ソードアート・オンライン R   作:P-A

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第3話

──遡ること十分前。

 

 アルヴヘイム西域にあるシルフ領を目指し巡航していたリーファとレコンを──突如、赤色の閃光が襲った。

 

「──ッ! レコン、回避!!」

 

 リーファは咄嗟に叫び、左下方に急速旋回する。

 ギリギリのタイミングでそれを避けると、攻撃が放たれたであろう下方の薄暗い森の一部に目を凝らす。

 するとそこから五つの赤い影が飛び出し、急速に上昇してきた。

 

「もー、しつこいなぁ!!」

 

 リーファは咄嗟に北西の方角に目を凝らすが、シルフ領の中央にそびえ立つ巨大な《風の塔》の灯りはまだ見えない。

 かと言って最早逃げ切るのは困難だろうと判断し、腰から湾曲した長刀を引き抜く。

 

「レコン、戦闘準備!」

 

「えー、もうこれで何回目なのさ~」

 

 レコンは不満げに隣にいるリーファに訴えかけたが、すでに彼女は目をギラつかせ、戦闘体勢に入っていた。こうなってしまってはもはや止めようがない。

 はぁぁ、と深い溜め息を吐き、レコンも半ばやけくそ気味に腰からダガーを引き抜いた。

 

「簡単に諦めたら承知しないからね! レコンはどうにか一人でいいから落として」

 

「ぜ、善処します……」

 

「よし……行くわよ!」  

 

 リーファは気を引き締め、翅を鋭角に畳むと、敵集団の先頭の一人に狙いを定め、臆することなく急降下する。

 

 あっという間にその距離が詰まると、リーファは敵が構える銀色のランス──その鋭い先端に全神経を集中した。  

 甲高いシルフの突進音と鈍い金属質なサラマンダーのそれが奏でる不協和音がみるみる高まり──二者が交差したその瞬間、大気を揺るがす爆発音となって轟き渡った。

 リーファは歯を食いしばり、視線をそらすことなく必殺の威力を秘めたランスの穂先を首を捻るだけの動作で回避し、両手で上段に構えた長刀を敵の赤いヘルメット目掛け──叩き込む。

 

「せやぁぁ!!」

 

 瞬間──黄緑色のエフェクトフラッシュが炸裂したが、リーファはそれを気にも止めずにバランスを崩したサラマンダーとともに地面へと急降下する。

 その間もリーファは怯むことなく敵に猛攻を仕掛け、敵のHPをぐんぐん減らしていく。やがて地面まであと十メートルのところで──遂にそれは消滅した。

 

「畜生!!」

 

 断末魔の直後、敵の体が深紅の炎に包まれ、飛散──その痕には小さな火焔の雫だけが残された。

 ここで蘇生アイテムや魔法を使われない限り、一分後には残り火は消え、敵はサラマンダー領で復活することになる。

 幸い、敵に蘇生魔法を使う者はいないようだった。

 リーファは一息吐き、残りの敵がいる上空を見上げた。

 

 すると今まさにレコンも敵に止めを刺そうというところだった。先程までの頼りなさとは一転──ダガーで敵の脇腹を一閃し、見事敵の一人を消滅させてみせた。

 これで三対二。圧倒的に不利なエアレイドだったが僅かな希望が見えてきた。

 

『いける!』

 

 そう確信し、リーファはレコンの元に駆け寄ろうとしたその時──視界の中央に捉えていたレコンに左右から火炎魔法である炎の渦が迫っていた。

 

「うわああ!!」

 

 悲鳴を上げながらもそれをギリギリのタイミングで回避してみせたのには「さすが隠密が得意なだけはあるわね」とリーファは思わず感心させられたが、避けたことに安堵したのか、こともあろうにレコンはその場で停止してしまった。

 

「──ッ! バカ、止まるな!!」

 

 だがリーファの叫びが届く前に、後方から迫っていたサラマンダーのランスが──止まっているレコンの体を貫いた。

 

「ごめぇぇぇん」

 

