その優しい星で…   作:草之敬

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お、教えてくれ!
今は何年の、何月何日だ!?


Navi:06

「わはっ、お弁当!」

 

 俺が持ってきたバスケットを見つけると、灯里は楽しそうに笑う。

 

「時間があったら、もっと凝ったものもできたんだけどな」

「士郎さんのお弁当ってだけで楽しみですから!」

「そう言ってもらえると助かるな」

 

 灯里が操るゴンドラに乗り込み、続くアリシアの手を取る。

 アリシアは少し意外そうに目を見開いてから、いつもの微笑みを向けてくれた。

 仕事柄、こうやって乗せてもらうこともなかったから面白かったのかもしれない。

 

 俺たちが乗り込んだことを確認すると、灯里はゴンドラをゆっくりと進ませ始めたのだった。

 

 

 *  *  *  *  *

 

 

 いざピクニック!

 と勇んで出発したものの、私は今、アリシアさんの案内の元、狭い狭い陸橋水路を漕ぎ進んでいる。

 水路の横幅はだいたいゴンドラ四隻分と少しといったところで、ぶつけないようにと操作するととってもむつかしい。

 

「アリシアさん、とっておきの場所ってどこなんですか?」

「それは着いてからのお楽しみね♪」

 

 私の言葉には振り向かず、アリシアさんは笑いながら答えてくれた。

 私だってもちろんウキウキしてるけれど、アリシアさんもまるで無邪気な子供みたいに楽しそうだった。

 楽しい気分を台無しにしないように、ゴンドラの操縦には注意しないといけないです。

 

 と、私がそうやって気合を入れ直していたところで、見知った顔がゴンドラを漕いで下ってくるのが見えた。

 郵便屋のおじさんだ!

 

「おじさーん! こんにちはー!」

「おうっ、嬢ちゃんじゃねーか」

 

 私が声をかけると、おじさんも顔をあげて笑いかけてくれた。

 それに合わせて手を振ると、おじさんも軽く手を挙げて応えてくれる。

 

 もう結構なお歳だと思うんだけど、腰はシャキッとしてて、動きもテキパキしてる。

 アクアに来て初めての私のお友達です!

 

「こんな街はずれまで配達ですか?」

「おうっ、まーな」

「お疲れ様です!」

「嬢ちゃんもな」

 

 すれ違う短い時間で二言三言会話を交わして、お互いを見送る。

 そのとき、おじさんがやわらかく笑ったと思うと、

 

「がんばれよー」

 

 なんて、よくわからないけれど応援してくれました。

 とっさに「はーい、ありがとうございます!」って返したのはいいけれど、突然の応援にちょっと戸惑っちゃいます。

 それにしても、この先にも誰かが住んでたりするんだろうか。

 ベテランともなると、こんなに狭い水路も日常的に楽々と行き来するんだ、と心から尊敬しちゃいます。

 

 郵便屋さんとわかれてから数分。今度はゴンドラなんて比じゃないくらいの大きな船がやってきた。

 水路の半分以上を占める横幅に、思わずごくりと生唾を飲み込んでしまう。

 ポンポンと可愛い音を出しているのに、こっちはドキドキハラハラでそれどころじゃないのがもったいない感じです。

 

 船の横腹に『POLICE』の文字。警察さんだったんだ。

 

「よっ、はっ、とぉっ」

 

 なんとか無事にすれ違う。

 乗っていた警察官さんにも挨拶をされたので、こちらも元気に手を振って船を見送った。

 

「ふ――。この水路、開けてる場所にあるのに、やけに狭いですよねー」

「だな。落ち着く暇もないようじゃないか、灯里」

「あうう、その通りですけどぉ……」

 

 確かに、私はまだまだへたっぴで、この水路を進むだけでも疲れてしまう。

 そう思えばさっきすれ違った郵便屋さんや、ゴンドラよりも大きな船体を操っていた警察官さんたちの腕前は今の私なんかじゃ比べ物にもならないくらいスゴイということがわかってしまう。でも、だからってへこんでいる暇はありません。私も堂々とこの水路を通っていけるよう、日々精進しなくては!

 

 という決心のもと、細やかな操船のコツを掴むべく奮戦していた私の視界に、まばゆいばかりの白色のゴンドラが映り込む。

 プリマウンディーネさんだ!

