大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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31.砂上の楼閣

 エリア11の日本は穏やかな時間が流れ、穏やかな日々が続いている。

 と言っても、砂上の楼閣に過ぎない。平穏と言う名の水面下には、陰謀や悪意が渦巻いていた。

 

 ただ、この周辺に漂うのは、別の意味を持った陰謀と悪意だ。方向性が色ボケに特化しているが。

 

 

「皆さん、注目! これより特別イベント、『キューピットの日』の開催を宣言しま~す!」

 

 

 アッシュフォード学園の生徒会長兼学長の娘であるミ□イ・アッシュフォードが、明るいテンションで宣言した。学園の生徒たちも盛り上がっている。

 会長が会長なら、生徒も生徒だ。日本人はお祭り行事が大好きである。特に、彼女/彼氏がいない独り身の生徒からしてみれば、今日は絶好のチャンスと言えよう。

 対象者は学園の生徒だけではない。学園外からやって来た人間も含まれる。つまり、アッシュフォード学園を見学しに来たZAXISにも当てはまるのだ。

 

 ルールは至って単純。気になる相手のおでこをタッチすれば、この祭りが行われる最中限定での恋人同士が誕生する。しかも、早い者勝ち且つ強制的だそうだ。

 なんてタイミングで訪れてしまったんだろう。文化祭風の催し物が行われるという噂話に胸を躍らせていたが、今は逆に寒気しか感じない。どうしてくれよう。

 

 

(生徒の目が、猛禽類みたいな眼差しをしている……! しかもこれは、肉食系だ!!)

 

 

 表情をひきつらせながら、クーゴは周囲を見回した。ひしめく生徒たちは、獲物に狙いを定めている。

 

 特に、学園の副会長をしているルルーシュという男子生徒の周囲には、女子生徒がひしめいていた。

 その合計、108人。期せずして、その人数は煩悩の数と一致している。どれだけの女子生徒をたぶらかしていたのだろう。

 イデアや他の面々から「残念な人だ」「疲れている人だ」等々の話を聞いていたものの、「女たらし」も追加された。

 

 世の中には性別問わず人間をたぶらかし、とっかえひっかえしてはボロ雑巾のように捨てていた悪女もいる。それに比べれば、まだまだ可愛い方だろう。

 そいつは今、どこで何をしているのか。どんな権謀術策を張り巡らせているのか。クーゴは思いを馳せたが、意味がないことなのでやめた。

 

 

「……もしかして、私も参加するんですか?」

 

「もっちろんです!」

 

 

 庶民の生活を見に転校してきたナイトオブラウンズの1人が、渋い顔をして□レイに問いかけた。即座に答えが返ってくる。

 生徒会に属する男子生徒が肩をすくめて首を振った。この学校のルールはミレ□・アッシュフォードの意志そのものだ、と。

 ナイトオブラウンズの騎士はしばし悩んだ後、爽やかな笑みで頷く。彼には気になる女子生徒がいるようで、その子を狙っているらしい。

 

 彼のイメージに映ったのは、紅月カレン。そういえば、彼はカレンに対して、戦闘中にしょっちゅう絡んでいた。

 反射的に親友の姿を連想してしまった。今、クーゴは彼と別の道を歩いている。いつか、あの空へ帰る日を夢見て。

 

 

(あいつがもしここにいたら、真っ先に刹那の元に突っ込んで行くんだろうな。満面の笑みを浮かべて……)

 

 

 クーゴはそんなことを想像しながら、ZEXISの面々に視線を向けた。

 

 仲間たちが楽しそうに談笑している。このお祭りに対して、多少引いている者もいるが、全体的に皆楽しみにしている様子だった。

 

 彼女/彼氏持ちの余裕を見せる者、片思いの相手を取りに行くと決意する者、アタックを宣言した者を応援する者等、様々だ。

 クーゴからしてみれば、そのどれもが眩しい光景である。青春とはこういうことをいうのだろう。

 

 

(ねえ見て、あの人!)

(身長はちょっと低いけど、かっこいいわよね?)

