大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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幕間.名もなき者の戦場、あるいは星屑の夢を見る若者たち

 

 男は1人、静かに時を待っていた。

 

 狙いを定めて、引き金を引く。なんてことのない作業だ。言葉にすると12文字で、時間にして考えれば数秒もかからないだろう。“シミュレーターで重ねてきた訓練を発揮する”――ただ、それだけにすぎない。

 男が駆る“紅蓮の不死鳥”は、双剣の切っ先を、ただ1点に向けていた。直線状にあるのは、スローネ・ドロフォヌス。アリー・アル・サーシェスが搭乗する機体である。彼は現在、ロックオン・ストラトス及びデュナメスを探している最中であった。

 サーシェスは知らない。ロックオンは既に、デュナメスをプトレマイオスに避難させていることを。彼がGNアームズの残骸を使い、復讐を果たそうとしていることを。そうして――男が、彼の命を奪うために、照準を向けていることを。

 

 

「私の合図に従って頂戴。いいわね?」

 

「了解しました」

 

 

 モニターに映る少女の言葉に対し、男は静かに頷いた。双剣の柄に刻まれたレリーフが赤く光を放つ。GN粒子のチャージが完了した合図だ。

 あとはタイミングを待つのみ。ドロフォヌスがロックオンの居場所――GNアームズの砲台へ迫る。次の瞬間、藤色の光が砲口から撃ち放たれた!

 

 砲撃はドロフォヌスの下半身を抉るようにして着弾した。しかし、サーシェスは紙一重で直撃を回避し、反撃までしてみせた。赤い光は装甲の砲口を貫き、小規模の爆発が巻き起こる。その余波によって、ロックオンの体は宇宙を舞った。

 男は吹き飛んだドロフォヌスに照準を合わせる。爆散を免れたとはいえ、搭乗しているパイロットはただで済まない状態だ。いくらサーシェスが百戦錬磨の傭兵でも、弱っている状態であれば討ち取るのは容易いはずである。

 

 モニターに映る少女は、楽しそうに笑っていた。男はひっそりと目を細める。

 

 

(ソレスタルビーイングに協力するようになって、この子はとても楽しそうな顔をするようになった。……そして、己の手で世界を革新させることができると知って以来、更に表情が輝いているように思う)

 

 

 その事実は、喜ばしいことだ。この世界に絶望していた少女が、年相応のはしゃぎようを見せている。

 本来なら、少女は財閥の娘として、人並みの幸福を享受しているはずだったのだ。それを壊したのは、他ならぬ男性自身。

 跡取りとして生まれた自分が出来損ないだったために、そのしわ寄せがすべて少女に降りかかった。

 

 少女は優秀であった。愚鈍な男とは比べ物にならない程だ。しかし、それ故に、当主は少女に期待した。少女を『己に対して従順な後継者』としての教育を叩きこんだのである。男は厳しい教育を受ける少女を見ていることしかできなかった。助けてやる方法など思いつかなかった。

 先代当主が鬼籍に入ったことで、地獄のような教育から少女は解放された。『青春時代を奪われた』という悲しみは、現在でも少女の心に影を落としている。そのためか、彼女が浮かべる微笑みは、どこか歪んでいるように思えていた。

 

 その表情に感情が浮かんだのは、いつからだろう。本来ならば男が何とかしなければならなかった。だが、少女を救い上げたのは男ではない。少女と似たような悩みを抱えていた、1人の女性であった。

 

 彼女の理想が少女を活かし、彼女が作り上げた変革の刃が少女に力を与える。そうして、少女は幸福を得たのだ。男がどんなに首を振っても、否定できない事実である。しかし男は、どうしてだか、一抹の不安を拭えなかった。

 女性が少女に与えたものは、確かに少女が望んだものである。変革の刃が少女にとって拠り所であり、幸せを意味する存在となったのも事実だ。少女の幸せを願っていた男にしてみれば、女性は男の望みも叶えてくれたと言える。

 しかし、本当にそれは、少女にとって『幸福』と言えるのだろうか。本当に、少女にとって『幸福』となり得るのだろうか。考えてみても、愚図な男では答えを出すことができない。少女を引き留める力など、無いに等しかった。

 

 

(お前が幸せなら、それでいい。そのためなら、私はいくらでも引き金を引こう)

