それでも風は吹く   作:SunGenuin(佐藤)

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注意事項
当該作品には「屠殺」「肥育」「経済動物」といった表現が用いられ、また、話の主題もそれに準じます。
「屠殺」や「肥育」を容認する側と、それを割り切れない側の話もあります。
これらの表現や話題が苦手な方は閲覧しない等の回避方法をお取り下さい。
また、作中の登場人物が語る思想は作者の思想とイコールではないこと、あらかじめご了承ください。


○雲隠れの月を探して 後編(前書必読)

 

 我が国の競馬が始まったのは、正確にはいつ頃か、読者諸兄はご存じだろうか。

 現在の競馬法が成立した時点、と言う人も居れば、中央競馬の体制が整った頃と答える人も居るだろう。

 競馬がどこからどこまでを指すのか、どの程度の公営性を求められるのか、いずれを問わず、私の答えはシンプルだ。

 

 我が国にサラブレッドが来た、その瞬間からだ、と。

 

 サラブレッドの三大始祖と言えば、馬産業に携わる者なら誰もが知っている。

 現代を生きるサラブレッドの、実に90%以上もの馬に流れる血の源、ビッグサイアーとなったダーレーアラビアンを祖に持つエクリプス系。

 モロッコの皇帝からフランスのルイ14世へと献上され、そこから散水車を引く荷役馬にもなったと言われる、まさに数奇な運命を辿ったゴルドルフィンアラビアンを祖に持つマッチェム系。

 3頭の中で最も古く、戦禍の中を駆け抜け、やがて種牡馬となった軍馬上がりのバイアリータークを祖に持つヘロド系。

 日本では持込馬 ── 国外から輸入された時点で受胎済みの牝馬が国内で産んだ馬、または1歳未満の時点で母馬と共に国内に持ち込まれた馬として、当時アメリカで伝説的な活躍を挙げていた種牡馬マンノウォーを父とする月友が大きな活躍を見せた。

 と言っても、月友は1度も競馬場の大地を踏んだ事は無い。

 

 月友は、1931年、イギリス馬の血統こそが優駿の中心地となっていた日本競馬に新たな風を吹き込むべく、宮内省下総御料牧場が主導して取り寄せた3頭の繁殖牝馬のうち、Alzada ── 繁殖登録名:星友より産まれた牡馬だった。

 それぞれがアメリカ馬の血統となるAlzada、Fairy Maiden、Ima Babyのうち、牡馬はAlzadaの産んだ月友のみで、残りは牝馬が産まれた。

 Fairy Maiden ── 繁殖登録名:星旗からはクレオパトラトマス。

 Ima Baby ── 繁殖登録名:星若からはエレギヤラトマスが、競走馬としても、その母としても血統表に血を残すこととなる。

 一方、競走馬になることなく種牡馬入りした月友もまた、父として名を残した。

 ダービー馬だけでも、13代のカイソウ、15代のミハルオー、22代のオートキツ。

 オークス馬だと7代のミツマサ、桜花賞では11代のツキカワが彼の仔だ。

 他にも、当時の目黒記念や京都記念、中山大障害等の重賞レースにて多くの産駒が勝ち星を挙げた。

 母の父としても皐月賞馬にダービー馬、オークス馬を輩出。

 名牝系として今も尚崇められるスターロツチの母父も、この月友であった。

 間違いなく、日本競馬が高みに昇るための礎となってくれた1頭だ。

 

 だが、その月友以前にも、日本には多くのサラブレッドが国外からやって来ていた。

 

 月友と同じく下総御料牧場にて繋養されていたトウルヌソル、ダイオライトらがその筆頭格だろう。

 彼等はどちらも国外で競走馬生活を送り、それぞれ優秀な成績を挙げての種牡馬入りだった。

 前評判に見合う活躍を見せ、トウルヌソルは令和現代でも『輩出したダービー馬の数』でかのサンデーサイレンスに並ぶほどであるし、ダイオライトは後に日本初の三冠馬・セントライトを輩出した。

 特にトウルヌソルは、当時の最先端とも言われる最高の血統背景を持った馬で、多くの関係者が「あの時期にトウルヌソルを呼べたのは真に幸運だった」と言われるほどだった。

 この2頭からさらに前。1907年。

 

『日本で最初の本格的なサラブレッド種牡馬』

 

 そう称されるある1頭の馬が、サラブレッドの母なる大地・イギリスからやって来た。

 

 始まりは1906年5月30日の内閣馬政局発足に伴う、明治政府の産馬奨励だった、と言われている。

 当時の国内競馬は、サラブレッドのみでなく多くの馬が駆けていた。

 サラブレッドとアラブ種の交配種であるアングロアラブ(表記:アア)や、血統の有無が確定できない混雑種(表記:雑)、中にはトロッターとの交配種(表記:トロ雑)もいたという。