(あの凛とした佇まい、素敵だわ……)

 

 

 ざわめく声が聞こえる。

 しかし、次の瞬間、そのざわめきが一瞬で途切れた。

 

 

『あ げ ま せ ん よ … … ?』

 

 

 寒くなってきた。学園内の気温が、数度下がった気がする。

 

 聞き覚えのある女性の声だ。振り返ると、イデアが鋭い眼差しで佇んでいた。クーゴがこちらを向いていることに気づいたイデアは、普段通りのふんわりした笑みを浮かべる。先程感じた寒気も和らいだ。

 クーゴがふっと笑い返したとき、開始のために距離を取れという指示が入った。周囲の反応を探ると、葵を狙う男子生徒、正□郎を狙う女子生徒、アルトを狙う男子生徒と女子生徒の感情が漂っている。

 そうして祭りが始まった。皆、お目当ての相手目がけて突っ込んで行く。それぞれの場所で、それぞれの悲喜こもごもが展開していた。和やかな祭りの雰囲気が漂ってくる。周囲に出店していた出店もそうだ。

 

 さて、どうしよう。クーゴが考えたとき、不意に、頭上に影がかかった。何事かと空を見上げる。

 青い燐光。ペールグリーンの髪が重力によって揺れていた。悪戯っぽく細められた紫の瞳。

 

 

「クーゴさん」

 

 

 能力を駆使して転移し、重力とその勢いを利用している――クーゴの頭がそんな判断を下したのと、楽しそうな声が響いたのはほぼ同時。

 

 

「――タッチ!」

 

「――おわっ!?」

 

 

 慌ててイデアを抱き留める。危うく地面に倒れそうになったが、寸でのところで踏みとどまった。視界がやや暗い。クーゴの額に、何かが触れているためだ。

 手だ。イデアの手が、クーゴの額に触れている。確か、この祭りは『額にタッチされたら恋人同士になる』というルールだったか。――おや?

 

 クーゴが目をぱちくりさせたとき、イデアがニコニコ笑っていた。とても幸せそうに笑っていた。

 

 

「あー……」

 

 

 居心地悪くなり、目を逸らす。抱えた重みが、やけに実感を強くさせた。小さく咳払いし、クーゴはイデアを地面に降ろす。

 恋人。恋人とな。頭が全然回らない。こういうとき、恋人だったらどんな判断を下すだろう。どんな会話をするのだろう。

 気の利いた言葉が何一つ出てこなくて、それが申し訳なくて、クーゴは小さく頭を下げた。イデアはゆるりと目を細める。

 

 エスコートなんて、まともにしたことがない。それでも、男にはやらねばならぬときがある。

 イデア・クピディターズは、他の誰でもない、クーゴ・ハガネを選んでくれたのだ。彼女の信頼に応えたい。

 

 喧騒が聞こえる。花より団子なア□ロに対してクレープ強奪に走るしかなかったシルヴィ□とか、嫉妬の炎を燃やすク□ンが地獄絵図を展開しようとして止められたりとか、ルナマ□アが□ンに『恋人同士だからタッチ不要だ』と照れられたりとか、アレ□ヤとマ□ーの超兵式キャッキャウフフ(と言う名の超高速移動)とか、懐かしき学び舎を見つめる恋人達とか、生徒会副会長のアクロバティックな逃走劇とか、文字通りのお祭り騒ぎだ。

 

 クーゴは手を差し述べた。イデアは微笑み、その手を取る。

 デートプランは何もない。白紙だ。学園内をゆっくり散策するとして、まずはどこに行こう。

 

 

「おい見ろよ、あれ!」

「あの人が着ている服、着物だよな?」

「その割には、どこか洋装に近い感じだ」

「仮面付けてる。変な人だなー」

「作務衣と陣羽織だね。本で見たことある!」

「近寄りがたい空気が……」

「あの人、ずっと誰かを探してるみたいなんだよ」

 

 

 ――あれ?

