「逃げちゃおっか」

トレーナーか、あるいは走るウマ娘か

絶望し、挫け、折れた彼ら、彼女らに与えられるのは立ち上がる道か、逃げ出す道かの二つのみ。


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青い薔薇と逃げ出すお話

寒い。体が震えて仕方がない。

 

 ジワジワと、だが確実に。私の体から体温と大事な何かが抜け落ち、崩れていくのを感じる日々。

 

 そんな時だ。パソコンの画面に1つの通知が入る。震えた指先でマウスのカーソルを合わせ、それを開く。その中身を見て喉から「ヒュッ」と空気の抜ける音がした。

 

「あぁ…なんで…」

 

 なんであの子が…こんなにも責められなきゃいけないの?

 

 力なく床に崩れ落ちながら、私の言葉は暗い部屋の中へと吸い込まれるだけだった。

 

ーーーーーー

 

〝漆黒の刺客〟

〝レコードブレーカー〟

〝高速ステイヤー〟

 

 同学年の子達と比べてもひと回り小さい彼女につけられた異名だ。

 

 同世代、最強と言われた〝坂路の申し子・ミホノブルボン〟の無敗の三冠へと王手をかけた菊花賞を獲った。

 

 悲願の3連覇に向けて、メジロ家として実力・名声のある〝名優・メジロマックイーン〟から、レコードを塗り替える形で春の天皇賞を制した。

 

 並大抵の努力で成し遂げられることではない。その小柄な体を極限まで削り切ったが故に手に入れた功績。当時の彼女の走りは〝鬼が宿る〟と言われるほどの気迫迫るものであった。

 

 普通なら、多くのファンから認められ文句も言われない成績だ。十分過ぎるほどに。

 

 だけど、彼女は報われなかった。

 

 菊花賞でも、春の天皇賞でも…彼女に送られたのは勝者を讃える拍手ではなく、溜息と敵意だけだった。ネット社会の普及により、SNSや掲示板、雑談サイトでもライスシャワーに対して批判の声が多く上がるばかり。学園に送られてくる手紙も、そんなものばかりだった。

 

 学園内もそうだ。多くの学生から向けられる視線は冷ややかで、ヒソヒソとした声が聞こえてくる。その姿は、アニメや漫画に出てくる〝ヒール〟…皆に嫌われ、最後には正義のヒーローに負けてしまう彼らと重なってしまった。居場所のない、孤独な世界だ。

 

 確かに、彼女は多くの人の夢を、期待を裏切ってしまった。それは理解できる。だが、これはあんまりだ。寄ってたかって、醜い腫物のような扱いをされることはないはずだ。

 

(なんで…?世間はあの子を〝ヒール〟呼びするの?)

 

 あの子の努力を知らないくせに…

 

 あの子の気持ちを知らないくせに。

 

 あの子の過ごした日々を知らないくせに!

 

「ウッ…!」

 

 怒りと悲しみが渦巻く中、腹からせりあがったモノを感じ私はトイレへと駆け込んだ。幸い、周りに人がおらず誰からも見られることがなかった。

 

「オェッ…ゲホッ!ゴホッ!」

 

 カラッポの胃から何も出るものはなかったが、それでも気持ち悪さは拭えなかった。グルグルと世界が回り、足元が不安定でいつ崩れるか分からない…そんな感覚に陥ってしまう。

 

「…薬、飲まなきゃ」

 

 ふらつきながらも壁に手をつき、トレーナー室になんとか戻る。机まだ辿り着くと、鍵を回し、備え付けの棚を引き出すと無数の錠剤が乱雑に置かれているのが目に入った。プチ、プチとシートから取り出す。

 

 内容は精神安定剤や、睡眠薬…そんな類のものがほとんどだ。気づけば、こんな量になってしまったが効いた試しなどなかった。気休めにもなりはしないそれを私は口に放り込み、水で流し込む。

 

(寒い…)

 

