それでも風は吹く   作:SunGenuin(佐藤)

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『月刊「優駿たち」11月号 ── 連載:名馬の影に思いを馳せて』
執筆:遠山寛次郎
競馬史に残る偉大なる名馬たちの、その輝かしいレースの影に佇む馬に焦点を合わせ、その足跡を辿るドキュメンタリー風小説を7ヶ月に渡ってお送りします。
11月号でお送りする名馬の影は『ウタワカ』

あなたは、この馬のことを覚えていますか?


ウタワカ ── 1961年~1964年
○夢まで残り20メートル 前編


黒鹿毛の馬と聞いて、あなたはどのような馬を思い浮かべただろう。

 

史上三頭目の三冠馬・ミスターシービーだろうか。

勝利へ向かう快速切符・ウイニングチケットだろうか。

それとも王道を往く王道・スペシャルウィークか、その娘・ブエナビスタか。

 

数多の名馬が過り、選べずにいることだろう。

私が思い浮かべた馬は残念なことに知名度があるわけでなく、「黒鹿毛と言えば」と聞かれてもすぐに出てくるような馬ではなかった。

そもそも毛色以前に、その馬について知っている人間があとどれほど残っているのか。

その痕跡を追い始めた2021年6月には、想像すらできずにいた。

そんな私がその馬について知っていることは、片手で足りた。

 

ひとつは、その馬の毛色が黒鹿毛であったこと。

ひとつは、その馬が牡馬だったこと。

ひとつは、その馬があの伝説的名馬── そう、競馬に携わる方なら知らぬ者はいないとまでいわれている、あの馬── シンザンと同厩舎だったこと。

ひとつは、1964年11月15日を最後に、その馬の消息が途絶えたこと。

 

たったそれだけが、私の中にある、その馬のすべてだった。

……ああ、いや、もうひとつだけ。

最も重要で、最も忘れてはいけないこと── その馬の名。

つやつやとして漆黒の毛並みに、それを引き立てる流星を持つその馬の名を『ウタワカ』と言った。

シンザンに関する記事や書籍の中に、ほんの数行ではあるが名前が出てくるので、シンザンの熱心なファンであればこの馬の名前くらいは覚えているかもしれない。

このウタワカという馬は、シンザンの記事などでは「同厩舎の馬」「立派な黒鹿毛の馬」として登場する。

シンザンの隣の馬房に入っていた同世代の馬で、当歳の頃から見事な馬体と毛艶をしていたからか、極めて一般的、かつこれといって特徴の無かった現役時代のシンザンは、この馬とよく比較されたと記されていた。

 

“ 見るからに走りそうなウタワカと、走りそうにないシンザン ”

 

そう呼ばれていた2頭だったが、歴史にある通り、競走馬として成功したのはシンザンの方なのだから、競馬とはわからないものだ。

そのウタワカに関する記述の最も新しいものは、シンザンが戦後初の三冠馬となった1964年11月15日の菊花賞。

世代最後の一冠を賭けて舞台に上がった13頭のうちの1頭こそが、ウタワカという馬だった。

枠は大外。

隣に毎日盃── 現在の毎日杯── を制したオンワードセカンドが入り、一番人気には1963年の最優秀三歳馬── 現在の最優秀二歳馬に相当── であり、この年のNHK盃、セントライト記念を制したウメノチカラが、この日に三冠馬となるシンザンは体調不良の影響で二番人気に控えていた。

ウタワカはと言えば十二番人気だったと記録されているのみで、どうしてこのような人気だったのかは残されていなかった。

インターネット上の情報を見ると、4歳春という遅めのデビューを迎えたウタワカはその時点で4戦4勝と調子が良かったという。

ただ、生まれつき腰が弱いため短期の休養をよく挟んでいた、という情報も同時に残っており、この事が影響していたのではないか、とする説が広く伝わっていた。

菊花賞は3000メートルという長距離走になる。

ウタワカの腰ではその距離を熟せまい、と軽視する空気が当時はあったのではないか、と私は考えた。

しかし、ウタワカが生まれつき腰が弱かった、という情報も確かではなく、異なる情報サイトでは「蹄が薄かった」「右脚に爆弾を抱えていた」「虚弱だった」と、情報が錯綜していたため、正しいことは分っていない。

