砂の地平が滲(にじ)んで波打つ。
「嵐が来る」
粕鹿毛の鞍上でオレンジの瞳の娘が、首のストールを鼻の上まで引き上げた。
「狩りは終いだ。根城(ねじろ)へ戻るぞ!」
「嬢(じょう)!」
殿(しんがり)を務めていた灰色の騎馬の青年が叫んだ。
「砂の魔だ!」
後方で砂が盛り上がり、かなりな早さでこちらへ向かって来る。
一匹二匹じゃない。
砂嵐と挟み撃ちの形になる。
「ふん」
娘は剣に手を掛けた。
「お前ら南東へ走れ。流砂の谷を迂回しても、今なら砂嵐から逃げ切れる」
「嬢、我々も!」
剣を抜き掛ける灰色の若者達を、娘は制した。
「今日は守るべき者が居るだろう」
「あ……」
この日は初めて狩りに出た子供が二人、同道していた。
真っ青な顔で肩を竦(すく)めて、歯をカチカチ震わせている。
娘は子供らに寄って、今一度ストールを引き下げた。
「馬のタテガミをしっかり握って、死ぬ気で皆に着いて行け。お前らは誇り高い『砂の民』だ。目を上げろ」
「は、はい!」
子供は電気で打たれたみたいにピシッと背を伸ばした。
「行け!」
「おぅ、嬢も気を付けて!。」
「案ずるな、子分を守るのは親分の役目だ」
砂の民の若者達は年若い者を囲む陣形で駆け去った。
娘は迫り来る砂の魔に向き直って抜刀した。
柄に七宝の花模様の、白銀の剣。
――!!
砂が跳ね上がり、数匹の巨大蠍(さそり)が空中に踊る。
「出会った事を不運と思え! 私は『砂の民』のルウシェル!」
***
三年前。
北の草原、蒼の里で、学問に剣の稽古にと充実した日々を過ごしていたルウシェルの元に、西風から戻って来た鷹が、母が重病との報を告げた。
動揺する彼女を、ナーガ長が先導し、高速気流とやらで、粕鹿毛と共に西風の里まで送ってくれた。(行きに何週間も掛けた距離を、半日も掛からずに飛んだのにはビックリした)
帰ってみると、母のモエギは目の下に隈を作っていたが、重病という程でもなく、手紙に書いた覚えもないと訝(いぶかし)んだ。
案の定、元老院の手の者が巧妙に、鷹の足筒に忍び込ませていたようで。
「長様がご病気なのは事実であろう。気を回して差し上げた我々の好意に不服を言い立てられるとは、我らは何と不憫な身の上であろうか、おろんおろん」
という言い訳まで用意されていた。
彼らは小娘が高い段に行くのを阻止したい。
賢くなられては困るのだ。
「元老院がネチネチ嫌がらせをして、モエギ様に心労を貯めたんだろうが」
憤慨するシドに、帰って一度も座らせて貰えずあちこち引き回されたルウシェルが、ポツンと言った。
「もういい、シド。我らが暗い顔をしていると母者の身体に障る」
両側から彼女を見下ろしたシドとソラは、目を丸くした後、本当に悔しそうに唇を噛み締めた。
西風の里は、蒼の里と違って絶対君主制ではない。
長が頂点である事に変わりはないが、元老院という年寄り集団が、強い発言権を持っている。
多分元々は、年長者の知恵で長を支えるという意味合いだった。この形が出来た時代は、長く生きた者は年数分の知識と徳を、きちんと積み上げていたのだろう。
今の西風の里は、ぶっちゃけ、子供達が遥かな大空へ駆け上がって行こうとするのを、老人が権力誇示の岩で繋ぎ止めているだけだ(シド談)。
岩を外すと、自分達の立場が失われて行くようで、怖いのだろう(ソラ談)。
留学へ行く前、ルウシェルは母に愚痴った事がある。
「母者、もう石頭の年寄り達なんか無視して、若者だけでガンガン回して行けばいいじゃないか」
「ああ、だけれど、ルウシェル」
モエギは朝夕の風を流しながら、静かに説く。
「私は西風の長だ。長は切り捨ててはならない。新しきも古きも、良きも悪しきも、里の全てを知って受け止めなければ、風が流せない」
彼女は、老人達から元老院を取り上げると、生き甲斐を失くしてたちまち萎んでしまう事を知っていた。
ひたすら、実際に里を運営する若者達と化石頭の老人の間に立って、摩擦を軽減していた。
今回は、ルウシェルが留学に行っている間に、元老院の頂である大僧正が身体を悪くして動けなくなった。
残った老人達は勝手に不安を募らせた。
モエギ長が、この期に老人達の力を削りに掛かるのではないかと。
焦りから、権力の確認の為だけのような言い掛かりを吹っ掛け続け、彼女が倒れるまで追い込んだのだ。
「僕達が付いていながら、申し訳ありません」
「いいよ、シドもソラも西風の為に忙しく働いてくれている。これからは私も母者の側で手伝うから」
そう言ってルウシェルは、十一の子供とは思えない健気さで、母に添って補佐をし始めた。
蒼の里で読んだ様々な書物が彼女の才能を開花させたようで、その利発さは目を見張る物だった。
留学へ行く前の我が儘な糸の切れた風船娘を知っている里の者達は、この変わりように目を見張り、同じ年頃の子供を持っている親達が留学に関心を持ち出すのは、至極当然だった。
修練所のシドの所に相談を持ち掛けて来る家庭が幾ばくかあった。もっとも距離を考えるとそうそう気軽に行ける物でもなく、大体は話を聞いて諦(あきら)めている。