 断末魔と謝罪を同時にこなすと、レコンは緑色の光に包まれ──直後、その体が消滅し、先程と同様に小さな残り火へとその姿は変わってしまった。  

 

「あのバカ……」

 

 死んだレコンも一分後にはシルフ領で復活するだろう。

 だがリーファにとって仲間が目の前でやられるというのは、いつ見ても慣れないものだった。

 

 レコンが倒されてしまったことにより先程とは一転、状況は一気に不利になってしまった。その上、リーファは自身の翅の輝きが失われつつあることに気付く。 

 忌々しい滞空制限──あと数十秒で翅がその力を失い、飛べなくなってしまう。

 

「くっ……」

 

 歯噛みしながらも一旦体制を建て直すべく、来た道を戻るように全速力で樹海目掛けて急降下する。ここで諦めて大人しく討たれたら、レコンの死が無駄になってしまう。

 

 梢の隙間に突入し、幾重にも折り重なった枝を縫いながら地表に近づくと正面の大木の裏に飛び込み、じっと息を潜める。

 やがてサラマンダー特有の鈍い飛翔音が聞こえていた。次第にその大きさは増していき、背後の茂みに着陸する音とともに、それも掻き消えた。

 がしゃん、がしゃん、と鎧の擦れあう音と、迷うことなく真っ直ぐ近づいてくる足音が聴覚を刺激する。

 

『──バレてるっ!?』

 

 リーファはやむなく木の陰から飛び出し抜剣して構えると、三人のサラマンダーも立ち止まり、ランスの矛先を向けてきた。

 

「梃子摺らせてくれたなぁ」

 

 右端の男が兜のバイザーを跳ね上げ、興奮を隠し切れない口調で言った。

 中央に立つリーダー格の男が落ち着いた声で言葉を続ける。

 

「悪いがこっちも任務だからな。金とアイテムを全て置いていくのなら見逃すが」

 

「なんだよ、殺しちまおうぜ!! ポイントも稼げるしよぉ」

 

 今度は左の男が、同じくバイザーを上げながら言った。暴力に酔った、粘つく視線を向けてくる。

 

 リーファは左端の男の視線に嫌悪感を抱き、肌が粟立つのを意識した。信じくないがVRMMOで女性プレイヤーを殺すのはネットにおける最高の快楽、などと嘯く連中がいる。

 正常に運営されているALOですらこうなのである。なら《あのゲーム》の内部はさぞ於曾ましいものだっただろう。少し考えただけでも背筋がぞっと凍りつく。

 

「さっさと諦めちまえよぉ」

 

 左端の男が不敵な笑みを浮かべ、さらに捲し立ててきた。

 リーファはその男の言葉に、怒りを抱くのと同時に、一つの疑念が込み上げてきた。

 果たして兄は《あの世界》で諦めたことがあったのだろうか──という疑念。

 もし今と同じような状況で諦めてしまったら、その末路は大抵決まっている──《死》しかないだろう。

 例の役人曰く《あの世界》の死は、つまり現実の死をも意味する、と訊かされたとき──直葉/リーファは恐怖のあまりベッドの上で眠り続ける和人の目の前で泣き崩れてしまった。

 それからというもの、僅かな希望を残しながらも日に日に不安は増していった。それをぬぐい去ることはどうしても出来なかった。もし兄が二度と目を醒まさすことがなかったら……という不安。

 

 だが《あの日》──無事現実の世界へと還ってきた和人の姿を目にした時、ようやくその不安から解放されたのと同時に、一つ気付いたことがあった。体こそ衰えていたものの、その瞳は二年前とはまるで違い、強い信念のようなものが宿っているように見えた。その理由が《あの人》のことであるのはさておき──。

 まるで一流の剣士を思わせるその気迫──とりわけ鋭い眼差しに、和人がかつて《あの世界》でどのように生きていたのか、なんとなくではあったが解ったような気がした。

 

 きっと兄は《あの世界》を必死に生き抜き──そして最後まで決して諦めなかったのだろう。

 

