それでも風は吹く   作:SunGenuin(佐藤)

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○彼と彼女の二角関係 後編

 モガミという馬がいた。

 産まれはフランスで父は名種牡馬リファール。

 牝系も遡ればアメリカで大流行した名牝系の祖・ラトロワンヌが君臨する良血馬。

 しかしご存じの方も居るとおり、モガミは『競走』というスポーツにおいては、別格優れた存在とは呼べなかった。

 その通算成績20戦3勝が、馬の血統表に影を落としただろう。

 だがそこで終わらないのが競馬の醍醐味だ。

 歴史に刻まれた名種牡馬の多くがそうであったように、モガミもまた、父として特別な能力を見せた。

 

 故国から遠く離れた日本で種牡馬入りし、初年度に送り出したシリウスシンボリがダービー馬へと君臨。

 翌年にはメジロラモーヌが史上初の牝馬三冠を達成すると、モガミの名はたちまち日本中に知れ渡った。

 これまで紹介したウタワカの父・ライジングフレームに代表するように、昭和から平成に駆ける日本競馬は血統の坩堝だった。

 たとえその戦績に輝かしい跡が少なくとも、たった一滴の血に未来を夢見て種牡馬入りする馬は、令和の今と比べてグンと多かったのだ。

 それに重賞未勝利でありながら名種牡馬やブルードメアサイアーに駆け上がった馬も、この時代は特に多いように思う。

 長く続いた大戦が終わり、復興の嵐を駆け抜け、まさに新しい世へ辿り着こうという日本の、その流れに乗り遅れないよう、日本競馬も進化の過程にあった。

 方々から『我こそは新時代の!』と名乗るに相応しい馬を探す内に、気づけば外国産種牡馬は群雄割拠の時代を迎えていた。

 だからこそというべきか。モガミが日本に足を踏み入れたとき、まだ誰も知らなかった。

 この馬が、ダービー馬と三冠牝馬の父になるなんてこと。

 だがおもしろいことに、モガミと似たような境遇の種牡馬は世界各地にいる。

 世界中を席巻したミスタープロスペクターが最も有名で、他にはダンジグ、1960年代から70年代の日本競馬に強い影響力を見せたネヴァービートも、メジロラモーヌをはじめ多くの名馬の母父となった。

 モガミの続けざまの活躍は、今に続く偉大なる血脈の始発点を想像させるのに十分だったのだ。

 

 だがモガミには決して避けられない苦難があった。

 モガミそのものが持つ『血湧き肉躍る』とでも言いたくなるような勇猛さ── あえて悪い言い方をするのであれば『酷い短気』は、仔の競走生活においてひときわ高い壁であった。

 そもそも競馬とは先頭を競うスポーツである。

 好奇心に満ち、ハナを主張するだけの胆力と、前を目指す荒々しさを追い求めて配合が重ねられ、今日へと辿り着いた。

 その執念を外野はしばしば皮肉も込めて『ブラッドスポーツ』と呼び、血統の傾向は決して無視できない。

 回りくどい言い方をしたが端的に言うと、モガミの産駒は高確率で気性が荒かった。

 

「なんだあのきかん坊は。さてはモガミ産駒だな」

 

 そう囁かれるほどには、モガミの血は気性難の代表格といえた。

 それはのちの日本競馬を大きく変えることになる大種牡馬・サンデーサイレンスが登場するまで、誰も「違う」とは言えないほどに。

 ところがその『荒さ』にもメリットはある。

 そも荒々しさとは即ち、前進気勢の表れなのだ。

 前へ、もっと遠くへ行こうという馬の強い意志。それをレース中にまっすぐ発揮できれば、モガミの仔は段違いに強かった。

 実際にモガミ産駒の戦績は中距離以上に勝ち鞍が多く、長距離に耐えきるスタミナと勝負強さがあることを物語っていると私は思う。

 

 荒々しく勇猛で力強く勝負事にこそ根性を発揮する。

 その血を、キミニホレタもまた受け継いでいた。

 遠くを見つめるような丸い瞳の奥と、香り立つような青鹿毛に、決して尽きることのない闘志が宿る。

 そんな彼女の父の名はシリウスシンボリ。

 モガミの名を日本中に知らしめた、一番最初のG1馬である。

 