 その中で馬政局はサラブレッド種に重きを置いた。

 軍馬の資質改善を前提目的としたそれは30年に及ぶ品種改良計画を掲げ、その一環としてサラブレッドの生産・育成が強く求められることとなった。

 これより少し前。岩手県のある原野が開拓され、実に大規模な西洋式の近代農場が開かれた。

 開拓の中心メンバーは、鉄道の父・井上勝、日本鉄道会社副社長・小野義真、三菱二代目社長・岩崎彌之助の3人で、紆余曲折を経て始まったその農場は、3人の頭文字を取って『小岩井農場』と名付けられる。

 当時は牛や羊を中心としていた農場は、乗馬趣味を持つ三菱二代目社長・岩崎彌之助が農場主になったことで馬産に注力する事となる。

 その礎として、競馬の最先端であり一大マーケットでもあったイギリスから、選りすぐりの繁殖馬21頭が輸入された。

 内、たった1頭の種牡馬が、日本で最初の本格的なサラブレッド種牡馬と言われる、インタグリオーだ。

 

 インタグリオー輸入にあたり、小岩井農場は約1万円を掛けたと言われている。

 21頭の総額が13万円ほどであると言われているから、割合としてかなりの高額だろう。

 そもそも、当時の馬政局が産馬奨励として購入したサラブレッド22頭の総額が約12万7千円との事なので、それを上回る大きな出費をしてまでの覚悟が農場側にあったということだ。

 しかしながら残念なことに、輸入した翌年の1908年。

 度重なる競馬関連の不正行為の横行で馬券発売が禁止。

 そして馬政局の産馬奨励の対象がサラブレッドからアングロ・ノルマン種に変わったことで、社運の全てをサラブレッド生産に掛けた小岩井農場は窮地に立たされることとなった。

 価値が崩れたサラブレッド市場では満足いく馬の売買ができず、困り果てていた農場ではあったが、いざインタグリオー産駒や他の持込馬が走り始めるとそのあまりの活躍ぶりに経営が上向き。

 インタグリオー産駒レッドサイモンは内国産馬として初めて外国馬を打ち破る大活躍を見せた。

 残念なことがあるとしたら、このレッドサイモンから直系の血を後世に残すほどの産駒を輩出できなかったことかもしれない。

 だが、その後もインタグリオーは数多くの重賞馬を送り出し、当時、内国産馬と豪州馬とでレースを二分しなくてはならなかった格差を、その現状を、少しずつ埋める手助けとなってくれた。

 サイアーライン自体は太平洋戦争を目前に消滅し、父系としては残っていない。

 しかし、小岩井農場と基礎繁殖牝馬として導入された20頭の牝馬の、そのほぼすべての相手を務めたのはインタグリオーである。

 母の父として多くの名牝を輩出すると、大正、昭和、平成、そして令和の今も、その牝系は力強く競馬場を駆け抜けている。

 有名どころで言えば、インタグリオーとアストニシメントとの間に産まれた第弐アストニシメントから続く牝系にクリフジやメジロマックイーンらが。

 フラストレートとの間に産まれた第三フラストレートのラインからはトキツカゼやトウメイが。

 フロリースカツプとの間に産まれた第四フロリースカップからはスターカツプやミナミホマレが出た。

 更に細かく見れば、スターカツプから続くラインにはシラオキが、そのシラオキからは年度代表馬コダマ、皐月賞馬シンツバメ、さらに子孫を辿るとスペシャルウィークやウオッカなど、蒼々たる面々が名を連ねる。

 

 こうして、インタグリオーは父系を絶やしながらも日本競馬に無くてはならない牝系の、その素となる父として決して消えることのない輝きを放ったのだ。

 未来永劫、競馬が続く限り消えないだろう輝きを。

 

 

  ── しかし、すべての馬が輝き続けることは不可能だ。

 

 

 交配を重ね、サラブレッドという言葉が生み出されて幾百年。

 今日(こんにち)、あなたの愛する馬が受け継いだその血潮に連なる、数多くの名前がそれを教えてくれるだろう。

 その父、その母、そのまた父と母……脈々と繋がるその名前のひとつひとつ、生い立ち、生き様、死に様。

 あなたはすべてを知らない。

 知ろうと思ってももう知る術がない。

 ただ燦然たる輝きを放った名だけが、逸話と共に残る。

 そうでない馬は名だけを残し、居たという事実だけを残し、足跡はない。

 それが歴史で、それが営みで、それが、生きるということ。

 サラブレッドは、競走馬は、競馬というものは、そういったものの積み重ねで存在するのだ。

 