 

 この場にいるはずのない人間の特徴が聞こえてきた。むしろ、この場にいちゃいけない類の人間の特徴であった。

 確かに、『キューピットの日』という祭りに大喜びで参戦しそうな人間だと思っていた。たった1人の少女を狙って、奴がやって来ると思っていた。

 でも、いるはずがないと思っていた。普通に考えて、その人間はここに来れるはずがない。だって奴は、アロウズ所属の軍人だ。

 

 クーゴは声のする方向に視線を向ける。次の瞬間、そのざわめきが更にヒートアップした。むしろ、悲鳴の類に進化/変化した。

 

 刹那が全力疾走している。その後ろに追随するのは、金髪碧眼で仮面をつけた男だった。濃緑の作務衣に、赤基調の陣羽織を羽織っている。

 もし、その状況に文章を付けるとしたら、『あっ! 野生の ミスター・ブ□ドーが 飛び出してきた!!』――この言葉に尽きた。

 

 

「な……」

 

 

 クーゴの喉が引きつる。

 

 

「なんでお前がここにいるんだァァァァァァァァッ!?」

 

『――少女の額にタッチできたら、丸一日恋人になれると聞いて!!』

 

 

 気づいたら、盛大に叫んでいた。

 顔なんて見えていないのに、奴がいい笑顔で返答したような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この面々が集まるのは、随分と久しぶりな気がする。

 

 クーゴとグラハムは、恒例となったイデアと刹那とのオフ会を行っていた。『夜鷹』と『エトワール』のコラボ企画と交流会は、まだ続いている。互いが互いに多忙のため、なかなか時間を作るのが大変だった。追う者と、追われる者同士の組織に属するが故の弊害である。 

 オフ会および交流会では、組織の話はご法度だ。暗黙のルールではあるけれど、それよりも別の話がしたいというのが本音である。要するに、情報収集よりも交流にウエイトを置いた状態だと言っていい。己の首を絞める行為だとは重々理解したうえで選んだことだ。

 現在二次会の真っ最中。会場は日本の喫茶店だ。イデア行きつけの店であり、いつぞやの『決戦』の舞台でもある。今回のオフ会は三次会もあり、次の会場はイデアと刹那の拠点であるマンションで夕飯を作るという約束になっていた。

 

 

「キミは普段、男物の服を着ているのか?」

 

 

 唐突に、グラハムが刹那に問う。刹那はきょとんと眼を瞬かせた。

 

 

「いきなりどうした?」

 

「いや、気になってな。……私個人としては、キミには自然体でいてもらいたいのだが」

 

 

 グラハムの悩ましげな様子に、刹那が「自然体?」と首を傾げる。

 彼女の言葉に、グラハムは仰々しく頷いた。至極真剣な視線を刹那に注ぐ。

 

 

「キミに気を使わせてしまったり、無理をさせてしまうのは本意ではない」

 

「そんな風に見えたか?」

 

「キミは人一倍、頑固で我慢強い性格をしているからな。その上、自分の弱さを覆い隠すのがうまいときている。……だから、もしかしたらと思ったんだ」

 

 

 グラハムの発言は、思っても見ないことだったらしい。ぱちぱち目を瞬かせた刹那が呟く。

 

 

「……あんた、強引で自分勝手に見えて、意外と察しがいいんだな」

 

 

 彼女の発言に、グラハムがむっと眉をひそめた。

 相当心外だったのだろう。

 

 

「どういう意味かな、それは」

 

「褒めたつもりなんだが」

 

「褒められた気がしないぞ、少女」

 

「……最初の頃は、仕方なく着ていたんだ」

 

 

 刹那は、当時の頃と思い出すように、しみじみとした口調で呟いた。やはりか、と、グラハムは深々とため息をつく。そうして、彼は刹那の服装を見つめる。

 今日の服装も、レースがふんだんに使われた白いワンピースだ。普段と同じ、彼女のトレードマーク。アザディスタンで見た、男物の民族衣装を想像することはできない。

 「なら、無理に着なくても」とグラハムは言いかけた。「でも、今は違う」と、遮るように刹那が告げる。いきなりのことで面食らったグラハムに対して、彼女は照れくさそうに視線を泳がせた。

 

 蚊の鳴くような声で、ぽつり、と。

 

 

「今は、結構、気に入っている。……いや、むしろ……あんたに会うときは、この格好じゃないと、落ち着かなくて」

 

 

