ヤンとフウヤ
筋雲に、ひときわ高く鳶(トビ)が舞う。
初夏の三峰の岩尾根。
「鳶は怖くないのかなぁ」
成長して黒髪から赤さの薄れたヤンが、頂上の尖り岩の先に立って、空を見上げている。
三峰部族の徴(しるし)の、鮮やかなバンダナとビーズ飾り。
風に揺れるは、片側が欠けた緋い羽根。
西風の女の子が半分に裂いて、くれた物だ。
・・ん?
白い筋雲が不自然に揺れて、グニャリと歪んだ。
その辺りを軸に、空に水滴を落としたような波紋が広がる。
――ええっ?
「ヤン――!」
離れた梢から、白毛のフウヤが叫ぶ。
「余所見していないで。今日は大事な日でしょ!」
「あ、ごめん」
少年は慌てて谷を見渡す。
鹿は基本群れで移動するが、この時期は単独で動く若い牡も多い。
だけれど今日、狙うのは……
「来た!」
樹上のフウヤが構え、
「ザクロ岩!」
というヤンの声で、谷に向かって飛び降りる。
ザザァと、一直線に樹上を渡って行くフウヤの気配。
鹿は当然、察して動く。
ヤンは指を輪にしてくわえた。
――ヒュ――――ィイ
谷に澄んだ指笛がこだまする。
今の指笛でフウヤは鹿の逃げた方向を知り、先回りのルートへ曲がる。
ヤンも岩を飛び降り、山肌を駆け降りた。
もう昔の子供の足じゃない。
あれから二度、フウヤと冬の旅をした。
ふくらはぎは厚みを増し、バネのような体躯は、下生えを物ともせずに、急斜面を駆ける。
予想通りの獣道を逃げ上がって来た鹿を、自慢の動体視力が捉える。
流れるような動作で放たれた矢は、正確に急所へ吸い込まれた。
止まっていた息を吐いて、もう一度空を見上げると、先程の波紋は消えていた。
「……気のせいだった? まさか、僕が見間違いをするなんて」
獲物の血抜きをしていると、フウヤが上がって来た。
二人で鎮魂の祝詞を唱え、気合いを入れて獲物を担ぎ上げる。
通常なら二人なんて人数じゃ、獲物は現場で解体して分けて運ぶのだが、今日は形を保って持ち帰る必要があった。
二人の少年がヨレヨレになりながら集落へたどり着くと、入り口で大人の男達が待ち構えている。
門を潜ると、男達は一斉に集まって担ぎ手を引き受け、疲労困憊の少年達の背中を無言でバンバンと叩いた。
広場でいつも通りの厄落としの儀が行われ、終了するや、皆がワッと声を上げる。
「大角を捕って来やがった」
「魅せてくれるじゃあないか、小童ども」
三峰では、山への畏敬を示す為、鎮魂と厄落としが終わるまでは、慎んで待つしきたりになっている。
だけれど今日は、少年達が仕留めて来た予想以上の大物に、歓声を上げたくて皆、喉がムズムズしていたようだ。
「聞いてくれ」
イフルート族長が壇上に上がり、男達は一旦静まった。
「三峰の掟に乗っ取ってヤンは試練に挑み、捕って来たのは角が五つにも別れた大鹿。成人の儀礼の一つ目の条件を通過したと認めようではないか」
男達は歓声と共に肯定の拳を突き掲げた。
頬を紅潮させた少年達にヤンの母親が駆け寄り、涙ぐみながら二人の肩を順に抱いた。
狩猟民族三峰の男性は、十五、六歳頃に成人の通過儀礼に挑む。
即ち、一夏で、鹿・猪・鳥を一回づつ狩って来る事。
獲物は男達全員を頷(うなず)かせる物でなくてはならない。
歳の近い者一人を助手として補佐に使えるが、武器を持つのは本人のみ。
そして他者の手を借りず、助手と二人で集落まで持ち帰る。
実はこの『持ち帰る』が一番の難関で、何も考えずに谷底で大物を仕留めたりすると、往生する羽目になる。
命に対する責任を、一から十までしっかり背負えという意味で、それを通過出来て初めて成人と認められ、意見を言えたり所帯を持てたりする訳だ。
単純に矢を放って命を奪うだけなら、運が良ければ子供にだって出来る。
で、今年十五になるヤンは、この夏その儀礼に挑んでいる。
「僕が助手で良かったの? 運ぶ事を考えたら、もっと年上の筋骨隆々なヒトに頼んだ方が楽じゃん?」
