ソードアート・オンライン R   作:P-A

2 / 3
第2話

『はぁ……こんなことになるならお兄ちゃんの帰りを待ってた方が良かったかな……』

 

 中天にかかる巨大な月が、深い森を水底のように青く染め上げる。

 彼女が今いるのは現実の世界ではなく仮想の世界の森の中。

 家を飛び出していった兄の帰りを待っているつもりでいたが、一人の少年との約束を思い出し、この世界──《アルヴヘイム・オンライン》にログインしていた。

 すぐに用を済ませてログアウトするつもりだったのだが、ダンジョンで敵の急襲を受け、森の中へと逃げ込んむハメになってしまった。

 

 

 アルヴヘイムの夜は長い。まだ曙光が射すまでにはずいぶん間がある。普段なら不気味なだけの夜の森だが、今はこの暗さが少年にとっては有り難かった。追われているから、という理由もあるが、隣に座る彼女の──険悪な表情を見ないで済むからだ。  

 

「ねぇ、リーファちゃん、最近少し機嫌悪くない?」

 

「えっ、そっそんなことないわよ! それよりいつまで座ってる気? 追いつかれる前にこの森を抜けましょ」

 

「えー、僕はもうだめかも……」

 

 情けない声で相棒が答える。

 

「情けないなぁ……しっかりしなさいよレコン」

 

「そんな事言ったって……」

 

 リーファはやれやれという心境で溜め息を吐いた。

 大樹の根元にしゃがみこむレコンという少年は、リーファとは現実世界でも友人であり、ALOを始めたのも同時期である。つまりリーファと同じく約一年のキャリアがある筈なのだが、空中戦闘能力が強さの全てと言っていいALOで一度や二度の乱戦でへばっているようでは正直頼りなかった。

 とは言え、リーファはレコンのそんな所が嫌いではない。強いて言えば放っておけない弟、みたいなものだろうか。

 外見もそんなキャラクターを裏切らず、背の低い華奢な体に黄緑色のおかっぱ風の髪、長い耳も下方向に下がり、顔は泣き出す寸前で固定されたような作りだ。ランダム生成されたにしてはあまりにも現実の彼を彷彿とさせるその姿を初めて見たときは思わず大笑いしてしまったものだ。

 もっともレコンに言わせればリーファの姿も現実の彼女にかなり似ているらしい。シルフ種族の少女にしては少しばかり骨太の体に、眉も目もきりっとした作り。

 せめて仮想世界では【おしとやか】といった表現の似合う姿を彼は期待していたのだが、まあ客観的に見れば可愛い、と言っていい容姿ではある。それはこの世界ではかなりの幸運に恵まれないと得られないものであるし──満足できる姿を手に入れるまでゲームパッケージを二桁程無駄にした者もざらにいる──リーファとしては決して不満があるわけではないが。

 

「そういえばリーファちゃん、何かおかしいと思わない?」

 

「ん? おかしいって何が?」

 

「あっいや……たぶんボクの勘違いだと思うんだけどさ……」

 

「あのねー、男ならはっきり言いなさいよ!」

 

「ご、ごめん。 えっえーと……思ったんだけどさ、あのダンジョンで敵に襲われるのっておかしくないかな? あまり人気のダンジョンってわけでもないし、ましてやサラマンダー領からだとかなりの距離がある筈なのに、あんなタイミングよく現れるものかなって……」

 

「……」

 

 確かに彼の言うことも一理ある。経験値やユルドを稼ぐのなら効率のいいダンジョンなど他にいくらでもあるからだ。

 にも関わらず、敵は何故わざわざ距離の離れたダンジョンまで来たのだろうか。

 その上、まるでタイミングを見計らったように現れたのも妙に気になる。

 

「それにあの時の《シグルド》の行動はどう考えてもおかしいよ! いつもなら真っ先に逃げるか誰かを囮にする筈なのに、今日に限って自分から囮になるなんてさ!」

 