 いつだって、逸話なき、それでも誰かにとっては間違いなく大切だった馬が屍の中にいる。

 その事を私たちは、知っているようで知らなかったのか、それとも、知ることを拒んできたのか。

 

 

「……へぇ、このレッドサイモンって馬、重賞を勝ってるのに交配相手が交雑種ですか」

「まあ当時は今と違ってなんでも『サラブレッドじゃないと』って時代じゃなかったから」

「それはそうですけど。今の感覚だとなんか『もったいないっ!』みたいな気持ちになっちゃうんですよね」

 

 苦笑いでそう言った担当編集に私も思わずに苦笑いを返した。

 そうだろうな、と思う。

 血統表が正しく整備された現代において、重賞レースを勝ったサラブレッドの交配相手は同種に限る。

 サラ以外の馬との間に産まれた仔はサラブレッドとして見られず、サラ系となってしまうからだ。

 そうなっては競走馬としてデビューすることは非常に難しくなってしまう。

 何故なら、日本競馬においてはサラブレッドであることが競走馬となる前提条件だからだ。

 繁殖にも育成にも金が掛かるというのに、競走馬にもなれない馬を生産する意味合いはほとんどないと言ってもいい。

 1974年以降、混雑種が、いわゆるサラ系がサラブレッドとして名を刻む方法は、その血から8代続けてサラブレッドを交配すること、その一点しかないことを思えばなおのこと。

 

「この馬たちは最期、どうなったんでしょうね」

「え?」

 

 担当編集の言葉に、私は手を止めて振り返った。

 静岡への、馬探しの少し前の出来事だ。

 本業であるライトノベルの差し戻しで修正完了まであと一息のタイミング。

 集めた日本競馬に関する資料を捲りながら、担当編集は言葉を繋げた。

 

「この世代って『血を残して次代を育てる』ことにより重きを置いてた時期だと思うんですよ。だから今よりも繁殖入りのハードルが低いように見える。現代の価値観だと繁殖には上がれないだろうと思える馬でさえ繁殖馬として名を残しているんです。そうしてサラ以外の馬とも血を残して……けど、最期はどうなったんだろうって」

 

 この繁殖馬は、そうして生産された馬は、その後どんな道を辿ったのだろう。

 たくさんいたはずの交雑種たち。

 8代重ねなくてはサラブレッドに戻れない彼ら、彼女ら。

 人に望まれて異国の地へと来た。

 人に求められ数を増やしてきた。

 その果てに彼ら、彼女らはいない。

 ただ名が埋もれているだけか、翻弄され時代の流れに飲み込まれたのか。

 

「経済動物だから仕方ない。……そう言えば、そうなのかもしれませんね。今の私たちは馬と近すぎて、そう単純に考えられなくなってしまったけれど」

 

 彼も、ディアムーンライトも同じだなと、ふと思った。

 

 人に望まれて生まれてきた。

 人に求められて走ってきた。

 そうして人の都合で戦いを退いて、今は?

 

 どこにいるだろう。

 ただぽつり、所在地不明の五文字と共に資料に残る。

 無償譲渡された果てで、彼は何を見て、何を思って過ごし、今は、どこで ── 。

 

 

 

 

 

 

「知る必要はあるのでしょうか」

 

 静岡県の某所にて、私はおそるべき激情と相対していた。

 いや、激情と言うにはあまりにも純粋な感情に見えた。

 ()()を強く信じる何か、特別な重さすら纏う視線に、思わず息を飲む。

 眼前の彼 ── 40代手前になるかどうかの、そんな年齢の彼から睨めつけられた私は、それでも視線を逸らさない。

 彼の名前は小宇坂(こうさか)さん。仮名だ。

 詳細な情報を載せないことが、こうして記事に起こす条件だった。

 小宇坂さんは地元の畜産専門学校を経て2000年、乗馬クラブで働くようになり、2010年からは転職して一般企業にお勤めしている。

 取材はこの一度きり、2時間以内に終わらせることも約束して、個室のあるこのカフェへと足を運んで貰った。

 その隣には尾髙(おだか)さんという、50代くらいの男性が座っている。

 当時、小宇坂さんと同じ乗馬クラブで務めていたそうだ。

 先輩役のようなものです、と尾髙さんににこやかな笑顔で握手を求められ、それに応じたのが数分前。

 軽く自己紹介をして、雑誌の説明や連載しているものの中身、そして今日聞きたいことを話し終えてすぐ、小宇坂さんに向けられたモノがその激情だった。

 

 ああ、ここで逸らしたら負けだ。

 もちろん勝負はしていないのだが、ただ私の奥底にある感情が、逸らしてはならないと訴えていた。

 だから目を伏せるでもなくハッキリと開けたまま、私は口を開く。

 

