大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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42.転がるように日々は過ぎて

「なあ、グラハム。俺たちが鹵獲しようとしてた機体って、どんな姿をしてたか覚えてるか?」

 

「ああ、覚えているとも! あの機体とは運命的な出会いをしたからな!」

 

 

 クーゴの指摘に、グラハムは曇りなき笑みを浮かべて返答した。不敵な横顔は闘争心に燃えている。

 

 

「その機体の機体数と、特徴は?」

 

「近接戦闘を得意とした機体(タイプ)、射撃を特異とした機体(タイプ)、機動力に特化した機体(タイプ)、超攻撃と防御に特化した機体(タイプ)、攻防が一体化した機体(タイプ)の5体だ。……クーゴ、キミはボケたのか?」

 

「お前、失礼なことを言うんじゃないよ」

 

 

 MSに乗っていなかったら、グラハムの脳天に手刀の一発でも叩き込んでいるところだ。しかし、そんなツッコミをできる状態ではないので、言葉だけでとどめておく。

 ガーベラストレートでツッコめないわけではないが、ツッコミを入れると同時にフラッグが真っ二つになってしまうだろう。峰打ちでも中破は確実である。

 ため息をつき、クーゴは機体を見直してみる。機体の分類名は同じで、現在この場にいる機体数も5体ぴったりだ。でも、違う。明らかに何かがおかしい。

 

 天使を思わせるような翼が生えた青い機体、死神を思わせるような風貌の黒い機体、両手にカトラスのようなブレードを装備した灰色の機体、龍のように威風堂々とした緑の機体、超火力に特化した重装備の赤い機体。

 

 

(その違和感に目を凝らせ。その違和感を見逃すな)

 

 

 クーゴはぶつぶつ唱えながら、必死になって思い出そうとする。

 自分たちが追いかけていた機体は、どんな姿をしていた?

 

 翼は生えてない。

 死神ではない。

 カトラスのようなブレードもついてない。

 龍の名前なんてついてない。

 重装備の機体の色は赤ではない。

 

 確かに、自分たちが最初に目撃した機体は天使のようだった。でも、翼はなかった。あの機体は、ツインバスターライフルなんて装備していなかった。得意なのは殲滅戦ではなく、接近戦だったはずだ。

 

 いいや。そもそも、自分たちがいる場所はどこだ。レーダーやマップを頼りに場所を特定してみたが、『地上・スペースコロニー』としか表示されない。というより、自分たちは宇宙へ進出した覚えなどない。コロニーにフラッグを運び込んだ? そんなバカなこと、あってたまるか。

 クーゴやグラハムが悩むうちに、コロニーにいた応戦部隊が5機のMSに圧倒され、倒されていく。オーバーフラッグス部隊の面々は、指揮官と副隊長のやり取りを聞いて何か思うところがあったのだろう。それぞれ考えを巡らせる。ここはおかしい。いや、『この世界』がおかしいのだ。

 

 

「そうか。そういうことか!」

 

 

 何かに納得したように、グラハムが顔を上げた。不敵な笑みを浮かべていたはずの横顔には、溶岩のような激情が煮えたぎっている。

 

 

「何故だ。何故、今まで忘れていた!? 何故今まで気づけなかった!? 何故、何故、私は……っ!」

 

「た、隊長?」

「どうしたんですか!?」

「お、おいおい!? 一体なんだっていうんだ!?」

「落ち着いてくださいっす、隊長!」

 

 

 自分で自分自身を殺しかねない勢いで叫んだグラハムの様子に、慌てた様子でハワードたちが問いかける。オーバーフラッグス隊の面々は、大混乱に陥っている様子だった。クーゴも、叫び散らすグラハムの気持ちが(わかりたくないのに)わかってしまう。

 あの5機は、自分たちが追いかけていた機体ではない。機体の種類としての『ガンダム』ではあるが、全くの別物だ。その証拠に、ガンダムは緑の粒子をまき散らしていない。通信もレーダーも良好だ。機体を構成する材料だって違う。あの5機はガンダニュウム合金と呼ばれる特殊金属を使用していた。

