大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season> 作:白鷺 葵
「今度のオフ会は、あの子にお返しをしたいんだ」
グラハム・エーカー、御年27歳。彼女持ち?(本人の了承が取れたかどうかはよくわからないため、疑問符付き)の乙女座男性は、照れ照れした様子でそう言った。
「隊長! ってことは、また一歩進展したんですね!?」
「おめでとうございます、隊長! この調子で頑張りましょう!」
「よかったねぇ、グラハム」
ハワードとダリルが諸手を挙げてグラハムを祝福した。ビリーも乾いた拍手を贈っている。彼の場合は、自分が意中の相手――リーサ・クジョウとうまくいかないことの悲しみも入っているのかもしれない。
進展したとか言っているけど、グラハムは彼女から手作りの菓子――ライスプディングを貰っただけである。まあ、「手料理をふるまってもらう」というのも確かに「進展した」と言えるだろう。
正直順序が色々おかしいような気がしたが、『クーゴもグラハムのことを言えない』ことが発覚したばかりだ。何かを言う資格はなさそうである。そう思ったクーゴは、沈黙を貫くことにした。
先日少女から貰ったライスプディングは、グラハムが帰りの機内および車内でおいしくいただいた。『幸せそうに頬を緩ませながらプディングを咀嚼するアラサー男性』という珍妙な図を見たけれど、グラハムのそんな表情を拝みたがる者(主に奴を狙う女ども)はいくらでもいる。
耳と顔を真っ赤にし、口元をマフラーにうずめつつ、視線を逸らしながらも、ぶっきらぼうな手つきで紙袋を手渡した少女の姿が頭に浮かぶ。彼女は多分、『これを食べたグラハムが笑ってくれたらいい』と願いながら作ったに違いない。あまりにも珍しい表情だったので、本人の許可を得て撮影した。
写真を見て「あの子もきっと、お前が喜ぶ顔を見たかったんだろうな」と言ったら、「写真をメッセージに添付したいから、データをくれないか」と頼まれた。断る理由はなかったためデータを送ったが、メッセージを打つ彼の横顔が輝いていたのが印象的である。
そうしたら、『エトワール』からメッセージと一緒に、嬉しそうな微笑を浮かべて端末を眺める少女の写真が添付されてきた。
反対側に座っていたグラハムが、それに気づかないはずがなく。データを送って欲しいと土下座されたのは記憶に新しい。
現在、奴の端末の待ち受けは、クーゴに土下座してまで頼み込んだ写真である。自分の端末を眺めながら、嬉しそうな微笑を浮かべた少女のものだ。
閑話休題。
「それで、何を返すつもりなんだ?」
クーゴの問いかけに、グラハムは満面の笑みを浮かべる。
「手作り菓子を」
「おお、いいですね!」
「目には目を、歯には歯をっていいますからね!」
ハワードとダリルが諸手を挙げて賛成した。ビリーもうんうん頷く。
そんな彼らに対して、クーゴは思わず眉をひそめた。懸念材料が鎌首をもたげたためである。
「グラハム、1つ訊きたい」
「む?」
「お前の作れる料理のレパートリー、どんなのだっけ?」
「マッシュポテトとか、カレーとか、クラムチャウダーとか……主に、混ぜてグチャグチャに潰したものかな。演習で習ったものは一通り作れるぞ」
誇らしげに胸を張るグラハム・エーカー、御年27歳。
アラサーには見えない童顔と、27歳児と言っても過言ではない落ち着きのなさが、余計に彼を若々しく見せている。
この時点で嫌な予感がした。戦慄く心を抑えつけながら、クーゴは更に問いかけを続ける。
「お前、菓子作った経験、あったっけ?」
「………………残念ながら」
冷や汗を流しながら、グラハムはふいっと目を逸らした。居た堪れなさそうに俯く。予想通りの展開だ。
クーゴは深々とため息をつく。そして、ちらりと仲間たちを見た。彼らも何か察したようで、グラハムと同じように俯いてしまう。
悲しいがな、この部隊はむさ苦しい男所帯だ。料理――特に菓子関係――に秀でている人間などごくわずかである。
ついでに、この部隊の中で、胸を張って「彼女持ち」だと言えるのは、我らが隊長グラハム・エーカー中尉しかいないのだ。
