星女神の系譜-三界駆ける冥府の灯火-   作:haruhime

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文章が全く浮かばなくなっていた(今も浮かんでくるとは言っていない)


第九話 府中三歳ステークス

 1976年11月21日

 東京競馬場 芝コース

 

《最後の一頭が入りまして、今第7レースがスタートしました》

 

「いくぞ!」

 

 会心のスタートを決める私。

 足元の濡れた枯れ芝はねばりつくような感触を返してくるが、それを蹴り潰すように体を前に跳ね飛ばす。

 半開きのゲートを飛び出せば両側に馬の姿は見えない、完璧な出足だった。

 

「逃がすかぁ!」

『どわぁっ!?』

 

 私の一歩目の音と共に、牡馬の嘶きが響き渡る。

 鼻息荒くほかの馬より半歩は速いスタートを決めたマルゼンスキーの嘶きだ。

 ついでに仲渡君の情けない声も響いている。

 他の馬達も猛烈な勢いでゲートから発射されたマルゼンスキーに引きずられ、かかり気味のスタートとなった。

 

《まずはトリウィアヘカテーが飛び出した、マルゼンスキーを先頭に五頭も追随していく、おっとトリウィアヘカテーが外へ下がった》

 

「ッ!」

「引き離されるのはまずい!」

 

 ヒシスピードとヨシノリュウジンが、マルゼンスキーを捉えんと無理やりに飛び出したようだ。

 鞍上が抑えようとしているがそこまでイレこんだらなかなか難しいだろう。

 いいぞ、そのまま体力を無駄遣いしてくれ。

 

『抑えるぞ』

「もちろん」

 

 凄まじい勢いでスタミナを浪費しながらダッシュした彼らを尻目に、本馬君の指示に従って力任せの短いストライドの数完歩で速度に乗り、最後の一歩は大きく飛んで長めのストライドに切り替える。

 パワー任せではなく、トレーニングと看取り稽古によって踏み込み方に工夫を凝らした今だからできる走りだ。加速時だけ回転を上げることで、体力の消費を抑えつつ素早く速度に乗ることができ、速度に乗ったらロングステップで巡航する。

 

「何してんだお前!?」

『おいマルゼンスキー! まだ全力を出すタイミングじゃないだろ!?』

 

 マルゼンスキーは私の横を通り過ぎるとき、こちらをガン見しながら物凄い表情をしていた。

 見事に私の罠にかかってくれたらしい。

 全く仲渡君の言う通りだぞ。

 

 ま、ハナを抑えて後続が上がってくる状況で、今更速度を抑えるという選択は取れないだろう。あいつ先頭大好きだしな。

 マルゼンスキー、ヒシスピードを見送って、ヨシノリュウジンに並ぶように中団前目の位置取り。

 

《マルゼンスキー、トリウィアヘカテーを見ながら馬なりで快調に飛ばしています。鞍上仲渡、諦めたのか手綱を緩めたままだ。続いて2馬身開けてヒシスピード、内内をヨシノリュウジン、続いて外にトリウィアヘカテー、キクアサジロウ、ミスターケイという並び》

 

 4番手で若干外回り。不経済なコース取りだが、ヒシスピードの影に隠れてマルゼンスキーからは見にくい位置についている。

 この場所に潜むことで、じわりじわりと前に出てもある程度はごまかすことができるはずだ。

 このデカい馬体をどこまで隠せるかは疑問だけれども。

 

『いいぞ、ヘカテー。まずはこのままだ』

「そうだね仕掛けどころは」

『「第三コーナーだ」』

 

《ほぼほぼ一団で三コーナーのカーブへと向かっています。マルゼンスキーが快調に飛ばしていく、すでに三馬身差、ヒシスピードとヨシノリュウジンが徐々に離されていくか》

 

「ヘカテーが下がるなら俺の負けはねぇ!」

『くそ、下手に邪魔する方が危ないか、付き合ってやるから最後まで走れよマルゼンスキー』

 

 前方では奴が快調にぶっ飛ばしている。折り合いは全くついてないようだが、鞍上は制御を諦めたようだ。

 

『このまま潰れてくれれば楽なんだけどな』

「そう簡単にはいかないでしょ」

 

 相応に体力を消耗するだろうが、このレースじゃまだまだ距離は短い。奴が潰れてくれることはないだろう。このハイペースなら多少最終直線で有利になるかもしれないけど。

 後ろの二頭がプレッシャーをかけて消耗させてくれればいいが、そうでないなら逃げ切られるかもしれない。

「さて、外に出ますか」

 

 展開に不安を覚えながらもカーブ突入前にさらに外へ膨らみ、加速しながらコース取りを仕込む。

 うまい具合に前後の馬群が切れており、最内へ切り込んでも斜行を取られることはなさそうである。

 

《マルゼンスキー先頭で三コーナーのカーブ。ここでヨシノリュウジンが内から仕掛けていく。徐々にその差が縮まっていく。ミスターケイが前に出始めた、最後方はキクアサジロウ⦆

 

「野郎速いな!」

「うおおおおおお! こっからだ!」

 