 何故自分たちは、これらの機体を「自分たちが鹵獲しようとしていた機体」だと認識し、追いかけ続けていたのだろうか。冷静に考えてみると恐ろしい状態である。何度見直してみても別物なのに、上層部からの指示で追いかけていた機体はこいつらなのだ。不気味すぎる。

 

 

「……最悪の極みだな」

 

 

 通信機越しで、奴は力なく笑った。

 

 

「“愛しの君”を見間違えた挙句、全くの別人べつものに対して現を抜かしていたとは。これでは示しがつかんよ」

 

「ボケてたのはお前の方だったな」

 

「悪かったからもう言わないでくれ」

 

 

 ボケたと言われて嬉しい奴はいない。仕返ししてもバチは当たらないだろう。

 クーゴはグラハムの傷に塩を塗りこめつつ、もう一度この場を確認してみる。

 

 5機の機体は、コロニー内で戦闘を繰り広げている。OZの部隊が彼らの迎撃に当たっているようだが、あっという間になぎ倒されていった。エースパイロットであるゼクス・マーキスも押され気味であった。

 そこまで考えて気づく。OZとは何だ。ゼクス・マーキスとは誰だ。何故自分は、それを「知っている」ような思考回路でいたのだろう。これこそが、違和感の正体。クーゴは弾かれたように仲間たちを見た。

 彼らも違和感の正体を掴んだようで、険しい顔をして画面と戦場を見返していた。戦況は相変わらず、5機の機体が有利である。自分たちの部隊がどちらにつくかで、このパワーバランスはひっくり返るだろう。

 

 ただ。

 

 どちらに協力しても、面倒なことにしかならない。

 それだけは確実だった。

 

 

「でも、どうします? 上層部の言う機体は、どこからどう考えても『こいつら』ですぜ?」

 

「交戦しますか?」

 

 

 ハワードとダリルが、グラハムに問いかけたときだった。

 

 

「!? な、何だぁ!? 巨大な機体が接近してきたぞ!」

 

 

 藪から棒に、ジョシュアが悲鳴に近い声を上げる。

 

 慌てて彼の視線の先を向けば、某光の巨人に出てくる敵役怪獣――大きな一つ目の怪獣。名前は思い出せない――を思わせるようなMSがこちらに突っ込んでくる。大きさは、自分たちの数倍はあるだろう。

 アプサラス、と、クーゴの口からその単語が零れた。何を意味するのかは分からない。しかし、あの巨大なMSを見たとき、クーゴの頭の中に浮かんだのはその言葉だった。もしかして、これがあの機体名の名前なのだろうか?

 

 5機の機体のパイロットたちも、OZのMSのパイロットたちも、ゼクス・マーキスも、弾かれたように空を見た。ジオン軍の兵器だ、と誰かが叫んだ気がする。

 目玉の中心を思わせるような部分がギョロリと動いた。エネルギーがその一点に充填されていく。あれは砲口のようだ。

 あんなものを、真正面から喰らったら。末路を思い至る前に、体は反射的に動き出していた。

 

 

「っ、避けろ!」

 

 

 叫ぶなり、クーゴは操縦桿を目いっぱい動かした。弾かれたように、仲間たちが慌てて動き出す。

 しかし、放たれた砲撃は容赦なく仲間たちに襲い掛かった!

 

 

「う、うわあああああああーっ!」

 

 

 ハワードの。ダリルの。アキラの。ジョシュアの。

 同じ部隊に所属する仲間たちの通信が、悲鳴を残して断線する。

 

 次の瞬間、視界が真っ白に染まる。

 強い衝撃が機体を襲い、あちこちから爆発音がこだました。

 DENGERの文字が赤く点滅する。体中が軋んだような痛みに見舞われていた。

 

 

「……ワー……、……リル、……シュ……、ア……、……クーゴッ!!」

 

「っ……。グラ、ハム……?」

 

 

 雑音交じりの通信が届く。グラハムのものだ。仲間たちの名前を一心不乱に叫ぶ彼に、どうにか返事を返した。

 

 ノイズまみれのモニターが映し出したグラハムの姿は、文字通りボロ雑巾のようだった。ヘルメットはひび割れ、頭からは血を流している。吐血したような形跡もあった。

 クーゴもグラハムといい勝負である。勝っても負けても嬉しくなければ、そんなことで競う趣味もない。むしろ、地獄絵図の中でそんなことに興じる気分にもなれなかった。

 

