大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season> 作:白鷺 葵
対話の道は閉ざされている。あと少しで手が届くのに、巨大な壁に阻まれた。
道はない。道がない。希望が絶たれる。女性たちは、あまりにも分厚い壁に直面していた。
その絶望を引き裂くように、鮮烈な
「未来への水先案内人は、この私が引き受けた!」
その言葉と共に、好敵手は飛び出していく。その先には、巨大な壁。
『道理を無茶で押し通す』を地で行く好敵手だが、どう見ても無茶で押し通せる壁ではない。
「何を躊躇している!? 生きる為に戦えと言ったのは、キミの筈だ!」
それは、遠い日に、女性が好敵手に贈った言葉だった。
「行け! 生きて未来を切り開け!!」
巨大な障害に阻まれる。それでも好敵手は飛んでいく。鮮烈なまでもの
機体の動力部から溢れる赤い粒子も、より一層輝きを増した。まるで、好敵手の想いに共鳴するかのように。
障害を突き破ろうとすればする程、好敵手は己の命を削っていく。彼の纏う気迫が、何人たりとも彼を止めることを赦さない。
「これは、死ではない! 人類が、生き残るための――!!」
吐血しても、体を蝕まれようとも、命が削られていこうとも、男は止まらなかった。止まるような性格ではないと、女性は長い付き合いで理解していた。
怖いくらい真っ直ぐで、何事に対しても真摯であろうとした人。愚直すぎるがゆえに、変な方向に走り出すこともしばしばある、難儀な性格をした人。
――女性を愛してやまなかった人。
「□□」
不意に、好敵手が女性の名前を呼んだ。
女性は、目の前に男がいることに酷く驚いていた。周囲の光景が、激戦区から平原に変わっていたのだから当然と言えよう。どこまでも青い空と、広い平原が広がる。
そこが好敵手の心の世界だと女性が気づく。男は幸せそうに微笑んで、女性を手招きした。恥ずかしさに文句を言いつつ、彼女は男の腕に収まる。男は満足そうに頷いた。
女性はふと、視界の端で起きた異変に気づく。
男の利き手が、ぼろぼろと崩れ落ちていくではないか。
利き手だけではない。左半身が、そうしてこの世界そのものが、何かに侵食されるように消えていく!!
男は残念そうに苦笑した。
「私は、この結末に後悔していない。むしろ、誇りに思う。やっと私は、キミの好敵手に相応しい存在になれただろうから」
ああでも、と男は付け加える。
「……しかし、残念だな。ようやくキミと並べる存在に至れたと思ったのに、キミと、キミのガンダムと決着をつけることが叶わないとは」
「この男は、いったい何を言っているのだ」――女性は心の中で戦慄いた。理解したら最後、彼はここから永遠に『いなくなる』。
だから、彼女のすべてがそれを拒むのだ。女性の表情を見た男は、ますます困ったような顔をする。
「悲しむ必要はないよ。私は未来の水先案内人。キミの行く末を、ずっと見守っているから」
彼の言葉に、嘘偽りはない。だが、彼はもう、自分の傍には居ないのだ。
「思うんだ。あの日、キミと3度も出逢った意味を。あの日、キミという存在によって生かされた意味を」
男は噛みしめるように目を閉じる。自分の中にある美しいものを抱え込むような笑みに、女性は胸が苦しくなった。
1回目は何も知らない者同士として、2回目はガンダムとフラッグのパイロットとして、3回目は明日のために戦い続ける者同士として、自分たちは顔を合わせてきた。
あるときは戦場で、あるときは街中で、出会っては別れてを繰り返してきた。そのすべてが、互いにとってかけがえのない時間だったのだ。
「――ああ、そうだな。私はこのために生きてきた。このために生まれてきたんだ」
そんなこと、望んでいない。そんなことのために、生きろと言ったわけじゃない。
女性は大声で叫びたかった。でも、多分、男はそれすら『知っていて』、女性への言葉を贈っている。
おそらくは、最期の会話になるであろう言葉を、命が燃え尽きていく中で、必死になって探している。
「満足して生きた。まあ、心残りがないわけではないが」
男はそう言って、指を折りながら諳んじた。
大切な約束の数々を、来るはずだった――もう来ない明日の日常を。