「あります」

「知ってどうしようっていうんですか」

「知らせます。知らせないといけない人がいるんです」

「それは……あなたの作品のファンへ? ネタのひとつとして?」

「違います! そうではなく、知りたい人がいるからで」

「あなたが?」

「……私もですが、誰より、生産牧場の方が。最期、どうなったかが知りたい、と」

 

 とても小さな牧場だったから。

 生産馬の終わりが知れる牧場だったから。

 唯一、その最期を知れないままとなったディアムーンライトの行方を知りたがっていた。

 それだけが心残りだった。

 

 研ぎ澄ました剣のように刺さる視線と問いかけに、飲み込まれないように返事をする。

 小宇坂さんも私から視線を逸らすことなく、ただジッと見つめてきた。

 どれほどそうしていたか、アイスコーヒーの氷がカランとガラスを鳴らした後に、小宇坂さんは口を開いた。

 

「死んだのでしょう」

 

 雲が晴れた。

 厚い、厚い、紫の雲が。

 晴れて、晴れ渡って、その夜空に。

 

 月はない。

 

 月だけが、ない。

 

 ああ ── 死んだ。

 

 胸を突く痛みよりも先に納得が来た。

 やっぱりそうだよな、と。

 2006年から18年もの月日が経っている。

 どこかで壮健にしているなら連絡のひとつやふたつ、得ることも出来たはずだ。

 それがないということはつまり ── 。

 ああやっぱり、染井さんもどこかでわかっていたはずなのだ。

 

 終わりがどうであろうと知りたい。

 

 そう言った。

 こうなるなんてこと、わかっていて、それでも希望を捨てられなかったというのか。

 

「乗馬にするには脚のバランスが悪かったんですよ。性格は良かったんですけどね、肥育へ回すことにしました。馬体はそこそこ大きいし運動も適度にしてましたから。最終的に取れる部位も多いだろうなって引き取りに来た人も言ってましてね ──」

「小宇坂さん」

「ッなんですか、聞きたいと言われたから」

「小宇坂さん!」

 

 キュ、と音がするほど強く、小宇坂さんは唇を噛みしめた。

 彼を止めた尾髙さんは困ったような表情で、言葉を選んでください、と窘める。

 私は、あまりにも直球で投げつけられた単語を処理するのに時間が掛かったが、次第に飲み込んでいった。

 

 肥育。

 運動。

 部位。

 

 ああ、そうか、()()()()()()なのか。

 何度目かの納得が、私の胸に落ちてきた。

 

「遠山さんすみません、言い方が無粋過ぎましたね。ただ誤解をしないで頂きたいのですが、我々も悪意あってやっているわけではないんです」

 

 困り顔の尾髙さんが、黙ったままの小宇坂さんをちらりと見てから、代わるように話始める。

 その表情に憂いは無く、驕り高ぶるような雰囲気も無い。

 どこまでも真っ直ぐな目で、私を見つめていた。

 

「話を進める前に、遠山さんは、サラブレッドが屠殺されることについて、知っていましたか」

「……以前、ペットフード等へと使用するための屠殺が存在すると聞いた事があります」

 

 小さく頷いた尾髙さんは「それもありますね」と言いながら鞄を開いた。

 テーブルにはいくつかの資料が並べられ、中にはどこかの施設内と思わしき写真も載っている。

 そのひとつひとつを指さしながら、尾髙さんは話を進めた。

 

「まず、馬肉になるのはすべて『引退競走馬』という誤解から解きたいと思います」

 

  ──

 

 よく言われているのは、死亡した競走馬の肉が流用されている、とかですかね。

 管理の行き届いた肥育の末に屠殺することを『死亡した肉を流用』とは言いません。

 たとえば予後不良で亡くなった競走馬などが食用になることはなく、適切に奉じられます。

 あくまで軽種馬 ── サラブレッドが馬刺しや桜肉として取引されるのが主です。

 この場合のサラブレッドというのは『競走馬』とイコールではありません。

 そもそもサラブレッドというのは軽種馬の名称であって、競走馬そのものを指している訳ではないからです。

 食用として取引されるのは競走前、あるいは競走に出てからもまだ若い馬が中心ですね。

 競走に出て回数や年齢が重なるにつれて全体の筋肉が硬くなっていきます。

 巷で言われている『競走馬は人に出す馬肉にはならない』という話の根拠としてよく言われているのが、この筋肉の硬さです。

 もちろん、肥育していくなかで柔らかくしていく事も可能なのですが、どうしても肉としての質は落ち気味です。

 なのでやっぱり取引の中心は若馬が多くなります。

 

  ──

 