 あちこちから黒い煙が立ち上っていた。木々はへし折れ、地面や機体等々、ありとあらゆるものが破壊し尽くされている。クーゴのフラッグも、グラハムのフラッグも、翼をへし折られた鳥のような状態であった。手足はちぎれ、推進力源からは黒煙が漂う。

 ノイズがまた聞こえる。グラハムとの通信とは違うものだ。偶然、他機の通信を拾ってしまったらしい。雑音の向こう側から聞こえたのは、男の笑い声である。辛うじて聞き取れたのは、『サハリン家の悲願』という発言であった。

 ひとしきり高笑いをしていた男の通信が拾えなくなった。それとほぼ同じタイミングで、MSは再びエネルギーを充填していく。MSは気まぐれからか、別な方向を向いて砲撃を放った。白い光が何もかもを焼き尽くしていく。思わずクーゴは目を閉じた。

 

 激しい音と衝撃が伝わってきた。耳をつんざくような轟音、誰かの悲鳴、何かが壊れていく音、爆発音、頭をかち割らんばかりに響くノイズ。

 

 光が晴れたのを、瞼の裏越しから感じ取る。目を開き、クーゴは息をのんだ。通信越しから、グラハムの掠れた息が響く。

 0と1で創り上げられた空間に、自分たちは放り投げられていた。先程まではコロニーの地上面にいたはずなのに、どうして。

 

 周囲を見回す。いつの間にか、自分たちは取り囲まれていた。OZの連中や5機の機体とは違う、緑の量産機。

 

 

『さあ行けアプサラス、すべてを破壊しつくせ!』

 

 

 男の声がした。ぎょっとして顔を上げれば、大きな一つ目を思わせるようなMSが自分たちの頭上に降臨した。ご丁寧に、砲撃の照準は自分たちにぴったり合わさっている。エネルギーは既に充填されていた。

 体の痛みに耐えながらも操縦桿を握り締めたが、フラッグはうんともすんとも言わなかった。グラハムも、クーゴと同じような状況らしい。わけのわからぬまま、わけのわからぬ場所で死ねと言うのだろうか。

 

 

(何もわからぬまま、成す術もなく死ぬのはゴメンだ!)

 

 

 クーゴは心の中で叫ぶ。それもまた、無駄なあがきになりそうだった。

 

 白い光が自分たちに降り注ぐ――ことはなく。

 何の前触れもなく巨体が弾き飛ばされ、その衝撃で、白い光は明後日の方向へと飛んでいった。

 

 

「――!?」

 

 

 息を飲む。青緑色の光を纏った白が、深緑色の巨人に強烈な体当たりを見舞ったのだ。あれこそが白い機体の攻撃であり、白い機体の防御でもある。

 まるで天女を思わせるような機体だ。そこまで見て、クーゴの口元が緩む。あの白い機体は、クーゴたちが鹵獲しようとした機体と同じものだ。デザインは若干変化してしまったものの、輪を背負ったような白い機体には見覚えがあった。

 次の瞬間、美しい紫の光を纏った巨大な刃が、巨大MSを一刀両断した。耳をつんざくような男の悲鳴がガンガン響いてくる。通信は開いていないはずなのに、やけにはっきりと聞き取れた。爆発音と共に断末魔は途切れ、沈黙が残った。

 

 0と1で組み上げられた空間は、緑青に輝く幻想的な光に包まれている。青と白を基調にした機体が、光の中心に降臨した。

 背中から推進源が煌めきを放つ。2つの0が並んだような形の軌跡に、クーゴはかすれた戸息を漏らした。隣にいるグラハムもまた、じっとその機体を見上げている。

 

 例えるなら、それは『天使の降臨』。

 

 天使と天女が大地に降り立つ。翼の折れた戦士を労わり、迎え入れようとするかのように。

 けたたましいノイズを響かせながら、通信のモニターが起動する。

 

 

「そこのユニオンフラッグ、無事か!?」

「大丈夫ですか!?」

 

 