そのように、情報に関してはイマイチ統一感のないウタワカだった、それを横に置いたとしても、菊花賞当日の人気が決して高くなかったことは紛れもない真実だ。

ただ、競馬に限らずどのような場面でも言えることだが、勝利というものは予想外の展開から訪れることもある。

第16回東京優駿の勝ち馬であるタチカゼは、23頭中19番人気だった。

1着の馬がゴール板を踏み越えるその瞬間までは、誰が勝つのかわからないものだ。

なにより馬も馬に乗る騎手も、人気に限らず全員が勝ちを目指している。

当然、あの日のウタワカと、その鞍上に跨がった新條(しんじょう)勝喜(かつき)騎手も勝利を目指していたに違いだろう。

このレースの勝ち馬となったシンザンは、その後も大変な人気を誇ることになる名馬であるから、この年の菊花賞から60年近く経つ今日でも、そのレースの多くを動画として見ることができる。

三冠達成という記念すべきレースとなった菊花賞の映像も、もちろん残っていた。

 

レースはこの年の桜花賞と優駿牝馬を制した名牝・カネケヤキの大逃げから始まる。

男11頭の中で可憐に咲く二輪のうちの一輪だったが、そもそもカネケヤキは牝馬二冠の実力馬。

後続に控えることになった男馬たちの多くは焦りと迷いの中にあり、追うか控えるかの板挟み状態に陥っていた。

それを横目にカネケヤキの背に張り付いたのが、ウタワカだった。

素人目に見ても、玄人目に見ても、ウタワカが釣られて掛かってしまったように見えた、と伝記本にも記されていたが、そう見えるくらい勢いよく駆けだし、カネケヤキの背を追っていたと言うことだ。

先頭は二冠牝馬・カネケヤキと、無冠だけど無敗の伏兵・ウタワカが争う状態となり、ついにはウタワカがカネケヤキを越して先頭に立つ。

この時、実況者は張り上げた「波乱の幕開け大どんでん返しか」の言葉には、抑えきれない興奮が感じ取れるだろう。

ウタワカが先頭で第四コーナーを回る頃には、その走りに危機感を煽られたウメノチカラが駆け上がってきていたがウタワカには届かず、二番人気シンザンはまだ中頃で耐える競馬。

このままウタワカが無敗で菊花賞を逃げ切るかと思われた、その次の瞬間だった。

 

「おっとウタワカ落馬だ、先頭ウタワカ落馬、落馬、故障かウタワカ残り20メートルだ」

 

腰か、脚か、蹄か。

動画を見るだけではどの部位が故障したのかを判断することは不可能だったが、少なくともウタワカがもう走れない状態になったことは明らかだった。

鞍上から投げ出された新條騎手は、頭を打ったのかその場からピクリとも動かない。

ウタワカと新條騎手は後続馬にかなりの差を付けていたが、動画の端には猛スピードで追い込む他馬の姿があり、最悪の事故を想像させた。

だがその次の瞬間、私は目を疑い、何度も何度も動画を巻き戻すことになる。

 

