「おい起きろ!」
微塵も遠慮のない声が私の深い眠りを覚ます。目を開けると見飽きた嫌に白い天井があった。そしてまたしても見飽きた白いマスクと帽子とゴーグルで顔がほとんど見えない男に寝起きによる不機嫌な心情を悟られない程度に素早く体を起こす。いい加減その白衣と頭に着けたものに種類を増やせと思いつつ軽く部屋を見回すと、やはり昨日と何ら変わりのない何も無い、ただただ白い部屋。食事が出てくる小さな受付はシャッターを下ろしており、その傍に椅子が1つとトイレが部屋の隅にぽつんと設置されている。そして私が今まで眠っていた寝台が部屋の中心にあり、多少の狭さによる閉塞感と無機質さを感じていた。
「おはようございます」
私が努めて従順そうに、元気にそう言うと男は軽く頷いて授業の時間だ、と言って腕輪をドアのそばにあるパネルにかざして部屋のドアを開放し、部屋の外に誘導した。部屋の外に出たところで景色が大きく変わるわけでもなく、白く長い通路が伸びていた。そして私が部屋を出るのとほぼ同時に通路にある30ほどあるドアから私と同じような背丈をして私と同じように白い貫頭衣のような服を着ている子どもたちが出てきた。
彼らと共に景色の変わらない通路をいくらか歩き、しばらくして大きなドアの前に集まる。人数を確認した男が大きなドアを開いて部屋に入るように指示をする。
そして部屋の前で腕輪が装着されて自身の席に向かう。授業の際に腕輪が着けられることなど今まで無かったため困惑する雰囲気が漂うが、突然何かをされることに慣れが付きつつある私たちはそういうものか、と特に気にすることなく席に着く。
そして先生が入ってくるのを待つのだが、私たちは互いに会話することを許されていないため先日の授業内容を机に取り付けられているタブレットで資料を見ながら復習をする。
言語を覚える授業であったが、とても充実したものであった。
そして今日は最後の授業であるということが前回の授業終了後に告げられている。
与えられた運動のノルマ以外にやることの無い私としては知識を得られる授業は最高の娯楽であり、楽しみでもあったため非常に残念である。しかしこれを言ったところで無駄であることは明白であるためそれを胸に秘めて最後の授業の内容はもちろん、先生の言動のひとつひとつを見逃さないように集中する。
集中を高めつつ復習していると先生が部屋に入ってきた。性別や身長以外の特徴がわからない奴らとは違って帽子もマスクもゴーグルも着けていない。白衣を着ている部分は同じだが、白い髪と常に微笑んでいるような顔をしているお爺さん、というだけで先生以外の何者でもなくなる。普段は指示棒以外は特に持ってくることは無いのだが、中に何かが入った箱をガチャガチャといわせながら入ってきた。
「いやー、少し遅れてしまって申し訳ない。最後の授業だからね、いい結果が得られるかどうか楽しみで仕方ないよ。君たちがどれ程成長したか私に見せてくれたまえよ」
そう言う先生は普段よりも心做しか嬉しそうに見える。そして先生はポケットからリモコンを取り出して壁に取り付けられているモニターの電源を入れる。
モニターに映ったのは棒グラフ。グラフの下には番号が付いている。
「これはね、現在の君たちのトリトン量を表しているんだ。赤い線は一般的な母トリガー使いの平均トリオン量だ。そしてその上にある青い線がもうひとつの計画の子どもたちの平均トリオン量」
モニターに釘付けになっていた私たちは先生の言葉にハッとして先生に向き直る。すると見たことの無いほど顔を苦しそうに、悔しそうに、恨めしそうに歪めた先生がいた。見たことの無い表情、覚えのある嫌な感情が向けられたこと、それらに頭が真っ白になる。
「この実験は実験体を幼少期からドーピングすることなく、健康的に育てることによって薬漬けの実験体よりも長寿かつ一定水準以上のトリオン量を持つ実験体、つまり長持ちする母トリガー使い、そしてトリオンタンクを作るはずだった……それなのに! このグラフを見てみろ!」
先生がまくし立てることを理解し、そして茫然としている中でかけられた大声にビクリと体を揺らし、グラフを見ると赤い線よりも下にある者がほとんどであり、3本だけが赤い線つまり一般的な母トリガー使いのトリオン量を超えていることになる。
たしかに赤線を超えている者は少ないが結果はそこまで悪くないのではないかと思う。通常トリガーを使うことを考えれば全員が凄まじい量のトリオンを持っている。
しかし、先生は顔を赤くしながら続けた。
「もうひとつの計画はトリガーを用いた育成方法だった。この1回だけを見れば私の計画の方がコストがかからない。しかし! 長期的に見れば完成した育成用トリガーを使うだけのあちらの計画に軍配が上がる。全くもって無駄な計画だった! おい、2番と5番、18番以外を棄ててこい! こんなトリオン量じゃあタンクにもならん」
ショックの大きさや決断の速さ、入ってきた白服共の手際の良さによって私たちは瞬く間に簀巻きにされて運ばれる。無駄に育てられた脳は先生の言ったことの理解は出来たが、研究員の厳しい態度以外で育てられることのなかった精神はその事実を受け入れることが出来なかった。周囲の子どもたちも私と同じように何が起こっているのかを受け入れられずにされるがままになっている。
茫然としていると物のように雑に台車に積まれ、そのまま『廃棄処理口』と書かれている穴に台車ごと投げ捨てられた。穴は斜めになっており、台車や上下にいた子どもたちとゆっくりと離れていき、縦向きになりながら滑り落ちていった。巻かれた布がクッションとなっていたが、それでも台車や子どもたちにぶつかって少しの痛みを感じる。
そうして心に大きな穴が空き、やけに冷静になってしまった理性で何一つ役に立たないことや他の世界などを妄想していると、穴の出口に到達した。浮遊感を予想していたが、私を襲ったのは気色の悪い傾斜を滑り降りる感触だった。
やけに柔らかく凸凹した地面に体が弾み、金属片などに体を掠らせて切り傷が出来る。
そうして体を数度地面に打ち付けていると、体を拘束する布と縄が切れて剥がれた。そしてその拍子に跳ね上がった瓦礫や肉片の中に授業の中で見たことがある棒を発見し、咄嗟に掴み取った。
そして反射的に叫んだ。
「トリガー起動!」
すると体を襲っていた痛みは無くなる。数分転がった後に勢いが止まり、他に転がってくるものがないことを確認した後に体を起こして辺りを見回す。
人骨や腐った死体、新しい死体。かかった年月は違えど、誰も生きている人はいなかった。同じ授業を受けていた者も無惨な状態である。
「ぐっ……! うっ……うぇぇぇ……」
あまりに凄惨な光景に凄まじい吐き気を催すがトリオン体であるため、何も吐き出すことがない。その場に立っている時点で誰かの屍を踏みつけている。まるで地獄に生者のまま迷い込んだような状況に精神が粉々に打ち砕かれながら、屍の山から逃げるように歩みを進めた。
トリオン体であったことが功を奏したと言うべきか、疲れることがない。そのため屍の山を超えるのは2時間もかからなかった。
地獄を抜けると廃れた街があり、壊れたドアから色のある家に入ってトリガーを再起動し、トリオン体を新しいものとする。そして心の限界が来たのか、プツンと意識を失った。
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