 

 

 少しでも、少女の役に立ちたい。彼女の幸せを手助けする存在になりたい。

 それが、男にとっての――せめてもの罪滅ぼしだ。

 

 

「今よ!」

 

 

 少女の合図に従い、男は照準を合わせて引き金を引く。双剣の切っ先に隠された砲口が姿を現し、エネルギーを撃ち放った。

 

 もし、現在位置でドロフォヌスに攻撃が着弾した場合、近域を漂うロックオン・ストラトスは高濃度のGN粒子に晒されることになる。高濃度GN粒子を浴びたガンダムマイスターが即死したというデータは入手していた。計算上、ロックオンは「日常生活は送れるが、ガンダムマイスターに復帰するのは不可能に近い」状態になるそうだ。

 「2307年時点でマイスターとしての適性値が高いのはロックオン・ストラトスである」という話は、自分たちに力を与えた張本人が言っていたことだった。男がそんなことを考えている間に、赤い光がドロフォヌスめがけて突っ込んでいく。機体のOSは直撃という計算を叩きだしていた。結果も計測と同じだろう、と、男が無感動に思ったときだ。

 

 別方向から、一筋の光が煌めく。宇宙を切り裂くような、紫の閃光。その砲撃は、“紅蓮の不死鳥”の攻撃を阻むかのように降り注いだ!

 赤と紫電がぶつかり合い、盛大に爆ぜる。近くにいたロックオンは、砲撃とGNアームズの爆風に吹き飛ばされた。そのまま、彼は宇宙空間を漂う。

 目的失敗。少女が舌打ちしたのと同時に、修正用のプランが提示された。男はそれに従い、GNアームズに照準を合わせる。爆風に乗せて、高濃度GN粒子をばら撒くためだ。

 

 今度こそ、と、男は引き金に手をかけた。少女の合図を待つ。

 ぴりぴりとした緊張が漂う。

 

 

「撃って!」

 

 

 少女の合図に従い、男が引き金を引こうとして――流星の如く、青い光が飛来した!

 間髪入れず、青い光を纏った“何か”が、こちらに4つの砲口を向けた。光が4つ灯り、光が降り注ぐ!!

 

 

「ちぃ!」

 

 

 男は操縦桿を動かした。攻撃を回避しながら対になる砲剣の照準を合わせ、飛来した光を――その奥にあるGNアームズの残骸含めて、撃つ。引き金を引いたか否やのタイミングで、更に光が降り注いだ! まるで、男が引き金を引くタイミングを待っていたかのようだった。

 砲剣に着弾したその一発が、ほんのわずかだが、狙いを逸らしたのだろう。赤みを帯びた白い光は、GNアームズを掠め、宇宙の彼方へと溶けてしまった。癇癪を起す少女の声が通信越しから響くけれども、男にはどうすることもできない。

 エクシアがロックオンを救出しようと近付いてくる。しかし、エクシアの手はロックオンを救い上げることはなく、無情にもGNアームズが爆発した。男の姿は爆風に飲まれる。レーダーに表示されていた生体反応はふつりと途切れてしまった。

 

 

『ロ……ロックオォォォォォォン!!』

 

 

 エクシアのパイロット――刹那・F・セイエイの慟哭が響き渡る。それと入れ違いになるように、“何か”の姿が宇宙(そら)へと溶けるようにして消え去った。謎の敵を捉えていたレーダーが沈黙する。ドロフォヌスの方も、いつの間にか行方知れずになっていた。

 

 

「……ロックオン・ストラトスは死亡、アリー・アル・サーシェスや襲撃者たちにも逃げられたようです」

 

「なんてこと……! っ、だから貴方は愚図なのよ!!」

 

 

 通信越しから響く罵倒の声を、男は静かに受け入れた。自分にできることは“少女の革新に力を貸す”ことしかなかったのに、それすらも失敗したとは。

 少女には、自分のせいで沢山の不幸を背負わせてしまったのだ。彼女からの罵倒で傷つく資格など、男にありはしない。ただ黙って耐えていた。

 

 しばし男を罵倒していた少女は、何かに気づいたように言葉を中断した。彼女は端末を開き、話を始める。相手はおそらく、少女に力を与えた張本人であろう。幾何かの間をおいて、少女は端末を切った。

 

 