どこから見ても問題しかない布陣である。クーゴは額に手を当てた。もう一度、クーゴは問いかける。
「手作り菓子って言ったけど、何を作るつもりだったんだ?」
「…………『手軽で簡単に食べれる上に、腹持ちする食べ物がいい』と聞いたから、パウンドケーキを」
「なんとかならないか」と翠緑の瞳が訴える。
料理をし慣れているクーゴからすれば、パウンドケーキくらい造作もない。最近は米粉やおから、豆乳などを使ってみたり、紅茶や抹茶、オレンジピールなどを混ぜて味を変えてみたりしている。まだ試験的なものだが、結果はそれなりに好評であった。試食した人間の大半が男性だったが。
ハワードやダリルたちも、「なんとかしてあげてください」とでも言いたげな視線を向けてきた。この2人はグラハムに心酔している節がある。尊敬する相手の手伝いがしたいと思うのは当然のことだろう。切実な眼差しを向けられると、どうしてか、放置することができなくなる。自分の甘さに苦笑しながら、クーゴは肩をすくめた。
「行くぞグラハム」
「行くってどこへだ?」
「決まってるだろ。買い出しだよ」
クーゴの言葉を聞いたグラハムが、ぱっと目を輝かせた。
周囲に花が飛んでるんじゃなかろうかと思うほど、感極まった笑顔。
「よかったですね隊長! 俺たちも協力します!」
「副隊長が監修するとあれば、絶対うまくいきますよ!」
「それじゃあ、僕も手伝おうかな」
ハワードとダリルも諸手を挙げて大喜びしている。彼らはビリー共々、協力者として名乗りを上げた。
クーゴはこちらを眺めていたエイフマンに視線を向けた。彼は微笑ましそうに目を細める。
「わしは、自分で言うのもなんだが、味にはうるさいほうじゃからな」
「……把握しています、教授」
ガンダム調査隊が何をしているんだ、というツッコミが周囲から飛んできそうである。
休日なんだからいいじゃないか、と、クーゴは誰に対するわけでもなく言い訳した。もちろん心の中でである。休日はどう過ごそうと、本人たちの勝手だろう。悪いことをしているわけではないのだから、堂々として問題ない。
日課であるトレーニングは既に終わらせたし、シュミレーターの目標値はクリア済みだし、1日のノルマだって達成していた。今は非番で、ガンダムの出現に備えつつ体を休めている。勤めはきちんと果たしたではないか。うしろめたさを感じる理由はない、はずだ。
釈然としない自分の心をどうにか説き伏せ、クーゴは頭の中からレシピを引っ張り出す。必要な材料はどうするかを考えるためだ。今回はオーソドックスな感じにするべきか、それともグラハム――もとい少女の要望である『腹持ちする』ように材料を変更するべきか。悩みどころだ。
必要となる材料をメモに取りつつ、クーゴはどうするのかグラハムに確認する。グラハムはしばし悩んだ後、「少女の要望にできるだけ応えたい」と言った。
となれば、米粉やおからを材料に追加しなければ。さて、店を何件梯子することになるだろうか。ここは割り振りした方が効率が良さそうだ。
「味の好みやアレルギーに関する情報はあるか?」
「ああ。特に好みはなく、アレルギーもないらしい」
「成程。なら、味は何でもいいってことか。オーソドックスなのでいいかな」
クーゴはグラハムと話をしながら、端末を操作する。おそらくグラハムは本人から直接聞きだしたに違いない。直球が好きな男だから、やりそうなことだ。
万が一の可能性を考慮し――せっかくなので『エトワール』の分も作って手渡そうという下心もあって――クーゴは彼女へメッセージを送る。
少女はグラハムの持つ情報と一致しているが、新たに『エトワール』の好みも入手する。紅茶にやたらと食いついてきたことから、紅茶味のものを作ることにした。
ここまで決まれば、あとは買い出しへ行くのみである。
行きつけの食品店とそこで購入すべきリストを作成し、誰がどの店で何を買うかを割り振る。
端末に映し出されたリストを見たハワード、ダリル、ビリー、グラハムは2つ返事で頷いた。
それぞれが割り振られた材料を買うために行動を始めた。エイフマンはニコニコしながら背中を見送る。クーゴも彼に会釈をし、買い出しのために外へ出た。
