大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season> 作:白鷺 葵
「あらら。やりすぎたかしら」
アオミ・ハガネはモニター画面を見て、困ったように苦笑した。自分のテコ入れが、思わぬ方向に作用してしまったためである。画面に提示された人物たちの写真と名前には、大きく『死亡』や『行方不明』の文字が躍っていた。
前者は、いかんぜん『運が悪かった』としか言いようがない。逆に後者は、確実に仕留めて欲しかった。行方不明になる直前に重傷を負っていたことは確からしいが、医療機関で治療を受けた形跡はない。まともに治療していないとしたら、死亡した線が濃厚だろう。
まあいいか、と、アオミは流した。抜けてしまった穴を埋める方法はいくらでもあるし、状況の修正も行える。よくよく考えれば、敵となりうる存在の戦力を減らすことができたのだ。自分の知る『知識』からは大幅に逸れるものの、こちら側へのデメリットは皆無に等しい。
テコ入れするための準備は、着々と進めている。現在、一番の懸念材料はイレギュラーたちの部分だ。特に、ユニオン軍のオーバーフラッグス部隊に所属していたアオミの弟――クーゴ・ハガネの存在である。奴はグラハム・エーカーの副官であり、本来死すべき定めの者を救い上げた張本人であった。
ジョシュア・エドワーズとハワード・メイスン。前者は完全にピンピンしており、新機体ジンクスに搭乗し『
定めと言えば、ダリル・ダッジも似たような立場にいた。アオミの『知識』通りに進めば、ダリル・ダッジも命を落とす。ガンダムを相手にした仲間たちの戦死が、グラハム・エーカーを歪ませていくはずだった。『知識』通りに進まない現実に、アオミは苛立たしげに息を吐いた。
(“彼”の刃は、この舞台に必要不可欠なのに)
アオミの『知識』の中では、人間でありながらガンダムマイスターと互角に戦える、数少ない人物であった。
リボンズ・アルマークや、他のイノベイドたちも、彼をそう称した程だ。
「何としてでも、戦力に引き入れないと。どこかに方法は……」
苛立ちをぶつけるようにしてキーボードを叩く。画面には、グラハム・エーカーの顔写真と経歴がつらつらと表示された。
考えなければならない。彼に歪みを与え、4年後の世界で“仮面の男”となってもらうためには。邪魔者であるイレギュラーを処分するためには。
幾何かの時を置いて、アオミはデータを保存して電源を落とした。
「こんなものかしら」
端末画面を確認し、アオミは楽しそうに目を細める。「先日完成した新型ガンダムをテストしたい」という“彼女”の報告も聞きたい。万が一のことと有している『知識』の部分から、護衛――アリー・アル・サーシェスも一緒に送り出したから大丈夫だろう。
もう少したてば、チーム・トリニティが壊滅。そこで、刹那・F・セイエイがサーシェスと対峙し追いつめられる。時を同じくして、アレハンドロ・コーナーはイオリア・シュヘンベルクのカウンタートラップに直面するだろう。トランザムが解放され、それで彼女が奴を撤退させる――。
アオミは有する『知識』をなぞりつつ、テスト中である“彼女”と作戦を確認する。あくまでも、今回の目的は『チーム・トリニティの壊滅』だ。そちらが済み次第、“彼女”には「サーシェスに後始末を任せて離脱」してもらう手はずとなっていた。
“彼女”やサーシェスの機体にも、トランザムシステムは組み込まれていた。
但し、前者は「ソレスタルビーイング製ガンダムの目の前では使ってはいけない」と釘を刺し、後者は「サーシェスが使えないように改造し直した」が。
(サーシェスには『知識』通り退場してもらわなきゃいけないから、悪い意味で“奴の強化に繋がりそうな
問題は、チーム・トリニティの教官を務める男が乗る機体――νガンダムだろう。ブラックボックスの解析がうまくいかなかったため、正確な強さがわからない。
解析できている部分だけを参考にすると、“彼女”が搭乗する機体の方に軍配が上がる。だが、相手はアオミの『知識』が届かないイレギュラーなのだ。注意するに越したことはない。
端末から途中経過が届いた。自動で送信されてくる報告に目を通す。現在、“彼女”が搭乗する機体は、チーム・トリニティの面々を嬲りものにしている真っ最中だという。
「成程。本当のことを言っちゃったのね。『お前たちは使い捨てられるために生み出された、ガンダムマイスターの“出来損ない”』……。それなら、トリニティの面々が戦意喪失して動かなくなっちゃうのも当然か」
端末画面に映し出されたのは、武装すべてを切り落とされたスローネたちだ。対抗する術を失った3機のガンダムが大地に転がっている。
今頃、コックピットに座る兄妹は、愕然とした表情で絶望と対峙しているだろう。彼らが教官と慕う男が来る様子はない。