 その操船技術は郵便屋さんとも、警察官さんとも違う、「お客様を乗せている」ことを前提としたもの。

 郵便物もパトロールもけっして雑に扱っていいものではないことはわかるけれど、直に反応が返ってくる分、緊張もひとしおな気がする。今はアリシアさんと士郎さんっていう身内が乗っているからそこまで緊張は――してるけど――してない。けれど、こうやってプリマが目の前にきたら、いやでも考えてしまう。

 緊張でじっとりと手汗がにじんでしまうんです……。

 

 だから!

 

「こんにちはー! ようこそアクアへ!」

「元気なウンディーネさんだ。ありがとう、楽しんでるよ」

「かわいい~!」

 

 だから、私は元気に挨拶します!

 緊張で声が少し震えちゃったかもしれないけれど、でも、このアクアをみんなにも好きになってほしいから。

 私は、まだペアだけど、私だって、ウンディーネだから!

 

「がんばってねー」

「はいっ! 水無灯里、がんばりますっ!」

 

 ……あれ? また応援された?

 いや、なんていうか悪い気はしないというか、むしろ嬉しいことなんだけども。

 この水路を進むの、とってもむずかしいし。

 

 遠ざかっていくプリマの背中を見送って、私も私の操船に集中し直す。

 それにしても、やっぱりすごいな、って思ってしまう。

 

「みんな、こんなに狭い水路をすいすい~って通っちゃいますね」

「これから行くところは観光地としても結構有名な場所なの」

 

 振り返って私を見上げて、アリシアさんは言った。

 

「だから船の交通量が多いし、さっきみたいに対面走行も頻繁に起きるから、漕ぎ手の技量が問われるのよ」

「確かに、街中の水路に比べると一本道ってこともあるだろうが、すれ違いは多い印象だったな」

「ええ、そうなんです」

 

 会話の内容とは違って、アリシアさんはにこりと笑っていてどこか楽しげでした。

 士郎さんはというと、会話の傍らアリア社長の前脚を取って、わちゃわちゃと弄って遊んでますし。

 

「ぷぷいっ、にゅわあ~っ!!」

「はっはっはっは」

「こほん。だから、灯里ちゃん――」

 

 遊ぶ二人を横目に、アリシアさんが私へ向き直る。

 まるで私を通して遠くを見ているような、でもやっぱり私を見てくれているような、不思議な表情。

 間違いなく言えることは、アリシアさんは今、私を応援してくれてるってこと。

 

「いつか一人前のウンディーネになったら、お客様を乗せて、いっぱい、来ることになるでしょうね」

 

 その台詞が未来のことを指しているようには思えなくて、今こうして漕げていることを褒められているような気さえして、とってもとっても嬉しくなって、オールを握る手に、知らずのうちに力がこもる。自然と上がる口角には逆らわないで、胸のあったかい感情にも嘘は吐かないで。

 

「はいっ、がんばりますっ!」

「あらあら、頼もしいわね」

 

 ちょっとでも早く、立派になりたいと思うのでした。

 

 

 ――――…………。

 ――……。

 

「……アリシアさん、ピンチです」

「あら?」

 

 大きな船が何隻も並んでこっちに来ているとかそういうんじゃなくて、本当にピンチです。

 見上げるばかりの高い壁。閉ざされた水路。そう、まさしくこれは――

 

「行き止まりです」

「あらあら」

「ふむ……」

「ぷいにゅ……」

 

 なぜかどことなく楽しそうなアリシアさんに続いて、アリア社長の前脚を持ったまま士郎さんも絶壁を見上げている。

 ど、どうすればいいんでしょう、これ……。

 

「大丈夫よ。別に行き止まりじゃないわ」

「え?」

「姉ちゃん、ここ初めてかい?」

「え?」

 

 わけのわからないまま呆けていると、アリシアさんだけじゃなくて、隣からも声がかかった。

 声の方へと視線を向けると、水路の脇に椅子を置いて、新聞をめくりながらのんびりと座っているおじさんがいた。

 おじさんの後ろには家というか、水車小屋のような建物も見える。

 

「もうちょっと待ってな。そろそろ降りてくる頃だかんよ」

 

 おじさんがそう言うが早いか。

 絶壁――まさに鋼鉄の壁の横にある『上り』『下り』のプレートのうち、『上り』がパッと明るくなる。

 ゴォン、ゴォン、と重々しい音を響かせながら、行き止まりだと思っていた鋼鉄の壁が横にスライドしていく。

 これは、扉……?

