板壁の隙間から差し込む乾いた朝陽に瞼を突つかれ、フウヤは目を覚ました。
ああ、夕べのアレは悪夢であってくれたんだ。
でなきゃ、こんなにきちんと毛布にくるまって、グゥグゥ寝ている訳無いじゃないか。
身を起こす。
トンでもなく重い。
・・・・・・
シンリィは……
ルウの懐には湯タンポがあり、ヤンの枕元には、夕べ女性が指示した通りの薬湯がならんでいる。
・・・・・・
シンリィは!? シンリィは何処だ!?
外にまろび出ると、ぬかるんだ地面に、夕べの足跡が乱れている。
軒下でこちらを見ている馬達の間に白蓬は居ない。
右手がチクンと傷んだ。
握りしめたままの拳を開くと、半月型の半透明の石。
シンリィがいつも首に掛けていた、二つの石の片方だ……
ああ……
フウヤは脱力した。
「僕の、せいだ」
冷静に判断したら、二人の病気は命に関わるような大事ではなかった。
僕が取り乱したせい。
無知で弱虫な僕のせいで、シンリィは魔物に連れて行かれてしまった。
一人立ちするなんて勢い付いて、いざとなったらナーガさんに頼れるつもりでいた。
最低だ………
室内に戻ると、ヤンが目を開いてこちらを見ていた。
「ヤン!」
慌てていざり寄り、頬と首筋に手を当てる。
夕べの熱さは引いていた。
「薬、飲める? ああ先に湯冷ましだ。食べられるんなら雑穀を煮るよ」
「・・フウヤのせいじゃない」
掠れた声に、鍋を手にしたフウヤは止まった。
「遠くに女のヒトの声が聞こえていた。最初、薬をくれたお婆さんが誰か寄越してくれたのかと思っていたけれど……外の恐ろしい声も聞こえて、起き上がりたかったのに、身体がもうカケラも動かせなくて……ごめん、フウヤ。何も出来なかった」
「…………」
「前の晩に、ルウに術を使わせたのは僕だ。誰かのせいだとしたら、僕だよ」
「だ、だだ誰のせいでもないっ。誰かのせいって言うの、もう禁止っ!」
一気に吐き出して、フウヤはせかせかと朝の仕事を始めた。
馬に麦をやって、湿った布類を干して……
堪(こら)えていた塊が滑り落ちそうになる。
駄目だ駄目。今メソメソしたって、何にもならない、何も進まない。
気温が上がるとルウもモゾモゾと動き出した。
こちらは昨日の夕方からの記憶が無いので、ゆっくり食事をさせながら経緯を話す。
「シンリィに、自分の人生を売り払わせてしまった……」
彼女の呟いた言葉が自らに向けての物なのは分かっていたが、フウヤはまた胸が軋んだ。
「とにかく旅を続けよう。蒼の里に近付けば、連絡する手段も出て来るだろう。まずはシンリィの事を報せなきゃ。平行して炎の狼の事も聞いて回ろう」
ヤンはまだ血色が悪いが、地図を広げて算段を始めた。
この小屋は一泊限りにしてくれと言われている。
「今度こそ宿を目指そう。もしくはきちんと養生出来る場所」
山を少し下りた所に大きな河川があり、太い街道が沿っている。
「道沿いに一軒宿くらいはあるかもしれない」
地図には、村や街は記されているが、小さな集落までは書かれていない。
しかし今日はあまり当てずっぽうに歩く訳には行かないが……
少年二人が話し合う横で、ルウシェルは決心したように口を開いた。
「私が、上空から偵察する」
「えっ!?」
彼女の飛行術と粕鹿毛の折り合いは悪いままで、挑戦しては暴走させて、シンリィが抑えに行くのが常だった。
「シンリィがいたからつい甘えてしまっていたんだ。もう甘えられないって覚悟すれば、きっと飛べる!」
と言って粕鹿毛を引き出して来たが……
――どん!!