 グラハムがぴたりと動きを止めた。ぱちぱちと目を瞬かせる。

 刹那の顔と耳は真っ赤だ。そのまま、彼女は貝のように口をつぐんでしまう。

 

 「そうか」と、グラハムは微笑んだ。どことなく嬉しそう/照れているように見えたのは、長年友人として彼と接していたクーゴだからこそ気づけたのだと思う。

 

 そんな感じで、グラハムは刹那と和やかに談笑していた。相変わらず、グラハムの表情はくるくる変わり、刹那は寡黙なままであった。時折、照れくさそうに視線を彷徨わせる。

 2人のやり取りを、クーゴは目を細めて見守っていた。イデアも楽しそうにその様子を見守っている。グラハムと刹那のやり取りを見守りながら、クーゴとイデアがのんびりとした時間を過ごす。それは、オフ会での恒例行事になっていた。

 

 

「平和だなぁ」

 

 

 クーゴが噛みしめるように呟いた。イデアも、のほほんとした表情で頷く。

 

 

「そうですね。まるで、世界の流れから切り離されてしまったような気がします」

 

「箱庭みたいなものか?」

 

「だとしたら、砂上の楼閣みたいなものですけどね。実は今にも崩れてしまいそうな」

 

 

 どこか寂しそうに、イデアは目を伏せた。彼女の気持ちは分からないわけではない。クーゴは何も言えなくて、飲み物を呷る。

 氷がグラスにぶつかる音が高らかに響いた。グラスには結露で発生した水滴がついている。指がついた場所から、滴が伝って流れて落ちた。

 

 世界が混迷している中で、この4人だけは永遠に変わらないのではないか――なんて、馬鹿なことを考える。最初の頃と比べれば、自分たちは変化してきているではないか。

 その方向が、ただ単に、4人にとって『良い方向』だったから、このままであればいいと思ってしまっただけだ。破滅のときまで、現状維持。結局のところ、それに尽きる。

 自分は意外と臆病だったらしい。そのことを思い知らされたような心地になり、クーゴはひっそりと自嘲した。おそらくはグラハムも、どこかではそれが引っかかっているに違いない。

 

 最も、それを口に出すこと自体、御法度のような気がするのだが。

 

 この場にいる誰もが同じ痛みを抱えて、来るべき日を見据えながら、それでも絆を切ろうとは思っていない。

 クーゴはイデアに視線を向けた。イデアはそれに気づいたようで、目を瞬かせる。彼女はふっと笑みを浮かべた。

 

 

「立ち止まることは、罪ではないです。前へ進むためには必要なことだから」

 

 

 私も同じです、とイデアは言った。その微笑み方を、自分はどこかで『視た』ことがある。

 

 それを見ていると、うまく言えないけれども、なんだかむず痒い気持ちになるのだ。

 学園。祭り。額にタッチ。限定的な“恋人”。彼女は、幸せそうに笑っていた。

 他にも何かあった気がする。全力疾走する男女――頭が痛くなったので、その光景を振り払った。

 

 

「……そっか」

 

 

 クーゴもまた、目を細める。

 イデアも、肯定するように頷き返した。

 

 心地よい沈黙が広がる。グラハムと刹那の会話が、どこか遠くのことのように思えてきた。時折、店員同士の話し声も紛れ込む。

 クーゴは大きく息を吐いた。オフ会の今でしか話せないことがある。あくまでも、自分たちは「オフ会で顔を合わせる友達」なのだ。

 そこには、ソレスタルビーイングもユニオン軍もない。多分、時間が開いてしまったら、伝えられなくなってしまう――漠然と、そんな気がした。

 

 

「『誰よりも強くなければ、世界は変えられない。誰よりも優しくなければ、世界を変える資格がない』」

 

「え?」

 

「戦争根絶を謳う団体を見て、最近思うようになったことだよ」

 

 

 イデアが目を丸くする。クーゴは静かに言葉を続けた。

 

 

「アザディスタンで、ガンダムが無防備な状態で保護した用心を送り届けたというニュースがあっただろう? あれを見て思ったんだ」

 

 