これなら何も問題ないだろう。アオミは満足げに微笑んで、次の情報を確認する。国連軍の軍隊は、作戦のために宇宙に留まっていた。
「こっちも報告待ちか」
アオミは端末をしまい、ソファに腰かける。
世界は自分の掌の上。
その事実を噛みしめながら、静かに瞼を閉じた。
◆
「アルヴァーシス・ジス・ライヒヴァインという名前を覚えていますか?」
ラグナ・ハーヴェイが、亡霊を見たかのような表情でこちらを見上げている。
無理もない。自分の一族が殺した人間が目の前にいるのだ。信じられないのは当然だろう。
「あ……アルヴァーシス・ジス・ライヒヴァイン……!? まさか、貴様は――」
「――ああ、その
ノブレス・アムは吐き捨てるように言い放ち、奴の胸倉に銃を突きつけた。ラグナは悲鳴を上げる。
「知らない。わ、私は何も知らないんだ……! 祖父が犯した罪とは無関係だぁ!!」
「貴方にしてみればそうでしょうね。ですが、僕からしてみれば、貴様ら一族はどいつもこいつも一緒ですよ。僕たちが生み出した技術を盗み、自分のものとして、ここまでの発展を遂げ、富を得てきたのですから」
ノブレスの言葉を聞いたラグナは、涙と鼻水でまみれた醜悪な顔を歪ませた。本来だったら、ラグナの祖父にあたる男がここで泣き叫んでいたはずだった。しかし残念なことに、奴は寿命という死神によって葬られてしまっている。
この場に第三者がいたら、復讐の刃を収めろと諭されるのかもしれない。しかし、ノブレスは復讐心だけに駆られて銃を向けている訳ではないのだ。安全装置を外し、引き金に手をかける。ラグナは顔面蒼白になった。
「何故だ!? どうして、どうして我が一族だけが……! ライヒヴァイン家の事件で、実際に手を下したコーナー家は!? 貴様が使われているコーナー家こそ、本来の復讐対象ではないのか!?」
殺すなら、そちらの方が先だろう――ラグナの表情は、そう訴えている。
彼の言葉を聞いたノブレスは、ゆっくりと微笑んだ。
自分は今、薄ら寒い笑みを浮かべているだろう。ラグナの表情が凍り付いた。
「大丈夫ですよ。もう少し時間が経過すれば、じきに、貴方もアレハンドロと顔を合わせることになります。――あの世でね」
「積もる話もあるでしょうから、そのときにゆっくり話せばいいでしょう」と、ノブレスは笑った。
この瞬間まで、本当に長かった。今までの時間を思い出しながら、ノブレスは目を細める。
嘗て、ソレスタルビーイングの監視者一族に名を連ねていた名家があった。
かの一族は、コーナー一族/一派の野心に気づいていた。監視者の一族として彼らを告発し、イオリア計画を歪めるものとして、監視者から追放しようとしていた。
しかし、彼らの動きを事前に察知したコーナー一族とその一派によって、事故に見せかけられ、一族露頭皆殺しにされた。その事件は不審火で片付けられてしまっている。
今から60年ほど前に断絶した血筋の人間が、今も生き残っているだなんて、ハーヴェイもコーナーも予想できなかったのだろう。
「何故今更、姿を現したんだ!? 復讐にしても時間が経ちすぎている……!」
「時間? そんなもの、僕にとっては関係ないことです。尤も、今の僕には、復讐以前に果たさねばならない務めがある」
「つ、務め……!?」
ノブレスの言葉に、ラグナは茫然とこちらを見上げた。
それに応えるようにして、ノブレスは屹然と奴を睨む。
「真の監視者として、告げる。貴様のような汚らわしい者の存在を、許しておくわけにはいかない」
この瞬間を待ち望んでいた。
研ぎ澄ました牙を向く、1回目。今まで生き永らえてきた理由。務めを果たす
イオリアの祈りを裏切っただけでなく、私利私欲に走るためにライヒヴァイン家を根絶やしにした一族の末裔を――裁く。
「裏切り者、ラグナ・ハーヴェイ。お前はいなくなれ」
躊躇うことなく引き金を引いた。破裂音が響き、ラグナの体が大きく跳ねる。ややあって、こと切れたラグナの体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ノブレスは無感動にそれを見つめる。果たすべき務めを果たしたのに、何の感慨も湧かなかった。まだ終わりではないと自覚しているからだろう。
本当に狙うべき獲物。手をかけるには、まだまだ時間が必要だ。拳銃をしまい込んだのと同じタイミングで、ノブレスの持っていた端末が派手に鳴り響いた。
暗号通信。送り主は、ヴェーダ掌握の手続きを進めるリボンズ・アルマークのものだ。
新たなアンノウンの出現。そいつの攻撃により、トリニティ兄妹が危険な状態に陥っているらしい。
ノブレスは即座に『飛んで』、νガンダムのコックピットに転移した。操縦桿を動かし、彼らが戦っているポイントへ向かう。
(くそっ、よりにもよってこんなときに!!)