「もう、この場に貴方は必要ないわ。帰投して頂戴」

 

「了解しました」

 

 

 「プランの練り直しを……」という少女の呟きを最後に、通信は途絶えた。男は無言のまま操縦桿を動かす。

 “紅蓮の不死鳥”は緑色の粒子をまき散らしながら、宇宙(そら)の闇へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 澄み渡った青い空が広がっている。吹き抜ける風が気持ちいい。太陽の光のせいか、ひどく眩しかった。

 視界の端から端まで白いヴェールがかかっているかのようだ。「フィルター越しから景色を見ている」と言った方が近いのかもしれない。

 

 

□□(□ら□ぐ)

 

 

 『誰か』に名前を呼ばれた。聞いたことのない、男の人の声だった。彼の声はとても優しくて、慈愛に満ち溢れている。

 

 少年の名前を呼ぶ声の中に、こんなにも優しい響きを宿しているものがあるだなんて思わなかった。『母』や兄たちは少年を蔑んでいたし、周囲の人間も、少年には興味がなさそうだった。『誰か』は優しく微笑み、また、少年の名前を呼んだ。

 少年には『父』と呼べるような存在はない。自分は、『母』の卵子と、『母』が選び出した優秀な男性の精子を交配して生み出されたデザインベイビーだ。戦闘用に調整された強化人間とも言える。近い部類を上げるとするなら、超兵やイノベイドだろう。

 そんなことを考えていたら、また名前を呼ばれた。男性は笑っている。顔は眩しさで見えないのに、彼が自分に惜しみない愛情を注いでくれていることは『わかって』いた。少年は彼の顔を見ようと目を細くした。黒い髪に黒い瞳。『母』とよく似た、東洋人男性。

 

 もし、自分に『父』という存在がいたならば。

 きっと、今、目の前にいる男性のような感じなのだろうか。

 

 少年は漠然と考えた。具体例が存在していないため、何とも言えないのだが。

 

 

「少年!」

 

 

 自分を呼ぶ声がした。聞いたことのない、男の人の声だった。

 金色の髪と翡緑の瞳を持つ白人男性。眩いヴェール越しでも、強い存在感がある。

 彼の存在に気づいた東洋人男性が、彼に対して親しげに笑い返した。

 

 

「ソ□□□」

「□ラくん」

「□□!」

 

 

 また、自分を呼ぶ声がした。聞いたことのない、男の人たちの声だった。日本人とは発音のニュアンスが違う。

 英語圏の人間が、頑張って日本語の発音を再現しようとしているかのようだ。アメリカ英語の訛りだろうか?

 

 

□□(ソ□ツ□)□□(□□ネ)

「□ラくん」

 

 

 また、自分を呼ぶ声がした。聞いたことのない、女の人たちの声だった。

 黒髪に紅蓮の瞳が特徴的な女性と、ペールグリーンの髪に紫苑の瞳を持つ女性だった。

 

 東洋人男性と白人男性が2人の姿を見たとき、まるで愛おしい相手を見るように目を細める。感極まった白人男性が黒髪の中東女性に対して愛を囁き、照れ隠しの一撃を叩きこまれて宙を舞った。ペールグリーンの髪の女性は楽しそうに微笑み、黒髪の東洋人男性は苦笑して肩をすくめていた。

 こんなにも穏やかな光景を見たのは初めてだ。ぴりぴりした空気の中にいた少年にとって、『誰か』たちが纏う快活な空気/『誰か』たちの間に漂う和やかな空気は、とても想像できないものであった。茫然とする少年を見た『彼等』は、互いに顔を見合わせて首を傾げる。途端に、東洋人男性が表情を曇らせた。

 少年を憂う眼差し。少年のことを心配し、心を砕いてくれる人を見たのは初めてだった。「何かあったら言いなさい」と、『誰か』は力強く笑って頭を撫でてくれる。生まれてこの方、そんなものと無縁だった少年は目を見開く。――ああ、なんて嬉しいのだろう。自分を想ってくれる人がいるなんて。

 

 

「お前は何も気にしなくていい。誰が何を言おうと、お前は俺の、大切な『息子』だ」

 

 

 黒髪の東洋人男性は、少年の頭を撫でながら、はっきりと宣言した。その言葉だけで、少年の涙腺が決壊する。

 