今日の天気は曇り。青空は、分厚い雲の向こう側に隠されてしまっている。グラハムは残念そうに空を見ていたが、すぐに車に乗り込んで出発した。他の面々も出発していく。
クーゴも車に乗り込み、エンジンをかけた。周囲を確認しようとし、ふと、目を留める。ほんの一瞬、綺麗な
他にも、赤や黄色、緑の光が、分厚い雲の向う側へと消えていった。
(……何だ? あの光)
クーゴはその光が消えた先を追うように、曇天の空を見上げた。
空の向うの、
刹那、何かが『視えた』。
白い機体が飛んでいる。空を超えて、
青い光と緑の光が混ざり合い、凄まじい摩擦熱によって赤い光を帯びながら、どこまでもどこまでも飛んでいく。
あれは、天女だ。自分が追いかけているガンダムだ。クーゴがそう理解したとき、意識は一気に現実へと引きもどされた。
グラハムたちはもういない。それぞれ、割り振られたものを買いに出かけてしまったようだ。駐車場に残っているのはクーゴのみである。完全に出遅れてしまった。
先程の光景も気になるが、今は買い出しに集中しなければ。クーゴはサイドブレーキを解除し、ギアを動かす。アクセルをゆっくりと踏みながら、車を発進させた。
◆
空の向うの、
イデアは操縦桿を動かした。スターゲイザーは、空へ飛び込むかのような勢いで飛んでいく。摩擦熱とGN粒子、そしてイデアの能力が発現していることを示す光が混じって、鮮やかな色を放っていた。青い色は次第に黒く塗りつぶされ、星が瞬き始める。
速く、もっと速く。急がなければ間に合わない。スメラギやヴェーダからのミッションプランを待っていられるほど、イデアは大人しくしていられなかった。後でティエリアから文句を言われようと、今のイデアにとっては些細ごとに過ぎなかった。
『貴女にはわからないさ。宇宙を漂流する者の気持ちなんて』
独断専行で人命救助を選んだアレルヤだけれど。この言葉は、彼を制止した留美に対する言葉だったけれど。
それは、イデアの心を強く揺さぶった。イデアとスターゲイザーを突き動かすに足るトリガーとなったのだ。
通信なんか開いていなくても、どれだけの距離が離れていようとも、イデアはそれをはっきりと『聞き取る』ことができた。
それだけ、アレルヤの想いは強かった。漂流している人々を放っておけない――それは、イデアも同じだ。
脳裏に浮かんだのは、古の『同胞』たちが辿ってきた歴史。人類から迫害され、行き場をなくした『同胞』の旅路。
(ここにも、同じ悲しみを知ってるヒトがいたよ。同じ悲しみを止めようとしているヒトがいるよ)
イデアの中に受け継がれてきた古の『同胞』たちの心に、語り掛ける。
『同胞』たちの心は複雑そうに揺れている。
「あのとき、彼のような人がいてくれたなら」と、古の『同胞』の誰かが言った。
まったくもってその通りだとイデアは思う。
旅の始まりは、『同胞』たちを被検体として飼い殺す実験場の惑星からだった。度重なる実験/拷問に耐えきれなくなった『同胞』は、人類に和睦と共存を訴えた。結果、『同胞』たちは反逆者とされ、人類は“実験場の惑星ごと『同胞』を殲滅する”ことを選択した。惑星破壊兵器の使用により、多くの『同胞』の命が失われた。
2度目は長い旅の途中。人類側の攻撃を避けて流浪していた『同胞』たちは、銀河系をさまよった後、とある惑星へと流れ着く。疲弊していた彼らは、『目的地にたどり着けないなら、せめて安住の地がほしい』と思い、その惑星を安住の地にすることを選んだ。そのための実験や準備、および新たな試み等の試行錯誤を繰り返した。
ようやく訪れた安息は、“『同胞』が住む惑星を発見した人類による攻撃”という形で終わりを迎える。しかも、人類は『同胞』たちを殲滅するため、また惑星破壊兵器を持ちだした。これにより、安住の地となるはずだった惑星は消滅。ここで生まれた子どもたちは故郷を失い、多くの『同胞』の命が惑星と運命を共にした。
この悲しみを抱えて、『彼ら』は宇宙を漂流してきた。
その苦しみや悲しみを、不安や恐怖を、イデアは知っている。
眼前に重力ブロックが見えてきた。ブロックを押して加速させているのは、人革連のティエレンとアレルヤのキュリオスだ。
