六連星(むつらほし)   作:西風 そら

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星の雫・Ⅰ

   

 

 

 

 黄金(こがね)に波打つ草原。

 四泊流星の馬を引いて歩く、一人の少年。

「疲れたか?」

 立ち止まってしまった馬を労うにも、もう麦が無い。ここへ来るまでに立ち寄った村々で、宿や食糧を分けてくれる所は無かった。

 貧に窮している訳でもない。余剰に持ち合わせてはいるのだが、分け与え供する感覚を失くしてしまっているだけだ。

 

「どうなっちまうんだろう、この世界」

 赤っぽい黒髪をかき上げて、ヤンは空を見上げた。

 もう当たり前に、波紋の揺らぎが空を横切って行く。

 大長さまやシンリィの手が回らぬ程、負の心の領域が広まってしまっているのだろうか。

 自分みたいな小さな者にはどうにも出来ない強大なチカラ……

 

《 そうだよ、なのにお前は何でまだ、そんなにしんどい思いをして歩いているんだ? 》

 隣を自分が歩いている。

 いつの間に、墨を流したような細い波紋が、身体の周りをゆっくりと回っている。

《 諦めちまえよ。もうどうでもいいだろ。流れに身を任せている方が楽だ 》

 

「まだそんな心が僕の中に残っているのか」

 ヤンは溜め息吐いた後、キッと隣を睨んだ。

「フウヤの事もどうでもいいのか?」

 

 問いかけに、マボロシはグッと詰まった。

《 ど、どうでもよくは無い。あいつが居ないと嫌だ。あいつが機嫌よく笑っていないと嫌だ 》

 

 ヤンは喉でクックと笑った。

「安心した。だから僕は進んでいるんじゃないか。もう失せろ」

 

 マボロシは黒い筋と共に消えた。

 

 ヤンは今一度空を見上げた。

 惑わされている暇なんてもう無い

 

 

 

    ***

 

 

 

 秋の初め、まだ草原が色付く前、雨上がりの岩ツツジの尾根を歩いて、ヤンとフウヤは、砂漠の旅から三峰に帰り着いた。

 壱ヶ原の壁地図の件はショックだったけれど、二人はすぐに切り替えた。それよりも別の心配が頭をもたげている。

 

 イフルート族長や三峰の皆に会うのが怖い。

 壱ヶ原の街の何人か、あの腕輪を持っていた雑貨商人も、多分、波紋の世界の影響を受けたんだ。もしも三峰が同様の被害に遭っていたら……

 特にフウヤは過去に、やっとの思いで帰り着いた三峰で、豹変した村人に追い掛けられるという悪夢を経験している。

 

 怖々帰ったのだが、幸い三峰は波紋の標的になっていなかったようで、二人は胸を撫で下ろした。

 だがさすがのイフルート族長は、街や周辺部族の異変に気付いていた。

 少年達を叱責しただけで大した罰則も課さなかったのは、そんな事よりも部族の内部を固める方に注心していたかったのだろう。

 

 成人の儀礼に続けて挑戦させて貰える代わりに、街や猟場外へ行くのを禁じられた。

 元より二人もそのつもりだった。

 今、三峰から離れたくない。

 

 それにヤンは成人の儀礼への気持ちが強かった。この不安な世の中で、周囲が正常な今の内に、とっとと大人の資格を手に入れて置きたいという、急いた心があった。

 来年は世界がどうなっているか分からないのだ。

 

 資格が無いとやはり不便だ。例えば、街で金銭の絡んだ契約をしようとしても、見た目が子供だと相手にされない。『三峰で成人の資格を得ている』と胸を張って言える事は大きい。部族全体が後ろ盾に付いてくれているような物だからだ。

 だからこそ、真摯に挑戦して、贔屓目なしに大人達に認めて貰わねばならない。

 

 鹿・猪・鳥の、まだ一つしかクリアしていない。

 チャレンジ出来るのは、族長が決めた狩り休みの日か、狩りが早く終わった夕方だけで、ぐずぐずしていたら雪が来てしまう。

 狩り休みの日は不規則なので、急いている今は当てに出来ない。

 

 

 午前中に大物が続けて捕れ、早くに終了になった帰り道、フウヤが隣に来て小声で言った。

「ねえ、ヤン、これから儀礼の挑戦を宣言して、このまま山に残ろうよ」

 

「え、ああ、うん……」

 ヤンはちょっと惑いながら返事をした。

 これから集落の広場で、今捕った獲物の鎮魂の儀だ。それに参加せず、厄を着けたまま山に残るのは、あまり良くない。

 

