少し遅くなりましたが、新年最初の投稿です。
「ここだな」
呟いたリオはセトと共に道に立ち止まる。そんなリオとセトを避けるようにして通行人たちが歩いて行くが、そんなのは気にしないとばかりに看板を見上げる。
その看板には地平線に沈む夕日とその夕日に照らされて赤く染まる小麦が描かれていた。『夕暮れの小麦亭』という宿の名前をそのまま表した看板と言えるだろう。
宿の大きさ自体はリオがギルドからここに辿り着くまで見てきた他の宿と対して変わらない。一階が酒場兼食堂となっており、二階と三階が宿になっているというオーソドックスな造りとなっている。違うのは宿の裏に建てられている厩舎の大きさだろう。そこだけで他の宿がそのまま入るくらいの大きさを持っている。本来、この夕暮れの小麦亭という宿は一定以上の規模を持つキャラバンや傭兵団、あるいはこの街に立ち寄った貴族のお供たちが泊まることの多い宿なのだ。
ギィッと扉を開けると、そこには午後も半ばを過ぎていないという時間だけあって殆ど人の姿は無かった。一階の食堂で食事をしている者たちが数人いる程度だ。
「いらっしゃい。お食事ですか? それともお泊まりで?」
宿に入ったリオを見た恰幅のいい中年の女がそう声を掛けて来る。
「宿を頼む。それと、表に俺がテイムしたモンスターがいるから厩舎も」
リオの声を聞いた女はニコリと人好きのする笑顔を浮かべながら頷く。
「はい、ありがとうございます。宿泊料金は前払いとなってまして、朝と夜の食事付きで一泊銀貨3枚となります。ただし十日以上滞在の場合は金貨2枚に銀貨7枚にさせてもらっています。それとテイムしたモンスターというのは?」
「グリフォンなんだけど……」
「……なるほど」
グリフォンと聞いて一瞬動きを止めたが、すぐに我に返ったのが目の前にいる女がその辺の男よりも肝が太いことを示していた。
冒険者や傭兵といった相手と日々やり取りしているだけはあるのだろう。
「グリフォンほどの大物となると……厩舎の使用料や餌代も込みで一泊銀貨2枚となります。十日以上滞在の場合は金貨1枚と銀貨8枚となります」
「分かった。よろしく頼む」
殆ど悩みもせずに頷き、懐から出した袋から白金貨一枚を取り出して手渡す。
そもそも、この街でセトを連れて泊まれる宿がここしかないと聞いている以上、悩む余地は無いのだからしょうがない。
「ありがとうございます、ではお釣りの金貨5枚と銀貨5枚となります。早速宿の者が厩舎に案内しますので、グリフォンを一緒に連れていって貰えますか?」
「分かった。それと空腹だから食事をしたいんだけど」
「はい。ただ、朝と夜の食事以外に関しては別料金を貰ってますが」
女の言葉を聞き、受け取った銀貨から1枚を手渡す。
「用事をすませたら昼食を取りたいから用意して欲しい。それとグリフォンの分もな」
「分かりました。……申し遅れました、私はこの夕暮れの小麦亭の女将をやっているラナといいます」
「そうか、俺はリオ。表にいるグリフォンはセト。よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします。……あぁ、来たようですね。あの子が厩舎まで案内しますので」
ラナに呼ばれて来たのは、20歳前後に見える青年だった。ラナの息子なのか、良く似た顔立ちをしている。
「この子は私の息子でドラムといいます。厩舎の担当をしているのでモンスターについてはこの子に話をして貰えれば。ドラム」
ラナに促され、ペコリと頭を下げるドラム。純朴そうな顔つきで母親譲りのニコリとした笑みを浮かべる。
「初めまして、ドラムといいます。早速ですが厩舎の方に案内させて貰いますね。最初だけ僕と一緒に来て下さい。モンスターに警戒されると大変ですので」