 思い出すだけで口元から笑みが溢れてくる。先程まで余裕など一切なかったはずなのに、兄のことを考えると不思議と気持ちが楽になる。

 リーファ/直葉には今現在叶えたい願いが二つあっだ。当初は兄の気持ちを少しでも理解出来たらと思い始めたVRMMORPG──《アルヴヘルム・オンライン》。今ではすっかり自分が魅了されハマってしまった《この世界》に、兄/和人も誘おうという一つ目の願い。

 母曰く『和人は私に似て根っからのゲーマーね』と言っていたので、きっと気に入ってくれるだろう。

 ここで昔のように、兄妹仲睦まじかったあの頃のように過ごしたい。それ以上は望まない──もう一つの願いは、きっと叶うことはないのだから。

 

 それを叶えるためにも、こんなところで諦めるわけにはいかない。妹として──そして一人の剣士として恥じない闘いをしよう。

 そう心に決め、リーファは両足でしっかりと地面を踏み締め、愛刀を上段に構えた。

 大きく息を吸い、視線に力を込めサラマンダーをじっと睨み──叫んだ。

 

「──来いッ!!」

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 一方その頃、アルヴヘイム上空を飛翔する最中──アスナは《この世界》に魅了されていた。

 現実のしがらみなど一切なく自由に飛べる喜びと、鳥かごから抜け出したかのような解放感が──次第に心を満たしていくような気さえする。

 

 この翅でどこまでも遠く、どこまでも高く飛んでいきたい──《彼》と一緒に。

 そう思いながらアスナは後ろを飛ぶ《彼》──キリトを見ると、ふいに視線が交差した。

 何故か慌てて視線を逸らすキリトの姿が少し妙ではあったが、そんなシャイな一面すら今は愛しく思える。

 

「パパ、ママ、あそこです!」

 

 鈴の音のような声でふと我に返り、前に向き直ると──ナビゲーターを勤める──ユイが少し離れた森の一部を指差していた。

 視線を凝らし見つめると、そこからは赤い閃光と緑の閃光が交互に輝きを放っていた。耳を済ませると金属のぶつかり合うような音も僅かに聞こえてくる。

 

 一旦その場で停止し、キリトとアスナはメニューウインドウを開くとアイテムストレージに指を走らせ、初期装備である剣を装備フィギアに設定する。

 するとその瞬間──目の前に剣が出現した。初期装備だけあって見た目がなんとも貧弱そうなそれを、それぞれ背中と腰に装備する。

 

 

『…………?』

 

 その間、二人を見ていたユイは一つの異変に気付いた。

 

「パパ、どうかしましたか?顔が真っ赤ですよ」

 

「え……?あっホントだ!ねぇキリト君、もしかして具合でも悪いの?」

 

 アスナもキリトの顔が先程よりさらに赤くなっていることに気付く。

 だが心配そうに見つめてくる二人を他所にキリトは「いや、その……それ……」と恐る恐るアスナの装備している《赤いチェックのスカート》を指差した。

 

「えっ?」

 

 キリトが何故《それ》を指差したのか疑問に思いながらも、アスナが自身の装備している《それ》に目を向けた瞬間──膝上十五センチはあろう短いスカートが風で靡き、前方が僅かに捲れ上がった。

 

「──きゃっ!」

 

 アスナは慌ててスカートを手で覆い隠し、すぐさまキリトをキッと睨む。

 

「──み、見たッ!?」

 

「い、いや……その……」

 

「見たのねッ!?」

 

 もろに見てしまったため、もはや言い訳することも出来ない。正直に言えば許してくれるかも……と淡い期待を込めながらキリトは頭を下げて言った。

 

「…………スマン、アスナ!実はここに来るまで何回か見えてたんだけど……中々言い出せなくてさ……」

 

 一瞬、純白の布地で作られたであろう《それ》も初期装備なのかと疑問に思ったが、もちろん口には出さない。

 暫くの沈黙の後、微かな希望を持ちながらチラッと顔を上げてみると──頬を真っ赤に染め、潤んだ瞳で睨む彼女の姿があった。

 

