大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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EX-4.夜明けの鐘はまだ鳴らない

 

 

「この家の家督は、貴女に継がせるわ」

 

 

 ベッドに横たわった老婆は、ベッドサイドにいる女性にそう告げた。天を仰ぎながら、老婆は深く息を吐く。

 

 

「本当は、あの子に継いで欲しかったのに」

 

「お母さん。死んだ人間のことを言っても、どうにもならないわ。ウチの家の男はみんな早逝してしまうもの」

 

 

 女性は憐れむように目を伏せる。自分の一族では、男児や男衆が早逝してしまう傾向があった。唯一の例外かと思われていた双子の弟も亡くなった。――いや、自分が殺した。

 しかしながら、世間の大半がこのことを知らない。この老婆――母もまた、世間の一部分であった。彼女は何も知らぬまま、生を終えるのだ。女はひっそり笑みを浮かべる。

 

 ささくれだった母の手が、女性の滑らかな手に触れる。己が守ってきたものすべてを託すように。

 

 お願いね、と老婆は言った。懇ろに、女性に告げる。

 女性は頷いた。真摯な表情を崩さぬまま、何度も。

 

 

 女性の母が眠るように亡くなったのは、その翌日のことであった。

 

 

 

*

 

 

 

「家督相続おめでとうございます」

 

 

 後ろから聞こえてきた声に振り返れば、黒髪の女性が立っていた。彼女の脇には、控えるようにして男性が佇んでいる。

 

 

「ありがとう、留美(リューミン)。こんなにも晴れ晴れとした気分になったのは初めて」

 

 

 女性が微笑めば、留美(リューミン)も祝福するかのように微笑み返す。対照的に、彼女の兄にして執事の紅龍(ホンロン)は黙ったまま、一言も発しようとしない。自分の妹と似たような人生を歩んできた女を見て、彼は何を思ったのだろう。女性にはわからないことであったが。

 望むものはすべて弟に奪われた。家督も、信頼も、才能も、弟は女性の望むものすべてを持っていた。何も持たない女性を見つめる黒い瞳は憐れみに満ちていて、思い出すだけで腹立たしい。奴がいなくなったことで、ようやく、女性は望んだものを手にすることができたのである。

 忌まわしい存在はいなくなり、誰もが自分を見るようになった。いないもの、いても劣っているものとして扱ってきた連中たちは、女性の当主就任によって掌を返した。誰もが女性を見てくれる。その存在を認めてくれる。女性の望みは、ようやく叶えられた。幸福を噛みしめて、女性は笑う。

 

 先祖代々の墓を感慨深く見下ろした後、女性は踵を返した。自分の後に、留美(リューミン)紅龍(ホンロン)が続く。麗らかな春の日差しに誘われるように、桜の花がひらひらと舞い降りていた。長い階段を降りて行けば、暇つぶしに遊びまわっていた子ども3人が自分たちに気づいて駆け寄ってきた。

 

 

「今日はお祝いよ」

 

「やったー!」

 

 

 3人の子どもたちは、女性の言葉に大喜びした。

 

 

「手配はばっちりですわ、おねえさま」

 

「ありがとう。楽しみだわ」

 

 

 女性と留美(リューミン)は顔を見合わせ、微笑み合う。彼女と自分は似た者同士であり、同じ革新に向けて歩む同志である。それ以上に、気心の知れた友人だと思えるようになった。『弟とその親友のやり取り』と通じるものを求めていたのかもしれない。

 はしゃぐ子どもたちが先陣を切り、女性と留美(リューミン)が子どもたちの背中を見送る。自分たちの殿として最後尾に陣取るのは紅龍(ホンロン)だ。世界を変える刃を持つ者たち。あとは、この場にはいないが、沢山の手駒が集っている。その筆頭が、仮面をつけた金髪の武士だ。

 

 特に金髪の武士は自慢の駒である。彼を手に入れるために、色々と手を尽くした。主に外堀を埋める方面で、だ。

 女性の『知識』とイレギュラーを修正する方法と睨めっこしながら、ようやく手にした玩具(オニンギョウ)である。あとは、どう使うかだ。

 ガンダムや革新者と戦える数少ない人間――そう評されたMSパイロット。勝手な行動をとれないように、しっかり策は練ってある。

 