 

 

 

 ── 誰に聞いてもみんな同じことを言うでしょう。『キミニホレタは模範的な馬だった』と。

 

 そう語るのは当時大窪(おおくぼ)厩舎で調教助手を務めていた1人、道浦(みちうら)大輔(だいすけ)さんだった。

 

「掛かることはまずありませんでした。調教師が理想とするところの、ゆすれば走って、引けば止まって、の賢い馬ですよ。調教結果は見習いが乗ろうが私が乗ろうが変わらない、非常に安定感があったということです」

 

 多くの関係者が『走る馬』と想像して出てくる要素、そのほとんどを持った馬。

 朝露に濡れた青鹿毛が調教馬場に現れるとどこからともなく吐息が聞こえ、その手綱を引く道浦さんは誇らしい気持ちだったという。

 彼女は誰がみても「成功する」と思わせるような、そんな佇まいで栗東トレーニングセンターを闊歩した。

 

「けれどね、あの()には足りないものがあった」

 

 鞍上の指示通り回るターフの上。

 はねる四肢と風を受け入れてなびく尾っぽ。

 混み合う3番手集団を率いて描く軌跡。眼前は間違いなく先頭を捉えていた。

 その血譲りの前進気勢が顔を出す。芝を勢いよく蹴り出して首が下がったら勝負の合図。

 しかしその鼻先がゴールを差すのはいつも2番手だった。

 

「本当に惜しかった。いつも、いつも、いつもあと1歩、ハナ1センチでも2センチでもいつも、惜しかった。あの娘の気合いと私たちの心とは裏腹に、あの娘はどうしてもどこまでも、惜しいまま終わる」

 

 キミニホレタには瞬発力がなかった。キレる脚 ── ここ一番のスピードも。

 あと少しのところで競り合うために必要な能力が足りず、好位追走の構えは本当に追走に終わる。

 良いところまでは行く。見せ場もある。けどこれで勝ったと確信できる決め手だけがいつも不足していた。

 首を押しても、鞭を鳴らしても、本人の努力だけでは拭いきれないほど、いつも『あとひとつ』足りなかった。

 

「ある意味では『モガミの血統らしい』と言えたかもしれません」

 

 マイナスイメージの強かった『気の強さ』は豊富なスタミナと勝負根性という強みを生み出した。

 反転、上がりの早い競馬 ── つまり、ラスト3ハロン(= 600m)の時計が早くなる、土壇場での末脚勝負を苦手とする子孫も多く、キミニホレタも例に漏れない。

 長距離に活路が見いだせればまだよかった。他のモガミ系の馬のように立振る舞うこともできたかもしれない。

 けど大柄ゆえのストライド走法を使うキミニホレタは、長距離にはどうしても向かなかった。距離が伸びれば伸びるほど、終盤に脚が回らないとわかっていたのだ。

 

「結局現役時代は1600万下……今で言うところの3勝クラスを行ったり来たりしていました。1200から1400のスプリントが好条件で、大柄ながらカーブをキレーに走って行くんです。スピードを要する決着が苦手だったので、晩秋の少し荒れた内馬場を好みました。戦績も好走したのは全て秋のことだったので、ひょっとしたら秋女だったのかもしれません」

 

 初めて勝ったのも4歳未勝利の最後も最後のチャンス。

 あと少しで秋が来る手前の、まだ暑さ残る夏の札幌で、彼女は花を咲かせた。

 同期のナリタタイシンが皐月賞馬として秋シーズンを目指した横で、その調教パートナーを絶えず務めながら。

 

「その頃にはタイシンは大窪厩舎の立派なエースでした。そのパートナーを務めるのですから、あの娘も大変です。でもちっとも弱さを見せなかった。疲れ果てたような横顔も。……あの娘の素晴らしいところのひとつに見目がありますが、格好良いとか可愛いとか以前に、姿勢が本当に素晴らしいんです。まっすぐ立っているだけで、次のレースでは激走するんじゃないかと、永遠に夢を見せてくれるような」

