大丈夫だ、問題しかないから。-Blue trajectory- <1st Season>   作:白鷺 葵

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2023/10/8 12時で、『大丈夫だ、問題しかないから』シリーズのリメイク版作品、『問題だらけで草ァ!!』シリーズの1stシーズン編が完結しました。作品はこちら

今回はラストエピソードの1部を掲載しておきます。
興味がありましたら、向こうの作品もよろしくお願いします。


リメイク版・1stシーズン編完結のお知らせ

 

 “武士道”と名乗っていた頃の自分にも、生き恥を晒してまで生き永らえた理由があった。道化――いや、あれはどちらかと言えば玩具か――にされても尚、生きようと決意した理由があった。

 真っ暗闇の宇宙を引き裂くように飛んだのは、“天使”の機体が持つ特徴だった緑色の光。その先にいるのは、白と青を基調にした“天使”/自分が焦がれてやまなかった“革新者”。

 

 この心臓が止まるまで、この意識が途切れるまで、その光を――その姿を、目に焼き付けて終われたのなら。

 

 本当の願いは投げ捨てた。手を伸ばすには、積み重ねてきた生き恥が多すぎる。暗く嗤った女の白い手が、自分の体を這いずり回る感覚が振り払えない。

 最早自分は、あの頃には戻れない。“革新者”も、変わり果ててしまった自分の悍ましい姿を目の当りにしたら、侮蔑の眼差しと軽蔑の言葉を向けるのだろう。

 すべてが終わったら、二度とこちらを振り返ることはないのだ。彼女は前を向き、未来を生きるために生きていく。――そうして、自分は過去になるのだ。

 

 

(――あの日、私は思ったのだ。『ならばせめて、キミの“未来の水先案内人”になれたらいい』と)

 

 

 自分が“壊れていく”中で、せめてそれだけはと願っていた。彼女の名を呼ぶこともできず、彼女の足を引っ張るような真似しかできず、そのくせ未来のない自分。

 好敵手としての矜持はとうに折れ、彼女を愛した男という勤めも果たすことのできない、いずれは思考もままならない肉塊に成り果てるだけの命だ。だからこそ足掻き続けた。

 

 足掻いて、足掻いて、足掻いて、足掻いて。

 

 その果てに、“天使”の手を取ることができた。蒼く煌めく御旗の元へ“還る”ことができた。失ったものは沢山あって、積み重ねた罪や口に出せない黒歴史も沢山残ったままで、やることだって沢山あった。絶えず動き続ける世界と、新たに迫りくる驚異の数々。忙殺される日々を過ごす中、それでも考えずにはいられない。

 “武士道”と名乗り始めた頃から、ずっと同じ光景を見続けている。蒼く煌めく“未来への水先案内人”――それに殉じることだけが、自分に許された唯一のことだと思っていた。それだけは奪われたくないと願って、それを標にして宇宙(そら)を駆けていた。最期にそう在れるなら、そう在れたなら、それはきっと。

 

 

(ずっと、確証があった。悟りを開いたとも言えるだろうし、使命感とも言えるだろう。或いは――脅迫概念とも言える程のモノが)

 

 

 今なら――いや、今だからこそ、自分は胸を張っている。誰を泣かせることになっても、誰の怒りを買うことになろうとも、誰から罵詈雑言をぶつけられようと、何人たりともそれを否定させない。それが我が友であろうとも、共に戦う僚友であろうとも、“革新者”たる彼女であってもだ。

 

 

(――そうだ)

 

 

 荒い呼吸を繰り返しながら、前を向く。

 そうして、いつもの調子で笑った。

 

 

(私は、この瞬間(とき)のために生きてきたんだ)

 

 

 彼女の道を阻むモノは一掃した。だが、後一手が足りない。自分の機体はもう既に満身創痍だし、既に“金属生命体”によって浸食されている。浸食は機体内部どころか、自分の身体まで進んでいた。