「イデア! ってことは、スメラギさんが……!」
期待に満ちたアレルヤの眼差しが痛い。
援軍でここに来たはずなのに、なんだか悪いことをしたような気分になる。
「ごめんアレルヤ! これは私の独断行動だから!」
「そうなの!?」
『やっぱりな! 他の奴らが動いたにしては、やけに迅速すぎると思ったんだ!』
アレルヤたちとの会話もそこそこに、イデアもブロックを押す人員に加わる。
発現していた能力を解除したため、推進力はかなり落ちてしまうが致し方ない。
今はまだ、イデアの持つ能力を悟られるわけにはいかないのだ。
「状況は!?」
「今、1回目の限界離脱領域からなんとか持ちこたえたけど……このままじゃ、救助隊が来る前に落ちる! スメラギさんの判断はまだなのか……!?」
やきもきしたようにアレルヤは前を向いた。声からは焦燥の色が見て取れる。人革連のティエレン含んだ自分たちの推進力では、現状維持で手一杯だ。
万事休すか、と思ったときだった。レーダーに、こちらへ高速で向かってくる機体が映る。ガンダムの推進力とほぼ互角の機体たち。
イデアは思わず振りかえった。何も映さない紫の瞳は、爆ぜるように瞬く
機体数は7機。鳥を模した兄弟機――ラッシュバードとストレイバード、格闘戦を得意とするベーシックな機体――ライオット・バトラー、美しい青が特徴の機体――オルフェス、オルフェスに随伴する飛行型の戦闘機――ライラス、射撃戦を得意とするベーシックな機体――ライオット・アーチャー、ライオット・アーチャーに随伴する飛行型の戦闘機――ドラウパだ。
『皆……!』
機体もパイロットも、イデアにとっては見知った人々である。彼らは満面の笑みを浮かべ、頷いた。
「そこの機体、聞こえるか? こちら、私設遊撃部隊『スターダスト・トレイマー』」
「俺たちに敵対意志はありません! 人命救助のためにここに来ました! 手伝わせてください!」
オルフェスとラッシュバードからの通信が入った。アレルヤと人革連のパイロットが驚いたように目を見張る。けれど、今はとにかく人手がほしい。
2人はすぐに了承してくれた。それを聞いた7機がブロックを押す人員に加わる。これなら、救助隊が到着するまで持ちこたえることが可能だ。
いや、持ちこたえるだけじゃない。こんなに最高の援軍があるのだ、安定領域まで押し上げることも充分可能である。イデアは操縦桿を握り締めた。
このミッションが終われば、次のオフ会が待っている。次のオフ会で、『夜鷹』が作った紅茶のパウンドケーキが振る舞われるのだ。彼がイデアのために作ってくれるのだ、おいしくないはずがあろうか。絶対成功させて、生きて帰ってやる。彼との逢瀬を目前としているのに、死んでたまるものか!
(死ぬのが怖くて恋なんかできない! だから、その恐怖すら飛び越えて、恋と明日をつかみ取る! ――恋する乙女、舐めるんじゃないわよ!!)
イデアが決意を固めたときだ。不意に、ティエレンから『白いガンダムのパイロット……乙女だ……!』という声が聞こえてきた。思考回路が漏れてしまっていたらしい。
自重自重、と、イデアは自分に言い聞かせる。直後、『……ホリー、今度の墓参りにはアレーシュキを持っていくよ。お前も
どうやら、ティエレンのパイロットの愛する人は故人らしい。ついでに息子とは絶縁状態に近いようだ。アレーシュキはロシアの焼き菓子である。成程、彼はロシア人なのか。彼から伝わってきた感情と一緒に、記憶を読み取ってみる。
茶髪の女性が幸せそうに焼き菓子を食べていた。右目付近に大きな傷のある男性が、照れ照れしながら追加の焼き菓子をふるまう。そこへ息子がやって来た。女性が息子に話を始める。夫婦の馴れ初めは、このアレーシュキがきっかけだったのだ、と。
息子は焼き菓子をほおばりながら、2人のことを知りたがった。そこからどうやって2人が愛し合い、結婚に至ったのかが気になるらしい。女性は頬を薔薇色に染めながら話を続けた。男性は羞恥に震えながらも、女性を止めることはできなかったようだ。
その光景が壊れたのは、いつだったのか。
そこを探ろうとして、イデアは気づく。
もうすぐ、限界離脱領域だ。
(いけない、集中!)