 我ながら、いけしゃあしゃあとした発言である。その光景を間近で見ていたというのに。

 これでは、いつぞやのクワトロ・バジーナとシャア・アズナブルに引けを取らないではないか。

 

 クワトロとシャアは同一人物だ。彼は連邦軍の大尉として所属しているときはクワトロ。ジオン軍、キリシア直属の工作部隊、オルトロス隊の構成員のときはシャアと名乗り、世界のために戦っていた。

 連邦軍およびガンダムに対して蟠りを抱いていたオルトロス隊の面々が、コネクト・フォースの面々に決闘を申し込んだことがある。その最中、ミューカスとバジュラの乱入があり、面々と共闘することを選んだ仮面2人組に対し、シャアは別部隊への援護へ向かった。

 別部隊の援護とは名ばかりであり、実際は、『ジオングをキリシアの元へ返却し、シャアとして決闘に臨む代わりに預けていた百式を返してもらっていた』だけである。ついでに新装備も付けてもらったようで、クワトロ大尉として何食わぬ顔で戻って来て、何食わぬ顔で援護してくれたのだ。

 

 ちなみにこの虚憶(きょおく)は『殴り合い、宇宙(そら)/OE』である。

 『ガンダムファイト、レディー、ゴー!』および『ブシドーがめんどくさい』アレであった。

 

 閑話休題。

 

 

「世界は彼らを犯罪者と言うけれど、その強さと優しさには敬意を持つべきだと思っている」

 

 

 自らの理想を体現するために、愚直なまでに突き進んだ、天使の後ろ姿を思い出す。

 あれは、強くなければできないことだ。優しくなければできないことだ。その眩しさに、クーゴはゆるりと目を細めた。

 

 

「だから俺は、そんな彼らと対峙するに相応しい存在でありたい。……それが、俺が『ソレスタルビーイング』に示せる、精一杯の誠意だと思うから」

 

「……どうして、今、そんな話を?」

 

 

 幾何かの間をおいて、イデアは神妙な顔つきで問いかけてきた。声が堅い。

 

 

「今じゃなきゃ、伝えられないと思ってな」

 

 

 クーゴは苦笑した。この場で言えることはそれだけだし、それを実践するためには戦場で、ということになるだろう。

 イデアはじっとクーゴを見つめていた。クーゴの心に触れようと、思案しているかの様子だった。透き通った水面を覗き込むような表情。

 この場にまた、沈黙が降りる。イデアは、水面の底に何を見たのだろう。それを問う間もなく、彼女は静かに目を閉じた。

 

 何かに納得したかのように、イデアは小さく頷く。

 「わかりました」と微笑んだ女性の声は、凛と透き通った響きを宿していた。

 

 

「ソレスタルビーイングがそれを聞いたら、なんて言うかな」

 

 

 いけしゃあしゃあとした態度のまま、クーゴは独り言ちるように呟いた。イデアはぴくりと眉の端を動かす。

 真剣な顔をして俯いたのち、彼女は顔を上げた。クーゴをまっすぐ見返して、照れたように笑った。

 

 

「『物好きな奴もいるんだな』って笑いながら、嬉しそうにするんじゃないんですかね。……そういう人の存在は、彼らの支えになると思いますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え? またあのシミュレーター、人がおかしくなったのか?」

 

「そうだよ。『ズール皇帝こそ正義だ!』って叫び出して、また人が暴れたらしいんだ。しかも、前回より派手に」

 

 

 クーゴの問いかけに、ビリーは苦笑しながら頷いた。「今回のことで、例のシミュレーターは完全に配信停止が決まったようだ」と、至極残念そうに肩を落とした。

 先日も、金属生命体のシミュレーターをやっていたMSパイロットが「頭に響くんだよォ! 叫んでばかりでぇ!!」と叫んでシミュレーターを破壊したばかりである。

 その後お叱りを受けたそうだが、壊した本人は未だに納得していない様子だった。以来、彼は、金属生命体のシミュレーターには近づかないでいる。

 

 ただ、たまに、他のシミュレーターをやっていると、何か聞こえている様子を見せるそうだ。

 詳しいことは知らないが、周囲の情報曰く、「煩い」としきりに呟いているという。

 

 