 無様な泣きっ面を晒す少年を、黒髪の男性――『父』は、そっと抱きしめ、あやしてくれた。周りにいた人々も、優しい眼差しを注いでくれる。温かい光が、少年の心を満たしてくれた。

 伸ばされた手を、少年はおずおずと握り返した。『父』が微笑む。それはもう、嬉しそうに。つられて、少年も笑い返した。大きな掌が少年の手を包む。誰かに手を握られることがなかった少年にとって、その温もりは初めてのものだった。

 

 人の温もりとは、こんなにも優しいものなのか。あたたかいものなのか。

 普通の親子だったなら、当たり前のように存在しているものだというのか。

 求めてやまなかったそれを惜しみなく与えられている――これ程、人生で嬉しいことはない。

 

 

「――おとうさん」

 

 

 少年は、震える声でどうにか言葉を紡いだ。それを聞いた『父』が驚いたように目を見開く。

 ややあって、彼は蕩けるような笑みを浮かべて頷き返してくれた。周りの人間も目を細め、自分たちを見守る。

 

 

「帰るぞ、□継」

 

 

 『父』はそう言って、少年の手を引く。周囲の人々は自分たち親子を温かく迎えると、一緒に歩き始めた。

 

 真っ青だった空はいつの間にか、日が傾いていた。茜色に染まる夕焼け空。夜の帳が降りてきたようで、遠くに一番星が瞬いている。彼らは楽しそうに何かを話し合っていた。少年が辛うじて聞き取れた単語は、「ホームパーティ」、「鍋」、「カレー」ぐらいであった。

 途端に男性たちが苦い表情を浮かべる。鍋をするといつもカレー味、と、誰かがぼやく。その後ろで、金髪碧眼の男性がひっそりガッツポーズした。それに気づいた男性たちが深々とため息をつく。金髪碧眼の男性は、『父』の作ったカレー鍋が好物だった。

 ペールグリーンの髪の女性が『父』の隣に並ぶ。2人が談笑する様子を見ていると、データで目にした『家族』像のように思えた。愛し合う者同士が結ばれ、共に生き、子どもを残す――この3人には、そのプロセスは一切存在しない。けれど、それ以上の繋がりで結ばれている。

 

 女性は『父』を愛しているし、『父』も(無自覚であるが)女性を大切に想っている。そんな2人が結ばれることは、少年にとっても嬉しいことだ。

 早く結婚すればいいのにと思いつつ、2人がそれを選ばない理由を知っているから、少年は何も言えなかった。言う必要もなかった。

 

 どんなに距離が離れていようとも、『父』と女性を引き裂くものは何もない。わかり合い、通じ合い、繋がった心の絆が2人を結び付けている。その強さを知っているから、2人は別の場所を歩きながらも互いを想いあっていられるのだ。

 

 いいな、と少年は思う。自分もいつか、『父』や『父』を取り巻く人たちと同じように、誰かを想い合うことができるようになるのだろうか。

 不意に歌が聞こえてきた。『父』と女性が口ずさんでいたそれは、「夕方になったから、家族が待つ家へ帰ろう」という歌だった。

 

 

(還ろう。大切な人たちが笑いあう、温かな場所へ)

 

 

 少年もまた、その歌を口ずさむ。歌う声はどんどん増えていき、最後は全員による合唱になった。

 皆、笑っている。とても楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに笑っていた。

 

 

 

***

 

 

 

「この子は僕が育てる」

 

 

 男の言葉に、泣きそうな顔をしていた少年が顔を上げた。どよめく親戚たちの声など、自分には関係ない。

 嘗て男が少年だった頃、親戚たちが自分の処遇に悩んでいたときに、『父』が男――当時の少年に言った言葉だ。

 

 あの頃から大分時間が経過したから、親戚たちの構成も大幅に変わってきている。それでも、『父』がいた頃と同じようなことを言う奴らは、どの時代にも存在していたらしい。『父』を含めた“英雄たち”が活躍した時代はとうに過ぎ去ったというのに、情けない限りである。

 統合されたと言っても、結局、ヒトはどこまでいってもヒトであった。時にはいがみ合うし、争いあう。平和な世の中とはいっても、時々、小規模の争いが発生することもあった。これは、ヒトに「感情が存在している」ことの弊害とも言えそうだ。それがなければヒトとして生きられないのだが。

