水熊と戦闘した場所から移動して三時間ほど。リオは目の前に広がる光景に、思わず溜息を吐く。
地面には六匹の狼の残骸ともいえる姿があった。毛皮を剥がれ、肉を切り分けられたその様子をリオの顔に浮かぶ表情は苦々しげなものだ。自分たちを襲ってきた狼をセトと共に倒したまでは良かった。
グリフォンのセトと、ゼパイルたちの技術の結晶ともいえる、人外じみた身体能力を持つ身体。その二つの要素があれば狼程度は敵ではなかったのだから。だが、その狼を倒して解体をし始めたときに事情は変わる。リオは恐らく売れるだろうと判断し、肉も食用に切り分けた。しかし、リオとセトにとって最大の収穫であるはずの魔石が出てこなかったのだ。それも、六匹全ての体内から。
セトと双龍銃剣を成長させるために必要な魔石が一つも入手出来なかったのを疑問に思い、ゼパイルの知識から情報を引き出すと、さすがに魔獣術に関わる知識のためか最小限と言われた中に入っていたのだろう。無事に引き出すことに成功する。
魔獣、魔物、モンスター。呼称自体は多数あるが、それらか示すものは同一だ。すなわち、魔石と呼ばれる結晶を己の心臓に持つものの総称だ。
魔石を持つものは基本的には攻撃性が高く、自分たち以外の種族を見つけると襲い掛かってくる。ゆえにこそ『魔』獣と呼ばれるのだ。
しかし、現在リオの前に倒れている狼たち。これらは種別的には魔石を持っていない普通の獣でしかない。
つまりこの狼たちをいくら倒したとしても、セトや双龍銃剣を成長させるための魔石は入手出来ないのだ。
なお、普通の獣が何らかの手段______生まれつきの突然変異だったり、魔力スポットと呼ばれる場所に長時間いたり、何かの偶然で手に入れた魔石を呑み込んだり______で魔石を手に入れ、なおかつ子孫を残すことに成功した場合は、新たな魔獣としての生態を確立することになる。
つまり、自分たちが倒した狼は魔獣ではなく単なる獣であり、当然魔石を持っていないというのを理解したのだ。
狼を倒すのに使った労力を考えると、リオが溜息を吐くのもしょうがないといえるだろう。
だが、このままここにいても解体の際に出た血の臭いで他の魔獣を引き寄せる可能性があると思い出し、再度溜息を吐きながら毛皮と肉をミスティリングの中へと収納する。
「しかし、これは……ちょっとまずいな」
(まずい?)
「グルゥ?」
念話で聞いてくるティアと、どうしたの? と小首を傾げるセト。そのセトの身体を撫でながらリオは答える。
「結界から出てまだ数時間。それですでに水熊と狼の群れに襲われただろう?つまり、この森の中には俺たちの予想以上に魔獣や獣の数がいる訳だ。そうなると、野営をするのもかなりの危険を伴う」
(確かに、そうね)
ティアの同意の言葉を聞き、セトの身体を撫でながら内心で考えを纏めていくリオ。数分後、ようやく考えが纏まったのかセトの顔を覗き込む。
「なぁ、セト。俺がお前に乗って一気に森を駆け抜けるというのは出来るか?休んでいるときに襲われる可能性を考えると、一気に森の外に出たいんだが。幸い竜種がいるのは森の奥深くだから、外縁部まで行けば竜種に襲われる心配もしなくていい」
「グルゥ!」
大丈夫! と言うように地面へと伏せて背に乗るように促すセト。
「よし、じゃあ一気に森を抜けるから……頼むな」
さすがにセトに乗ると双龍銃剣が邪魔になるのでホルスターに収納し、ひらりとセトの背へと跨がる。
「じゃあ出発だ!」
「グルルルルゥゥゥッ!」
勇壮な雄叫びを上げ、地を蹴るセト。その速度は森の景色が見る見る流れていくのを思えば容易に想像が付くだろう。
リオもまたセトの背の上で苦笑を浮かべるしかなかった。
「なるほど、今までは俺の速度に合わせて手加減してたのか」
(そうみたいね)
「グルゥ?」
何? とでも言うように喉を鳴らすセト。何でも無いというようにセトの頭をコリコリと掻くリオだった。
夕陽が差し込む中、セトは夕方の森を疾走していた。鷲と獅子という空の王者と百獣の王の両方の特性を持っているグリフォンだったが、その上半身は鷲のそれである。にもかかわらず、セトの青い眼は薄暗くなってきた夕陽の明かりを頼りに危なげなく地面を踏みしめ、夕方の森を切り裂くかのような速度で走っている。
「ゼパイルの知識だと、とっくに森の外に出てもいいはずだけど……。ティアの言う通り、数千年経っているのを実感するな」
セトの速度に感心しながら呟き、周囲の様子からティアの言っていたことを思い返すリオだった。
(にしても、どこまで続くんだこの森?)