 2位争いをしている2頭の声が聞こえる。こっちもかなりの速度で走っているのに、その差は全く縮まっていない。

 だが猛烈な速度でコーナーへ突入したマルゼンスキーやヒシスピード、ヨシノリュウジン達は大きく外に膨らんでいく。

 私の目の前にヒシスピードがいるくらいだ。彼の蹄が芝と土が大きく跳ね上げ、私と鞍上君を茶色く染め上げる。

 

《三四コーナーの中間地点ですが、マルゼンスキーが先頭を抑えたまま。リードは2馬身。すぐ後ろ、内からヨシノリュウジン、ヒシスピード横並び、トリウィアヘカテーがヒシスピードの1馬身ほど後ろを加速する。さぁミスターケイ、キクアサジロウも上がってきた。⦆

 

「ヘカテーやマルゼンスキーには負けないよ!」

 

 ミスターケイの元気な声が随分近くから聞こえる。このハイペースについてこれてるあたり、私も彼を見誤っていたのかもしれない。それは彼の鞍上もそうだろう。

 

 前方では外に膨らみつつ2位争いが激化し、ついにマルゼンスキーを捉えんとしていた。

 後方を確認すればなかなかの勢いでミスターケイが上がってくるが、それでも私が目指す内ラチコースはがら空きだった。 

 

『切り込むぞ!』

「よし!」

 

 仲渡君の鞭に合わせ、カーブの頂点から出口最内に向けて突っ込んでいく。

 最初の一歩はサイドステップ気味に方向転換。気合と根性で体に残った外向きのベクトルと遠心力をねじ伏せる。

 大外からから四角出口を目がけての突撃だ。

 

「きついきついきつい!」

 

 外に飛び出そうと全身を苛む力はかなり強い。

 それでもボコボコした芝の窪みに足を取られればそのまま死ぬという恐怖と、全身にかかる負荷を無視して加速し、四角で大きく外へ広がった前三頭と並んでいく。 

 

《四コーナーのカーブ、600の標識を過ぎました。速度が乗って全頭外に膨らみながら先頭は中央マルゼンスキー、その内からヨシノリュウジン、外にヒシスピードにミスターケイいや内ラチ沿いにトリウィアヘカテー!》

 

 横目に見れば他の馬達は一斉にストレートへ立ち上がろうとしていた。

 ヨシノリュウジンの陰から飛び出し内ラチを掠めるように進む私を、そこで初めて視認した彼に動揺が走ったのが分かる。

 

「いつの間に!」

「どいたどいた!お先に失礼!」

 

 四角出口で私を隠していたヨシノリュウジンを交わし、私は強く踏み込み最前列へと歩を進める。

 動揺した彼は姿勢を崩し速度を落とす。おそらくここで先頭争いからは離脱だろう。

 

 いざ、決戦の時!

 

「来やがったな!トリウィアヘカテー!」

「来てやったぞ!マルゼンスキー!」

 

 そこで待っていたのは栗毛の怪物。

 私に先頭を奪われたところで、さらに根性を見せるマルゼンスキーが前に出る。

 

「俺を無視するとは上等じゃないか!」

 

 そんな私たちを外側からヒシスピードが強襲する。

 三頭が互いに抜きつ抜かれつ、ホームストレッチをひた走る。 

 

≪400でトリウィアヘカテーが前二頭に追いついた、マルゼンスキーに追いついた! だが外からヒシスピードか!≫

 

 猛烈な勢いで内ラチが後ろに流れていく。

 冬枯れし、何度も踏み荒らされ湿った芝はへばり付くようで、しかも私の足を取ろうといくつもの抉れが顔を見せている。

 鞍上の彼と息を合わせ、そんな障害を切り抜け駆け抜ける。

 

「ぐっ、俺が!勝つ!」

「危な!?無理しない方が、良いんじゃない!?」

「んな、カッコ悪いマネ、できるかよッ!」

 

 そんな穴にでも足を取られたか、はたまた体力切れか。

 僅かに内向きによろめくも、マルゼンスキーが三頭の中から僅かに抜け出そうとする。

 口から泡を吹き、全身から汗を垂れ流している奴は限界のはずだ。

 なのになぜ垂れない、なぜここで速度を上げられる。

 

≪マルゼンスキーが差し返す!マルゼンスキーが僅かに内にヨレましたがトリウィアヘカテーとは接触せず!≫

 

「俺が、いるのを、忘れてないかッ!」

 

 鞍上の振るう鞭に答えるように、息を切らせたヒシスピードの体がそれでも前に進み、先頭を奪う。

 彼もまたマルゼンスキー同様の状態だ、馬としての限界に挑んでいるようなもので普通なら騎手が抑える段階のはず。

 なのになぜ抑えない、なぜ私と競り合っている。

 

「あんたらが居ても! 勝つのは私だ!」

 

 首を上げようとする体に喝を入れ、枯れた芝を掻き抱くように踏み切れば、私の体は彼らよりも前に出る。

 体力なら私の方があるはずだ、彼らより重い体だろうとより大きな力で動かせばいいだけのこと。それができるように体を作ってきた。

 なのになぜ差が作れない、なぜ横並びになっている。

 

≪トリウィアヘカテー!ヒシスピード!マルゼンスキー!三頭がハナを揃えて差し合う展開!鞍上は懸命に鞭をふるいます。僅かにヒシスピードか!だがマルゼンスキーが差し返す!内からトリウィアヘカテーが前に出た!≫

 

 どうしてあれだけ息が上がり、歩様すら乱れているのに速度が落ちない!