ドラムの言葉に頷き、二人で表へと向かう。ちなみにラナに関しては頼まれた食事の準備をするらしく、さっさと厨房へと足を向けていた。
「うわぁ……立派なグリフォンですね」
それがセトを見たドラムの第一声だったが、それを聞いたリオは意外そうな顔をドラムへと向ける。
このギルムに来てから、セトを見る者は皆恐れや怯えといった表情を見せていた。それだけに純粋に感心の声を上げるドラムの様子が新鮮に映ったらしい。
「お客様、その、撫でても大丈夫でしょうか」
それどころか、触ってもいいかとも尋ねてくる。その様子はセトにとっても好ましい反応だったらしく嬉しそうに喉を鳴らし、リオも口元に笑みを浮かべて頷く。
「ああ。セトもお前のことが気に入ったらしい」
「では、失礼して……」
ゆっくりと手を伸ばし、セトのシルクのように滑らかな毛が生えている背中を撫でる。
「凄い……グリフォンに触れたのは初めてですが、こんなに滑らかな手触りなんですね」
感動したように呟くドラムだったが、当然その滑らかな手触りはセト特有のものであって標準的なグリフォンはもっとごわごわとしている。
「満足してくれたところで、そろそろ厩舎の方に案内して貰っていいか?」
「あ、はいっ! すぐに案内します!」
ドラムの案内に従い、宿の入り口の近くにある道から脇へと入りそのまま進んでいくと、ほどなく厩舎が見えてくる。
さすがにキャラバンや傭兵団といった面々を迎え入れるのに相応しく、夕暮れの小麦亭の一階部分と殆ど変わらない広さだ。
「さ、どうぞ」
ドラムの言葉に従って厩舎の中へと入ると動物やモンスター特有の匂いはするものの、清潔に保たれている。また、現在夕暮れの小麦亭に泊まっている客のものだろう馬の姿もあった。
だが、殆どの馬はセトの姿を見るなり落ち着かない様子になって周囲を見回し、小刻みに体を動かす。
生物としての格の違いを本能的に感じ取っているのだろう。
「あー、すいません。見ての通り他のお客様の馬があの様子なので、少し離れた場所で休んで貰いますね」
ドラムは申し訳なさそうに頭を下げると、馬から一番離れている場所へとセトを連れていく。
「では、セトはここで過ごして貰うということでいいでしょうか」
ドラムに名前を呼ばれ、喉の奥で小さく鳴いて了承の意を伝える。
「……リオさん、もしかしてセトって人の言葉を理解してる……んですか?」
「ランクAモンスターなんだから、人の言葉くらい大抵は理解出来るさ」
もっとも普通のランクAモンスターが理解出来るのは、あくまでもある程度の人間の言葉であってセトのように完璧に理解出来る訳ではないのだが。
「ドラム、セトの世話は任せるな。朝食を食べてから殆ど何も食べてないから、落ち着いたら食べ物をやってくれ」
「あ、はい。わかりました」
「じゃあ、セト。ここで大人しくしてるんだぞ」
「グルゥ」
寂しそうに鳴くセトの頭をコリコリと掻いてからリオはその場を後にした。
「お客さん、食事の用意出来てますよ」
宿屋の中へと入ると、ラナに声を掛けられ食堂の席に着く。
「さすがに夕食の仕込み前なので、あり合わせの物ですが……」
そう言って出されたのは、肉の入ったシチューに、たっぷりのパン。野菜サラダにチーズとワインだった。
腹の鳴く音に負けたようにシチューの肉を一口。噛み締めた途端、肉の旨味が口の中に広がりながら、ほろりとほどける。
「美味いな」
思わず口から出た言葉に、丁度横を通ったラナが笑みを浮かべながら頭を下げる。
「ありがとうございます。うちの宿は料金が他の宿に比べて高いので、料理には力を入れてるんですよ」
(一泊銀貨3枚。つまり、三千円で朝食、夕食付き。十分安いと思うんだが……まあ、日本と異世界の辺境にある街では物価が違って当然か)
「ちなみに、このシチューの肉は何の肉なんだ?」