 確かにそれも彼の言う通りだ。そもそも今日あのダンジョンに行くと言い出したのは他でもない《あの男》だった。

 その責任を感じて自分から囮になったのだとばかり思っていたが、よくよく考えてみると彼の性格からして、それはあり得ない。

 

「まぁアンタの言いたいことは解るけど、とりあえず今は逃げ切るのが先よ! 街に戻ったら詳しく話しましょ」

 

 リーファは立ち上がり、背中の透明な四枚の翅を覗き込む。飛行力が回復した証として薄緑の燐光に包まれている。

 

「よし、もう飛べるね。 いくよ、レコン」

 

「えぇ、もう少しだけ休ませてよ~」

 

「甘い!! サラマンダーの中に索敵スキルの高い奴が一人いたから、下手するともう見付かってるよ。二人じゃ次の空中交錯(エアレイド)には耐えられない。根性でテリトリーまで飛ぶのよ!!」

 

「ふわーい……」

 

 レコンは情けない返事をすると、左手で宙を握る仕草をした。するとその手の中に、半透明のスティック状のオブジェクトが出現する。短い棒の先端に小さな球がついたそれは、ALOで飛行するときに使用する補助コントローラだ。レコンが軽く手前にスティックを引くと、四枚の翅がふわりと伸び、わずかに輝きを増す。

 それを確認して、リーファも自分の翅を広げ、二、三度震わせた。彼女はコントローラを使用しない。ALO内での一流戦士の証、高等技術の意思飛行をマスターしているためその必要がないのだ。

 

「じゃ、行くよ!!」

 

「う、うん」

 

 二人は一気に地を蹴って飛び立ち、背中の翅をいっぱいに伸ばして急上昇する。  途端、視界が広がり、月の明かりに照らされた森が遥か遠くまで広がっている。  敵の気配がないことを確認し、アルヴヘイム西域にあるシルフ領《スイルベーン》を目指し、リーファとレコンはその場をあとにした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

「……」

 

 エギルの店を出たアスナはキリトと別れ、急いで帰宅したのだが──やはりと言うべきか──玄関で母が苛立った表情を浮かべ、睨み付けてきた。

 

「退院した日にこんな時間まで外出なんて、一体どういうつもりなの?」

 

「ごめんなさい……」

 

「あなたはあんなゲームのせいで他の子より二年も遅れているのよ? 解ってるの!?」

 

「はい……」

 

「それと今日お父さんから聞いたけど、須郷さんとの結婚を断るだなんて信じられないわ! しかもあんなゲームなんかで知り合った子と結婚したいだなんて、恥を知りなさい!」

 

「──ッ!」

 

──心にヒビが入る音が聞こえた。

 

【彼のことを何も知らないくせに】

 

【知ろうともしないくせに】

 

 たがそれを声に出す勇気はなく、心の中で虚しく叫ぶしかなかった。

 

「それと参考書を机の上に置いておいたから毎日やりなさい! 来週から家庭教師もつけますからね。あと、あの変な機械(ナーヴギア)も早く捨てなさい!」

 

「……」

 

 それだけは返事が出来なかった。あの機械、否──あの世界があったからこそ彼と出会うことができ、そして今の自分があるのだから。

 

「いいわね?」

 

「勉強はちゃんとするから……それだけは許して……」

 

「……勝手にしなさい!」

 

 そう言い、母親は自室へと去って行った。アスナも深い溜め息を吐き、自分の部屋に戻ると倒れ込むようにベッドに飛び込んだ。

 

 ふと──二年前、SAOにログインする前に母がよく言っていた言葉が次々と脳裏を過る。

 

「勉強はしてるの?」

 

「受験生なんだから勉強しなさい!」

 

「中学のテストなんて出来て当たり前よ、それより高校の勉強はしてるの?」

 

 あの頃、母は自分の為に言ってくれているのだと思っていた。そう思い込むことによって自分の存在を保っていた。

 たが二年の月日を経て《それ》は間違っているのだと思えた。あの時の母の言葉は、ただ自分を苦しく締め付ける《鎖》でしかなかったのだと。

 