 いずれ自分の機体は“金属生命体”によって完全に侵食され、“革新者”やZ-BLUEを害するだけの存在に成り果てるだろう。武装も殆ど使用不可。文字通りの万事休す。最早手立ては失われた。

 ……否、まだだ。まだできることがある。自分の役目を――彼女の“未来の水先案内人”になるという役目を果たすために、必要なものは残っている。そうと決まれば――

 

 

『この戦場、私も命を懸けて戦う! ――だが、敢えて言おう! 『必ず生きて帰る』と!』

 

「…………」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、出撃前に自分が言った言葉だ。彼女と対をなす“もう1人の革新者”であり、自分が越えるべき存在と見定めた人物。

 彼から『命を粗末にするな』と、『“革新者”を泣かせるような真似はするな』と釘を刺された際への返答。その言葉に嘘はなかった。

 

 ――結局、嘘にしてしまうけれど。

 

 

『生きることをやめてしまったら、明日を掴むことなんてできないだろう』

 

『……だから、俺は生きる。お前も、生きろ。――生きてくれ、グラハム・エーカー』

 

 

(……また、キミを泣かせてしまうのだろうな)

 

 

 誓いを果たすことができない己の不甲斐なさに苦笑する。いつか、この離別(わかれ)を乗り越えて未来へ進んでいく“革新者”の背中を思い描いて、寂しさを感じてしまう自分の弱さに苦笑する。いつか見た彼女の涙を思い出して、ちょっとの安堵と優越感に浸ってしまった己の馬鹿さ加減に苦笑する。

 

 

『全部終わったら、鍋パーティしよう。俺と、お前と、“革新者”と、“理想への憧れ”の4人でさ』

 

『…………』

 

『後でリクエスト聞いてやる。だから、何味にするのかちゃんと考えておけよ』

 

 

 出撃前に交わした副官との会話。

 目を丸くする自分の答えを敢えて聞かなかった彼に言えなかったこと。

 

 ――“自分は、彼が作った鍋を食べられない”という結末(みらい)を《識っていた》から、答えることができなかった。

 

 

『来年はどうする?』

 

『――また来年も、私の誕生日を祝ってくれないか?』

 

『それでいいのか?』

 

『ああ。プレゼントはなくてもいい。キミが「おめでとう」と言ってくれるなら、私はそれだけで充分だよ』

 

 

 戦いが始まる前――つかの間の平和な時間に祝ってもらった、己の誕生日。

 自分が、来年の話をしてきた“革新者”に告げた願い事。

 

 ――“来年の誕生日は来ない”という結末(みらい)を《識っていた》が故に漏らした、ささやかな弱音。

 

 

『未来は変わらない』

 

 

 そう言っていた誰かが辿った結末を、自分は《識っていた》。主を裏切り、数多の人を騙し、卑劣な裏切り者となってでも、主ごと人類を救わんと奮闘した忠義の男を。

 “裏切り者”の名を冠したマキナから齎された英知に、彼は自身の結末を見た。『故に、自分たちでは世界を救えないのだ』という答えを悟って、そうして――彼は役目に殉じた。

 

 かの殉教者の名は、何だったか――なんて、考える。馬鹿みたいな現実逃避はここまでだ。

 

 

(――還りたかった、な)

 

 

 未練や後悔は山のようにあった。もうやってこない未来を惜しみ、悼む。

 ああでも、悪くはなかった。幸せだった。充分生きた。

 だから――もう、いかなくては。“未来への水先案内人”として。

 

 敢えて機体の動力源を暴走させる。目標は、“金属生命体”の中核――その道を阻む巨大な壁。

 

 一世一代、さいごの大仕事だ。後ろ髪を引かれるような感情を振り払って、尻込みしそうになる己を鼓舞するように。

 “未来への水先案内人”として在れることを誇りながら、自分が生き永らえた意味を噛み締めながら、男は腹と心の底から叫んだ。

 

 

「これは、死ではない! 人類が、生き残るための――!!」

 

 

 

 

 

 

 男は走っていた。夜景に彩られた街並みを一切気にすることなく、待ち合わせに指定された場所まで駆け抜ける。

 

 

(すっかり遅くなってしまった……!)