リオが食べたことのある肉としては、日本にいるときに食べた猪の肉に似た味がしたので興味本位で尋ねてみたのだが、その質問に返ってきたのはラナの不思議そうな顔だった。
「何の肉って……ファングボアの肉ですが。この辺では一般的な肉なんですけど、食べたことありませんか?」
その言葉に一瞬口に運ぶスプーンを止めたリオだったが、すぐに何でも無いような顔をして話を続ける。
「いや、師匠から修行してこいと空間魔法でこの辺りに無理矢理転移させられたんで、冒険者になったのも今日なんだ」
「あぁ、ローブを着てると思ったら魔法使いでしたか。うちの料理をしっかりと食べて修行を頑張って下さい」
「あぁ、ありがとう」
(一般的な常識を調べるためにも、明日はギルドじゃなくて図書館かどこかで情報収集だな)
何とかラナを誤魔化し、パンと野菜サラダ、チーズを味わって食べて最後に水で薄めたワインを飲む。
ちなみに、少量のワインを飲んだものの、酔っ払った様子がないところを見ると、ゼパイル一門の創った身体はアルコールにも強いらしいのを知ることになる。
「ふぅ……今日一日で随分と色々あったな」
(ふふ、そうね)
二階の角部屋。そこがリオが借りた部屋だ。ラナが他の宿よりも料金が高いと言っていただけあり、部屋の中は小綺麗でベッドや布団も綺麗に整えられていた。特に布団は小まめに干しているのか、太陽の匂いがする。ドラゴンローブを脱ぎ、ベッドへと寝転がりながら呟く。
「そう言えば、明日この世界について調べるときは暦なんかも調べておいた方がいいだろうな」
そこまで口にし、ふと右腕に装備しているミスティリングが視界に入ってくる。それを見て、つい数時間前にバルガスたちから賭けで手に入れた金品を思い出した。
寝転がっていた状態から起き上がり、脳裏にリストを表示して金を取り出してベッドへとその中身を広げる。数えてみると、白金貨が8枚に銀貨が3枚、銅貨が9枚とかなりの金額が入っていた。
「ふぅん、あいつらに残してきた金額を差し引いてこの金額を見ると、迷宮探索ってのはかなり儲かるらしいが……広さがなぁ」
色々なモンスターが現れ、その死体から剥ぎ取れる素材と魔石。稼げる金額も多いとなれば、リオにとっては……否、冒険者にとっては非常に魅力的な場所だろう。ただし当然ローリスクハイリターンという訳にはいかないので、一定以上の戦力は必要になる。そしてリオにとって一番痛いのは、迷宮というだけあって通路とかが狭いだろうと予想出来ることだ。当然普通の冒険者が戦闘をする分にはそれほど問題は無いのだろうが、双龍銃剣の双刃剣やバスターグレイブのような長物や2メートルオーバーのセトが戦うのはちょっと厳しいだろう。
「ダンジョンに行くにしても、もう少し戦力を整えてからだな」
ひとまずそう結論づけたリオは、金を自分の袋に入れると、次に賭けの対象で奪ったパワー・アクスを取り出す。
ちなみに、ミスティリングには収納した物の名前がリストに表示される能力がある。が、今回はリオ自身が天眼で見たことで収納する前から名前を知っていたので、意味が無かったが……。
取り出したパワー・アクスを手にしながら、溜息を吐いてミスティリングの中へと戻していく。
「さて、手に入れたのはいいけどこれはどうするかなあ?ティアの武器にするには合わないし。まあ、何かあった時の為に保管しておくか。幸い保管する場所には困らないし」
そもそも元から所持していたお金に加えて、バルガスたちから奪った金があるので懐にはかなりの余裕があり、急いで売る必要も無いと判断したリオはラナからお湯を分けて貰い、体を拭いてから夕食までゆっくりと過ごすことになる。
ちなみに夕食はケルピーというモンスターのステーキと内臓の煮込み料理だった。
リオとセトがギルムにやって来たその日の夜。街の中心部、そこには屋敷……と呼ぶには大きすぎるが、城と呼ぶには小さすぎるという建物が建っていた。