 エギルの店で見た《鳥かご》に囚われている二人の少女──その光景が再び脳裏に浮かび上がる。

 空を自由に飛べず、ただ寂しく眺めているだけの光景が、今の自分と少し重なるように思えた。

 

『キリト君……』

 

 毛布を被り、身を縮め、涙を必死に堪える。

 現実という名の鳥かごから抜け出せずにいる今の自分の無力さに、アスナは憤りを感じずにはいられなかった。

 

──とその時、携帯が鳴り響いた。上着から取り出すと、画面には彼の名前が表示されていた。瞳にうっすら浮かんでいた涙を拭い、電話に出る。

 

「もしもし」

 

「あっアスナ、俺は準備出来たけどアスナも今から大丈夫か?」

 

「うん、大丈夫だよ……」

 

「…………もしかして泣いてるのか?」

 

「えっ?」

 

 頬に手を当てると先程拭ったはずの涙が流れ落ちていた。何度拭ってもそれは一向に止まらない。

 何故なのかはすぐに解った。彼の声を聞いて心の底から安堵したからだと。

 

「大丈夫か? 無理なら俺だけでも……」

 

「ううん、平気だよ! わたしも行く!」

 

「解った。それじゃALOで落ち合おう」

 

「うん」

 

 電話を切り、もう一度涙を拭い、パッケージを開封する。その中にはソフトと説明書と思われる薄い本が入っていた。

 念のために軽くそれを読んでみると一つの問題点に気付いた。

 

『えっ? これって種族によって最初に始まる地点違うの!? あっ早くキリト君に知らせなきゃ!』

 

 すぐにキリトに電話を掛けるが、呼び出し音がただ虚しく流れだけで出る気配はない。すでに彼はALOの世界に行ってしまったのだと思い、アスナは慌ててナーヴギアにソフトを挿入し、ベッドに横たわる。

 

 ナーヴギアを被るのに多少の抵抗があったが、意を決して被り、口を開く。

 

 

「リンク・スタート」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 キリトがALOにログインすると、まず最初にSAO同様、各種接続テストが行われた。

 一通りそれが終わると、アルヴヘイム・オンラインの初期設定画面が表示され、ナビゲーションに従い、名前を【KIRITO】──キリトと打ち込む。

 プレイヤーの容姿はランダムであったが、長期間プレーするつもりはないので、そこは妥協することにした。

 次に種族選択画面が出たが──その数、全部で九種類。スクロールするとそれぞれの種族の長所と短所が簡単な説明文として表示される。キリトは迷った末、【スプリガン】を選択した。理由は種族の特性などではなく──ただ単に黒がメインカラーというところが気に入ったからだ。

 最後に招待コード入力画面が表示され、茅場からのメールにあった数字を打ち込むと、そこで全ての初期設定が終わった。

 瞬間──眩い光に包まれ、目を瞑る。意識が遠退き、体が落ちていくような感覚に囚われた。

 

 

 

「ここが……アルヴヘイムの世界か」

 

 意識が戻り、目を開くと、そこは深い森の中。樹齢何百年とも知れない巨大な木々が、天を突く勢いで伸び、枝葉を広げていた。

 耳を済ますと鳥や虫の鳴き声、鼻腔をくすぐる植物の香り、肌を撫でていく微風。その全てが恐ろしく鮮やかに五感を包み込む。現実以上の現実感──まごうことなき仮想世界の手触りだった。

 

「にしても、ここは一体どこなんだ……」

 

 開始地点は種族のホームタウンの筈だが、ここはどう見ても街中ではなく森の中。キリトは不安を抱きつつ、システムウインドウを出すため、右手を振る。

 

「……? ふん……ふん!」

 

 いくら右手を振ってもウインドウが表示される気配がない。開始地点といい、もはやバグかエラーなのではないかと思ってた、その時──。

 