 

 

 時間は既に夜の8時。待ち合わせ時間を既に3時間以上過ぎていた。これだけの時間待ちぼうけを喰らったなら、愛想を尽かして立ち去っていてもおかしくない。端末の連絡を確認したが、待ち人からの連絡はなかった。

 “彼女からはまだ、『待ちきれないので帰る』と言われていない”――しつこくて諦めの悪い男が食らいつくには充分な理由である。いや、どちらかと言えば、縋りついているといった方が近いのかもしれなかった。

 

 長い戦いが終わり、いびつに重なっていた多元宇宙が正されたのはつい先日のこと。あるべき場所へと還った者たちは、それぞれ事後処理に追われていた。男もその1人である。

 ELSとの対話が成し遂げられたこの世界では、事後処理が終わり次第、刹那とイデアが旅立つこととなっていた。滅びの危機に瀕しているかの種族の故郷を救うために。

 多元世界の研究技術が『ある程度』残っているとはいえ、彼女たちが旅を終えて戻ってくるまでの目途は一切立っていない。数年単位か、数十年単位か、或いは――数百年単位かかるのかも。

 

 

『……暫く、お前の誕生日を祝ってやれない』

 

 

 申し訳なさそうに目を伏せた刹那の姿を思い浮かべる。彼女にそんな顔をさせてしまった自分の不甲斐なさに頭を抱えたくなったが、そんなことをしている暇があるなら走らなければ。

 

 こうやって、刹那に思いを馳せることができる――それがどれ程の価値があるのか、男は《識っている》。刹那と心を交わすことができる幸福を、そんな未来へたどり着けた幸運を。

 せっかくその権利を勝ち取ったのだ。無駄にしたくないと思うのが人間というものだろう。だが、自分は軍属の身。復興や事後処理を中途半端に放り出すわけにもいかなかったワケで。

 

 できる限りの最善は尽くした。だから今、こうして、男は待ち合わせ場所まで走っている。走って、走って、走って、ようやく待ち合わせ場所の展望台――その入り口に辿り着いた。丁度そのタイミングで、ライトアップの光が消える。閉館時間になってしまったらしい。

 展望台の周辺にいる人々は帰り支度で慌ただしい様子だ。男は周囲を見回したが、待ち人の姿は一切見当たらない。時間を見れば午後の9時。こんな事実を羅列されて、前向きに考えられる人間は少なかろう。それでも、一縷の望みに縋るようにして、端末にメッセージが来ていないか確認しようと――

 

 

「――グラハム・エーカー!」

 

 

 待ち人の声が聞こえた気がして顔を上げる。そこにいたのは男――グラハムの待ち人である刹那。彼女は息を切らせてこちらへ駆け寄って来た。

 上着や靴などは男性物に見間違えるようなデザインであるが、あくまでもそれは小物だ。本命は、控えめな装飾が施された白いワンピース。

 青と白を基調にした服装――それを見て真っ先に思い浮かんだのは、いつかの軍事演習場に降臨したガンダムエクシアを彷彿とさせる。

 

 はっきり言おう。暫し呆けた。

 

 

「すまない、遅くなった」

 

「い、いや……。私の方も、今来たばかりなんだ」

 

 

 何故かしどろもどろな答えしか返せなくて、グラハムは内心苦虫を噛み潰していた。何か気の利いたことの1つや2つ言えたらよかったのだが、喉が痞えてしまったかのように息苦しい。奇妙な沈黙に耐え切れなくなった男は、現実逃避がてら今後の予定を組み立てることにした。

 

 現在時刻は夜の9時過ぎ。店も施設も大半が営業を終えている。何かを見て回るにしても、どこかの店に行くとしても、行動範囲はぐっと狭まってくる。何をするにしても時間がない。