 アスナは無言のまま腰に装備した剣を引き抜き、両手でそれを天高く振り上げる。

 

「ちょ……ア、アスナ!?」

 

 慌てて後方に下がろうとしたが、すでに遅かった。

 アスナはそのまま大きく息を吸い込み──「いやぁぁぁぁぁ!!」と絶叫しながら──全力でキリトの頭に叩きつけた。

  

 それはまさに改心の一撃だった。キリトのHPバーをイエローゾーンまで一気に削る。(精神的には全損に近いだろうが)

 

 するとバランスを崩したキリトは悲鳴を上げながら、戦闘が行われているであろうポイントに──流星の如きスピードで──落下していった。

 

 そんな二人のやり取りを、ユイは敢えて止めることはしなかった。

 むしろにこやかに眺めていた──何故かというと──『なるほど……これが夫婦喧嘩というものなんですね!喧嘩するほど仲がいいと言いますもんね♪』と解釈をしていたからだ。むしろ喧嘩しない夫婦の方がおかしいというのが少女の持論である。

 

 無論落下していったキリトのことも心配ではあったため、ユイはまだ息を荒らげているアスナの肩にちょこんと座ると、頬を擦り付けながら優しい声色で話し掛けた。

 

「ママ、落ち着いたらパパを追いかけてあげて下さいね。パパも悪気があったわけではないと思いますし」

 

「えっ?……う、うん……」

 

 なら気付いた時に言ってよ!……というのがアスナの本音だったが、娘にそれを言っても仕方がないと思い、その気持ちをぐっと堪える。

 暫くし、多少落ち着きを取り戻したアスナはふと肩上のユイを見ると、少女は指を加えながら心配そうにキリトの落下していった地点を見つめていた。

 そんな娘の姿が──可愛い!……ではなく、どこか寂しげに思えた。娘をこんな表情にさせてしまった罪悪感が込み上げてくる。

 さすがにあれはやりすぎたかなぁ……と反省し、少女の頭をそっと指で撫でた。

 

「ごめんねユイちゃん、もう大丈夫……。早くキリト君のところに行こっか」

 

「はい♪」

 

 決して大丈夫というわけではなかったが、満面の笑みを取り戻した娘の姿に内心ホッと安堵し、優しく微笑み返す。

 

 月の光を浴び鮮やかなブルー色に輝く翅を鋭利に畳み、アスナとユイはキリトの後を追い、樹海の森へと降下していった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「──ッ!」

 

 遂に敵のランスに捉えられ、地面へと吹き飛ばされる。

 左上に表示されているHPバーがみるみる減少していき、やがてそれは危険域であるレッドゾーンに突入してしまった。

 

 見上げると、地上から三メートルの高さをホバリングしているサラマンダーの一人が鋭利なランスの先端を向けてきていた。

 

『──ここまでか……』

 

 諦めないと決めたものの、さすがに三体一では無理があった。リーファは抗うことの出来ない現実に覚悟を決め、死を受け入れてしまおうかと思った──その時。

 ランスを構えるサラマンダーのさらに上、仮想の夜空を見上げると、視界には満点の星空──その中に一際大きく、光輝く流星があった。

 

 一年前、リーファ/直葉は本物の流星を見たことがあった。自分の部屋の窓からではなく、兄である和人が眠り続ける病室から。慌てて直葉は一つの願い事をした──「お兄ちゃんを……助けて下さい」という願いを。

 一瞬の閃光であったため、そう願い終える前にそれは消えてしまったが、それから一年後のあの日──その願いは叶った。

 流れ星とは関係ないのかもしれない。ただの後付けでしかないのかもしれない。だだそれでも叶わずにはいれなかった。

 

 敵に殺されるであろう状況でリーファは瞳を閉じ、それが消えてしまう前に、僅かな希望を込めて願った。

 

『助けて……助けて……お兄ちゃん……』

 

