地平線に金の線が入り、朝陽が登る。
ヤンとフウヤの二人は、サクサクと山を降りて平地に掛かった。
まだ起き出さない壱ヶ原の街の前を通過する。
昼近くに、大きな川の畔に出た。
「ねぇ、ぼちぼち休もうよ」
「そうだな、馬にも飼いをやらなきゃ」
下馬して腹帯を緩め、馬の汗を拭いてやる。
自分達は簡単な携行食をかじり、馬には麦を与えた。
「あ、空」
フウヤの声に見上げると、一頭の草の馬が見えた。
何処かへの通り道になっているらしく、この辺りで蒼の妖精の騎馬を見掛けるのは珍しい事ではない。
「あれ? あの馬」
目の良いヤンが、覚えのある色に気付いた。
「ジュジュだ!」
「え? 本当?」
フウヤはもう一度目を凝らすが、馬は高い所を通過して行く。
「あぁん、気付いて貰えないか。しようがないよね」
フウヤは気を取り直して目を下ろしたが、隣のヤンはまだ空を凝視したままだ。
「ヤン?」
「あれは……」
「どうしたの?」
フウヤに気付けない物が、ヤンには見えているらしい。
「危ない!」
ヤンは叫んで、馬に飛び乗って急発進させた。
「ヤン!?」
フウヤも慌てて付いて行く。
「ジュジュ、後ろ! 後ろだ――!」
必死で追い掛けるフウヤにも、やっと見えた。
ジュジュの騎馬の後ろの空が、不穏に歪んで波打ち始めているのだ。
「ジュジュ――!」
しかし、空の騎馬は地上の二人の声に気付かない。
そのまま高度を上げて飛び去ろうとしている。
空の波紋は、そんなに速度は出せないようで、まるで諦めたかのようにその場に留まった。
「大丈夫だったんじゃない?」
「ああ、そうだな…………んんっ!?」
まるで目が合ったように、空の波紋が一瞬止まり、その後こちらへ向いて下り始めた。
目標を変えたって事!?
波紋は大きさを増しながらどんどん迫る。
「う、嘘だろ!」
「何か分かんないけど逃げろ!」
二人は左右に散ろうとしたが、馬だって疲れている。
あっと言う間に追い付かれてしまった。
「フウヤ!」
「ヤン――!」
二人は馬から投げ出され、バラバラに飛ばされた。
地面が無い、空も消えた、訳の分からない波に翻弄されるばかり。
何処だ、こ・こ・は・・!
もがくヤンの向かい合わせに、すうっと何かが流れて来た。
フウヤじゃない。
黒い瞳、自分と同じ顔。
《 無駄無駄、今から砂漠へ向かったって何が出来るよ。成人の儀礼を反故にしてさ。どうしてこういつもいつも損する方向に走っちゃうの? 貧乏クジって分かっているのに 》
「な、なんだ?」
フウヤの耳元にも、背後から白い少年が摺り寄っていた。
《 ねぇ、いつまでヤンにくっついてるの? 迷惑かけてるのが分かんないの? 》
「えっ! 何、ナニ?」
――開けぇぇ――――!!
少年の叫び声と共に光がなだれ込み、二人に絡み付いていたマボロシは目を覆って怯んだ。
「そこの二人! こっちに向かって走って!」
「む、無理ィ……」
「足が……地に付かない……」
「それでも走れ! こっちももうもたないぞ!」
「まま待って」
「ちくしょー!」
もがく内にフッと身体が軽くなり、二人は現実感のある土の上に投げ出された。
「いったぁーい」
「フウヤ!」
ヤンは即座に身を起こしたが、酷い吐き気にうずくまった。
何だったんだ、今の。
ホンの一時だったけれど、凄く嫌な気持ちになった。
「大丈夫か? 頭、しっかりしてるか?」
声のする方に顔を向けると、コバルトブルーの髪の少年が、草の馬から下りて走り寄って来る所だった。
「ジュジュ……」
ヤンは頭を振らないようにしながら、ゆっくりと身を起こした。
「馬は無事みたいだぞ、巻き込まれずに逃げたな」
少年が指す地平に、二人の馬が怯えながらもこちらへ歩いて来る。
「あ、ありがとう。助けてくれたんだよな」
何か、彼に会う時って、こんなばっかりだな。
「砂利呑んじゃった・・」
