ライブアゲイン(競走馬)
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ライブアゲイン(1970年1月6日 - 1974年11月11日)は、日本の競走馬。
ライブアゲイン
競走成績
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| 品種 | サラブレッド |
|---|---|
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 誕生 | 1970年1月6日 |
| 死没 | 1974年11月11日 |
| 父 | フォルティノ |
| 母 | 小梅 |
| 母の父 | プリメロ |
| 生国 | 日本(北海道浦河町) |
| 生産者 | 麻井牧場 |
| 馬主 | 藤近丈子 |
| 調教師 | 稲羽幸雄(東京) |
| 厩務員 | 荻野武雄 |
| 生涯成績 | 10戦3勝 |
|---|---|
| 獲得賞金 | 1,120万円 |
| 勝ち鞍 | |
4歳以上(1974年5月19日):580万 4歳以上200万下(1973年11月11日):280万 4歳未勝利戦(1973年8月18日):100万 | |
概要
フォルティノ来日後の初年度産駒。
母・小梅はクレイグダーロツチ牝系であり、母の父・プリメロ、母母の父・月友。
早期に繁殖入りする母系のため当時の活躍牝馬は乏しいが、父・フォルティノは海外にカロ、ピジェットらを輩出している。
またのちにクレイグダーロツチ牝系からはスターロツチが出現し、その子孫にはサクラユタカオー、サクラスターオー、ハードバージ、ウイニングチケット等の活躍馬が並ぶ。
父系もカロが種牡馬として大当たりしたほか、ライブアゲインの死後に生まれたシービークロスからは天皇賞馬・タマモクロスが生まれる等、血統的には良血の部類である。
1970年に麻井牧場で生産。
生後3か月で牧場が閉鎖したため、後に谷畑牧場に所属を移している。
馬名の由来は『再生』
1973年のダービー馬・タケホープの僚馬であり、瓜二つの見た目をしていたとされる。
性格的に非常に物静かで従順。
生まれつきの虚弱体質が目立ち、重賞レースへの出走経験はないものの3~4歳(現・2~3歳)時は掲示板を外さない等、安定したレースぶりを見せた。
1974年11月11日、短期放牧先の千葉の牧場にて火災に巻き込まれて死亡。
墓は谷畑牧場に建てられた。
生涯
1970年1月6日誕生。
同年3月に生産牧場が閉鎖された後、近隣の牧場で一時的に飼育される。
1971年に谷畑牧場に移動後、1972年に東京競馬場の稲羽幸雄厩舎に入厩。
同年夏の新馬戦を目指して調教されるも、熱発やソエなどにより延期を重ね、デビューできたのは12月。
鞍上にはタケホープの主戦騎手でもある嶋原ジョッキーが騎乗した。以降のレースでも嶋原ジョッキーが主戦を務めている。
この時のレースでは、競走中に落鉄した影響で4着に敗れ、その後蹄の負傷が判明したため療養に出される。
2戦目は年明け4歳未勝利戦。ここからダートレースに出されるようになるも、惜しい競馬が続く。
合間に怪我による短期療養をはさみながら、初勝利を挙げたのは8月18日開催の4歳未勝利戦だった。
その後、東京競馬場で夏を越し、11月の4歳以上レースで2勝目を挙げる。
1973年は7戦2勝で終えた。
1974年は2月の5歳以上500万下から始動。
ここで初めて掲示板を外す。
レース後に肺炎の症状がみられたため、療養のため三田の畜産診療センターへ移動。
4月末に帰厩すると、5月の4歳以上500万下で3勝目を挙げる。
同年3戦目として8月の函館に出されるも、5月の疲れが抜けきらなかったのか最下位。
嶋原ジョッキーの提案により放牧に出される。
4歳時よりも回復の速度が落ちていることから、陣営は年末での引退を決定。
引退後は種牡馬入りすることも決まる。
10月末に北海道から千葉の牧場に移動。
同牧場で2週間ほど調整を受けたのち、11月11日に東京競馬場に帰厩する予定だった。
11月11日、13時27分に千葉の牧場で火災が発生し、それに巻き込まれる形で死亡。
遺骨は谷畑牧場に運ばれ、同牧場に墓が建てられている。
競走成績
| 3歳新馬戦 | 東京 | 芝 | 1200m | 1972年12月23日 | 4着 |
| 4歳未勝利 | 東京 | ダ | 1400m | 1973年2月4日 | 4着 |
| 4歳未勝利 | 東京 | ダ | 1400m | 1973年4月22日 | 5着 |
| 4歳未勝利 | 東京 | ダ | 1400m | 1973年5月12日 | 3着 |
| 4歳未勝利 | 札幌 | ダ | 1800m | 1973年8月18日 | 1着 |
| 4歳以上200万下 | 京都 | ダ | 1900m | 1973年11月11日 | 1着 |
| 4歳以上400万下 | 京都 | ダ | 1900m | 1973年11月25日 | 3着 |
| 5歳以上500万下 | 東京 | ダ | 1400m | 1974年2月2日 | 6着 |
| 4歳以上 | 東京 | 芝 | 1800m | 1974年5月19日 | 1着 |
| 4歳以上 | 函館 | 芝 | 1700m | 1974年8月18日 | 8着 |
エピソード
・誕生時、母馬に蹴られそうになった
・生後3か月で生産牧場が閉鎖し、その後2回牧場を移動した
・タケホープと瓜二つのため、見分けるために前髪を赤い紐で結っていた
→ハイセイコーの過激なファンからタケホープに間違われて罵声を浴びせられたことがある
・小食で、飼い葉を完食したのはたった2回
→たびたびタケホープの飼い葉桶に自分の飼い葉を移し、量を誤魔化していた
・生涯で1度も鳴いたことがないといわれている
・他馬に興味がない
→自ら近寄ったことがあるのは、谷畑牧場に種牡馬として繋養されていたシンザンのみ(1度きり)