さて戻ってまいりました栗東は高川厩舎。
ほんの二、三週間留守にしてたかしてないか、それくらいの時間しか空いていないのだけどすごく久しぶりな気がする。
馬運車はもちろん酔いました。
でも最初の頃は回復に数日かかっていたのを考えると、今回の半日でそこそこ動けるようになった復活はかなりの成長だと思う。
たっぷりの休養と飼葉を摂っていれば回復速度はぐんと上がるのですよ。休養と飼葉で私は出来ているのです。
カレンチャン先輩あたりは究極の根性と飼葉と素敵な何かで出来てるんじゃないですかね。知らない方が良いことも世の中にはあると思うんだ。私は何も知らない。同僚なら知ってるかもしれないけれど。
『やあ久しぶりだねカナロアくん! 元気に推し活してたかい? 私は元気!』
『おし……かつ? なんだそれは』
『ごめん忘れて』
『撤回が早いな。で、なんなんだいきなりやかましく』
『やかましくてごめんね! 新馬戦とその後の重賞レース勝ってきたよ、という話をするために帰厩早々ここに来たんだけど……あっ、回復期間あったから早々って程ではないかも』
しかしこの様子だとカナロアくん、出発前あれだけ私に「負けたら許さん」みたいなこと言ってたのにもしかして自分で忘れてたりする? まさかそんなことないよね?
信じられないものを見る目で見つめていると鹿毛の耳がぴんと立った。
『……二戦とも勝ったのか? お前が?』
『そうだよ、今や私は二戦二勝! 期待のホースなんだよ』
期待のホースってなんだ。期待のホープじゃないのか、と言ってから気付く。
馬なんだからホースなのは当然だよね。期待のルーキーみたいなニュアンスだったということにしておこう。
というか、こんな謎の釈明を脳内で繰り広げなくても彼なら何事も無かったかのように流してくれるはず。
『さてカナロアくんに問題です。カレンチャン先輩が所属する厩舎の一員として、二連続勝利を挙げた私に何かコメントをどうぞ!』
なんだそれ……とでも言いたげな視線を向けられた。さすがに自分でも今のはテンションがおかしかったと思う。
久しぶりに友達に会う感覚と似たような感じだと思えば少しは納得出来るかな。
ああでもヒト時代に友達少なかったから分からない。同級生たちも地元から出る歳でもなかった気がするし。
『……』
『あー、あの……なんか琴線に触れたならごめん』
案の定いつもみたいな顰め面で考え込んでしまった。耳も心なしか少し後ろに倒れている気がする。
やらかしパターンかもしれない。
カナロアくんは基本的にカレンチャン先輩以外眼中に無いけれど、だからといってむやみやたらに騒ぎ立てても良いというわけでは決してないのだ。あれはいつだったか、併走している時に、他の厩舎の同い年らしき馬が騒いでいるのを睨みつけていたのを私は見た。
その時の眼光の鋭さと言ったら、一流の研ぎ師に研がれた包丁の如し。
内心冷や汗を流しながら双方押し黙った気まずい時間が数分。
視線に射抜かれるのを恐れて俯けていた頭をすっと上げてかちあった眼差しは、驚くほど真っ直ぐだった。
『カレン先輩の後輩として恥じない走りをしてきたなら、それで良いんじゃないか』
『お、おぉ……ありがとう?』
カナロアくんが珍しく素直なことと思いの外穏やかな声の調子に面食らいつつ、無茶振りをしたという気はしたので感謝の気持ちを述べる。
『ただし調子には乗るなよ。今後もこの厩舎の一員として相応しい走りをしなければならないんだからな』
『当然分かってるよ、こんなところで終わった気になんかならないって。ところで、カナロアくんの新馬戦はいつ頃なのかはもう聞いてる?』
『……仕上がり次第だが、おそらく冬になるだろうな』
『冬!? 冬かぁ……意外とまだ時間はあるんだね。カナロアくんがしっかり走れるように私も頑張ってアシストするよ』
とっくに夏至を過ぎているはずなので、これから日が落ちるのは少しずつ早くなるだろうけれども今は盛夏、彼のデビューまで四ヶ月近くある。
『俺の手伝いをするのは構わないが、お前自身も練習で気を抜くなよ。同期が腑抜けた奴だとつまらないからな』
競争相手が強いほど滾るものだ、と言い残しカナロアくんは自分の馬房に戻っていった。
そりゃそうだよね、強い相手に勝ってこそ自分の力が証明できるんだし。
私はまだ少し怖いけれど、きっとレースに慣れれば競り合いだって楽しくなるのだろう。
レースへの情熱が原動力になっている馬だって多いし、カナロアくんは今の時点で見るからに強そうだから、そのうち他馬のことなんて構っていられなくなる。
なりふり構わない努力がいつか実を結べば、絶対に私の目標だって叶うはずなんだ。
たくさんのレースで勝って、多くの人の記憶と記録に残る馬になることが今生の最大目標なのだ、と今一度掲げてみる。
たとえそれがどんな形で終わっても、最後に一番大切な希望が叶えば、きっと私は満足出来るだろう。
己の意志は変わっていない。
帰ってきてからのノルマだった報告を終えたからか、一気に体から力が抜ける。
いつもより随分早い時間に訪れた眠気には逆らわずに、今日は大人しく眠ることにする。輸送の疲れもやはり数時間では回復しきらないだろうし。
ヒラヤマさんが整えておいてくれた寝藁は出発前と変わらず加減が上手くてふかふかだった。
一休みして明日からまた頑張ろう。
うら寂しげな虫の鳴き声が聞こえた。
現在の本編には関係ないストームの初期設定がいくつか出てきたので今後時々放流して行こうと思います