 

 私がその様子を眺めていると扉が開き切って、その中からは一隻の小さな舟が出てきた。

 さっきの警察の船と同じように、でもさっきよりも小さなポンポンという音を出して横を通り過ぎていく。

 しばらくポケッとして目の前に現れた空間を眺めていると、士郎さんが「なるほど」と声をあげた。

 

「? えっと、なにがなるほどなんで――」

「さ、姉ちゃん、もう入っていいぞ」

「え、あ、はっ、はい」

 

 士郎さんに何事かを聞こうとしたところで、おじさんが小さな空間に入るよう促してくれた。

 その言葉に従って、私はゴンドラを進める。

 小さな空間は縦長の直方体になっているようで、その中央付近でゴンドラを止めたところでもう一度後ろからおじさんの声。

 

「おーし、閉めっぞー」

「あっ」

 

 開くときと同じ「ゴォン」という重い音を響かせながら、鋼鉄の扉は閉まっていく。

 やがてガシャーンという大きな音を立てて、扉が完全に閉まり切ってしまった。

 

「ここは、一体?」

 

 手狭な空間で唯一広がりを持つ上へと視線を移すと、そこには四方を囲まれた小さな空が見えた。

 まるで額縁をくり抜いて空を絵画に落とし込んだようで、不思議な気持ちになってくる。

 ポケーッとそのまま上を向いていると、上方からなにかが外れたような音が落ちてきた。

 

 直後、ざあぁ……と、水が流れ落ちてきて、目の前に小さな滝を作り出す。

 え? あれ? これってつまり、その……。

 

「あ、ああああぁ……」

 

 頭の中にまで滝が流れ込んでくるような、思考の大洪水が私を襲う。

 

「アリシアさん、士郎さん、水攻めですっ」

「落ち着け灯里。こんな親切な水攻めあるわけないだろ」

 

 呆れたように言う士郎さんと、楽しそうに笑うアリシアさん。

 うう……、その場の勢いで言っちゃったのが恥ずかしいよ……。

 

「ふふ。えっとね、ここは水上エレベーターよ」

「水上……エレベーター、ですか?」

「ふむ。やっぱりそうか」

 

 笑い終わったアリシアさんがそう教えてくれると、士郎さんはその説明に納得したように頷いた。

 それに「あらあら」といつもの口癖で驚いてから、アリシアさんは説明を続けた。

 

「お気づきみたいですけど、ここは川の流れをせき止めて水位を上下させることで移動する天然のエレベーター」

 

 水飛沫が冷たい中、アリシアさんはさらりと髪をかきあげる。

 ちょっとした仕草でも女性らしさがにじんでいて、同じ女であるはずの私でもドキッとしちゃう。

 

「昇りたければ水を溜めて、降りたければ溜まった水を抜く……。原始的だけど、雰囲気がいいな」

「そうですね。のんびりしてるところが私は好きですよ」

「う~ん、さすが魔法使いさんですっ」

 

 と、無意識に言葉を漏らすと、アリシアさんは珍しく声をあげて笑って、士郎さんはいつもの苦笑い。

 あの、なんか変なこと言いましたか……?

 

「藍華がいたら突っ込んでるだろうな」

 

 と、なんだか生温かい視線が士郎さんから飛んできた。

 それからぐるりと周囲を見渡すと、彼は話を続ける。

 

「思うに、ここの水路がやたらと狭いのはこのエレベーターの幅に合わせて造ったからなんじゃないか?」

「ええ、この幅でも昇りで30分くらいかかっちゃいますから……」

 

 士郎さんとアリシアさんが四角い空を見上げながら説明してくれる。

 なるほどなー、と感心していると、アリシアさんがこちらを向いてほほえんだ。

 

「でも、この時間、私は好きよ」 

 