 完璧ではないからこそ可能性がある。いびつで不器用だからこそ、何かを変えたときの衝撃は計り知れない。男は『父』の背中を見て育った。『父』たちが戦う姿を見て、いつもそう教わってきたのだ。『父』や、『父』を取り巻いていた人々の姿を思い浮かべながら、男は少年へ手を差し伸べた。

 

 『父』の面影を宿した少年は、男の声に従っておずおず手を伸ばした。幼い頃の自分とよく似た仕草であり、時折『父』が見せていた弱った姿ともよく似ている。

 

 男は少年の手を握り返した。嘗て『父』が自分の手を握り返してくれたときのように、強く優しく。

 途端に少年が泣き出す。男は少年を抱きしめ、あやすようにして背中を撫でた。

 

 

「じいさん」

 

「うん。大丈夫だよ。僕が一緒にいるから。これからキミと僕は親子になる」

 

「じいさんと、俺が?」

 

「そうだよ」

 

「でも、じいさんに迷惑がかかるよ」

 

「構うものか。――誰が何を言おうと、キミは僕の、大切な『息子』だ」

 

 

 いつかの会話を焼き直すように、男は少年に語り掛ける。その言葉を聞いた少年は大きく目を見開いた後、わんわん泣き出した。

 

 「厄介払いができた」だの、「尊い犠牲は忘れない」だの、負の感情がちらつく。けれどそれ以上に、「頼んだ側としての責任は果たす」や「手助けするよ」という感情が響いてきた。振り返れば、前者の感情をちらつかせた親戚たちがそそくさと帰っていく姿が見えた。後者の感情を漂わせていた者たちが、早速行動を始める。

 正直、今の自分が『父』のように立ち振る舞えるとは思っていない。男にとって『父』は、絶対の憧れであった。いつも自分に対して真摯に向き合ってくれたし、男――当時は少年だった――と一緒に泣いたり笑ったり怒ったり悩んだりしてくれた。彼がいなければ、今の自分はここにはいない。

 いつか自分も同じようなヒトになりたいと思い、邁進してきた。今の自分を見た『父』は、どんな言葉をかけるのだろうか。嘗ての記憶を辿るように、男は静かに目を閉じた。『父』や『父』を取り巻く人々が笑う姿が、色褪せることなく、ありありと浮かんでいる。ならば何も、心配することはなかった。

 

 落ち着いた少年の様子を確認し、男は少年の瞳を覗き込む。

 黒い瞳は、まるで鏡のように男を映し出していた。

 

 男は静かに微笑んだ。少年の手を引いて、告げる。

 

 

「帰ろう、□□(□□ゴ)

 

 

 繋いだ手は、とても温かかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんでだよ!? どうしてパイロット全員が無事なんだ!?」

 

 

 兄が癇癪を起す声が響いていた。その声に、少年は現実へと引きもどされた。

 

 頭を撫でられていた掌の温もりも、繋いでいたはずの手の温もりもない。優しく笑った『誰か』の姿を思い出すことは不可能だった。

 

 ダリル・ダッジ、ジョシュア・エドワーズ、アキラ・タケイ――いずれも、『母』が「憎くて仕方がない」と公言して憚らない相手と親しい人間たちである。彼らが搭乗していたジンクスには、遠隔操作が仕組まれていた。彼らの機体がデュナメスに自爆特攻しようとしたのも、それが原因である。

 『母』が作ったプログラムは完璧だったはずなのに、どうして寸でのところで脱出装置が作動したのか。原因不明の事態に『母』が舌打する姿が脳裏に浮かんだ。しかし『母』のことだ、新しいプランを提示してくるだろう。少年の予想通り、新しいプランが送られてきた。兄たちは意気揚々と機体を駆る。

 兄たちに対して、少年は、積極的に「戦いたい」とは思わなかった。しかし、それを成し遂げられなければ、自分の存在価値はなくなってしまう。自分をぶった『母』が、軽蔑の眼差しを向けてくる――その姿が、頭に浮かんでは消えていくのを繰り返す。

 

 出来損ないと言われることには慣れたけど、心が傷つかないわけじゃない。今まで見ないふりをしてきたけれど、痛みは何十層にもなって心に降り積もっていた。

 少年が思考回路を別な方向に向けていたとき、『母』からミッションプランが送信されてきた。別方面にいる“紅蓮の不死鳥”が、後始末をしてくれるらしい。

 