 他にも、注意すべき相手は山ほどいた。

 

 国連代表として陰で色々と暗躍しているエルガン・ローディックは、女性の有する『知識』では存在しないはずのイレギュラーだ。最終決戦後にアレハンドロの汚職やらなにやらを世間にぶちまけ、戦死した英雄を卑劣なド外道に陥れ、奴の系譜を引く派閥を根こそぎ失脚させたやり手である。何とかして無効化しなくてはならない。

 懸念すべき相手として、イノベイドのリボンズ・アルマークもいる。奴の言動および『能力』は、女性の有する『知識』とは大きな差があった。そのため、自身が有する『知識』を踏まえた対策が役に立たない。他のイノベイドたちとも仲がいいため、リジェネ・レジェッタの謀反を利用した行動も取れそうになかった。

 

 

(何より一番不気味なのは、『悪の組織』と『スターダスト・トレイマー』)

 

 

 前者は謎が多い技術会社と、後者は人命救助やごろつき退治にふらりと現れてはいなくなる謎の組織である。特に後者のことを「第2のソレスタルビーイング」と持て囃し、危機感を抱く者や期待を抱く者が勝手に騒いでいた。それもそれで邪魔である。

 

 前者の技術力は欲しい。しかし、『悪の組織』が、現在のアロウズ――あるいは自分たちに協力してくれるとは思えなかった。

 ならば、早々に片付けておかねばなるまい。幸い、一企業を攻撃する口実ならいくらでもある。

 

 

「おねえさま?」

 

 

 聞こえた声にハッとすれば、留美(リューミン)が心配そうに女性を見上げていた。

 

 

「どうしたのですか?」

 

「ちょっと考え事を、ね。……ダメだわ。もうすぐお祝いの席だというのに、余計なことを考えちゃう。忘れて楽しまなくちゃ」

 

 

 女性は努めて明るく笑って見せた。そう答えた丁度いいタイミングで、リムジンがやって来る。殿の紅龍(ホンロン)が扉を開け、面々は乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子どもの泣き声が響いている。双子として生まれた自分の半身。

 泣いているのは男の子。自分よりも後に生まれた、可愛い可愛い弟だ。

 

 

「いやだ、いやだよ」

 

 

 弟は選ばれた。“てんしさま”の代弁者に。それが嫌で、泣いていた。

 

 弟を選んだ“てんしさま”は、それを名誉なことだという。“てんしさま”の代弁者になれば、弟は元気になれるという。外を駆け回ることもできるし、病気で寝込むこともないし、空へ行きたいという夢だって叶うんだ、と。

 「そのためには、弟が大切にしている“おはなし”を、全部忘れさせる必要がある」と“てんしさま”は言った。弟は、“おはなし”を忘れたくないと泣いている。彼がその“おはなし”を大切にしていたことは、ずっと見てきたから知っていた。

 嫌がる弟を、“てんしさま”はむりやり連れて行こうとした。弟は必死になって抵抗する。吹けば飛ぶような頼りない体は、あっという間に“てんしさま”につかまってしまった。鳥の翼をへし折るが如く、“てんしさま”は弟の目を覆う。

 

 

「だれか、たすけて」

 

 

 弟のか細い悲鳴に、少女は飛び出した。“てんしさま”と弟の間に割って入る。

 弟を庇うようにして立った少女は、“てんしさま”を見上げた。

 

 

「弟を連れて行かないで」

 

 

 少女は、“てんしさま”から視線を逸らすことなく告げた。

 

 

「代わりに、あたしを連れて行って」

 

 

 姉の言葉に、弟は大きく目を見開いた。情けない声で自分の名前を呼ぶ弟に、姉は満面の笑みを浮かべて見せる。

 

 

「大丈夫。お姉ちゃんが、守ってあげる」

 

 

 弟に笑いかけた後で、少女は“てんしさま”に向き直った。“てんしさま”はしばらく少女を見下ろしていたが、妥協することにしたらしい。

 弟にかざしていた手を引っ込めて、少女を招き入れた。少女は躊躇うことなくそれに従う。“てんしさま”は祝福するかのように、少女へ手をかざした。

 少女は逃げなかった。ただまっすぐに、その祝福を受け入れた。それが何を意味しているか、知ったうえで――覚悟したうえで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、大丈夫か?」