限界離脱領域まであと5秒。4、3、2、1――!
「いっけええええええええええええええええええええ!」
赤、黄色、緑、青。色とりどりの光が爆ぜる。
落ちかけていた重力ブロックは、一気に安全域まで浮かび上がった。
「やった!」
「問題ありません! 文句なしのミッションコンプリートです!」
少年と少女が喜ぶ声が響く。少女の言葉を、今回なら素直に「大丈夫」だと認めることができた。
そこへ、丁度いいタイミングで救助隊がやって来る。そろそろ潮時だろう。イデアはアレルヤに視線を向けた。彼も頷き返し、キュリオスがブロックから離れる。
イデアもブロックから離れた。他の7機も次々と離脱していく。スターゲイザーはキュリオスとは反対の方向を向き、
ティエレンは追いかけてこない。あのパイロットは自分たちを見逃してくれたということか。軍人でありながら、彼はヒトであることを貫いたのだろう。
大気圏から下を見る。銃を脇に置いたデュナメスが見えた。所在なさげにしている機体は、パイロットの心境がそのまま反映された形となっている。おおかた、「ミッション実行の準備をしていたら想定外すぎることが起きた」というところか。その想定外は、所属不明とされる7機の援軍だろう。
今頃、プトレマイオスも大混乱に違いない。何せ『彼ら』――『スターダスト・トレイマー』はヴェーダを欺き、この200年近く存在を隠し続けてきたのだから。『彼ら』が表舞台に出ていたのはわずかな間だ。しかも、イオリア・シュヘンベルクが活躍する直前の時期に限られている。
(あーあ、これは荒れるなぁ)
敬愛するグラン・マのことを思い浮かべる。彼女は満面の笑みを浮かべてゴーサインを出したのだろう。
考えているようで何も考えていないのか、それともその逆か。どちらにしろ、『彼ら』も後戻りできないことは確かだ。
これから忙しくなるだろう。言いそびれる前に、伝えておくべきことは伝えておかねばなるまい。
イデアは通信を開いた。相手はアレルヤである。通信が来ること自体意外だったのだろう。アレルヤは驚いたように目を瞬かせて、「どうしたの?」と訊いてきた。
「ありがとう。ブロックに残された人を助けてくれて。すごく嬉しかった」
「え? ……あー、えーと……ど、どう、いたしまして?」
反応に困ったためか、彼は苦笑いした。いきなりこんなことを言われても困るのは知っている。でも、イデアはどうしても、アレルヤに伝えておきたかった。
「でも、後が大変だなぁ」とアレルヤはぼやく。クルーからの説教という意味でも、クルーたちのてんやわんやな状況という意味でも、その気持ちはよくわかった。
世界はさらなる混迷の波に飲まれるだろう。その波を、どうやって乗り越えていくかだ。
『試している』のは誰か、『試されている』のは誰か。
天上人たちと星屑の夢を見る者たちは、これからどんな道を歩んでいくのだろう。
月を見上げる場所が違っても、同じ月を見上げていることは、確かなのだが。
◇
まっしろしろすけ。
クーゴの現在状況を一言で言い表すとするなら、それが一番適切であろう。
「…………」
「……すまん」
ホットケーキミックスまみれになったクーゴの恨めし気な眼差しに、グラハムは耐えきれなくなったようだった。申し訳なさそうに肩をすくめる。
「他の話題に気を取られるのはわかるけど、自分が今何をしていたかくらいは把握しとけよ」
粉を払いながら、クーゴは深々とため息をついた。上も下も、手に持っていた端末も粉まみれである。電子画面だけが平時と同じく鮮明な映像を提供していた。
ニュースキャスターがしきりに状況を説明している。映し出されたのは、人革の機動エレベーターで起こった事故。漂流してしまった重力ブロックだ。
そこに現れたガンダムは機動性に優れた可変機タイプで、人命救助を行っていたという。次に現れたのは純白の機体――クーゴが追いかける天女だった。
しかし、動き出していたのはソレスタルビーイングだけではなかった。彼らの所有するガンダムと同レベルと思しきMSを保持する団体が、もう1つ現れたのだ。