 体が震える。血の気がひく。自分の手をみれば、死人のように青白く指先は氷のようだった。温もりが欲しくて仕方なかった。

 

「ライス…」

 

 私は彼女の名前を呼んだ。誰よりも気弱だけど、皆を幸せにしたいという優しさと強さを持つ…私の愛バの名前を。誰よりも幸せにしてあげたい青い薔薇の少女の名前を。

 

「なぁに?お姉さま?」

 

「!?」

 

 聞き慣れた声だった。後ろを振り向いたら、部屋の奥から出てきたのは私が今思っていた彼女が不安そうに、困ったように笑って出てきた。

 

「ライス!?いつからそこに?」

 

「お姉さまに会いたくて部屋に来たら、居なかったから奥にいたの。ビックリさせちゃってごめんね、お姉さま。」

 

 そう謝りながら、ゆっくりと彼女は近づいてくる。私は後ずさると作業用の椅子にぶつかり、その拍子に座ってしまう。それは彼女に誘導されているような、追い詰められているようだった。

 

 椅子に座り込んだ私を見ながらもライスは近づき、足の間に膝を下ろす。顔の横にも手をつき逃がさないと言わんばかりであった。その瞳は、ゆらりと青く揺れている。

 

「ライス…一体どうしたー」

 

「あの薬はなに?お姉さま。」

 

「ッ!!!」

 

 見られた。見られていた。息が苦しくなる。心臓がドクドクと脈打つのに体は冷たい。

 

 いつもは気づかれないように、彼女が居ないのを確認して飲んでいた。また、誤って開けられないように鍵付きの棚にしまっていたのだが、一部始終見られてしまっていたようだ。

 

「答えて…お姉さま。」

 

 陶器のように白く、滑らかな彼女の指先が私の頬に触れる。ツーッと顔の輪郭を沿うように動き顎、首、胸へと流れつくと、今度は逆の順番でゆっくりと上がってくる。

 

「ン…ライス!やめなさい!」

 

「うん。分かった。」

 

 くすぐったさと、恥ずかしさにそう叫ぶと、彼女の指が止まった。その代わり、私の頬に触れて視線を無理やり合わせてくる。その瞳からはウソは許さないと強く物語っていた。

 

「…睡眠薬と、精神安定剤よ。」

 

 私は正直に伝える。ライスは「ふぅん」と答えるだけだった。

 

「いつから飲んでたの?」

 

「あなたの…春の天皇賞から。」

 

「…ウソだよね?本当は、もっと前から飲んでたよね?」

 

「違う!」

 

 私はライスの言葉に青ざめるながら、そう叫んだ。だが、私の反応を見てライスはコテン、と首を傾げた。

 

「違わないよね?お姉さまがウソを吐くの苦手なこと、ライス知ってるよ。」

 

「違う…違うのライス…」

 

「じゃあなんで、こんなにドキドキしているの?」

 

 彼女の小さな手が私の胸…心臓のある箇所に触れる。胸が潰され、ちょっと息苦しさと痛みを感じるがライスに触れられるのは悪いとは思わなかった。

 

「お姉さま。ライス知ってるよ。

ライスに届く手紙を読んで、ファンレター以外のものを全部捨てているのも。取材も最低限にしているのも。周りや、学園から、お姉さまも酷いこと言われているのも…」

 

 右手で私の心臓に。左手で私の頬に触れながらライスは話してくる。だけどその瞳は悲しそうに揺れている。今にも泣いてしまいそうなほどに潤み、声も震えていた。

 

「全部、ライスが悪いんだよね?ライスのせいで、お姉さま苦しい思いしているんだよね?ライスといるから、お姉さまも不幸にさせているんだよね?」

 

「違う!ライスのせいじゃない!」

 

 私は彼女の肩を掴み、そう叫ぶ。

 

「あなたは間違ってない!こんなに優しくて、誰よりも努力しているあなたが間違っているなんて私が言わせない!」

 