 だが再び目を開いたリーファは唖然とした。それは流星ではなかったからだ。

 微かに聞こえてくる男性と思われるプレイヤーの悲鳴。恐ろしい速度で真っ直ぐこちらに向かって落下してくる黒い影。

 あっという間に距離が詰まり、それはランスを構えていたサラマンダーの頭に見事に激突した。

 そのまま勢いよく上空から落下してきた《それ》とサラマンダーは地面に衝突し、衝撃によって土煙が巻き上がり、周囲を覆い尽くす。

 

「「~~ッ!」」

 

 視界が霞む中、微かに二人の男性と思われるプレイヤーの悶絶する声だけが虚しく響く。

 

 暫くし、ようやく土煙が収まると、先に衝突されたサラマンダーが起き上がり、突然現れた乱入者に警戒心を高め、一度その場から距離を取った。

 だがリーファはサラマンダーには目もくれず、今もなお倒れ込んでいる黒衣の乱入者を凝視し続けた。

 

「いてて……」

 

 やがて緊張感の無い声とともに立ち上がった乱入者の姿に──リーファは驚愕した。

 垂れた黒髪に色白な肌、昔よく姉妹かと間違われた程の女顔をしたプレイヤーは──兄である和人だった。

 

「お、お兄ちゃんッ!?」

 

「──えっ?」

 

 キリトは目の前の少女の言葉に耳を疑った。黄緑色のポニーテールの少女にいきなり『お兄ちゃん』と言われたのだから当然だろう。

 だが同時に気掛かりもあった。今の姿は現実の姿と瓜二つと言っても過言ではない筈なのだが──にも関わらず自分を『お兄ちゃん』と呼ぶ、その少女が他人とは思えなかった。

 よく見るとキリッとした眉と目、そして聞き覚えのある声が、自分の知る少女と重なるような気さえする。

 

 まさかと思いながら、じっと見つめてくる少女にキリトは恐る恐る口を開く。

 

「もしかして……スグ……なのか?」

 

「う、うん……」

 

「……」

 

 コクンと頷く少女の姿に、キリトは言葉を失った。

 なぜ妹の直葉が《この世界》にいるのか理解が出来なかった──そもそもゲーム自体に興味を示したことなど今まで一度もなかった筈なのに。

 

 一方、唖然とするキリトを他所にリーファは先程まで様子を見ていたサラマンダーの一人が翅からルビー色の光を引きつつ、キリトの後方から突撃してきていることに気付く。

 

 あまりにも咄嗟の出来事であった為、間に合わないと思った──その時。

 

「──えッ!?」

 

 リーファは目の前の光景に目を疑った。完全な死角からの攻撃を──キリトは一度も見ることなく、左手でランスの先端をがしっと掴んだのだ。

 ガードエフェクトの光と音だけが周囲の空気を震わせる。

 

 あっけに取られて口をぽかんと開けるリーファの眼前で、キリトはそのまま突進してきたサラマンダーの勢いを利用して掴んだランスごと背後の空間に放り投げる。

 

「うわぁぁぁ」

 

 悲鳴を上げながら吹っ飛ばされたサラマンダーが待機していた仲間に衝突し──がしゃん、と金属音が重なって響き、両者は絡まったまま地面に落下した。

 

 それを見届けるとキリトはゆっくり振り返り、やや戸惑ったような表情でリーファに問い掛ける。

 

「えっと……スグ、こいつらを斬ってもいいのか?」

 

「そりゃ……いいんじゃないかな……。少なくとも向こうはそのつもりだと思うけど……」

 

「それもそうか。 じゃあ失礼して……」

 

 そう言い、キリトは右手で背中から剣を引き抜くと、左足を前に半身を構え、腰を落とし、右手で握った剣の先を地面に接するほどまで下げる。その構えを見たリーファは慌てて叫んだ。

 

「ちょ、お兄ちゃん! ふざけてる場合じゃないんだよ!」

 

 リーファからしてみればキリトのその構えは剣道の基礎など一切なく、珍妙としか言いようがない構えだった。

 