 このまま『何もできないまま』というのは落ち着かないのだ。幾ら男が“してもらう”――或いは“もてなされる”側であっても、この状況に甘んじているのは性に合わなかった。

 

 

「……何も、用意できなかったんだ」

 

「刹那……」

 

 

 男が気の利いた言葉の1つをひねり出すよりも、刹那が申し訳なさそうに目を伏せる方が早かった。彼女はそれ以上の言い訳をしない。当事者として胸を痛めているらしかった。

 彼女の《聲》を拾い上げる。<戦後の混乱に乗じて馬鹿なことをしようとしていた連中を鎮圧するために奔走した>結果がこの現状。この日のためにしていた準備は全部ダメになってしまったらしい。

 それ故の『何も用意できなかった』なのだろう。俯き、沈黙してしまった彼女の顔を見るのが忍びなくて、グラハムは咄嗟に彼女の手を取った。弾かれたように顔を上げた彼女を真正面から見つめ、微笑む。

 

 

「なら、1つ、私の頼みを聞いてもらえないだろうか?」

 

「俺にできる範囲なら」

 

「――祝ってくれないか? 『おめでとう』と。……去年、キミに頼んだ通りに」

 

 

 ――そう言った自分の声は、震えていなかっただろうか。

 

 だって、男は《識っていた》。自分はきっと、今“こうして”いられない――そんな未来の可能性を《視ていた》のだ。

 “あのとき、踏み出そうとした自分の手を引き留めてくれる人々がいなかったら”――そんなIFを考えることが怖いくらいに、今が満ち足りている。

 

 

『来年はどうする?』

 

『――また来年も、私の誕生日を祝ってくれないか?』

 

『それでいいのか?』

 

『ああ。プレゼントはなくてもいい。キミが「おめでとう」と言ってくれるなら、私はそれだけで充分だよ』

 

 

 戦いが始まる前――つかの間の平和な時間に祝ってもらった、己の誕生日。

 自分が、来年の話をしてきた刹那へ告げた願い事。

 彼女は目を丸くして息を吞む。グラハムの言葉に込めた意図は、正しく伝わったらしい。

 

 ほんの一瞬、刹那の表情が歪んだ。泣き出してしまいそうな面持ちは、けれどすぐに苦笑へと変わる。そうして――彼女は柔らかに微笑んだ。

 

 

「――誕生日おめでとう、グラハム」

 

 

 

***

 

 

 

 遠くから物音が聞こえてくる。起き抜けのぼんやりした意識ではあるが、それが生活音――料理を作っているときに聞こえてくる音だということは気づいた。

 包丁で何かを切る音、フライパンで何かを焼く音、材料や食器を洗う際の流水音がとても心地良い。このまま、とろとろとした眠気に身を任せてしまいたいと思う程度には。

 

 程なくして、良い香りが鼻をくすぐる。食欲をそそる匂いだ。スパイス系の香りだろうか? その間に紛れるようにして、どことなく甘い香りがする。

 

 まどろむ意識のまま手を伸ばす。衣擦れの音とシーツの滑るような感覚があるだけで、何度か空を切った。傍にあるはずだと思っていた質量や温もりがないことに気づいたとき、まどろんでいた意識が一気に覚醒する。案の定、隣はもぬけの空だった。

 シーツに残った温度からして、隣にいたはずだった相手がベッドを出てから相当の時間が経過したのであろう。……成程。生活音を出していたのは、先にベッドから出ていた張本人――刹那らしい。グラハムはゆっくりと体を起こした。

 久々の逢瀬ということで、グラハムは誕生日当日の夕方から長めの休暇届を出した。刹那側の事情はよく分からないが、昨日の会話を思い出す限り、こちらと似たようなものなのだろう。彼女が拠点としているセーフハウスの内装をしげしげと観察しながら、グラハムは身支度をした。

 

 