辺境の街だけあり、見栄えの良さよりもいざというときの籠城を考えて建てられている無骨な印象を与える建物だった。
この建物の主人。それはこのギルムを治めているラルクス辺境伯、ダスカー・ラルクスである。
ラルクス辺境伯が治めているのはミレアーナ王国にある辺境全てなのだが、いくら広大な土地を治めていようとも街はこのギルムしか存在していなかった。
当然これまでギルムを治めてきた代々のラルクス辺境伯たちも、己の領地を栄えさせようと行動は起こしたのだが……辺境、すなわちモンスターの存在により新たな村や街を築くのは諦めざるを得なかったのだ。
何しろ夜になると街の外では街道をモンスターが跳梁跋扈するため、そんな中で家屋を築けと言ったところで引き受ける大工がいない。昼間の間だけ家を建て、夜になったらギルムで過ごすという手段を取った者もいたのだが、翌朝には建てたはずの家が破壊されてしまっているのでどうにも出来ない。
それを防ごうと外壁を最初に作ろうとした者もいたが、こちらも一晩で全ての外壁を造れる訳ではなく、翌朝には建設途中の外壁が全て破壊されているのが常であった。
本来、このギルムは辺境におけるミレアーナ王国の拠点として造られた街だ。夜毎に現れるモンスターを相手にどうやってこの街を造りあげたのかというと、純粋に出て来るモンスターを全て倒すという力業だった。それを行うために、中央大陸の中でも大国と呼ばれるミレアーナ王国の軍隊のうち半数近くがギルムが完成するまでこの地に集結していたというのだから、どれほどの規模だったかが分かるだろう。
ともあれ、そんな経緯で造られたギルムの領主は執務室で提出された報告書を見て思わず天を仰いだ。
そして次の仕事が終わったら飲もうと思っていたワインを気付けに一口、二口と飲んで深呼吸。
その後、部屋に飾ってある鏡を見て自分の顔を確認する。
鏡に映っていたのは40代ほどの中年の男であり、どちらかと言えば強面という印象を与える。また、口元に生えている髭もその印象を強めているだろう。
その後、深呼吸をしてから再び執務用の机へと戻って、先程まで見ていた書類へと再び目を通す。
そこに書かれているのは、一人の人間がギルムに入ったという内容だった。このギルムはラルクス辺境伯領では唯一の街だ。それだけに規模も大きく、人口も十万人近い。普通ならそのような街に見知らぬ者が一人入って来たところで領主であるダスカーの所まで情報は上がってこないだろう。まあ、その人物が凶悪な犯罪者であったり、あるいは王都の大貴族の跡継ぎだったりするのなら話は別だろうが。
しかし、今ダスカーの前にある報告書に書かれている内容はそれらに匹敵するような出来事だった。
「……ランクAモンスターであるグリフォンを従えた男、だと?」
一度読んだ後も、何度も何度も読み直す。だが、そこに書かれている内容は何度読んでも変わらない。
「夢でも幻でも無い、か。これは喜ぶべきか、悲しむべきか」
ランクAモンスターを従えた男。それも報告書を読む限りでは冒険者志望となっている。それが真実本当の内容なのだとしたら、この街はこの上なく強力な戦力を手に入れたことになる。辺境であるがゆえに強力なモンスターが出現するギルムとしては、純粋に戦力として考えればまさに天祐と言ってもいい。
「だが、あまりにもタイミングが良すぎる」
書類を見る……否、睨みつけながら呟いたダスカーは、深い溜息を吐いて近くにあった鈴を鳴らす。するとすぐに扉をノックする音が部屋へと響く。
「入れ」
「失礼します。ダスカー様、お呼びでしょうか」
そう言いながら部屋に入ってきたのは、20代ほどの男だった。ダスカーの部下で、秘書的な役割を果たしている男である。
「ああ。警備隊隊長のランガを呼んでくれ。提出された報告書の件について話を聞きたい」