「いいんだよ、俺流剣術だ」

 

「俺流って……」

 

 ニヤリと笑みを浮かべるキリトの姿に、リーファは若干頭痛を感じていると、地面に倒れ込んでいた二人のサラマンダーが起き上がろうとしていた。

 

 その時──突然、ズバァン!!という衝撃音が響き渡った。それと同時に隣にいたキリトの姿がいつの間にか掻き消えていた。

 

「──えッ!?」

 

 リーファは慌てて首を右に振ると、遥か離れた場所でキリトが低い姿勢で停止していた。剣を真正面に振り切った形である。

 

 瞬間、二人いたサラマンダーの内の一人が悲鳴を上げ、体が赤い光に包まれた。直後にその体が四散し、小さな残り火へとその姿は変わった。

 

『──速過ぎる!!』

 

 リーファは激しく戦慄した。いまだかつて目にしたことのない次元の動きを見た衝撃が全身をぞくぞくと震え上がらせる。

 

 リーファとサラマンダーのリーダーがあまりの出来事に唖然とする中、キリトはゆっくりと立ち上がり、もう一人のサラマンダーに剣を向けた。

 

 

「ヒ、ヒィッ!」

 

 もう一人のサラマンダーは未だに何が起きたか理解出来ていないようだったが──向けられた剣に身の危険を感じたのか──慌ててランスの矛先をキリトに向けて構えた。

 

 シーン、と森が静寂に包まれる中──今度こそ見失うまいとリーファはじっとキリトを見つめ、目を凝らす。

 するとそこでリーファは一つの異変に気付いた。

 いつの間にかキリトは──目の前の敵から遥か上空──仮想の夜空へと視線を移していた。その上、その顔から先程までの笑みは消え、恐怖の色へと染まっていた。

 嫌な予感を抱きつつ、リーファも上空を見上げると──デジャブだろうか──月夜の暗闇の中、またして真っ直ぐこちらに向かって落下してくる流星を目にした。

 

 

「──スイッチ!!」

 

 上空からの叫び声が訊こえた途端、再び大気を揺るがす大音響が耳に響いた。

 おそらくその大音響を発生させたのは兄だと思い、リーファはすぐに上空の《それ》からサラマンダーへと視線を移した。

 そうしたことにより今度は一部始終を見ることが出来た。まるで映画を限界まで早送りしたような、コマの落ちた映像が目に焼きつく。

 

 サラマンダーに急接近したキリトは剣を下段から跳ね上げると正確に敵のランスを弾き飛ばし、そのまま振り上げた剣の勢いに身を任せるように地面を蹴り、体を大きく捻ると──空中で器用に一回転し──再び下段から剣を振り上げ、今度はサラマンダーの胴体を切り裂きながら宙へと吹き飛ばした。

 すると、まるでそうすることが解っていたかのような絶妙なタイミングで上空から落下してきた流星の一太刀が──エフェクトフラッシュすら一瞬遅れる程のスピードで──サラマンダーの胴体を貫き、一瞬にして炎焔の雫へと変えてみせた。

 

「う、うそ……」

 

 あまりにも一瞬の出来事であったため、スピードにばかり目を奪われていたリーファだが今更のように攻撃で発生したダメージ量の凄まじさに気付く。

 二人のサラマンダーのHPバーはフルでこそなかったもののまだ六割程度は残っていた。それを一撃、二撃程度で吹き消すとは、もはや尋常とは言えない。

 ALOにおいて攻撃ダメージの算出式はそれほど複雑なものではない。武器自体の威力、ヒット位置、攻撃スピード、被ダメージ側の装甲、それだけだ。

 この場合、武器の威力はほぼ最低レベル、それに対してサラマンダーの装甲はかなりの高レベルであったため、通常ならば敵うはずがないのだが──二人のプレイヤーの異常なまでの攻撃精度とスピードが、その常識を意図も容易く覆してしまった。

 