「キリト君!」

 

 後方から声が聞こえ、振り返ると──容姿は完全ランダムのはずが、目の前にいる彼女の容姿は現実の彼女と瓜二つだった。

 その上、白地に赤いラインの入ったSAOで彼女が所属していた【血盟騎士団】の団員服の格好をしている──ただ唯一の違いは、背中にクリアブルーに透き通る鋭い流線型の羽根があることくらいだ。

 

「アスナ……なっなんでその格好なんだ……?」

 

「やっぱり、キリト君もなんだね!」

 

「えっ?」

 

 アルヴヘイムの景色に見とれ、自分の格好を見ていなかったキリトは視線を服に向ける。

 そこでようやく気付いた。黒を基調とした、SAO75層の時に装備していた姿であることを。

 

「な、なんで俺達SAOの時の格好なんだ? だって……ここはアルヴヘイム・オンラインの世界だろ?」

 

「わたしにもよく解らないけど、もしかしたら団長から送られてきた《あのコード》を使ったからかも……」

 

「あっ!」

 

 ようやく合点がいった。茅場から送られてきた謎の招待コード。

 この姿や開始地点の違いがそれによるものならば説明もつくからだ。

 ただ、一体何のために茅場はこのようなことをしたのかは未だに謎のままであったが。

 

「それよりキリト君、システムウインドウ見て! きっとびっくりするよ!」

 

「あぁ、そのことなんだけど……」

 

 アスナの前でもう一度右手を振ってみせるが、やはりウインドウは表示されない。 「ほらな!」とキリトはアスナに視線を向けると、彼女はクスっと笑い、自信に満ちた表情を浮かべる。

 

「なっ……なんだよ!」

 

「キリト君、右手じゃなくて左手を振ってみて」

 

「……」

 

 そんなバカな、と思いつつ左手を振ると、軽快な効果音とともに半透明のメニューウインドウが開いた。

 

「あっ!」

 

「ほらね、説明書にも書いてあったよ! まさかキリト君にゲームを教える日が来るなんて、なんか嬉しいな♪」

 

「はぁ……」

 

 こんな初歩的なことに気付かない自分自身に呆れつつ、メニューウインドウを見つめる。デザインはSAOとほとんど同一のものだった。

 

「あ、あった……」

 

 メニューの一番下に【Log out】と表示されたボタンが光っていた。試しに押してみると、【フィールドでは即時ログアウトはできませんが云々】という警告メッセージとともにYES/NOボタンが表示される。

 一先ずキリトは安堵の溜め息を吐いた。どうやらこのゲームは正常にログアウトすることが出来るのだと。

 

 再びウインドウに目を落とすとアスナが横から覗き込んできたのでキリトは彼女にも見えるようウインドウを可視化し、スクロールしていくと、目の前の表示にキリトの指がピタリと止まる。

 

 ウインドウ最上部にはキリトという名前とスプリガンという種族名の表示。その下にはヒットポイント400、マナポイント80といかにも初期ステータス値。

 キリトが目を止めたのは、さらにその下にあるスキル一覧だった。

 

《片手剣》《体術》《武器防御》などの戦闘系スキルから《釣り》のような生活系スキルなどいくつも表示されていた。

 その上、熟練度の数値が異常に高い。ほとんどのスキルが900台で、中には1000に達してマスター表示が付いているものもあった。

 

「ねっ!驚いたでしょ? わたしも自分のを見た時はびっくりしちゃったよ」

 

「これはさすがに驚くよ……もはやビーターじゃなくてチーターだな」

 

「確かそうかもね、でも今度はキリト一人じゃないよ……わたしも一緒だもの」

 

 そう告げるアスナのにこやかな笑みにキリトは何度も救われたことを思い出す。彼女と──ユイがいてくれたからこそ、今の自分があるのだと。

 

「あっ!」

 