ノブレスはνガンダムを加速させた。もうこれ以上、何も失いたくはない。奪われたくはないのだ。
絶望に満ちた声が『聞こえる』。死ぬために生み出され、使い潰される命。自分たちはすべてから見捨てられてしまったと嘆く声がする。トリニティ兄妹のものだ。
彼らを追いつめる声が『聞こえる』。一番信頼していた人間が助けに来ないことが何よりの証拠だと、女が嗤っていた。その声には聞き覚えがある。
どうやら、本当の意味で危険度が高かったのは、アレハンドロではなかったようだ。今となっては後の祭りである。ノブレスは舌打ちした。
伝家の宝刀が頭をよぎる。本来ならば、もう少し温存しておきたかった力である。
しかし、今、『それ』を抜かなければ、伝家の宝刀は
ノブレスが守りたいと願ったものが、失われてしまう。そんなのはもう御免だ。
「――ESP-Psyon起動。GNドライヴ、出力、フルブラスト! 量子ワープホール展開!」
ノブレスは躊躇うことなく、
サイオンバースト。『同胞』の持つ力を最大限に発揮した。νガンダムの眼前に、緑の渦が出現した。機体を覆うかのように、青い光が迸る!
「飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
言葉通り、ノブレスは『飛んだ』。先程までは海の上を飛んでいたνガンダムは渦を通り抜け、一瞬で、リボンズから送られてきた座標ポイントへと転移する。
眼下に見えたのは、漆黒の翼を生やした天使。女性的なフォルムには見覚えがある。レギナの系譜となった“とあるガンダム”とよく似たデザインだが、そのMSには翼など存在しなかった。
そのMSのデータは、ヴェーダにも登録されていた。但し、『
漆黒の翼を生やした機体は、
「人の教え子に、手を出すなァァァァァァァァ!」
νガンダムはビームサーベルを引き抜き、急降下する。振り返った告死天使は、ビームサーベル代わりに双鎌を構えて攻撃を受け止める!
バチバチと火花が飛び散った。鍔迫り合いを繰り広げ、距離を取り、切り結びを繰り返した。金属同士が噛み合うような音が響き渡る。
『そんな……! ラグナ・ハーヴェイを始末した後だとしても、わずかな時間でここに来れるはずが――!』
パイロットの声が『聞こえる』。成程、敵/女はノブレスが『ラグナ・ハーヴェイの始末/粛清に行く』ことを知って、トリニティ兄妹を襲撃した。それなら、襲撃に気づいたとしてもνガンダムはスローネ救出に間に合わない。その間にトリニティ兄妹の真実を暴露し、絶望させ、処分しようとしたのだろう。
意地の悪い奴らだ。自分のことを棚に上げながら、ノブレスはビームライフルの照準を告死天使へと向けた。死ぬのは貴様の方だと言わんばかりに撃ちまくる。雨あられのように降り注ぐ攻撃に、告死天使は驚きを隠せない様子だ。パイロットにとって、想定外の攻撃力だったらしい。委縮したような感情が漏れていた。
後ろの方から声が『聞こえる』。絶望に打ちひしがれていた、トリニティ兄妹のものだ。
『来てくれた……! 教官が、助けに来てくれた!!』
『教官は、俺たちを見捨てなかったんだ……!』
『教官……! ……ほんの一瞬でも、貴方を疑ってしまった自分が恥ずかしい』
ネーナが、ミハエルが、ヨハンが、希望を見るような眼差しでノブレス/νガンダムの勇士を見つめている。ああ、尚更、自分は負けるわけにはいかない。
彼らの教官として、相応しい自分であるために。今度こそ、大切なものを守り抜くために。ノブレスは操縦桿を握り締めた。
『人の心の光』を示した「伊達じゃない」ガンダムが、座天使を葬り去るために降臨した告死天使と対峙する。
戦いの火蓋は切って落とされた。
青い光を纏ったνガンダムは、教え子の運命に挑む。
◇
圧倒されている。自分の駆る新型が、スペックの劣るνガンダムに押されているのだ。あまりの出来事に、少女は歯噛みした。
シミュレーションは何度も何度も繰り返したし、つい数刻前にはスローネ3機を破壊寸前まで追いつめたというのに。
確かに、少女は元々、パイロットの訓練を積んでいなかった。実戦経験はシミュレーター以外積んだことがない。
(力負けしている……!? 私のガンダムが? 嘘でしょう!?)