 だが驚いたのも束の間、それ以上の衝撃が目に飛び込んできた。

 いまだ消滅したサラマンダーの火焔の雫が行き場を失い虚しく漂う中、ヒラリとそこに舞い降りたプレイヤーの姿は──自身の知る彼女──《結城明日奈》その人だった。

 

 

『な、なんで……』

 

 リーファは呆然とアスナを見つめ考える──何故この人までいるのだろうと。

 その上、その姿は兄同様──現実の彼女と瓜二つ。一年に及ぶALOでの経験の中でも、今までそんな話を訊いたことがない。

 近いうち種族の転生システムが実装されるかもしれないという噂が囁かれているが、アバター関連の新システム実装などは一切ないはずだ。

 仮に、もしそんなシステムが実装されるという噂が少しでもあれば──今頃スイルベーンで復活しているであろう──レコンが満面の笑みを浮かべながら薦めてきているはずだが今のところ彼からそんな話は訊いていない。

 

『なら……なんでお兄ちゃん達は……』

 

 考えれば考えるほど疑問は膨らむばかりで、一向に答えは見えない。

 いっそのこと本人達に直接訊いた方が早いと思ったが、今はとても入り込める空気ではない。

 何故なら──彼女は泣きながら兄を強く……強く抱き締めているのだから。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 キリトは必死に今現在、自身の置かれている状況を理解しようとしたが、思いもよらぬ出来事のせいで思考が追いついてこない。

 上空での一件から、さぞお怒りなのだろうと思っていたのだが──案の定、彼女は地面に降り立つや否や、消滅したサラマンダーの炎焔の雫には目もくれず、剣を投げ捨て、胸に飛び込んできたのだ。

 

「え、えーと……アスナ?」

 

 問い掛けてもアスナは顔を胸に埋めたまま何も反応しない。

 だだ、その体が小刻みに震え、グスッ……グスッ……と鼻を啜りながら泣いていることだけが伝わってきた。

 まるでガラス細工のように繊細で、強く握れば割れてしまいそうな、そんな儚ささえ今の彼女からは感じられた。

 かつて《あの世界》で、同じように怯えた彼女を、キリトは何度か見たことがあった──第七十四層のボス部屋の中、彼女の護衛担当だった男を殺した後、愛する娘との別れの瞬間──どれをとってみても、それらはただ辛く、悲しい記憶でしかない。

 だからだろうか──特に意識したわけでも、考えたわけでもなく、キリトはアスナの背中へと手を回し──震える彼女を優しく抱き締めた。

 

 

 暫くの沈黙の後、ようやく落ち着きを取り戻したアスナは顔を上げ、口を開く。

 

「ごめん……ごめんね……キリト君」

 

「いや、上空でのことなら俺が黙ってたのが悪かったわけだし、アスナが気にすることじゃ──」

 

「ううん、そうじゃなくて…………私があんなことをしたせいで、キリト君を危ない目にあわせちゃったから……」

 

「危ない目って、さっきの敵のことか?」

 

 言うと、アスナは再び視線を落とし、何も言わずにコクンと頷いた。

 不思議と──彼女が今何を思い出し、考えているのか、キリトは察した。

 アスナも自分と同じように《あの世界》で起きたことを忘れられずにいるのだろうと。嬉しかった記憶──そして悲しかった記憶さえも。

 もうデスゲームは終わったのだと、現実では死ぬことはないと頭では解っていても──SAOと同一のアバターのせいもあってか──脳裏に焼きつく辛く悲しい記憶が甦り、その考えを阻害する。

 その原因である茅場から送られてきた謎の招待コード。わざわざアバターまで再現されるように細工されていた《あのメッセージ》の意味がずっと疑問だったが、今の彼女を見ていると、その意味はさほど難しいものではないように思えた。

 ただ伝えたかったのだろう──《あの世界》で起きたことを──忘れるなと。

 

 そう思うと心がズキンと痛んだ。

 

 忘れられるわけがない。もし忘れることが出来たとしても、いつの日か必ず思い出してしまうだろう。

 《あの時》──ダンジョントラップにかかり、目の前でポリゴン粒子となって消えていったサチ達のことや、自らの手で殺したプレイヤー達のことを。

 例え仮想の世界であろうとも、あんな思いは二度としたくない。

 