 

 堂々とした佇まいが馬体の美しさを補強した。

 タイシンはキミニホレタのその姿勢の素晴らしいところに感心していたのではないか、と道浦さんが微笑んで言う。

 怯むことなく自身の前に立ち、ブレることなく自身を見つめ返した。

 馬の感性はよくわからないが、人間からすれば『たったそれだけのこと』と思えるものも、タイシンには大きく意味のあるものだったのかもしれない。

 それこそ、誰の目から見ても「タイシンが気を許している」と思うほどに。

 

「私もそんな気がします。……ああ、うん、本当にそんな気がしてきた」

 

 道浦さんはほころんだ顔そのままに、春疾風が吹いた空を、懐かしそうに見つめた。

 

 私が道浦さんと知り合ったのは、他でもない、殿原ご夫妻の紹介に寄るところだ。

 2022年の3月にご夫妻を取材した際、「せっかくだから身近で世話をしてくれた人にも話を聞いた方が良い」と、今は兵庫の外厩施設で働いている道浦さんにアポイントメントを取ってくれた。

 オープン馬ですらない馬を取材するとは不思議な馬選ですね、と開口一番に言った彼は今50代。

 キミニホレタを担当した時には厩務員歴15年以上の中堅だった。

 

「立派な馬が来たものだと思いました。あのシリウスシンボリの初年度産駒。胸が躍りましたよ。どこまで行ってくれるのか、連れて行ってくれるのか、ワクワクしていたのを覚えています」

 

 他の厩務員からも大層(ねった)い視線が飛んだのだ、と笑う。

 調教馬場に繰り出せば他厩舎の厩務員からも「ええなあ」と声を掛けられたと語る道浦さんに、当時、どれほどキミニホレタが期待されていたのかが分かる。

 それでもキミニホレタはメディア各位から注目を集めるほどかと言われると、そうではなかった。

 同世代に「父トニービン、名牝系スターロツチ、母父マルゼンスキー、母母父テスコボーイ」の良血・ウイニングチケットが君臨していたからだ。

 

「その血統表の素晴らしさは瞬く間に広がりました。まあ、血統だけで走るものではありませんが、管理してる伊東先生が『ダービー馬が来た!』と言ったそうで、注目度の高さはピカイチだったと思います。吹かすなァ伊東さん、なんて思ったけどあの結果じゃないですか。流石だなァに切り替えました」

 

 そう言って笑った道浦さんに釣られて笑う。

 有言実行はいつの時代も感心が尽きない。

 もし私が当時この話を聞いていたら、道浦さんのように「吹かすなァ」と言った口で「流石だなァ」と同調するだろう。

 その可笑しさが口の端を踊らせながら、私は道浦さんの語りに耳を傾けた。

 

「さっきも言ったように、あの娘は結構期待されていたんです。たまにあるでしょ、『こんなんどう見ても走る!』って馬。極端な例だとセリの高額馬みたいな。キミニホレタはね、新馬戦は2番人気だったんです。シリウスシンボリはこれが初年度だけど、あんまりにも立派な体躯でぐるっとパドックを回ってくもんだから、解説も『均整の取れた馬体ですらっと行くキミニホレタ』ってね。これはいける、貰ったか、と見てたこちらも思ったんですけど、競馬は難しいですね。願ったとおりにはそういかない」

 

 結局キミニホレタが初勝利を挙げたのは旧齢・4歳の初秋。

 でもナリタタイシンのおかげでずいぶん楽して来られたんですよ、と囁くように私に言った。

 

「タイシンはその頃には皐月賞馬になってたわけなんですけど。タイシンが走っていてくれることで、そのパートナーやってたあの娘もテキや他の厩務員に強く言われずにのんびりやれたんです。『まあお前も仕事しとるもんな』みたいな空気で」

 

 レースという目に見える形以外で自分の価値を証明し続けた。

 (したた)かで抜け目のない、やり手のキャリアウーマンのようだ、と呟いた私に、道浦さんが笑って頷いた。

 