「そうか。ところでビリー」

 

「目測しないでくれよ」

 

「了解」

 

 

 下腹部のたるみ具合を目測しようとしたら、それを察したビリーから睨まれた。彼の手には、齧りかけのドーナッツが握られている。

 

 食事も不規則、その上、3食すべてがドーナッツだ。つまみまでドーナッツである。不健康極まりない生活習慣だ。クーゴが差し入れを持っていかなければ、彼の食生活はもっと危険なことになっていただろう。

 不健康と言えば、昔のグラハムも当てはまる。料理のレパートリーが少ないのも相まって、一時は1週間マッシュポテトのみで過ごしたこともあったらしい。マヨネーズと野菜とマカロニを混ぜてポテトサラダにするぐらいの工夫があってもいいはずだ。

 現在のグラハム・エーカーは、以前よりはマシになった。刹那に振る舞う料理の練習を、クーゴやガンダム調査隊の仲間たちと一緒に行っているというのもある。料理教室の余波として、ハワードが以前から気になる子と接近したり、ダリルが姪御さんから褒めちぎられた等の出来事もあった。

 

 ちなみに、ビリーには何のイベントもない。

 意中のリーサ嬢は、多忙でなかなか捕まえられない様子だった。

 

 それでも、料理教室にはきちんと参加し、おいしいものを作って持ち帰っている。彼は誰と食べているんだろう。

 

 ビリーが何かを察したようで、ちらりとクーゴを見返した。失礼なことを考えてないだろうね、と、彼の瞳が問いかけてくる。

 クーゴは思考回路を逸らすため、端末へと視線を向けた。情報収集と追及逃れのため、わざとらしく端末を開く。

 

 

「『PMCトラストが、新型MDの開発に成功』……。『各国に、試作機の提供を行う』?」

 

 

 どうやら、ユニオンにも近々新型MDが届くらしい。何やら作為を感じるのは気のせいではなかった。

 以前のアザディスタン内戦に関わったとされるPMCに対して、世間は冷たい眼差しを向け始めている。

 噂によると、その一件がラスードとマリナの会談、およびセキ・レイ・シロエにスッパ抜かれて以来、業績が芳しくなくなったらしい。

 

 特に、停戦調停(名ばかりだが、一応、仕事はした)でアザディスタンに介入したユニオン軍からは、何とも言えない目で見られている。

 今回の新型提供は、「等価交換に『目をつぶれ』」ということだろう。その条件を飲むか否かは、近々行われる性能テストを試金石にしている。

 

 

「ウチにも一応、何台か来るみたいなんだ。確か、機体名はビルゴだったっけ? 他にも既存シリーズの強化系や他の機体があったみたいだけど、担当部署が違うからな……」

 

 

 「後できちんと調べてみる」とビリーは言った。クーゴも、頼み込むようにしてぺこりと頭を下げた。

 

 MDという言葉を聞くと、なんだか嫌な予感しかしない。モラリア戦役で白いガンダムに群がっていた、ヴァイエイトとメリクリウスの姿を思い出す。赤と青、対をなす機体がイデアを追いつめていく姿は、機械統制を受けながら、まるで仇敵を抹殺しようと意気込んでいるかのように思えた。

 もしこの場に、あるいはこの世界のどこかに、トレーズ・クリシュナーダという男がいたならば。MDを開発した民間企業に対し、遺憾の意を述べることは間違いないだろう。ボタン1つで決着がつく戦争を嫌う彼ならば、そうする。どうしてここに彼がいないのか、非常に惜しい。

 不意に、虚憶(きょおく)がフラッシュバックした。小惑星の上で、トールギスがリーブラを見上げている。機体の後ろには、トレーズの部下が駆るリーオーたち。リーブラから放たれた主砲の一撃が、トレーズ派の兵士たちに向かって降り注ぐ――!!