新條騎手が落馬した後、一度は体勢を崩したウタワカだったが、すぐに立ち上がると迫り来る後続馬を横目に、新條騎手をまたぐようにその場に立ち止まった。

その姿がまるで騎手を守っているかのように見え、私は言葉を失った。

馬が騎手を庇うようなことがあるというのか。

確認するために巻き戻す作業は十数回を超え、次のシーンに移るまで一時間も要した。

だがそうして進めた動画の中に、ウタワカの姿は無い。

ウタワカが落馬し、新條騎手をまたぐように立つまでのほんの一瞬の間に、残り20メートルと叫ばれたゴールの向こう側には、三冠を達成したシンザンの姿だけがあったのだ。

信じられないほどの上がり脚を見せたシンザンが、三番手まで下がったカネケヤキごとウメノチカラを撫で斬ってゴールしたのは、ウタワカが新條騎手を跨いだほんの数秒後。

三冠達成を称える実況者の声色が響く中で、カメラはシンザンだけを追っていた。

ゴールのわずか20メートル手前で健気にも騎手を守るウタワカの姿は、もう、どこにも残されていない。

ただ無情にも「ウタワカ故障により予後不良となりました」と淡々としたアナウンスが鳴り響くだけだったのだ。

低人気からの見事な逃げ脚に興奮していた瞬間はなんだったのか。

勝ち馬シンザンを称える声と拍手には、競馬というスポーツの難しさが如実に表れている。

私がウタワカに明確に興味を持ったきっかけが、この菊花賞のレース映像に内包された一瞬の栄光と終焉だった。

今の時代にほとんど名前の残らないこの馬はどうして故障してしまったのか。

ネットに書いてあったとおり、腰が弱かったのか。それとも脚か蹄か、別の箇所か。

シンザンという光り輝く馬と隣り合っていたというウタワカの本当の半生とはどんなものか。

中途半端に知ってしまうと、完成された真実を知りたくなってしまう人間が一定数いると言う。

私がまさにそうだった。

 

「ウタワカはどのように生き、最期はどのように散ったのか?」

 

幼少期は。その亡骸は。遺品は。

電子の海を虱潰しに探してみたものの、残念なことにウタワカに関する記述の多くは『菊花賞で予後不良と判断された』という箇所で完全に途切れ、それ以降の情報が出てくることはなかった。

インターネットにも、めぼしい書籍にも記載がないというのであれば、もう、私自身が確かめにいくほかあるまい。

幸いにも私の職業は作家であり、様々な場所に取材に赴くことがある。

その時に得た人脈を駆使して、私はウタワカの半生と、その最期を知る旅に出ることにした。

そうして方々に電話やメールを送り、現地に赴いて情報を集めること半年。

 

私はついに、ウタワカを最も良く知るであろう人物と接触することに成功したのだった。

 

以降に書き記すのは、ウタワカという一頭の馬の生涯と、彼を取り巻く人馬の物語だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── 2021年の夏。

 

私は青森に向かうため、新幹線に乗っていた。

この時期と言えば、疫病によって人々の行動が制限されていた時期だ。

例年は帰郷や観光などで満員だっただろう新幹線も、その影響は強く見られた。驚くほどガラガラだったのだ。

東京から新青森まで約三時間。

長旅になるからと指定席を取ったこともあり、心身共に余裕を持つことができた私は、これを利用してウタワカについてもう一度復習することにした。

 

馬名、ウタワカ。

父馬の名はライジングフレームと言って、イギリスの競走馬だった。

まずはこの父の血統から紹介しよう。

ライジングフレームは、母の父に歴史的名馬にして種牡馬・ネアルコを持ち、現役時代はイギリス2000ギニー、イギリスダービーにも出走した経験がある。

だが特出した結果は残せず、今であればその戦績だけで種牡馬入りするのは難しいほどの馬だった。

しかしライジングフレームは、アイルランドの二冠馬であった父と、アイリッシュオークス馬であり、前述の通りネアルコの直仔だった母を持つ良血から、敗戦後の馬輸入禁止が解除された日本の農林水産省によって購買が行われ、日本に種牡馬としてやってきたのだ。

初年度からアングロアラブの名馬・セイユウや、サラブレッドでは二年目産駒に安田記念馬・ヒシマサル、当時は3200メートルだった天皇賞・秋の覇者オーテモンを輩出。

ウタワカが産まれる一年前の1960年には、母父に三冠馬・セントライトを持つ牝馬トキノキロクが桜花賞を制し、これがライジングフレーム産駒初のクラシック制覇となった。

他にも1961年に優駿牝馬を制したチトセホープらも送り出している。

1950年代から60年代にかけてアングロアラブ、サラブレッドを問わず仔を遺し続けたライジングフレームは、1958年から1960年までの三年連続でリーディングサイアーにも選出された、戦後日本を代表する種牡馬の一頭だったのだ。

 

次に、ウタワカの母馬について。

ウタワカの母は、その名を丘高(おかたか)と言った。

これは繁殖に上がった後の名で、この当時は現役時代の競争名と繁殖入り後の名前が異なることはよくあることだったようだ。

丘高は、現役時代の名をクモワカと言う競走馬だった。

ライジングフレームに続き、このクモワカの血統にも触れることにしよう。

クモワカの父セフトは、戦時中に日本に持ち込まれた外国生産の種牡馬で、現役時代はイギリスで活躍した。

当時の三冠馬バーラムと同世代であり、イギリス2000ギニーではそのバーラムの二着に入線している。

来日後は京都農林賞典四歳呼馬── 後の菊花賞を制するハヤタケを初年度から輩出し、特に知名度の高い産駒と言うと、「幻の馬」として2000年代になった今も高い人気を誇る名馬・トキノミノルだろう。