(……相変わらず、伽藍洞としているな。すぐに離れることを想定しているわけだから、荷物が少ない方が都合がいいのだろうが)

 

 

 モデルルームと大差ない内装と、刹那が持ち込んだであろう僅かな私物。その中に見知ったもの――グラハムが刹那に贈ったプレゼントを見かけて、思わず口が緩む。

 

 その他にも、刹那が誰かから受け取った品物がちらほらしている。セーフハウスに招待される機会が増えれば増える程、少しづつ、彼女の私物――贈り主たちが刹那を想う《聲》も増えてきた。

 それらすべてに応えるかのように、刹那は私物を丁寧に扱っていた。時折、ふとした拍子に穏やかな微笑を浮かべる回数が増えてきたことも、グラハムにとっては嬉しいことだった。

 

 

「おはよう、刹那」

 

「ああ、おはよう」

 

 

 ダイニングに足を踏み入れれば、静かに目を細める刹那と、美味しそうな料理が飛び込んでくる。どれも、グラハムには馴染みのない料理だ。

 以前、刹那が『自分の故郷の料理』と言って送ってくれた手作り菓子は中東のものだった。ということは、テーブルに並んだ料理は刹那の故郷の料理なのだろう。

 刹那に振舞われたとき以外のグラハムにとって、中東料理を食べる機会はそう多くはない。故に、食卓を彩る料理に対して物珍しさを感じるのは当然のことだった。

 

 料理を眺めるグラハムに対して何を思ったのか、刹那は苦笑する。

 

 

「本当は、昨日の夕餉として振舞う予定だったんだ。1日遅れてしまったが……」

 

「そんなことはない。気持ちだけでも充分だというのに……今年は贅沢だな。――キミの故郷の料理かな?」

 

「ああ。……母さんが生きていた頃、一緒に作ったものだ」

 

 

 もう戻れない過去をなぞるように、或いは悼むように、刹那は目を伏せる。そんな彼女を、グラハムは静かに見つめていた。

 つかず離れずの位置に立って、彼女の心に寄り沿う。親がいないグラハムに何ができるかは分からなかったけれど、何かしてやりたかった。

 

 暫しの沈黙の後、刹那に促されて席に着く。彼女は居心地悪そうに視線を彷徨わせた後、自分が作った料理の解説を始めた。

 

 『祝い事などで必ず食される』というポピュラーな料理――肉を乗せた炊き込みご飯・カブサ。肉料理の付け合わせとして長い伝統があるパセリメインのサラダ・タブーレ、茹でたひよこ豆やにんにく、スパイス等を混ぜたものの上にきゅうりやビーツを乗せたストリートフード・バリラ。

 「それから」と言って言葉を切った刹那は、冷蔵庫を開ける。彼女が持ってきたのは小さな陶器。ほのかに漂う甘い香りは、嘗て嗅いだことがあった。その料理の名前は、ウムアリ。中東の言葉で“アリのお母さん”と呼ばれる伝統的なデザートで、祝賀や祭りのときに振舞われるものだ。

 パンとバターを使ったプリンのような焼き菓子には、沢山のナッツや乾燥フルーツが入っている。焼く前にすべての材料を牛乳に浸し、その上から砂糖をかけて焼き上げたもの。――刹那が初めてグラハムに振舞ってくれた、手作りの菓子だった。

 

 

「……次は、いつ作ってやれるか分からないから」

 

「刹那……」

 

 

 刹那は申し訳なさそうに目を伏せた。『暫くの間、グラハムの誕生日を祝ってやれない』と告げたときと同じ顔をしていた。彼女にそんな顔をして欲しくないのに、自分には成す術がないと言うのがもどかしい。

 

 グラハムは刹那に地球のことを頼まれた身。彼女にとって、グラハム・エーカーという人間は“後を頼めるくらいには信頼を置いている相手”なのだろう。不義理と不貞行為を働いて、愚行を繰り返して、前へ進もうとしていた彼女の足を引っ張って困らせたというのに、刹那は“後を託す相手”としてグラハムを選んでくれた。