 そのまま30分、私たちはなにをするでもなく好きに過ごした。

 さてそろそろかな、と私が立ち上がったとき、少しだけ上から声がかけられた。

 

「よーう、姉ちゃん」

 

 さっきまで下にいたはずのおじさんがそこにいた。

 下にいたときとは違って、パイプをくわえて煙をくゆらせていた。

 

「おじさん、さっき下にいませんでした?」

「おぉ、いたよ。そこの階段上ってきただけだかんよ」

 

 素朴な疑問をぶつけると、おじさんはなんでもないことのように答えを言ってくれた。

 そういえば下にいたとき崖に沿って階段があったような気がする。

 と、そんなことを思っているうちにエレベーターが上流に到着した。

 

 平原にすらーっとのびてく陸橋水路。その景色をみただけで、さっきまでの狭苦しさがなくなっていくのを感じる。

 

「おじさん……一日中お仕事でここに?」

「ん? あぁ……まぁ」

 

 水上エレベーターの扉が開いて、すれ違うときなんとはなしにおじさんへと問いかける。

 すると、ふっとおじさんが誇らしげにほほえんだ。

 

「仕事っつーより、ここはおじさんの秘密基地だかんよ」

 

 おじさんは、プカァ、と紫煙を吐く。

 秘密基地。わくわくする響きだ。このすうっと伸びる水路と、見渡す限りの平原。

 朝日や夕日の景色を想像するだけで、心がはずむような気分になる。

 

 晴れやかな気分のままゴンドラを進ませていると、アリア社長と士郎さんが声をあげたのが聞こえた。

 それにいざなわれるように振り向く。

 

「あ」ざあっと風が走りぬけていく。「ネオ・ヴェネツィアが……あんなに小さくなってる」

 

 あの大きくて、いまだに迷ってしまうような街が、まるでミニチュアのよう。

 いい景色、なんて。そんな言葉におさまらない、神秘的で、なにか胸を打つような、そんな感じ。

 突然、見たものから目が離せなくなるような、あんな感じ。

 心臓がドキドキして、のどがカッと熱くなる、こんな感じ。

 

 空と海の境界があいまいに感じるほど、青と青が混ざり合う。

 空が海に溶け込んでいるのか、海が空と混ざっているような。

 火星(アクア)が青に包まれている。

 

「ははっ、参ったな。なんでこう、ここの人たちはみんな、言うことが上手いんだか」

 

 秘密基地か、うん。

 ――なんて、一人で納得する士郎さんの視線の先に、おじさんの『秘密基地』はあった。

 

「…………」

 

 その景色に溶ける秘密基地を見て。

 その光景に少しだけ考えて、なるほどたしかに、それは『秘密基地』でした。

 心からあふれるワクワクに、思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「アリシアさん」

「ん?」

「私も、のんびり大好きです」

 

 少しの間をもって、うん、とアリシアさんがうなずいてくれる。

 そしてもう一人。一緒にいる士郎さんへも問いかける。

 

「士郎さんは、どうですか?」

「ああ、好きだな」遠く、とおくを見て、士郎さんは言う。「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」 

「……?」

 

 その言葉にどこか引っ掛かりを覚えるけれど、それがなんなのかまではわからない。

 

「さ、灯里。目的地までしっかり安全運転でがんばれ」

「あ、はい!」

 

 どことなくごまかされた気がして、余計になにかが気になってしまったけれど。

 うん。……今は、行こう!

 

 

 *  *  *  *  *

 

 

 空が茜に染まり始めたころに、二つ目の水上エレベーターに到着した。

 社長が弁当をつまみ食いをしそうになるのを阻止しつつ、乗り込むと同時にみんなで一緒に食べ始める。

 

 どうやらこの水上エレベーターは、一つ目のものよりも大きいようだ。

 目算で1.5倍ほどだろうか。時間もそれ相応にかかってしまうだろう。

 

 そんなことをぼんやりと考えてるうちに、社長がアリシアのひざの上で寝てしまった。

 さらにいうと、灯里は俺にもたれかかって寝てしまっている。

 普段の営業でこうなられてしまうと困りものだが、まあ、今は大目に見るということで。

 

「どうしたもんかな」

 

 この状況に思わず笑ってしまうと、アリシアもふんわりと笑った。

 