 2人の女性が、自分たちの生存を確認する通信を入れてきた。

 

 画面に顔が映しだされる。天女のパイロットは、オフ会で顔を合わせる女性――イデアとよく似ていた。

 天使のパイロットは、オフ会で顔を合わせる少女――刹那と似た女性。「刹那が20代に突入したらこうなるのではないか」という予想図のようにも見えた。

 

 

「刹那……?」

 

 

 グラハムは弱々しい声で、女性の名前を呼んだ。彼女は満身創痍のグラハムを見て酷くこわばった表情を浮かべる。女性の心が『流れ込む』。ノイズまみれの画像データみたいなヴィジョンのため、詳細は『視えない』。けれど、それでも、断片なら『視えた』。

 

 クーゴはそれに集中する。

 

 ――そうして、世界は暗転した。

 

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 宇宙を覆い尽くす勢いで飛来する、銀色の“何か”。人類の未来を賭けた、異種族との対話(ラスト・ミッション)。可能性を秘めた『人類の希望』――それこそが、女性の翔る機体だった。

 ク■ンタ■バースト。“それを使うことのできる彼女の機体を、金属生命体の中心部へと送り出す”ことが、他の面々に与えられた任務であった。人類が未来を掴む、可能性を握っていた。

 

 対話の道は閉ざされている。あと少しで手が届くのに、巨大な壁に阻まれた。

 道はない。道がない。希望が絶たれる。女性たちは、あまりにも分厚い壁に直面していた。

 その絶望を引き裂くように、鮮烈な群青(あお)が駆けつける。嘗て死闘を繰り広げた、愛しい好敵手。

 

 

『未来への水先案内人は、この私が引き受けた!』

 

 

 その言葉と共に、好敵手は飛び出していく。その先には、巨大な壁。

 『道理を無茶で押し通す』を地で行く好敵手だが、どう見ても無茶で押し通せる壁ではない。

 

 

『何を躊躇している!? 生きる為に戦えと言ったのは、キミの筈だ!』

 

 

 それは、遠い日に、女性が好敵手に贈った言葉だった。

 

 

『行け! 生きて未来を切り開け!!』

 

 

 巨大な障害に阻まれる。それでも好敵手は飛んでいく。鮮烈なまでもの群青(あお)を爆ぜさせながら。

 機体の動力部から溢れる赤い粒子も、より一層輝きを増した。まるで、好敵手の想いに共鳴するかのように。

 障害を突き破ろうとすればする程、好敵手は己の命を削っていく。彼の纏う気迫が、何人たりとも彼を止めることを赦さない。

 

 

『これは、死ではない! 人類が、生き残るための――!!』

 

 

 吐血しても、体を蝕まれようとも、命が削られていこうとも、男は止まらなかった。止まるような性格ではないと、女性は長い付き合いで理解していた。

 怖いくらい真っ直ぐで、何事に対しても真摯であろうとした人。愚直すぎるがゆえに、変な方向に走り出すこともしばしばある、難儀な性格をした人。

 

 ――女性を愛してやまなかった人。

 

 

『刹那』

 

 

 不意に、好敵手が女性――刹那の名前を呼んだ。

 

 刹那は、目の前に男がいることに酷く驚いていた。周囲の光景が、激戦区から平原に変わっていたのだから当然と言えよう。どこまでも青い空と、広い平原が広がる。

 そこが好敵手の心の世界だと女性が気づく。男は幸せそうに微笑んで、刹那を手招きした。恥ずかしさに文句を言いつつ、彼女は男の腕に収まる。男は満足そうに頷いた。

 

 刹那はふと、視界の端で起きた異変に気づく。

 男の利き手が、ぼろぼろと崩れ落ちていくではないか。

 利き手だけではない。左半身が、そうしてこの世界そのものが、何かに侵食されるように消えていく!!