 去年の誕生日ではろくでもない隠し事をして、彼女に内緒で死ぬ覚悟を固めていたというのに、刹那は怒らなかった。いつかと同じように手を伸ばし、『生きてくれ』と言ってくれた。そうして今年の誕生日もグラハムの我が儘を叶えてくれて、一夜明けた後も素敵な贈り物を手渡してくれている。

 

 

(彼女を愛する男として、私に出来ることは――)

 

 

『想いを口に出すのは無粋になりがちだ』

 

『だが、時には口に出さねば相手の心に想いが響かぬ時もある』

 

 

 ――不意に、ノイズ塗れの虚憶(きょおく)が《視えた》。

 

 見知らぬ場所の、見知らぬ施設内部。新たな一歩として旅立つ者たちと、そんな旅人たちを見送る誰か。旅立つ者たちから『共に来て欲しい』と希われていたニュータイプの少年は、『箱を開けた責任を果たす』と言って地球に残った。ザビ家の末裔の傍に居ることを選んだのだ。

 外宇宙への旅路へ志願した者の中には、戦時特例による司法取引で無罪放免となった者もいる。彼らはイノベイターと共に旅立つことを望んでいたようだ。彼らの想いを感じ取った女性は敢えて何も語らないことにしたようだが、そんな彼女に苦言を呈した者がいた。今の言葉は、そのうちの片方が彼女に語ったことだった。

 男性のソレは、苦言というよりはアドバイスに近い。それは嘗て自分が経験したことであり、イノベイターの女性から教わったことでもあった。同時に、嘗ての女性が『男性から教わったことだ』と零していたものでもある。それを聞いた女性は仲間たちを見回した後、意を決したように口を開いた。

 

 

『みんなと共に行けることは心強い。……だが、それ以上に俺は嬉しく思っている』

 

 

 刹那から“後を託された”ことを、グラハムは誇りに思っている。そこに嘘偽りもない。

 それと同じくらい、グラハムは“刹那と共に往きたかった”。それが我が儘でしかないことを理解している。

 

 口に出すにはあまりにも無粋。こんなものを刹那の心に投げかけたところで、彼女の邪魔にしかならないだろう。そんなことは否が応でも《理解し(わかっ)ていた》。……なのに。

 

 

「旅路は、キミたちだけで行かなければならないのか?」

 

「グラハム……?」

 

「――やはり、私のような半端者(ニンゲン)では、キミの供としてはお邪魔かな?」

 

「そんなことは……!」

 

 

 存外、意地の悪い――拗ねたような調子の声が出ていたらしい。刹那が珍しく声を荒げて否定にかかった。

 それでも、刹那はグラハムを旅路の供に選ぶつもりはないようだ。赤銅色の瞳は、途方に暮れてしまったように揺れている。

 「すまない」と短く謝罪し、グラハムは刹那に手を伸ばす。頭を撫でて、頬に触れて、彼女の顔を覗き込んだ。

 

 

「私は自他共に認める程我慢弱い。少しでも、キミには早く帰ってきて欲しいと思っている」

 

「……すまない」

 

「謝らないでくれ。これは私の我が儘だ。……まあ、私も新人類(■■■)の端くれ。キミを待つことに関しては、何の問題もないよ」

 

 

 人間としての枠組みはとうに超えてしまった身。新人類の1種として『目覚めた』己は、普通の人間とは比べ物にならない程の長命と、緩やかな加齢を手に入れた。現在確認されている限り、最長記録は500年程度だ。それくらいの間なら、刹那の帰還を待ち続けることが出来る。もしかしたら、最長記録が更新される可能性もあるかもしれない。

 刹那は言った。『旅路の最中に、ELSと融合する必要が出てくるかもしれない』と。ELSと融合した人間の寿命がどうなるかは分からないが、今のグラハムならば“彼女が旅路を終えて帰還した後も、充分共に時間を歩むことはできる”だろう。――“3桁年内に、彼女が還ってきてくれたのならば”という前提がつくけれど。