クモワカはトキノミノルと同世代の牝馬で、現役時代は桜花賞二着、菊花賞四着となった。

重賞を制するほど華々しい活躍はなかったが、そのファミリーラインからは後に1980年代から90年代で活躍する名馬が多く誕生している。

下総御料牧場の基礎繁殖牝馬として名高い月丘(つきおか)の血は、母系としてこのクモハタを伝って長く残ることになるのだ。

また、クモワカは現役時代に「馬伝染性貧血」であると診断され、それを巡る一連の騒動でも知られている。

数年に及ぶ馬主と軽種馬登録協会との争いが続く最中で、クモワカは繁殖牝馬・丘高としてウタワカを産むことになった。

 

それが1961年の2月の頃だ。

 

ウタワカが産まれたのは、北海道は早来町にある吉里牧場だと言われている。

母であるクモワカ── 以後、丘高と称する ── が、吉里牧場で繋養されていたからだ。

丘高を巡る事件はまだ収束していなかったため、既に生まれていた他の三頭の兄弟同様、ウタワカも血統登録ができない状態だったと推測されている。

しかし、それから二年後。

ウタワカが競走馬としてデビューできる三歳の九月にようやく事件は終結し、ウタワカも兄弟と共に競走馬登録が行われた。

そうして1963年の10月、ウタワカは馬主が約束していたという竹田厩舎に預けられ、いよいよ競走馬として調教を受けることになった。

この竹田厩舎の調教師、竹田文五郎氏は、1953年にレダという馬で天皇賞・春を制し、57年にはミスオンワードで桜花賞と優駿牝馬の二冠、60年には皐月賞と東京優駿を制する二冠馬・コダマを管理していた名手として知られている。

よほどの馬でなければ受け入れて貰うのも一苦労だっただろう名手の元に預けられたウタワカは、四歳・春の新馬戦を目指して調教を積むことになった。

ちなみにこの当時の三歳、四歳は現在の二歳、三歳にあたり、ウタワカの新馬戦はその入厩時期もあって通常の馬よりも遅かった。

しかしウタワカは新馬戦を勝ち上がるとそこから四戦を完勝し、あの日── 菊花賞を迎えることになる。

 

 

 

インターネット上や、シンザンに関する書籍などを辿りきった状態でも、ウタワカについての情報はこれがすべてだった。

産まれてから血統登録が行われるまでの間のことや、入厩した後のこと、菊花賞以外のレース詳細、その最期にまでたどり着くことはできなかったのだ。

しかし、今日。

はやぶさに乗ってたどり着くその場所で、私はようやく知ることができるのだ。

ほんの一瞬の風のように通り過ぎていった黒鹿毛のことを、真の意味で知ることができる。

私は、奇妙なほどに興奮していた。

何が私をここまで駆り立てているのか。

ただ、シンザンという目も眩むほどの名馬の影で、ちらりと姿を見せるウタワカなる馬が、どうしても気になって仕方がなかったのだ。

 

予定通りに新青森駅に到着したはやぶさから飛び出すと、私は数少ない荷物を持って目的地に急いだ。

東京よりは涼しいだろうと思っていたが、この日の青森は最高気温32度。

約束していた場所に着く頃には、すっかり額に汗が滲んでいた。

 

「こんにちは。今日は暑いですよね」

 

私が汗を拭っていると、そう言って水の入ったペットボトルを差し出してきた男性がいた。

彼が、今日、私が最も会いたかった人── の、ご子息である、森重(もりしげ)(あつし)さんだった。

 

「遠路はるばる、こんなところまでありがとうございます」

 

三十路手前の若造相手にも深々と頭を下げる森重さん── 以後、敦さんとお呼びする ── の姿には、懐が広く誠実な様子が窺え知れた。

それからしばらく敦さんと談笑していたのだが、競馬の話になったところで、彼は申し訳なさそうに頬を掻きながら口を開いた。

 