 淡々とした口調ながらも、資料を捲りながら話す尾髙さんに曇りはない。

 

「馬肉の利用という点において、もっとも有名なのは熊本かと思います。ですが、熊本以外にも青森や会津等で食されることも多いんです。霜降りが好まれる熊本と違って、会津等では赤身肉が好まれます。この赤身肉のほとんどは、先ほども言った通りレースに適さない、あるいは怪我をしてレースに戻れないと確定したサラブレッドを始めとした軽種です」

 

 こちらを御覧下さい、と指さされた資料には、食用に適した馬種の一覧が載っていた。

 

  ──

 

 サラブレッドはそのままでは食用に向きません。

 元々細身の種で、かつ競走馬ともなると走るために余計な肉をつけることなく常にスリムな体型でいるため、何もしないと可食部分はわずかなんです。

 それを増やすために肥育が行われます。

 期間は平均して約30ヶ月ほどですが、個体差が激しく、じっくりと進める必要があります。

 ただ、サラブレッドとはいっても全ての馬が対象になるわけではありません。

 病気に罹って投薬経験のあるサラブレッドは食用に向かないとして、基本取り扱わないことが多いですね。

 能力検定で不向きとされた馬、デビュー後でも競走能力喪失とされた馬や比較的軽微な怪我をした馬のみが肥育馬になる傾向があります。

 

 近年、馬、特に競走馬に愛着を持つ人々が増えましたが、しかしその成り立ちは経済動物です。

 ……そうですね、言うのはだけは簡単ですよね。

 この背景には、もっとたくさんの意味が込められているんです。

 たった1頭の馬が生きるだけで多額の金が動きます。

 馬の面倒を見る人件費、1日でも十数キロ単位の食料、水、飼育環境への初期投資やもしもの医療費など。

 挙げればキリがないほど金が掛かる。大変です。

 けれど金なんてもの、ご存じの通り無からは沸いてきません。

 だから昨今の引退馬支援ではあの手この手で金を稼ぐ。

 従来、繁殖馬や乗馬がほとんどだったところに、それとは別に馬自身が金銭を得られるシステムを作ろうと、あちこち躍起になっているわけです。

 引退馬協会はその点で大きな役割を担っていますし、繁養専門の観光牧場開かれたのもその一環でしょう。

 他にも相馬野馬追などを始め、伝統文化や祭事のための馬として引退馬が活用され、それが現役だった頃のファンにも知れ渡っていくのは新しい形と言えます。

 これまで、引退した馬を追うのはタブーという暗黙の了解があったことを思えば、です。

 

 各種メディアに誰でも気軽にアクセスできるようになった現代は、今まで以上に馬を身近に感じ、より慕わしい気持ちを持つ人がグッと増えました。

 それ自体は馬産業や我が国の競馬発展を考えれば喜ばしいことで、馬の福祉というものについて考えるきっかけにもなったと思います。

 馬はもう、ただ画面の奥側やレース場にいるだけの存在から、もっと愛着ある立場に立ちつつあるのでしょうね。

 室内外のペットと同じ温度感で『終生飼育』が叫ばれてからそう時間は経っていません。

 実際にそうなるよう活動している団体を知っていますし、インターネットを通じてそういった意見が根強いことも知っています。

 しかし、それは朝夕ですぐにできるものでなく、そしてそれはすべての競走馬が救える保証にない。

 考えてもみてください。

 年に7千頭以上が産まれているんです。

 この小さな島国のどこにそんなスペースがあるのか、解らないほどの量の馬が産まれ、そして同じだけの量が死んでいく。

 ただ死ぬわけではない、一般的に『殺処分』だとか言われているように、意図的に減らさないととてもじゃないが間に合わないんです。

 

 何より、それが当り前だった時間が既に300年以上続いた上で今があります。

 競馬が、そしてサラブレッドという種が300年以上の月日を掛けて発展したように、ここから体制を変えていくのにも同じだけの月日がきっと掛かるでしょう。

 

  ──

 

「でもどうか誤解しないでください、生産をも責めているのではない」

 

 尾髙さんは声のトーンを落として語る。

 

「生産者側もまた、求められるから作っている立場と理解しています。言った通り、様々な組織が引退後の馬を思って活動しているのも知っています。それでも間に合わないんです。馬の生きるスペースはこの国には足りなすぎる。生きる馬から減らしていくしかないなら、そうなら、私たちは馬産業に携わるものとしてエゴを貫き通す必要があると考えています」

「エゴ……?」

 

 こくりと頷いた尾髙さん。

 その瞳はただまっすぐと私を見ていた。

 