「もっと空を飛びたかった。仲間たちと一緒に笑っていたかった。副官が作ってくれるであろう、帰還パーティの鍋が食べたかった。カレー味でもいいから食べたかった。最期は青い空で迎えたかった。……酷いな、未練ばかりだ。女々しくて笑ってしまうよ」
男は呆れたように苦笑した後、真摯な眼差しで女性を見返す。
「しかし、特に心残りなのは2つある。1つめは先程言った、『キミと、キミのガンダムとの決着がつけられない』こと」
翠緑の眼差しは、沈痛そうに揺れていた。
「――もう1つは、『結局最期まで、キミを幸せにしてやれなかった』ことだ」
失ってしまった利き腕の代わりに、残った手で、男は女性の頬を撫でる。慈しみを込めた手つきに、思わず女性は首を振った。
男が悔いる理由なんてない。それ以前に、最期だなんて言われる筋合いもない。おまけに、女性はまだ、男を幸せにしていないのだ。
壊すことしかできない自分が、誰かに与えたいと思ったもの。それをまだ、彼に手渡していない。手渡せていない。
「逝くな」
自分でも驚くほど、情けない声だった。
「まだ何も伝えていないんだ」
今にも泣き出してしまいそうな声だった。
「……俺はまだ、あんたを幸せにしていない……!」
女性の言葉に、男は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。目を真ん丸にして、何度も瞬きを繰り返す。ややあって、男は幸せそうにはにかんだ。
「やはり、私は永遠に、キミに敵わないんだな」
男の体が、闇に飲まれる。美しい青空と平原が、真っ黒に塗りつぶされる。
彼の気配が遠のいた。慌てて女性は手を伸ばす。だが、何も掴めなかった。
「最期まで、ありがとう」
男は笑う。いつか見た儚げな笑みではなく、普段通りの快活な笑みを浮かべて。
「キミに出会えて、本当に良かった」
男は笑う。女性に出会えたことが自分の幸福だった、と言わんばかりに目を細めて。
「――愛している、□□」
世界が暗転する。次の瞬間、分厚い壁が吹き飛んだ。対話への道が拓かれたのだ。
好敵手の死を悼む時間はない。彼が最期に切り拓いた道が閉ざされる前に、行かなくては。
操縦桿を動かし、突き進む。男が最期に残した言葉を胸に、ただまっすぐに突き進んだ。
そうして、対話の
宇宙に花が咲き誇り、人類の未来は定まった。
けれどもそこに、彼はいない。――彼が、いない。
「……あんた、馬鹿だろ」
―― そうだな。ことに、キミとガンダムのことに関しては ――
その言葉に帰ってくるはずの返事は、2度となかった。
◆
長い夢を見ていた。とても、哀しい夢だった。
少女の視界に入ってきたのは、薄闇の中に浮かぶ白い天井だった。わずかに滲んだ視界から、自分が泣いていたのだということに気づく。確かに自分は眠りにつく直前まで『啼かされていた』が、今、頬を伝う雫は、『啼かされていた』ときとは理由も原因も根本的に違う。
体は鉛のように重い。その理由を、少女はきちんとわかっていた。鈍い痛みに愛おしさを感じながら、少女はゆっくり体を起こした。ふと、周囲を見渡す。隣にいるはずの温もりはない。それに気づいた途端、先程見た夢がフラッシュバックした。
「その世界に、彼だけがいない」――なんて悲しい夢だろう。なんて恐ろしい夢なのだろう。
訳もなく寒気を感じて、少女は声を荒げた。隣にいるはずの男の名を呼ぶ。
「グラハム」
返事がない。普段なら即座にすっ飛んでくるはずなのに、彼――グラハムの気配を感じない。
先程見た光景は、夢だ。一歩間違ったらありえた光景だったのかもしれないが、でも、今の自分にとってはただの夢だ。
しかし、ただの夢だったなら――どうして今、グラハムはここにいないのだろう。少女の頭の中で、疑問がぐるぐると反響する。
「グラハム」
返事がない。少女はますます焦燥に駆られた。ゾッとするような悪寒に身を震わせたとき、部屋の扉が開く。
金色の髪に翠緑の瞳を持つ男――グラハムが、きょとんとした顔で少女を見つめ返していた。その手には、飲み物の入ったボトルが握られている。
彼は少女を散々『啼かせた』後、それはそれは丁寧に事後処理してくれたらしい。ついでに、目覚めたときは喉が渇いているだろうから、と、気を利かせて飲み物を持ってきてくれたのだろう。