 

「俺たちは、今、脱出した奴らを処分すればいいんだって」

 

「無抵抗の相手を撃つのかよ? つまんないや」

 

「その方がありがたい。すぐに片付くからな」

 

 

 兄たちは意気揚々と機体を発進させ、脱出した3人に照準を合わせる。そんな状況でも、少年は引き金を引けなかった。

 パイロットたちの顔が『視える』。彼らの横顔は、先程見えた光景で、自分に優しい眼差しを注いでくれた人と瓜二つだったためだ。

 たとえ本人でなくとも、他人の空似であっても、少年は躊躇いを感じてしまう。自然と静観していた少年など放置し、兄たちは彼らへと迫った。

 

 ビーム砲にGN粒子が充填される。少年は慌てて兄たちを止めようとして――ふと、止まった。

 

 

『雑務って、機敏特化に改造したレギナで出撃って、どういうことですかァァァ!?』

 

 

 声がする。切羽詰った女性の声がする。

 青い髪に青い瞳の女性が、金切り声に近い悲鳴を上げていた。

 

 少年は周囲を見渡した。声が聞こえてきた方向に振り向けば、遠くの方で何かが光っているのが見える。緑に近い、黄色の光。その正体がわからなくて、少年は首を傾げた。

 次の瞬間、光が恐ろしい勢いで加速した。兄たちがよく使う『とっておきの呪文』――トランザムと互角な機動性を彷彿とさせるような速度。しかも、レーダーに映っていない。

 自分の見間違いかと思ったが、黄色の光は恐ろしい勢いで兄たちへ突っ込んでくる。異常事態に気づかぬ兄たちは、脱出した3人に攻撃を仕掛けようとしていた。

 

 刹那、兄たちの視界を阻むように、黄色い流星が駆け抜けた!

 

 突如眼前に現れた“何か”に驚いた兄たちが攻撃を止めてしまう。その隙に、3人が乗った3機の脱出艇はぐんぐん離れていく。慌てた兄たちが攻撃を仕掛けようとしたが、攻撃は放たれることはなかった。

 

 

『こっちに、来ないでぇッ!!』

 

 

 黄色い光が竜巻を描く。近接武装を振り回した“何か”に、兄たちは慌てて距離を取った。そのせいで、脱出艇は完全に射程外になってしまった。

 当然、兄たちは乱入者を睨む。攻撃対象は女性へ変わり、兄たちの乗る機体は“何か”に向かって攻撃を仕掛ける。

 

 

「動きがトロいんだよ!」

 

「いい的だな!」

 

「堕ちちゃえ!」

 

 

 サーベルやハンドガンが唸りを上げた。しかし、“何か”はしっちゃかめっちゃかな動きで兄たちの攻撃を回避してみせた。

 

 

『ひいい撃ってきたぁ! ……まさか、本当に実戦なんですかッ!? ちょっと飛んで一周して帰ってくるだけじゃないんですかぁぁぁ!? う、嘘だって言ってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 

 

 発言内容からして、“何か”を駆るパイロットはMSパイロットではない。おそらく、無理矢理機体に搭乗させられ、戦場に送り出されてしまったのであろう。境遇は少年に似ているが、少年は元からMSパイロット及び戦闘用に調整された強化人間である。

 次の瞬間、『オペレーターっていう役職だったはずなのに』と叫ぶ声がした。少年の予想通りであった。世の中には似たような人がいるんだな、などと、少年はひっそり考える。兄たちの攻撃を全弾回避した“何か”が、反撃の狼煙とでもいうかのように銃を振り上げた。

 

 

『うわぁぁぁぁん! もう嫌ぁぁぁぁぁ! 帰って、帰って、帰ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!』

 

「う、うわあああああああああああああ!!?」

 

 

 女性が盛大に泣き叫ぶ。それに呼応するかのごとく、“何か”は銃を乱射しながら振り回してきた!