内心で呟きつつも、嫌な予感が脳裏を過ぎる。
その嫌な予感を無視するかのように、セトの首筋を撫でながら話し掛ける。
「それにしてもセトは凄いな。午前中からずっと走り続けてるのに全く疲れた様子を見せないし」
(本当ね)
リオとティアに褒められ気をよくしたのか、さらに速度を上げるセト。
その様子に苦笑を浮かべつつも、グリフォンとしても常識外れの身体能力に感心するのだった。
何しろセトが走り出してからは魔獣にも獣にも一度も襲われていない。正確には走っている途中で目が三つある猿だったり、50センチはあろうかという牙を持った猪だったり、耳が刃状になっているような1メートル近いウサギだったりに遭遇してはいたのだ。だが、そのどれもが森の中を高速で走るセトに追いつくことが出来ずに振り切られていた。
リオとしては、戦闘経験を積むためだったり、まだ正確には分かっていない自分の肉体のスペックをきちんと理解するため、あるいはセトや双龍銃剣の成長を促すための魔石の確保という意味もあって、狼のような獣はともかく魔獣との戦闘はしたいと思っていた。
だが一度魔獣との戦闘を始めれば、それに釣られて集まってくる相手とも戦闘を行わなければならない。そのため、今はとにかく森を抜けるのを最優先目標として、ひたすらにセトに森の中を走って貰っていたのだ。
「グルゥッ!」
そのとき、唐突にセトが鋭く鳴く。声に込められているのは警戒のようにリオには感じられた。
「セト、敵か?」
リオの言葉に短く鳴くセトだが、リオの目には夕陽の明かりだけでどこに敵がいるのかも見つけることが出来ない。
それでもいつでも反撃出来るようにと、腰のホルスターから双龍銃剣を抜いて構える。
「グルゥッ!」
走り続けているセトが左の方へと顔を向ける。同時に何かが木々の間から飛び出す。
「ちぃっ!」
舌打ちをしながら反射的に煌焔で何かを受け止める。
幸運にもぶつかってきた相手が予想外に小さかったことか。おかげでセトの背から転げ落ちるような真似をせずにすんだのだから。
「ギィッ!」
煌焔で受け止めた何かが鳴き声を上げる。咄嗟に右手に持っていた神焔を口で咥え、煌焔で受け止めた相手を掴み、目の前に持ってくる。
(これは、ムササビか?)
一見するとリスのような姿と大きさをしているが、その手と足の間には飛膜のようなものが見える。ここまではリオの知っているムササビと同じだ。違うのは尻尾。何しろ本来はリスのような毛並みをしているはずの尻尾が硬質化しており、鋭利な刃物のようになっているのだ。
「ギィィィッ!」
自分の身体を掴んでいるリオへと牙を剥き出しにして威嚇する。口から生えている牙は3センチほどとリオから見れば小さいが、体長15センチの刃ムササビ(仮)にしてみれば、十分すぎる大きさだろう。
このまま暴れられても危険だと判断し、煌焔をホルスターに戻してから左手で身体を捕まえたまま右手で首の骨を折る。死んだのを確認してからミスティリングへと収納する。
「グルゥ!」
再び鋭い声で鳴くセト。今度は頭上から襲い掛かってきた刃ムササビを、口に咥えていた神焔を手に取って突き刺す。
グニュウという、肉を刃物で突き刺した感覚に微かに眉をひそめながら刃ムササビの死体を刀身から抜いてミスティリングへ。
それから数分、木の上や茂みの中と至る所から襲ってくる刃ムササビを神焔と煌焔で刺したり、斬ったり、セトが鋭いクチバシで喰い殺し、鋭い鉤爪で引き裂く。だが、刃ムササビたちは仲間がいくら殺されようとも構うことなく襲い掛かり、そのたびに死体を増やしていた。
「くそっ、切りがない!」
すでに慣れた様子で、神焔を空中で一閃。上下二つに分断された刃ムササビが地面へと落ち、それが瞬く間に後方へと過ぎ去っていく。
こうなったら、大規模な精霊術でこの辺り一帯をなぎ払った方がいいのか? そんな風に考えていた、そのとき。
「グルルルルルルゥゥゥッ!」
注意を引くかのようなセトの声を聞き、視線を向ける。するとその視界の先では、ここまで延々と生い茂っていた木がようやく途切れているのが視界に入ってきた。