 

 

 声をかけられて、振り返る。鳶色の髪と深緑の瞳が、自分を憂うようにこちらを見()ろしていた。彼が自分を見下ろすような状況なのは、ひとえに「身長差のせい」であった。

 自分の身長は169cmに対し、相手の身長は185cm。彼が羨ましくないと言えばウソになるが、低身長だからといって自分を卑下する気はさらさらない。無いものねだりをしてもいいことがないためだ。

 

 この身長差と外見年齢のせいで色々揉めたのだが、関係ない話なので割愛するとしよう。

 

 

「なんでもないよ。ちょっと、物思いにふけっただけ」

 

 

 男は苦笑した。それを聞いた青年は、物思いにふけるような傷を抱いている人間でもある。だから、肩をすくめるだけに留めてくれた。

 内心青年に感謝しながら、男は天を仰いだ。どこまでも広がる満天の宇宙(そら)に、青い星が輝いて見える。命を育む惑星、地球だ。

 宇宙(そら)から見た青い星は宝玉のように美しい。「地上では争いが止まない」と言われても、信じられないくらいであった。

 

 自分たちがいる場所はとても居心地がいい。“ここ”にいる人々は、『同胞』になりたての自分や青年に対して、とても親身に接してくれる。非情に助かるし、実際に何度も助けられてきた。

 だが、このまま“ここ”に居続けるという選択肢を選ぶ気にはなれなかった。男は既に死亡通知を出されてしまい、実際に世間からは「死亡した」とされているけれど、帰るべき場所や大切な人たちがいる。

 

 それに、止めなければならない相手がいるのだ。

 

 世界に悪意をまき散らす存在と化した身内に、その身内によって傀儡にされてしまった親友。特に後者は、精神崩壊一歩手前と言っても過言ではない状態である。彼が愛した女性と連絡が取れれば彼を助ける勝機はあるのだが、世の中は上手くいかないようだ。

 “ここ”の面々は、男が抱える事情を知っている。それだけでなく、男の願いに同調し、率先的に手助けをしてくれたのだ。感謝してもしきれない。“ここ”から出て行かないのは、協力してくれる面々の恩義に報いるためでもあった。

 

 

「しっかし、ここは怖いな。あらゆる機体のデータが揃ってる上に、材料まで自給自足だ。それらが揃えれば即座に作れる。……本拠地に返したはずの愛機が“ここ”の格納庫にあったのを見たときは、本当に度肝を抜かれたぞ」

 

 

 青年は深々と息を吐いた。彼が回想している光景は、彼がここに着た直後のことだろう。

 詳しいことは知らないが、そのときの驚きっぷりは“ここ”の面々の笑い話になっていた。

 

 

「ガンダニュウム合金なんて出てきたときは真顔で噴出したからな」

 

「ワシなんて卒倒寸前だったぞ。おまけに、欠陥品とはいえ、ゼロシステムやらEXAMシステムのデータも出てきたからのう」

 

 

 男の会話に加わったのは、白髪で杖をついた老紳士である。彼もまた、世間から死亡認定を頂いた“お仲間”であった。

 

 

「教授の『おにーさん』って、凄い人だったんですね。勤めてる場所も凄いですけど」

 

「ワシ自身が一番驚いておるよ。それらのデータから怠惰の悪魔を冠する機体を作り出してしまったのだから。あそこまでパイロットに負荷を強いる機体は見たことがない」

 

 

 「あんなのにゼロシステムやエピオンシステムなんて搭載したら、何人のパイロットが精神崩壊するだろう」と、老紳士は天を仰いだ。

 しかも、話はそこで終わっていなかった。老紳士の『おにーさん』曰く、

 

 

『計画の中には、GNドライブとゼロシステムの両方を搭載する予定もあったみたいですよ。中にはAGEデバイスも組み込もうかって話も出てたんですが、色々無茶苦茶なことになったのと、非人道的な状態になりそうだったんでおじゃんになりました』

 

 

 ……らしい。

 

 ゼロシステムは未来を予測するシステムだ。それを踏まえて、計測された未来から『必勝』の手を導き出すという使い方ができる。ただし、このシステム、使用者に凄まじい負荷がかかる。パイロットによっては奇行に走ったり、同士討ちをしたり、自爆しようとするからタチが悪い。