「一応、電話でもお伝えした通りなのですが、本当に大丈夫ですか」

 

敦さんの言う「大丈夫ですか」は、これから私がお会いする彼の父、森重春一(はるいち)さんのことだ。

こうして青森を訪れる前に、私は春一さんに会うために敦さんに連絡をしたわけなのだが、その際に春一さんが認知症だと知らされていた。

 

「もう60年近く前だということもありますし、それに、最近は僕のことも誰だか分らない様子で。会話は、調子がよければできるかもしれませんが……」

 

私は躊躇いなく頷いた。

春一さんが認知症であり、多く情報が得られないことは織り込み済みで青森に来たのだ。

元より情報が少ないウタワカに関して、ひとつでも知ることができれば満足だ、という気持ちもあって、どう転んでも私は痛くもかゆくも無いと思っていた。

私に引く気はないないだということを悟ったのか、敦さんは申し訳なさそうにしながらも春一さんの元まで案内してくれた。

 

現在、春一さんが過ごしているのは青森県内にある老人ホームで、もう十数年ほど前からここで生活をしているそうだ。

春一さんは60歳までは乗馬クラブで厩務員として働き、その後は北海道の早来町で一人暮らしをしていたのだと言う。

しかし70代の後半に差し掛かったところで、自宅で倒れているのを近隣の人が発見し、家族のいる青森に連れてきたのだと敦さんは続けた。

 

「僕が幼いころから父は馬一筋の人間でした。競走馬の厩務員としては比較的早めに引退した方なのですが、関西から北海道に移った後はあちらの乗馬クラブで働き出して、結局変わらずに馬、馬、そんで馬。僕や他の兄弟たちの進学のために青森に引っ越そう、って言うときも、一人で残るって言って聞きませんでしたよ」

 

そう苦笑いで語る敦さんの視線を辿ると、ベッドに腰掛ける一人のご老人が窓辺を見ていた。

グレーのスウェットに身を包んだそのご老人が、敦さんの父・春一さんなのだろう。

ぼうっとした様子には、どこか心ここにあらず、のように見えた。

 

「親父、お客様だよ」

 

敦さんの声がけに、春一さんは言葉を返さない。

だが、ちらりと私の方を見て、小さく頷いたのはわかった。

私は敦さんに助力を貰いながら、最初は世間話からはじめて、徐々に春一さんとの距離を詰めていった。

話始めてから一時間近くが経ったところで、春一さんも言葉数は少なくとも返してくださるようになり、ここがチャンスだと思った私は、ウタワカについて聞いてみることにした。

 

「春一さん、馬がお好きなんですね」

「……ああ。馬は、人生だ」

 

そう答えた時の春一さんの声色は、心の底からそう思っていることが伝わるほど、穏やかなものだった。

 

「そうですか。……ところで春一さん。ウタワカという馬に、聞き覚えはありますか」

 

春一さんの様子が一変したのは、その質問をしたすぐ後だった。

それまで穏やかな表情をしていた春一さんが、険しい表情で私を睨み付けたのだ。

 

「お前もか。お前も悪く言うか」

 

刺々しい声を纏って吐き出される言葉は、それまでのどの言葉よりも鮮明で、私はただ首を横に振って否定した。それが精一杯だった。

敦さんも戸惑ったように春一さんを呼んだが、春一さんはそれを気にもとめずに口を開くと、掴み掛からんばかりの勢いで叫び出した。

 

「ウタワカはな、素晴らしい馬だった。優しい馬だった。誰よりも賢くて、誰よりも穏やかだった。決して、決して、死に急ぎの駄馬なんぞではなかった──ッ!」

 

大声を出すこと自体が久々だったのだろう。

ひときわ大きな声で叫んだ後、春一さんは大きく咳き込んだ。

しかし、その背を撫でる敦さんを振り切ると、再び私を睨み付けてくるのだから、吐き出した言葉に込めた感情は相当のものだったに違いない。

事実、この後に続いた話に、私はたまらない気持ちになるのだから。

 

肩を怒らせ、浅く息をする春一さんの目には、長い長い傷跡が滲んでいる。

その傷跡が浮かび上がる様に、私は、目を逸らすことができなかった。




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