「――ソラン? 何か、あったのか?」
グラハムは、少女――ソランの様子から何か感じ取ったようで、心配そうな表情で覗き込む。大きな手が、優しくソランの頬に触れた。反射的に、ソランは彼の手に自分の手を重ねる。
暖かい。彼はちゃんと生きている。その事実に安堵して、ソランはほっと息を吐いた。先程の夢みたいに、この手が届かなくなることはないのだ。彼の利き手がぼろぼろと崩れていくことも、闇の中にその姿が溶けていくことも、ない。
翠緑の瞳に映るソランの目は、鮮やかな金色に輝いている。何かを察したグラハムは、ソランに顔を寄せてきた。額と額が触れ合う。彼が静かに目を閉じると、彼の体をなぞる様にして青い光が舞い上がった。
互いの心に触れる。金の瞳も、青い光も、ルーツは違えども「わかり合う」ための力であった。ややあって、グラハムはゆっくりと瞼を開けて、ソランに寄り添う。グラハムが自分を気遣ってくれていることは、十二分にわかっていた。
甘えていいと言われたような気がして、ソランはグラハムにすり寄る。
グラハムはふわりと微笑み、優しい手つきで頭を撫でてくれた。
「水先案内人になんて、ならなくていい」
ソランの言葉に、グラハムはひどく面食らったように目を瞬かせた。頭を撫でていた手が止まる。
何か反論しようとしたグラハムであったが、ソランはたたみかけるようにして言葉を続けた。
「どこにもいくな。1人で勝手に、いかないでくれ。俺があんたを幸せにするまでは、どこにも」
そのために、自分は生きてきたのだから――と。今まで生きてきた時間の中で、遠回りして、辛い思いをして、ようやく得た答えを口に出せば、グラハムは呆気にとられたような顔をした。
ソランは言葉を惜しむ癖がある。どんな思いも自分が口に出してしまえば、すべてが薄っぺらくなってしまいそうで怖いのだ。それが自身の悪い癖だとは自覚しているけれど、どうも治りそうにない。
言葉にしなければ伝わらないことがあることは知っていたし、今、この気持ちは言葉にして伝えるべきだと直感した。だからこその吐露であったのだが、グラハムは凍り付いたまま反応しない。
伝わってほしい、とソランは祈る。翠緑の瞳に映し出された自身の瞳が、再び金色に輝いていた。
ややあって、グラハムは深々と息を吐いた。白い肌に赤みが差しているように見えたのは気のせいではない。
翠緑の瞳は、切なそうに細められる。まるで、親に置いて行かれた子どもみたいだった。
「……どこかへいってしまうのは、キミの方ではないのか」
「え……?」
唐突に、そんなことを言われた。ソランは思わず目を瞬かせる。
「キミは昔から、ずっと遠くを見ていたからな。私では到底見通せないような、はるか遠い場所を、どこまでも大きな理想を抱いて……」
グラハムの眼差しは、ソランから逸らされることはない。ただまっすぐにこちらを見つめている。
「私では、届かない。……手を伸ばしても、救い上げられなかった」
伝わってきた感情は、恐怖。『視えた』のは、ノイズまみれの光景だった。意識無く眠り続ける女性と、彼女の手を握り締める1人の男性。女性はどことなくソランの面影があり、男性は夢で失ってしまった人/グラハムとよく似ている。
あのとき彼女の手を掴んでいたら、もう少し早くあの場にたどり着いていたら――男性の悲鳴に近い声が『聞こえた』。銀色の異種生命体との対話を試みた女性に対し、容赦なく襲い掛かった異種生命体たち。攻撃されても、意識を失う寸前でも尚、女性は対話の道を模索していた。
ソランとグラハムも、この光景や先程見たような夢と似たようなことに巻き込まれた経験がある。もしかしたらこれは、自分たちが辿っていた可能性の一つなのではないか。あり得たはずの可能性を垣間見るという現象は、最近ではポピュラーな事象になりつつあるためであった。閑話休題。
ソランはグラハムの背中に手を回す。大丈夫だ、と、告げるように。
グラハムは一瞬息を飲んだようだが、嬉しそうにすり寄ってきた。
自分たちは生きている。伸ばした手は相手に届くし、こうやって触れ合えている。祈るような気持ちで、ソランはグラハムを見上げた。
「……グラハム」
「どうした?」
「寒い」