そういった現象は元老院にも伝わり、勿論彼らには面白くない事だった。
蒼の里を上に仰いではいる老人達だが、里人の信頼があちらに偏るのは、自分達の持ち物が減るような気がして嫌なのだ。
「教官同士は仲が良いんですけれどねぇ」
シドは心配するモエギの前で、肩を竦めた。
元老院から修練所に、シドに対するあらぬ言い掛かりが来たようだが、こちらは上で庇って貰えた。今の修練所の教官達は、蒼の里の駐在員が居た頃の教え子が中心で、元老院の息の掛かった者でも、モエギ長に好意的だった。
そういうのが余計に元老院を意固地にさせて行ったのだが、モエギやシド達は、その意固地の度合いを甘く見ていた。
留学から帰って数ヵ月、風のザワ付く冬の夕暮れ。
そういえば去年の今頃、家出をしたんだっけ、今年の冬はヤンとフウヤはこちらへ来るのだろうか、会えるといいなぁ……等と思いを馳せるルウシェルの部屋の窓を、蒼白なソラが叩いた。
「最小限の物だけ身に付けて、そっと窓から出て下さい」
青年のただ事ではない表情に、ルウは即座に従った。
ソラの目眩ましの術に紛れて移動していると、玄関に複数の訪問者が居て、母が対応しているのが見えた。
何だが揉めている風だった。
灌木帯を潜って厩(うまや)の裏手に行くと、シドが自分の馬に鞍を置いて待っていた。
「粕鹿毛は今、押さえられています。でも後で必ず送り届けますから」
そうして、彼の前に乗せられマントに覆われ、夜闇に紛れて上昇した。
里を出てすぐの遺跡跡で、父のハトゥンが待っていた。
ここいらで一番勢力のある『砂の民の部族』の総領息子で、モエギの配偶者。
お互いの役割があるので共に暮らしてはいないが、外ではしょっちゅう会っている。
この夫の存在も、純血主義の元老院は気に食わない。
「我が娘よ、うちの爺さんが会いたがっている。しばらく付き合ってはくれまいか」
それ以来ルウシェルは、砂の民の集落の、父と祖父の元で暮らしている。
理由を聞いても、閻魔様みたいな顔をした総領殿(おじいちゃん)に、「子供が余計な心配をするでない!」と一喝される。
皆が自分の為に、何か凄く無理を通してくれた事だけは感じ取れた。だから素直に従った。
『砂の民のルウシェル』として暮らし始めてすぐ、年の近い子供達の中に放り込まれた。
西風では、元老院の働き掛けで他の子供達と一線を引かれていたので、嬉しかった。
最初はコチャコチャ言われたが、父仕込みの喧嘩術が役に立ち、厳正な総当たり戦を制して、見事『親分』を勝ち取った。
みんな『様』は付けないで、ルウとか嬢とか呼んでくれる。
同い年なりの冗談を言い合い、じゃれ合い、狩りに出たり遠乗りに出たり、西風では経験出来ない遊びも教わった。
あまりに自由でのびのびし過ぎて、生まれた時からここで暮らしていたような錯覚に襲われる程だった。
シドとソラが、乗馬や勉強を教えに通って来てくれた。
彼らを通じて母と手紙のやり取りもした。あの日の真相には触れてくれなかったが。
十二の誕生日に、やっとすべてを知る事が出来た。
その日はシドとソラが、祝いに長剣を届けてくれた。
包みを解いて、ルウシェルは息を呑んだ。
柄に七宝の花模様が散りばめられた、あまりに美しい白銀の剣。
見た事もない代物に目を白黒させていると、昨年ナーガ長がルウを送って来た時に置いて行った、蒼の里からの贈り物だと、ソラが教えてくれた。
「僕はこの剣を知っています。一度だけ腰に下げた事がありました。今は亡き、ナーガ様の妹君から借り受けて」
シドに言われて、ルウシェルは泣きそうな気持ちで、ずっしり重い剣を受け取った。
西風では十二で帯剣を許される。
その日から自分に責任を持ち、独りで身を守るという意味だ。
渡した後、二人は粛々と教えてくれた。
あの時元老院は、長娘ルウシェルの婚姻を一方的に進めていた。
相手は勿論自分達の手の者。
日に日に手に負えなくなる長娘を、一刻も早く支配して閉じ込めてしまいたかったらしい。
「そんなの、断って済ませられない物なのか?」
「あのヒト達の頭にそういう構造は無いですから。百万年前のやり方を押し通そうとしていました」
「…………」
その百万年前のやり方がどういう物なのか二人は具体的に教えてくれなかったが、良くも悪くも荒くれ者な砂の民の若衆の中で俗な知識に揉まれていたルウシェルは、背中でゾワッと理解した。
逃がしに来てくれたソラが蒼白だったのが分かった。
さすがにモエギ長も、娘を里から離す選択をした。
老人達は、どういう事が『酷い』のかの基準が違う。
『善き事』だと思い込んでいるのが始末におえない。
そうして、総領殿(おじいちゃん)が一人で悪者になってくれた。
孫娘を側に置きたがる、『無駄に権力のある我が儘爺さん』を演じてくれたのだ。
そこまで聞いてルウシェルは、胸の緋い片羽根と赤メノウの腕輪、それと授かったばかりの長剣に手を添えて、目を閉じた。
皆を守れる者になりたいのに……
「まだ、守られてばかりだ……」