詳しいことは不明。本人たちが名乗った『スターダスト・トレイマー』という団体名のみが、世界が知りうる数少ない情報である。ソレスタルビーイングと同じように、彗星のごとく現れた謎の組織として、彼らのことも大々的に取り上げられていた。
ソレスタルビーイングと違ったのは、彼らが武力介入によって鮮烈なデビューを飾ったことに対し、スターダスト・トレイマーが人命救助によって堅実なデビューをしたことだろう。ついでに、彼らからの声明文は何もない。彼らが何者で、何を理念としているかはまだ明らかにならないようだ。
その情報に反応したグラハムが、手に持っていたホットケーキミックスをぶちまけたのである。丁度、クーゴは彼の真正面に居合わせた。
結果、クーゴは大量のホットケーキミックスを頭から被ってしまい、まっしろしろすけになってしまったという訳だ。
閑話休題。
「ただでさえ、ソレスタルビーイングやガンダムの件でてんやわんやしてるってのに……」
「これから世界は、いったいどこへ転がっていくんだか」
ダリルが深々とため息をつき、ハワードが伊達メガネのブリッジを持ち上げた。彼らの表情には憂いの色が色濃く見える。
今のところ、ソレスタルビーイングとスターダスト・トレイマーは別組織同士のようだ。まだ1例しかないため断言はできないものの、今回は一時的に協力関係を結んだだけらしい。
2つの団体が協力し合うのか、それとも対立しあうのか。それだけでも世界の方向は左右される。もしくは、スターダスト・トレイマーが三大国家およびその他のどこに協力するかでも、パワーバランスがひっくり返るだろう。
「それは一端置いといて、だ。ハワード、抹茶の粉入れすぎだぞ。ダリル、生地が型から溢れてる」
「うげっ!?」
「ああっ!?」
クーゴの指摘に、2人は慌てた様子でリカバリに奮戦する。それを確認しながら、クーゴもミルクティーと茶葉を生地に混ぜ込んだ。茶葉はミルクティーにぴったりな紅茶とされるキャンディだ。煮出した後の茶葉を混ぜることで、口当たりが滑らかになる。
他にもアールグレイやオレンジペコーの味も作ってある。『エトワール』が紅茶の話題に食いついたとき、例として挙げた紅茶の種類の中に提示されていた。他にもフルーツティーが好きらしい。時間と機会があったら、そちらの方にも挑戦してみようか。
悲しいがな、どんな切迫した状況下にあろうとも、やり慣れていることは普段通りにできてしまうようだ。情報を聞きながら、クーゴはパウンドケーキ作りを着々と進めていく。ときには仲間たちにアドバイスをしつつ、ときには情報をまとめながら手を動かしていた。
グラハムは秤と睨めっこを繰り返したり、生地に混ぜる材料の組み合わせを吟味したりしながら、なんとか自力で作ろうと奮戦している。
ビリーは生地がダマになってしまったらしく、電動ミキサーに頼ることにしたようだ。しかし、うっかり調節を間違えたようで、生地が派手に飛び散っていた。
そんな自分たちの様子を眺めてエイフマンが笑う。だが、味見役としてずっと待っているため、彼は空腹状態のままだ。時折「まだかのぅ……」と呟いては、寂しそうに眉を落としていた。
「俺のはもう少しで出来上がりますから、そちらでよろしければ」
「そうか。なら、ラジオでも聞きながら待つとするかの」
エイフマンはそう言って、ラジオに手をかけた。丁度流れたのは、テオ・マイヤーの歌う『貧乏くじ同盟』。結構前に出た曲だが、一種の哀歌として売れている。
『人の好さ』から、しょっちゅう貧乏くじを引かされる。わかっていても、仕方がないと苦笑しながら引き受けてしまう――聞けば聞くほど、クーゴも「わかるわかる」と言いたくなるような内容の歌詞だった。
(聴いていると、何とも言えない気持ちになるんだよな……)
クーゴは遠い目をした。Z■XISに合流した直後の事件がきっかけで、自分は『不運な人たちが集まる同盟』に入れられそうになったことがある。