「経済動物であれと願って作り上げた種。それがサラブレッド。人間と共に生きろと願った。人間の側で生きて死んでくれと思って育ててきた。人間のエゴで育んできた。ならそのエゴを貫き通して、経済動物として扱いきりたい。万人に理解されないのを解った上で申し上げますが、肥育して食用に転用することもまた、命に対する責任の取り方と考えています」

 

 ただ助かってくれと嘆くだけより。

 今日も明日も生きる場所のない彼等を悲しむだけより。

 その命の最期の瞬間を奪うことを自覚して仕事にあたる。

 馬を共に生きる家族として愛する者には、きっと理解されないだろう。

 罵倒されることも、蛇蝎のごとく嫌われることもある。

 

「つらいし、きついし、時々俺はなにやってんだ! って、そう思うこともあるけど」

 

 そうだとしても、行き場のない馬を前に右往左往してどうにもできないよりは、その命に意味を持たせて送り出すことのほうがよほど善だと思ったのだ、と。

 語る尾髙さんの顔には、一切の躊躇いを感じなかった。

 

 

 一方の小宇坂さんは、青ざめた顔で唇を噛みしめたまま、少しだけ潤んだ目で私を見た。

 

「……私には耐えられなかった」

 

 か細い声に私と尾髙さんが集中する。

 今の小宇坂さんには、私を鋭く切りつけたあの刺々しさがなかった。

 

「毎朝馬運車に積むんです。トラックにね、馬を、ぎゅうって。ふつう、馬が移動するときって縦に、ゆとりをもって積み込むんですよ。けど肥育は違う。隙間を減らして横に積む。いつもよりストレスがかかるから馬は嫌がる。当時の同僚なんかは『馬は自分が殺されるってわかって抵抗してるんだ』なんて言ってたけど、違う。違うんですよ。不快だったから嫌がっただけ。そこに殺されるだとかの恐怖はない。ただ環境が変わるのを嫌う生き物だから、馬は、ただそれだけだったのに……」

 

 まるで責め立てられているような気になってしまった。

 お前が殺してるんだ、お前のせいで死ぬんだ、そう、ありもしない馬の声が聞こえるようになり、小宇坂さんは次第に病んでいった。

 

「私には、尾髙さんのように意義をもって仕事をすることはできなかった」

 

 ある日、乗馬クラブに人が来た。

 積み込まれる前の馬たちの中から1頭、周りの止める声も聞かずに勝手に連れ去って、後日テレビの取材に答えていた。

 肥育場に連れ出されるところを救ったんだ、と、嬉しそうに、誇らしげに。

 救われたとか言うのはその1頭だけ。

 大勢いた馬の中から、美しい葦毛を持ったその1頭だけをハナから狙い澄まして『救った』のだ。

 

 それになんの意味があっただろう。

 他の馬は肥育場に無事到着した。

 怪我もなく、日々与えられた飼い葉を完食し、肉を増やし、やがて他の生き物の糧となった。

 極悪非道の組織とやらから救い出されたらしい馬は1頭で、サラブレッドが肥育される現状には一切のダメージを与えて無くて、そこに大義などなくて。

 ただ仕事をまっとうするだけのこちらを悪者にして、満たした心が救ってやったと笑う、あの瞬間。

 

「結局、救いたいもんしか見えてないんだ、こちら側も、あちら側も」

 

 どちらの立場にも立てなかった、と小宇坂さんは言う。

 行き場のない馬の終わりに立ち会い、肥育されていく事実と真正面から向き合い、理解されないことも嫌われることも承知で仕事する尾髙さんのようにはなれない。

 かといって、その行動を批判して馬の現状に憤り、すべてを救わんと立ち上がって訴える強さも、システムを変える勇気も度胸も、小宇坂さんには産まれなかった。

 どちらかになど、なれなかった。

 ただ中途半端に浮く。気持ちがずっと押し潰されて、二者択一、答えはまだ出ない。

 

 言葉を震わせながら、小宇坂さんが話を続ける。

 

「……畜産の学校では必ず言われるんです。『わりきれ』って。でも出来なかった。できてなかったんだ俺は。向いてなかったんだなぁ……関わっちゃいけなかったんだ……」

 

 大人しい馬だったという

 ディアムーンライトは、乗馬登録名を『雲母(きらら)』として再出発した。

 他馬にも人間にも穏やかで、脚取りは軽く従順な、よく出来た馬だったと。

 けれど脚がダメだった。

 ほとんどその所為で競馬を辞めたのに、乗馬になったのに、結局脚がダメだった。

 長期的な治療に掛かる金額と治る見込み、回収するまでに掛かる年月。

 全部を計算してもあまりにも割に合わない。

 あの乗馬クラブで養い続けるには限度があったのだと、小宇坂さんはぽつりといった。

 