三年半前に三峰に迷い込んだ白毛のフウヤは、明らかに種族が違う。
元々が小柄で食も細く、この三年半で背は伸びた物の、身体の厚みが全然増えない。
体重はヤンの半分程だろう。
お陰でいまだに樹上を飛んで獲物を追い立てる役割が出来ているのだが、力仕事には向いていない。
「そうだね、でもフウヤが誘導してくれたら、確実に大物を狙って行ける。一生に一度の晴れ舞台だもの。過去の凄い例として引き合いに出される程の記録を残したいんだ。フウヤには大変な思いをさせて申し訳ないけれど」
「全然。再来年には僕も挑むし、予行演習になるからいいよ!」
フウヤは貧弱な腕で力コブを作って見せた。
それにしても、普段控え目なヤンが、こんな風に記録に拘るなんて珍しいな。
狩猟の民としての矜持だけは、人一倍分厚いんだよな、ヤン。
解体した鹿の角を貰って二人、桑畑の脇の帰り道。
角を色々な角度で組み合わせて遊びながら、フウヤが聞く。
「猪は分かるけどさ。『鳥』って? 皆を頷(うなず)かせる鳥ってどんなの? 他のヒトは何の鳥を捕って合格したの?」
「う――ん……えっと、教えてくれないんだ」
「ええっ、どうして?」
十年前の災厄で、三峰は子供の命を根こそぎ奪われた。
ヤンに歳の近い者がいないのだ。
実際フウヤも、ヤンが挑む段になって初めて、成人の儀礼の存在を知った。
「己が頭で考えるのも試練の内だとか言って」
「何だよ、それ。ヤンの世代めっちゃ不利じゃん」
そんなお喋りをしながら、分かれ道に付いた。
真っ直ぐはヤンの母が待つ家、右は糸玉婦人の家。
フウヤは、じゃあ、と言って、右へ下る。
ヤンの家に世話になっているフウヤだが、最近は、細工職人である糸玉婦人の夫の工房に入り浸っている。
結構スジが良いらしく、気難しい親方が珍しく誉めていたと聞いた。
ヤンの母親が、あの家に養子になってしまうのではと気を揉んでいるが、そうなったらそれで構わないと、ヤンは思っている。
いつまでも二人一組ではない。
フウヤにはフウヤに合った道がある筈なのだ。
「今、僕用の弓を試作してる。小型だけれど威力のある奴。再来年にはヤンの記録を抜いちゃうからね」
「ふふ、僕が運べる範囲にしてよ。そうだ、母さんの毛糸紡ぎ機を改良してくれたでしょ、隣の女将さんが見て、羨ましがってたよ」
「あは、あれ、具合良かった? 明日の休みに女将さんの所のもやってあげようか? あっ、ヤンは明日は壱ヶ原の街へ下りる?」
「うん、角を売るのと、あと多分、手紙も溜まっていると思うから」
ヤンはヤンで、麓の壱ヶ原(いちがはら)の街で、やっている事がある。
三年前に旅から戻ってすぐ。
ヤンはフウヤを伴って、三峰から一番近い大きな商業地、壱ヶ原の街へ行き、旅人達が行き交う休憩所の壁一枚を交渉して借り受けた。
子供が何をするのかといぶかしがられる中、塗料を作って、壁一杯に地図を描く。
イフルート族長に借りた、近隣だけではない広範囲な地図。
地図上の自分達の歩いた道に目立つ色を付け、その色で日付も書き添えた。
「自分達の旅した記録を皆に見て貰う為?」
何だかヤンらしくないねと隣で首を捻るフウヤに、ヤンは、しばらくしたら分かる、と口を結んだ。
一月ほど経って行ってみて、フウヤにも意味が分かった。
地図に新たな道の書き込みがある。
知らない筆記具で、日付と道。
あと、川に『橋、流された』という書き込みと、すぐ上に『復興済』と別の文字と日付。
「ヤン、これって……?」
「便利で助かる物なら、皆協力してくれる」
今まで、生きた情報は口伝えで貰うしかなく、その場に居る者にしか伝わらなかった。
これなら後から来た者も簡単に知る事が出来る。
確かに便利。
それに直近で誰かが歩いた道と分かっていたら、安心して歩ける。
紙の地図は貴重品だが、書かれた当時の記録でしかないのだ。