 

 さえぎるように現れたのは、金色の機体。奴は割り込むように現れ、主砲を簡単に無力化した。

 「お前はお呼びじゃないんだよ、帰れ」という言葉が喉元までせりあがってきた理由は、何だったか。

 

 

「何か、釈然としないな」

 

 

 後ろから、苦い表情でやって来たのはグラハムである。彼はコーヒーの入った紙コップを片手に深々と息を吐いた。

 

 

「私は、MDは好かない」

 

「ああ、なんとなくお前もトレーズ派に近いもんな」

 

 

 ボタン1つで決着のつく時代。人の尊厳を無視した、無慈悲な兵器が存在していた。そのために、多くの人間たちが、虫けらのように殺されていった。

 合理化を推し進めた結果の産物だ。その重みを、いい意味も悪い意味も噛み砕いて理解していたのは、トレーズやミリアルドぐらいのものだったであろう。

 

 窓を見る。PMCトラストのロゴが描かれたコンテナが、ゆっくりと運び込まれていくところだった。

 あの中に、MDたちが収められている。殺戮兵器としての出番を、今か今かと待ちわびているのだ。

 正規利用されることになったら、MDは何人の人間――兵士および民間人含む――を手にかけるのだろう。

 

 

(異常が発生して、そのままお蔵入りになればいいのに)

 

 

 どうにもならぬ嫌悪感を持て余しながら、クーゴはコンテナを眺めていた。

 

 コンテナから機体が下ろされていく。不意に、誰かがじっとこちらを見ているような気がした。視線の主と思しきものは、運ばれていくカーキ色の機体――ビルゴ。

 角度と反射光のタイミングが悪かったのか、「獲物を見つけた」と嬉しそうに笑いつつ狩りの準備に入った獣を思わせる光を放っていた。

 カメラアイの反射とは思えないほど、タイミングが良すぎる。しかし、機械が感情を持つはずがない。あの機体に搭載されたAIには、そんな機能はないからだ。

 

 やはり、偶然だったのだろうか。

 クーゴは深々と息を吐き、端末をいじる。

 

 どこかで、砂上の楼閣が崩れていく音が聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃ、150mだって!? こんなもの振り回せるはずがない! 重力が少ない宇宙圏ならいざ知らず、地上で振り回したら腕が折れてしまう!」

 

 

 ビリー・カタギリの主張に対し、青年はくるりと踵を返した。

 

 

「それじゃあ、この話はなかったことにするさ。お宅にはもう、技術提供をしない。交渉決裂ってところかな」

 

 

 青年の言葉に、ユニオン軍の技術班が顔色を変えた。顔面蒼白という言葉そのものだ。

 つかつかと音を立てて、青年は足を進める。そんな彼を呼び止めたのは、レイフ・エイフマン教授であった。

 

 

「……わかった。引き受けよう」

 

「教授! 正気ですか!?」

 

 

 ビリーが驚きに満ちた表情を浮かべた。エイフマンは頷く。

 

 彼の真剣な横顔に、青年は懐かしさを覚える。声をかけたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えた。

 青年はくるりと向きを変えて、研究者2人の元へと歩み寄る。口元には、緩やかな微笑。

 

 

「なら、交渉成立だね。新武装の提供をしよう」

 

 

 青年は後ろを向いた。手で合図をすれば、コンテナが運び込まれていく。中身は新武装に必要な材料である。そうして、青年は技術者たちの方へ向き直った。

 タブレットに保存されている図面を転送する。それを改めて確認していた技術班の人間たちは、「あ」と声を上げた。図面の中に、彼らの心配の種を刈り取るものを見つけたからだ。

 青年は、表情を輝かせて語り始める彼らの様子を眺めていた。青年にとって、熱を込めて語り合う人々の様子は、とても身近で愛おしいものであったからだ。思わず表情を緩ませる。

 

 「それと」と青年が付け加える。

 技術者たちは、端末から顔を上げた。

 

 青年が話題を向けるのを待っていたとでもいうかのように、奥の方から1人の女性が歩み寄ってきた。金髪碧眼で、白衣を身に纏った凛々しい女性である。

 

 

「初めまして。『悪の組織』第3技術班の顧問をやっている、ノーヴル・ディランという者です。我が会社(そしき)との契約更新が決まった場合、我が班がこちらに派遣および常駐が決まっていましたので、ご挨拶に」

 

