全ての事に意味がある。
翌朝、風露の関を再訪するユゥジーンの姿があった。
「フウリさんに直接伝えねばならない事があるんです」
当番の子供を伝令に送りながら、関の番人は首を捻った。
確かに昨日の少年なんだが、雰囲気が全然別人。
一夜でニコ毛が抜けて、いきなり巣立ったツバメみたいだ。
「リリからの伝言です」
馬でフウリの住まいまで飛ぶ許しを貰ったユゥジーンが、到着するなりフウリに向かって姿勢を正した。
「暫(しばら)く帰らない、との事です」
「……? 蒼の里の預かりとなるのですか?」
「いえ」
「では、どこへ?」
ユゥジーンは黙って、テーブルの上に木彫りの人形を置いた。
さっき昨日の丘の上で、大長様から預かった物だ。
「こっ、これ?」
思わず後ずさるフウリ。
彫り跡は新しいが、間違いなくあの『現(うつ)し身人形』。
以前蒼の里から持ち込まれた事があり、現した者の本心をズバズバ喋る、かなり凶悪な代物だ。
既にうっすら光っている。
「フウリさんなら使い方を知っていると」
フウリは神妙に頷いて、作業台からピカピカに磨いた化粧板を取り上げ、そっと人形にかざした。
《母さま!》
板に写った小さいリリが声を上げる。
《ごめんね、急に。あのね、あたし、母さまを恨んだ事があるの。何で風露の子に生んでくれなかったの! って》
「!!」
フウリは青くなって口を手で覆ったが、板をかざすのは止めなかった。
《でも今は感謝してる。あたしが生まれて来たのにはちゃんと意味があった、って分かったから》
ユゥジーンも初めて見る人形の力に、目を丸くしている。
《ね、あたし、やる事が出来たの。独りぼっちで頑張っている子の側で、手伝ってあげる事にしたんだ。それってあたしじゃないと出来ないんですって。凄いと思わない? この世にあたしにしか出来ない事があるなんて!》
フウリは目をしばたかせながら、板に映る小さい娘を白い指で撫でた。
リリは暗い鏡面の中で微笑んだ。
《母さまが寂しい時は、このお人形であたしの姿を見てね。シンリィが彫ってくれたんだ。ちょっと変わってるけどいい子だよ》
それだけ言うと、現(うつ)し身のリリはニコニコと笑っているだけになった。
生まれて大した年数の経ってない娘は、そんなに暴露する事もないのだろう。
「お手伝いって、どんな事なのでしょう……」
フウリは不安を口にした。
この疑問は、夕べユゥジーンも、ナーガにぶつけていた。
そして、言葉にすると単純だが、説明すると非常に複雑な答えを貰っていた。
***
「シンリィの隣に居て、彼の助けになる事だ」
「え…… あの子、まだ生まれて二年なんですよね。そんな訳の分からない空間で、訳の分からないモノと闘うシンリィを……助けるんですか?」
シンリィの居場所が分かったのに教えてくれなかった事にも、ユゥジーンは憤っていた。
自分はともかく、三峰の二人やルウシェルは、今でも心を痛めているだろうに。
「すまなかった。しかし、シンリィの側には赤い狼が居るかもしれなかった」
欲望の赤い魔物を恐れず、あまつさえ召喚しようとした子供達の無鉄砲さを大長から聞いていて、ナーガは躊躇したという。
「あの獣にカケラでも、フウヤや子供達を近付けたくなかったんだ」
「え、じゃあ、リリは?」
「今は、あいつは確実に居ない。居たら僕が許す訳ないだろ!」
「ぁ、はぃ……」
相変わらず滅茶苦茶な嫌い様だな。
狼を抜きにしても、ナーガ長の表情は、焦燥を隠せていなかった。
訳の分からない空間で何年も独りで頑張っていた甥っ子。一緒に居られる仲間が出来たら居るだけでも助けになるだろうと思っていたら、それはまだ二歳の我が娘だった。
幼い彼らを『頭数』に入れねばならなかった蒼の長の苦悩は、傍(はた)からは図りようがない。
ユゥジーンは、意見を言う事を止めて、シンプルに事実だけを聞くようにした。
あの歪んだ水底みたいな空間は、大勢の押し込めた負の心が横這いに繋がった『深層世界』。『現実世界』の裏側にあるが、通常ならば、せいぜい夢で少し迷い込む程度の、薄い存在だという。
「精神を支えるのに必要な世界らしい。ほら、世の中には一見害悪そうでも実は必要な物って、あるだろ」
言われて、何となく納得した。
その空間のバランスが崩れた。どこからかエネルギーを得て存在を分厚くし、活発に動めき出し、波紋の渦を作ってこちらの世界にはみ出して来るようになった。