「そう、あいつは強か手で抜け目のないキャリアウーマン……たとえ1着が取れなかろうが他馬を押し上げることで居場所を作った。タダじゃ絶対折れん! って覚悟が見えて、だから俺も諦められなかったんだよなあ……──」

 

 最後の一言が、これまでの道浦さんの言葉すべてを集めて煮詰めた、本音の中の本音だと気づいた。

 

 

 キミニホレタが引退したのは1995年の春。

 94年に怪我で一時離脱したナリタタイシンの帰りを待つことなく、キミニホレタは大窪厩舎を去った。

 ナリタブライアンが阪神大賞典に出走するため、その調教パートナーを務めたのが競走馬として最後の仕事となった。

 同年6月にシンボリファームにて繁殖牝馬となりシンボリルドルフと配合。

 残念ながら不受胎となってその1年は空胎だったが、翌年には種牡馬入りしたナリタタイシンと配合し受胎した。

 

「気の合う2頭でした。気の合うっていうか、お互いいても気にならない相手? あの娘自体はいつも胸張って堂々としてて他馬にも突っ込んでいかないので、そういうドライさがタイシンには合ってたみたいなんですね。タイシンも過度にキミニホレタに絡んだりもしないので、そういう意味では気の合う間柄だったと思います。大人の付き合いというか」

 

 ナリタタイシン自体は気の強い馬だったと言う。

 牧場時代からマイペースであったものの、生まれ持った賢さ故か気に入らない人間を振り落としたり、ワイルドな噂が絶えない。

 豪胆な性格かと思えば、物事には繊細で少しでも嫌なことがあれば動かないなど神経質な面も見せた。

 末脚勝負がてんでダメなキミニホレタとはまさに真逆の脚で、ナリタタイシンは激しい気性だからこそ『末脚に賭けよう』と意気込んだ。

 ラジオたんぱ杯3歳Sや皐月賞の追込がその気性をよく表している。

 パッと見の性格も脚質も真逆でよく併せ馬のパートナーができたと思ったものだが、できたからこそ、道浦さんは『気の合う』と表現したのかもしれない。

 そうでなければどう考えても正面衝突するような組み合わせに見えた。

 

「凸凹がハマったのかもしれません。配合も、上手いことハマってお互いのダメな部分カバーし合えたらいいなと、そういう意味合いだったと聞いてます」

 

 末脚の足りないキミニホレタに、末脚の効くナリタタイシンを。

 神経質で気性の荒いナリタタイシンに、穏やかで物怖じしないキミニホレタを。

 足りない部分を支え合って産まれた仔がどこまでいくか、きっと、関係者の多くが夢を見たかも知れない。

 

「そういえば、あの娘とタイシンが2頭で併せてるときにブライアンと鉢合わせたことがあったんですけど。ブライアンが2歳の頃かな。あの娘を見て近寄ってきたかと思ったら、タイシンを見てUターンしていくんですよね。怖い相手というかなんというか。あの娘は平気だけどタイシンはまだ無理だったみたいですね」

 

 入厩当初のナリタブライアンは繊細だったと聞く。

 生産牧場では終盤まで存在感がなく、育成段階になってから乗り手に「すごいバネ」「半兄・ビワハヤヒデも凌ぐ」と評価されてから注目されるようになった。

 メジロパーマー等を輩出した大窪厩舎に入った後は、皐月賞、ダービーで掲示板に乗ったビワハヤヒデの半弟として話題になった。

 だがその環境の変化に、繊細すぎるほど繊細だったナリタブライアンは堪えきれなかった。

 水たまりも避ける、100m先のカメラマンにも怯む、スズメのはばたきにすら神経すり減らす、悪く言えば臆病で、精神面が脆かった。

 その脆さを補強したのが何を隠そうキミニホレタなのだと、道浦さんは語る。

 

「あの娘はいつどこでみても変わらないんですよ。厩舎の脇だろうが、調教馬場だろうが、パドックだろうがなんだろうが。いっつも首をピンッと伸ばしてパッキリ立ってる。環境の変化に弱いブライアンにとって、あの娘の『変化のなさ』は一種の安定剤だったんです」

 