 キリトはある可能性に思い至り、急いでアイテム欄を開く。アスナもそれを食い入るようにじっと見つめた。

 そこには膨大な数の文字化けしたアイテムの羅列が表示されていた。

 キリトは祈る気持ちで、画面をスクロールしていくと、一つだけ鮮やかなライムグリーンに発光するアイテムがあった──【MHCP001】と。

 

「キリト君、これって……もしかして!」

 

「あぁ、間違いない」

 

 キリトは震える指でそのアイテムをタップすると、涙滴型にカットされた大粒のクリスタルが手のひらにオブジェクト化される。そのクリスタルの中心部分が光輝き、仄かな温もりが二人を優しく包み込む。

 アスナは目に涙を浮かべ、それをじっと見つめいた。キリトはそんな彼女の手を握りしめ、そっとクリスタルを二度叩いた。

 その途端、クリスタルから純白の光が輝き出した。

 

「──ッ!」

 

 光輝くクリスタルはキリトの手を離れ、地上から二メートルほどの高さで停止する。クリスタルの光は次第に強さを増していき、周囲の木々が青白く染め上げられ、月すらその輝きを失う。  

 二人が眩しさを堪え、見守るなか、光の奔流の中心部分にゆっくりと一つの影が生まれ始めた。それは徐々に形を変え、色彩をまとっていく──四方にたなびく長い黒髪、純白のワンピース、すらりと伸びた手足。目蓋を閉じている一人の少女が、まるで光そのものが凝集したかのような輝きをまといながら、ふわりと二人の眼前に舞い降りてきた。

 眩い光は不意に消え去り、地上から少し浮いた場所で静止した少女の長い睫毛が震え、目蓋がゆっくりと開いていく。

 やがて夜空のように深い色の瞳が、真っ直ぐにキリトとアスナを見つめた。

 その少女の桜色の唇がゆっくりと綻んだ。天使のような──という陳腐な言葉でしか表現できない微笑。

 

「わたしだよ……ユイちゃん、わかる……?」

 

「ユイ……ユイ!」 

 

 すると少女──ユイの唇が動き、懐かしい鈴の音のような声が響いた。

 

「また、会えましたね──パパ、ママ」

 

 大粒の涙を煌めかせながら、宙を飛ぶように移動したユイが二人に飛び込んできた。

 

「パパ……ママ!!」

 

 何度もそう叫びながら、細い腕を二人の首に回し、頬をすり寄せる。

 キリトとアスナもその小さな体をぎゅっと抱きしめる。

 アスナも心の糸が切れたのか、子供のように泣きながら、少女を強く抱きしめる。キリトも同様に涙を浮かべながら、またこうして三人でいられる喜びを強く噛み締めた。

 

 

──それからどれくらい時間が経っただろう。

 

 ようやく落ち着きを取り戻した三人は森の中の片隅にあった切り株を見つけ、腰を下ろす。

 そこでキリトは隣に座ったユイに、これまでの経緯を簡単に説明した。

 ユイを圧縮して保存したこと、アインクラッドが消滅したこと、そしてこの新たな世界──アルヴヘイムに来た理由とシステムがSAOに酷似していることを。

 

「なるほど……あっ、ならちょっと待ってくださいね」

 

 そう言い、ユイは目を閉じ、何かの声に耳を澄ますかのように首を傾ける。

 

「ここは──」

 

 ぱちりと目蓋を開け、キリトとアスナを交互に見る。

 

「ここはソードアート・オンラインのサーバーをコピーしたものだと思われます」

 

「コピー?」

 

「はい。基幹プログラム群はほぼ同一です。ただカーディナル・システムのバージョンが少し古いですね。その上に乗っているゲームコンポーネントはまったく新しいものですが……」

 

「なるほど……」

 

 キリトは考え込む。

 このアルヴヘイム・オンラインがリリースされたのはSAO事件の12ヶ月後、アーガスが消滅し、事後処理をレクトが委託されたしばらく後だ。

 アーガスの技術をレクトが吸収したということになれば、それをそのまま流用して新規のVRMMOを立ち上げるということは十分考えられる。ゲームの根幹を成す感覚シミュレーション・フィードバック技術が出来上がっているなら、開発費は大幅に抑えられるだろう。