フウヤも、口の中の砂を吐きながら起き上がった。
三人は慌ただしく再会を喜び合い、ユゥジーンは拝命して名前が変わった事を告げた。
「いいな、カッコイイ名前」
「うん、良い名前だね、西の方では、『誉れ』とか『誕生』とかの意味がある」
「おお、ヤン、知ってるんだ」
「今、色んな土地のヒトと文通しているから。後、最近新しく習ってる言語でも意味があったな、確か『羽根』の……ぁ」
「ん、何? そこまで言って止まられたら気になるだろ」
「羽根の、『悪魔』……」
「…………」
「カッコイイ!」
フウヤがあっけらかんと断定して、二人も苦笑いになった。
所で何でこんな所に? という話になって、ヤンは赤メノウの腕輪を見せて、経緯を話した。
「ほぉ、それで市場で偶然その腕輪を見掛けたってだけの理由で、正確な事とか何も知らずに、ただの憶測で砂漠へ向かっていると?」
ユゥジーンが両手を腰に当てて呆れた声を上げた。
・・確かに言っちゃえばそうなんだけれど、そんな箇条書きに纏めて一気に言わなくても……
しかしユゥジーンは次の瞬間、片手で額を覆ってその場にしゃがみ込んだ。
「はあ、まったく君らには敵わない」
言いながら、腰の革袋から一枚の手紙を引っ張り出して見せてくれた。
多分、鷹に運ばせる用の薄くて小さい紙片。
簡略した文章で、西風の里の長娘ルウシェルの婚姻が決まった事、急な事ゆえ蒼の長殿の招待無き事への謝罪、が記されていた。
やっぱりルウの婚姻だったんだ。けれども何だか雑な文字から、寿(ことほ)ぎ事からかけ離れたおざなり感が、ひしひしと感じられる。
沈み込む二人にユゥジーンは、今度は懐から、大切にしまっていたらしい紙片を取り出した。
最初のより更に小さい。開くと、丸っこい可愛らしい文字。
ルウ……!
《私は大丈夫です。ご心配に及びません。皆々様の末長いご健勝をお祈りしております》
三峰の二人は目を見開いた。
そして眉間にシワを入れ唇を噛み締めて、憤懣(ふんまん)やる方ない表情になる。
「ルウ・・!」
ユゥジーンはそんな二人を黙って見つめた。
手紙というのは不思議だ。
読むヒトによって、何と受け取り方の違う物か。
「そんで……そんで、ナーガさんは何て!?」
フウヤが叫ぶ。
「蒼の里は、西風の中で決まった事には口出ししない方針なんだ。ずっと前の代から」
「大人ってダメ! ホント、ダメダメ!」
「フウヤ、他部族の事に口出ししないのは、平和にやって行く為の定石(セオリー)だよ。上に立つ者なら尚更」
「ああっもぉっ、正論ハラ立つっ!」
「だからさ」
ユゥジーンは、今度は大きな羊皮紙を取り出して広げた。地図だ。
「今朝、執務室に入ったら……ああ、朝一番に執務室に入るのは大体俺なんだけれど……小机に、昨日来たこの手紙と一緒に、この地図が置いてあった。西風の里の場所が印されて」
指差す先に、ヤンの持つ『写し』より正確に、西風の里の所在地その物が記されている。
「え、どういう事? ユゥジーンに、若気の至りを炸裂させて勝手に飛び出したって体で、行けって事?」
「それ以外に何があるの」
「…………」
「確かに行きたいとは思った。そんな顔をしたと思う。でも、行って何が出来る訳でもないって考えの方が先に出て、すぐに引っ込めた。ナーガ様がこうやって背中を蹴飛ばしてくれなかったら、多分旅発たなかった。だから、君らは凄いよ」
ヤンは、手に持つ腕輪を見つめた。
これはユゥジーンに託すべきだろう。
空飛ぶ馬を駆る彼の方が、当然早い。
でも……
フウヤはヤンをじっと見ている。
ルウが今どんな気持ちでいるかを考えると、一刻も早く腕輪を届けてあげるのが一番だ。
でもヤンにはきっと、別の気持ちもある。
三頭の馬が同時にいなないた。
不意に地面が暗くなる。
目を上げると、頭上に音もなく、さっきのと同じ渦巻き!