世界を変える最強の剣――それが、自分の翔るガンダムではなかったのか。製作者である“彼女”が、少女に嘘をつくとは思えなかった。そこまで考えて、少女は思い出す。
“彼女”は言っていた。『νガンダムのブラックボックス解析は不十分のため、本当の実力は未知数である』と。その、未知に当たる部分が、自分たちに牙を向いたのだ。未知数の部分が想定外だったのだ。
νガンダムの機体が身に纏う青い光。あれが、解析できなかった未知の部分なのだろう。少女はごくりと生唾を飲み干した。世界を変える剣が折れたら/失われてしまったら、少女はちっぽけな存在に戻ってしまう。
出来損ないの兄のせいで、自分はすべてを奪われた。年相応の幸福も、自由さえも残さずに。だから、世界を変えてやりたかった。
直接は不可能。だから、間接的な方法で世界を動かしたかった。ソレスタルビーイングに出資していたのも、そのためである。
世界を変えたい。その想いの強さに共感してくれた同志がいた。真の変革を成しうる『革新者』として相応しいと言ってくれたのだ。
“彼女”は、少女に力を貸してくれた。その権化が、今、自分が搭乗するガンダムである。この機体は、少女にとっての拠り所でもあった。この機体が敗北するということは、自分の願いが潰えることを意味する。
世界を導く者として、世界を革新する存在となる――世界の変革を見たいと望んだ少女の、新たな願い。本当は成し遂げたかったことを、ガンダムは叶えてくれる。その力を、自分は持っているのだ。そう、世界に示したい。
「私は、幸せになりたい。こんなクソみたいな世界なんて嫌い」
お嬢様にしては相応しくない言葉使いだ。同じお嬢様でありながら、畏まったときと平時を使い分ける“彼女”に影響されたのだろう。こんな変化も悪くない。
「私は……私たちは、世界を変える者。その資格を有している。……そうでしょう? ――私の
少女の言葉に応えるように、漆黒のガンダムは輝きを放つ。
そうだ。自分たちはまだ何も変えていない。世界を変えるために、今を生きている。
世界の変革を成し、
未知の部分が何だ。少女には、変革を成す刃がある。
切り札はまだ、切られていない。今こそ、それを切るときだ。
「――トランザム!」
少女の声を鍵にして、切り札――トランザムシステムが起動する。漆黒のガンダムは赤い光を纏った。少女の告死天使は即座に武器を展開し、νガンダムに攻撃を仕掛ける!
先程、押され気味だった力がひっくり返る。νガンダムの速度を軽々と追い抜き、漆黒のガンダムは武装を展開した。距離を取り、大量のワイヤーを撃ち放った。νガンダムはファンネルでワイヤーを撃ち落としたが、本命は近接攻撃だ。
少女のガンダムは二刀流の鎌を振り回してνガンダムを切りつけると、即座に飛行形態へ可変する。勢いそのままνガンダムを追い抜くと、方向変換して突っ込んだ! νガンダムはすれすれで躱すが、攻撃はまだ終わっていない。
飛行モードからMS形態へ戻り、振り向き様に砲門を向けた。4つのそれは毒々しい赤紫の光を充填させる。νガンダムが振り返ったのと、少女が発射スイッチを押したのはほぼ同時。極太のレーザービームが、νガンダムに襲い掛かった!