前回の旅で病気で倒れた後、街道の夜営場で出会った旅人達の会話を聞いて、思い付いたという。
『病人は入れてくれない村』の書き込みもしっかりとある。ヤンではない別の誰かの書き文字で。
やがて、真面目に協力しようと考える者が複数現れ、通りすがりに積極的に書き込んで行ってくれるようになった。
文字の読めない者にも、休憩所に居る誰かしらが読んで教えてくれる空気になっているようだ。
今では地図以外の耳寄り情報も増えたので、隣の壁も借りて掲示板にしている。
ヤンは月に一、二度そこへ行き、古い掲示を消したり過去の情報簿を作ったりの管理をしている。
イフルート族長は最初、何をやっているんだという顔をしていたが、一度街へ下りて壁の地図を見た後は、ヤンがなるべく街へ下りられるよう、買い物係に任命してくれた。
「さすがヤンだね。皆、役に立つって喜んでくれているよ」
と誉めつつも、フウヤは何か引っ掛かりを感じていた。
親切で思いやり深いヤンではあるが、こんな風に先頭で音頭を取るタイプではなかった筈……
「街へ下りたついでに、ネジとか工作の材料を頼んでもいい?」
「いいよ、朝までに書き出して置いて」
家路に向いた背の高い少年に、白い少年はまだ何か言いたそうにしている。
「どうした?」
「いや、ヤン変わったなって思って。大勢のヒトと交流するのなんて、苦手じゃなかった?」
「今だってそうだよ。たまに胃が痛い」
「無理……してない?」
「無理って程でもないよ。これは布石だ。やって置かなきゃならない事。ルウとの約束」
「…………」
三年前、蒼の里まで一緒に旅したオレンジの瞳の女の子、西風のルウシェル。
彼女とは、結局あれきりだった。
二回の冬の旅で、砂漠地方に足を踏み入れはしたが、結界で覆われているという西風の里は見付けられなかった。あちらはそもそも部族間の関係が悪く、隠し集落が多いのだ。
一度だけ蒼の里のジュジュが三峰まで飛んで来て、帰る直前に書いたという彼女の手紙を届けてくれた。
ルウは、予定通り蒼の里で留学生活を送ったが、五か月程経った頃、西風から戻った鷹の手紙が彼女の母君の重病を告げた。
取り急ぎナーガ長が高空気流で西風まで送る事になり、彼女は取るものも取りあえず、慌てて帰ってしまったのだ。
本当なら帰りに三峰に寄りたかったのにゴメンと、見慣れた可愛らしい文字の茅紙に、半分に裂いた緋い羽根がハラリと挟まれてあった。
――私は、川で会ったあのヒトに言われた通り、今と変わらず真っ直ぐに生きる。ヤンとフウヤもそのまま生きて、そしていつか必ず、一緒にシンリィに会いに行こう――
「僕は半月の石を持っているから、その羽根はヤンが持っていて」
フウヤにそう言われて、ヤンはバンダナに大切に羽根を縫い付けた。
信じ続ける事。
その瞬間を手繰り寄せられるよう、今、自分に出来る精一杯をやって置く事。
二人はその時それを誓った。
壁の地図が盛況になって来た頃、ヤンは掲示板の下に、投函箱を設けた。
積極的に情報をくれていた信頼出来る旅人達や、その伝(つて)を辿って網を広げるように、遠くの今まで縁も無かったような者達と、手紙のやり取りを始めたのだ。
――炎の狼と羽根の子供の情報を捜しています――
そう、そちらが彼の、『本来の目的』だった。
僕らは無知だ。
何も知らない。
だけれど、待っていても誰も何も教えてはくれない。
知識はこちらから貪欲に捕らえに行かなくては。
「手紙で、大人相手に自分が何者であるかを名乗るのに、背伸びは要らない。『今年成人の儀礼に挑戦中。記録を残そうと頑張っています!』ぐらいの青臭い事を書いている方が、好感度が高いんだ。特にお爺ちゃんとかに」
「……ヤン、やっぱり変わったよ……いや、もしかしてヤンって、元々そういう奴だった?」
「あははは、どうだろ」
黒髪の少年は、夕陽を逆光に、目を細めて笑った。