ユゥジーンは跳ねるように立ち上がった。
「またかよ!」
……胸の翡翠は震えない。
シンリィが来ないという事は、退治する必要もない小者なのだろう。
先程はこの二人が吸い込まれるのを目撃したから、一緒に飛び込んで内側からぶち破ったが、押さえ役がいないと完全に消滅させるのは無理か。
「二人とも馬と一緒に避難して。俺も時間を稼いでから飛んで逃げるから」
「お、おう」
ヤンとフウヤは慌てて自分の馬の手綱を取った。
「あ……」
ユゥジーンの後ろ姿が、いきなり剣を下ろして止まった。
「ねぇ、ヤン、フウヤ」
「何? 何か手伝う事ある?」
「西風の里へ行きたいだろ?」
ヤンより先にフウヤが、「行きたい!」と叫んだ。
「そう、オッケー、あちらまでの距離を縮める方法がある」
「ホント!?」
「西風の里……あっちだな、この方向に向いて、渦に飛び込む。そのまま方向を違えずにひたすら馬を走らせれば、地上より遥かに距離を稼ぐ事が出来る」
「マジ!?」
「ただし、やった事はないんだ。『理論上はそう』ってだけで。それにあの空間には質(たち)の悪い『マボロシ』が現れて、結構危険な……」
ユゥジーンが喋っている間に、二人は馬を引き寄せて乗馬していた。
「さあ来い渦巻きちゃん」
「出来るだけ西風の近くまで運んでおくれ」
「最後まで聞けよ!」
「危険って、さっきの真似ッコ妖怪が来て、ちょこちょこっと煽る奴だろ。ぜぇんぜん、どぉって事ない!」
「うん、気分悪いけど、あんなのマトモに取らなきゃいいだけだし」
「お前ら……」
怖いもの知らずって言うか、知らないってある意味強力だな。
ユゥジーンは刀を鞘に収め、自分も馬に飛び乗った。
「行くぞ! 固まって、はぐれるんじゃないぞ!」
「え、ユゥジーンは飛んで行けるじゃん?」
「誰が内側から穴を開けるんだよ。第一、危険な道を教えといて『じゃあ頑張ってね』なんて出来る訳ないだろ、カッコ悪い」
言っている間に目の前に渦巻きが広がり、三人は息を合わせて西風の方向へ向いてジャンプした。
***
空気の塊が向かい風のようにぶつかって来る。
泥みたいな感触で気持ちが悪い。
三頭はユゥジーンを先頭に三角形に固まって駆けていた。
フウヤの横にスゥッと白い少年が摺り寄った。
《 教えてやろうか、本当は成人の試練って、一人で鹿を一頭捕って持ち帰るだけで良かったんだ。ヤンが、二年後に挑むお前の為に、族長に交渉して、手伝ってもいい代わりに難易度を上げる方式に変えて貰ったんだ。な、どんだけ迷惑をかけてるか、分かった? 》
「うん、知ってた」
白い子供の答えに、マボロシは意外な顔をした。
「糸球夫人の所の親方が教えてくれた。だからってどうするの。暴いたって何にもならない。迷惑をかけたのなら、他の事で精一杯返すしかないんだ。僕とヤンの間は僕達だけの物だ。シッタカぶって割り込んで来ないで!」
ピシャリと言うと、もう二度とマボロシに耳を貸さなかった。
ヤンの目の前にもマボロシが飛んで来た。
《 貧乏クジはつまんないよ 》
「貧乏クジ上等。どんなクジにも宝物が埋まっているんだ。君は知らないだろうけれど」
マボロシはつまらなさそうな顔をした。
ユゥジーンは手こずっていた。
コバルトブルーのマボロシは、舌なめずりして囁き続ける。
《 お前が世話を焼かなくても、この二人は気が付いたらお前の先を行っているんだ。それでまた傷付くんだから、もう関わるなよ 》
「俺は……平凡なんだ。そういう役回りでいいんだよ」
《 ええ――っっ、ウソウソ、ぜぇんぜん納得していない癖に。慕ってくれるトモダチに、心の底では嫉妬で一杯な癖に 》
ああ、確かに俺は嫉妬しているよ。
捨てきれていないよ。
「ユゥジーン」
「ユゥジーン!」
肩を落として力の無くなった少年の後ろ姿に、背後から二人が呼ぶ。
マボロシは本人にしか見えない。
ユゥジーンは目を見開いてマボロシを睨んだ。
「俺の平凡な嫉妬なんかどうって事ないんだ。こいつらは面白いんだ、見過ごせる訳ないだろ! それが俺の本心だ、いい加減受け入れろ!」
ユゥジーンのマボロシが黙り、ヤンが叫んだ。
「黄色い砂の原だ!」
彼の目は揺らめく壁を通して、向こうの景色を見ていた。
ユゥジーンは鞍上で剣を抜き、呪文を唱えて空中を斬った。
空間に出来た裂け目に、三人は順番に飛び込んだ。
~呼び声・了~