 四方八方に黄色の光が降り注ぐ。兄や少年は慌てて回避する。すれすれのところを掠った少年とは違い、兄たちは何発か被弾したようだった。

 コックピットは無事であるが、武装の一部が吹き飛んだらしい。勿論、この現状を兄たちが許すはずがない。怒りに満ちた眼差しを“何か”に向ける。

 

 しかし、兄たちが攻撃すれば、“何か”は見ている方が目を剥く勢いの変態機動で攻撃を回避していく。これでもかという勢いで動き回り、砲弾の雨あられをすれすれで避け、振り下ろされたビームサーベルを掻い潜るのだ。

 そして、今度は女性が反撃する側に回る。近接武装である扇を広げ、“何か”は錐揉み回転しながら連撃を仕掛ける。寸でのところで回避した自分や兄たちであったが、次の瞬間、“何か”は再び銃を乱射してきた。黄色の光が滝のように降り注ぐ。

 

 

『エイミー艦長ォォォォォォ! 私、もう無理ですぅぅぅぅぅ!! こんなことなら、MSに初心者マークでも張ってればよかったァァァァ!!』

 

『ルナちゃん頑張って。あともうちょっとで終わるから』

 

『うえぇぇぇぇぇん! こんな雑務なんて聞いてないぃぃぃぃぃぃ!! マークさーん! ラナロウさーん! エターナさーん! クレアさーん! アスルさーん! この際、もう誰でもいいから、早く帰って来てぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』

 

 

 女性は別の少女と何かを話していたらしかった。艦長、という言葉から、「上司から途方もない無茶ぶりをされた」ということが手に取るようにわかった。

 似たようなやり取りと攻撃の応酬を繰り返していた後、突然、“何か”が動きを止めた。追撃しようとした兄たちであったが、思わず彼らも動きを止める。

 

 気のせいか、“何か”から、どす黒い空気が漂い始めている。近づけばあの空気に飲み込まれて、どうにかなってしまいそうだ。少年の予想は的中し、狂ったように笑う女性の声が響いた。

 

 

『……そうよ……皆、消えちゃえばいいんだわ! はは、あははははははははは!!』

 

 

 “何か”から湧き上がっていた、オーラのようなものが爆ぜた。それに呼応するように、“何か”が凄まじい速度でこの場を飛び回った。扇を振り回し、銃を乱射しては、変態的な機敏性で兄や少年たちを翻弄する。

 狂ったように笑う声が止まらない。笑い声に比例して攻撃が派手になっていく。おまけに速度も上がっていくではないか。シミュレーターや実戦も経験しているけれど、こんな異常事態に投入されたことは殆どなかった。

 連想したのは、いつぞやのオーバーフラッグ。青い光を身に纏い、高速機動と二刀流の型で兄たちを圧倒したのは、『母』が嫌ってやまない男性であった。親友を守りたいという想いが引き金となり、兄たちを追いつめたときとよく似ている。

 

 怖い、と。金切り声をあげたのは、何番目の兄だったのだろう。少年も同じ気持ちだった。できることなら、即刻撤退したい。しかし、『母』はそれを赦しはしないだろう。自分にできることは、豪雨に等しい猛攻から逃げることのみ。

 

 逃げ回り続けて、どれ程の時間が経過したのだろう。突如、女性の笑い声が止んだ。

 兄たちの機体は被弾したためにボロボロで、少年が駆っていた機体は掠り傷もなかった。

 

 

『――撤退!? 本当(ホント)ですか!? うわぁぁん、やっと帰れるー!!』

 

 

 次に響いたのは、泣き叫ぶ女性の声であった。地獄から解放される――その安堵から泣いていたのだろう。女性の行動は迅速で、兄の元へと突っ込んできたときのように、“何か”は一目散に飛んでいく。

 

 兄たちが追いかけようとしたときにはもう、“何か”の姿は宇宙(そら)の闇の中へと消えてしまっていた。兄たちの癇癪が響く中、少年はただ茫然と、宇宙(そら)の闇を見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよし。プランはE-7へ移行、俺たちは一時撤退だな」

 

 

 マーク・ギルダーはレーダーを確認しながら呟いた。彼の言葉を皮切りに、仲間たちが次々と喋り始めた。

 

 

「ふいー、うまくいってよかったぜ……。クレアがフォン・スパークと鉢合わせしたときはどうなるかと思ったぞ。ステルスで姿を隠してたのに、一発で見抜かれた挙句攻撃されたし」

 