 つまり、ALOがSAOのコピーシステム上で動いている、という事になる。

 

「ねぇ、キリト君……さっきユイちゃんが言ってたコンポネートって……」

 

「ん?」

 

 真剣な表情のアスナに、キリトとユイは考えを止め、息を呑む。

 

「コーンポタージュみたいなもの?」

 

「「………はぁ」」

 

 キリトとユイは溜め息を吐き、頭を抱える。先程の話から何故そう思ったのか、キリトとユイには理解出来なかった。

 

「ママ、今すごく大事な話をしているので、静かにしていてください……」

 

「えっ? あっ……はい」

 

 アスナとしては至って真面目に聞いたつもりだったのだが、娘から哀れむような視線に、ただ頷くしかなかった。

 

「……それでユイ、話を戻すけど、この文字化けしたアイテムはどうしたらいいんだ?」

 

「ちょっとパパとママのデータを覗かせてくださいね」

 

 ユイは再び目を閉じた。

 

「システムが共通なのでセーブデータのフォーマットもほぼ同じなのですが、この世界に存在しないアイテムは破損してしまっているようです。このままではエラーチェッカーに検出されると思います。パパとママのアイテムは全て共有になっているようなので、パパがアイテムは全て破棄すればママのも消えると思います」

 

「そうか、なるほどな」

 

 キリトはアスナに同意を得ようとしたが、彼女は俯き、完全にいじけていた。右手だけを軽く上げたので、話はちゃんと聞いているのようだが。

 キリトはそれを同意したのだと解釈し、アイテム欄に指を滑らせると、文字化けしているアイテムを全て選択し、まとめてデリートする。

 二人に残ったのは、正規の初期装備品と、現在装備しているSAO時の服だけだ

 

 キリトはウインドウを閉じ、ユイに視線を向けると、少女はアスナを見つめ、少し哀しげな表情を浮かべていた。

 

『ユイもさっき言い過ぎたのを気にしているんだな……』

 

 そういうところは実に人間らしい少女の一面だ。だからこそキリトはユイの悲しむ顔なんて見たくはない。

 

『しょうがないな……』

 

 キリトはそっとユイを左から押す──するとユイは体勢を崩し、アスナの方にゆっくりと倒れ込む。

 

「あっ!」

 

 アスナもそれに気付き、慌ててユイを抱きかかえる。

 

「ユイちゃん、大丈夫?」

 

「はい……あの、ママ……さっきは言い過ぎました。ごめんなさい……」

 

 瞳にうっすら涙を浮かべる少女の姿に、アスナは優しく微笑みかける。

 

「ううん、ユイちゃんは悪くないよ……わたしも大人げなかったし、ごめんね……」

 

 そう言い、アスナが優しく頭を撫でると、ユイも次第に笑みを取り戻す──そんな二人をキリトは暖かい眼差しでただ見つめた。

 

 

「そう言えば、ユイはこの世界ではどういう扱いになってるんだ……?」

 

「えーと、このアルヴヘイム・オンラインにもプレイヤーサポート用の擬似人格プログラムが用意されているようですね。ナビゲーション・ピクシー、という名称ですが……わたしはそこに分類されています」

 

 言うなり、ユイは一瞬難しい顔をした。その直後、その体がぱあっと発光し、次いで消滅する。

 

「お、おい!?」

 

「えっ、ユイちゃん!?」

 

 キリトとアスナは慌てて声を上げる。すぐ立ち上がろうとした、その時──アスナは膝の上にちょこんと乗っているモノに気付いた。

 身長は十センチほどだろうか。ライトマゼンタの、花びらをかたどったミニのワンピースから細い手足が伸びている。背中には半透明の翅が二枚。まさに妖精と言うべき姿だ。愛くるしい顔と長い黒髪は、サイズこそ違うがユイのままであった。