「ありがとう…お姉さま。そう言ってくれてライス嬉しいよ。」

 

 私の言葉を聞いてライスは笑ってくれた。そして惜しむように私の体から離れると、クルリと背中を向けるのだった。

 

「ライス?」

 

「ねえ、お姉さま。」

 

 凛とした声が部屋に響く。不安も悩みもない、ある決断をしたライスの意志を表すようだった。

 

「一緒に逃げよう?どこか、遠くに。」

 

ーーーーーー

 

「一緒に逃げよう?どこか、遠くに。」

 

 チラリと後ろを見ると、お姉さまは酷く驚いた顔をしていた。そうだよね?急にこんなこと言われたら驚くよね?

 

 でもね?ライス、全部知っているんだよ?

 

 お姉さまが世間から悪口や批判を言われているのも。学園のトレーナーさん達からも陰口を言われていることも。暴力を受けていたことも。手紙や中傷的な贈り物をライスに知られないように処分していたことも。

 

 そして、たくさんのお薬をライスに隠れて飲んでいたことも。

 

 きっかけは、ある日訪れたトレーナー室。ミーティングがあったんだけど、珍しくお姉さまが部屋に居なかった。

 

「お姉さまの机…資料でたくさん。」

 

 興味本位で彼女が普段仕事をしている机に近づくと、トレーニング関連や次に参加するレース会場についての資料やデータで山ができていた。あとは飲み干されて空になった栄養ドリンクの瓶も。

 

「お姉さま、またこんなの飲んでる。」

 

 ライスのために頑張っているのは分かるけど、あまりこんなものに頼って欲しくないなって欲張りなことを思ってしまう。だけど、それもちょっとだけ嬉しい。

 

(片付けくらいなら…いいよね?)

 

 まだお姉さまが戻る気配もない。普段の御礼も兼ねて机の上の空き瓶や、机の周りをキレイにしよう。そう思ってゴミ箱に手を伸ばした時だった。

 

「なに、コレ?」

 

 ゴミ袋の奥には、空になった薬のカプセルシートがいくつもあった。とてもじゃないが、一般的に摂取する量ではない。少なくとも、ライスの知る限りでは。

 

(もしかして…)

 

 悪いことと分かりながらも、お姉さまのパソコンを操作する。するとどうだろうか?トレーナーである彼女に対して向けられた誹謗中傷や脅しのメールが数多く存在していたのだった。

 

「お姉さま…なんで黙ってたの?」

 

 そう呟くが、理由なんて分かっていた。お姉さまが、ライスのトレーナーだからだ。

 

 ブルボンさんに勝った菊花賞。マックイーンさんに勝った天皇賞。ライスは会場のお客さんからも、学園内からも〝ヒール〟と言われた。それだけ、たくさんの人の夢や希望を奪ってしまったのだから、当然なのかもしれない。

 

 菊花賞を終えて、逃げ出したかった。レースからも、学園からも全部から逃げて楽になりたかった。お姉さまに泣きながら全部伝えると、優しく受け止めてくれた。「一緒に頑張ろう。いつか、皆が認めてくれる。」「あなたは。あなたの名前は〝ライスシャワー〟なんだから。」そう言ってくれた。

 

 その言葉を聞いて、お姉さまと一緒に認めてもらえるようにトレーニングも、レースも頑張った。だけど、それが報われることはなかった。

 

 時折お姉さまの目を盗んで部屋やパソコンを調べると、誹謗中傷の言葉と共に薬の量も比例して増えていった。タキオンさんにコッソリと調べてもらったら、どれもこれも精神安定剤や睡眠剤…強力なモノを複数飲んでいることが分かった。

 

「君のトレーナーはこのままだと死んでしまうよ。自らの手によってね。」

 

 真剣な眼差しでタキオンさんはそう教えてくれた。それを聞いてどうすれば良いのか、すぐに答えは見つかった。

 