「もしや、小宇坂さんが世話を?」

「……最後の担当馬でした。あの頃は疲弊して、いつ辞めようか考えていて。そんなときに出会った、気にしなくていい馬でした」

 

 雲母は干渉を嫌った。

 スキンシップも好きでは無かったし、無駄話されることも好まなかった。

 ただの人と馬の距離感を取るバランスは良く、数多の乗馬を肥育場へと見送ってきた小宇坂さんの、馬に対する拭いきれない罪悪感を静かに癒やした。

 そのまま時が過ぎていけば、いつか割り切れる日も来ると、そう信じられたのに。

 雲母もまた、肥育場へと行くことになった。

 よく晴れた日のことだった。

 雲ひとつ無い早朝、朝日を浴びて縁取られるその馬体を小宇坂さんが押す。

 いつもの積み込み用の馬運車。いちばん奥にグイッと。

 ディアムーンライトは暴れなかった。

 ただ静かな目で小宇坂さんを見て、ふいに逸らした。

 それが別れの合図となって扉が閉まる。

 その瞬間、涙が溢れてとまらなかったそうだ。

 ごめんなさい、と繰り返した謝罪が届いたかも解らないが、拭えども止まらない涙を流して、小宇坂さんは過ぎ去っていく馬運車を見送った。

 以来、ディアムーンライトがどうなったかは知らない。

 

「あの馬車に乗ったからには、ッいや、乗せたからには死んだのでしょう。でも、それでも……ッどこかで、救われていないかと……!」

 

 以前、狙い澄ましたように『救われた』あの葦毛のように。

 肥育場につく一瞬前に、誰かに連れ出されてこの空のどこかで、今も生きていてくれたら。

 そんな幻想を今日まで見てきた。

 見ていられた。

 

「思い出したくなかったな、何も、思い出したくなかった」

 

 華々しい活躍をする数多の馬たち。

 今日も明日も元気に生きているだろうなと想像しているうちが一番楽しかった。

 終わりなんてものに向き合いたくない。

 だから。

 

「だから、今なら、わかる……」

 

 乗馬クラブで働き始めた当初、小宇坂さんはよく『○○は所在地不明なんだって』という会員たちの会話を聞いていた。

 それは暗に死亡を匂わせる文言でもあると同時に、救いでもあったのだ。

 

  ── ○○、どこにいるんだろうね、元気だといいね。

 

「姿が見えないだけ。どこにいるかわからないだけ。……でも、生きてる」

 

 きっとどこかで生きている。

 

 そういう希望を、所在地不明、という五文字に見出しているひとが、きっといた。

 

「知る必要はあるのでしょうか。本当の本当に、あったのでしょうか」

 

 震える声の、すべての隙間から怨嗟が漏れる。

 水の膜が張られた小宇坂さんの目からは敵意が迸って、私を確かに睨めつけた。

 少し前なら立ち竦んだろうそれに、私は目を逸らすこと無く向き合う。

 今の私にできることはこれだけだと知っていた。

 

「私はあなたを好きになれません」

 

 逃げてはならない。

 

「あなたの書いた作品も好きになれません」

 

 逃げてはならない。

 

「歴史に埋もれたならそれでいいじゃないですか。そこに眠らせればいいじゃないですか。掘り起こすこと無く、ただ夢を抱かせればいいじゃないですか」

 

 それは許されない。

 

「あなたのやっていることは、墓を暴くに等しい」

 

 大罪だろう。

 少なくとも目の前の彼にとっては、私は酷い大罪人だろう。

 積もった恨みが怖くないとは言わない。

 けれどもし、こんな目で見られると解っていたとしても聞きに来ただろう。

 知りたいと願った人がいる。

 馬を産みだし、送り出し、今日に明日にと無事を祈った人が、どうあろうと最期を知りたいと願った。

 私には叶える義務はないし、苦しくなったと逃げ帰ることだって許されるだろうけど。

 私が私自身に許せない。

 何故なら、もう、私自身が知りたがっていた。

 あの馬は、ディアムーンライトはどうなっただろう、と。

 並以上になれないと評価されながら、けれどあの馬も確かに誰かにとっての大切な馬で。

 今は私にとってその行方がもっとも気に掛かった馬になった。

 

 だから引き下がれない。

 たとえ墓を暴いたとしても、その墓穴にディアムーンライトを見つけるその瞬間まで、逃げることはできない。

 

「光に対して影があるのは当然だ。その影の部分をわざわざ書いて喜ぶ者がどこにいるのか、苦しむ必要が本当にあるのか、私は、あなたの好奇心とそれに促されて描かれたものが悪趣味に思えてならない。……あなたのやることはいつか、あなたの首を絞めるでしょう。いや、締って欲しい、どうしようもなく苦しんでください。今、私が感じるように」