 

 男は残念そうに苦笑した。

 

 

『私は、この結末に後悔していない。むしろ、誇りに思う。やっと私は、キミの好敵手に相応しい存在になれただろうから』

 

『……しかし、残念だな。ようやくキミと並べる存在に至れたと思ったのに、キミと、キミのガンダムと決着をつけることが叶わないとは』

 

 

 「この男は、いったい何を言っているのだ」――刹那は心の中で戦慄いた。理解したら最後、彼はここから永遠に『いなくなる』。

 だから、彼女のすべてがそれを拒むのだ。刹那の表情を見た男は、ますます困ったような顔をする。

 

 

『悲しむ必要はないよ。私は未来の水先案内人。キミの行く末を、ずっと見守っているから』

 

『思うんだ。あの日、キミと3度も出逢った意味を。あの日、キミという存在によって生かされた意味を』

 

『――ああ、そうだな。私はこのために生きてきた。このために生まれてきたんだ』

 

 

 そんなこと、望んでいない。そんなことのために、生きろと言ったわけじゃない。

 

 刹那は大声で叫びたかった。でも、多分、男はそれすら『知っていて』、刹那への言葉を贈っている。

 おそらくは、最期の会話になるであろう言葉を、命が燃え尽きていく中で、必死になって探している。

 

 

『満足して生きた。まあ、心残りがないわけではないが』

 

『もっと空を飛びたかった。仲間たちと一緒に笑っていたかった。副官が作ってくれるであろう、帰還パーティの鍋が食べたかった。カレー味でもいいから食べたかった。最期は青い空で迎えたかった。……酷いな、未練ばかりだ。女々しくて笑ってしまうよ』

 

 

 男は呆れたように苦笑した後、真摯な眼差しで刹那を見返す。

 

 

『しかし、特に心残りなのは2つある。1つめは先程言った、『キミと、キミのガンダムとの決着がつけられない』こと』

 

 

『――もう1つは、『結局最期まで、キミを幸せにしてやれなかった』ことだ』

 

 

 失ってしまった利き腕の代わりに、残った手で、男は刹那の頬を撫でる。慈しみを込めた手つきに、思わず刹那は首を振った。

 男が悔いる理由なんてない。それ以前に、最期だなんて言われる筋合いもない。おまけに、刹那はまだ、男を幸せにしていないのだ。

 壊すことしかできない自分が、誰かに与えたいと思ったもの。それをまだ、彼に手渡していない。手渡せていない。

 

 逝くな、と、刹那は言った。自分でも驚くほど、情けない声だった。

 まだ何も伝えていないんだ、と刹那は言った。今にも泣き出してしまいそうな声だった。

 

 

『それに、……俺はまだ、あんたを幸せにしていない……!』

 

 

 刹那の言葉に、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。目を真ん丸にして、何度も瞬きを繰り返す。ややあって、男は幸せそうにはにかんだ。

 

 

『やはり、私は永遠に、キミに敵わないんだな』

 

 

 男の体が、闇に飲まれる。美しい青空と平原が、真っ黒に塗りつぶされる。

 彼の気配が遠のいた。慌てて刹那は手を伸ばす。だが、何も掴めなかった。

 

 

『最期まで、ありがとう』

 

『キミに出会えて、本当に良かった』

 

『――愛している、刹那』

 

 

 世界が暗転する。次の瞬間、分厚い壁が吹き飛んだ。対話への道が拓かれたのだ。

 

 好敵手の死を悼む時間はない。彼が最期に切り拓いた道が閉ざされる前に、行かなくては。

 操縦桿を動かし、突き進む。男が最期に残した言葉を胸に、ただまっすぐに突き進んだ。

 

 そうして、対話の(とき)は訪れる。

 宇宙に花が咲き誇り、人類の未来は定まった。

 けれどもそこに、彼はいない。――彼が、いない。

 

 

『……あんた、馬鹿だろ』

 

 

―― そうだな。ことに、キミとガンダムのことに関しては ――

 

 

 その言葉に帰ってくるはずの返事は、2度となかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ケトルがかん高く鳴り響く。

 

 まるで、虚憶(きょおく)で見た女性が抱く悲しみを振り払うかのように。

 

 

「っと」

 

 

 現実に戻ってきたクーゴは、反射的に手を動かしていた。火を消すと、ケトルは一気に沈黙する。戸棚からインスタントコーヒーを取り出し、あらかじめ下準備していたマグカップに注いだ。