「儀礼で獲物を捕って帰ったら、また鎮魂の儀式をするんだし、いいんじゃないの? じゃあ、イフルート族長に聞いて来る」

 フウヤは列を掻き分けて、前の方へ駆けて行った。

 

「あ………」

 ひき止めようとしてヤンは手を下ろした。

 一旦集落へ帰ると大変なタイムロスで、すぐに陽が沈んでしまう。

(それにさっき、猪のぬた遊びの乾いていないのを見掛けたんだ。今なら多分周辺に居る筈……)

 

 列の前から、フウヤが嬉しそうに引き返して来た。驚いた事に許しが出たらしい。

 

 いつだってヤンの役に立ちたいフウヤ

 その子供を前に少し甘くなってしまったイフルート

 不安ながらも欲が先に立ってしまったヤン

 

 綻(ほころ)びは少しづつだった。

 

 

 

   ・・・・・

 ・・・・

 

 ――イタイ、イタイ! 

 

 フウヤの悲痛な叫びで、ヤンは我に返った。

 追い込んだ猪を出来るだけ上方へ誘おうと、余分な一手を入れてしまった。

 向こうだって命懸けだ。こちらの思い通りになどならない。

 

 一瞬の判断ミス。

 牙に抉られた細い大腿が真っ赤に染まって行く。

 

 ~~!!

 血は溢れて、必死に傷を縛るヤンの手から肘へ滴る。

 嘘みたいに冷たくなったフウヤを背負って、ヤンは祈りながら走った。

 何もいらない。

 フウヤさえいてくれれば、成人の証しも投函箱も何もいらない。

 

 

 その後、三峰の医師に命じられて山麓の九ノ沢(ここのさわ)部族へ馬を駆り、ウェンというこの辺り一番の名医を連れ帰った。

 夜通しの縫合手術の末、フウヤは何とか一命を取り止めた。

 

 

「僕はもう、成人の儀礼は止めにします。今後も受けません」

 一睡もしていない赤い目で、少年は族長と主だった大人達の前で宣言した。

「フウヤはもう木々を渡れない。二年後の成人の儀礼も受けられない。なら僕も成人になりません。あの子をあんな目に遭わせたのは僕だから」

 

 大人達は沈痛な面持ちだ。

 慰める言葉は幾らでもあるが、この少年が頑固に心を閉ざせば、そういうのが全く届かぬ事を知っていた。

 

「昨日の事を許可した俺の責任だ。そもそも儀礼を厳しい内容に変更してしまったのも俺だ。裁定は我々に預け、それに従うようにしなさい」

 族長は、蝋人形のような少年の前で、やっとそれだけ言った。

 

 

 

     ***

 

 

 

 黄金の原を行く少年の前に、ハイマツの絡んだ小さな丘が現れる。以前にも来た場所だ。

 

 馬を置いて、曲がりくねった幹の上をよじ登り、山頂の玉砂利の広場に立つ。

 見渡す周囲は背の高い草がうねるばかりで何も見えないが、結界で隠された蒼の里があるとユゥジーンは言っていた。

 

 指を輪にしてくわえる。

 

 ーーヒューイィーーーー

 

 もう一度

 

 ーーヒュゥウィイイイーーーー

 

 空に吸い込まれては消えて行く口笛を、少年は根気よく何度も吹き続ける。

 ユゥジーンの耳に入れば気付いてくれる筈。

 

 だが何度吹いても少しの気配も感じられない。

 ユゥジーンは不在なのか、少し置いてまた試みてみよう。

 ヤンは一旦馬の所まで下りようと、後ずさって振り向いた。

「ひっ」

 何の気配もなく、そこに一人の男性が立っていた。 

 

 初老の恰幅のいい大男。髪は白髪混じりの青だから、蒼の一族だろう。

 困ったように眉を潜め、腕組みをして少年を見下ろしている。 

「その高い音の連発はやめてくれるか? ここの所昼夜問わず忙しく、寝不足の者も多いんだ」

 

 

 

   ***

 

 

 

 執務室を開けて入った瞬間、遠くに住んでいる筈の黒髪の友達に抱き付かれて、ユゥジーンは思わず四歩よろめいた。

「ウギュ! ・・ヤ、ヤン? どうしたの、何でここに?」

「フウヤ、フウヤが・・」

 

 連れて来た時は大人しくて冷静な子に見えたのにな……と、ノスリが苦笑いしながら、半泣きの少年を座らせる。

 今、草原のあちこちで些細な争いが起こり、蒼の里の仲裁が必要な件が増え、隠居していた前長の彼も出張って、フル稼働しているのだ。

 

 

「え、フウヤが、怪我って……」

 興奮して喋れない少年に変わって、ノスリが説明をする。

「幸い命は取り止めたらしい。だが失血のショックで中々意識が戻らないんだと。口から食事が摂れないと、傷も塞がらないし、血も増やせない。どうにか意識を呼び戻してやれればいいんだが」

 

「そんな…………」

 ユゥジーンも顔色を失くした。

 あんなに元気で負の感情とは縁遠そうだった子が。

 世の中の悪い流れからは誰も逃れられないような、そんな気分になってしまう。

 

(ではヤンは、蒼の妖精の『治癒の術』を頼って来たのか?)