空間その物に意志は無く、日光に向かって伸びる植物のように、地上の負の心に反応して寄って来るのだという。
エネルギーは意図的に、遠くからこっそり流し込まれていた。その源流に居るのがどうやら、我々、蒼の一族の血の者……ナーガ長が言うには、『祖先』らしい。
「ちょっと待って下さい、ナーガ様」
ユゥジーンが遮った。
「波紋に巻き込まれた者は、あちらの世界で負の自分に会って、陰険な奴にされてペイッて放り出されるんですよね? やられる方にしたら迷惑極まりないんですが、やる方の目的が見えないです。陰険な奴を増やして、ご先祖サマは何かイイコトあるんですか?」
「ああ、その件は、ユゥジーン」
ナーガは突っ込まれるの予測していたように、困った顔でこめかみを掻いた。
「だいたいこれかな、というのはあるんだけれど…………今は保留でいいかな」
「あ、はい……」
ユゥジーンはモヤモヤを抱きながらも承諾した。
波紋の渦を消し去る方法は、破邪の呪文。
術力の低いユゥジーンは、ナーガから術を預かって剣に携帯するという技を、ノスリから延々叩き込まれている。
ただし、空に波紋の渦を見付けて術を撃つだけでは効果はない。
渦は空間の内側に逃げるだけで、すぐ別の所に現れる。
水底の空間の内側に居て、渦が逃げぬように押さえ、尚且つこちらが術を撃ったタイミングで、穴を開けて術を通す者が必要なのだ。
「それが、シンリィ、ですか」
「ああ、シンリィには心の階層が無い。『マボロシ』が存在しない。幾らでもあちら側に居られる」
その『悪巧みをするご先祖』にとって、シンリィの存在は、心底イレギュラーだったのだろう。
そしてシンリィは、当たり前みたいにスンと、パズルのピースに収まりに行った。
ホンット、相変わらずだな、あいつ!
「リリにまで、あの空間の耐性があるとは思わなかった。生まれて二年じゃ、奥の心が育っていなかったという事なんだろうか」
(いや……)
そんな事はないと、ユゥジーンは言い掛けて止めた。
ただですら打ちひしがれている、嫌われているらしき父親に、『俺とは結構お喋りをしましたよ』なんて、気の毒過ぎて言えない。
「これを身に付けて置いてくれ」
最後にナーガ長は、鍵の付いた箱から碧(あお)いペンダントを取り出して、ユゥジーンに渡した。
何かが砕けたカケラのような翡翠。
「昔、通信用に使っていた石板のカケラだ。シンリィの持っているピンクの石と連動している。石を握って、位置とか情報を察知する道具なんだけれど」
「俺にそんな能力ないですよ」
「シンリィが近くに来た時に勝手に震えて教えてくれる。それなりに役立つだろう」
「はぃ……」
ユゥジーンは自信無さげに、妖しく光る石を受け取った。
ヒヤリとした感触で、『足を踏み込んでしまった』という自覚が、今更ヒシヒシと伝わった。
歪(いびつ)な形の、石版の破片……
そうだよ、俺はシンリィと違って、自分の役割(ピース)に収まる勇気が無かっただけなんだよ。
***
『シンリィの隣に居て彼の助けになる事』
この単純な一文を、リリの母親にキチンと説明出来る自信がユゥジーンには無かった。
そうなんだ、偉いヒト達は好き好んで秘密主義な訳じゃない。説明の内容のひとつひとつを理解して、受け止めきれる相手でないと、話せないんだ。
「近々、ナーガ長がきちんとお話ししにに伺います。俺は一刻も早くこの人形をフウリさんに届けたくて、今日、一足先に参りました」
「そう、ありがとう、とても嬉しいわ」
フウリはもう一度、鏡面に映った笑顔の娘を撫でた。
「確かにいずれはお別れすると思っていたけれど、いざ居なくなられて、心が追い付かないと思っていた所でした。あの子の方がずっと大人だわ。置いて行かれて、情けない母親ね」
***
歪んだ水底の空間にも、昼夜はある。
白蓬の馬が、ぐにゃぐにゃに歪んだ朝の筋雲の空へ、舞い上がる。
手綱を取るのは薄水色の髪に緋色の羽根の子供。
そして後ろには紫の前髪の女の子。
夕べ、もう一度背の高いヒトの『意識』が来て、色んな事を教えて貰った。
術も何もかもまだ全然だけれど、シンリィの側に居てあげる事は、何処の誰よりもあたしだけに出来る事。
「やっと見付けた、あたしだけの役割!」
~水の底・了~
~二の章・了~