 自分と競り合う二頭の見せる凄まじい根性に、私は混乱していた。

 マルゼンスキーの体力は、最初のスタートダッシュとヒシスピードとの競り合いで削れていたはずだ。

 そうなるように私と鞍上君が仕組んだのだから。

 

 迫りくる敗北への恐怖を押しのけようと、本能が全身をより大きく躍動させる。

 より強い力で、より大きなストライドで、大地を踏みにじり、勝利を手繰り寄せようとする。

 

『力が入りすぎだ!トリウィアヘカテー!』

 

 鞍上君が叫んでいる。私もわかっている、無用な力が入っていることは。

 だが力が入るのも当然だろう、私は今頃彼らを置き去りにしているはずだ。していなければならないのに!どうして私の足が、体が前に出ない!

 

 理性が叫ぶ。無駄な力を抜け、鞍上と折り合いをつけろ、タイミングがずれていると。

 わかっている。私にだってわかってるんだ。

 だが本能に沸騰した脳と肉体がそれを拒む。

 奴との最後かもしれない闘争という状況に、力と力のぶつけ合いを望む本能に、理性の箍はあっけなく砕かれた。

 

 私の全力をもってすれば勝てると本能が叫ぶ。

 なのにどうだ、現実は抜きつ抜かれつ、それでも大きな速度差が出ないまま。

 ゴール板まではあと少し、三頭横並びで飛び込むことになりそうだった。

 

『首だ、首の動きを揃えよう!』

 

 首の上げ下げがほかの二頭とズレてきているのが気にはなる。

 ストライドの広さが違う、足の回転が違う、だから首の動きがズレ始める。

 理屈で考えれば当然だ。

 

 理性は合わせろという、本能はこのまま進めという。

 だが、鞍上君の指示に従って一瞬でも動きを変えれば負けてしまう気がするのだ。

 ほんの少し、ほんの少し私が前にいるはずだ。

 ここで首を合わせるために足を緩めれば、たちまち逆転されてしまう。

  

『ッ!ダメだヘカテー』

 

 だから苦しくとも全力で駆け抜ければ、勝負に勝てるのだと。

 そう思っていたのに。

 

『すまない』

「えっ?」

 

 鞍上君がぼそりと零した突然の謝罪に驚いた時、既に私たちはゴール板を駆け抜けていた。

 それぞれの鞍上が下げさせた二頭の頭が、視界の下側に見えていたはず。

 すなわち私の首は上がり、二頭は首を伸ばしていた。

 たとえ胸が前にあろうと、着順は鼻先で決まる。

 

≪三頭の首の上げ下げ!三頭の首の上げ下げ!トリウィアヘカテーの動きがズレたまま!同時にゴール板ですが僅かにマルゼンスキーか!≫

 

「ぜひゅ、勝ったのは、俺だ!」

「ごひゅ、いいや、俺だ!」

「んだと!」

「やるか!」

 

『こら!離れるぞマルゼンスキー!すみません大嶌さん』

『お前も絡もうとするな! 落ち着けヒシスピード! こっちもすまんな仲渡君』

 

 大騒ぎしながらガンつけあいをする二頭を、鞍上の二人が必死に引きはがそうとしている。

 彼らを尻目に足を壊さないよう丁寧に減速していく中、本馬君は私の首に縋りつくような姿勢で言った。

 

『俺の騎乗ミスだ』

 

≪ほとんど同時でしたがマルゼンスキー一着!ヒシスピード二着!三着はトリウィアヘカテー!これは首の上げ下げがズレたか!本馬騎手涙を堪えております。≫

 

 場内に響く実況がはっきりと私の敗北を告げている。

 私の首に熱い雫が落ちた。

 

『最後の一歩で、君の首を伸ばしてあげられなかった』

 

 手綱と鞭を握り潰す、ギチリという音。

 食いしばった歯の間から洩れる、掠れた声。 

 鞍と鐙から響く、震える金音。 

 馬達の嘶きも、場内の大歓声も、彼の奏でた悲痛な音が何もかもを塗りつぶし、私の耳を占めた。

 

『すまない、トリウィアヘカテー』

 

 負けたのか。

 弱弱しい彼の声と共に、現実が体の芯に染み渡る。

 忌々しい曇天を見上げ、愚かな敗北を嚙み締めた。

 

 




競争結果

1976年11月21日
東京競馬場 4R
府中三歳ステークス
天候 曇/芝 重

1着 マルゼンスキー    1:36.6
2着 ヒシスピード     ハナ
3着 トリウィアヘカテー  ハナ
4着 ミスターケイ     7馬身
5着 キクアサジロウ    4馬身
6着 ヨシノリュウジン   6馬身
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