ソランは小さく呟いて、背中に回していた手を彼の手に重ねる。
「そうか? ……空調の調子がおかしいのだろうか」
立ち上がろうとしたグラハムを引き留めながら、ソランはじっとグラハムを見上げた。もう一度、寒い、と口に出す。
グラハムはしばしソランを見つめていたが、その寒さが何から来るものかを見抜いたのだろう。
「……奇遇だな、私も寒くて仕方がなかったんだ」
彼はソランの耳元でそっと囁く。背中を駆け抜けたのは、悪寒とは違うもの。興奮、だ。
視界が反転する。「シャワーを浴びた意味がなくなりそうだ」などと呟きながら、グラハムはソランに覆いかぶさった。どこまでも優しい翠緑の瞳の奥底には、本能の色が揺らめいて見えた。ソランはふっと表情を緩める。
お互いを失うのが怖い――そう思っているのは、自分だけではなかった。その温もりが本当に存在しているのか不安だ――そう思っているのは、自分だけではなかった。互いが互いを求めている。なんて、僥倖なのだろう。
どちらからともなく、引き寄せられるように口づけを交わす。啄むだけのものから、それ以上の意味を込めた深いものへと変わっていった。互いの、愛おしい温もりを甘受し合う。口づけの合間に彼の名を呼べば、グラハムはこてんと首を傾けた。
ソランはふっと微笑んだ。
手を伸ばし、彼の頬に触れる。
「俺は、ずっと、アンタの傍にいる」
「私も、キミの傍にいるよ」
噛みしめるように告げれば、グラハムも即座に返答した。再び、彼は口づけを再開する。
もう、寒くない。こんなにも、温かい。
愛しい男の熱を感じながら、ソランは静かに瞳を閉じた。
◇
「……で、そのまま抱き潰した、と」
「…………すまん」
「前代未聞だな。歩行困難で欠場だなんて笑えない」
親友は苦い表情を浮かべて天を仰いだ。グラハムも視線を逸らす。
中庭を見下ろせるバルコニーには、『第N回 シャッフルチーム対抗フライングボール大会』という横断幕が垂れ下がっていた。宇宙を旅する最中ではあるが、だからこそ、体を動かす系の娯楽が頻繁に行われる。
フライングボールというのは、無重力下で行うバスケットボールのようなものだ。重力制御ユニットを搭載した靴とゴールによって疑似的な無重力状態を作り、無重力状態でふらふら移動するゴールにボールを入れることで得点を得る。
ただ、無重力下なので、ゴールを固定する必要がある。逆に、相手がゴールにボールを入れようとしたら、ゴールやボールに干渉するなどして得点を阻む等、奥深い駆け引きも行われるのだ。ただのスポーツだからと言って笑ってはいけない。
親友はメンバーリストと集った仲間たちを見比べては、うんうん唸っている。実質的なキャプテンはグラハムだが、攻撃の要はソランであり、フォローおよび指揮役の要は親友であった。
攻撃の要を欠いた状態の戦い――厳しいにも程がある。ベンチの隅で申し訳なさそうに項垂れるソランを視界の端に捉えて、グラハムは大きく息を吐いた。今すぐ昨日の自分をぶん殴ってやりたい。
「ただでさえ、相手チームとの状況的に『
「……すまん」
「もういいよ。過ぎてしまったことは変えられない。現状でベストを尽くす、だろ?」
「流石だな、我が友よ」
切り替えの早さを褒めれば、親友は肩をすくめた。何かある度に、彼はフォロー関係で駆けずり回っている。
日本の中間管理職は優秀だという話があるが、親友はそれを体現しているような人間であった。
「監督には適当に言い訳しておくから、ゆっくり休んどいて」
「あ、ああ」
親友はソランにそれだけ言い残し、監督の元へと向かった。
本当のことを報告すれば、独身と未婚を拗らせた我がチームの指揮官がどんな反応をするかなど火を見るよりも明らかだ。
この前の大会では、今回の対戦相手チームの監督が自軍の監督であったが、昨日の夜の営みを語る旦那をグーで殴った上に、スタメンから外していたか。
向うのベンチに視線を向ければ、監督の旦那が犬神家よろしくな体勢で漂っていた。また何かやらかしたらしい。グラハムは苦笑する。
今大会も、まともなものになりそうな気がしなかった。
【参考および参照】
拙作感想欄(有部理生さま)より、『フライングボール』
『無人惑星サヴァイヴ』で、修学旅行前に主人公たちがやっていたスポーツ(名称不明)