しかし、勧誘してきた死神のパイロットや割られる眼鏡、天秤座の機体を駆る『借金100万Gの男』は、直後に「やっぱお前さんはツイてるよ。貧乏くじを引く確率以上の幸運がな」と言って去って行ってしまったっけ。
そこまで考えて、クーゴは首を傾げた。今、自分は何を考えていたのだろうか。そもそも『不運な人たちが集まる同盟』なんて聞いたこともないし、死神のパイロットや割られる眼鏡、天秤座の機体を駆る『借金100万Gの男』のことにも覚えがない。
オーブンからいい香りが漂ってくる。紅茶のパウンドケーキが完成したようだ。オーブンからケーキを取り出し、粗熱を取る。
パウンドケーキを切って皿にとりわけ、エイフマンにふるまう。彼は待ってましたと言わんばかりにフォークを伸ばした。そのまま、一口。
しばらくして彼の頬が緩む。満足げに頷いたのを確認し、クーゴはほっと息を吐いた。お墨付きである。
他の面々もどうにか生地を完成させ、型に流し込み終わったようだ。オーブンの温度を確認しつつ、生地を入れていく。
料理初心者であるグラハムたちは、心配そうな面持ちでオーブンの前に集まっていた。街灯に群がる虫を連想させるかのような張り付きっぷりである。なんだか微笑ましくなって、クーゴは彼らの背中を見つめていた。
世界は切迫しているけれど、その中には確かに穏やかな時間がある。ささやかでちっぽけな、けれどもかけがえのないものがある。グラハムたちと過ごす日常や『エトワール』と少女との交流。クーゴにとって、それは何よりも大切なものだった。
この光景が、続いていくのだと信じている。
この光景を、守りたいと思っている。
だから、自分は
(――あれ?)
今、自分は何を思ったのだろう。
ここにいる、と、クーゴは小さく口に出してみる。何かあったはずなのに、霞がかったようにぼやけてしまった。
それを探すように窓を見た。鉛色の雲は退散しつつあり、隠されていた蒼が姿を現す。どこまでも澄み渡る蒼に、クーゴは思わず目を細めた。
「焦げませんように、焦げませんように……!」
「お、膨らんできた!」
「うまく焼きあがってくれるといいのだが……」
「うん、いい匂いだ」
わいわいと語り合う、楽しそうな4つの背中へ眼差しを戻す。なんて微笑ましい光景だろう。そんな風に思ってしまう自分に、クーゴは苦笑いを浮かべた。
世界の流れは刻々と変わる。だけれど、変わらない日常が――失いたくない日常が、ここにあった。
◆
天使によって、次々に仲間が
ある者は撃ち落とされ、ある者は至近距離から砲撃を浴び、ある者は牙で串刺しにされ、ある者は敵に特攻を仕掛けて。見知った姿は次々と、空/宇宙《そら》の藻屑になっていく。手を伸ばしても、掴むことは叶わなかった。
共に空を翔た親友は天使への執着で歪み、自分たちをバックアップしてくれた親友は意中の相手の裏切りによって歪んでしまった。壊れてしまったものは、元に戻すことはできない。でも、このまま壊れていくのを、ただ見ていることなどできなかった。
手を伸ばせ。失いたくなかったんだ。大切な人たちだったんだ。男の叫び声が響く。
もうなりふり構っていられない。彼らを止めるには、彼らと対を成す人々の力が必要だ。
もう一度、あの空へ。彼らと一緒に、あの空へ。祈るような気持ちで、男は空を翔け抜ける。
だから、男は
思い出してほしい。『どうして自分が空を目指したのか』を。
忘れないでほしい。『どうして自分がここにいたのか』を。
誰かはそう言って笑った。わかっている、と、自分は答える。そうして、空を見上げた。
(空が、綺麗だ)
真っ青な空が広がっている。
見ていると、とても気持ちがいい。
気づくと、そこに『誰か』がいた。
金髪碧眼の白人男性が、眩しそうに目を細めて空を見上げている。顔の左側には大きな傷跡が残っていた。彼は青と灰色基調の軍服を着て、水色のネクタイをしていた。どこの軍服だろう。ユニオンでも、AEUでも、人革軍でもない。そもそも彼は『誰』なのか。