「やっぱり」
風圧に尻餅着いた二人は、でもすぐに「おぉ」と声を上げた。
一瞬だが、粕鹿毛が鼻面を垂直にし、馬銜(はみ)をしっかり受けたのだ。
まるで昨日の白蓬みたいに。
もっともその後は、また暴走されて散々だった。
それでも、額にコブを作り口の中を切りながらも、ルウは自力で降りて来た。
「と、取り敢えず、地図と同じ形の川と街道があった。道沿いに屋根がポツポツ……これから東に向かうんだよな、そっち方面に二回曲がった所に、大きな屋根が一杯があった」
「やった! お手柄だぞ、ルウ」
「えへへ」
ルウはその後、「要領が分かって来た」と、二、三回飛んだが、更にコブを増やした所でヤンに止められた。
「そうそうすぐには上達しないよ。でも、折り合える瞬間が増えたね。一歩一歩だよ」
「うん!」
三人は、この日やっと笑顔になれた。
***
ルウが見た川沿いの集落には宿屋があり、陽のある内に辿り着けた。
今度は何事もなく宿泊出来て、前日の村の話をすると、「ああ、あそこはね……」と、気の毒そうな顔をされ、夕食を一品多くサービスしてくれた。
近隣では有名だったらしい。
そのまま山を迂回して、人里の多い街道ルートで、蒼の里へ向かう事にした。
当初の予定の山脈越えより日数が掛かってしまうが、知らない土地を情報無しで歩く怖さが身にしみた。
そう頻繁に宿屋には泊まれないが、街道沿いは何となく夜営ポイントがあり、不文律のように旅人同士が譲り合って使う感じになっていた。
ルウは朝晩焚き火で温石(おんじゃく)を作り、常に懐に抱いているようにした。
フウヤは勝手に一人で働こうとするヤンをガンガン叱り、ヤンは自分の役割と思っていた仕事の幾つかを、フウヤに渡した。
何より、三人とも、怪我や体調の異変をすぐに言うようになった。
無理して頑張ったって、ロクな事にならない。
フウヤの胸には、革紐に通した半透明の石が下がっている。
何かを間違いそうになった時、これを見て冷静になろうと、自分の中だけで決めた。
そうして三人は、旅を始めた頃よりも、まったく違う顔付きになって行った。
「ここにも大した情報は無かったよ」
山脈を迂回しきった草原の入り口の村。
情報を聞き終えて村外に出ると、地平まで続く冬草の海に、広い広い空が広がる。
ここまで来ると、大体の部族が蒼の一族を知っていた。
最近長様が代替わりしたとの噂も届いていて、お祝いの裾分け菓子と、風船玉の飾りを貰ったりした。
会った事もないのにちゃんとお祝いするんだなと、ルウは不思議な気分になって、羊の腸を膨らませた風船玉を手の間でポンポン弾ませた。
直接の連絡方法を知っている部族にはまだ会えない。
届くかどうか不明の『祈願』の方法はあったので、手紙を書いてそこに紛れ込まさせて貰った。
「あっちが三峰だよ」
フウヤは、西側に延びる山脈を指す。
「麓から見上げたら三つの峰が天に突き刺さりそうで、めっちゃカッコイイんだ。ルウに見せてやりたい」
「うん、見に行けたらいいなあ」
ルウシェルは青くけぶる山影に目を凝らした。
「私を送り届けたら、二人は三峰に帰っちまうのか?」
「そうだね、時間的にリミットだし」
ヤンとフウヤは、三峰の狩猟が暇になる冬の間だけ、族長に許可を貰って旅に出ている。
平野の雪はもう無いし、山ももうそろ目覚める時期だ。
「ルウには蒼の里で勉強するって目標があるじゃないか」
「うん……」
旅はいつか終わる物。
だけれど三人で居たのが一人と二人に別れれば、一人の方がより寂しいのは否めない。
「少なくとも蒼の里のジュジュはめっちゃ良い奴だよ」
「二人の話によく出て来るな。どんな奴?」
「え――と、イケメン」
「うん、イケメン、イケメン」
「二人とも、私がイケメンって言えば喜ぶと思っているのか?」
馬を進めながらそんなバカ話をして笑える程、三人の傷はなだらかに癒えていた。
だけれど、この傷は乾いても、塞がる事はない。
羽根の子供に再び会いまみえる日まで。