「出口、か」
安堵の息を吐きながら、横に生えている木から襲い掛かってきた刃ムササビの胴体へと煌焔を素早く突き刺し、息絶えたところでミスティリングへと収納する。
「セト、ここまで来ればもう大丈夫だ。一気に刃ムササビ共を置いていく。行け!」
「グルルルゥッ!」
了解、とでも言うように高く鳴き、今まで畳んでいた片翼二メートルほどの翼を広げ、そのまま大きく羽ばたき……セトが地面を蹴って浮遊感を感じた数秒後には、セトの姿は森に生い茂っている樹木の上にあった。
夕焼けの空には雲一つ無い状態で夕陽が輝き、陽の光を地上へと照らしている。そんな空を、セトは大きく羽ばたかせて飛ぶ。夕方というのも関係しているのだろうが、空にはセトとリオ以外の他には何も存在していない。まさに自分たちの貸し切りのようなその光景は、リオに改めてここが異世界だと強く認識させていた。
だが、そんな時間も、長く続かない。
「グルルルゥッ!」
何かを警戒するように鋭く叫ぶセト。その声を聞いたリオは、一瞬で意識を元に戻して周囲を鋭く観察する。
「……何?」
周囲を見ていたリオの目に入ってきたのは、セトと同じように森の中から浮かび上がってくる無数の影、影、影。夕陽の明かりに照らされた数は、およそ百。
そこまでして追ってくる相手が何なのかというのはその影の大きさを見て殆ど反射的に理解してしまった。そう、それはつい今し方まで自分たちを執拗に狙い続けていた刃ムササビで間違い無い。
(ムササビに出来るのは高い場所からの滑空だけだったと思ったけど、自力で空を飛べるとはさすがファンタジー。だが、すでに俺たちは森を出ている。つまりはさっきまでのように周囲を気にする必要は無い)
ホルスターから神焔を抜いて、羽ばたいているセトの翼へとぶつからないように注意して構え、刀身を大剣へと変える。
何しろリオの肉体に生まれ変わってからまだ二日程度。なおかつセトの背に乗って飛ぶのも初めてなら、その背の上で双龍銃剣を構えるのも初めてなのだ。下手に双龍銃剣を振り回してセトの翼を傷つけ、この高さから地上に墜落でもしようものなら助かる可能性は非常に低い。
今までの森の中とは違い、刀身に纏わせるではなく切っ先を刃ムササビの群れへと向けながら、魔力を溜める。
すでに森の中では無いとは言っても、ここが森の上空だというのは変わらない。つまりここで使う精霊術は広域破壊を行いつつも、その効果範囲は森の上空という限定範囲に留めなければいけないのだ。
(双龍銃剣の能力の一つの砲撃で仕留める!)
魔力を溜めながら、それをイメージ通りの精霊術へと変換し、解き放つ。
「サンダー・フォース!」
そしてリオの魔力とイメージにより書き換えられた世界は、その姿を現す。
神焔の切っ先に溜められた魔力は、雷の砲撃へと変わり、空を横一直線に走る。その速度は光速。刃ムササビの群れは逃げることも出来ず、雷の奔流に呑まれて一匹残らず消し飛んだ。
すでに夕陽が沈み、月明かりの照らす夜空に残っているのは、翼をはためかせているセト、その背に跨がったリオのみだった。
「グルゥ」
夜空を走る雷を眺めていたリオは、セトの声によって我に返る。
「悪い、ぼうっとしてた。……そうだな。取りあえず森から少し離れた場所まで移動してくれ。そしたら今日は休もう」
リオの言葉にセトが高く鳴き、その雄叫びが数分前まで刃ムササビと雷が舞っていた夜空に高く響き渡るのだった。
森から二十分ほど移動し、広い草原へと到着する。その中でも大きな岩のある場所へと降り立ち、リオはようやく一息吐いた。
「取りあえずは一安心、か」
「グルゥ」
岩へと寄り掛かりつつ草の生えている地面へと腰を下ろすと、セトが喉の奥で鳴きながら頭を擦りつける。そんなセトの頭を撫でていると、安堵のためだろう、自分が酷く空腹であったことに気が付く。
「……腹が減ったな」
思わず口から出たリオの呟きに、セトもまた同様だと喉を鳴らす。
「じゃあ、まずは水熊と刃ムササビの解体をしてから食事にするか」
そう言って、食事の準備を始めるのだった。