 おまけに、ゼロシステムが見せるのは『必勝』の手だけではない。『敗北』の未来を指し示すことだってあるのだ。パイロットにとって都合のいい未来を見せるものではなく、不都合な未来が示されてもうろたえてはいけないのである。うろたえれば即座に精神をやられるためだ。

 中には、『システムを使用した当人がうろたえていなくても、第三者から見て「使用者の精神状態がヤバイ」と評される』こともある。他には、システム使用後に、システムを使っていないにもかかわらず、幻聴や幻覚に襲われるという後遺症を発症した者もいるらしい。

 

 AGEデバイスは、機体に蓄積された戦闘データから有効な武装を作り出すというシステムだ。近接武器から遠距離武器まで、幅広い武装を生み出せる。ゼロシステムと組み合わせれば、『未来予知で集められたデータを基にして武装を量産する』というトンデモ性能を有する機体ができてしまうのだ。

 本来ならデータ蓄積のために戦闘経験を積まねばならないのだが、ゼロシステムによる未来予知がその戦闘経験にかかる時間を丸々カットしてしまう。経験のためにかかる時間がなくなってしまうということは、際限なく新しい武器を生み出せるということだ。ただの兵器生産工場である。

 

 

「GNドライブのトランザムシステムに、AGEシステムとゼロシステム搭載機か……」

 

「そんな組み合わせの機体がなくてよかった……」

 

「技術者のロマンとは言えるが、想像すると寒気しかせんよ」

 

 

 男の言葉に、青年と老紳士は遠い目をした。その気持ちはよくわかる。

 あまりこの話をしていると、精神が擦り切れてしまいそうだ。

 

 無限拳とか、ドルイドシステムとか、A.T.フィールドとか、ナノマシンとか、考えるだけで気が遠くなるものは沢山ある。

 

 

「ところで教授。どうしてここに?」

 

「おお、そうだ。キミに用があったんだ」

 

 

 そう言って、老紳士は端末を指し示す。

 

 

「先日、例の機体に搭載したシステムのテストを行っただろう? そのときのデータを元にして、改良を施したのでな。その報告と、近々またテストを行うという連絡をしに来たんじゃ」

 

「了解です」

 

 

 男は了承の返事を返した。端末を取り出し、そのデータを受け取る。示されたのは、ユニオン最強のMS――フラッグの面影を色濃く宿した、新しい機体だった。

 元々は男が乗っていたMSだが、大破したため、それを修理改修する形で生まれた機体である。“ここ”で作り出された特殊なドライブを2つも搭載した豪華仕様であった。

 出力2倍、暴走度合2倍のハイリスク・ハイリターンである。搭乗者の慣れとOSおよび期待改良が必須であり、そういう意味でも、男は“ここ”の世話になるしかない。

 

 まあ、世話になっている分、色々協力はしているが。

 潜入工作とか、厨房とか、テストパイロットとか。

 

 

「そちらのキミも、同じ連絡が入ったぞ」

 

「マジかよ。あの能力、使ってると気持ち悪くなるんだよな……」

 

 

 青年は深々とため息をついた。

 

 

「色々聞こえすぎるんだよ。聞きたくないことまで聞こえるっつーか……」

 

「その辺の調整も兼ねてのテストだから、頑張ってね」

 

 

 のほほんとした声に振り返れば、ペールグリーンの髪を腰まで伸ばした女性がいた。彼女の言葉を聞いた青年はがっくりと肩を落とす。

 そう考えると、無自覚に制御している自分はマシなのかもしれない、と、男は思った。他人にアドバイスすることができないのはネックであるが。

 

 和やかな空気が漂う。元々自分がいた場所も、“ここ”と同じくらい優しくて、明るくて、大切で、愛おしい場所だった。

 

 男は端末に視線を向けた。

 フラッグの系譜を継いだ新しい機体。

 男にとって大切な場所へと『還る』ための力。

 

 

(……還るよ。必ず、あの場所に)

 

 

 脳裏に浮かんだのは、大切な部下たちの後ろ姿。そして、孤軍奮闘し続ける親友の後ろ姿だった。




これにて、1st編は完結です。ご愛読ありがとうございました。
2nd編に続きます。気長にお待ちください。

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