 確かにナーガ長が聞いたら、何を置いてもすっ飛んで行きそうだ(前科もあるし)。

 ただ、他種族に勘違いされがちだが、治癒の術は万能薬じゃない。あくまで本人の治す力を引き出すだけの物。本人に直す気力がないと意味がないし、意識のない者にどこまで効果があるか分からない。そして、ナーガ長の場合ともすれば、足りない分を自分の中から分け与えてしまう(そしてホルズに叱られる)。

 その辺はもう説明を受けているのだろうかと、ユゥジーンは、ノスリと奥の机のホルズを交互に見た。

 

「治癒の術を当てにして来たのではないようだぞ」

 ノスリが先回りをして答えた。

「フウヤを、姉のフウリに会わせたいらしい」

 

「・・!」

 ユゥジーンは口を結んでヤンを見た。

 

「『お姉ちゃん』が呼べば、フウヤは意識を戻すと思うんだ」

 ヤンは先ほどから繰り返しては暖簾に腕押しな台詞を、ユゥジーンにも訴えた。

「意識が無いのに、うわ言で、『お姉ちゃん、お姉ちゃん』ってずっと呼んでいるんだ。フウヤは三峰に来てから家族の事を口にしなかった。特に『お姉ちゃん』の事は頑なに。その彼が、今は『お姉ちゃん』って呼んで助けを求めている」

 

 あんなに一緒にいた僕じゃなく、お姉ちゃんを…………

 だからヤンは潔く、蒼の里を訪ねて頭を下げに来たのだ。

「蒼の長様のお嫁さんで、隠しておかねばならない方なのは知っています。でも、それを承知で、どうかお願いします」

 

 ユゥジーンは喉を鳴らして細く息を吸った。

 横目で見るノスリとホルズは、硬い表情で口を結んでいる。

 

 

 高い羽音がして、窓から鷹が飛び込んで来た。

 

「よし、手紙だ」

 黙って構えていたホルズが、跳ねるように立ちあがって、鷹を迎えた。

「出先のナーガに手紙で知らせたんだ。返事が来るまで大人しく待ってろと言っているのに」

 

 緩慢な動作で手紙を開く事務畑の男性を、ヤンは苛つく素振りで見据えている。

 蒼の一族のヒトは頼もしく機転が利いて、何でもズンズン進めてくれる物だと思っていたのだ。

 それは逆で、しっかりしている所ほど、あれこれ考えなくてはならなくて、融通が利かなくなる物なのだが。

 

「あ――……」

 手紙を読み終えたホルズは、歯切れの悪い顔で少年を見た。

「フウヤは気の毒だった。そこに居る少年と馬は充分に養生をさせ、明日、ユゥジーンに三峰まで送らせるよう…… てな事が書いてある」

 

「フウヤのお姉ちゃんは!?」

 ヤンは立ち上がって大声を出した。

 

「あの部族の掟は厳しい。フウヤは出奔した身で、姉との縁は切れている…… との事だ。済まないな、蒼の長の判断は、我々の総意だ」

 

 思わず大机に詰め寄ろうとするヤンを、ユゥジーンが後ろから引っ張った。

「俺の下宿に泊めてやります。今日の報告書は明日でいいですね」

 

「ああ、早く連れて行って休ませてやれ」

 

 色んな感情が入り交じって口をパクパクさせる少年を抱えるように、ユゥジーンは執務室を出た。

 

 ヤンは納得が行かない。

 あんまりだ。そりゃ今は世の中が大変な時で、山の民の子供一人の怪我なんて、小事かもしれない。でも、蒼の一族のヒトは、もっと草の根の民の為に親身になってくれる物だと思っていた。

 

「ユゥジーン、場所を教えて。僕一人で行くから」

「まあ落ち着け」

「落ち着いていられないよ、こうしている間にもフウヤは」

「とにかく従った振りをして歩け。あの角を曲がったら走るぞ」

「!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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