「分かりました。すぐに」
自分の命令を聞き、素早く敬礼して部屋を出て行く部下の背を見送り、椅子へと体重を掛けて目を瞑る。そしてしばらくすると、再びドアをノックする音が聞こえきた。
「入れ」
「はっ、警備隊隊長のランガであります。自分をお呼びと聞きましたが」
「うむ。お前を呼んだのは提出された報告書の件でだ」
「はい」
「この報告書にはランクAモンスターのグリフォンを従えている者が街に入ったとあるが」
「間違いありません」
「……その人物はどのような者だった? お前の印象でいいから話せ」
ダスカーの言葉に、昼間に会ったリオの姿を脳裏に浮かべながらランガは口を開く。
「まず、容姿に関してですが、身長は180程で細身でした」
「それは……随分と予想と違うな」
グリフォンを連れた冒険者を希望する者ということで、てっきり巨漢だと思っていたダスカーだが、自分の予想とは随分違うらしいと頷く。
「外見に関しては、蒼みがかった銀髪に蒼い瞳で、中性的で整った顔立ちと言ってもいいと思います。服装としてはローブとその下に銀色のラインの入った黒一色の服を着ていました。また、アイテムボックスを持っているのも確認ずみです」
「……本当か?」
ダスカーからの疑わしい視線を真っ向から受け止め、ランガは頷く。
「はい。間違いありません」
「何だ、その目立ちまくっている格好は」
細身な体格。ローブと銀色のラインの入った黒一色の服。世界でも稀少なアイテムボックス。そしてグリフォン。それらのイメージを頭の中で連想していくと、どこからどう見ても目立つ印象しか残さない。他国のスパイや工作員といった可能性も考えていたダスカーだったが、そのような存在がここまで目立つ出で立ちをするはずも無い。
「この者の街に入った後の行動は?」
「報告によると、そのまま冒険者ギルドに直行。ギルドに登録した後はランクDパーティと諍いを起こしたそうです」
冒険者たちとの諍い。それを聞き、ダスカーの頬がピクリと動く。
「つまり、その青年の目的はこのギルムの冒険者たちを潰すことにあるのか?」
「いえ。こちらに流れてきた情報によると、冒険者たちの方から因縁を付けて絡んでいったらしいです」
その言葉を聞き、思わずほっとしたような息を吐く。冒険者たちの存在は辺境にあるギルムにとっては生命線も同様だ。戦力としても、経済としても。もし何らかの手段を使って冒険者たちを一掃したとしたら、恐らくこのギルムは遠からず滅びることになるだろう。そう判断しているダスカーにとって、ランガの言葉は安堵の息を吐くのに十分なものだった。
「その青年の様子を聞いている限りでは、目立たないように行動するという感じはないようだが……他国のスパイや工作員といった可能性は無いか?」
「そう、ですね。恐らくですがその可能性はかなり少ないと思います」
「根拠は?」
「その青年は一般常識に非常に疎い所も見受けられましたし、街に入るのに税金が必要だというのも知りませんでした。そして何より、銀貨や銅貨といった貨幣も一切持っていませんでした」
その説明に思わず眉をひそめるダスカー。だが、それは先程までの危機感によるものではない。
「一般常識を知らず、貨幣の類も持って無いだと? ……今までどこで暮らしていたんだ?」
少なくともこの中央大陸で貨幣は十分に広まっている。それなのに、街に来るのに銅貨一枚すら持っていないというのはどう考えてもおかしいのだ。
「本人によると、ずっと山奥で魔法の師匠と二人で暮らしていたらしいですが……」
「が?」
「その、魔法ではなく魔術という言葉を使ってました。また、本人は自分の事を精霊術師と言っていました」
「……何? 精霊術師とは何だ?」
「はい。話によると、精霊術という詠唱や魔法発動体を必要としない魔法の使い手の総称、だそうです。詳しく話と時間が掛かるそうなので、簡単な説明だけですが」