 ねえ、お姉さま。ライスは、絵本みたいに皆を幸せにしたいと思ってた。たくさんの人を笑顔にしたいと思ってた。不幸で、自信のない自分を変えたいってずっと思ってた。

 

 それでも勇気が出なくて、いざとなると逃げ出してしまう自分のことが嫌いだった。いつも学園の陰で泣いていた、そんな自分を助け出してくれたお姉様だった。

 

 隣で一緒に笑ってくれた。泣いてくれた。時には怒ってくれた。慰めてくれた。辛い時にはいつも抱きしめてくれた。優しくて、太陽みたいに愛しい人。誰よりも大事で、幸せにしたい人。

 

 だから、誓います。

 

 あなたと共に、逃げることを。

 

 

 

「ライス…なにを?」

 

 驚くお姉さまを背中越しに見て、再び近づきその手を優しく握る。血の気はなく、氷のように冷たい手だった。

 

「お姉さま…ライスね。いつか、たくさんの人を幸せにできるって思ってた。祝福と希望を与えられるんだって。ライスでもできるんだって思ってた。そう思えるようになったのは、お姉さまのおかげ。」

 

「だったら「でも!」ッ!」

 

 反論しようとするお姉さまに被せるように叫ぶ。分かってる。お姉さまが反対することなんて。でも、コレだけは譲れないの。

 

「ライスはお姉さまに幸せになって欲しい。お姉さまと一緒に幸せになりたい。だから、周りからも、自分で自分を傷つけるお姉さまをを許さない…それは、ライスのトレーナーでいる限り終わらないんでしょ?」

 

 あぁ、やっぱりライスはダメな子だ。だって、お姉さまにこんなに辛そうな顔をさせてしまっているんだもの。

 

 胸がギュッとして、苦しくて、泣き出したいけど。それでも、止めない。止められるわけがない。

 

「お姉さま…お願い。一緒に、幸せになって。ライスを…お姉さまだけの幸せなバラにさせて。」

 

 気づけば涙を流して、消えてしまいそうな声で願うように彼女に告げる。

 

 しばらくの静寂。カチ、コチと時計の針の音が部屋の中で木霊する。

 

「ライス」

 

「はい」

 

 沈黙を破るように、お姉さまが私の名前を呼ぶ。それに答えるとお姉さまは優しく私を抱き寄せ、耳元で告げた。

 

「逃げよう…どこか遠くに…2人で、幸せになろう…」

 

 その言葉に、「はい」と私は頷き、抱き返した。

 

 そこからはあっという間だった。あらかじめ書いていた退学届を、お姉さまの退職届、トレーナーバッジと共に理事長へと提出した。

 

 状況を理解してくれた理事長とたづなさんは、止めることもなくそれを受け取ってくれた。「君たちを守れなくてすまない」と謝られたが、彼女達はむしろ守ろうと必死に動いてくれているのは理解していたので、なにも言わなかった。

 

 そして荷物をまとめて、人気のいない時間に私たちはトレセン学園を出ていった。私は耳と尻尾を隠し、トレーナーさんも一目で分からないように変装している。今は、駅で電車を待っている最中だ。

 

「ねぇ、ライス。まずはどこに行こうか?」

 

 久しぶりに心から笑うお姉さまを見て、頬が緩む。

 

「お姉さまとなら、どこへでも。」

 

 そう本心を告げると、お姉さまは照れて頬を染めた。あぁ、この人を幸せにしたい。そう強く願う。

 

 そして許さない。お姉さまを追い詰めた人たちのことを。私はいつまでも覚えている。いつまでも、いつまでも。

 

「絶対、幸せにするからね。お姉さま。」

 

 誓いの言葉を胸を掲げ、お姉さまの手を取りながら電車へと乗り込んだ。

 

 後日、ライスシャワーとそのトレーナーに誹謗中傷を送った人たちは謎の怪我や病気に倒れたと聞いたが、学園には居ない彼女達へ届くことはなかったという。


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