 彼女を──アスナを守りたい。

 

 ただ純粋にそれだけを考えていると、自然と言葉が内側から込み上げてきた。

 現実の世界へと帰還することが出来た手前、その言葉は意味を持たないと思えたが、言わずにはいられなかった。

 

「大丈夫、俺はアスナを置いて死んだりしないし……それにアスナのことは俺が必ず守ってみせる」

 

「…………ホントに?」

 

「あぁ、約束だ」

 

「なら……それなら──」

 

 言いかけ、アスナが顔を上げた瞬間、目が合った。

 ほんの一瞬、キリトは気恥ずかしさから視線を逸らそうかと思ったが、真っ直ぐ見つめてくる彼女の真剣な眼差しに、その考えを止め、彼女の次の言葉を待つ。

 その瞳の奥には──何やら強い決意が宿っているように見えたからだ。

 するとアスナは顔をキリトの耳元まで近づけると、優しい声色で囁いた。

 

「なら──ならキリト君のことは、私がずっと……ずっと守るね」

 

◇ ◇ ◇

 

 名残惜しく思いながらもアスナは抱き締める腕の力を緩めると、再び目が合った。どこまでも深く、透き通った綺麗な黒い瞳。

 そして優しく微笑みかけてくるキリトの顔を見た途端──トクン、トクン、と心臓の脈打つスピードが次第に速くなっていくのを感じた。溢れる気持ちを抑えられず高鳴る鼓動に従うままに、再びゆっくりと顔を近づける。

 距離が近付くにつれ、呼吸さえもクリアな音声となって聞こえてくる。あと数センチ──瞳を閉じ、さらに距離を詰める。

 だが、それが触れ合おうとしたその時──コートのポケットがゴソゴソと一際大きく蠢いた。

 

「あっ!」

 

 そこでようやくアスナは一つの大事なことを思い出した──キリトの後を追って降下する最中、戦闘になるだろうと思い「窮屈かもしれないけど少しの間この中にいてね」と言い、ポケットの中に入った少女のことを。

 嫌な予感を抱きつつ視線を向けると──やはりと言うべきか──小さな妖精はキラキラと目を輝かせ、じっと見つめてきていた。 

 慌ててキリトから離れ、アスナは小さな妖精──ユイに話し掛ける。

 

「えーっと……ユイちゃん、いつから見てたの?」

 

「ん~内緒です♪それよりママ、早く続きを!」

 

 未だ目を輝かせ、次の展開を期待するユイ。だが娘の前で出来るわけもなく──また教育上あまりよろしくないため──アスナは苦笑しつつ、話を逸らした。

 

「それよりほら、パパ無事だったよ!」

 

「…………」

 

 だが──逃がさないと言わんばかりに──なおもユイがジーっと見つめてくる。アスナもここまで来ては引き返すわけにもいかず、顔をひきつらせながら必死にその眼差しに堪え続けた。

 やがてユイは不満げに頬を膨らませると──。

 

「…………解りました。それなら──」

 

 ポケットから勢いよく飛び出し、しゃらんと翅音をたてながらキリトに近寄ると何を思ったのか、キリトの頬に──チュッ──と短いキスをした。

 

「ユ、ユイ!?」

 

「ユイちゃん!?」

 

 娘の思いもよらぬ行動に驚く二人を他所に、ユイは再びアスナの肩に降り立つと、ニコニコと満足げな笑みを浮かべながら耳元で囁いた。

 

「さぁ、次はママの番ですよ♪」

 

「お願いだからもう許してぇ~~!」

 

 

◇ ◇ ◇




お久しぶりです(^^)v第3話書き直してようやく出来上がりました(;・ω・)多忙でかなり遅れてしまいました(。>д<)
至らぬところがあると思いますが温かい目で読んでいただけると幸いです。
ご意見やご感想お待ちしております☆
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