 ナリタタイシンの時に道浦さんは言った。『たったそれだけのこと』と我々が思うことも、馬にとってはかけがえのない何かかもしれない。

 ひょっとしたらナリタブライアンも同じなのだろうか。

 変わらないという『たったそれだけのこと』が、ナリタブライアンにとってこの上なく落ち着くことだったのだろうか。

 真相は本馬しかしらないだろう。けど確かなことがひとつだけある。

 ナリタブライアンはキミニホレタの側にいるときは、スズメのはばたきも、100m先のカメラマンも、水たまりだって気にしなかった。

 

「殿原さんたちはそれを『初恋かも』と笑ってたけど、あながち間違いでもないと思うんですよ。ほら、最初の恋って人間でも似たようなものじゃないですか。恋なのかどうかわからないけどその人の側にいたいな、って感情。あれを子供の頃に『初恋』なんて呼ぶんです。それでいうなら確かにブライアンは恋をしていたでしょうね。あの娘の側にいたいなと思って、そこで安らいでいたのなら」

 

 人間が思うほど甘酸っぱい関係性ではなかったかもしれない。

 キミニホレタはひょっとしたらナリタブライアンを気に掛けていたわけでもないのかも?

 物言わぬ馬は私たちに真相なんか教えてはくれないから、その横顔から推察するしかないのだろう。

 両手じゃ足りないほど遺されたキミニホレタの写真は、横顔が多くどれも穏やかだった。もしその先にナリタブライアンがいるならば?

 そう思うと途端に甘酸っぱさを感じる。充子さんの悪戯な微笑みが浮かんで、恵太郎さんの照れた微笑みがその側にあった。

 

「側にいたいな~というふわっとした最初の初恋が終わりを告げて、2度目の恋が始まるわけです。今度は側にいたいな~なんかじゃなくてもっと貪欲な」

 

 それはたとえば漆黒の弾丸とか?

 私の質問に道浦さんは笑みを深めるだけで答えなかった。けどそれが答えのようなものだろうか。

 恋はひとつじゃない。長くひとつの恋を貫く恵太郎さんが言うと信憑性がなく、けど道浦さんが言うと何故か納得できそうな気がした。

 

「けど初恋相手っていつも特別ですよね。なんとなしに素晴らしい記憶として残る。遠い日の輝かしい1ページになってる。……別れ際のブライアンを思い出しますよ。馬に別れなんてわかるはずない、って思ってたんですけど、ひょっとしたら勘づいていたのかな」

 

 ナリタブライアンが阪神大賞典の最終追い切りを迎えたその日がキミニホレタの引退日だった。

 すっかりトレードマークとなったシャドーロールをつけたナリタブライアンに見送られ、北の大地を目指した馬運車に揺られる。

 キミニホレタはまったくいつも通りの姿で、遠のいていく馬運車を見つめるナリタブライアンだけが心細そうに鳴いていたそうだ。

 もう出会えないとわかっていたのかもしれない。

 その繊細さ故に、たった1頭、ナリタブライアンだけが永遠の別れに泣いたのだろうか。

 

「タイシンならそのドライさで良かったけどブライアンにはちょっとダメだったな。メンタル的にもあの娘にはもう1シーズン居て貰おうと思ってもいたんですけど、6歳春の繁殖入りはむしろ遅い方ですから。年齢は仔出しにも影響しますし、ブライアンも徐々に大人になってきた頃なので今が良いタイミングってなったんです。父シリウスシンボリの産駒からはドデカい活躍馬が現われず低迷気味で、このまま現役を伸ばして配合相手に困ってもいけない。それに、これ以上無理して故障なんてもってのほかですから」

 

 オープン馬には届かなかったが、それでも短距離の条件戦ではいつもいるメンツの1頭になった。

 時々ファンレターも届いたという。名前がおもしろくて珍名馬の1頭として推すファンも居たようだ。

 熱狂的に推されるアイドルホースではない。アッと驚くような活躍だってない。

 けどキミニホレタは確かにそこにいて、大窪厩舎のエースたちの側でそっと支えていたのだ。

 