そのとき、美しい青空に綺麗な流星が翔けた。緑色の温かな光と、
不意に肩を叩かれた。振り返れば、男性と同じ軍服を着た人々が力強く笑っていた。眼鏡をかけたオールバックの白人男性、剛毛の特徴的な黒人男性、黒髪黒目の東洋系の男性、金髪で青い目の白人男性がこちらを見返している。後から遅れて、髪をポニーテールに結び白衣を着た男性もやって来た。
後ろの方には、遠巻きだが誰かがいる。女性も1人、そこにいるようだった。
彼らも笑い、こちらの方へと駆け寄ってくる。
「さあ、行こうか。フラッグファイター――いいや、■■■■■■ズ隊、副隊長」
金髪碧眼の男性が、そう言って自分を促す。え、と首を傾げたとき、草原のど真ん中に機体が佇んでいた。先程までは何もなかった筈なのに。
フラッグの面影を宿した、見知らぬMS。機体の色は鮮やかなペールグリーンである。しかし、その中に混じって、青い機体のものがあった。これは、搭乗者が部隊の指揮官であることを示している。
その隣に控えるように佇むのは、晴天を思わせるような真空色の機体だった。あれは自分の機体だ。惹かれるように機体へ歩み寄る。いつの間にか、傍にいた人々は軍服からパイロットスーツに着替えていた。
機体に乗り込み、操縦桿を動かす。MSは悠々と空を舞った。仲間たちの姿がよく見える。ああ、なんて気持ちがいいんだろう。
そこへ、緑の光と
青い機体は、白と青を基調にしたガンダムとじゃれあうようにして空を飛んでいた。自分の乗るエメラルドグリーンの機体の傍に、純白の機体が舞い降りる。
ふと空を見上げれば、沢山の機体が空を舞っていた。大型のものから小型のものまで、種類は様々だ。飛行形態のものもあれば、MSによく似たものもいた。翼を持ったものから物々しいデザインの機体もある。よく見れば、巨大な戦艦も空を飛んでいるではないか。
パイロットたちの表情が見えた。皆、笑っている。皆、かけがえのない人たちだ。彼らを見ていると、どうしようもなく心が躍る。どんな困難にも打ち勝てるし、どんなに難しいことでもやり遂げることができる。そう、心から思うことができた。
「たとえ、今、お前/貴方/キミの傍にいなくとも」
「――それでも、僕/俺/私/あたしたちは『ここ』にいるから」
だから、忘れないで。
彼らの言葉に頷く。そうして、空/宇宙《そら》を翔け抜けた。
*
「……『夜鷹』さん?」
名前を呼ばれた気がして前を見る。『エトワール』が、心配そうにクーゴを見返していた。
オフ会も終わり、そろそろ別れの時間である。そこで、クーゴは手荷物の存在に気が付いた。一歩遅かったら、これを渡すのを忘れていたかもしれない。
せっかく作ってきたものを渡し忘れるなんて大失態である。クーゴは慌ただしく、『エトワール』に紙袋を差し出した。彼女はわくわくした様子で中身を確認する。
中身を見た『エトワール』は、嬉しそうに目を細めた。第一関門の見た目は合格らしい。もっとも、重要な問題は「味を気に入ってくれるかどうか」なのだが。
後ろの方では、グラハムも目的を果たせたらしい。パウンドケーキの入った紙袋を受け取った少女が、照れたように視線をさまよわせている。それを見たグラハムは静かに頬を緩ませていた。
「それじゃあ、また今度」
「ええ、また今度」
そのまま2人と別れ、帰宅を急ぐ。
グラハムの足取りは軽かった。心なしか、クーゴも歩調を速めていた。
見上げた空はどこまでも青く、どうしてだか酷く懐かしい。
いつか、自分もたどり着けるだろうか。
何の脈絡もなくそう思ったクーゴは、思わず首を傾げる。自分は今、何を考えてそこに至ったのだろう。もう、思い出せなかった。
クーゴ・ハガネの災難は続く。
【参考および参照】
『COOKPAD』より『ふわふわ米粉パウンドケーキ(プルーン入) /(まゆりんぱんさま)』、『米粉のパウンドケーキ。(千種ばーちゃんさま)』、『簡単!紅茶のパウンドケーキ♪(魔法少女らぃむちゃんさま)』