 

 言われて当然と思う。

 これまでは関係者のご厚意に甘え、根掘り葉掘り聞くことを許されてきた。

 けれど思えばそれは、苦しさを蒸返す行為に等しい。

 予後不良で亡くなったウタワカ、事故によって目の前で亡くなったライブアゲイン、怪我によって亡くなったユメシンパイスルナ、病気で仔諸共亡くなったキミニホレタ。

 そこには振り返るのも辛い過去がある。

 菊花賞のハレの舞台で、夢まで残り10メートルを語るときの春一さんの、あの顔は。

 焼け焦げていく厩舎の奥側にライブアゲインを見つけた、神林さんが熱いものを食べられない理由は。

 幼い頃を過ごした牧場跡地に、家族と共に再び牧場を開くと決意した沖上夢さんの、あの目は。

 甘酸っぱい恋の思い出というベールを被せ、分厚いアルバムを大事に大事に仕舞い込む、殿原夫妻は。

 ただ知りたいと宣った私へ、最大限の厚意を尽くしてくださったのだ。

 その惜しみない協力のおかげでこうして読者諸兄にも読んで貰えている、その事実を、私は改めて胸に刻んだ。

 

 目を逸らすことなく見つめ続けた私に、小宇坂さんは吐き捨てるように言った。

 

「結局のところ、私はたぶん、逃げているだけなんだと思います」

 

 21世紀のサラブレッドが置かれている現状から。

 増えすぎた分を食料として消費されている現実から。

 娯楽としての競馬の奥側に命があるという当然から。

 そして、何もかもわりきれない自分という存在から。

 

「肥育も屠殺も悪だとは思いません。現状必要なことですし、それで生計をたててる人もいるし、でもどうしてもわりきれない。無理なんです。どうしようもなく」

 

 それは強制じゃない。

 かならず目を合わせる必要は無い。

 好きな馬を見つけて応援し続けるのに当然罪はないし、その行く末がどうなったのか気になるのだって罪はない。

 屠殺になって悲しい気持ちも、憤りも、それを仕方ないと思うのも、対象になったのが自分の馬でなくてよかったと思うのだって。

 誰も悪くないのだ。誰も。

 ただ()()()()()()に立ってしまった、その瞬間からきっと、小宇坂さんは向き合わないといけないと思ってきたのだろう。

 

 けれど彼には ── 。

 

「できない……私には……向き合えない、から……逃げるんです。所在地不明って五文字に、逃げ続けるんです」

 

 尾髙さんがその肩を抱くと、小宇坂さんは静かに嗚咽を漏らした。

 顔を覆う両手の隙間から、隠しきれなかった涙が落ちる。

 かろやかなメロディが響く店内で、涙の一滴一滴が流れる音が、いちばん大きく聞こえた気がした。

 

「あなたが妬い。割り切れるあなたが。苦しい結果だとしても向き合おうとするあなたが。前に進むだろうあなたが、ただただ、妬い。あなたが暴いたから、あなたのせいで、私の馬は、いま、死んだんですよ……!」

 

  ── ああ。

 

 彼が『知る必要があるのか』と聞いてきた訳が。

 なんの為に知るのだと鋭く切りつけてきた訳が。

 切りつけられた傷跡から、痛いほど理解できた。

 

 生きていて欲しかったのだ。

 分厚い雲の向こう側で、その月に、ただ生きていて欲しかったのだ。

 答えなどわかりきっていても、ただ、ただ、生きていて欲しかった。

 

 所在地不明。

 

 それは誰かが縋り付く、希望というにはあまりにも曖昧な五文字だった。

 

 

 

 

 

 

 カフェを出てすぐ、私は電話をかけた。

 震える指先は画面を滑り、なかなかコールをかけられなかったけど、3回目のタップでようやく動き出した。

 足が重い。腕も、頭も、口も。

 けど耳元に響いた落ち着いた声が、私を現実に引き戻した。

 もしもしも、こんにちはも、こんばんはも、全てを追い越した現実へと。

 

「玉恵さん、突然すみません、いま静岡でして ── 」

 

 瞬間、強い風が吹いた。悲鳴のような、怒声のような。

 夜へと落ちる空に紫色の雲が流れる。

 これからうっすらと月が昇ってくるのだろうか。

 昇って欲しい。丸く、美しく。

 星々の小さな輝きから目が離せないまま、ただ、私の声だけがあたりにじんわりと響いていた。

 望みの叶わなかった結果の、その空虚さだけが道路に転がる。

 車が轢いて、ぱりんと弾けて、そして消えて。

 

「さみしいですね」

 

 私の目には、どうしても、まだ、月は見えない。

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