「『群れに答えなどない』けど、あの娘の側には答えがあったんですよね、きっと」

 

 答えが恋という形をしていたのかどうかはあの2頭だけが知る。

 それが何故かロマンチックに思えた。

 

 

 

 しばらくの談笑を挟んだのち、道浦さんは小さな息を吐いて話を続けた。

 気づけば空は分厚い雲が覆って、心なしかあたりが暗いように思えた。

 

「好走したレースがほぼ秋だったから秋女だったろうと思いますし、秋が好きなんだと思いました。あの寒いような暖かいような曖昧な季節を。だからでしょうか。あの娘が亡くなったのも秋のことでした」

 

 ナリタブライアンが京都競馬場で引退式を敢行した秋の佳き日に。

 いつかは配合も、と囁いたオーナーたちが見守る中、1996年11月9日。

 腸捻転にて、旧齢・7歳の若さだった。

 

「重賞勝ち馬ではありませんし、オープン馬ですらない条件馬でしたし。懇意にしている記者がいたわけでもないので報じられることもなく、オーナーからテキへ、そして私へ。大多数の人間にとって、あの娘は数ある馬の1頭に過ぎないと思います。でも、私が担当してきた馬の中であの娘ほど美しい馬はいませんでした。だからいつか、彼女に似た娘を担当に持って、次はオープン馬まで持っていってやりたいと密かに思っていたんです」

 

 母の夢を仔に託すのは、競馬界でよくあることだ。

 繁殖入りしたのが未勝利馬や条件馬であればあるほど強い願いとなっていく。

 どうか仔よ、母の分まで、と。

 順調にいけば1997年の春に産まれた、父ナリタタイシンの初年度産駒にもなっただろう1頭。

 しかし母と共に天へと還った。道浦さんたちに振り返ることもなくまっすぐと。

 

「タイシンだけでなく、あのまま何事もなければブライアンとの仔だって、いつかは……見られたのかもしれません。全部タラレバになるけど、それでもしクラシックまでいけたらって、今でも夢想することがあるんですよ。でも全部、もう、遠い日の思い出になりました」

 

 懐かしい顔の多くがもう道浦さんの傍にはいない。

 柵に手をかけて放牧地の果てを見つめる道浦さんは、今、何を思うのだろうか。

 あったかもしれない恋を語り、キミニホレタの変わらなさを語り、その終わりを語り。

 数ある馬の1頭に過ぎないキミニホレタの美しい背中を、まだ追いかけているのだろうか。

 それ以上は黙して語らない分、横顔のもの悲しさが一層強く見えた。

 饒舌だった彼もたぶん、キミニホレタが好きだった。

 

 

 

 ナリタブライアンが亡くなったのは1998年9月27日。

 気づけば1つ年上だったキミニホレタを2年追い抜いて年上になった、初秋、旧齢・8歳の時だった。

 あの2頭は再会できたかな。道浦さんがポツリと漏らす。

 殿原ご夫妻も同じことをおっしゃってましたよ、と続けると、破面して頷いた。

 当時、2頭のことを知っていた大窪厩舎の関係者だけがそっと思い出す。

 恋と呼ぶにはあまりにも淡く、ただ柔らかい空気の中にいた2頭の、短い共存と別れと、再会を。

 

「天国じゃあの()は『あんた誰? ブライアンは年下なんだけど』と訝しんでたかも」

 

 逆転した年齢差を埋めるほどの月日はとうに経った。

 馬は虹の橋を渡って天国に行くというが、その橋をブライアンは全力で駆け抜けただろうか。

 朝露に濡れる青鹿毛の、広く透き通った影を目印に、まっすぐ。

 

 どうしてか私は、今になってとびきり甘酸っぱい気持ちになって、キミニホレタの写真を撫でた。

 カサリとした質感のそれがこの瞬間だけはしっとりと沈み、まるで馬の毛を撫でたような驚きがひとつ。

 慌てて指を離した私がもう一度触れると、やはり、それは何の変哲もない写真のままだ。

 首を傾げながらも見続ける私に、どうしてか、写真の中の馬も、悪戯っぽく笑っているような気がした。

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