「でも、案外なんとかなったよ! 戦う意思はありませんって叫んだら、向うもわかってくれたみたいだし」

 

「それでも危なかったじゃねーか。気を付けろ」

 

「大丈夫だよ! 何か起きたら、ラナロウが助けてくれるんでしょ?」

 

「……はー……」

 

 

 ラナロウ・シェイドはクレア・ヒースローに苦言を呈した。相棒の苦言などなんのその、クレアは能天気且つ豪快に笑う。ラナロウは深々とため息をつき、額に手を当てた。

 彼の頬が赤く染まっているのは、惚れた弱みが原因であろう。マークも人のこと言えない立場なので、「お前も大変だなぁ」と苦笑するに留めておいた。

 2人はマークたちと別行動を取っている。ソレスタルビーイングの補給基地近辺を飛び回り、国連軍を退治して回っていたのだ。そのときにフォン・スパークに見つけられたらしい。

 

 知り合いの技術者も「フォン・スパークはいろいろ危ない」と言っていた。

 人間を超えた人間――その言葉がよく似合う、規格外の男であると。

 

 

「そっちの方でも問題が起きたと聞いたが、大丈夫だったのか?」

 

 

 マークの問いに、ニキ・テイラーとエルフリーデ・シュルツが視線を泳がせた。

 

 

「だ、大丈夫だったのだが……大丈夫じゃなかったかもしれない」

 

「いや、大丈夫じゃないようで大丈夫だったと言うべきなのか?」

 

「どっちだよ」

 

 

 煮え切らぬ発言に、マークは眉をひそめる。答えはすぐにわかった。

 通信が開き、今にも死にそうな顔をしたラ・ミラ・ルナが、蚊の鳴くような声で呟く。

 

 

「やっと帰ってこれた……」

 

「お、お疲れ様です……」

 

「もうやだ……」

 

 

 エターナ・フレイルがねぎらいの言葉をかける。それを聞いたルナは、そのまま泣き出してしまった。こうなると暫く手が付けられない。

 マークとエターナは顔を見合わせ、苦笑した。タイミングよくレーダーが友軍機の反応を捉える。アスル・インディゴも無事に撤退できたようだ。

 間もなく、ラナロウとクレアが合流した。あとはもう、この宇宙空域に用はない。全員そろったことを改めて確認し、マークは母艦へ進路を変えた。

 

 マークのトルネードガンダムの隣に、エターナのレギナが並ぶ。彼女の機体は、狙撃に特化した改造を組み込まれていた。

 GNアームズに攻撃を仕掛けようとした敵に、ロックオン・ストラトス/ニール・ディランディ並みの長距離射撃をやってのけたのは彼女である。

 

 

「見事に当てたな。流石だ、エターナ」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 

 エターナが微笑む。どこか、哀しそうな微笑だった。

 

 彼女が戦う理由は、戦いを終わらせるためだ。けれど、その力は、戦いで人を殺すために振るうしかなかった。超兵機関にいた頃から、ずっと。

 機関が壊滅し、『星屑の夢を見る者たち(スターダスト・トレイマー)』に入った後、MSパイロットに志願した理由も同じだったのだろう。

 戦争に巻き込まれて家族を亡くした少女は、半ば洗脳されたものの、自ら志願して戦いに赴こうとしていた。マークは、そんな彼女をずっと見守ってきた。

 

 

「……早く、戦いが終わればいいのにな。そうすれば、キミが、そんな風に表情を曇らせることもなくなるのに」

 

 

 マークは小さく呟く。それに気づいたエターナは、目を瞬かせた。

 彼女を見返し、マークは微笑む。エターナも、静かに微笑み返してくれた。

 

 それが、今のマークを奮い立たせる理由だった。他の面々だって、守るべきもののために――あるいは未来のために戦っている。

 世界は統一に向かって加速するだろう。ソレスタルビーイングにも破滅の足音が刻々と近づいてきている。黒幕の笑い声が聞こえた気がして、マークはため息をついた。

 ソレスタルビーイングが壊滅すれば、次に狙われるのは『悪の組織』及び『スターダスト・トレイマー』であることは明白である。

 

 

(世界はどう動くんだろうな……)

 

 

 程なくして、自分たちの母艦――ホワイトベースが見えてきた。仲間たちが帰投の準備に入る。マークとエターナも、それに続いたのであった。

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