 普段はコーヒーサーバーおよびバリスタでコーヒーを淹れるのだが、今日は皆、運悪く故障中であった。そのため、今回はペーパーフィルターでコーヒーを淹れている。クーゴはまず初めに、コーヒーを蒸らしにかかった。

 

 ペーパーフィルターの中にあるコーヒーに、乗せるようにして少量のお湯を注ぐ。蒸らし時間は20秒。しっかり図り終えた後、クーゴは次の段階へと移った。

 中心から螺旋を描くようにしてお湯を優しく注ぎ、ペーパーフィルターからお湯が減るのを待つ。暫くして、フィルター内のお湯は3分の1に減った。

 それを確認した後、次のお湯を注いだ。最後の仕上げである。マグカップの中に注がれたコーヒーの量を確認し、調整するようにしてお湯を注いでいった。

 

 湯気が漂うコーヒーが3つ。マグカップの中には、夜闇のような黒い水面が揺れていた。

 

 クーゴは自分のマグカップに注がれたコーヒーを啜ってみる。

 

 

「うん、これなら大丈夫だな」

 

 

 出来栄えに満足しつつ、お膳にコーヒーとお菓子類を乗っける。クーゴの手作りドーナッツと、贈られてきたルバーブとカルヴァドスで作ったジャムである。

 完成したジャムは、カルヴァドスの送り主――パトリック・コーラサワーにも贈ったが、反応はまだ帰ってこない。先日送ったばかりだから当然か。

 

 

(……それにしても、さっきの虚憶(きょおく)は……)

 

 

 ふと、クーゴは手を止めて考えた。

 

 女性の記憶を追体験した虚憶(きょおく)。刹那の面影と同じ名を宿した女性は、異種族来襲による戦いで、最愛の好敵手を亡くしていた。

 ノイズにまみれた映像を思い返そうとする。男の笑い方は、誰かの笑い方とそっくりだった。クーゴにとって見慣れた笑い方だ。

 あと少しで判りそうなのに、確信は霧に包まれたかのようにはっきりしない。それがもどかしくて、クーゴは首をひねる。

 

 そのまま部屋に入ったのがまずかったらしい。ビリーとグラハムがこちらに気づいて顔を上げ、クーゴの顔を見た途端に心配そうな表情を浮かべた。

 2人の様子にクーゴも驚いたが、なんとなく察して、「なんでもない」と笑い返した。お膳に乗せたマグカップを手渡していく。2人はそれを受け取った。

 

 

「うん、おいしい。コーヒーサーバーで飲むやつよりおいしい」

 

「大切なことだから2回言ったのだな、カタギリ。まったくもってその通りだ」

 

 

 コーヒーを啜ったグラハムとビリーは、満足げに微笑んだ。2人はドーナッツやジャムに手を伸ばし、おいしそうに食べ進めていく。

 彼らの食べっぷりを見ていると、本当に料理のし甲斐があると思うのだ。そうして、気づけば料理がどんどん手の込んだものになっていく。

 クーゴは微笑みながら椅子に座り、自作のドーナッツへ手を伸ばす。グラハムとビリーはもぐもぐとドーナッツを貪っていた。

 

 

「最近、どの店のドーナッツを食べても『いまいち』とか『一味足りない』って思っちゃうんだよなぁ。餌付けされてるのかも」

 

 

 ルバーブのジャムをこれでもかとドーナッツに塗りたくりながら、ビリーは困ったように苦笑した。指についたジャムまで舐め取るあたり、相当お気に召したらしい。

 

 いつもと変わらない穏やかな時間が流れる。しかし、今日は別件でここに来たのだ。

 先日、クーゴとグラハムはガンダムの偽物と一閃を交え、本物たちのおかげで五体不満足の帰還を果たした。

 そのときの戦闘データの解析を、ビリーに依頼していたのである。その結果が出たというので、ラボに顔を出したという次第だ。

 

 ひとしきり談笑した後、次の話題に移る。

 クーゴはグラハムを見て、大きくため息をつきながら切り出した。

 

 

「しかしグラハム、あのとき相当無茶しただろ。吐血するって、よっぽどだぞ」

 

「気づいていたのか」

 

 