「彼女が無駄足にならなくて、本当に良かった。以後は僕ではなく、彼女を通じて技術提供、および交渉を行ってくれればいいからさ」

 

 

 青年はひらひらと手を振り、そのまま研究施設を後にした。

 女性――ノーヴル・ディランとすれ違いざまに、そっと声をかける。

 

 

『あとは、お願いします』

 

『ええ。任せておいて』

 

 

 その声は、決して他人に聞こえることはない。『同胞』でもない限り、聞き取ることは不可能だろう。

 

 青年はユニオン基地を後にした。基地の前に留まっていた車に乗り込む。車は窓にカーテンをしいて、ゆっくりと走り出した。

 今なら誰も見えないだろう。青年は、自分の頭に手をかけた。ばさ、という音とともに、髪の毛――ヴィックが膝の上に落ちる。

 星の輝きを思わせるようなプラチナブロンド。ゆるいウェーブがかかっていた毛は、ヴィックの下に押し込められていたせいでぐちゃぐちゃになっていた。

 

 次に手をかけたのは、顔。べり、と嫌な音を立てて、青年は何かをはがした。破けて落ちたのは、人間の肌を模して造られたマスクである。

 露わになったのは端正な顔立ち。次に、青年は目からカラーコンタクトを外す。瞬き一つの後に、本来の色であるアンバーの瞳が姿を現した。

 

 

「あとは、疑似人格を解除して……はー。やっと解放されました」

 

「お疲れ様」

 

 

 青年は大きく息を吐いた。そんな彼を労わるようにして、車の運転手が声をかけてきた。

 それに応えるように、青年も頷く。

 

 

「疑似人格の使い分けには慣れていますが、今回のようなタイプは、やっぱり違和感しかありませんねー」

 

「正直、かなり前に使った東北弁とか違和感だらけだったなぁ。『おだづな、いい加減さしろ』――『ふざけるな、いい加減にしろ』とか、『はすのはすっこを走って渡っていった』――『橋の端を走って渡っていった』とか。後者は橋、端、(はし)でイントネーションが微妙に違うんだよね」

 

「言っている自分の言葉が宇宙語に聞こえたこともありますよ。一番は沖縄弁ですね。『うかーさい。絶対んかいうかーさい』とか」

 

「あ、『おかしい。絶対におかしい』って奴か」

 

 

 あっはっはっはっ――朗らかに笑う青年2人。

 彼らはしばし談笑にふけっていた。

 

 

「でも、大丈夫なんですか? こんなことして。いくらサブを遠隔操作できるとはいえ、あいつに気づかれるのでは?」

 

「まだ気づいてないし、気づかせるつもりもないよ。手順通り“例のもの”を掌握したら、サブはさっさと始末する予定さ」

 

 

 運転手はへらりと笑った。紫の瞳は悪戯っぽく細められる。こうして見ると、運転手が青年より年上とは思えない。運転手はいつだって若々しさを失わなかった。

 そのせいか、青年と運転手は、出会った頃から友人および悪友関係となっていた。その関係性は現在も変わっていない。おそらくは、これからも。

 青年は目で合図した。運転手は運転席と座席の間にあったカーテンを閉める。それを確認し、青年は慌ただしく着替えを始めた。煌びやかな衣装を身に纏う。

 

 鏡を見ながら身支度を整える。どこからどう見ても、完璧なアイドルだ。青年はぱん、と手を叩く。

 

 

「今回はやけに気合が入ってるね」

 

「教え子が来ますから。無様な格好は晒せません」

 

「そう。じゃあ、頑張って。僕も見てるから」

 

「頑張りますよ。全力でね」

 

 

 車が止まったのを確認し、青年は優雅な動作で降りた。慌ただしい足取りで楽屋へ向かう。

 人々と挨拶を交わした青年は部屋へと入り、最終確認を行う。問題は、ない。そのまま部屋から出た。

 

 ステージに出る。スポットライトと歓声が、惜しみなく青年に向けられた。

 

 音楽が鳴り響く。ざわめく声はヒートアップし、たくさんのペンライトが激しく揺れた。

 そのすべてに答えるため、青年は満面の笑みを浮かべて腕を突き上げたのだった。

 

 

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。

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