シミュレーターで何度も練習したコンバットパターンだ。優秀なOSと耐G性能のおかげで、全然なんともない。
荘厳で神聖な紫の光がνガンダムを飲み込む。光がすべてを焼き尽くす直前に、相手が防御を取ったのが伺えた。
それがどうしたと言わんばかりに、光はνガンダムを焼き尽くす。最後の最後で、こちらの攻撃がシールドの耐久力を上回ったらしい。光が弱まったのと同じタイミングで、νガンダムが爆ぜたのが見えた。
砲撃の威力に耐えられず、νガンダムは地面に伏した。ああ、呆気ない――少女は笑う。そうして、感嘆に震えた。これが自分の力なのだ、と。
νガンダムは辛うじて無事だったが、至る所が損傷していた。白い部分は黒く焼け焦げ、間接部分は火花を散らし、あちこちから黒煙を上げている。
(満身創痍、ね)
少女はくすりと微笑んだ。先程まで、相手を恐れていたことが嘘みたいだった。自分は何を怯えていたのか、と、半ば呆れにも近い気持ちになる。
νガンダムは動かない。このまま嬲り殺しにすることも可能だ。スローネ3機がνガンダムを見る様は、搭乗したパイロットたちの絶望を反映していた。
彼らの様子を眺めていた少女は、ゆるりと目を細める。それは、力を持つ者故の余裕であり“気まぐれ”であった。νガンダムとの通信を開く。
通信画面に映し出されたのは、傷だらけの仮面の男。額に傷を負ったのか、仮面の下から血が流れている。その様は、哀れでもあった。
「最期に、言い残したいことはなくて?」
「……おかしいな。貴女は、そんな性格だったかな?」
最後の慈悲として、少女は男に問いかけた。
対して、仮面の男は意外そうに首を傾げる。
「それが最期の台詞?」
「まさか。ならば僕は、もう少し別なことを言いますよ」
「早くしていただけません? レディを待たせるのは、殿方としてあるまじき行為ですわ」
余裕を失ったが故に地を出した男に対し、少女は茶化すように促す。
男の死は、トリニティ兄妹を更なる絶望に突き落とすことになるだろう。また、彼らを嬲ることができる――少女の胸が震えた。後ろ昏い喜びに、体中がぞくぞくする。
通信回路からは荒い呼吸が響いてきた。今頃、辞世の句の1つや1つでも考えているのだろう。世界を変える力を持たなかったがゆえに、淘汰される弱き者。その相手に、引き金を引くのは自分。
他者の命を自由に握り潰せるというのは、なんて楽しいことなのだろう。強大な力を握った今の自分ならば、ちっぽけな人間の運命など簡単に変え/歪められる。少女は口元を緩ませた。
何かを決したように、深く息を吐く音がした。
仮面の男の口元は、静かに弧を描いていた。
「……こう見えても、僕は技術者の端くれでしてね。……技術者なら、誰しもが『一生に一度は言ってみたい』台詞があるんだそうです」
「今際の台詞はそれがいいですね」と、男は笑った。死にゆく寸前よろしく、弱々しい声であることには変わりないが。
少女は男を促す。彼は俯いた。何かの覚悟を決めようとしているかのようだ。幾何かの間をおいて、通信が男の声を拾い上げる。
「―――――――――――」
しかし、ノイズが酷くてよくわからない。
「聞こえませんわよ? もう一度」
「――な――も―――かと……」
やはり、ノイズが酷くてよくわからない。
「聞こえませんわよ? もう一度」
「――……こんなこともあろうかと……」
少女が問いかけたとき、突然、男ががばっと顔を上げた。仮面をしていてもわかる、不敵な笑みを湛えて言った。
「こんなこともあろうかと!」
次の瞬間、νガンダムの機体から、青い光が舞い上がる。
否、機体からではない。男が纏うオーラが、機体から溢れる光そのものだった。
そうして、男はダメ押しとばかりに叫んだ。
「――こんなこともあろうかとォォォォォォォォォォ!!」
◆
ネーナ・トリニティは見ていた。澄み渡る空のような青い光を纏い、再び空を舞ったνガンダムの姿を。
ネーナ・トリニティは見ていた。νガンダムの周囲に残像が出現し、告死天使の元へと向かった姿を。
ネーナ・トリニティは見ていた。
告死天使はνガンダムの群れを撃ち落とす。なのに、νガンダムは平気の平左で飛び回っていた。
『確かにレーダーでは撃ち落としたはず……っ!? ――まさか、これが“質量を持った残像”!?』
『しかも脳波コントロールできる! 僕のサイオンバーストの副産物を応用した結果が、僕のESP-Psyonに反映された、この力だ!!』