 グラハムは大きく目を見開いた。困ったように苦笑し、彼は肩をすくめる。

 ガンダムに助けられた後、クーゴはグラハムの利き手のグローブが赤く汚れていたのを見ていたのだ。

 

 

「情けない話だが、あの程度のGで体が値を上げてしまったのだよ」

 

「情けないって……お前こそ、自分のことを過小評価してるんじゃないのか」

 

「乙女座は己に厳しいんだぞ、クーゴ」

 

 

 はっはっは、とグラハムは笑った。星座云々より、彼個人のポリシーの問題のような気がしてならない。それを聞いたビリーが、物凄く恐ろしいものを見るような眼差しを向けてきた。

 

 

「……正直、データのことについて報告しようかしまいか悩んだんだけどさ、見てくれよ」

 

 

 ビリーはそう言って、端末を指示した。たくさんの数字やグラフ、映像資料が指示される。ごっちゃになったデータは、ぱっと見ると、どれが何を意味しているのかさっぱりわからない。

 専門家による、簡単な解説を所望する――クーゴとグラハムが眼差しで訴えれば、ビリーは眼鏡のブリッジに手を当て深々とため息をついた。資料が詳細になり、画面一杯に数字が踊り狂う。

 違う、そうじゃない。詳細が知りたいのではなく、簡略化された説明をしてほしいのだ。もっと言えば、結論が知りたいのだ。クーゴとグラハムの気持ちが通じたのか、ようやくビリーが詳細データを示すのをやめた。

 

 

「結論から言うとね、データ上、『偽物との戦闘で、キミたちは何回も即死している』ってことになる」

 

 

 ビリーの言葉が理解できなくて、クーゴは目を瞬かせた。グラハムも同じらしく、頭の上に大量の疑問符を飛ばしている。

 

 もう一度、ビリーの言葉を確認してみる。『偽物との戦闘で、キミたちは何回も即死している』――言い方は悪いが、基本、人間が死ねる数は1回だと決まっていた。なのに、何度も即死しているとはどんな状態だろう。

 少なくとも、今、ここで、親友の言った言葉に疑問を抱いていることは不可能だ。死んでいたら思考なんてできないし、ドーナッツやジャムも作れないし、談笑だってできないはずなのに。クーゴとグラハムは顔を見合わせ、親友へ視線を戻した。

 

 ビリー・カタギリ曰く、『あの戦闘中、フラッグのパイロットにかかっていたGは、瞬間最高数値で50Gを突破していた』という。しかも、断続的に、一瞬で、何度も50Gを超えたらしい。こんなの、耐G装置があっても無意味なレベルである。『人類が最大何Gまで耐えられるか』を、20世紀末に実験した軍人の記録でさえ46.2Gが限界なのだ。それを上回っている。

 因みに、人類が耐え抜いたGの最高記録は179.8Gと公表されている。こちらも20世紀末の出来事だ。とあるF1レーサーがグランプリの予選で凄まじい大クラッシュを引き起こし――後にそれは「F1史上激しいクラッシュ」と言われることになるのだが――そのレーサーは奇跡の生還を果たした。彼は『最も大きな重力に耐えた人間』としてギネス記録に乗った。

 蛇足だが、100Gといえば、これまた20世紀末頃に起きた日本航空便の墜落事故で、『乗客乗員にかかっていたと思しきG』の数値である。乗客乗員の大人数が即死したとされている程、激しいものであった。46.2Gでさえ、自分の体重が46倍にもなる計算なのだ。50Gに晒されたら、生きていられる可能性は低くなる。100Gに至ったら、それこそ奇跡でも起きなければ生還できない。

 

 

「正直、2人が五体満足で帰ってきたり、血反吐を吐く程度でピンピンしていられるのがおかしいレベルなんだ」

 

「血反吐で『その程度』なのか!?」

 

 

 クーゴとグラハムは、異口同音で言葉を口走った。ビリーは大仰に頷く。

 

 

「ついでに、フラッグも空中分解するレベルだ。なのに、エンジントラブルだけで済むなんて……」

 

 