「きっと疲れたんでしょう。さすがに」

「そんなもんか」

 

 そんなもんです。とアリシア。

 改めて空を見上げると、狭く四角い空は赤い赤い茜空。

 帰ると夜になるな。夕飯はどうしようか。

 

「士郎さん」

「ん?」

 

 アリシアはどことなく嬉しそうな顔をして話しかけてきた。

 社長と灯里を起こさないように、声量は控えめだ。

 

「これってピクニックっていうのは嘘だったんですよ。ホントはウンディーネのシングルへの昇格試験なんです」

「へえ……。だから舟を避けるたび嬉しそうだったのか」

「そんな顔してましたか? 私」

「ああ。もうとびきりのヤツ」

 

 あらあら、と苦笑い。

 どうやらピクニックというのは建前だったワケだ。

 急に行こうだなんて言うから、なにかあるのかと思ったが、なるほど。

 

「この試験、ナイショでするのが伝統なんですよ。それで、灯里ちゃんは見事に合格です」

「そうか……。うん」

 

 ……指導者は総じてすごいと思う。

 教え子のことをよく見て、良いところ、悪いところを本人以上に理解し、そしてそれを伝えるのだ。

 しかもアリシアは自分の仕事の合間を縫ってのことだ。俺がいなければ、本当に営業して事務して指導までしてと、てんてこまいだったろう。

 それがどんなに難しいことか、指導者という立場になったことのない自分でもよくわかる。

 しかしアリシアからは、その難しさが見えない。なんでもないことのように、優雅に日々を過ごしている。

 こちらを心配させまいとする心遣いなのだろうが、その態度が俺は心配だ。

 

「無茶はしてないか? 灯里だけじゃなくて、藍華も、もちろん俺だって心配にはなるんだからな」

「お気遣いありがとうございます。私は楽しんでやってますよ。つらかったり、無茶だってしてません」

 

 にこり、とアリシアはいつも通りの笑顔を浮かべる。

 反転、少しいじわるそうな表情を浮かべると、彼女は続けた。

 

「そういう士郎さんだって、知ってるんですよ? アナタが毎朝なにか練習してるの」

「俺のは日課だよ」

「じゃあ、私も日課です」

 

 ああ、そんな笑顔はずるい。

 こんなに嬉しそうに返されちゃどうしようもない。

 

「お互いさまってことですね?」

「ああ、そうだな」

 

 気付けば、水上エレベータはもう上流に合流しようとしていた。

 目に飛び込んできたのは、巨大な12本の白い風車だ。

 海からの風に、丘のうえで腕をぐるぐる振り回している。

 

 そろそろ、舟の主を起こさなくてはならないだろう。

 

「灯里……灯里。着いたぞ」

 

 肩をとんとんと叩くと、灯里は目をこすりながら顔を上げた。

 

「はひ」

「終点よ、灯里ちゃん」

 

 さあ、と涼やかな春風に押されて、灯里は踊るように立ち上がった。

 目の前の光景に、感動で言葉を失っているのか。あんぐりと口を開けたままになってしまっている。

 

「わあ――――っ、すごい、すごぉ――――いっ」

 

 やっと出た言葉はあまりにも幼く、しかしだからこそ、心からの言葉なのだろう。

 そのとき。

 

 ――――ゥ

 

「?」

 

 ここには俺たち以外、誰もいない。

 気のせいか、とも思った。

 

 ――――ロウ

 

 いや、これは――。

 間違いたくはない。忘れたくもない。

 気のせいなんかじゃない。

 

 ゴンドラを飛び降りる。

 平原に降り立つと、俺の突然の行動に灯里が驚いて声をかけてくる。

 

「士郎さん!?」

「ごめん、丘の上に行きたいんだ!」

 

 サクサク、と瑞々しい芝生を踏む音。

 丘の上を目指して、歩みを進めていく。

 そして……。

 

「あれ?」

 

 涙が頬を伝う。

 立ち止まってぬぐうが、後からあとからあふれてきて、止まろうとしない。

 

 アレは、朝。

 

 脳裏に焼き付いて離れない、あの黄金の輝き。

 誓ったのは彼女の幸せ。

 望んだのは彼女との幸せ。

 