どこかで聞いたことのある少女の声に、満面の笑みを浮かべて答えたであろうノブレスの声が『聞こえた』。命を燃やすかのように、νガンダムは怒涛の攻撃を仕掛ける。デコイの目くらましに、告死天使が翻弄される。
残像は『能力発動の副産物で発生する現象』だが、その熱源をセンサーが誤認してしまうために、相手は残像を攻撃してしまう。発生したそれを囮として利用することで、事実上の奇襲戦法となっているのだ。
しかも、『脳波コントロール可能』ということは、『“質量を持った残像”を、己の意志で縦横無尽に動かすことが可能だ』――ということらしい。丁度、告死天使を弄ぶようにして飛び回っているように。
どこからかノブレスが解説してくる声が『聞こえた』。しかし、今のネーナには、νガンダムと告死天使が鍔迫り合いを繰り広げる光景を見ていることしかできなかった。
先程までの圧倒的不利を、ノブレスは覆したのだ。その現実を見るだけで、希望が目の前にあるような心地になる。無意識的に、ネーナは操縦桿を握り締めていた。
『それだけじゃあないんですよ! 教え子を酷い目に合わせたツケとして、とくと味わって貰いましょうか!!』
彼の言葉使いに違和感を感じたとき、残像たちが告死天使に向かって攻撃を仕掛けた。レーザーガンを撃ち放つ機体、バズーカの実弾で攻撃する機体、ビームサーベルで白兵戦を仕掛ける機体、ファンネルを飛ばしてくる機体など、様々な攻撃を繰り出す。
それらはすべて、熱源による誤認としての“質量のある残像”ではない。残像ひとつひとつが個体/実像に近い核を持ち、攻撃手段を有している。もはや、実像と言っても過言ではない。――まあ、すべて、『聞こえてきた』彼の説明を要約したものだが。
ノブレスは“実像と同等の残像”を駆使し、1人で数人分の連携を繰り広げる。不意に、300年前日本に実在した芸能人の名前が脳裏によぎったが、口に出してはいけないような気がして黙ることにした。ネーナが脱線している間に、戦況はノブレス優位で進んでいく。
『残像だと侮ることなかれ。当たると痛いですよ!』
『な、なんて厄介なのッ!!』
ファンネルの攻撃を縫うようにして躱した告死天使に、レーザーガンとバズーカの雨あられが降り注ぐ。更にファンネルの第二陣が纏わりつき、舌打ちする少女の声が『聞こえた』。
レーダーが当てにならないせいで、どの残像が本物なのかがわからない。ネーナたちも同じため、残像たちが被弾するたびにハラハラする。その都度、展開された残像が消えないでいる光景に安堵するのだ。
次の瞬間、攻撃の雨あられでガードが緩んだ告死天使の斜め右上から、νガンダムが懐に飛び込むようにして急降下する。各遠距離兵器および白兵戦を仕掛けてくる残像に翻弄されていた告死天使は、反応がワンテンポ遅れた。
しかし、ノブレスにはそれだけで充分だったらしい。次の瞬間、彼は告死天使に向かって蹴りを叩きこんだ!
体勢を崩した告死天使に群がるように、νガンダムたちは殺到する。己の持ちうる武装すべてを展開し、豪雨を思わせるような攻撃を仕掛けた!
いくら機体のスペックが高くても、限界はある。四方八方から降り注ぐ遠距離兵器と、態勢が崩れて無防備なところへ叩きこまれた攻撃に敵う筈がない。
『くぅぅ……ッ!』
ついに、告死天使が地に伏した。少女のうめき声が『聞こえる』。対するνガンダムもボロボロだ。
紙一重ではあるが、ノブレス/νガンダムは少女/告死天使を見下すほどの余裕があった。
兄たちが感嘆の声を上げる。ネーナもその1人だった。やはり、教官は強かった。自分たちなんかより、ずっと。
荒い呼吸を繰り返しながらも、ノブレスは王手をかける。残像たちを従えたνガンダムがビームサーベルを振り上げた。
この場にいる誰もが、ノブレス/νガンダムの勝利を確信していた。
この場にいる誰もが、少女/告死天使の敗北を確信していた。
『――ッ!?』
不意に、戦慄したように空を仰いだノブレスの姿が『見えた』。まるで、彼の心を直接読み取ったかのように、ノブレスの驚愕が伝わってくる。
東雲色の空。ノブレスの眼差し/νガンダムのカメラアイが、空の向うを睨む。そのタイミングを計ったかのように、乱入者の声が響く。
「――ところがぎっちょん!!」
乱入者は、無数の“質量のある残像”など一切気にする様子もない。
次の瞬間、