 

 

「ああそうだ。我が儘ついでに、幾つかいいだろうか?」

 

「俺に出来る範囲なら」

 

 

 グラハムの言葉に、刹那は即座に頷き返す。どこまでも真摯な眼差しと想いが伝わってきた。――そういうところが愛おしいと思う。

 

 

「――すべてを終えて帰還したキミを、一番()()に迎える権利が欲しい」

 

 

 それを聞いた刹那が目を丸くする。彼女はグラハム・エーカーという男の気質を熟知していた。それ故に、意外に思ったのだろう。

 先程も彼女に言ったが、グラハムは自他共に認める程には我慢弱い性格である。自分で言うのも何だが、独占力も人一倍あるし、割と執着しやすい方だ。

 多分、そういう人間が望むのは“一番()()”であろう。実際刹那もそうだと予想していたらしく、「最後でいいのか?」と問いかけてきた。グラハムは頷く。

 

 

「ああでも、帰還に関する連絡は、一番最初にして欲しいな」

 

「何故?」

 

「キミを迎えるための準備があるからね。お好み焼きの材料を揃えたり、パウンドケーキを焼いたりとか」

 

 

 お好み焼きとパウンドケーキ――2つの料理名を聞いた刹那は、グラハムが言わんとしていることの意味を理解したらしい。小さく息を飲んだ。

 刹那がグラハムにウムアリを手渡してくれた日のオフ会で作った料理がお好み焼きで、ウムアリへの返礼としてグラハムが作った菓子がパウンドケーキである。

 

 この時点で、彼女は既にグラハムが言わんとすることを理解している。だが、グラハムは敢えてそれを口に出した。

 

 

「どれだけ時間がかかっても構わない。戻ってきた後、私よりも先に会いたい誰かがいてもいいんだ。そちらを優先してくれていい。だから――」

 

 

 “刹那が地球に帰ってきたら会いたい相手”には見当がついているし、その相手に対して妬いてしまう気持ちがないわけではない。己の我慢弱さに関しては言わずもがな。……それでも、「構わない」と言いきれてしまうのは、偏に彼女への『愛』であった。

 空を愛し、空に焦がれた少年時代。刹那とガンダムに出会い、彼女らに焦がれて駆け出した青年期は、未だ道の途中。戦乱が終わり、新たな始まりを迎えた世界共々、道は続くのだ。グラハムを取り巻く環境は大きく変わり、グラハムも変わっていく。

 胸に抱き続けるこの『愛』のカタチも、それを出力した際に形作られるであろうモノも、絶えず変化し続けるのだろう。だけど、変わらないものがあるとするなら、それは――。

 

 

「旅が終わった後は――キミと共に在ることを、許してほしいんだ」

 

 

 ELSの故郷を救い、地球に帰還した後。刹那が再び外宇宙へと旅立つのか、地球に根を下ろすのかは分からない。現時点での展望を聞いたところで、旅の途中で心変わりすることもあるだろう。新たなステージに踏み出すのも、未来を夢見る若者たちの背中を見守るのも、彼女の自由だ。

 

 今回の旅路に、グラハム・エーカーは不必要である。刹那はそれについて申し訳なさそうにしていたけれど、己の意見を曲げるつもりはないようだった。グラハムだって思うところはあるけれど、彼女から“後を託せる相手”として見出された身。そこに不満はない。

 だが、グラハムにだって限界はある。元々が我慢弱い気質なのだ。自分の限界は熟知している。故に、出した妥協点(こたえ)は“ELSの母星を救いに行って地球に帰ってくるまでなら頑張れそうだが、それ以上/以降も離れ続けるのは厳しい”というものだった。

 

