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2022/03/07 12時に予約投稿されてしまったのですが、まだ編集途中なので一端削除しました。
不思議なものを出してしまいすみません。
夜間モードにしても文字色反転せずに表示できるようになっているかと思います。
いちおうPC版(chrome)とスマホ(safari)では文字が読めることも確認しました。
ただ、テーブルの枠線など一部反転できていないのと、夜間モードだと青色や赤色などが見づらい場合もあります。
その際は夜間モードをオフにして御覧下さい。
ウタワカ(競走馬)
出典:フリー大百科事典『ニヨペディア(Niyopedia)』
ウタワカ(1961年2月10日 - 1964年11月15日)は、日本の競走馬。
ウタワカ
競走成績
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 品種 | サラブレッド |
|---|---|
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 誕生 | 1961年2月10日 |
| 死没 | 1964年11月15日 |
| 父 | ライジングフレーム |
| 母 | 丘高(クモワカ) |
| 母の父 | セフト |
| 生国 | 日本(北海道早来町) |
| 生産者 | 大石久美子 |
| 馬主 | 山田大五郎 |
| 調教師 | 竹田文五郎(京都) |
| 厩務員 | 森重春一 |
| 生涯成績 | 5戦4勝 |
|---|---|
| 獲得賞金 | 240万円 |
| 勝ち鞍 | |
4歳以上(1964年9月5日) 4歳(1964年6月13日) 4歳(1964年5月3日) 4歳新馬戦(1964年3月22日) | |
概要
戦後初の三冠馬・シンザンの僚馬として知られる競走馬。
均整の取れた美しい四肢を持つ、当時としては珍しい大型の馬だった。母・丘高(クモワカ)の馬伝染性貧血に関する一連の騒動により、3歳(現・2歳)の秋に遅く入厩した。管理する竹田調教師をして「これは大物になる」と言わしめるほどの素質馬であったが、生来の脚の弱さからデビューも翌4歳の春と出遅れる。しかしそこから4戦すべてを圧勝すると、4歳馬最後の一冠を求めて菊花賞に駒を進めた。
馬名の由来は「謳われるもの」
1960年代の競走馬であり、かつ重賞の記録も無いためか資料が乏しく、当時に関する情報は殆ど無い。だがウタワカが菊花賞で使用していた蹄鉄は、京都競馬場の馬房に今も大切に保管されている。
生涯
1961年2月10日に誕生。
母・丘高に関する一連の騒動によってその血統登録が受理されたのは1963年と大きく遅れる。同年秋に竹田文五郎厩舎(京都)に入厩。非常に大人しく、従順な性格から「世話がしやすい」とされており、後ろ蹴り、立ち上がり、過度な嘶きは一度も無かったという。
当時では珍しい大型の馬で、生まれつき脚が弱い。そのためデビューは1964年3月の4歳新馬戦。これを当時7年目だった若手のホープ・新條騎手を鞍上に、後方に溜めてから最終コーナーで差し切って圧勝。すると続けて3戦勝利した。
当時は中1週でレースに出走させることも多く、同世代の馬の多くは10戦以上レースに出走している。例に挙げると、僚馬であるシンザンも菊花賞までに10戦熟していた。その中でウタワカの出走数はかなり少ない部類で、菊花賞当日の人気の低さはそれに由来するものだと考えられている。[要出典]
デビューから差し追いの戦法を取っていたウタワカだったが、菊花賞では二冠牝馬カネケヤキが逃げを打ったことでハイペースになることが予想され、鞍上の新條騎手は「差し追いではシンザンや他の馬に負ける」と判断し、カネケヤキを二番手で追走する走りを選択。レース中盤にはカネケヤキを捉えきると先頭を奪い、猛スピードで走り続けた。13頭中12人気の馬が菊花賞馬になってしまうのか、と場内が沸き立つ最中、ゴールまで残り20メートル地点でウタワカは故障し予後不良と診断された。
1964年11月15日、京都競馬場にて安楽死の処置が執られた。
競走成績
| 4歳新馬戦 | 東京 | 芝 | 1600m | 1964年3月22日 | 1着 |
| 4歳 | 京都 | 芝 | 1800m | 1964年5月3日 | 1着 |
| 4歳 | 阪神 | 芝 | 1800m | 1964年6月13日 | 1着 |
| 4歳以上 | 中京 | 芝 | 1700m | 1964年9月5日 | 1着 |
| 菊花賞 | 京都 | 芝 | 3000m | 1964年11月15日 | 競走中止 |
エピソード
・自分用の飼い葉やおやつをシンザンに分け与えていた
・本番でも稽古でもよく走る馬で、他の厩舎から見物人が止まなかった
・気性が非常に大人しく、人馬問わず誰に対しても威嚇も悪戯もしたことがなかった
→だが特別人に懐いていたわけでもなく、馬房の中ではマイペースな性格だったという
・ウタワカの見目を気に入り、その素質を高く評価していた竹田調教師は、ウタワカへの褒美として砂糖を厩舎に常備させていた
・安楽死の処置が執られた際、投薬の副作用で痙攣している間も声を上げること無く、静かだった
・ウタワカ亡き後、一時期シンザンが体調を崩していたが、ウタワカの蹄鉄を馬房に飾ると改善した
次回から別の世代です。