったようだ。
しかし、キミニホレタとの調整を続けていくごとに調子が良くなった。
迎えたデビュー戦こそ1番人気の6着に終わってしまったが、続く未勝利戦は勝利。
5番人気で迎えたラジオたんぱ杯3歳Sも、直前までの調整相手を務め、タイシンは後方から一気の追い込みを決めて重賞勝ち馬になった。
殿原さんは、キミニホレタが特に何かをしたわけではないと思う、と言った。
ただ、横にいると妙に落ち着けるような、そんな空気を醸しているのだと。
側に敵がいないだけでちょっと気が楽になる。それと同じですよ、と、キッチンから声が響いた。
「それはタイシンだけじゃなくて、ブライアンの方にも効きました」
ナリタタイシン、キミニホレタの一つ下が、ナリタブライアンの世代だ。
2頭がクラシックシーズンを迎えたころ── 最も、キミニホレタは未勝利戦をなんとか勝ち上がろうともがいている頃だったが、その時期にブライアンは入厩してきた。
関係者からの評判はとても高く、マスコミの前では控えめに言うものの、調教師本人のやる気も違った。
しかし入厩当時のブライアンは、ちょっとした問題児だったという。
「又聞きですけどね。よく夜泣きしたそうですよ。初めて来る場所だったからなのか……キーちゃんの担当厩務員さんも言ってましたが、ブライアン自体は興奮しやすい割には臆病な性格。朝厩舎を開ける時から騒いでいて、引き運動するときも自分の影に怯える。そんな、怖い物が多いブライアンの側で静かにしていたのが、うちのキーちゃんというわけです」
引き運動で連れ出すとき、キミニホレタが先導を務めた。どっしりとした大柄の牝馬の影に隠れ、ナリタブライアンはゆっくりと歩いていた。
「その後からも、どこに行くにもキミニホレタにくっついて回ろうとしたようで……いやあ、タイシンと言い、ブライアンと言い、ほんまに魔性の女やわあ」
くすくすと笑った殿原さんは、続けてこういった。
「あれが初恋なんじゃ無いかってね、思うわけですよ。充子さんは、妻は案外違うかもよ、なんて言うけれどね。私からしちゃ、年下男の淡い初恋みたいなもんだと思ってるんです」
初恋? 私は思わず聞き返した。
若干、前のめりになってしまったのは否めない。
それほど、聞いた時は驚いたからだ。
「笑っちゃいますよね。馬が恋なんて……って思うし、それに、『ナリタブライアンの恋』は有名すぎた。……先生が最初に思い浮かべた牝馬、当てますよ。黒鹿毛でしょ?」
唾を飲み込んで頷いた。
かつて『漆黒の弾丸』と呼ばれた牝馬がいた。
1991年3月26日、アメリカ生まれ。
G1含めた重賞勝ち鞍はのべ9勝。
同期の三冠馬・ナリタブライアンが世代を代表する牡馬であるならば。
その黒鹿毛は、世代を代表する牝馬だった。
その馬の名を── ヒシアマゾン。
「はてさて。キーちゃんはこの名牝よりも魅力的な牝馬だったのか? 世間一般で見れば違うのでしょうよ。私たちだってそんな名牝と比較するのも申し訳ないと思う。親馬鹿で言うなら一番ですが。しかしね先生。恋ってのは、ほら、ひとつじゃないんですよ」
長くひとつの初恋を貫く男が、悪戯っぽく私に微笑んだ。