 それを素直に告げれば、刹那は何とも言え無さそうな表情でグラハムを見つめる。赤銅色の瞳に滲むのは、呆れと慈愛。

 グラハム的にはそれだけで充分なのだが、刹那は少し考え込むような動作を見せた。おや、と思ったのと、彼女が小声で呟いたのはほぼ同時。

 己に言い聞かせる様な声色で紡がれたのは――つい先程《視た》虚憶(きょおく)で誰かが言っていたアドバイス。

 

 

「“言葉にしなければ、相手の心に響かないこともある”、か……」

 

「刹那?」

 

 

 意を決したように、刹那は小さく頷いた。

 赤銅色の瞳は、どこまでも澄み渡っている。

 

 

「改めて言う。……今回の旅路に、あんたを連れていくことは出来ない」

 

 

 彼女が紡ぐ言葉を、グラハムは真正面から受け止める。込められた想いに触れようと試みる。

 

 

「旅路は、長く過酷なものになるだろう。いつ戻れるかも分からない。だから、暫くは、あんたの誕生日を祝ってやれないんだ。すまない」

 

 

 知っている。だってそれは、他ならぬ刹那がグラハムに語った話だ。それを“今、改めて話すこと”に意味があるのだろう。

 刹那は一度そこで言葉を切った後、躊躇うように俯く。その様子は、いつかの少女の面影を連れてきた。

 グラハムが刹那の正体を知った後の、1番最初の逢瀬――終わりと崩壊を覚悟して向き合った、最初の決戦を思い返す。

 

 あのときの少女は、手を強く握りしめて泣いていた。『自分には何かを望む権利などない』と、己を罰しているかのように。

 今の刹那は、その時と同じように手を握りしめている。唯一の違いは、彼女の瞳に滲む感情が悲嘆ではないことだろう。

 

 ――例えるならそれは、緊張、だろうか。

 

 

「だが――」

 

 

 赤銅色の瞳は、真っすぐにグラハムを映し出す。

 

 

「今回の旅路が終わり、お前の元に帰ってきたら、そのときは――」

 

 

 彼女は微笑み、手を差し伸べてきた。

 

 

「俺と一緒に……共に行こう。グラハム」

 

 

 刹那の言葉が、刹那の想いが、グラハムの心に響き渡る。“心臓を矢で打ち抜かれる”とはこういうことか――なんて思ったのと、刹那がぎょっとしたように目を剥いたのはほぼ同時。

 酷く狼狽した様子の彼女から「泣くほど嫌か……!?」と問われて漸く、グラハムは『自分が泣いている』ことに気づいた。グラハムは苦笑し、静かに流れ続ける涙を拭った。

 

 

「心配は無用だ。嬉し涙というヤツだよ。……少しばかり、情けないがね」

 

 

 差し伸べられた手に応えるように、グラハムも手を伸ばした。刹那の手を取って、そっと握り返す。

 

 互いの顔を見て微笑み合って、額を合わせてまた笑う。<嬉しい>や<愛している>という互いの《聲》がよく聞こえてきて、それが嬉しい。心が結ばれているのだと――分かり合えているのだと実感する。それを齎してくれたのは、他ならぬ刹那だった。

 暫しじゃれ合った後――我に返って照れ臭くなったのか、刹那が顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。「料理が冷めてしまう」という彼女の言葉に同意し――それでもかなり名残惜しかったのだけれど――グラハムは刹那を離し、朝食に向き合う。

 自分たちがじゃれ合っていた時間は思いのほか長かったらしく、料理から漂う湯気が見えない。それでも料理の熱は薄らと残っており、食べられないわけではなかった。いざというときは、電子レンジという文明の利器もある。

 

 雑談に興じながら、グラハムは料理に手を伸ばす。

 別れまでの足音など感じさせないくらい、穏やかで幸せな時間が流れていた。

 

 

 




【参考及び参照】
『TABIPPO.NET 中東で食べたい国民食8選』より、『カプサ』、『タブーレ』
『世界の料理 総合情報サイト e-food.jp』より、『カブサ(カブセ)』、『タブーレ』、『バリラ』
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