 なんで今更になって、思い出して、女々しく涙を流すのか。

 ああ、くそ。こんなの格好悪すぎる。

 

 ――――シロウ

 

 はっとして顔を上げる。

 ざあ、と風が駆け抜ける。

 夕日が見せる幻か。俺の心が見せる夢か。

 

 丘の上に、まるで映画かなにかのように。

 彼女はあのときのままで、こちらを向いている。

 

 ――――――貴方を、愛している。

 

「セイバー!!」

 

 耐え切れずに駆け出した。

 走って、走って、丘の上まで。高鳴る心臓に、いつもならあがらない息も絶え絶えだ。

 でも、そんなのは大した問題じゃない。

 

 幻でも、夢でもいい。わかってたって足は動く。

 彼女を求めて、せめて、そこに行きたい。

 

「はあっ、はあ、く――ぁ、はあっ」

 

 いるわけがないのは、わかっている。当たり前だ。

 居たら居たで、俺はきっと怒っていて、彼女もきっと怒るのだ。

 でもそれは、二人が笑いあって怒りあうんだ。

 

「……だよな。セイバー……?」

 ――――。

 

 何でもない風が、どうしてかこんなにも近い。

 この風が幻を運んできたのか。あまりに美しい景色に、思い出が見せた夢か。

 

 ひゅう、と一段と鋭い風が吹いた。

 茜色の空にひらめく、リボンを見つけた。

 どこか見覚えのある、青いリボン。

 

「……ん」

 

 また幻か、と手を伸ばせば、意外にも掴むことができた。

 あたたかい、と感じたのは自身の握る拳か。それとも、このリボンなのか。

 

「士郎さ~ん!」

 

 感慨に耽りかけた思考が、灯里の呼び声に戻される。

 丘のふもとから、灯里がとてとてと走って近寄ってきていた。

 アリシアと社長は、ゴンドラに残っているようだった。

 

「じゃ~ん!」

 

 灯里が、両手を差し出してくる。

 手袋が片方欠けた、合格のしるしだ。

 少しイジワルをしたくなって、とぼけたフリをしてリボンを持つ手とは逆の手で灯里の手を握った。

 

「ち、違いますよぅ! 手袋、ほら、手袋ですってばっ!」

 

 どうやら、アリシアの言っていた通り、無事合格が告げられたらしい。

 嬉しそうに両手を掲げて、くるくると踊っている。

 

「えへ。でも、ビックリしましたよー。ピクニックと思ってたら、ナイショの試験だったんですよ! 士郎さん知ってました?」

「ああ、灯里が寝てるときにアリシアから聞いたよ」

「ちょっとイヂワルな試験ですけど、でも、そんなの関係ないくらいうれしいです!」

 

 えへへ、と笑う灯里。

 そうか、とだけ答えて、彼女の頭をなでてやれば、くすぐったそうに身をよじった。

 と、そのとき、灯里は俺のもう片方の手に握られているものに気付いたのだろう。

 

「……? そのリボン、なんですか」

「ん、ああ、これか?」

 

 右手に握る青いリボン。

 茜色にも呑まれることのない、青。

 その凛々しい色は、深く、深く彼女を思い起こさせる。

 

「忘れ物さ、きっと」

「わすれ、もの?」

「そう。俺の大事な人の……きっとな」

 

 丘に吹く風にあわせて、リボンを風にさらわせる。

 軽やかに、リボンは丘のうえへ、空へ、舞い上がっていく。

 

「あっ!」

 

 飛んでいったリボンを追いかけようと、灯里が動く。

 けれど俺は、それを止めた。

 

「いいんだ、灯里。いいんだ」

「だって! 士郎さんの大切な人の――っ」

 

 じっと、灯里の目を見つめる。

 それだけで伝わったのかは、わからない。

 ただ、彼女はそれ以上リボンを追うことはなかった。

 

「いいんだよ、これで。いいんだ」

 

 リボンは小さくなっていく。

 風を引き連れて、とおく、とおくへ。

 

 願わくば、このまま彼女へ届けと――、せめてもの俺のわがままも連れていってくれと。

 

「……じゃあな、セイバー」

 

 

 

 

 




08/08/27 Navi:5後編としてブログ投稿
25/06/07 ハーメルン投稿
 
 
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