プランタンストームが函館で2戦を制してから数日後。
しんとした空気が漂う、辺りの町もまだ目覚めていないような朝にその声だけが通った。
「にいさ、兄さん!! 手紙届いてる!」
「はいはい、朝からやかましいな……落ち着けよ。どこから届いたんだ?」
「厩舎だよ厩舎! ランの厩舎から手紙が届いてたの。差出人の名前は高川さんじゃないけど、ランの厩務員になった人だよ。比良山さんからの定期連絡第一弾がとうとう届い」
「早く開けて読め」
「兄さんこそ落ち着いたらどうなの」
見るからに浮き足立っているこの二人組は芳松牧場のスタッフ、天内兄妹である。
上がりすぎたテンションのためか、茶封筒の開封に少し手間取っている様子だった。
「あーもう、ランのデビュー戦見に行きたかったな〜!! もうちょっとうちの牧場にも人がいれば休めたかもしれないのに……ぐぬぬ」
「オーナーも不在で仕方なかったし、お前は新馬戦終わった当日に電話もらえたんだから良いだろ。俺が少し席外してる間に全部話終わらせやがって」
「兄さんが早く戻ってこないのが悪くない?」
「お前……」
プランタンストームもといランの世話を文字通り生まれた時から行ってきた二人の愛情は傍目から見てもややオーバーである。
天内兄妹にとってストームは初めて幼駒から様子を見た馬であり、その分思い入れも深い。もはや思い入れというレベルを越えているまである。
実はこの二人、ストームを高川師のもとへ送り出す際迎えに来ていた比良山厩務員に、定期的な手紙や電話での連絡を懇願するほどの親バカっぷりを発揮していた。ストーム自身はそんなことを知る由もないが。
「お、写真も入ってんのか」
「ラン、こんなに大きくなって……でもやっぱり他の馬と比べるとちっちゃい気がするね。いじめられたりしてないかな」
「ランなら仮に体格でいじめられても走りでねじ伏せるんじゃないのか? あいつは才能ある馬だぞ」
「たしかに」
ようやく開封に成功した封筒の中身を眺めながら逐一会話を弾ませる兄妹。
シンプルなデザインの白い便箋には、比良山厩務員の外見からは想像しがたい几帳面そうな文字がボールペンで綴られている。
前半では新馬戦を迎える前のストームの様子や調教風景、周りの馬との交流がメインに語られており、彼女が苦戦したというスタート練習の話も多かった。
前半パートと共に同封されていた写真は、白い馬着を着て飛び回っていたり、飼葉を咥えてカメラを覗き込んでいたりとストームの人懐っこさが前面に押し出されているものが多い。
「馬着のサイズもうあんまりぶかぶかじゃないね。我が子の成長アルバム見るってこんな感じなのかなぁ……」
「なんかガラじゃないけど涙腺に来るなあ」
後半パートは新馬戦に向けた調整やレース運びについてが中心に書かれていた。
誰が撮ったのかは不明だが、パドックを周回している様子やレースシーンも手ブレなく綺麗に画面に収められている。
新馬戦、函館2歳ステークスと快勝した旨の文章の後ろに「次走は10月ごろを予定しているので、詳細が決まり次第またご連絡しますね」と続けられている。
比良山厩務員からの手紙は〈P.S. プランタンストーム号は時々飼い食いが非常に良くなるのですが、そちらにいた時はどのように量を抑えていましたか?〉と、どこか締まらない文章で終わっていた。
「ラン、こっちに居た時もたまにすごい飼葉食べる日あったもんね。良かったというかなんというか……」
「食わないよりずっとマシだろ、元気そうで何よりだ。抑える必要はないって返信に書くか」
「まぁあまりにも体重が増えすぎるとか体調崩すとかなら気をつけた方が良いとは思うけど、お腹の調子悪くするわけでもないし大丈夫なんだろうね」
菫はそう言いながら小さな木製の箪笥へ近寄り、返信用の便箋と封筒を取り出した。
かちりとボールペンをノックし、手慣れた様子で文字を便箋にすらすら並べていく。
「ある程度書いたらガールとネオの様子見に行っとけよ、俺ちょっと草刈り行ってくるから」
「はいはい、分かってるよー。もうすぐで終わるから」
青いインクで紙面の端に小さく仔馬と花の絵を描いて、菫はペンを置く。
クラシックシーズンはどのレースを走るのか、これからどんな走りを見せてくれるのか、そんな事を考えながら彼女は仕事に取りかかるのだった。
「今日もたくさん食べてるし、体が小さい割に君はタフだなぁ……ほんと、輸送難さえ無ければもっと長くこっちで調教できそうだし良い馬なんだけど」
ヒラヤマさんなんか言った?
飼葉桶に突っ込んでいた顔を上げて見つめると、「なんでもないよ」と頭を撫でられた。くるしゅうない。
どこか遠くを見るような目が気になったけど、本人がなんでもないって言ってるんだし、そもそも何かあったとしても馬の私が打開策を提案する事はできない。
腹が減っては戦はできぬ。競走馬として活躍するのが関係者一同への一番の恩返しになるだろうし、気を取り直してまた飼葉桶に頭を突っ込んだ。
今日も大丈夫。脚に異常は無いし体調不良も無し。食欲も走る意志もしっかりあるから何も不安ごとは無い。
次走はいつかなーなんてのんきに考えながら食べ進める。輸送疲れさえ解消すれば楽しく走れるから秋にまたどこかで走ったりするのかもしれない。
このまま着実に勝ち星を重ねていければ理想的。いつかはG I勝利も目指して頑張るぞ、と考えたところではたと気付く。
私、馬に転生したての頃は牝馬クラシック路線で走るつもりだったんだけど今のところ走ったのは両方とも1200m。短距離オブ短距離。
母馬のプランタンガールさんが短距離マイルで好走した馬だったらしいし、父のミホノブルボンだって血統的には中距離向きでは無かったと生前聞いたことがある。
今所属している高川厩舎は短めの距離の競走馬を多く預かっているみたいだし、私はスプリンター向きの馬だったということだろうか。
デビュー戦でマイルを走ったあと中長距離で活躍した馬も居るけれど、今のヒト族たちを見ていると私は長く走らせてもらってもマイルが限度のようだった。
牝馬クラシックへの仄かな憧れを抱いていたのは確かだけれど、かぶりを振って考え事を打ち消す。
好成績を残せばウマ娘として転生できるって神様は言ってたし、G Iレースに貴賎はない。
こんがらがってきた思考の糸を断ち切って見上げた空はすかっとしない薄曇りだった。
ストーム、初期設定ではミホノブルボン産駒ではなくシンボリクリスエス産駒でした。他にいくつかこの世代だったらって考えたりもしてたんですけど、デュランダルさんと同世代でバチバチのマイラーだった世界線もあります。