 ビリーはうんうん唸りながら頭を抱えた。そんなことを言われてもクーゴには本当にどうしようもない。隣にいるグラハムだって同じ気持ちだ。

 他にも、「偽物たちが使おうとした驚異的な高機動(?)による攻撃は謎だらけだった」だの、「ガンダムと偽物」だの、話題はあったような気がする。

 それでも、クーゴは、どうしても、この話題が頭から離れなかった。50Gに耐え抜いて、平然としていられる自分は一体何者なのだろう、と。

 

 思考回路に耽りながら、クーゴはコーヒーを啜る。口にほろ苦い味が広がった。

 ルバーブのジャムがついたドーナッツを齧れば、一際甘酸っぱい味が心に沁みていく。

 

 しかし、どちらの味も、クーゴの心にかかった暗雲を振り払うには至らなかった。

 

 

『ソレスタルビーイングのテロ行為への反発は日に日に強まっており……』

 

 

 ラジオから流れるBGMは、いつの間にか不穏なニュースへと変わっていた。世界はどんどん、薄暗い方向へと動きつつある。ソレスタルビーイングは『世界の敵』という立ち位置を不動のものにしつつあった。

 その奥底に蠢く悪意が『視えた』ような気がして、クーゴは思わず肘をさする。相変わらず、そちらの謎も見えてこない。漠然と感じる不気味さに、何とも言えない気持ちになるのは何故だろう。

 

 

「そういえば、叔父さんが言ってたな。近々、ユニオン、AEU、人革連が軍事同盟を締結するって。おそらく、対ソレスタルビーイング用だろうね」

 

 

 ビリーは眼鏡のブリッジに手を当てた。世界は絶えず動いている、と、嫌が応にも思い知らされる知らせだった。「近々、3大国家の戦力を結集した軍を作り、ソレスタルビーイングと戦う」という話も出ているという。

 以前、3大国家が行ったガンダム鹵獲作戦と似たような規模になりそうだ。だが、どの国だって先の轍は踏みたくない。ソレスタルビーイングと全面戦争するとなれば、鹵獲とは違った戦術を考えなければならない。

 ガンダムに殲滅戦を挑む――できないわけではないが、従来の機体たちでは難しいだろう。何せ、推進力が段違いなのだ。機体性能をどれだけパイロットがカバーしようにも、いずれ限界が訪れる。先日の自分たちのように、だ。

 

 ガンダムに対して優位に立てる力は、どの国も持っていない。殲滅戦を物量重視で押し通すというにも、偽物たちが行った介入のせいで、各国には多大な被害が出ていた。

 じり貧で物量戦など展開すれば、それだけで国は疲弊する。覇権を狙うなら、誰もが避けたい道だった。政治家たちが必死に駆け引きをしているのが『視える』。

 

 

「――?」

 

 

 ほんの一瞬、意識が『飛んだ』。

 

 そこは格納庫らしき場所だった。茶髪の髪を束ねた男が、不敵に笑いながら『何か』を眺めている。反射されて輝くのは、絢爛豪華な金ぴかだ。

 確か、男の名前はアレハンドロ・コーナー。国連大使の1人であり、国連代表のエルガン・ローディックとは上司と部下/犬猿の仲だった。

 何故この男が目の前にいるのだろう。金色が眩しくて、クーゴは思わず目をすぼめる。次の瞬間、世界は再び休憩室へと戻った。

 

 ビリーはドーナッツにジャムを塗りたくり、グラハムは空っぽになったマグカップに2杯目を注ぐ。コーヒーを啜った彼は、味の変化に眉をしかめたが、結局最後まで飲み干していた。

 いつもの日常。クーゴ・ハガネが愛してやまない、穏やかな時間が流れている。混迷する世界の中で、唯一変わらないものだ。変わらないでほしいと願う光景だ。クーゴはぬるくなったコーヒーを飲み干す。

 

 口の中に、渋い味がざらついた。

 

 

 

 クーゴ・ハガネの災難は続く。




【参考および参照】
『おいしいコーヒーのいれ方 知る・楽しむ コーヒーはUCC上島珈琲』より、『レギュラーコーヒーのいれ方』
『Yahoo! 知恵袋』より、『人間は重力何Gまで耐えれますか?』
『Wikipedia』より、『デビッド・パーレイ』、『日本航空123便墜落事故』
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