 

「これがピクシーとしての姿です」

 

 ユイはアスナの膝上で立ち上がると、両腰に手を当てて翅をぴこぴこと動かした。

 

「かっかわいい……」

 

 アスナはやや感動しながら指先でユイのほっぺたをつついた。

 

「えへへ、ママ、くすぐったいですよー」

 

 笑いながらユイはアスナの指から逃れ、しゃらんという効果音と共に空中に浮き上がり、二人の周りを一周し、アスナの肩にちょこんと座る。

 

「……じゃあ、前と同じように管理者権限もあるのか?」

 

「いえ……できるのは、リファレンスと広域マップデータへのアクセスくらいです。接触したプレイヤーのステータスなら確認できますが、主データベースには入れないようです……」

 

「そうか……」  

 

「ごめんなさいパパ、わたしに権限があればプレイヤーデータを走査してすぐに見つけられるのに……」

 

 しゅんと落ち込む声に、アスナは肩に乗るユイの頭を指で優しく撫でる。

 

「ユイちゃんは悪くないよ。 キリト君もあまりユイちゃんばかりに頼っちゃダメだよ!」

 

「いや、そんなつもりじゃ……ごめんな。 まぁ世界樹ってとこにいるのは解ってるんだけどな……」

 

「あっそれなら解ります。ええと……ここからは大体北東の方向ですね。でもかなり遠いですね。リアル単位置換で五十キロメートルはあります」

 

「えっ、そんなに遠いの?」

 

「アインクラッド基部フロアの五倍か……。うーん、そういえばここでは飛べるって聞いたなぁ……」

 

 キリトは立ち上がり、首を捻って肩越しに覗き込む。背中からクリアグレーに透き通る鋭い流線型の羽根──というよりも昆虫の翅と言うべきか──が伸びている。だが動かし方がさっぱり分からない。

 

「どうやって飛ぶんだろ……」

 

「補助コントローラがあるみたいです。左手を立てて、握るような形を作ってみてください」

 

 ユイの言葉に従って、二人は手を動かした。するとその中に、簡単なジョイスティック状のオブジェクトが出現した。

 

「えと、手前に引くと上昇、押し倒すと下降、左右で旋回、ボタン押し込みで加速、離すと減速となっていますね」

 

「なるほど」  

 

 キリトはスティックをゆっくり手前に倒してみた。すると、背中の翅がぴんと伸び、ぼんやりとした燐光を放ち始める。そのままスティックを引きつづける──。

 

「おっ」

 

 不意に、体がふわりと浮いた。ゆっくりとした速度で森の中を上昇していく。

 

「すごい、キリト君、ホントに飛んでるよ!」

 

「ママも行きましょ!」

 

「うん」

 

 アスナもクリアブルーの翅を輝かせ、ゆっくりと上昇していく。

 すると、うす暗い森とは対称的に眩く輝く月が視界に入った。

 

「キレイ……」

 

 仮想とは思えない、その月の輝きにアスナは思わず見とれてしまった。

 

 

 暫く二人はその場で下降や旋回を試すうちにすぐに操作を飲み込んでいった。

 

「なるほど、大体わかった。とりあえず基本的な情報が欲しいよな……。一番近くの街ってどこかな?」

 

「北西のほうに《スイルベーン》という街がありますね。このまま飛んで……、あっ……」

 

 突然ユイが顔を上げた。

 

「どうしたの?」

 

「プレイヤーが近づいてきます。 ,三人が一人を追っているようですが……」

 

「三人がかりか、ちょっと気になるし行ってみるか。 アスナ、行こう! ユイ、先導頼むな」

 

「うん」

 

「解りました。 こっちです」

 

 鈴のような音とともにアスナの肩から飛び立ったユイを追って、キリトとアスナの新たな物語が始まった。




第2話ようやく出来ました。ご意見やご感想、ご指摘ありましたらよろしくお願い致します。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。