「そうか。……精霊術に関してはギルドマスターのマリーナに聞いてみればいいだろう。マリーナは凄腕の精霊魔法の使い手だから精霊術について何か知っているだろう」
「分かりました。話を聞いておきます」
「まあ、マリーナの事だからすでに精霊術に関する資料を作成している可能性もあるだろう。……それにしても」
魔法と魔術。それは両方とも同じ意味の単語だが、魔術という言葉は廃れて久しい。そもそも現在では魔術という単語を知らない者も多いだろう。また、精霊術や精霊術師というのも聞いたことが無い。
「どれだけの山奥だ、それは」
呟きながらも、この時点でダスカーはリオが他国のスパイや工作員である可能性を殆ど排除していた。
「それが、本人も、どこだったかは分かっていなかったらしいです。精霊術の修行が終わったので、後は冒険者にでもなって研鑽を積めと転移魔法を使われて魔の森に放り出されたとか」
「魔の森か」
低く呻くダスカー。この街から徒歩で十日程度の位置にある森であり、ランクの低いモンスターで言えばスライムなり、あるいはそもそもモンスターですらない野生の獣が、ランクの上を見れば竜種すら生息しているという、まさに魔獣の森。魔の森だ。
「はい。そこでウォーターベアとジャムルを仕留めたらしく、その毛皮や牙等を売って税金としました」
「ランクCモンスターのウォーターベアを倒す、か。まあ、グリフォンを従えているのだから、そうおかしな話でもないか」
ウォーターベアはランクC、ジャムルはランクFのモンスターだ。ただし、ジャムルのランクはあくまでも一匹でのランクであり、群れている場合はランクがDまで跳ね上がる。
「お前の話を聞く限りでは、他国の者という可能性は少ないと判断してよさそうだな」
「自分もそう思います。確かに戦力としてはかなりのものがありますが、潜入させるというのにあそこまで目立たせる必要は無いでしょう。あるとしたら囮という線でしょうが……」
そこまで口に出し、何かに気が付いたように首を横に振る。
「そもそもグリフォンのようなモンスターを従えている者に囮をさせる意味がありませんね。もっと他に使い道はいくらでもありそうですし」
「だろうな。だが、万が一が無いと言い切れないのも事実だ。一応お前はその青年、リオとか言ったか? そいつを気に掛けておけ」
「それは見張れ、という命令でしょうか?」
「いや、命令でもなければ見張れという意味でも無い。純粋に気に掛けておいてやれという意味だ。お前の話を聞く限りでは戦闘技術に関してはともかく、師匠と二人で暮らしていたせいか人との接し方が苦手なようだ。せっかくグリフォンを従えるほどの者だというのに、下らない揉め事で貴重な人材を失いたくないからな。特に貴族派の連中には気をつけておけ。奴らが接触しているようなら連絡を寄越せばこっちで対処する」
「了解しました」
貴族派。それはすなわち大貴族を中心として集まった派閥のことだ。現在のミレアーナ王国では国王派、貴族派、中立派の三派が権力闘争を行っている。まあ、割合的には六:三:一程度でダスカーの所属する中立派は圧倒的少数なのだが。
だが、勢力が小さいゆえにより巨大な派閥である貴族派からは度々ちょっかいを出されているのも事実。特に貴族派は国王派に負けている分だけ中立派に対してちょっかいを掛けてくることがある。そんな連中がグリフォンを従えているリオにちょっかいを掛けてきたとしたら……その後の出来事を予想して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるダスカーだった。
そんな風に、リオの知らない所で領主を含むギルムの上層部に意識を向けられているのを本人だけが知らないのだった。